2010年04月02日

江戸漫歩(19)妙栄稲荷大善神

 JR越中島駅と地下鉄門前仲町駅の中間地点に、妙栄稲荷大善神があります。
 清澄通りから狭い路地を少し入ったところです。
 
 
 
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 境内とは言えないほどの狭い空間に、由緒書きがありました。
 
 
 
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 妙栄稲荷大善神の由来、
当 妙栄稲荷大善神の御本尊は、寛永年間の頃、当地に下屋敷を構えていた、松平越中守の家敷内に安置されていたと言われ、越中守の護り本尊として家運の繁栄と火除けの神様として熱心に信心した稲荷と言われる、維新後、明治政府により大名の廃藩が行われた際大名の領地は国有地や一部は一般に解放された、越中島の地名は越中守所有の島の意である、
当時、越中守の留守居役だつたと言われる鎌田氏が此の一帯を下賜された時にお稲荷さんも戴き守護神として代々祀っていた、其の後幾多の変遷が有りましたが最後には町会で管理することになりました、震災(大正十二年)後この辺一帯は区画整理が行われた時、現在の地に安置される、以後社殿も町内の皆様により立派な社殿となり町内の安全と繁栄の守護神として深い信仰を集めて居ります。
  昭和六十一年四月吉日    古石場一丁目西町会



 寛永年間の松平越中守というと定綱(1592-1652)ということになります。
 お稲荷さんなので、商売繁盛をお祈りする神様として祀られているようです。

 越中島というと、今から40年近く昔のことになります。恩師の伊井春樹先生が、ここ越中島の国家公務員宿舎にお住まいでした。
 当時、大学院生だった私は、この越中島の住所に拙い書き物などを送ったものです。最初は、島根県の松江で見つけた『伊勢物語』の写本に関する情報でした。写真などをお送りしました。先生からは、励ましのお返事をいただき、以来、古写本という原典を研究対象とするようになりました。

 あのころは、「越中島」を「こしなかじま」と読むのだと思っていました。大阪の市営地下鉄御堂筋線に、西中島南方(にしなかじまみなみがた)という駅があるからです。

 その伊井先生がお住まいだったところに、それも同じ棟に、今、縁あって住んでいます。先生から見れば不肖の弟子ということになります。しかし、私の立場からは、ひたすら追い求める存在であり、少なくとも同じ宿舎に起居する生活であることに、少なからざる縁というものを感じ、感謝する日々です。
 まだ、先生からは私の成果は何も認められないでいます。少なくとも、『源氏物語』の本文の分別に関しては、今のところは2分別に苦言はいただいていないので、後はそれをどう名付けて世に問うか、というところだと思っています。
 ネーミングは、これからしばらくは、私にとっての課題です。思案の日々です。
 かつて提唱した〈別本群〉と〈河内本群〉はやめます。最近提唱し始めた〈甲類〉〈乙類〉も、問題がありそうです。
 有り体に言えば、〈傍記前混入群〉と〈傍記後混入群〉です。これを、どう名付けるか、ということです。
 まあ、そのうちに、何か思いつくことでしょう。結論に変更はないはずですから。

 それはさておき、地元を歩くと、地域ゆかりのいろいろと興味深いものが眼に付きます。
 たまには、日々未解決の問題を考えながらの、こんなブラブラ散歩もいいものです。
posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | 江戸漫歩
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