「「源氏物語」全54帖の写本 発見相次ぐ」
と題する記事が、文化欄に掲載されました。
このところ、飯島本や大沢本という『源氏物語』の古写本の存在が、マスコミ各社のニュースとなっています。それも、その54巻のセットの中には、池田亀鑑の分類による「別本」と思われるものがたくさんあるらしい、ということから、70年もの長きにわたり停滞していた『源氏物語』の本文研究の重要性を改めて問いかけるものとなっています。
しかし、そもそも「別本」とはなんでしょうか。
それが曖昧なままに、新聞記事がどんどん書かれています。
池田亀鑑が言った「別本」であれば、それは『源氏物語』の古写本の形態的特徴から分類されたときの「その他」の写本です。それを、『源氏物語』の内容にまで敷衍して、拡大解釈によって認定した「別本」が見つかった、としています。伝えられて来た「物の形」で分類した物差しによって、その「物の内容」をも計る尺度にしようとしているのです。そもそも、計測する用途が違う物差しが、物語の本文を評価するときに使われています。
こんなことがまかり通っていること自体が、『源氏物語』の本文研究がいかに遅れているのかを教えてくれます。
『源氏物語』の古写本や、ましてやその内容である本文が新聞等に報道されるのは、今年が『源氏物語』の千年紀であることに起因します。しかし、そればかりではないのです。
これまで、我々が読むテキストが、大島本一辺倒であったことへの揺り戻しが作用していると思われます。これは、これまでに絶対視されていた写本への信頼が揺らぎ出したことが伏流しています。
もっとも、この問題は、早急に解決できるものではありません。
マスコミは、学者へのインタビューを通して、やたらと「別本」の研究や解明をあおります。しかし、その本文研究のための資料や情報を持っている人が、いったい何人いるのでしょうか。片手があれば足りるほど、数人しか本文データや情報を持っていません。
本文研究を何とかしようにも、どうにもならない状況です。
今回の一連の騒動で、『源氏物語』の本文研究がいかに遅れていたか、ということをマスコミが吹聴してくれたことに対して、大いに感謝したいと思います。
しかし、新聞記事の中には、どこまでが実際に語られた発言かが不明なものが掲載されていることがあります。その責任が、発言者にあるのか、記事を執筆した記者にあるのかは不明でな場合のことです。
例えば、次の例はどうでしょうか。
平安時代の物語の本文は写した人が好きなように手直ししたと考えられる。その結果、多様な本文が生まれ、現在の混沌(こんとん)とした本文状況を作り出している。
「写した人が好きなように手直しした」という本文とは、どのような例をさしているのか、また、その事実はどのようにして証明されたものなのか。
私はこうした例をまったく知りません。たくさんの古写本を見て来ましたが、まだ一例もこうしたものに出会っていません。
古写本の書写という過程で、本文を「好きなように手直し」することが可能でしょうか。
どの例がそうなのか、一例でもいいので、具体例を提示してほしいと思います。
提示された資料をもとにして、みんなでこの問題を考えていけばいいと思います。
論評を加えるのが先ではなくて、まずは事例の検討をしていきたいと思います。
せっかく、『源氏物語』の本文が抱える現状と問題を解決する糸口となりうる資料が発見・公表された段階なので、推測での評論は加えるべきではないと思います。
素直に資料の出現を歓迎し、今後の問題点の検討にたくさんの人が参加するような機運を育むための環境作りに、こうした報道が支援するような流れになってほしいと願っています。
書写した人が、どのような形で本文の内容の異同に関わったのかは、今はまったく不明だというのが、遅れている本文研究の現状なのです。そうした未熟なままの研究分野の活性化に、マスコミの後押しがあるといいですね。そんな記事を見て、若者たちがやる気を起こして参加する、ということになればいいですね。
とにかく、『源氏物語』の本文に関して結論をだすのには、まだまだ時間がかかります。
『源氏物語』の大島本だけで受容されている研究状況に異議を唱え、『源氏物語別本集成』と『源氏物語別本集成 続』で具体的に検討する資料を提供し出して、やっと20年が過ぎました。そして、ようやく大島本の本文に対する疑問が議論されるようになり、また「別本」と言われるものの存在に目が向けられるようになってきました。
この70年の停滞を思うと、それだけで一大進歩です。
ここまで辿り着くのに、とにかく20数年を要したのです。
資料が一つや二つ増えたからと言って、軽々にその意義と見通しを口にするのは早過ぎます。
まだ、こうした資料を論ずるには、あまりにも手元に情報が少な過ぎます。
私は、『源氏物語別本集成』を作成している側にいるので、本文に関するデータは幾分多く持っている方だと思います。それでも、わからないことだらけです。なぜこんなに違う文章が伝流しているのか。いつも疑問を抱えながら、『源氏物語』の諸本の本文に向き合っています。軽はずみに「好きなように手直し」している、などとは、私はとても怖くて言えません。一番データを持っているはずの者がこんなお寒い現状なのです。
新たな資料が加わるということなので、これでまた考えるネタが増えます。資料が増えることは、とにかく大歓迎です。新資料を丁寧に慎重に読み解いて、わからなかったことを明らかにしていきたいと思います。
思いつくままに記しました。
妄言多謝。
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10月に開催される「源氏物語展」のことでご多忙なのにお目を患わせますことをお許し下さい。
先生は上古・中古文学、とりわけ『源氏物語』に造詣がお深い方とお見受け致しました。源氏物語の古写本の系統立てや校本の作成にも携わっておいでのご様子なので、お暇な折りに拙著をご笑覧頂き御批評・ご教示を頂戴したく思い、無礼とは存じながら介入致しました。
『これでわかる仮名の成り立ち』と題する現在通行のかなと変体仮名とを含めた「仮名」の成り立ちの説明文と、字母である漢字から仮名へ崩れゆく字形の表記とで著したものです。
送付先をメールでお知らせ下さればお送りさせて頂きます。
猶HPにその概要を載せております。