2009年02月20日

藤田宜永通読(6)『恋愛不全時代の処方箋』

 『恋愛不全時代の処方箋』(2006年11月5日、阪急コミュニケーションズ)は、気楽に読み流せる恋愛読本です。
 ただし、吉行淳之介ほどの、軽みと深みの絶妙なバランスはありません。

 その企画から、本書の内容がわかります。
 編集部の女性など数人に集まってもらい、みんなの質問や体験談のやりとりを通して藤田が持論を展開する、ということの中から生まれた本です。
 「まえがき」に、

私ひとりで書いていたら絶対に見逃してしまう点がとりあげられたり、と、答えるほうも気が抜けない場面も多々ありました。


とあるように、引き出された話で構成されているところにおもしろさがあります。
 そうした話し合いをもとにして、ライターの篠藤ゆりさんが一書にまとめたものだとか。
 藤田流の盛り上がりがないのは、第三者が編集したものだからです。これは、致し方のないところでしょう。平板な流れですが、いろいろと楽しめる話題がばらまかれています。

・現代の「恋」は、「激情型」ではなくて「先読み型」に移行している。(14頁)

・女性は「関係性」で、男性は「絶対性」で生きている。(32頁)

・「恋愛」は北村透谷の造語で、LOVEの翻訳語。(35頁)

・今どきの男はメモリーの少ないパソコン。容量を超えるとすぐフリーズ。
 その時、男は恋愛ではなくて仕事を優先する。(60頁)

・女性の相談は大方が愚痴なので、男は客観的な意見を言ってはいけない。(71頁)

・「結婚」とは「恋愛」の後に「日常」が入ってくること。(153頁)

・最近の若者は、「サーキット型」と「自動車教習所型」が多い。
 しかし、共に公道では役立たない。(189頁)

・今の女性は、「万能感」や「全能感」に捉われている。
 「全能感」を満足させる男を求めるが、男は「万能」ではない。(200頁)

 本書を読み進めながら、全体的にもっと深く掘り下げたらよかったのに、という印象を持ちました。

 「最後に言いたいこと」で、こんなフレーズがあります。

日本人は、『源氏物語』のような、現代から見ればアナーキーな世界を持っていますが、同時に奥ゆかしさがあります。(200頁)


古典文学に描かれているアナーキーな恋もできません。(200頁)


 『源氏物語』や古典文学の恋愛が「アナーキー」とは ?
 藤田宜永は『源氏物語』をはじめとする古典文学を真剣に読んではいないようです。感覚的に、つい一般論として言ったのでしょうが、これについては、説明を聞きたくなるところです。

 吉行淳之介が小野小町などの古典ものを翻案したり現代語訳したように、藤田宜永も日本の古典作品を扱った作品に手を付けると、おもしろいものができることでしょう。

 藤田宜永のハードボイルド物は大好きです。しかし、恋愛物はいただけません。ならば、古典に取材した物を書いてはどうでしょうか。【2】
posted by genjiito at 08:50| Comment(0) | TrackBack(0) | □藤田通読
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