2008年05月18日

角田先生のお通夜

 角田文衞先生が、先週水曜日の14日午後11時59分に、急性呼吸不全のためにお亡くなりになりました。この時間帯は、私がいつもプログをアップする時刻です。
 ちょうど、この日のこの時間には、「読書雑記(8)澤野久雄『失踪』」(http://blog.kansai.com/genjiito/285)をアップした時にあたります。
 また、父が5月15日に亡くなっているので、その日付の変わる時間が印象的でした。

 今日の夕刻、西九条のブライトホールでしめやかに行なわれたお通夜に行ってきました。
 記帳をした時に、すぐ上に京都府知事の名前があったので、参列者の幅の広さが伺えました。
 お焼香をすませると、そのまま流れるように散会するような方式だったので、会場にあまり長時間いたのではありません。

 広い部屋の一番後ろの隅に、角田先生のために尽力してこられた藤本孝一先生が、うな垂れたままジッとしておられました。一言だけですが声をおかけしましたが、黙考なさっていたのでお邪魔しないようにして、参会者の席に着きました。
 私の少し前には、角川学芸出版のKさんの姿が見えました。

 角田先生のご自宅がある下鴨中川原町へ伺ったのは、ちょうど一年前の春の盛りでした。
 古代学協会のNさんの運転で、藤本先生に連れられて、桜がみごとだという半木の道を見せてもらいながら向かいました。
 あの時は、まだ私はこの北山の地に住むとは思いもしない時期でした。漠然と、賀茂川の近くを探していました。それが何と、角田先生のお宅まで歩いて十分もかからないという所にいるのですから、不思議なことです。
 先生のご自宅には、大島本を国文学研究資料館の展示にお借りしたいということで、お願いとご説明に伺ったのです。耳が遠くていらっしゃいましたが、元気にはっきりとお話をしてくださいました。

 その折のことは、以下のブログに書きましたので省筆します。

「源氏千年(29)朝日「人脈記」3」
http://blog.kansai.com/genjiito/256

 
 お通夜に行く前に、京都市考古資料館に立ち寄りました。
 ここでは、「特別展示 紫式部の生きた京都」という催しをしていました。
 京都を掘り起こすことに功績のあった角田先生に関する展示でもあるので、いつもの自転車で行きました。


Fbu3mck__s考古資料館



Pfetztbl_s正面



 この展示は、天徳4年(960)に内裏が焼亡してから、万寿4年(1027)に道長が死ぬまでの摂関期を中心にした、紫式部が生きた時代の考古遺物としての出土品が見られました。いわば、『源氏物語』が描かれた背景とも言える出土品の約300点が展示されているのです。

 角田先生にお別れを言いに行く前に、少し勉強をしたことになります。
 これも、人との別れのありようの一つだと思っています。



posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | TrackBack(1) | *身辺雑記
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訃報:平安王朝へのガイド・角田文衞
Excerpt: 角田文衞(つのだ・ぶんえい)氏の訃報に接した。京都葵祭の前日であったという。享
Weblog: 国際芸術見本市(ジャパン・アート・フェスティバル)始末記
Tracked: 2008-06-09 09:30