2009年01月10日

映画『禅』に失望

 父から「只管打坐(しかんたざ)」ということばを教えてもらったのは、私がまだ小さいときだったように思います。
 とにかく、ただひたすら座っていれば悟りをひらくものだ、ということでした。
 道元という人の教えだということも、いつしか知りました。

 父が亡くなり、母が亡くなり、共に我が家の宗派である曹洞宗でお葬式をしました。
 妻の実家も曹洞宗だったのは、これは偶然です。
 宗教心はないのですが、曹洞宗には何となく親近感を覚えます。
 それは、小さいときから自然と伝わったものがあるからでしょうか。

 西国札所巡りをした最後には、必ず永平寺のご朱印をいただきます。
 父も母も、永平寺に分骨を収めています。
 父は暑いときに、母は雪の降る時に、家族みんなで永平寺に行きました。
 私の遺骨の一部も、この永平寺に収められることでしょう。
 永平寺での法要は、迫力のあるものでした。
 そして、お寺の中も、ピィーンと張りつめたものがありました。

 今日が封切りの『禅』を、小雨の中を観に行きました。
 三条京極下るの映画館です。
 ほぼ満席でした。ほとんどが、年配者です。
 映画を見ての感想は、ただ一言、肩透かしでした。
 もっと、緊張感と迫力のあるものを期待していたからです。
 この映画は、何となく、ピンボケです。

 盛り上がりに欠けていました。
 中村勘太郎は、優しすぎます。ピシッと締まるべきところを、にやけた表情に見えた場面がありました。興ざめでした。
 内田有紀は、私の好きな女優さんです。光源氏をしてもらいたいと思っています。しかし、今回の遊女役には、目がキリッとしすぎです。
 藤原竜也は、演技はうまいのですが、場違いな役どころです。華やかさと暗さが同居した役をみごとに演じただけに、浮いていました。
 相川翔は、こんなだらしない男の役にはもったいないと思いました。また、演技が上滑りしていました。残念です。

 コンピュータグラフィックも、予算不足だったのか、海外における数年前のレベルの出来でした。ちゃちな紙芝居もどきでした。
 また、セットも、これまた予算のせいか、気の毒なほどに貧弱でした。
 製作には苦労されたことでしょうが、映画の背景が雑でした。
 そして、中国でのロケが、残念ながら活かされていませんでした。

 批判は好きではないのですが、この出来では仕方がないと思います。
 まったく別の視点で評価しないと、この映画は救われないと思います。

 私が期待していたのは、論戦、女性、権力闘争などを、静と動で見せるものだったように思います。
 静以外は、すべて中途半端でした。

 道元の教えは、いわば単純なので伝えやすかったと思います。
 それゆえに、映像美で何を見せたかったのか、ということです。

 この映画は、もう一度観ると思います。
 一度失望したので、今度は良さがたくさん見えてくることでしょう。
posted by genjiito at 23:54| Comment(0) | TrackBack(0) | *身辺雑記
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