2007年12月01日

読書雑記(5)川端康成『古都』

 ノーベル賞作家の小説を、久しぶりに読みました。
 多分に、京都をどう描いていたのかを確認するためです。

 『古都』は、思い出せないほど昔に読んだはずです。そして、山口百恵の映画もみました。
 もっとも、双子の姉妹が出て来ることと、北山が出て来ることしか思い出せないままに読みました。

 この文章は、読点が切れ切れのために、読み進む内にリズムを乱されました。意外と、川端は文章の表記がへただったのです。
 また、文中に、記号としての( )が出てきて、作者が補足説明をしています。これは、レポートのような解説口調に思えて、読んでいて邪魔でした。
 こうした点は、作者にとっては何か意図があるのでしょう。川端の研究は進んでいるでしょうから、何か解明されているのでしょう。
 門外漢の私は、そんなことは知らないので、とにかく内容はいいのに文字の表記がへただ、と思っています。

 物語の最後は、きれいな終わり方でした。京の早朝の雪の中を帰る苗子と、それを見送る八重子は、一幅の絵画です。
 ただし、話としては消化不良でした。二人の今後については、読者の側に投げ出されています。ここまでの展開を味わうことで十分な小説となっているので、それはいいと思います。そうだからこそ、もう少し二人のこれからの手がかりがほしくなりました。

 作品全体の雰囲気を作っている京言葉に、私としては違和感を覚えました。きれいな言葉遣いになっているのですが、その流れがぎこちないのです。流れるような美しさがありません。滑らかさがない、と言えばいいのでしょうか。
 この点は、水上勉の方が、数段上です。

 作者のあとがきを見ると、この小説は、眠り薬を使って書いたことと、京言葉を人に直してもらったと告白しています。
 作品の中で京言葉がしっくりとなじんでいないのは、こうしたことと関係するのかも知れません。検証する暇がないので、指摘に留まりますが。

 京都が美化されているのも、気になりました。小説だからいい、と言えばそれまでですが……。
 京都は、新しいものをどん欲に取り入れて今日に至っています。常に新しいものを受け入れて来ました。その点で、この小説の古都は、そうしたエネルギーを持った街としては描かれていません。京都という街の観光的な視点から懐古に留まってしまったのは、残念なことでした。

 あまり名作をけなすつもりはなかったのですが、思い出して記すうちに、こんなことになってしまいました。

 北山の杉の人工的なことを批判する苗子と、最後に竜介と問屋を変えようとする八重子を、もっと活き活きと描いてほしかったと思います。あまりにも日本的な美とされている世界に閉じこもったために、そうした展開がみられません。この小説は、明日を見る目をもっと注ぎ込んだら、きれいなだけでは終わらない作品になったことでしょう。

 この点が、ことばを使って書いた作品が、活き活きと読み継がれるか、一時の美の結晶として終わるかの、いわば分岐点だったように思います。

 私は、この『古都』は、後ろ向きの古典作品、として評価したいと思います。【3】
posted by genjiito at 23:49| Comment(0) | TrackBack(0) | ■読書雑記
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