2010年03月12日

池田亀鑑の若き日を歩く

 大山町立図書館長のFさんの車で、昨年師走と同じように池田亀鑑の実家があった岸本へ行きました。
 かつての岸本町は、今は伯耆町と言います。そこの公民館で、森安館長からいろいろとお話を伺いました。
 
 
 
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 森安館長は、池田亀鑑のことは何もわかりませんから、とおっしゃっていました。しかし、池田亀鑑が住んでいたところや学校のあった地域、そして父の実家のことなどになると、その家は今は……、その場所は今は……、それはうちの裏を通る道で……、と、とにかく地元の話ということもあり詳しく話してくださいました。
 池田亀鑑がこの岸本にいた時の関係地を地図に示してくださったので、その場所を尋ねることにしました。

 岸本の公民館を後にして、父宏文の実家があった福原へ。
 今この近くには、植田正治写真美術館があります。
 
 
 
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 明治41年6月に、父の日野郡日吉村日吉尋常小学校校長着任(〜大正4年3月まで)にともない、日南町の石見東小学校から日吉尋常小学校(久古村、池田家累代の居住地である岸本町の一地区)に転校します。
 日吉尋常小学校の跡地へ行きました。少し高台になっていて、貝田原の神社の前に、日吉尋常小学校はあったようです。今は何も面影はありません。
 
 
 
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 この久古の貝田原にあった校舎の中で、池田亀鑑一家の岸本での生活が始まったのです。

 明治42年に日吉尋常小学校を卒業すると、この貝田原から東の大原にあった吉寿尋常高等小学校の高等科に入学(2年通学)します。ここも、その痕跡はみあたりませんでした。
 
 
 
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 なお、今はなき日吉尋常小学校と吉寿尋常高等小学校の卒業証書台帳は、この2校を統合した八郷小学校に保存されているそうです。
 
 
 
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 その写真が『初念貫徹 池田亀鑑博士検証費建立記念誌』(2頁、岸本町発行、昭和61年12月)に掲載されているので、いつか確認に行きたいと思っています。冒頭に、池田亀鑑の名前が書かれているのがわかります。
 
 
 
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 この久古の地は、池田亀鑑が随想で何度も触れる霊峰大山が見霽かせる、「ふるさと」と言い続けたところです。
 
 
 
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 池田亀鑑は大正5年に鳥取県師範学校を終え、鳥取県日野郡溝口尋常高等小学校の訓導として帰って来ます。亀鑑20歳の時です。写真は、岸本公民館に保存されている、溝口校での若き亀鑑です。
 
 
 
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 訓導として実家に帰ってから、溝口の学校までの通勤経路について、久古の家から「うぐい坂」を通っていました。その「うぐい坂」は、森安館長のご自宅のすぐ裏で、今は舗道の整備によって地図からはなくなっていました。
 
 
 
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 池田亀鑑は、久古の自宅からこの「うぐい坂」を通って吉定に出、そこから学校があった溝口まで歩いて南下したようです。ただし、今の伯備線沿いの道は新しいもので、当時はもっと山側の三軒茶屋や上細見の道を通っていたと考えられます。だいたい、片道1時間ほどの道のりだそうです。その道を、若き日の訓導・池田亀鑑は、毎日歩いていたのです。
 
 
 
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 池田亀鑑の生誕の地である日南町に行くために、岸本駅から生山駅までは電車を使いました。
 2時間に1本しか電車がないので、駅の中にある商工会議所に荷物を預け、1時間ほど駅周辺を散策しました。学校があった地域を駅から臨むと、大山が顔を出しました。
 
 
 
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 電車に乗ろうとしたところ、2両連結の列車の一番前しかドアが開きません。後ろの方にいた私は、あわてて先頭に走り、どうにか乗り込みました。

 生山では、久代さんが迎えてくださいました。
 早速、池田亀鑑が生まれた神戸上下代の「池田亀鑑誕生地」の碑がある所に連れて行ってもらいました。
 ここは、昨年師走に訪問した折には来なかったところです。
 
 
 
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 ここから石見東小学校までは、歩いて10分でしょうか。
 この家の前を少し下って左に折れると、広い道に出ます。その道を右にとって突き当たりに、小学校があります。
 
 
 
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両親ともにこの小学校に勤務していたので、近くて便利な所に居を構えたことになります。

 石見東小学校の敷地の入口には、雪を被った記念碑が2つ立っています。雪を被っているので、昨年「池田亀鑑ゆかりの日南町」と題して紹介した時よりも雰囲気が違います。
 
 
 
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 これで、鳥取の池田亀鑑に関連する所は踏破しました。
 あとは、落ち穂拾いのような資料収集と、関係者からの聞き取りを続けて行きたいと思います。
 これまでにも、たくさんの方に貴重なお話を伺いました。今後とも、人と人とのつながりの中で、より正確な情報をいただきながら、池田亀鑑の人となりを追いかけて行きたいと思います。
 これまでに変わらぬご理解とご協力を、改めてお願いいたします。
posted by genjiito at 23:12| Comment(0) | ・ブラリと
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