2009年06月25日

わが母の記(4)40年間未開封だった亡母からの手紙(上)

 大阪の高校を卒業したばかりの昭和45年3月に、18歳だった私は1人で東京に出ました。
 そして、新聞販売店で住み込んで配達や集金や販促の仕事をしながら、予備校へ通って勉強をすることにしました。
 上京してすぐの3月10日に、母から新しい生活の様子を尋ねる一通の手紙が来ました。今も、手元に大事に保管しています。
 その一週間後に、第2信が来ていたのです。しかし、あろうことか、そのことに、ずっと気づかないままだったのです。
 突然、手紙類の束の中から、昭和45年3月18日に大阪・八尾の消印が黒々と押された、封をきらないままの封筒が顔を見せたのです。何度も、表裏を確認しました。確かに、裏には母の名前があります。宛先の文字も、母の手です。

 母からは、東京で一人暮らしをしだした頼りない息子を案じた手紙が、毎月のように来ました。それらは、今もすべて保管しています。
 ありがたいことですが、当時は自分の生活でひたすら前を見て生きるのが精一杯だったこともあり、母の気持ちを汲んだ対応をしていませんでした。
 母からの手紙に返事を書いた覚えはありません。
 今にして思えば、本当に申し訳ないことをした、という思いでいっぱいです。

 今、自分の息子が、母(私の妻)からの手紙に返事を書いていないようだし、メールにもあまり返信をしていないようです。
 その気持ちは、自分がそうだったから、よくわかります。
 とにかく、母親に手紙など、照れくさくて書けないのです。書いている自分のことを想像するだけで、もうペンを持とうとも思わなくなります。母に語るために便せんに向かうなど、考えられないことです。変なことですが、そうでした。
 息子も、おそらく同じ気持ちだと思います。

 上京した当時、母からもらった手紙は、内心は楽しみにして読み、元気づけられていました。
 坪井栄の『あしたの風』を読んでいたら、涙が止まらなくなったことを、今でも思い出します。
 それなのに、第2信だけは、どうしたことか、40年も未開封のままで荷物の中に眠っていたのです。
 大学4年間で10回も引っ越しをしました。火事で新聞販売店を焼け出されてからは、まさに転々とアパートを移り変わりました。
 そのたびに、荷物を片付けていたのですが、この一通の手紙は、ずっと隠れん坊をしていたことになります。
 そして、今、40年も前の母が、私のことを気遣った言葉を語りかけてくれています。
 不思議な気持ちです。
 母は、4年前の10月に亡くなったのです。未開封だった手紙だけが、40年の時空を超えて手元にあるのです。

 折しも、娘がおばあちゃん(私の母)のことを英語で紹介するブログを書き始め、それが好評だそうです。
 私にも、おばあちゃんの資料を見せて、とか話してとか言ってきます。
 こんな手紙があったことを、娘に知らせるつもりで、3回に分けて書くことにします。
posted by genjiito at 23:53| Comment(0) | TrackBack(0) | *回想追憶
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