2010年08月22日

お茶のお稽古で日本古来の文化を感じる

 残暑というより酷暑の中、早朝よりお茶のお稽古に行きました。
 地下鉄と近鉄を乗り継いで、奈良と言っても大阪寄りを走る近鉄生駒線の元山上口駅へ。
 私がこれまでに、一番乗り降りした回数の多い駅です。20数年、この生駒山の中腹に居を構えていたのですから。単身赴任で東京へ行ってからも、数年前までは毎週末になると、この駅から自宅へと山登りをしました。

 駅前には、役行者ゆかりの千光寺への道しるべが、法隆寺側を背に建っています。
 
 
 
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 この前のお稽古の時は、たまたま車に乗せてもらえました。今日はエッちらオッちらと、急坂を登ります。

 単線の踏切を渡ると、すぐに竜田川上流が眼下に飛び込みます。これまでは何でもなかった景色が、たまに来ると景勝地のように見えて新鮮です。
 
 
 
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 かつては毎日登った坂です。しかし、京都や東京の平地の生活に慣れると、身体がついて来ません。
 坂道の上に住む人は、疲れにくい身体になっていると言われていることを実感しました。
 これも、修行と言うことで……。

 今日は、さっそく盆略手前の練習です。家でも娘に特訓をされていたのに、実際に見られながらやってみると、なかなか難しいものです。
 本日の3度目のお稽古では、実際にポットに入ったお湯を使ってやりました。手順は覚えていても、一つ一つの動作を考え考えなので、我ながらギコチなさがわかります。
 それでも、横で先生が囁いてくださるので、何とか一通り終えることができました。
 炎天下のもと、薄暗いお茶室で冷や汗ものです。

 おおよその流れは掴めたので、後は家で娘に復習の相手をしてもらいます。

 目の前では、天目茶碗を使ったお手前の稽古がなされていました。天目台に乗せてのお手前は、話には聞いていました。井上靖の小説に、天目茶碗に関する作品があったように思います。また、数年前に、今は逸翁美術館の館長である伊井春樹先生と中国の浙江省に行ったとき、浙江工商大学の王勇先生から、浙江省の窯で焼かれた天目茶碗の話を伺いました。こんな所で、何気なく読み、そして聞いた話と物とが、偶然ながら今になってようやく結び付きました。知識の断片がその場ではうまくつながらなかったので、我ながら慌てる始末でした。

 昨日は、四条センターの講座で茶会席と茶道のお話を聞きました。今日はあの話を思い出しながら、それも冷や汗をかきながら、自分がお茶を点てているのです。これも、日々の流れに身を任せていればこその楽しさです。

 お茶室の床のお花は、ムクゲ(木槿)とワレモコウ(吾亦紅)でした。
 先生が今朝、庭に咲いていたのを摘まれた花だそうです。
 
 
 
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 帰り道は、このお花と『源氏物語』のことを独りで考えながら、楽しく帰りました。

 「朝顔」が「むくげ」の古称であることから、『源氏物語』の第20巻の巻名「朝顔」を「槿」と書いている古写本があります。
 今手近なところにある伏見天皇本(影印)などが、巻名に「槿」の漢字を使用しています。
 現在一般的に読まれている『源氏物語』のテキストの底本は、古代学協会所蔵の「大島本」(重要文化財)です。その巻頭遊紙に貼られた紙には「槿 巻名ハ……」と記し、本文の巻頭部分には「槿斎院桃園式部卿御女……」という傍注があります。
 
 
 
100822oshima『大島本源氏物語DVD-ROM版』2007年、角川学芸出版より
 
 
 

 また、物語の本文中で、朝顔の姫君の歌「あらためてなにかは見えん人の上に かかりとききし心かはりを」のところで、「高松宮本」(国立歴史民俗博物館蔵、重要文化財)と「肖柏本」(天理図書館蔵)には、その歌の右横に小さく「槿」という漢字を書き添えています。これは、この歌が朝顔(槿)の姫君の歌であることを注記している箇所なのです。
 これらは、おそらく江戸時代に記入されたものと思われますが、このことはさらに詳しく調べると、おもしろいことがわかるかも知れません。

 また、「われもこう」は、これまた『源氏物語』の第42巻「匂宮(匂兵部卿)」に出てくる花です。この花の名は、そのまま物語の本文の中にひらがなで書かれています。ただし、この「匂宮」巻だけにしか現れない例のようです。これも、他の古写本に出てこないのか、また調べてみたいと思います。

 今日のお茶室には、こんなにイメージが拡がる楽しい秋の花が活けてあったのです。
 いずれにしても、「われもこう」は奈良時代から、「むくげ(槿)」は平安時代とつながる花なのです。今日の床に活けてあったことが、お茶の世界の雅な雰囲気を作り出していたことを、今になって気づきました。
 こんなにすばらしい空間や文化を、日本人は作り出せるのです。その中に身を置くことができるのです。こんな文化が伝わっている日本を、誇りに思えます。歴史と文化の重みなのでしょう。少なくとも、アメリカをはじめとする新興国などにはないものであることは確かです。

 茶道の奥深さの一端を、垣間見ることができた一日でした。
posted by genjiito at 23:54| Comment(0) | ■古典文学
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