2008年04月04日

わが母の記(1)風呂敷が結べない

 父親に対しては、割と客観的に語れます。ある程度距離を置いて接して来たからでしょうか。
 それに対して母親は、郷愁と感傷が入り混ざった回想になってしまうのは、どうしてでしょうか。自分の成長と密接に関わった存在だからでしょうか。

 母に関してまず思い出すのは、小学校の入学前の面談の時のことです。
 島根県出雲市立古志小学校の教室であったことです。
 母につれられて、初めて行った小学校で、入学前の話と面談が先生とあったのです。確か、先生は二人おられたように思います。
 どのような流れからか、突然、机の上に風呂敷が出されました。そして、何か四角い物を包むことになったのです。何を意図したものか、幼い私は知る由もありません。
 包むのはよかったのですが、その風呂敷の端を結ぶのに、蝶々結びがどうしても出来ないのです。仕方がないので、固結びをして終えました。帰り道、悔しい思いをしていたことを覚えています。

 ところが、教室でも、そして帰りにも、母は何も言わずに、終始ニコニコしていました。
 風呂敷が結べないことくらい、そんなことはどうでもいいよ、という母の思いが何となく伝わって来たので、安心したように思います。
 そんなことを覚えているくらいですから、私は今でも実は気にしています。そして、今でも、蝶々結びは苦手です。紐の端のどっちをどう回すのか、いまだに迷います。そして、決まって縦結びになるのです。

 昔から、手先は器用でした。しかし、紐を結ぶのは苦手なのです。
 小さいときから、そのことを母は知りながら、ついに教えてくれることもなく他界しました。母にとって、息子が紐を結べないことぐらいは、どうでもよかったのでしょう。
 勉強しろとも、何をどうしたらいいかとも、まったく私に言いもせず、教えてもくれませんでした。高校を卒業するときに、東京へ行くと言っても、賛成も反対もせず、好きなようにしたらいいと言ってくれました。何をしても、ニコニコと見てくれていました。

 母は、何も考えていなかったのではないか、と今では思っています。今から思うと、これが私にとってはよかったと思います。
 その反面、父が非常に口うるさかったので、うまく釣り合った子育てだったのかも知れません。

 子どもたちは、今でもおばあちゃんを慕っています。何をしても怒られなかったし、いつもニコニコしていたからでしょう。
 黙って見ている、というのも、大きな意味をもっているように思えて来ました。


posted by genjiito at 01:32| Comment(0) | TrackBack(0) | *回想追憶
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