2009年12月18日

手銭記念館の源氏絵屏風で教示を乞う

 今回の出雲行きは源氏絵を確認するためで、小雨の中を手銭記念館へ行きました。
 手銭記念館は、出雲大社から歩いて8分のところにあります。

 神門通りから神迎えの道へ左折して西に歩いてすぐのところに、我が家の親戚で「ヘルンの宿 いなばや旅館」があります。というよりも、今回はありました、ということになります。
 「いなばや旅館」は、当主であり私のふたいとこの勝ちゃんが病気をしたこともあり、近年廃業したのです。このことは、後で書きます。
 神迎えの道をさらに西に行くと、手銭記念館があります。
 
 
 
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 手銭記念館は、江戸時代の初めから今に至る11代の現当主まで、漢詩・俳句・茶道・華道を嗜む中で、たくさんの美術工芸品を守り伝えてきた家です。手銭家は、貴重な品々を保存・管理・公開するために、平成5年に美術館を開館なさいました。
 現在は、館長の手銭さんと奥様、そして学芸員の佐々木さんが協力して、2つの展示室で企画展などをなさっています。

 お茶をいだきながらの雑談のうち、手銭さんが「いなばや旅館」の勝ちゃんの小・中・高校の同級生だったことがわかりました。手銭さんは県会議員を、勝ちゃんは町会議員をしていました。また、奥様は我が家の親戚筋である佐草家の縁続きであることもわかりました。なんとも、奇遇が偶数倍に重なって、私の身を縛り付けてゆきます。親類縁者の網に絡め取られていく思いの中に置かれました。

 調査の前に、屏風が立てかけられた部屋の横で、こんな風に親族の話で盛り上がったのです。

 午前中は、白描の源氏絵が12枚貼られた屏風と、奈良絵本の烏帽子折草子が張り込まれた屏風、そして小振りの彩色源氏絵が描かれた屏風を調査しました。
 白描の源氏絵は、巻の特定に苦しむものがいくつかありました。
 手銭家のご了解を得ましたので、ここにその絵の中でもどのような場面かがわからなかったものを掲載します。少しでも何かがわかり、みなさんの研究や勉強のお役に立つのなら、という手銭さんのご厚意に甘えることにします。いずれも、左隻のものです。
 
 
 
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 奈良絵を貼った屏風は、同行の米子高専の原さんと、松江高専の小川さんが翻刻をはじめとする具体的な調査をすることになりました。この2人なら、きっとすばらしい報告をし、有益な成果を公表してくれるにちがいありません。
 私も、親類縁者の温かい気持ちを背景に、2人に協力していきたいと思います。
 と、このように書くことで、この若い学徒にプレッシャーを与えておきましょう。

 昼食は、一風変わった出雲蕎麦屋へ行きました。
 
 
 
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 外からの客は取らず、配達だけのソバ屋さんです。しかし、時には、食べられるようで、手銭さんが電話をして機会を作ってくださいました。
 確かに、変わったお店でした。ソバの注文の仕方から、食べ方に至るまで、念のいった解説付きでした。香りのいい、美味しいソバでした。

 午後は、屏風絵を確認しながら写真撮影をしました。
 ちょうど、学芸員の佐々木さんもお出でになったので、屏風の移動などを助けてもらいながら、撮影は順調に終わりました。
 その後、2種類の手鑑を拝見しました。ともに、由緒正しいお公家さんたちの名前が鑑定されて貼り込まれている、短冊や古筆を拝見しました。

 私は、『源氏物語』の第30巻「藤袴」の丁オモテ一葉に興味を持ちました。
 すでに原さんが著書『源氏物語と王朝文化誌史』(勉誠出版、2006年3月)で報告しておられます。私もこれを鎌倉時代の写しの断簡と見ました。同席の方々には、私なりの根拠を説明しました。しかし、こればかりは断定できません。その可能性が高いことを、文字の特徴や墨の色、そして丁末の文字の終わり方などから私見を聞いてもらいました。どなたかご覧になる機会がありましたら、ご教示いただければ幸いです。
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | ◎源氏物語
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