2010年05月15日

京洛逍遙(141)葵祭の社頭の儀

 葵祭が賑やかに行われました。
 今年は、國學院大學の先輩で、専修大学の小山利彦先生の調査研究のお伴をしたために、なかなか得難い席から社頭の儀を拝見できました。上賀茂神社、下鴨神社共に、社頭の儀は始めて見ます。

 私が祭儀をじっくりと見られたのは、ちょうど楼門の真下で鴨社本殿に正対する位置だったからです。以下の写真は、報道関係者のものよりもいいアングルで撮影できたと思っています。少し多めに掲載します。ただし、時間がないので、説明はほんの少しだけに。

 京都御所の建礼門前を出発した行列(路頭の儀)は、1時間10分ほどで下鴨神社の糺の森に到着します。下鴨神社の準備は万端整っています。
 
 
 
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 御所からの行列が一の鳥居に到着すると、下馬して楼門まで歩いて参進します。
 まずは、近衛使代です。
 
 
 

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 清めのお祓いに使われた祭具が、ちょうど目の前に置かれたので驚きました。
 
 
 

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 葵祭りの主役は、勅使と斎王代です。しかし、やはり何と言っても、斎王代の登場が一番の見物でしょう。『源氏物語』では光源氏を一目だけでも、となるところですが、現代では光源氏ほどの男がいないせいか、女性がヒロインです。

 さて、一の鳥居に斎王代が乗る腰輿(およよ)が到着すると、境内はどよめきます。
 
 
 
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 この祭りに参加する人は、みなこの鳥居で下馬し、歩いて参進します。
 斎王代はもちろんのこと、童女もかわいいので見ものです。
 
 
 
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 舞殿を半周して、神服殿に着座します。
 
 
 

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 境内が華やかになったところで、祭儀が始まります。
 
 
 

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 この時、それまで参道の南で華麗な行列を見ていた見物客の方々も、一の鳥居まで進んで来て楼門越しに中の様子が見られるようになります。
 
 
 
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 近衛使代の御祭文(紅色)の奏上の儀は、神道に対する理解が必要です。
 
 
 

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 近衛使代の御祭文奏上、大神からの賜り物である神禄の葵桂の宮司からの授与など、古式のままに祭儀は進みます。
 
 
 
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 神様からの賜り物が植物だけというのが、いかにも日本的でいいと思います。

 やがて、陪従の奏楽に合わせて、6人の舞人の東游が舞殿で始まります。「駿河舞」と「求子舞」でした。「求子舞」では、肩袖を下ろしての、絵になるスタイルです。
 
 
 
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 このころになると、天気がいいこともあり、奉仕で参加していると思われる門外の学生さんたちはグッタリした様子でした。
 
 
 
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 諸役の礼拝に続いて、斎王代の礼拝がありました。
 
 
 

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 階段を数段下りるだけですが、これだけの衣装なので大変です。後ろに長く引く裳には、絵の具で絵が描いてあるそうです。著名な方の手になるもののようで、雨がなどに濡れたら大変だ、と後で聞きました。

 来賓などの礼拝の中に、女優の富司純子(旧・藤純子)さんがおられました。今年のベルリン国際映画祭で最優秀女優賞を受賞した寺島しのぶさんのお母さんです。旦那さんが七代目尾上菊五郎と言えばいいのでしょうか。
 「ふじ すみこ」と呼ばれたので、シャッターチャンスが一瞬ずれてしまいました。
 
 
 
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 祭儀が終わってから、下鴨神社で祢宜をなさっている嵯峨井さんから、懇切丁寧なお話を伺うことができました。
 
 
 
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 小山先生との関係に加え、お互いが大学の同窓であることが、気安く話せる背景にあることは、何と言ってもありがたいことです。頼もしい先輩が、こうして第一線で活躍なさっていることを知ると、自然と目に見えない力をもらえたような気がします。

 中門の横では、葵桂が頒布されていました。これは、我が家の中庭でも、元気に育っています。

 その後、嵯峨井さんの案内で、大炊殿と葵の庭に行きました。ここは、かつて賀茂斎院があったところです。今の御井は、千年前にも賀茂斎院がこの水を使ったものだそうです。今でも神事で使われています。

 今回の祭儀で神様にお供えされたお食事(神饌)についても、嵯峨井さんから詳しく説明を聞くことができました。これは、先ほどの祭事で用い、終わってすぐに下げて置いてあるものでした。
 
 
 
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 手前に大きな魚がありますが、これは鮒です。この鮒は、大津市の堅田地区から届いたものです。
 先の連休に、私は突然思いついて堅田に行きました。井上靖の「比良のシャクナゲ」の舞台との出会いがあったのですが、実はこの堅田の神田神社から、湖魚である鮒が下鴨神社に献上されていたのです。
 堅田は11世紀後半から、下鴨神社に供物を献納するため御厨となりました。そして、葵祭の前日には、毎年ここの鮒などを納めてきたのです。行列は戦争で途絶えたようですが、21年前に復活し、今この目の前に置かれていました。もっとも、今はバスを使って運んでいるのだそうです。
 こんなに大きな鮒なので、ご覧のようにはみ出しています。神社としてはもう少し小さい方が、という思いはあるようです。しかし、立派なものをという堅田のみなさんの思いが詰まっているので、感謝しておられました。
 正面中央のご飯は、左端が少し崩れています。これは、大きな六角の箸で神様に召し上がっていただいたことを示すものです。
 精進料理ではないことは一目瞭然です。下鴨神社における神仏の関係を知ると、興味深いことがたくさんわかるようです。それらはまた別の機会にしましょう。

 午前中に御所から来た行列は、午後はこの下鴨神社から上賀茂神社へ向かいます。我が家の横の賀茂街道を北上します。しかし、今年は行列は見ずに、別の調査地へ行くことにしました。
 半日とはいえ、充実した葵祭りとなりました。
posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | ◎京洛逍遥
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