2010年06月29日

藤田宜永(10)『老猿』

 『老猿』(講談社、2010.6.24)は、藤田宜永にとって、12年ぶりの書き下ろしです。
 講談社創業100周年記念出版としての書き下ろし100冊の1つです。
 新聞に広告が載ってすぐに読みました。
 
 
 
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 藤田宜永の恋愛小説には、あまりにもその下手さ加減に辟易していました。ようやく、かつての藤田らしさが伝わる作品が描けるようになったようです。私としては、元の路線を発展させたものとして、評価したいと思っています。

 語り出しは、猿との対面です。ユーモラスでうまいと思いました。藤田宜永としては、久しぶりに快調な滑り出しです。
 最近の恋愛ものとは、格段に文章がうまくなっています。かつてのキレも出てきました。このところ眼に付いていたダラダラ感がなくなっています。キビキビとしてテンポがいいので、私にとっての藤田宜永が蘇ったように思いました。

 ウルムチ出身の春恋という女との話で、主人公が初めて楼蘭のことを知ったのは、井上靖の小説だと言っています(23頁)。突然、私の好きな作家のことが出てきたので、何となく藤田とイメージが結びつきませんでした。とってつけたようで、違和感があったからです。
 そういえば、恋の話で、例として『源氏物語』のことが名前だけですが出てきます(222頁)。
 その他、日本文学の大家の名前や作品名などが何カ所かに出てきます。懐かしの音楽やテレビドラマなど、藤田が私と同年代だけに、背景にある小道具などにおもしろさを感じます。しかし、世代が違う読者は、こうしたネタを、どう思って読むのでしょうか。知りたくなりました。

 愛人関係や自殺など、物語は息つく暇もなく展開します。快調です。
 情に流されない恋情が語られるので、ごく自然に読み進められます。これまでの藤田の恋愛ものが、無理をして愛情を描こうとしていたことが、この作品から明らかになります。ここでも、かつての藤田の活劇スタイルの作品の方が、かえって人の情が描けたということが実感できます。どうやら、藤田はあの感覚を思い出したようです。
 下手だった恋愛路線との決別を歓迎します。

 月に関する描写が、何カ所が出てきます。主人公の中里は、軽井沢の別荘に来てから月を愛でるようになりました(41頁)。
 老猿がヒットマンに追われ、軽井沢の別荘から東京の月島(これが何と私の宿舎がある場所に近いのですが)へ逃げるとき、月が頭上にあります(373頁)。
 また、中国から帰った中里が軽井沢の別荘に戻り、今は亡き老猿の家を見るときにも月の光が……(420頁)。
 藤田の他の作品で、月はどうだったのか、少し気になり出しました。

 「街の底」という言葉が2度も出てきます(179頁、195頁)。これは、吉行淳之介の専売特許とでも言うべき言葉です。この言葉が、今後の藤田の作品でどう使われていくのか、興味のあるところです。

 終盤のパリでの老猿の話は、それまでとは打って変わって、とたんに話のキレが悪くなります。退屈でした。説明口調に脱したためだと思われます。完成度が高いと思って読み進めていただけに、残念でした。

 わざとらしい作り物語の匂いが幾分残っています。しかし、これから藤田宜永が変身していきそうな予感が伝わる作品に仕上がっています。【4】
posted by genjiito at 02:14| Comment(0) | □藤田通読
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