2010年03月09日

「過ちは繰返しませぬ」とは?

 今朝は、中国山地の山間部にいたこともあり、雪景色の中で目を覚ましました。
 こちらでも、3月の雪はめずらしいそうです。

 午後は霙の中を、広島市内に移動しました。
 せっかく来たので、どうしても行きたいところへ足を向けました。平和記念公園です。
 高校生の時に、ヒッチハイクで寄って以来です。
 原爆ドームは、見る者にさまざまな思いを抱かせます。
 
 
 
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 原爆死没者慰霊碑(広島平和都市記念碑)の前には、盛岡中央高校と福島大学付属中学校の生徒の皆さんが、ちょうど献花をするところでした。
 
 
 
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 夕闇が迫る中で、行儀よく整列して頭を垂れていました。それぞれにどのような思いがあるのか知りませんが、ここに足を踏み込んだことは、人を思いやる上でも、いいことにつながると思ます。
 おそらく、来る前に、原爆のことを勉強したことでしょう。しかし、私は、もし聞けるものならば、その碑文の意味を尋ねたい思いを持ちました。
 
 
 
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安らかに眠って下さい
   過ちは
繰返しませぬから



 有名な碑文です。
 しかし、これは、誰が言っていることばなのでしょうか。
 誰にということは明らかです。
 しかし、誰が言ったことばとして書かれているのかは、少し考える必要があります。

 まず、「過ち」とは何でしょうか。
 私は、この場の状況から、原爆<を>落としたことを「過ち」だと言っていると思います。この碑が建っているここは、原爆死没者慰霊碑の場なのですから。
 これを、戦争という広義の意味にとるのは欺瞞でしょう。
 すると、原爆<を>落とした者が、その「過ち」を「繰返しませぬから」と謝罪していることになります。
 となると、この慰霊碑は、誰が、何のために、ここに置いたのでしょうか。
 日本人が、亡くなられた方々に謝っているのでは、おかしくなります。

 おそらく、これはいろいろな解釈がなされているのだろうと思います。
 今日、ここにいた生徒さんたちは、この意味を勉強して来たのでしょうか。
 私を含めて、またいつか、自分の力で考えるきっかけになれば、と思いました。

 私は常々、原爆を落としておいて、それを正当化する人たちを信用しません。
 まず、心を籠めた謝罪があるべきです。へ理屈でごまかしてはいけません。
 地球はお荷物を抱えている、と私が言うことには、この碑文のことが一つとしてあります。

 誰が原爆を落としたのか、またその当否については、日本が戦争に負けたからと言って卑屈になるのではなくて、地球規模で考えるべき問題です。
 これは、思想とは別次元の、人間の根源への問いかけだと思っています。
 戦争状態にあったとはいえ、原爆を落とすことは、文化のない野蛮な人間がする、愚劣な行為以外のなにものでもないのですから。
 数年前、インドの学生さんたちが、「ビカは人が落とさにゃ落ちてこん」という劇をしていました。
 そういいながら、インドが核を持っているので、割り切れない思いがしましたが……。

 とにかく、実際にこの目で碑文を確認し、すこし落ち着きました。

 厳粛な思いで気持ちを引き締めてから、広島の研究者仲間と待ち合わせて、牡蠣を食べに行きました。
 小鰯もおいしかったので、地元の方との食事に限ると、急にお会いすることになったお二人の先生に感謝感謝です。
 お付き合いいただき、ありがとうございました。

 行った店の数軒先に、今日のお昼に立ち寄った回転寿司屋がありました。
 
 
 
100309susi
 
 
 
 平禄寿司は、立川駅の南北に2軒もあります。また、私の東京の宿舎の近くにもあります。
 よく行く店なので、うれしくなってお昼を食べに入ったのです。

 広島が、ますます気に入りました。
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ◎国際交流
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