2008年03月12日

島原での新出『源氏物語』への疑問

 京都の遊郭として知られた島原で、鎌倉時代の古写本『源氏物語』の「末摘花」が確認されたとのニュースが報じられました。
 毎日新聞、読売新聞、京都新聞で記事を確認しましたが、一番詳しい京都新聞から引きます。


鎌倉後期の源氏物語写本か
下京・角屋所蔵の「末摘花」

鎌倉後期の貴重な別本であることが分かった源氏物語「末摘花」の写本(京都市下京区・角屋)
〈写真省略〉

 江戸時代以来の花街・島原の揚屋「角屋(すみや)」を管理する角屋保存会(京都市下京区、中川清生理事長)が所蔵している源氏物語「末摘花(すえつむはな)」写本が、鎌倉後期の書写とみられることが分かり、保存会が10日発表した。伝本の中でも、主流の「藤原定家本」などとは別系統の別本で、重文の陽明文庫本と類似し、関係者は「完本なら重文級」と驚いている。
 写本は16センチ四方で65ページ。表紙や前後数ページが失われていた。専門家が調査したところ、変体仮名の使用や墨の色などが、鎌倉後期の特徴を示していた。
 他の本と比べ、筋書きに大きな違いはないが、例えば、末摘花が光源氏への歌を書き付ける紙の描写が、定家本の「灰おくれ(色がさめ)古めいたるに」に対し、「はいをくれたる“いろあひのいみしう”ふるめきたるに」と詳しい表現になっているという(“”内は定家本にはない部分)。
 角屋に伝わったいきさつは不明だが、江戸時代に別本は現在ほど高く評価されておらず、文化人としても知られていた角屋当主が、宮家や貴族との交流の中で与えられた可能性が高いという。
 調査に携わった加藤洋介・大阪大文学研究科准教授(平安文学)は「定家以前の平安期の異本の可能性がある。陽明文庫本系統の本がもう一つ見つかったことで、当時かなり普及していた可能性がある」と話している。
 この写本は、15日から7月18日まで、角屋で一般公開される。月曜(祝日の場合は翌日)休館。入場料が必要。
 ■源氏物語別本
 伝本の中で主流の定家本(青表紙本)と源親行書写の「河内本」以外の諸本。「陽明文庫本」や京都御所の東山御文庫本など十数点が知られる。定家以前の本を伝える可能性があり、現存しない紫式部の原本を復元する上で貴重な資料とされる。
(2008年3月11日(火))



 この記事で、『源氏物語』の本文を3系統に分別する旧説によって説明されていることの妥当性は、今は措きましょう。一般の読者を想定しての新聞記事ですから、専門的な立場からの発言は控えます。
 ただし、ここで気になることがあるので、確認のためにも、私見を記しておきます。
 引用文において、赤で示した部分をご覧ください。

 「重文の陽明文庫本と類似」とあることです。
 私は現在『源氏物語』の古写本の調査を進めています。
 その詳細は、次の2つのブログでふれています。

http://blog.kansai.com/genjiito/73

http://blog.kansai.com/genjiito/90

 特に陽明文庫本については、現在刊行中の『源氏物語別本集成 続』全一五巻(伊井春樹・伊藤鉄也・小林茂美編、平成一七〜刊行中、おうふう)の底本でもあり、丹念に写本を確認しているところなので、大変興味を持って今回の記事を読みました。

 私が作成している手元のデータベースによると、
「はいをくれたる“いろあひのいみしう”ふるめきたるに」
と報道されている箇所は、新聞記事で「別本」と言われている本文とは言えないのです。いわゆる河内本と言われる本文です。新聞にあげられた本文の箇所は、今回見つかった本が「別本」とされるものだ、という認定には不適当な例示です。
 この部分の本文異同を示しましょう。


はゐをくれたる・・・・061829-000
 はいおくれたる[御]
 ゝひをくれたる(はひをくれたる)[尾]
 はひをくれたる[高天阿]
 はひをくれ[大肖善伏穂前]
 ゝひをくれ(はひをくれ)[池日]
 はひをくれ/れ±て[国]
 はいをくれ[保]
いろあひの[尾高天]・・・・061830-000
 いろあいの[御]
 色あひの[阿]
 ナシ[大池国肖善日伏穂保前]
いみしう[尾高天]・・・・061831-000
 いみしく[御阿]
 ナシ[大池国肖善日伏穂保前]
ふるめきたるに[御尾高天阿]・・・・061832-000
 ふるめいたるに[大池国肖善日伏穂保前]


 ここであげた[御]などの、漢字1文字の略号は、以下の写本の語句を示しています。

 陽明本(1) 今回の本文異同を示すにあたっての底本
 御物本(1)[御]
 尾州河内本(1)[尾]
 高松宮本(2)[高]
 天理河内本(2)[天]
 阿里莫(1)[阿]
 大島本(1)[大]
 池田本(2)[池]
 国冬本(2)[国]
 肖柏本(2)[肖]
 善本叢書(2)[善]
 日大三条西本(2)[日]
 伏見天皇本(2)[伏]
 穂久邇本(2)[穂]
 保坂本(2)[保]
 前田本(2)[前]

 ここで、(1)とあるのは『源氏物語別本集成』全一五巻(伊井春樹・伊藤鉄也・小林茂美編、平成元〜一四年、おうふう)で公開したものです。(2)とあるのは、前出の『源氏物語別本集成 続』で公開したものです。

 これは、陽明文庫本を底本とした16種類の各種伝本の本文の違いを、簡便に一覧できるようにしたものです。

 ここからわかることは、今回新聞にあげられた例文としての本文が、陽明文庫本と同じことはわかりますが、それは河内本と言われる本に共通するものであり、ことさら別本とすべきものではないのです。この例に関する限りは、何ということはない河内本です。つまり、私が提唱している〈河内本群〉に属する本文です。

 今回見つかった本の本文が陽明文庫本と同じで、しかも別本だというのであれば、以下の箇所の確認をすれば一目瞭然です。



文節通番号  陽明文庫本   御物本     尾州家本  大島本

060084-000 をり/\    ナシ      ナシ    ナシ
060085-000 あり      ナシ      ナシ    ナシ

060799-000 たえて     たへて/$こと ナシ    ナシ
060800-000 え       ナシ      ナシ    ナシ

061094-000 さ       ナシ      ナシ    ナシ
061095-000 ありしはかりに ナシ      ナシ    ナシ

062560-000 よめにこそ   ナシ      ナシ    ナシ
062561-000 しるきなからも ナシ      ナシ    ナシ
062562-000 かくろふる   ナシ      ナシ    ナシ
062563-000 事       ナシ      ナシ    ナシ
062564-000 おほかりけれ  ナシ      ナシ    ナシ
062565-000 かたわらいたき ナシ      ナシ    ナシ
062566-000 事も      ナシ      ナシ    ナシ
062567-000 おほかり    ナシ      ナシ    ナシ



 少し専門的になりますが、この「末摘花」の巻においても、本文は〈河内本群〉と〈別本群〉という2つに分別されるべきであり、陽明文庫本の本文は〈河内本群〉に属する、としたほうが、本文の実態に即したグルーピングとなります。
 定家本とか〈いわゆる青表紙本〉と言われているものをどう理解するかは、この巻でも問題を提起してきます。今回見つかったとされる古写本の本文の検討を通して、『源氏物語』の本文について、さらに議論を深める意義は、大いにあると言えましょう。

 今回の毎日新聞・読売新聞・京都新聞の記事による限りでは、不正確で曖昧な点が多いために、この写本に対する評価の当否を確認できません。
 時々刻々流動する時流を報じる、新聞の使命を達成するのも大変でしょう。しかし、可能ならば、正確な記事を発表してほしいものです。これでは、憶測で混乱させるだけの、興味本位の記事といわざるを得ません。
 記事に自信があるのならば、もっと正確な報道をすべきです。この記事から判断する限りでは、これは勇み足、と評する以外にないものです。正しい根拠が示されずに、あたかもこれまでになかった貴重な本文資料が見つかったかのような誤解を、一般の方々に与えるからです。
 あくまでも、以上に記したことは、この京都新聞に引かれた用例から言えることですが。

 もし、この記事が正確なものであるならば、関係者の方は、上記の本文の項目をチェックしていただきたいと思います。これがクリアできたならば、改めてこの写本の重要性が認められると思います。




posted by genjiito at 01:37| Comment(0) | TrackBack(0) | ◎源氏物語
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