2009年06月20日

読書雑記(15)嵯峨徳子『京都大不満』

 『じっぴコンパクト 京都大不満』(嵯峨徳子、実業之日本社、2007年11月)を読みました。

 昨年の2月に、「京都大不満の会」と題する一文を書きました。
 以来、読もうと思っていた本を見つけました。
 以前に著者からいただいたメールと、本書の内容があまりにも乖離していて、非常に戸惑っています。
 何かが違う、そう思いながら読み終えました。
 著者の手に余る問題が目白押しの内容となっています。
 とにかく、設定した課題が消化不良のままに投げ出されています。その残骸の山が、実は我々にとっては宝の山になっていそうです。
 その意味から、あえてここに取り上げます。
 
 
 
090619daifuman京都大不満
 
 
 
 各章で、京都の文化を鮮やかに切っています。ただし、昔はよかった、という論調が繰り返されて落胆します。

 回転寿司に関するコメントは、あまりにも素っ気ない気がします。食べ物への蔑視を感じました。
 そして、今を貶す口調が、読む気を削ぐのです。ことばの空回りとなっているのが、非常に残念です。
 京都人の視点から、日頃の疑問を素直にぶつけていて、傍目には意外に思うことが指摘されています。しかし、それが投げ出されたままなのは、読んでもらう人に対して無責任な感じがします。感じたことを言いっぱなしでは、読む方も途方にくれます。どこか、結論らしき所へ誘導すべきでした。

 一言で言えば、自虐的な京都文化論です。見ているところは、焦点がうまくあっているのです。橋のデザインなどの指摘は、おもしろいと思います。しかし、それをどう解釈するかです。読者各自が、自分のための京都観を見いだすためには、この本はいいワークブックになります。
 語りは支離滅裂ですが、語るためのネタは今後とも再考の余地のあるものが多いのは救われます。
 取り上げてあるテーマは、著者には手に負えなかったようですが、いろいろなおもしろいネタをばらまいてくれました。それらを拾いながら、いつか自分が考えてみるための材料にする場合に、好都合な内容です。
 その意味では、著者の意見や考え方は、むりやり押しつけなくてもよかったと思います。へたに結論らしい私見を披瀝せずに、問題提起として投げ出すだけで、この本は価値をもっています。

 もっとも中に、とんでもない発言がありました。
 川には人の営みを浄化する機能がある、と言った後、

処刑には古い時代には娯楽の要素があった。(131頁)


とあります。誤解を招く、不用意な表現です。
 そして、

京都は市井の研究家が多い。彼らの考えを集めると面白いのに、それが見当たらないのは、似て非なる人に本を書かせるからだろう。(175頁)


と言います。著者は、自分が見えていないのです。
 ものごとを切るだけ、という背景に潜む落とし穴に填ってしまったようです。【2】
posted by genjiito at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | ■読書雑記
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