2007年07月25日

読書雑記(1)吉村昭『死顔』

 私が好きな作家の一人である、吉村昭氏の小説から始めます。

Nem606ku 単行本


 『死顔』(新潮社、2006・11・20)は、吉村氏の遺作短編集です。本書には、5編が収録されています。その中の2作、「二人」と「死顔」に、私は注目しています。それは、吉村氏の小説作法が解明できるものだと思うからです。

 この2作は、兄の死をめぐる同想の小説です。「二人」は平成15年1月に、「死顔」は平成18年10月に、共に『新潮』に発表されたものです。間に、4年弱の時間があります。
 本書の巻末に、吉村氏夫人の津村節子氏が「遺作について ―後書きに代えて」を書いておられます。その中で、この作品については次のように語られています。

 吉村は入院前に書き上げていた短編「死顔」があった。(中略)小説を書くだけの体力気力はなかったのである。かれにとって書斎が唯一心安らぐ場所で、「死顔」の推敲という仕事があってよかった、と思う。(154頁)


 「死顔」は、まさに吉村氏の遺作なのです。そして、これに対する吉村氏の推敲の手は、執拗に入れられたのです。
 津村氏は、さらに次のように語ります。

 「死顔」の推敲は、果てもなく訂正し続けた細かい字が並び、それを挿入する個所が印してある。あれはいい作品よ。私が言うのだから信じてね、と言っても納得した顔はしなかった。七月十八日の日記に、―死はこんなにあっさり訪れてくるものなのか。急速に死が近づいてくるのがよくわかる。ありがたいことだ。但し書斎に残してきた短編「死顔」に加筆しないのが気がかり―と記されている。(155頁)


 この吉村氏がこだわり続けた推敲の跡を辿ることは、それこそ吉村氏の小説作法が見えてくることにつながると思います。「二人」から「死顔」への流れと、「死顔」の飽くなき推敲の検証は、今の私に、それができる時間があればやりたいことですが、どなかたがなさるのであれば、応援したいと思います。
 吉村氏がこの「死顔」の出来に拘ったのは、前作の「二人」の内容との重複に納得できないものがあり、それを解消するための戦いを推敲作業の中でするつもりだったからではないでしょうか。前作にあった女の話が、遺作にはまったくないことなどは、こうした吉村氏の小説を仕上げる手法と関係しているように思っています。

 津村氏の追悼文(後書き)は、次の文章で閉じられています。

 「死顔」のゲラ校正は、私がかれのためにしてやれる最後の仕事となったが、幕末の蘭方医佐藤泰然が、自分の死期が近いことを知って高額な医薬品の服用を拒み、食物も断って死を迎えたことが書かれている。
 ―医学の門外漢である私は、死が近づいているか否か判断のしようがなく、それは不可能である。―と書いているが、遺言に延命治療は望まない、と記したかれは、佐藤泰然の如く自らの死を決したのである。
 作中、私が褒めた場面で、川があたかも激流のように、こまかい波を立てて流れ下っている描写があるが、かれの父の死が引き潮時であったように、吉村が息を引き取ったのは七月三十一日の未明、二時三十八分であった。
(157頁)


 なお、本書所収の「クレイスロック号遭難」は未定稿であり、この作品のタイトルも津村氏が付したものだ、との編集部注記が巻末に記されています。
 私はこの作品を読んで、「小説と言えるかどうか。史実の描写のみ。ロシア人の死と日英のことに関係がない。」というメモを記しました。
 編集部の注記を知り、幕末から明治に関する吉村氏の創作の構想が窺えるものとして、資料的な意味を汲んで本書に収載されたものであることを、後で知ったのです。何も知らずに読んで変な思いを抱いたのは、それでよかったのですが、最初に断りがあっても良かったかな、と今となっては思われます。こうした事情は、事前に知らされる方がいいのではないでしょうか。

 吉村氏の生きざまが垣間見えるこの短編集は、これまでの吉村小説を読み直すきっかけを与えてくれるものとなりました。
posted by genjiito at 23:50| Comment(0) | TrackBack(0) | ■読書雑記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/178851971
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック