2010年04月21日

【復元】吉村達也『回転寿司殺人事件』

(※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)

********************** 以下、復元掲載 **********************

2004年06月26日「ミクシィ」掲載分より

 最近、シャーロックホームズに夢中です。新潮文庫の十冊の内、ただいま第9冊目の『シャーロックホームズ最後の挨拶』を快調に読書中です。毎週新幹線に乗る楽しみの一つとなっています。

 今年の春先には、『松本清張傑作総集 1・2』(新潮社)の全2000ページを一気に読みました。そのすべてが、これまでに何度か読んだ作品ばかりでした。しかし、前回の日記にあるように、昨秋より保険会社を相手取って個人で裁判をしていた関係もあり、プロの裁判官や弁護士に立ち向かう上での論理展開の勉強を推理物で鍛えようという意図もあり、こうした本を真剣に読んでいたのです。

 さて、昨日は『回転寿司殺人事件』という本を読みました。作者は吉村達也。この人のものは、今回初めて読みました。たくさん作品を書いておられる方のようです。回転寿司大好き人間としては、読んでおくべきかと思って一読。しかし、とても人に勧められる本ではありませんでした。ひどいものでした。
 文章が軽い上に論理的ではないのです。それでいて、小説とは縁遠く、いわゆる刑事ものの衣装をまとっています。こんな本も出版されているのですね。知りませんでした。
 人の仕事を貶すのは好きではないので、この本で私が好意的にチェックしたところを紹介しましょう。「話す」と「語る」の違いに関する箇所です。

「たとえば将来の夢とか、愛の告白とか、そういったものって、相手に話しかけるばかりじゃなくて、独り言の部分もあって初めて本心がぜんぶ語れると思う。だって、独り言のほうが飾らなくてすむじゃない。恥ずかしいことも言えるじゃない」
 翠は、和久井の目を見ずにきいた。
「わかる? 向かい合っていたら、話すことはできても、語ることはできない。でも横に並んでいたら、話すことだけじゃなくて、語ることもできる」(講談社文庫、318頁)



 カウンターに二人で並んで話し、語る様子を思い浮かべてみると、その違いがよくわかる例だと感心しました。収穫はたったこれだけの本でした。しかし、物語について考えることの多い私には、いいヒントをもらいました。

********************** 以上、復元掲載 **********************
posted by genjiito at 23:50| Comment(0) | ■読書雑記
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