2007年07月07日

画像で判定するテニス

 イギリスのウインブルドンでは、今、テニスで盛り上がっています。
 高校生の頃からテニスをしている私は、ウインブルドンはあこがれの地です。家族とイギリスへ行った時には、みんな別々の機会でしたが、必ず最初にウインブルドンへ連れて行きました。いつかは、家族みんな一緒に、ウインブルドンでテニスをするつもりです。センターコートは無理ですが、その回りのコートなら借りられるのですから。

 時差の関係で、ウインブルドンの試合の中継は日本の真夜中です。それでも、つい見てしまいます。そして、新しい楽しみを見つけました。それは、審判の判定にプレーヤーが異を唱え、その結果、主審の判定が覆ることが多いのに気付いたのです。写真判定にコンピュータグラフィックを活用したものが導入されているのです。

 選手は、1セット中に3回の「チャレンジ」と称する異議を申し立てられます。すると、その場でボールの落下点とテニスコートのラインの位置関係を、画像で場内の観客にも見せるのです。再確認を申し出て、審判の判定が異なるものであった場合には、3回使える権利はそのままです。審判の判定通りであった場合は、異議を申し立てたプレーヤーの権利は1回減ることになります。

 ここ数日、審判の判定につけられた「チャレンジ」の9割は、申し立ての通りに判定が覆るものでした。ほんの数ミリのズレでも視覚的に表示されるのですから、審判にはお気の毒なことです。それだけ、プレーヤーの判断が的確であると言えましょう。

 今大会から、このルールが導入されたそうです。これまでにもテレビではこの映像を見せてくれていました。しかし、あれはあくまでも放送局側のサービスだったようです。

 相撲でも同体などで「物言い」がつくと、テレビでは写真判定をしていますが、あれは正式に採用されているのでしょうか。競馬のゴールで写真判定で「鼻の差」などといっているのは、お金が直接関係するのでしかたのないことでしょう。

 テニスの写真判定は、私には少し幻滅です。野球の審判がミスを冒すように、テニスでも審判には確たる権限を与え、その場の流れの中での判定ミスは許容してもいいように思います。
 機器を導入して完璧な判定をすることよりも、その場の人間の眼の範囲で判断をする方式を支持します。プレーヤーにとっては、とんでもない審判に当たると悲惨な思いをするでしょうが、それは言いっこなしです。

 テニスもパワーとスピードのスポーツです。確かに、ラインにボールが乗ったかどうかは、大変な問題です。プレーの一瞬一瞬を止めて、確認をしながら進めて行くのはいいことです。しかし、ものごとには「流れ」というものがあります。そこから、異議は1セット中に3回まで、と決まったのでしょう。しかし、人間の眼ではなくて、最終的には機械がとらえた映像に寄り掛かる姿勢には、この世に人間が存在する意義を軽く見ているように思えます。

 と書いてきましたが、やはり本当はどうなのか、ということを追求する観点からは、機器を導入して客観的な真実を追究するのも悪くないな、という思いもします。機器導入反対と断言できないところに、この問題の奥深さを感じます。

 日本の文化は、白黒をハッキリさせないところがありました。グラデーションの世界です。それに引き換え、欧米の判断は2値で結論を得る世界でしょう。文化の違いに帰するのはよくないのですが、スポーツも2種類の楽しみがあるとすれば、このウインブルドンの新ルールは、新たな楽しみ方を教えてくれていると言えるでしょう。

 どうも歯切れがよくないのですが、何か引っ掛かりをもちながらも、プレーヤーのクレームが認められることの多いテニスを観て、人間の素晴らしさと、スポーツの面白さを改めて知ることとなりました。
posted by genjiito at 00:48| Comment(0) | TrackBack(0) | *身辺雑記
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