2009年12月19日

50年前の自分に会う

 親戚が出雲大社のすぐ前で「いなばや」という旅館を営んでいました。小泉八雲が執筆活動をした旅館ということや、皇室の宮様や勅使が宿舎にしておられたこともあり、格の高い旅館でした。
 しかし、このご時世に加え、経営者であったふたいとこの勝っちゃんが車イス生活になったことから、思い切って廃業したそうです。

 今回、幼友達でもある手銭さんの車で、大社の神域の中にある勝ちゃんの家まで連れて行ってもらいました。
 今は、出雲大社の本殿のすぐ横、社家通りといわれるところにある北島国造館の前で、リハビリ生活を送っておられます。
 車イスで迎えてもらいました。表情は穏やかでした。安心しました。
 この家は、もとは佐草という、これまた我々の親戚のものでした。佐草は、平安時代の文書や典籍などを伝える家だったそうです。もうそのすべてを処分されたとのことです。もう少し早く、私が古典文学に目覚めていたら、この佐草家の資料を活用できたのに、と思うと残念でなりません。

 亡母は、早くに両親を亡くしていることから、小さい時はこの出雲大社の「いなばや旅館」で育っています。
 私と姉は、父がシベリアから、母が満州から引き上げて来てから生まれています。
 父は復員後は、単身、大阪で人夫として千里丘陵に土を運んで固める仕事をしていました。
 私が小さかった頃は、父が大阪に出稼ぎに行っていた関係で、母と姉と私は、正月や夏祭りの頃には必ず「いなばや旅館」に泊まりに行きました。行くと必ず、小泉八雲が使っていたという「かの間」に寝泊まりしました。八雲の話も、たくさん聞いたように思いますが、すっかり忘れています。
 そして、いつも出雲大社の神域で遊んだものです。
 
 
 
091212honden修復中の本殿
 
 
 
091212usagi
 
 
 
 今ある、この大国主命とイナバの白ウサギは当時はなかったはずです。しかし、白ウサギの話はよく聞きました。私がウサギ年生まれなので、余計に親近感がありました。正直に生きようと。

 境内の松と鳥居と大注連縄が、今でも眼に焼き付いています。
 日本の神道では、お詣りをするときは「2礼2拍手1礼」をすることになっています。しかし、出雲大社では「2礼4拍手1礼」だ、ということも、小さいときに教えられたことです。
 「神無月」も出雲では「神在月」と言うことも。

 我が家の子どもたちは、法隆寺の境内と平城京跡地と奈良公園の鹿さんたちと遊ばせました。自分が広い所で遊んだから、そうさせたのかもしれません。

 今回は、「いなばや旅館」の隣にある「大島屋」に泊まりました。
 
 
 
091212ooshimaya
 
 
 
 ここは、「いなばや旅館」に泊まっていた時に、よく使いに行かされたところです。お菓子や食器などを持って行ったりしました。そんな所に、50年も経ってから客として行ったのです。
 そういえば、日本旅館には久しぶりで泊まります。

 朝、隣の「いなばや旅館」の跡地を見に行きました。
 
 
 
091212inabaya
 
 
 
 更地になっていました。思い出の詰まっていた所なので、不思議な気持ちに包まれました。
 目の前の大きな石組みの前で映した写真が残っています。
 台風の時には、2階のガラス戸を押さえに、子供ながらも人足として駆り出されました。
 お正月には、玄関に「番内」という、秋田で言う「なまはげ」がやってきました。私は、いつも玄関先に押し出され、泣き騒いだことを覚えています。本当に怖かったのです。

 この散歩に出たとき、宿のカギ持ったままだったことを思い出したので、旅館へ返しに戻ったときでした。玄関口で「あんた てっちゃんだないけん?」と呼び止められました。
 杖をついたおばあさんが、ジーッと私の顔を覗き込んでこられます。
 「さだちゃんとこの」
 「ゆみちゃん しっとーけんね」

 「さだちゃん」とは私の母の、「ゆみちゃん」は姉の名前です。
 そして、私には「さだちゃん」の面影があるのだそうです。
 狐に摘まれたような話が、今、目の前で展開しかけているのです。

 「いなばや」にいたチカさんだとおっしゃいます。売店や雑用を、つい最近までしていたとのことでした。話をしていると、50年前の話に、思い当たることがたくさんあります。
 結婚せずにずっと1人だから、よかったらうちにおいで、と仰るので、たくさん話を聞きたくなったので、すぐ前の小道を入ったところのチカさんの家に上がり、コタツにあたりながら母との思い出話をたくさんしました。
 
 
 
091212tikasan
 
 
 
 お茶やお菓子やみかんが、たくさん出て来ました。
 話があまりに盛り上がったので、急に思いついて姉に電話をしました。姉はチカさんを覚えていて、電話をチカさんに替わると、懐かしそうな会話がしばらく続いていました。

 突然、50年前にタイムスリップです。

 私には覚えがないのですが、このチカさんに可愛がってもらっていたことがわかり、気持ちが温かくなってきました。
 こんな出会いがあるんですね。
 母や姉や私を愛おしく想ってくださっている方が、この遠く離れた出雲の地にいらっしゃったのです。そんな方が、この地上におられるとは、考えても見ませんでした。そのことを知り、人間の存在というものの不思議さを、改めて思いました。

 人の想いは、時間や空間を飛び越えるものなんですね。
posted by genjiito at 23:59| Comment(2) | TrackBack(0) | *回想追憶
この記事へのコメント
「50年前の自分に会う」を読ませていただきました。20年以上前にいなばや旅館さんに泊めてもらったことがあります。久しぶりの日本で取れた三日間の自由な時間で,どうしても出雲に行きたくて,そして,泊まるなら、小泉八雲にゆかりがある旅館が、ということでお世話になりました。今回,又,久しぶりに出雲にスウェーデン人の夫と共に行こうと思い立ち、それなら,絶対またいなばや旅館に泊まりたいとインターネットを探しましたが、旅館名は出てきませんでした。このサイトを読んで,やっと訳が分かりました。又いとこの方にお会いになる事があったら、昔の客がまた一人、あの時はお世話になりましたと言っていたとお伝えください。
Posted by 高宇ドルビーン洋子 at 2012年12月15日 15:59
コメントをありがとうございます。
「いなばや旅館」の思い出をおもちなんですね。
思い出していただいたことは、今書いている年賀状の添え書きに記し、かっちゃんに伝えます。
スウェーデンにお住まいなのでしょうか。
『源氏物語』のスウェーデン語訳があります。
もし日本の古典文学に興味をお持ちでしたら、ご覧になっての感想などを教えていただけたら幸いです。
現在私が確認しているのは、1928年にアンナスティーナ・アルクマン、1986年にクリスティーナ・ハッセルグレーンが訳した2つだけです。
Kristina Hasselgren (クリステイーナ・ハッセルグレーン) による『源氏物語』のスウエーデン語版は、アーサー・ウエイリー英語訳からの重訳です。 初版は1986年(ナチュール&クルチュール社刊) で、二刷は1987年。改訂版は2003年、(エーパン社)で出版。文庫1冊本とのことです。表紙は、若菜巻の庭の場面、光源氏の絵 木版(18世紀 部分)を用いています。
これは、ストックホルム大学日本語学科のステイーナ・イエルブリン先生から教えていただいた情報です。
これ以外に何かご存じのことがありましたら教えて下さい。
また、スウェーデン語訳『源氏物語』については、本ブログの以下の記事の後半に少し記しています。おついでの折にでもご笑覧いただければ幸いです。

「ヨーロッパにある日本の古典籍など」(2009年9月18日)
http://genjiito.blog.eonet.jp/default/2009/09/post-1606.html
Posted by genjiito at 2012年12月16日 13:17
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