2009年09月01日

藤田宜永通読(7)『たまゆらの愛』

 藤田宜永の新刊『たまゆらの愛』(光文社、2009.5)を読みました。
 帯には「究極の男女の姿を描いた長編小説」とあります。

 いつから、藤田宜永は冴えない作家に成り下がったのでしょうか。
 恋愛小説を指向するようになった頃からだと、私は思っています。1997年の 『樹下の想い』あたりからでしょう。
 2001年 に『愛の領分』で第125回直木賞を受賞した後は、文章が急激にプヨプヨになってきました。
 初期の冒険小説の時のような切れ味は、遙か昔のこととなりました。

 さて、本作です。
 主人公の宝田は、若者の文化と恋愛の評論家となっています。私と同年の男が、今を解説してくれています。なんとなく、くすぐったい思いで読みました。

 宝田の義兄が殺された話が、全編を通して非常に中途半端です。なかなか文字も絵も出ない、炙り出しのようです。最後に何か出てきても、ボンヤリとしたもので、よくわかりません。
 「貴之は私に大いなる謎を残して死んだ。」(158頁)と前半にあります。少しだけネタの一部を見せる手法のようです。それにしても、これは種明かしが下手でした。ネチネチと、最後まで小出しに引っ張りすぎです。これは、どこかで早めにスッキリとさせた方がよかったと思います。
 謎は、うまく使うと、読者を引っ張ります。推理小説が得意だった藤田らしくありません。

 恋愛ものでは得意となった、職人の世界を描きます。美人で魅力的なガラス職人である女主人公と、美術館の館長との不倫の過程が語られます。
 藤田の恋愛小説は、書き出しがたどたどしくて、なかなか中身に入れません。ここを辛抱しないと、藤田の作品は読み通せないのです。波に乗るまでに、時間がかかるのです。そのあたりのコツがつかめると、最後まで読めます。
 これは、人間関係の説明が、いかもに説明文となっているからです。余計な説明が、本来ならスムーズに進む物語の展開を妨げています。三分の一を過ぎた辺りから、ようやくテンポがよくなります。

 好きな作家なのに、最近は批判的に読むようになりました。好きな作家だったのに、という思いを、いつも読後に持ちます。
 今回も、そうでした。好きだった作家だからこそ、あえて読み、不満を記しています。

 とにかく、最近の藤田は話がくどいと思います。
 最後に、交通事故で話をはぐらかしてはいけません。無責任です。社会のモラルに反する人間を取り上げるのなら、当事者である人間とその置かれた社会との接点を、もっと真摯に見つめ、言葉で紡ぐべきだと思います。
 評価は読者がするにしても、作者が投げ出してはいけません。そうしなければ、帯に書いてあるような「究極の男女」を描いたことになりません。

 最終章の「魂響(たまゆら)」は、ストーリーテーラー失格だと思いました。ひどいものです。あまりにも手抜きが過ぎます。

 藤田は、筆力を感じさせる作家だと思います。それが、物語展開に多少のまずさがあっても、何とか救っていました。それが、純文学気取りでこのような結末にするとは、藤田の良さが完全に死んでいます。

 この小説は、『小説宝石』に「ガラスの告白」として、2007年7月から2009年3月まで連載されたものです。そして、それを「単行本化にあたり改題し、修正・加筆したもの」だと、巻末にあります。
 もしこれが将来、全集などに収録されるのであれば、その時には大幅に書き換えてほしいものです。
 ダラダラした文章を、再度読者に読ませるようなことは、ぜひとも避けた方がいいと思います。

 藤田宜永には、なんとか、そろそろ立ち直ってほしいと願っています。
 ダメになってしまった人のことが気になり、つい応援したくて読んでしまいました。
 
 なお、作中で吉行淳之介の作品を引くところで、『星と月は天の穴』という小説を、『星と月とは天の穴』としています(353頁)。勘違いの「と」なのか、誤植なのでしょう。吉行ファンとしては、気になりました。【1】
posted by genjiito at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | □藤田通読
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