2008年05月04日

みやこめっせで春の古書市

 ぽかぽか陽気に誘われて、自転車を漕いで散歩にでかけたついでに、岡崎公園にある京都市勧業館(みやこめっせ)で開催されている「第26回 春の古書大即売会」に行ってきました。

 会場に入って、その本の列の多さに圧倒されました。
 まずは左側から縦に見て行き、Uターンして反対側の列をみます。そうしたことを繰り返して、10列以上もあった本の山脈を徘徊しました。

 受付で聞くと、今回は50万点が出品されているとのことでした。絵はがきも1点と数えるそうなので、本当におおよその数ですが……。
 ここに出展されていた本のほとんどを、およそ2時間をかけて見て回りました。こんなにたくさんの本を物色して歩いたのは、本当に久しぶりです。

 木版刷りの源氏絵がほしかったのですが、値段が微妙に折り合えません。
 瀬戸内源氏を朗読したCD―ROMも、何となく手が引っ込みました。
 ヒンディー語の本がたくさんありました。『源氏物語』の翻訳がないかと探したのですが、手がかりは表紙の絵だけなので、すぐに諦めました。

 京都で開催されているだけあって、京の地誌・歴史に関する本が目につきます。しかし、私は近所の京都府立総合資料館で、そのほとんどの本が見られるので、個人で所有する必要がありません。

 そもそも、本を買うということは、どういう意味があるのでしょうか。
 小説は、一人で楽しんで本棚にしまいます。最近ならば、ブックオフなどに売る人も多いことでしょう。2度読む本はめったにないので、死蔵されることがわかっている本を買うことに疑問をもちます。しかし、買ってしまうのは、習性以外には考えられません。

 もし、自分が住む地域に図書館があり、そこで新刊や勉強する資料が手にできるのであれば、個人が本を買う行為は、違った意味をもってきます。
 公共図書館の充実は望まれます。年とともに、自分で本を買うことは少なくなるはずです。それを図書館に引き受けてもらうのは、我々にとってはありがたいことです。個人で使える資金も、また本を保管するスペースも、共に限りがあるのですから。

 しかし、目を転じて、このことを出版社の側から見ると、本が売れないことに直結します。安くていい本を出すためには、売れなくてはいけません。出版社と図書館の関係は、微妙なありようを見せてくれます。売れなければ、いい著者を抱えることもできません。

 古書市では、図書館にない本がよく並んでいます。その意味では、古書市の意義は十分にあります。ただし、そうした本との出会いが、偶然に頼らざるをえないのは、何とも悩ましいことです。
 今回も、入り口近くに、コンピュータによる図書検索のコーナーがありました。しかし、品物がどんどん動く即売会の会場なので、入力されている本の量も限られていますし、すでに売れてしまっている可能性も高いのです。
 実際、私も2種類の本の問い合わせをしましたが、共に見つからないという結果が返ってきました。
 書店のおやじが、その本ならあの棚の上から2段目の真ん中にあるよ、などという牧歌的な時代は終わりました。大阪の天牛書店の新一郎さんのような方は、もう望むべくもないのです。

 今回は、5冊ほど買いました。以前から探し求めていた本です。真剣に探せば、もっと買う本があったのでしょうが、とにかく目ん玉を上下左右にとせわしなく動かしながら、体は右へ右へと移動させていくのです。目が疲れきった時点で、探す意欲は半減です。

 古書市も、何回かに分けて通えばいいのでしょうが、そんなに豊かな時間があるわけでもないので、これで今回はひとまず打ち切りです。

 たくさんの本の中から、自分と縁あっての出会いがみのった本を手にして、それなりに満足して帰路につきました。
 自転車の前の籠に入れた本が重いこともあり、ハンドルが取られそうになります。賀茂川の緩やかな勾配を太腿に感じながら、川風を浴びてペダルを漕ぎ続けました。

 この古書市は、5月1日から5日までで、主催は京都古書研究会でした。



posted by genjiito at 00:19| Comment(0) | TrackBack(0) | ■読書雑記
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