2008年04月17日

「ねんきん特別便」の結末

 何度か足を運んだ年金センターで、ようやく相談にのってもらえました。とにかく、いつも一時間以上の待ちだったので、この次にしようと諦めて帰っていたのです。

 さて、窓口で最初は身構えていたのですが、どうも話が違うのです。
 私は、大阪府立の高校教員時代の記録が消えていることに憤慨していたのですが、どうやらそのことではないようなのです。

 まず、消えていた14年分の共済年金については、それが平成9年以前のものなので、社会保険庁に引き継がれていないとのこと。これは、すでに聞いていたことです。そしてそれは、近い将来に私が年金の手続きをする時に、しっかりと加算されるのだそうです。
 社会保険庁の職員の方のことばなので、ほとんど信用できません。しかし、今はそう言われるのですから、これ以上詰め寄ることもできません。また9年後に、私が停年になってから、大きな問題となることでしょう。そのためにも、こうしてブログという媒体で記録を残しているのです。

 さて、今回私の年金で問題となっているのは、高校を卒業してすぐに新聞配達をしており、その期間が途切れていたために、確認すべき1人となったようだ、ということが、少しずつわかりかけてきました。

 高校を卒業してすぐに、私は東京に出て朝日新聞の奨学生となり、新聞配達をしていました。もっとも、仕事をしてすぐに十二指腸が破れたのです。十二指腸潰瘍穿孔性腹膜炎、というのが病名でした。
 朝刊の配達を終え、食事をしてから自分の3畳の部屋に戻った時でした。すぐに突然腹痛が起こり、間もなく意識がなくなりました。幸い、お店の人の迅速な対応により、緊急大手術となり、胃腸を切除して一命を取り留めました。
 3月1日から始めた仕事でしたが、5月に病院を退院するとともに大阪の自宅に戻り、10月まで自宅療養をしていました。体力と傷が回復した10月に再度上京して配達の仕事を続けました。ところが不運は続くもので、1年半後のお正月に、住み込みで働いていたその新聞販売店が火事になったのです。大阪から持ち込んでいたすべてを無くして、焼け出されました。ちょうど、私の成人式の数日前でした。しばらくして、新聞配達の仕事を辞めることとなりました。

 そんな中で、朝日新聞社は年金の手続きをして、私の給料から払っていてくれたようです。その記録が、今回姿を現した年金記録の中にあったようです。私の名前と生年月日によって、関連資料として本当に偶然、発掘されることになったのです。
 あんなにいいかげんな社会保険庁なのに、勤めていた会社がしっかりしていたこともあり、学生時代の一時期の年金記録がどこかから出て来たのです。そして、それが私と結びつく可能性がある、ということで、今回の「年金特別便」として連絡があった、ということなのです。

 つまり、私も知らなかった年金記録が、偶然にも今回の騒動の中で転がり出て来た、ということなのです。

 これによって、私の年金記録に21ヶ月分が追加されることになりました。社会保険庁のでたらめな仕事のおかげで、こんな記録が出て来て、それが私のものとして認められたのです。嘘のような話です。
 まだ宙に浮いたままの方々も、一日も早く問題が解決することを祈ります。とにかく、相談センターに足を運ぶことに尽きるようです。そして、対応してくれた方が、物わかりのいい人であることを祈るだけです。

 私の場合は、これで無事に終わったかのように見えます。しかし、これは今、記録が結びついただけであって、実際に年金の支給を受ける時になると、またでたらめなことがたくさん見つかることでしょう。立ちふさがるであろう大きな問題の前に、ささやかな地ならしとしての突貫工事がなされた、という理解をしています。

 日本の福祉行政は、本当にお粗末であることを知りました。
 情けない思いの中で、先行きの不安を確信に近いものにするような今回の一連の出来事だった、と思うようになりました。



posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | *身辺雑記
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