2008年04月24日

源氏千年(29)朝日「人脈記」3

 「千年の源氏物語3」のタイトルは、「紫の君 素顔を見せて」です。

 なぜ今年が源氏千年紀なのか、ということの根拠が、『紫式部日記』の寛弘5年(1008)11月1日の記事であることの確認から始まります。

 もっとも、私は『源氏物語』の作者を紫式部という1人の女性に限定していません。紫式部は1つの長編物語の総監修者として関わった女性であり、その編集著作物を後に『源氏物語』と読んでいるのだと理解しています。多くの人たちの協力によって、今ある『源氏物語』はできている、という見方をしています。
 したがって、私は『源氏物語』のことを書く時には、固有名詞としての紫式部という名前は意識して使いません。「物語作者」と言ってきました。しかし、『源氏物語』に関する記事が寛弘5年という時間軸で確認できることに異論はありません。その意味では、源氏千年紀は意義のあることだと思います。

 さて、今日の朝日新聞の「人脈記」においては、角田文衛先生の発案から源氏物語千年紀委員会の立ち上げへと発展したことが跡づけられています。『源氏物語』の具体的なイメージ作りには、角田先生の功績は確かに多大だったと思います。
 昨年の4月に、角田先生のご自宅に伺いました。古代学協会が所蔵なさっている『源氏物語』の「大島本」を、2008年10月に開催する国文学研究資料館の「源氏展」に展示させていただきたいことの了承をいただくための訪問でした。
 玄関で迎えてくださった先生は、足がご不自由だったことと、少し耳が遠くなっておいででしたが、お話になることは非常に明瞭でした。私の説明も、よく理解してくださいました。先生のお話も、よくわかる内容でした。昨年は94歳でしたので、お歳からは想像できないほどのエネルギーをいただいたように思います。
 ご自宅の玄関を入ると、壁面の両側は洋書と外国語の研究誌でギッシリと埋め尽くされていました。入り口近くには、ロシア語で書かれた研究雑誌が並んでいました。私は、角田先生は日本の平安時代の研究者だと思っていたので、考古学をはじめとする世界の歴史学を専門になさっていることを知り、とにかく驚きました。応接室にあった先生のご著書も、私にとっては意外な分野のものばかりで、大きな勘違いをしていたことに気づかされました。

 今日の新聞記事にも、角田先生のご著書である『紫式部伝』の紹介がありますが、これは先生にとっては研究の一端に過ぎないのです。
 私は、学生時代に山岸徳平先生の教えを受け、陽明文庫本などの紹介をしていただきました。暗くなってからお帰りになる時、渋谷の駅までお供したこともあります。道々お話しいただいた山岸先生の碩学ぶりを目の当たりにして、驚嘆した記憶があります。角田先生にも、同じ思いを持ちました。人生の中で、このような泰斗に親しくお話を伺うことができたのは、本当に幸運に恵まれたことだと思います。

 そんな角田先生の発案による源氏千年紀が、こうして軌道に乗ってますます盛んになっていることは喜ぶべきことです。微力ながらも、応援する側の1人として、いろいろなことに関わっていきたいと思っています。

 今日の新聞記事に返りましょう。

 本日の内容は、後半にいくにしたがって、徐々に拡散していったように思えます。紫式部という1人の女性像をなぞる話題にもっていきたかったかと思われます。しかし、それが詰め切れないままに字数がオーバーしたのでは、という印象が残っています。

 すみません。勝手なものいいをしています。この記事の筆者である白石さんが想定しておられる読者が、私にはよく見えなかったということでしょうか。「人脈記」として、角田先生を受けて、竹西寛子さん、山本淳子さんとつないだ流れが、私には読み切れなかったのです。

 もっとも、最後に話を『紫式部日記』にもどし、日記作者の機知を賞賛して筆を閣く終わり方は、少し強引の気はありますが、うまいまとめ方だと感心しました。


posted by genjiito at 00:24| Comment(0) | TrackBack(0) | ◎源氏物語
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