2009年11月11日

井上靖卒読(100)新発見「中国行軍日記」に見る夫婦愛

 井上靖の戦争体験を綴った日記が公開されました。

 『新潮』(2009年12月号)に掲載された「新発見 井上靖 中国行軍日記 昭和十二年八月二十五日−−昭和十三年三月七日 (解説 曾根博義)」を読むと、若き日の井上靖の姿が見えてきます。それも、体調を崩し、弱気で、羊羹を求める姿に、大きな衝撃を受けました。

 「中国行軍日記」という名称は、公開にあたって新たに付けられたものです。
 また、手帳には漢字カタカナの横書きで記されていたものを、ひらがな交じりの縦書きにしての公開です。

 井上靖は、自らの戦争体験を語ることはあまりありませんでした。
 昨年、2008年10月に、妻ふみさんが98歳でお亡くなりになりました。その一周忌を済ませたことを機に、遺品として大切にされていた日記を、今回公開されたのです。
 平成3年に井上靖が亡くなりました。自宅に残された多くの遺品のすべては、その遺志もあって神奈川近代文学館に寄贈されました。しかし、この手帳だけは、ふみさんの手元に留め置かれていたのです。それを家族が見つけ、そして今回の公表となったのです。

 この日記の中で、妻ふみさんに関する記事と、創作活動に関するものを、以下に抄出しておきます。

 1年9ヶ月前に結婚し、1歳の娘のことを思う満30歳の井上靖の、戦地中国で認めた日記なのです。
 つらい外地・中国での暮らしの中で、妻ふみさんは、井上靖が日記を書くという行為の中で、いつも語りかける存在だったようです。柔道で鍛えたはずの体と心を持っていた井上靖でした。しかし、思うようにならない体調不良で不甲斐ない日々の中、語りかけることのできる妻の存在は、井上靖にとっては大きな支えとなっていたのです。

 私は、この手帳に記された日記から、すばらしい夫婦のありようを読み取りました。思いやりに満ちた、心優しい2人の姿が、行間から伝わって来ます。

 この日記は、文学作品として書かれたものではありません。しかし、毎日の出来事や想いが素直に記されているので、結果的には独白の文芸作品になっている、と見てもいいのではないでしょうか。巧まざる井上靖の真のことばで、状況や心情が真摯に綴られているからです。



■昭和12年■

・八月二十五日(木)

ふみから九時頃電話、召集令状。
 ※手帳の冒頭の一節。感情を見せない書きぶりである。

・八月二十九日(日)

母、ふみ、幾世と四人で九時半のかもめで湯ヶ島へ。
 ※伊豆の親戚へ、従軍することの報告の旅。

・八月三十日(月)

母、はま子、達、ふみ、幾世と湯本館へ。
 ※家族で温泉へ。新婚2年目の井上靖夫妻。

・八月三十一日(火)

京都の母、ふみ等、・・・葵沢の見物。
 ※家族で観光見物。家族の温かさの伝わるメモとなっている。

・九月十五日(水)

京都へ電話をかける、ふみでる。米原着汽車の時刻など報せる。
 ※入隊後、名古屋から広島へ移動する途中で家族と会うための連絡をする。ふみはいつも井上靖の身近にいる。この状況は、『星と祭』の中において、琵琶湖で行方不明になった娘の捜索のことで別れた妻に電話をする場面を思い出させる。

・九月十六日(木)

父とふみ、米原より一緒。
 ※米原から京都までの道中を義父と妻が同乗。車中での会話は物語になりそうだ。しかし、井上靖はそれを作品にはしていない。その後、広島から門司を経て釜山へ上陸。

・十月九日(土)

懐中電灯でこれをしたゝめ十時ねむる。仰向けにねても今日は星なし。ふみよ、砂は二寸ぐらい。
 ※盧溝橋の南にある松林店で。歩くのがやっとの状態で。砂が積もっている中を強行軍。孤独になった靖は、見つめ続けるしかなかった足下のことを妻に語りかける。

・十月十四日(木)

どうしてもそれまでは頑張らねばならぬ、あゝふみよ! 伊豆の両親よ、幾世よ!
 ※軍隊の辛さが身に沁みる中で、妻、両親、娘に語りかける。

・十月十七日(日)

あゝ! 満月近い月影をふんで八時バラツクの駅の傍に到着。
 ※外地で月影を踏む。つらい気持ちを状況で記す。

・十月十八日(月)

この先が危ぶまれ、ふみと幾世のことを思ひ、悲痛な気持ちになる。(中略)今日も夜に入つてからは満月に近い月影を踏んで歩いた。時々砲声聞ゆ。
 ※体の不調がひどくなり、悲観的になっている。

・十月二十日(水)

満月、久しぶりで月を仰ぐ、北支の月もまた美し。
 ※少し気分がよくなってくる。月がつらさを慰めてくれるかのように。

・十月二十一日(木)

朝の僅かの休みに伊豆と京都へ便り、(中略)内地からの手紙は依然として手に入らぬ。
 ※出した便りには、妻への手紙も含むか? 特に明記はない。この日から手紙のことが見え出す。

・十月二十二日(金)

月おそし、血のようだ。
 ※気管支カタルを煩っている状態で。身辺の異変を書く。

・十月二十三日(土)

歩きながら考へることは家のことばかり。(中略)人間は消耗品なりと、戦争は悲惨の極だ。
 ※少し歩けるようになって。気が滅入っている。

・十月二十四日(日)

豊台以後は全く地獄の生活、この地獄の生活がいつまで続くのか? ふみよ、今度こそは参つた。
 ※弱音の中での行軍が続く。妻に語りかけることで、一時の安息を求める。

・十月二十九日(金)

ふみ、伊豆、丸野へ手紙。他の奴らは略奪に忙しい。
 ※妻への手紙を書いたことへの初めての言及。

・十月三十日(土)

下痢がひどいので部屋に一人残り日記を書く。(中略)夕方ランプをつけ、ふみの手紙をよみ久しぶりで二人の写真をみる。
 ※この手紙と写真は、持参したものか、届いたものか? 十一月五日の記事から推測するに、持参したもののように思われる。

・十一月二日(火)

"羊カン"といふ脚本を考へ乍らねむる。(中略)ふみ、千古、藤井、水谷さわに手紙。(中略)なんだか手紙は保定や石家荘でめちやめちやになつてる由。自分の手紙もきつとその中に入つてるんだろー。手紙の来た奴は元気で、来ない連中は半分やけで・・・
 ※創作に関して初めて言及。井上靖のもとに手紙はまだ届いていなかったのだろう。出した手紙に関しては諦め口調。

・十一月四日(木)

ふみに羊カンその他必要品おくるように手紙だす。夜、ランプの光で伊豆、大谷、文次郎に手紙かく。
 ※この頃、井上は羊羹に執着している。

・十一月五日(金)

郵便隊本部で郵便の受領、まだ選別してないので百通程、伊豆の母と吉田の婦人会班長からの二本。ふみのは下積みになつてゐるのだろー。
 ※ここで初めて手紙を手にすることになる? 妻の手紙を楽しみにするが、この時点では見あたらなかったようだ。

・十一月七日(日)

夕方手紙くる。ふみから十日と二十二日付。丸の君からサンデー毎日。・・・夜、ふみへ手紙。
 ※発信日時を記すことからも、これが初めて手にする妻からの手紙のように思われる。2週間かかって届いたもの。井上靖が戦地から送ったはずの手紙は、まだ届かない時点での妻からの手紙のようだ。すぐに返信を認める。週刊誌を手にし、活字を読み出す。

・十一月十一日(木)

サンデー毎日(十月卅一日号)を全部よむ。久しぶりで活字をよむ。(中略)死ぬも生きるも時の運といふが、時の運ではなくて既に生れるとき定つた運命であろう。そしてふみの運命も、亦幾世の運命も−。
 ※妻からの手紙の内容はどのようなものであったのか。それが、この心境に影響しているように思われる。

・十一月十四日(日)

伊豆の父とふみから手紙、ふみのは十月一日付。
 ※妻ふみは十日置きに手紙を書いていたようだ。この日記を、井上靖が亡くなった後も、ふみが大事に手元に置いていたのは、こうした思い出が詰まった日記だったからだと思われる。

・十一月二十二日(月)

夜、慰問の映画がくる。漫画とロイドの三巻もの、それに輸出もののインチキな京都風景。どれも古いもので、チラチラしてゐるがこゝでみると楽しい。傷病者三百人ほどみんな楽しそーに見てゐる。
 清水と嵐山と円山にお目にかゝる。清水はふみとお父さんと行つたところ、その帰りにホテルの屋上で珈琲をのんだことなどを思ひ出す。あの頃が一番よかつた。

 ※京都の映像を見て、妻のこと等を懐かしむ。名古屋から広島へ移動したときも、ふみと父が米原から同道した。尊敬する義父と最愛の妻のことが、よく日記にでてくる。

・十一月二十八日(日)

どうせ一ヶ月ぐらいは短かくても入院してゐるだろうから、脚本か小説でも書こうかと思ふ。
 ※やっと戦地で、創作意識が芽生える。

・十一月二十九日(月)

午後写真ができてくる。断然四十ぐらいで少佐級だと皆からひやかされる。一枚、京都へ送つてやろうかと思ふ。夜、恋愛談、こうなると戦争ものんびりしたもの。
 ※少し気分が楽になったか。

・十二月一日(水)

ふみと伊豆へ手紙。
 ※ふみへの手紙には、一昨日の写真を同封したことであろう。

・十二月十日(金)

ふみへ手紙を飛行便で出す。明日の飛行機で行くのだろー。
 ※一日も早く届けたいとの想いからか。

・十二月十七日(金)

ふみより手紙、幾世のシヤシン、大変可愛いくなつてゐる。久しぶりの手紙なので楽しい。
 ※1歳の娘の写真を手にする。夫の写真を見ての妻からの配慮であろう。1週間で手紙が往復している。

・十二月二十日(月)

ふみへ手紙をかく。写真を入れてやる。
 ※手紙と写真が行き来する。お互いのことを知りたいという想いが、このやりとりから伺える。

・十二月二十二日(水)

ふみ、千古君より手紙。一緒に来た新聞で・・・
 ※コミュニケーションが活発化する。

・十二月二十六日(日)

改造と中央公論の小説をよむ。
 ※創作への刺激となる。

・十二月二十七日(月)

ふみからの手紙、新聞、写真来る。スペインの子供のように、リボンをつけて口を少しあけて大変あどけない。(中略)新聞で森君、藤田君の"従軍記者の手帳から"をよむ。俺ならもつとすばらしいものを書くんだが−。
 ※妻の心配りが伺える。同封の写真は、自分を忘れて欲しくない想いからのふみの気持ちの表れか。新聞を読んで、職業意識が芽生えている。


■昭和13年■

・一月二日(日)

廿六日付のふみの手紙来る。
 ※年末に書かれた妻からの手紙を新年に読む。

・一月四日(火)

ふみに手紙
 ※早速の返信。この時、雑誌中央公論を依頼したことが、次の記事からわかる。

・一月五日(水)

ふみ、父、文次郎等の手紙飛行便で来る。大谷敏夫から手紙と小包、勉さんからも脚気のクスリ来る。ふみへ昨日中央公論をたのんだがその取り消しの手紙を出す。
 ※雑誌の取り消しは、この日に届いた慰問袋としての小包の中にその雑誌が入っていたからだろう。

・一月七日(金)

ふみより新聞。
 ※妻からの配慮がさまざまな形でなされる。

・一月八日(土)

ふみより賀状の見本。・・・中央公論の小説をよむ。
 ※ふみが今年出した賀状を、確認も含めて届けたのであろう。

・一月九日(日)

中央公論の小説をよむ。
 ※小説を読み、創作意欲を高めたことであろう。

・一月十三日(木)

ふみより送り返された手紙八本よこす。
 ※待望の内地送還が決まった日。

・一月二十日(木)

夜、京都に電話かける。父、母、ふみと話す。明日面会にくる由。久しぶりで幾世にあへるかと思ふと、さすがにうれしい。
 ※四ヶ月ぶりに日本(大阪)に上陸しての感慨。

・一月二十一日(金)

ふみが来る約束だが、やめる様に速達をだす。午後ふみから「昼すぎになる」といふ電報。
 五六回玄関まで向かひにゆく。三時一寸前、文兄さん、ふみ、千代、幾世来る。五カ月目、まる四カ月ぶりの対面だ。幾世の大きくなつたのにはおどろく。よその子供のようだ。ふみは思つた程肥つてゐない。面会室で一時間程話す。話すことは沢山あるんだが結局、何から話していゝかわからず、結局何も話せなかつた。戦地に送つて、送りかへされた小包をふみ持つてくる。入れたものを見せたかつたのだろう。夜あけると羊カンが沢山でてくる。・・・

 ※家族と久しぶりの対面。妻からの手紙では、肥えたと書いてあったのであろうか。羊羹の話は、この日記の中では楽しいネタになっている。

・一月二十五日(火)

ふみから艶つぽい手紙、写真数枚。夜ふみに面会に来てもらうように手紙を出す。
 ※この艶っぽい手紙というものはどんなものだったのか興味が湧く。終生大事にしてこの手帳を見せなかった妻の気持ちが知られる記述である。

・一月二十六日(水)

ふみより天津から来た写真と、小包でパンズ(ママ)原稿用紙等送つてくる。
 ※この写真は、本日記の表紙絵に使われた野戦予備病院で撮影されたものか?

・一月二十七日(木)

ふみが突然面会にくる。お茶、サーデン、アスパラガス等持つてくる。牛乳と五銭のアンパンを御馳走する。一人で来たので、ふみとしては大出来だ。
 今日は演芸でみんながいないので、先日よりは少しゆつくり話す。逢ふとたまらなく可愛いくなる。面会はどうも毒らしい。まだ二カ月ぐらいはおあずけだろう。四時かへる。かへしたくないが、こゝでは仕方なし。夕食は久しぶりでうまい。お茶が何より美味しい。アスパラガスをうんと食つたので、夜、少々腹工合わるし。

 ※一昨日の艶っぽい手紙といい、妻としては珍しく思い切って一人で面会に来たことは、長い間の想いを少しでも埋めたい一心からのことであろう。靖も、妻からの差し入れを、嬉しくて食べ尽くすほどであった。

・一月二十九日(土)

川端康成の雪国をよむ。文芸懇話会の受賞作品だが感心せぬ。
 ※川端の『雪国』を井上靖は評価しない。

・一月三十日(日)

一日、石坂洋次郎の"若い人"を半分よむ。
 ※読書記録の一つ。

・一月三十一日(月)

"若い人"上巻読了。いろいろ考へさせられる。手紙は相手をよろこばせるためにかくもの。ふみも今度の戦でいろいろ苦労したと思ふ。やさしくしてやろうと思ふ。自分を中心に考へることは不可ない。自分が戦争で苦しかつたことばかり考へず、ふみの戦争をも考へるべきであろう。
 ※自分もそうだが、妻も自分と同じように戦争体験をしたのだ、ということに想い至り、深い理解を示している。

・二月二日(水)

京都へ電話。母、ふみ共に感冒で四十度も熱があるといふ。
 ※大阪から名古屋へ転送されることになった日に。親戚からの差し入れが「おすし六箱」。

・二月三日(木)

ふみはふみ、千代ちやんは千代ちやんなのだろー。
 芦屋の姉さんや千代ちやん等と較べて、ふみの暗さを不思議に思ふ。

 ※また前日同様に親戚からの差し入れが「おすし」。さらに、二月十三日(日)と二月十六日(水)と二月二十四日(木)の面会にも「おすし」をもらっている。大阪から名古屋に移動する途中、京都駅で家族が見送り。大喜びの千代ちやんと対照的な様子の妻ふみに戸惑う夫靖。

・二月六日(日)

ふみに手紙。薄ら寒い中を一日散歩。自由が欲しい。夜、谷崎の「蘆刈」。
 ※妻のことを気遣っての手紙か。谷崎潤一郎を読む。

・二月七日(月)

谷崎の「吉野葛」を読む。「蘆刈」といひ「吉野葛」といひ、さすがに並々ならぬもの。川端康成の「雪国」や石坂の「若い人」などとは読後の感銘がちがふ。併し、現代の作家はこれでは不可ないといふことだけは言へる。お遊さんは如何にも谷崎の好きそーな女。谷崎といふ人はお遊さんと春琴しか書けないかも知れない。
 ※谷崎の力量を高く評価し、川端と石坂には低い評価を与えている。ただし、現代の作家に想いを致し、谷崎の限界にも言及する。

・二月十九日(土)

父、ふみ、井上吉次郎のところへ寒い部屋で手紙をしたためる。
 ※なかなか除隊の命令がでないことに失望する中で。

・二月二十一日(月)

ふみに手紙。他にすることがない。」
 ※除隊させてもらえず生活に嫌気がさす。

・二月二十三日(水)

今夜か明夜の命令で輜重隊に廻されるだろー。輜重隊に行つたら二泊外泊をとつて京都へ行つてこよう。家庭、ふみ、幾世−こゝにゐるとみんな遠い世界のことのようだ。
 ※二月の除隊に期待を抱いている。

・二月二十七日(日)

父、ふみ、野々村さんに手紙。
 ※二十五日の除隊命令はデマだったことを知ることとなって。

・三月二日(水)

ふみより来信、
 ※夫の失意を慰め励ます手紙か。召集解除後に帰郷となるのは、三月十六日。毎日新聞社には四月から復帰する。
posted by genjiito at 00:10| Comment(0) | □井上卒読
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]