2008年03月02日

井上靖卒読(30)『霧の道』

 目の回りに痣のある少女の心の変化が、巧みに語られている小説です。

 三弥子は、成長するとともに、他の女の子とは違う自分の容貌に負い目を持つようになります。彼女を取り巻く家族の心遣いも、細やかに描かれます。しかし彼女は、女学校に入学してからは、自らとの闘いを課します。顔を上げて生きるのです。
 他の人との違いに敏感な年ごろの少女を、丹念につづります。そして、成人後、人を好きになってからも時折顔を覗かせる負い目が、最後まで物語を牽引していきます。

 私は、井上靖の作品を読む時に、いつも月と湖が背景に出るのを心待ちにしています。
 この作品では、小宮高介が三弥子にプロポーズした夜の漁港に、月が出るものと思っていました。しかし、月は出ていませんでした。
 というよりも、あえて月がでていない、としているのです。

空を仰いでも月は見えなかったが、仄明るい光線がどことなく辺り一面に漂っている感じだった。(角川文庫、36頁)


 私としては、ここで月を出してほしかったのに … 。なぜ出さなかったのでしょう。

 三弥子は、自分に対する憐れみの情と闘い続けます。

柏きぬ子の憐憫が自分にかけられてあると思うと堪まらなかった。正真正銘の自分の力で柏きぬ子と小宮の愛情を争いたかった。小宮高介の心を争いたかった。(45頁)


 ここには、自分の心に正直な三弥子がいます。
 この作品は、心に染み入る描写が鏤められた、人の情に突き刺さってくる表現が随所に見られる文章で紡がれています。

 ただし、作者が急ぎすぎたせいでしょうか。文脈に疑問を持ったところがあります。
 その文章を引きます。

物心がついてから今日まで、彼女の心を貫いているものは、誰からも憐れみを受けないこと、それから、絶対に自分を卑下しないこと、この二つだったが、これは小宮高介への愛情に対してもまた決して例外ではなかった。(47頁)


と、三弥子にとっての二つの信条が述べられています。
 しかし、最初の方にあった女学校時代の話では、次のように語られていたのです。

三弥子は三年になった春から日記をつけ始めたが、その日記の第一頁に「絶対に自分を卑下しないこと」「絶対に自分自身を忘れないこと」と言う二ケ条を、自分が学校生活に於て今後守るべき信条として書き記した。(15頁)


 「絶対に自分を卑下しないこと」は共通していますが、もう一つが微妙に異なるのです。
 最初に出てきた「絶対に自分自身を忘れないこと」と、次の「誰からも憐れみを受けないこと」の違いです。これは、日記に記した「絶対に自分自身を忘れないこと」を、わかりやすく言い直したのが「誰からも憐れみを受けないこと」だということになるのでしょうか。それには、大いに無理があります。説明が必要です。
 書き進むうちに、憐れみという感情を明示する必要からのものとすべきなのでしょう。
 井上靖の作品の中でのこうした例は、どのようなものがあるのか、今は思い浮かびません。
 小説がどのようにして生まれたのかを考える上では、興味のあるところです。

 また、これまた私の勝手な想像ですが、この『霧の道』は、第1章となっているところで、実際には一旦終わっていたのではないか、と思っています。
 そのことを、少し書きましょう。

 この作品は、第3章まであります。しかし、第1章がその約6割の分量を占めます。第2章は、そのすべてがきぬ子の話となり、第3章で、また三弥子に話が戻ります。この2つの章は、ほぼ同じ分量です。つまり、6対2対2の割合となっています。

 第2章以降のきぬ子は、三弥子に対峙する女性として前面に出てきます。しかし、私はこのきぬ子にどうも馴染めません。この女性の設定は、中途半端なままに終わってしまったように思えるのです。
 三弥子の扱いがよかっただけに、非常に残念です。

 作者の最初の構想では第1章だけだったのでは、という個人的な感想は、その第1章の最後の文章からも伺えます。

 「僕はいまのままの君が好きなんだ」
 小宮の言葉には三弥子だけに解る愛情が暖くこめられてあったが、三弥子はやはり自分が現在立っている道はこの霧のように見透しの利かない道のような気がした。それがまだまだ遠く続いていると思った。
(66頁)


 本作品の題名は、この末尾と呼応するものだとも言えるのではないでしょうか。
 調べれば、このことについて作者のことばなり、何か研究成果があるかもしれません。
 この作品は、『ニューエイジ』という雑誌に連載されました。私が生まれた年の4月号〜6月号と、それに続いて11月号から翌年の1月号という、2回に分けての掲載です。雑誌を見ればいいのですが、この1回目がどこまでだったかが、解決のヒントとなるかもしれません。
 調べもせずに、怠慢なメモで恐縮します。その確認は後日に、ということでご寛恕を … 。

 さらには、冒頭に「おませになったとか、おこしやになったとか」とあり、この「おこしや」の意味がわかりませんでした。
 そこで、最終版である『井上靖全集』で確認しようとしたところ、この『霧の道』は未収録作品であることがわかりました。『井上靖全集』は、井上の全作品が収録されていると思っていたので、意外でした。
 このことは、機会を改めて報告します。【3】




初出誌︰ニューエイジ
連載期間︰1951年4月号〜6月号、11月号〜1952年1月号
連載回数︰6回

文春文庫︰黯い潮・霧の道
角川文庫︰霧の道
井上靖小説全集3︰比良のシャクナゲ・霧の道



posted by genjiito at 18:32| Comment(0) | TrackBack(0) | □井上卒読
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