2010年03月10日

新出資料『蜻蛉日記新釈』

 『源氏物語』の研究者として『源氏物語の研究 −創作過程の探求−』(昭和50年、武蔵野書院、昭和49年に本論文により東京大学より学位取得)の業績のある小山敦子先生に、偶然のことながら今回お目にかかる機会を得ました。
 
 
 
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 現在85歳なのに、まだまだお元気で、長時間にわたりたくさんの話をしてくださいました。
 
 
 
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 小山先生は、横浜共立学園から東京女子大学、そして昭和22年に東京大学に入られ、大学院では池田亀鑑氏のもとで学ばれました。昭和36年以降は米国イエール大学研究員、オーストラリア国立大学研究員、ハワイ大学助教授、マラヤ大学教授を歴任された、まさに国際舞台で活躍された方です。
 日本に帰国後は、生涯教育に専念されて今に至っておられます。

 小山先生の手になる『蜻蛉日記新釈(上・下)』(各168頁)が、今、私の鞄の中に入っています。
 今回、小山先生にお目にかかる機会があり、この2冊の手控え帖を託されました。
 上巻の巻頭には、次のように書かれています。
 
 
 
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本稿は昭和廿七年一月 E・G.サイデンスティッカーの嘱に依り、蜻蛉日記英訳の業に協力し 英訳蜻蛉日記の母体として同年五月脱稿せるものである。 有職故実に関しては 恩師石村貞吉先生の御学恩に浴する事が出来たことを感謝する。


 ここでは、岩波文庫の『蜻蛉日記』をもとにして、詳細な注解がなされています。本文の校合も、赤字でなされていることが見て取れます。
 
 
 
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 とにかく、精緻な本文調査の跡が顕著な『蜻蛉日記』の注解ノートです。
 今回、はじめて日の目を見た手書きの資料なのです。

 実はこれは、若きサイデンスティッカー氏が『蜻蛉日記』を英訳するにあたり、小山先生がその手助けをなさった時の貴重な記録でもあります。

 この注解ノートを横に置いて、完成したサイデンスティッカー氏の英訳を読むと、その背景にある知識の伝授が解明できるはずです。また、サイデンスティッカー氏の翻訳の過程も。

 今回伺った小山先生のことばによると、サイデンスティッカー氏の訳は拙くて、たくさんの手を入れながら進めたので大変だった、とのことでした。

 この2冊のノートは、私の手に負えるものではありません。
 私はかつて、『データベース・平安朝日記文学資料集 第二巻 蜻蛉日記』(伊藤鉄也・関本幸子共編、同朋舎、平成3年)を刊行したことがあります。しかし、『蜻蛉日記』は今はまったく手を離れています。
 どなたか、若き研究者に、このノートを活用した研究をお願いしたいと思います。
 とにかく、興味を持たれた方は、ご一報をお願いします。

 なお、小山敦子先生が書かれた「英訳蜻蛉日記について」(『國文學』第2巻10号)は、サイデンスティッカー訳『蜻蛉日記』の背景がわかる、活字化された唯一のものとして貴重なものです。その冒頭部分を引用します。

 昭和廿六年、東大大学院での院友、エドワード・G・サイデンスティッカー(以下Sと略す)から、蜻蛉日記英訳の話があった。国際的に意味のある仕事であり、蜻蛉に眼をつけたのはさすが、と思ったが、当時私は池田先生の源氏大成の総索引が最後の追込みにかゝった所で忙しかったから、Sは喜多教授の現代訳によって一通りの下訳をつけておき、廿七年一月、総索引完成を期に池田先生の助手を辞して、二人で本格的に蜻蛉日記にとりかゝった。平安朝の語彙と解釈には自信があるが、この蜻蛉には恐れ入った。若い二人がさぞ愉しくやったろう思われる向があればとんでもない話で、この難物と取り組んでは、脇目もふれず一路邁進あるのみであった。Sは始め興味のある部分のみの抄訳のつもりでいたが、池田先生の御意向を体した私が全訳を主張し二時間に亘る激論の末、遂に私が押し切った。(尤もレディーズ・ファーストのせいかも知れない)全訳にした事は久松先生も、「あなたのお手柄です」とほめて下さったけれど、面白くもおかしくもない冗長な部分に入る度に、Sは顔をしかめては、「ああつまらねぇ、皆敦子が悪いんだよ」と愚痴った。
 Sが向うの大学の関係で、その夏どうしても一旦帰省しなければならなかったので、それ迄に完成する事を目標に、雪の日も風の日も必死に原文の検討と訳文の推敲に当った。もし喜多教授の半生を献げられた貴重な基礎研究がなかったら、私たちはあの短期間に、とても翻訳どころではなかったであろう。何しろ英語にするには、行方不明の主語から探さなくてはならない。日本語の曖昧さに、癇癪の起きる毎日であった。アーサー・ウェイリイの源氏が、訳としては名訳だが、日本人の学者がもっと協力していたら避けられた誤訳の多いことを思うと、一瞬も気はゆるせない。(65頁)



 この2人の協力による英訳『蜻蛉日記』は、昭和30年6月に、Asiatic Society of Japan(アジア協会)から紀要として刊行されました。これはさらにその後、昭和39年に『The Gossamer Years: the Diary of a Noblewoman of Heian Japan』としてCharles E. Tuttle社から刊行されました。その後、この版が再版を重ねています。

 この文章を認めている今は山陽・山陰の旅先なので、詳細な資料がありません。しかし、私が実施して来た科研の報告書『日本文学研究ジャーナル 4号』(今月刊行予定)の原稿データの一部を、研究支援者として手伝ってもらっている菅原郁子さんから転送してもらえました。そこに収録されている「翻訳事典」の中から、『蜻蛉日記』の英訳に関する書誌データを、少し抜き出しておきます(素稿は福田秀一、大内英範、岩原真代氏)。

(1)THE KAGERO NIKKI : Journal Of A 10th Century Noblewoman
 翻訳者 Edward Seidensticker[1921-2007]
 出版社 The Asiatic Society of Japan
 刊行年 1955年
 頁数 258頁
 翻訳に用いた底本
 喜多義勇校訂『日本古典全書 蜻蛉日記』(朝日新聞社、1949) 、
 喜多義勇校訂『蜻蛉日記』〈岩波文庫〉(岩波書店、1942)

(2)THE GOSSAMER YEARS : The Diary of a Noblewoman of Heian Japan
 翻訳者 Edward Seidensticker[1921-2007]
 出版社 Charles E. Tuttle Company
 刊行年 1964年
 初版は、1955年(the Asiatic Society)。再版は1973年(ペーパーバック版)。2001年(Tuttle Publishing)。
 頁数 201頁
 翻訳に用いた底本
 鈴木知太郎、川口久雄、遠藤嘉基、西下経一校注『日本古典文学大系 20 土左日記 かげろふ日記 和泉式部日記 更級日記』(岩波書店 、1957)
 メモ・その他
 「Unesco Collection of Representative Works : Japanese Series(ユネスコ代表的作品選集 日本シリーズ〜)」の一冊。

(3)THE KAGERO DIARY
 翻訳者 Sonja Arntzen[1945-]
 出版社 Center for Japanese Studies, The University of Michigan
 刊行年 1997年、ペーパーバック版。本書刊行の翌1998年にハードカバー版も刊行。
 頁数 [15]+415頁
 翻訳に用いた底本 情報無
 メモ・その他
「Michigan Monographs in Japanese Studies, Number 19」の一冊。
 Sonja Arntzenは、British Columbia大学で日本文学の博士号を取得し、Alberta大学助教授を経て、現在トロント大学教授。



 (1)と(2)が、サイデンスティッカー氏による英訳です。それ以外に、もう一つ翻訳さていることがわかります。
 このジャーナルでの解説は非常に簡略なものに留まっています。しかし、その背景には、サイデンスティッカー氏と小山先生とのやりとりによる、上記のような事情のもとにあって完成したものであったことがわかります。
 今回お預かりした『蜻蛉日記新釈(上・下)』の出現により、サイデンスティッカー氏による上記(1)(2)の2種類の英訳の詳細が、この資料から浮き彫りにすることができるのです。

 このことは、新たな研究資料の出現として、研究がほとんどなされていない『蜻蛉日記』の英訳において、大いなる意義を有するものとなるはずです。

 なお、池田亀鑑氏の『花を折る』に「英訳「かげろふ日記」」という一文があります。
 これは、昭和30年6月24日の毎日新聞に掲載されたものです。そこには、小山先生がこのサイデンスティッカー氏の訳に関わったことについては、一言も触れられていません。

 Sさんが大学院で学生たちと一緒に源氏物語の研究をはじめてから、もう五年になる。一語一語、たんねんに原文と取り組んだものだ。源氏のリアリズムはどこからきたか、Sさんはその先駆を「かげろふ日記」に見た。これをマスターしようと、早速英訳に着手した。(中略)まだテキストの基礎研究ができてゐないので難解極まる作品だ。(中略)
 Sさんは驚くべき努力を傾けて黙々とその研究を続けた。(中略)「おかげさまでできました。ずゐぶんお世話になりました。ども、ありがとございます」とさもうれしさうに、幾分はにかんで紅潮した笑顔であいさつした。見るとそれは待望の英訳「かげろふ日記」だった。(中略)わたしも夢中になって、Sさんの宿望が成就したことを喜んだ。日本の学者にさへもなかなかできなかつた仕事を、Sさんの忍苦はたうとうやり遂げた−。(221頁)



 小山先生が池田亀鑑氏に、自分の助力について何もおっしゃらなかったのか、池田亀鑑氏がそのことを無視されたのか。
 前掲した小山先生の文章によると、『蜻蛉日記』の英訳は、ちょうど『源氏物語大成』の索引作成に没頭されていた時でもあり、池田亀鑑氏が失念しての文章かとも思われます。しかし、小山先生は「池田先生の御意向を体した私が」と言っておられることから推して、これは池田亀鑑氏が無視したと考えられます。
 このことは、今回の小山先生との面談では、特に確認できなかったことです。しかし、池田亀鑑氏の小山先生に対するそれまでの姿勢からして、小山先生を嫌っての無視だったと思われます。

 いずれにしても、今回託された『蜻蛉日記新釈(上・下)』の2冊のノートを活用して、新たな研究をしてくれる若手が現れることを、大いに期待したいと思います。
 このことについて興味を持たれた方は、私まで連絡をいただければ幸いです。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | ■古典文学
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