2020年10月31日

紫風庵で三十六歌仙と源氏物語の変体仮名を読む(第9回)

 昨日30日(金)の京都新聞「まちかど」欄に、次の紹介記事を掲載していただきました。

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 前回のことは、「紫風庵で三十六歌仙と源氏物語の変体仮名を読む(第8回)」(2020年01月25日)に詳しく書いています。

 何と、この第9回の勉強会は、実に9ヶ月ぶりの開催です。
 新型コロナウイルスの被害拡大を避けるために、一月ずつ順延順延で、今日まで来ました。

 「紫風庵」の門が、いつものように迎えてくれます。

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 庭の芙蓉も、ポカポカ陽気の中を爽やかに出迎えてくれました。

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 今日は、いつものメンバー9人が集まり、密にならず、少し距離を取って座卓に座りました。もちろん、しっかりとマスクをして。
 今日の三十六歌仙の絵と和歌は、南面左から三領目の襖に貼られた、「小大君」「藤原仲文」「大中臣能宣」の3名を確認します。

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 これまでに確認した歌人は、上の写真左側に掲載した、赤字の人々です。
 あと8人が残っています。コツコツと、ここまで来ました。

 まずは「小大君」から。

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 この「紫風庵」の歌仙絵と、私が持っている『探幽筆 三拾六哥仙』の図様とは、非常によく似ています。架蔵の歌仙絵については、これまでに何度もここで書いたので、今は省略します。
 この和歌を「変体仮名翻字版」で翻字すると、次のようになります。

  左     小大君
【岩】者し能【夜】の
  【契】りも【絶】ぬへし
 阿くるわひしき
   かつら起の【神】

 ここでは、「者」と「契」と「起」に注意して、文字をよく見ました。

 この勉強会に参加しておられる全盲のHさんには、資料を立体コピーにしたものをあらかじめお渡ししています。これを指でナゾリながら、一緒に読んでおられます。

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 次に「藤原仲文」です。

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 右   藤原仲文
阿りあ希濃【月】の
 悲可り乎【待】本度尓
  わ可よ能い多具
 【更】尓介類可那

 ここでは、「希」「濃」「悲」「乎」「度」「具」「更」「介」「類」「那」と、多くの変体仮名に気を付けながら読みました。

 最後は、「大中臣能宣」です。

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左    大中臣能宣朝臣
 【千】とせま帝 かきれる
    【松】も気ふよ梨盤
 【君】尓ひ可連て
     【萬代】や辺舞

 ここでは、「せ」「帝」「盤」「辺」「舞」に注意をしました。
 特に「辺」については、その字母について、じっくりとみんなで確認しました。
 参考までに、拡大写真を掲載します。

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 この後は、また元の座卓に戻り、ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「須磨」の16丁裏3行目から6行目までの4行分を、字母に気を付けながら読みました。

「【月】可けの・やとれ累・そては・せはく
とん・と免ても・三者や・あ可ぬ・ひ可里越・い
三しと・おほい堂る可・【心】くるし个れ八・可つ
八・なくさ免・きこゑ・【給】ふ・


 今日も、よく集中して文字と対座しました。あっという間の2時間です。
 次の「第10回」は、来月11月28日(土)、午後2時からです。
 こうした勉強会に、興味と関心をお持ちの方の参加をお待ちしています。
 このブログのコメント欄を通して、お知らせください。
 
 
 
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | ◎NPO活動

2020年10月30日

本日も休載です

 パソコンが相変わらず不調です。
 14年間連続更新の記録が途切れると心配をおかけするので借り物での更新です。
 本日のブログも残念ながら休載となります。

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posted by genjiito at 23:47| Comment(0) | ◎情報社会

2020年10月29日

本日は休載とします

 ネットワークもパソコンも不調のままです。
 本日のブログは、残念ながら休載とします。

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posted by genjiito at 17:59| Comment(0) | ◎情報社会

2020年10月28日

[学長ブログ]を受けて、今日の「茶道教室」のこと

 今日の午後、大阪観光大学における「将来構想戦略委員会」が終わってからのことです。
 [学長ブログ]のサイトで「協議会と将来構想戦略委員会」が不安定になったので、発信場所を急遽この[鷺水庵より]に移しました。

 午後5時以降は、お茶室で初回となる茶道教室がありました。
 今日はお茶室で、基本的な作法に関する体験会です。

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 扇子の使い方や襖の開け閉めに始まり、お茶室の歩き方、帛紗の扱い方などなど、佐藤宗晶先生の懇切丁寧な説明で進みました。

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 お菓子を運び出したり、茶碗を下げることは、宗晶先生のご指導の元に一人ずつ実際にやっていただきます。

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 その間に、私はお茶を点てる役に徹します。

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 襟を正して茶道を習う、というわけではありません。ゆったりとしたお茶室で「茶筅を使い、お茶を点てる」という雰囲気を楽しむための集まりです。「茶道教室」と言うと堅苦しくなります。おもてなしの文化を体験する中で、場面場面における所作や意味がわかると、先人が伝えてきた和の心がわかるのではないか、との思いでお話をし、お茶を点てました。
 当面は、集まって下さったみなさまには、お茶の点て方よりも、お茶のいただき方を中心にして行きます。

 その基本を学ぶ今日の初日は、私も宗晶先生の説明に聞き入ってしまいました。基本の「き」は、実はあまりよく知らないことが多いものです。いや、すっかり忘れています。
 本日も、お手伝いの佐久間先生、湯浅先生、佐藤課長、ありがとうございました。そして、お疲れさまでした。

 今後は、以下の予定で開催します。

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 学内の教職員のみなさまを対象とする親睦会でもあるので、仕事が終わったお手隙の折に、フラリと参加も大歓迎です。一人でも多くの方とこのお茶室でお目にかかれることを、楽しみにしています。
 次回は、11月25日(水)の午後5時から。
 風炉から炉に変わります。
 
 
 
posted by genjiito at 23:20| Comment(0) | ■講座学習

2020年10月27日

本日届いた翻訳本と探索中の翻訳本一覧

 本日、阪大生協を通して以下の6冊の翻訳本が、箕面キャンパスの研究室に届きました。
 カタロニア語訳とスペイン語訳の本です。
 海外からの本が届くのは久しぶりです。


■Diari de Tosa
(カタロニア語訳『土佐日記』)
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■El diario de la dama Murasaki
(スペイン語訳『紫式部日記』)
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■Si pudiera cambiarlos . Torikaebaya monogatari
(スペイン語訳『とりかへばや物語』)
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■Cien Poetas, Cien Poemas
(スペイン語・日本語版『百人一首』)
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■El diario de la dama Izumi
(スペイン語訳『和泉式部日記』)
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■Poemas amorosos del Manyooshuu
(スペイン語訳『万葉集』)
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 すでに10年以上前から、東京の国文学研究資料館で科研に取り組んでいた頃から、常時数十冊にも及ぶ翻訳本の発注をし続けています。しかし、入手できるのは1割にも満たないのが実情です。
 とにかく、気長に待つしかありません。
 実際に、海外の現地で入手できることも、多々ありました。その折々に、本ブログで書影を紹介してきました。しかし、新型コロナウイルス禍の現在は、海外に調査で出向くことすらできません。
 現在、探し求めている翻訳本は、以下の通りです。
 もし、譲っていただける方の情報や、本の所在なりをご存じの方がいらっしゃいましたら、ご教示いただけると幸いです。出版年や再販本などには拘りません。あるゆる版を探し求めています。
 収集した翻訳本は、科研のホームページである「海外平安文学情報」の翻訳史年表に掲載し、その解題などは不定期ながら刊行しているオンライン版『日本古典文学翻訳事典』や『海外平安文学研究ジャーナル』(ISSN番号 2188ー8035)などに収載して、広く公開しています。また、展示会などで紹介もしています。
 以下の2点の一覧表形式の画像は、クリックすると精細な画像として表示されます。

 この本に関する連絡は、本ブログのコメント欄をご利用ください。

(資料作成︰大山俊哉・大阪大学特任研究員)

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posted by genjiito at 20:52| Comment(0) | ■科研研究

2020年10月26日

京洛逍遥(664)北大路橋から初秋の上下流を望む

 日中は、心地よい風に秋を感じます。
 しかし、朝夕はめっきり寒くなりました。
 家では、すでにストーブを使っています。
 河原の散策路には、人が少なくなってきました。
 北大路橋から上賀茂神社の方を望みました。
 紅葉はまだです。

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 同じ橋から、下鴨神社の方を望みました。

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 上も下も、中洲が大きく張り出しています。
 土砂を浚うのは、年内にはなさそうです。
 散策路の手入れは、いつも小まめになされています。
 この賀茂川の自然を守り伝えて行こう、という市と市民の思いは、歩いていると伝わってきます。
 リフレッシュに最適なウォーキングができます。
 
 
 
posted by genjiito at 21:08| Comment(2) | ◎京洛逍遥

2020年10月25日

「源氏物語と36歌仙を変体仮名で読む会」(第9回)

 今月末の10月31日(土)に、「紫風庵」で「源氏物語と36歌仙を変体仮名で読む会」(第9回)を開催します。
 これは、本年2月26日に予定していた第9回の勉強会が、新型コロナウイルスの流行が広まり始めたことを受けて、延期に延期を繰り返して、ようやく再会できたものです。実に、9ヶ月ぶりとなる、久しぶりの開催です。
 これから、京都新聞「まちかど」欄に、開催の連絡記事を掲載していただく手配をします。
 会場は、これまで通り、平安京の北の基点となった船岡山のすぐ南にある、登録有形文化財に指定されている「紫風庵」です。その「紫風庵」で、ハーバード本「須磨」巻を読むと共に、「紫風庵」所蔵で江戸時代に描かれた三十六歌仙の絵と和歌を読みます。平仮名は変体仮名を再確認しながら、書かれた文字を忠実に読んでいきます。
 江戸時代に描かれた三十六歌仙については、その絵が貼られた襖がある部屋で、しかも間近に見ながら、一文字ずつを解読していきます。

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 「紫風庵」に所蔵されている「三十六歌仙」の詳しいことは、「京洛逍遥(538)登録有形文化財「紫風庵」の三十六歌仙絵」(2019年04月13日)をご覧ください。
 前回の活動の記録は、「紫風庵で三十六歌仙と源氏物語の変体仮名を読む(第8回)」(2020年01月25日)に詳しく書いています。
 今回は、南側右第2領の襖絵(小大君、藤原仲文、大中臣能宣朝臣)の3歌人を読みます。

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 1年かけて、この三十六歌仙に取り組んでいます。ただし、新型コロナウイルスの対策から、半年ほど延びることになりました。ぜひこの機会に、生きた古典と接する得難い体験の場としてください。初心者を意識して、丁寧に変体仮名を読むコツなどを説明します。
 前々回から全盲の方も、あらかじめ作成した立体コピーを指でなぞりながら、果敢に触読の挑戦をなさっています。その様子は、「「紫風庵」での触読に関する報告(その2)」(2020年01月27日)をご覧ください。「紫風庵」のすぐそばには、京都府立盲学校と京都ライトハウスがあります。目の見えない方でも、変体仮名が一緒に読めるように手ほどきもしています。お知り合いで、昔の仮名文字を読んでみたいという方がいらっしゃいましたら、お問い合わせください。ご説明いたします。
 この勉強会に参加を希望される方は、このブログのコメント欄をご利用ください。折り返し、説明の返信を差し上げます。
 なお、この学習会は、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉が主催する企画です。小規模ながら、地道に気長に活動を続けています。
 『源氏物語』ともども、「三十六歌仙」という古典文学作品を生で鑑賞し、そこに書かれた文字を忠実に翻字していくことに興味をお持ちの方の参加をお待ちしています。
 
 
 
posted by genjiito at 21:06| Comment(0) | ◎NPO活動

2020年10月24日

大阪観光大学周辺の散策(1)−りんくうプレミアム・アウトレットと海岸

 大阪観光大学の最寄駅である日根野駅から1つ先、関西空港駅の一つ手前にりんくうタウン駅があります。先日会社訪問をしたスターゲイトホテル関西エアポートは、この駅に直結しています。
 今日は、大学の周辺を歩き回るつもりで、リンクウタウン駅から南に隣接する「りんくうプレジャータウンシークル」と「りんくうプレミアム・アウトレット」に行ってみました。

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 かつて、家族を連れて車で来たことがあります。海外からの観光客がいなくなったこと以外、雰囲気はほとんど変わっていません。と言うよりも、コロナ禍を忘れさせるような賑わいがあります。活気が感じられます。インバウンドに頼ることなく、諦めからの居直りで営業する姿勢に、忘れ去られていた日本人の逞しさの片鱗を見ました。これはいいことです。
 海外からの観光客に浮き足立ち、踊らされたことへの見直しが、こうした雰囲気を生み出しているとしたら、日本の再生は期待できそうです。いかに早く海外からの観光客にすがりつく気持ちを振り払い、国内の人々との共生を積極的に図る気概を奮い立たせられるか…… 海外からの一見さん頼みの商いではなく、地元や近隣の市町村と結びついた、長いお付き合いの延長という感覚でのビジネスを展開してほしい、という思いを強くしました。
 根拠のない、勝手な思いつきを記しています。しかし、幼かった頃に見た大人たちの創意工夫を凝らした生き様を思い出して、今こそあの気骨を思い返すべきではないか、と思うようになりました。30代になった私の子供たちの世代の奮起を応援したいと思います。
 そんな、新たな元気が生まれるリンクウタウンの散策となりました。
 いろいろとお買い物をした後は、海岸に出てみました。これまた、すばらしい景色です。
 ちょうど飛行機が降りるところでした。気持ちのいい散策路で、気分をリフレッシュ出来ました。

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 今回は、次のマップの[1]と[2]のエリアと海岸を歩きました。
 楽しさ満載の散策エリアです。

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posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ・ブラリと

2020年10月23日

今使っているコミュニケーションツールのこと

 今、私が利用しているコミュニケーションツールは、電子メールと Slack です。この2つで、さまざまな連絡や打ち合わせをこなしています。割合で言うと、電子メールが9に対して Slack が1でしょうか。
 昨日来、職場から2日続きで携帯に電話をいただきました。翌日になるまで、気付きませんでした。申し訳ないと思いながらも、私にとって電話はレガシーデバイスであり、時代遅れの道具と化しているので、どうしようもありません。
 その代わり、 電子メールは頻繁にチェックしています。手元のアップルウオッチ、持ち歩くiPhone 、何箇所かにあるiPad、行く先々にあるパソコンで、メールは確認できているのです。
 連絡は、メールが一番気づくことが多いものとなっています。
 なお、現在の環境については、「次世代のコミュニケーションツールのこと」(2020年08月27日)に、実状を書いています。ご笑覧いただいていると、何かと行き違いが少ないかと思います。
 ご迷惑をおかけしていることの言い訳として、内実を記しました。
 
 
 
posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | ◎情報社会

2020年10月22日

お菓子の『百人一首』で遊ぶ孫たち

 3歳と1歳の孫に、七五三のお祝いとして小倉山荘のお菓子「カルタ百人一首」を渡しました。

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https://www.ogurasansou.co.jp/shop/shop/c/c1030/
 このお菓子は、私が海外で授業などをする時の、とっておきの小道具にしているものです。

「中国の恵州学院で百人一首の話をする」(2019年12月23日)

 早速、孫たちはお菓子の包み紙に描かれた男と女の絵を見ながら、彼女たちなりに遊び始めたようです。

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「◉◉ちゃんの好きな[きりぎりす]がない〜」と言って騒いでいるかと思うと、お姫さまを集めて遊んでいたりするそうです。横向きのお姫さまは嫌いで、正面を向いたお姫さまがいいのだとか。
 これで、しばらくは和歌に親しんでもらいましょう。
 そして、やがて念願の、変体仮名の出番となります。
 これからの成長が大いに楽しみです。
 
 
 
posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | ■古典文学

2020年10月21日

今日はお休みとします(10月-2)

 10月後半も、何かと慌ただしい日々となっています。

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 今日は、スターゲイトホテル関西エアポートを訪問した後、とんぼ返りで大阪観光大学にもどり、すぐに国際交流委員会に出席し、休みなく野球部優勝報告会と表彰式に臨みました。
 その後の打ち合わせも長時間にわたるものだったこともあり、本ブログ[鷺水庵より]はお休みとします。
 
 
 
posted by genjiito at 23:46| Comment(0) | *健康雑記

2020年10月20日

大阪大学箕面キャンパスの秋と研究室

 科研の取り組みに専念している大阪大学の箕面キャンパスの研究室は、現在は資料整理の真っ最中です。

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 11月下旬から大阪観光大学の図書室を借りて、翻訳本の展示を4回にわたって開催します。その準備のため、資料整理と資料移動の用意で大忙しです。
 現在のスタッフは、特任研究員2名、技術補佐員3名、アルバイト3名の計8名でフル回転の状態です。
 外国語については、ロシア語・スペイン語・ベトナム語・中国語・アラビア語の担当者が、翻訳本や海外の情報の収集と整理に当たっています。今日は、これからアラビア語を担当していただく方と面談をしました。
 この研究室がある箕面キャンパスは、旧大阪外国語大学があったところで、今は外国語学部があります。私が取り組んでいるテーマにふさわしい環境にあります。
 エレベーターホールから見下ろすと、紅葉間近のニュータウンが望めます。

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 色付いたら、また周辺の景色を紹介します。
 
 
 


posted by genjiito at 21:07| Comment(0) | ■科研研究

2020年10月19日

京洛逍遥(663)祇園で「襟替え」の伝統文化と芸能を味わう

 祇園甲部の「はやかわ」というお店に行ってきました。

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 お茶屋「多麻」の舞妓のまめ衣さんが芸妓になる、ちょうど舞妓が最後の日(襟替えの前日)の訪問です。

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 この日の髪は、「先笄」(さっこう)という独特の結い方です。

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 この前後2週間ほどの特別な舞として、「黒髪」を舞っていただけました。
 手元の資料から説明文の一部を引きます。
東国の武将である伊東祐親の息女辰姫が、源頼朝との恋を諦め、北條時政の娘の時子に頼朝の妻の座を譲り、ふたりを二階の寝間へと案内した後、悲しみの内に髪を梳くという場面がありました。自らの恋に終止符を打つ決心をした辰姫が、髪を梳く内、諦め切れぬ恋心と嫉妬の念に身悶えるというこの場面。その独吟に使われたメリヤスが長唄の『黒髪』です。

[] 黒髮の 結ぼれたる思ひをば
解けて寝た夜の枕こそ
ひとり寝る夜の仇枕
そでは片敷くつまぢゃと云ふて

[] 愚痴な女子の心と知らで
しんと更けたる鐘の聲
ゆふべの夢の今朝さめて
ゆかしなつかしやるせなや
積もると知らで
積もる白雪


 舞妓さんにとっては、芸妓になる前の一生に一度の舞です。

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 おはぐろも、今日が最後です。髪も、今日までが自分の髪で結い、芸妓になると鬘を着けるのだそうです。

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 季節感のある料理も美味しくいただきました。

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 伝統芸能と文化と工芸の世界を間近に見て、それを守り続けるお茶屋のみなさま方のお話を伺うという、貴重な勉強をさせていただきました。
 おいとまする頃の花見小路は、すっかり暗くなっていました。

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posted by genjiito at 23:59| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2020年10月18日

読書雑記(302)『観光のまなざし 増補改訂版』

 『《ウニベルシタス 1014》観光のまなざし〔増補改訂版〕』(ジョン・アーリ/ヨーナス・ラースン、加太宏邦訳、法政大学出版局、446頁、2014年9月 初版第1刷、2020年5月 第3刷)を読みました。
 まず、法政大学出版局のウェブサイトに掲載されている「内容紹介」を引きます。

観光学の名著が世界状況の変化に合わせ増補改訂。グローバル化、デジタル化、オンライン予約などによる格安旅行・格安航空の成長、遺産の景観破壊、人類の歴史における〈負〉の観光。フーコーの〈まなざし〉の概念を手がかりに、歴史的・経済的・文化的・視覚的レベルにおいて観光をテクストに文化を読み解く。研究者、旅行産業をはじめ現場の政策・施策担当者など、観光に携わるすべての人々に必読の書。


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 今回読んだ増補改訂版(第三版)の「まえがき」により、本書がどの部分に増補がなされ、どこが改定されたのかがわかります。

多々の改変を行うにあたって、共著者としてヨーナス・ラースンを加え、新しい目で本書の見直をした。旧版の章の文章も全面的に改訂した。古くなったデータや研究は削除し、新しい研究や理論を組み込んだ。観光のまなざし概念は、さらに理論的な考察の対象とし、考究を深めた。そのひとつとして観光の「負の側面」への着目などもある。
 新たに三つの章を立てて、観光のまなざしと写真=Aデジタル化≠ニの関係、観光理論や研究における身体的パフォーマンス≠フ分析、地球温暖化や石油ピークなど、グローバル化する観光のまなざしにとっての望ましい状況とか未来を問う観光におけるリスク≠フ諸相を、この三つの章で検討した。(xii 頁)


 多くの方がすでに本書の第二版をお読みになっているようなので、最初にこう書かれるとその箇所を中心に読み直せばいいので、非常に親切な配慮だと思います。
 また、「訳者あとがき」から、本書の歴史的な位置付けがわかります。長くなることを承知で引きます。

 本書は John Urry and Jonas Larsen, The Tourist Gaze 3.0 (London: Sage Publications, 2011) の全訳である。
 『観光のまなざし』の初版は、一九九〇年に出版され、観光学分野で画期的な研究書として高い評価を受け、斯界に著者ジョン・アーリの名前を知らしめた。常に観光学の必須文献として挙げられる今や古典となっている名著である。わが国でも、『観光のまなざし』(邦訳は一九九五年)への言及がみられないような観光研究論文はないといっても過言でないほど知られた著書となっている。
 訳者の見るところ、本書は、類書と極めて異なった印象を与える。論者の専門領域(社会学)から照射する観光論でもなく、また、逆に観光に関する種々のテーマを集成した論集でもないからだ。本書の著者は、観光の構造と原理を描きだそうとする意図のもとに、自分の専門には抑制を利かせ、むしろ哲学、美学、歴史学など多種多様な異分野からの知見を脱領域的に抽出し、そこに中心軸としての「まなざし」理論を貫通させたのだ。すなわち、観光を既存の学問領域に資する素材とは捉えず、独自な的として正面に据え、その解明に挑んだのである。このような研究態度と方法は、世界にも類例がなかった。本書が、大きな注目をうけた由縁はこの辺りにありそうだ。
 しかし激変する時代の流れのなかで、同書も内容に古さを露呈し始めて、初版からおよそ一〇年後の二〇〇二年に第二版が上梓されたのである。ところが、この第二版は、第七章の改変(「見ることとテーマ化すること」に)と第三版を予告するような第八章(「まなざしのグローバル化」)の追加が行われた以外は、初版の構成を踏襲し、データの更新、新事例の摂取などが行われたものの、コンセプトからみると、マイナーチェンジと言わざるを得なかった。このため、邦訳は見送られた。
 待たれていた「新版」がついに編まれたのは、さらに一〇年ほどを経た二〇一一年のことだった。すなわち本訳書がそれである。じつは、原著では、明示的に第三版だとは記載されていなくて、タイトルの後ろに「3・0」とつけられていて、初版にはそえられていた副題「現代社会におけるレジャーと旅行」も削除されている。『観光のまなざし』は前著を引き継ぐものの、内容の一新された別の著作であるかのごとく意匠されているのである。このため本訳書も『観光のまなざし 増補改訂版』と銘打つことにした。もちろん初版での記述が残された部分もないわけではないが、その箇所も相当に換骨奪胎され、徹底的に書き直しと構成のやりなおしが施されているのである。
 この大改訂が可能になったのは、新たに若い執筆者ヨーナス・ラースンが共著者として参加したことによるところが大きい。原著初版で一五六貞だったものが新版では二四〇頁になっていることをみても既存の版を一度白紙に戻すというほどの姿勢が感じられる。こういう形態的な変化はそれとして、私たちに気になるのは内容に係わる改変である。(373〜374頁)
(中略)
 さて、本書の新版としての意義をこのように紹介してしまうと、いかにも机上の煩瑣な抽象的議論の書のように解されるかもしれない。だが、内実は、きわめて観光実務に直結する刺激的なヒントに満ちた実学の書でもあるのである。最新の実証的なデータ、多くの新しい事例研究を基にこれらの論が構築され展開されているからである。
 ただ、実学とはいえ、世間に流布する、理論的裏打ちがすっぽり抜け落ちた単なる職務体験や観光現場のケーススタディや官公庁施策のような「実体的」観光論の類とは根本的に一線を画している。それは、観光現場の事例を多用した考究とはいえ、前述したような徹底した学術理論に支えられたものだからだ。その意味で、本書は、現代の観光旅行、余暇、文化政策、観光施策、経済活性化、地域振興、歴史・自然遺産および芸術展示などに係わっているすべての人にとっての必須実務書となりうるものである。
 もうすこしいえば、本書を一読すればわかるように、観光学というのは、観光事業・施設、交通産業のような実務に資するだけの研究ではない。地理学や地域学、民俗学、文化人類学、社会学などのような文化科学的な関心からも、さらには、景観論、写真論、比較文化論、社会史、労働と余暇の問題、都市問題、南北問題、環境問題、文化衝突の問題などからも関心がもたれ得るマルチ領域の学問であり、本書はこれらの関心からも広く読まれうるものだと考えられる。(377〜378頁)


 それではと、これまでに読んだことのない語りの世界へと、緊張気味に読み始めました。そして、早々に立ち止まりました。私には理解できない文章に出会ったからです。今、読み返しても、さっぱりわかりません。この先が思いやられます。

 フェミニズムの論者たちは、こういうメタファーの男性的な面を批判する。このメタファーは現実に根なしの束縛のない移動が可能な人、という肯定的含意があるからだ。しかし、そうでない人もあり、文字通りにであれ、比喩的にであれ「旅立つ」に至るのに相当これとはちがう事由を持つ場合があるのだ(Wolf 1993)。E・ヨキネンとS・ヴェイヨラは、その点で、多くの放浪への「男性的」メタファーの問題点を指摘している(Jokinen and Veijola 1997)。もし、こういうメタファーを、パパラッツィとかアル中のホームレスとかセックス観光者とかナンパ男という読み取りに変えてみると、こういう人間は、男視線の放浪理論のなかで受けていたプラス評価など消えてしまう人たちということになる。実際でいえば、ある者が移動するということは、常に一方に、滞っている者がいることが予想される。移動していく観光のまなざしは一方で滞留する身体(ふつうは女性)がいることが想定される。そういう人たちは移動し通り過ぎる者にたいして、その身体をさらして接客サーヴィスを供する。
(42頁)


 わからないものはわからないなりに、とにかく、読み進むしかありません。
 第2章で、イギリスでの具体例をあげて、観光が一般的に認知されていく変遷を丹念に実証していきます。わかりやすい反面、煩瑣な語り口に読み進む速度を上げることになりました。
 トーマス・クック社の話(60頁)は、かつてレスターへ行った時に気になったことだったので、遅まきながら興味深く読みました。
 第3章の「セックス観光」とジェンダーの話(102頁〜)は、観光の一面を炙り出しています。
 第4章の「観光文化の変容」では、「メディア巡礼」のことを取り上げています。
有名な映画やテレビドラマが上映され、ほとんどだれも足を踏み入れなかったそのロケ現場が明らかになると、そこに観光者の流れが起ることがよくある(Tooke and Baker 1996; Riley et al. 1998;Beeton 2005; Couldry 2005; Tzanelli 2008; Mordue 2009)。メディア研究者のN・クッドリーによると、「メディア巡礼」の急激な盛り上がりがあったことがある。これは「空間の中の現実の旅行でもあり、同時にまた日常世界≠ニメディア世界≠フあいだの構成された隔たり≠ニいう空間に行ってみるということでもある」(Couldry 2005: 72)。映画やドラマの中にあったモノを現実に探し求めるメディア巡礼は、ポストモダンのハイパー・リアリティ (Eco 1986)という形式での旅だ。そこでは虚像と現実が一つの世界にないまぜになっていて、この世界に入っても生の現実があるわけではない。ここで、私たちは、映画の風景は現実の風景と一致しているが同時にまた表象しているという問題に直面しているのだ。したがって、観光地もある意味ファンタジー・ランド≠るいはメディア・ワールド≠ネのである。(182頁)

 このことは、現在別に読み進めている『巡礼ビジネス ポップカルチャーが観光資産になる時代』(岡本健、角川新書、2018年12月)を取り上げた時に関連する問題でもあります。
 第7章の「見ることと写真」は、今では日常的となった写真に撮るという行為が、観光との関係で興味深く語られます。旅人が撮る写真や、インスタグラムの意義が新たな視点で見えてきました。

観光写真の大半は「引用」の儀式なのだ(Osborne 2000: 81 参照、同じく、Selwyn 1996; Jenkins 2003 参照)。観光者は、自分が出かけるとなると、そこでまた自分用に画像を探し求め、捉えることになっていくのだ。このことで結局、旅行者は、出かける以前から見ていた画像を自分たちも撮影してきたというのを友だちや家族に見せて、自分たちも本当にそこに行ったのだということを見せびらかすということになっていく。写真は、ある人が本当にそこへ行った、あるいは、その山はこのぐらい高かった、あるいは、そこの文化は実際に絵のようだった、あるいは、自分は家族そろってほんとうの団欒の時をもてたということの証拠品を提供するものとなっている。(279頁)


デジタル写真は写真画像を瞬時に出し、転送可能ににし、即、ディスプレー上で消費可能にしてくれる(Lister 2007; Larsen 2008a; Murray 2008, Rubinstein and Suis 2008. 図7.1参照)。「あのときあったこと」というアナログ写真の一過性にたいして、デジカメのディスプレーは継続中の出来事をここですぐ見せてくれるし、撮影、対象、消費の三つの空間も近接している。「アナログ写真」が将来見る人に向けてのものであったのにたいして、携帯写真(とかワイ・ファイ装置で使うデジカメ)は「時間を問わず」移転し、受信者は多少の差はあるものの同時に出来事を眺めることができる(Gve 2007, Hjorch 2007: Villi 2007, Larser 2008. 772参照)。こういうことが言える。すなわち、出来事を伝える「生中継の絵はがき」だと。デジタル写真が象徴しているのは、「即時性」、「今という力」、それから私たちが名付けたいわゆる「モニター性」である。(282頁)


 日常の中から、観光者の視点で非日常の形に切り取って、記念や思い出として固定し、いつでも再現できるのみならず、多くの人と共有できる動画像にしているのです。そうした今を、あらためて見直す視点を、まなざしというキーワードで体感させてくれました。
 なお、次の一文は、「観光」という言葉が持つ意味を考えさせてくれます。その軽い扱いに、私は戸惑うばかりです。

カメラと画像は観光者のものの見方を簡略化し機械的にした。複雑な場面もまるでお手軽で準備が整った写真用場面となり、体験と観ることは同類となり、観ることはとどのつまり、一督程度で、シャッターを切って写すためだけなのだ。現代の大衆観光への規範的な批判の多くは、D・ブーアスティンにはじまり(Boorstin 1964)、カメラ観光者の「別界」との遭遇方法を冷笑することがその中心にある。したがって、写真の位置づけをめぐって不毛の観光旅行者二分法が存在するのは驚くにあたらない。他の場面では洞察力のある考察をするJ・ティラーが、唐突に(という風に見えるが)、観光者で写真を撮る者を三つに区別しているのだ。「旅行者」(深くまなざしを投げかける人)、「観光者」(浅薄な一瞥の収集家)、「日帰り行楽をする人」(何にたいしても、一瞬、ざっと見る、あるいはスナップ写真を撮る人)というものだ(Taylor 1994: 14)。(289頁)


 第9章における、石油と観光を結び付けた問題提起は、こうしたことに無自覚だった私に刺激を与えました。

 観光は大量の石油を消費するが、この石油は不平等で腐敗した体制を下支えする役目をはたしていて、そういう体制がテロを生み、そこで観光者は場所によっては爆弾攻撃をうける危険性もある。観光地にはテロリストがふとやってくることもあるのだ。石油は世界を動かしている。しかし、その世界は観光の世界でもありテロの世界でもある。さらに油で世界が潤滑されるのはどうやらだいぶ減速をしてきているようだ。旅はますます高価になり、それが国際観光の長期的成長に疑問符をつけている。(356頁)


 観光に関して、これまで私は読み物風の新書をターゲットにして、遍巡っていました。そこへ、本書のような本格的な問題意識で観光を論じたものを読んだことになります。理解するのに、非常に時間がかかりました。しかし、対極的な見地からの観光の問題点が朧げながら見えてきました。いい読書体験となりました。【4】
 
 
 
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2020年10月17日

突然の電話で懐かしさから生気が蘇る

 「生きてて良かった」としかいいようのない電話がありました。
 今日は、大阪観光大学での入試業務に当たり、数人の先生方と打ち合わせをしてから、京都の家に帰りました。暗い玄関に入ってすぐに、携帯電話ではなくて自宅の固定電話の呼び出し音が鳴りました。受話器を取るやいなや、「オー」と声をあげました。
 相手は、なんと30年ぶりに声を聞くことになる、かつて指導困難校として知られていた高校で苦楽を共にした仲間です。
 彼は、高校の教員を辞めて中国の大学で教員生活をしていたことなどもあり、なかなか会えずにいました。年賀状のやりとりだけで、お互いの動向を知っていました。江戸文学というよりも、歌舞伎や伝統芸能の研究者です。かつては、高校の文化祭で一緒に「勧進帳」をやろうということになり、彼が弁慶で私が富樫の役ということで、台詞を覚えたりもしました。これまたいろいろとあり、残念ながら実現はしませんでした。
 ブルックナーの音楽を、彼のアドバイスでいろいろな指揮者の演奏をほぼ集め尽くし、数多くの異なる版の演奏の違いを聴き較べたりしました。『源氏物語』だけではなく、音楽における異版の研究のおもしろさを教えてもらいました。今でも、疲れた時には、ブルックナーを聴きます。第4番の「ロマンチック」が大好きです。1時間の長さなので、いつしかウトウトしていますが。
 その彼から、明後日に祇園へ来られないか、とのことです。
 今、彼は祇園のお茶屋さんと懇意になり、その関係で私のことを思い出して声をかけてくれたのです。
 30年ぶりの第一声がこれです。しかも、偶然にその日は歯医者に行くこと以外には、何も予定が入っていないのです。歯医者は予定を変更すればいいことで、まさにラッキー以外にありません。
 この世界のことは、「ド派手な「舞妓Haaaan!!!」」(2007年07月10日)という記事に書いたことしか知りません。
 その後、1時間以上も懐かしさで受話器を置けないままに、トントン拍子に予定が決まりました。
 こんなことがあるのです。奇遇を喜び、楽しんでいます。
 行き先が行き先なので、どうなるのかはわかりません。それがまた楽しみです。
 このことは、またあらためて記します。
 
 
 
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2020年10月16日

郵便制度変革の時代に

 小さい頃から慣れ親しんできた郵便の配達が、これから大きく変化していきそうです。以下、『朝日新聞』(2020年10月16日、藤田知也・井上亮)の記事を元にして記します。
 まず、郵便の土日配達が来秋から廃止となるようです。これは、郵便法改正案の提出が今月下旬に予定されているので、実行にうつされることでしょう。週末に届く便は翌週となります。これによって、年間600億円以上のコスト削減が実現するようです。どの世界でも、人件費の占める割合が多いのでしょうか。
 ただし、「速達の土曜配達は維持し、速達料金は値下げを検討する。」となっています。しかし、現実に速達にすることは、私の場合にはほとんどありません。電子メールがあるので、恩恵をうけることはない部分です。
 そして、差し出し日から3日以内に届けるというルールが、4日以内に緩められるとのこと。これによって、郵便物全体がこれまでよりも1日遅く届くことを覚悟しなくてはなりません。今私は、相手の所に確実に届ける時に郵便を使う程度なので、影響はあまりなさそうです。
 国内ばかりではなく、海外に小形荷物を送る場合には、料金が5倍になることもあるようです。この小型とは、縦横高さの合計が90センチで、重さが2キロまでの荷物です。
 これは、来年4月1日からの実施予定で、平均で約4割、最大で5倍の値上げとなるとのこと。ただし、何でもかんでも海外に送るものが値上がりではありません。手紙やはがきに加えて、国際スピード郵便(EMS)などの料金は変わらないようです。私は、海外に書籍や資料を EMS で送ります。これには影響がなさそうなので一安心です。もっとも、ネット通販などでは大変なことになるでしょう。
 小形包装物の値上げについて、朝日新聞の記事では「航空扱いの小形包装物では、米国向け50グラムまでの場合150円だったものが750円になる。」と、わかりやすい例を示しています。
 海外への郵送は、特にアメリカへは気をつけなくてはいけないようです。
 
 
 
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2020年10月15日

わが母の記(8)イカに中たったこと

 この前に母のことを書いたのは、何と10年半も前のことになります。「わが母の記(7)叱られると押し入れに」(2010年04月07日)がそれです。
 子供たちは、よくおばあちゃんのことを思い出しては話してくれます。優しかったので、いつまでも楽しい思い出と共にいるようです。母は、16年前に84歳でなくなっています。
 その母とのことで私がまず思い出すのは、父と姉には内緒で食べたイカに中たって、お腹が痛み苦しんだことです。
 島根県の出雲市から、私たち家族は小学5年生の時に大阪に出てきました。これは、2歳上の姉の中学入学に合わせて転校したためです。それまでは、父だけが大阪で出稼ぎで働いていました。満州から日本に引き揚げてから、父はいろいろな仕事を経て、大阪で証券マンとなりました。それが、昨日書いた山一證券です。
 移り住んだのは、東淀川区にある家の2階で、六畳ほどの広さの屋根裏部屋でした。急遽取り付けたと思われるハシゴで昇り降りをしていました。その屋根裏の隅に半畳に満たないベニヤ板を1枚置き、そこにプロパンガスのボンベとコンロがありました。そのコンロで、母が買ってきたばかりのイカを炙り、父と姉には内緒で食べたのです。すぐにお腹が痛くなりました。病院騒ぎとなり、父と姉にこの母との秘密がばれてしまったのです。
 隠し事などない家族でした。しかし、このことばかりは、母と私だけの内緒のことだったのです。なぜ母がイカを2人分だけ買ってきたのか、今となってはわかりません。当時からひ弱だった私に、栄養をつけようとしていろいろなものを特別に食べさせてくれたことは、何度かありました。その内の一コマだったのでしょう。
 今で言う食中毒でしょうか。しかし、大事には至りませんでした。以来、このことを母と話したことはありません。母にしても、いつもの通り、すぐに忘れてしまっていたと思われます。満州でよほど酷い体験をしたせいか、何事にも動じない母でした。何事も大らかに生きる人でした。お腹を痛めた私が、こうして楽しく思い出すのです。明るく愉快な思い出の一つです。
 
 
 
posted by genjiito at 21:47| Comment(0) | *回想追憶

2020年10月14日

わが父の記(8)父の仕事(その3)和歌山へ証券を運ぶ仕事に思う

 私が中学生の時のことなので、今から50年ほど前のことです。今はなき山一證券を定年退職した父は、四条畷にあった証券会社に再就職しました。
 八尾市の高安に住んでいた頃なので、通勤はそんなに遠いところではありません。しかし、間もなく和歌山に通い出しました。まだ今のように宅配便が一般的ではなかったこともあってか、毎日のように四条畷にあった証券会社に出勤すると、受け取った証券などを持って、電車で和歌山まで運んでいました。飛脚のような仕事をしているんだ、と思いながら父の仕事を見ていました。
 長時間電車で移動するので、大変だろうなーと思いながらも、川柳を作るのが趣味だったので、道中は句作に励んでいたことでしょう。亡くなる直前に、父の川柳を句集『ひとつぶのむぎ』にまとめて私家版として刊行しました。「わが父の記(1)感謝の念を伝える」(2008年03月26日)に、その経緯を記しています。
 和歌山に行く道々の作品や成果も、その句集の中には多く収録できたはずです。
 父と同じ年代になった今、私も和歌山に向かう長旅の日々を送っています。車中で本を読みながら、父はこの車窓からの風景を見て、どの句を作ったのだろうと、思いを巡らすことがあります。
 もっと話をするんだった、という思いになることが多くなりました。満州での生活や、シベリヤへ抑留された時のことは、ほとんど聞かずじまいでした。いや、語ってくれませんでした。語って理解してもらおう、などという世界とは違う、異次元を生き抜いた父だったように思っています。

posted by genjiito at 22:34| Comment(0) | *回想追憶

2020年10月13日

欠陥商品だった自動センサー式液体食器洗い洗剤器

 新型コロナウイルスの流行が拡大し出した本年3月、食器を洗う時にスポンジなどをかざすと液体洗剤が出てくる製品(オートディスペンサー)を購入しました。商品名は「ELPA オートディスペンサー 液体タイプ 乾電池式 ESD-06ES」(朝日電器)です

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 ところが、欠陥商品を渡されることが常態となっている私のことです。案の定、今回も思い通りには動きません。またまた欠陥商品を渡されたのです。
 その症状は、3回以上センサー部分にスポンジを近づけないと洗剤が出ない、ということから始まりました。少し出たようなので、もう少しと続けて差し出すと、今度は大量に出てきます。飼い慣らすのが大変な道具でした。出ない時には、10回差し出しても一滴も出ません。
 しばらくすると、まったく反応しなくなることの繰り返し。やがて電池切れです。単三電池4本を交換しようとフタを開けると、電池ボックスの中が洗剤で濡れています。構造からしても、下のボトル部分に入れてある液体洗剤が、このボックスまで上がってくることは考えられません。上から出なかった洗剤が、どこかから漏れて電池ボックスに流れ込んで来たのでしょう。電池のお尻が錆びているものもありました。電池を交換すると、また五月雨式に出たり出なかったり。まったく反応しなくなったら、電池ボックスが洗剤で濡れているので、電池のお尻を拭いてやると、また不規則な動きをします。法則性がなさそうなので、どうしようもありません。
 メーカーに相談の電話をしました。すると、「ただいま混み合っていますので、後ほどおかけ直しください。」という留守番対応となり、ガチャっと切れます。「順番におつなぎします〜」ではないのです。それではと、保証書に記された東京の方に電話をしても同じです。昨日のやりとりでわかりました。東京へ電話をしても、本店のある大阪に転送されるだけなのだそうです。
 4月から月に一度は、こうして2か所に電話をしていました。しっかりと、電話代だけは毎回取られています。
 昨日もまたダメだろうと思いながらも、サポート窓口に電話をしました。すると、今度はどうしたことかつながりました。半年間、テープを流して居留守を使っておられたようです。
 担当者に、事情を説明しました。すると、領収書がないとどうしようもないとのことです。探しても見つかりません。そこで、購入したエディオンという家電量販店はポイントカードに購入履歴が残るので、それでもいいかと確認すると、それでもいいとのことでした。
 早速近くのエディオンへ動かない製品を持って行き、事情を説明して購入履歴を確認してもらいました。すると、製品をメーカーに送り返すのではなくて、店頭にあった現品とすぐに交換してもらえました。メーカーのモタモタした対応とは雲泥の差があります。
 それにしても、あのメーカーの電話サポートの失礼さには、苦情を言いたくなります。大量生産品には、一定割合の欠陥品は混在するものであり、それらが流通しています。問題は、それに気付いたら、メーカーとしてどのような対処をするかです。新型コロナウイルスの流行をいいことにして、居留守を何ヶ月も続けるのはいただけません。

 なお、「薬用せっけんミューズ ノータッチ 泡ハンドソープ」が欠陥商品で交換してもらったことは「京洛逍遥(644)悩ましいことをいくつか抱えて四条へ」(2020年07月26日)の中程に概略を書きました。該当部分を引きます。
 年明けに、手をかざすと石鹸が出る機械を3台買いました。その内の1台がすぐに故障したので、電話で修理を依頼しました。3月の中旬だったと思います。メーカーからは、交換品を送るのが7月20日頃になる、とのことでした。耳を疑う気の遠くなる話ながら、本当のことです。そして2週間前に、1週間も早く突然、不良品の交換品が届きました。

 この時には、交換までに4ヶ月もかかりました。欠陥品に囲まれた生活も疲れます。消費者には、このような忍耐力が求められる時代です。
 
 
 
posted by genjiito at 20:10| Comment(0) | ◎情報社会

2020年10月12日

京洛逍遥(662)秋風を感じながら

 新型コロナウイルスの感染者は、京都では一日十人前後で安定しています。

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 最盛期の外出自粛による余波で賑わった賀茂川畔は、今は終息して普段のお散歩道となっています。
 川風は、もうすっかり秋の気配です。
 北大路橋から上流の北山・上賀茂神社の方は、雲に覆われていました。
 左端に、京都五山の送り火で知られる船形が、低い斜面に顔を覗かせています。

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 下流の下鴨神社の方は、爽やかな秋空です。
 左端に、大文字山の「大」の字が見えます。

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 北風が川に沿って南北に吹き曝す来月下旬までのしばらくは、気持ちよく散策を楽しめます。
 今年は、去年よりも鷺も鴨も多いように思われます。
 
 
 
posted by genjiito at 20:57| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2020年10月11日

映画雑記『見えない目撃者_2019』(日本版)

 この映画は、かつて観たことがあるということを、観始めてしばらくしてから気づきました。さらには、元になった韓国映画『見えない目撃者』(字幕版)を、前日に観たことにすらしばらくは気づかないほどに、できあがりが違っている作品でした。
 オープニングは同じです。しかし、亡くなった弟の墓参りから違ってきます。誘拐犯人にぶつかりそうになった若者が、手足になって捜索に手を貸します。
 作りは緻密で丁寧です。人間のつながりを温かく見つめています。
 誘拐され、監禁されている少女が、丁寧に描かれています。
 母は防犯スプレーを渡します。
 殺害された少女の部位から、六根清浄の教えが犯行動機だという線が見えてきます。
 無関心が物語の背景にあります。
 犯人が警察官とつながりがあるというところから、話はさらにおもしろくなります。その警察官が、数年前の同じような事件の目撃者だったのです。
 スマホでの誘導に、「2時の方向」などと的確に指示を出します。盲導犬も犯人に刺されます。猟奇殺人事件にポイントが絞られていきます。緊迫感と迫力が伝わってきます。
 細かなところは元の韓国版と同じようでも、仕上がりはまったく違います。あまりの違いに、その背景や理由が知りたくなりました。
 こう書いた後に、以前この作品のことを本ブログに書いたことに思い至りました。ちょうど1年前です。そのことに今の今まで気付かないとは、暢気なものです。「映画雑記『見えない目撃者』(2019.9.20 公開)」(2019年10月05日)
 そこでは、この映画の細部に反発を感じたようで、批判的なことばでつづっています。今回は、それほどではありませんでした。前回観た記憶が背景にあり、物語の展開に気持ちが追いついたからでしょうか。不思議な体験をしました。
 昨日の記事「映画雑記『見えない目撃者』(韓国映画・字幕版)」の末尾に、なかざわ ひでゆき氏の「【深読み映画レビュー】『見えない目撃者』 韓国版・中国版との比較も!」を引きました。韓国→中国→日本と、3種類のバージョンが提示されているのです。3カ国における文化の違いを考える上でも、異文化論の対象となる興味深い映画だと言えるでしょう。【4】
 
 
 
posted by genjiito at 20:00| Comment(0) | ■視覚障害

2020年10月10日

映画雑記『見えない目撃者』(韓国映画・字幕版)

 この映画は、韓国映画『ブラインド』(2011年8月)として2014年に日本で公開されたものです。
 兄弟愛を背景にして、生きる意味を問う形を取りながらも、非常に暴力的な映画だと思いました。視覚障害者を利用した、差別的な意識が漂う印象も持ちました。どの場面がそうだというのではなくて、会話と表情と行動においてです。荒れ果てた人間の心が産んだ作品だ、との感想を抱いた映画です。
 自分の運転で交通事故を起こし、同乗していた弟を亡くした上、自分は目が見えなくなった女性警察官シャオシンが主人公です。
 点字、盲導犬、点字ブロックなどの小道具に、つい目が行きます。日本とどう違うのかと。
 母から渡された盲人用の障害物感知器は、初めて見ました。杖が届かない物を振動の強弱で感知する、掌に収まる小道具です。これが最後に、主人公の身を護ります。
 主人公は失明して3年間、点字などを学び、復職を目指します。しかし、そのことはいつしか物語からは触れられなくなっていきます。目が見えないことについては、問題意識に鋭さがなく、そのことへの切り込みが不十分です。盲導犬の扱いについても疑問があります。
 字幕に数回出てきた「盲心」ということばが、原語では何と言っているのか気になりました。
 主人公は記憶を頼りに、辛抱強く捜査に協力します。元警察官なので、要領を得た協力です。そして、女子大生失踪事件とリンクしていきます。展開の妙に目が離せなくなります。観客の心理を心得た、巧みな物語です。
 見終わってから、女性を偶像崇拝する傾向があることに違和感を覚えました。【2】

※2016年に中国で制作されたリメイク版は、まだ見ていません。
※2019年の日本版の映画については、引き続き次回アップします。

 参考までに、なかざわ ひでゆき氏の「【深読み映画レビュー】『見えない目撃者』 韓国版・中国版との比較も!」(https://eiga-board.com/posts/3323?p=2)から、3種類の映画の「あらすじ」を比較している部分を引用します。

<韓国版『ブラインド』・あらすじ>

 かつて警察大学の優秀な学生だったスア(キム・ハヌル)は、母の運営する孤児院で姉弟同然に育ったダンサー志望の若者ドンヒョン(パク・ボゴム)を連れ帰る途中で交通事故を起こし、逃げ遅れたドンヒョンは車ごと橋から落下して死亡。スア自身も視力を失ってしまいます。それから3年後。視覚障碍者となったスアの乗車したタクシーが何かに衝突します。運転手は犬を轢いてしまったと言いますが、しかしスアはそれが人間であることに気付いてしまう。慌てた運転手は被害者をトランクに押し込めて逃走します。

 すぐに警察へ届け出るスアですが、警察の対応はいい加減。しかし、聴覚や嗅覚を駆使した彼女の鋭い観察力に驚いたチョ刑事(チョ・ヒボン)だけが彼女の言葉に耳を傾け、やがて世間を騒がせている女子大生失踪事件とひき逃げ事件の関連性が浮上します。そこへ第二の目撃者である若者ギソプ(ユ・スンホ)が名乗り出るも、2人の証言の食い違いに警察は困惑。やがて、犯人(ヤン・ヨンジョ)はアルバイト帰りのギソプを襲撃し、さらには地下鉄でスアにも襲いかかります。スマホのビデオ通話でギソプに誘導され、なんとか間一髪で難を逃れたものの、大切な盲導犬チヘを殺されてしまい悲しみに暮れるスア。徐々に姉弟のような絆で結ばれていくギソプとスアですが、そんな2人に再び犯人の魔手が忍び寄ります…。

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<中国版『見えない目撃者』・あらすじ>

 新人女性警官のルー・シャオシン(ヤン・ミー)は、バンド活動に熱中して学校を退学した弟リャン・ツォン(リウ・ルイリン)に腹を立て、ライブ会場から無理やり連れ戻したところ、交通事故を起こして弟は死亡。シャオシン自身も視力を失います。それから3年後、たまたまシャオシンの乗ったタクシーが何かに衝突。運転手は犬を轢いたと言いますが、そのうめき声からシャオシンは人間の女性だと気づきます。犠牲者をトランクに押し込めた運転手はそのまま逃走。すぐさまシャオシンは警察へ届け出ます。温厚なルー刑事(ワン・ジンチュン)はにわかに彼女の証言を信じられなかったものの、事故現場付近で行方不明者の届け出があったことから警察が動き始めます。

 すると、ローラースケート少年リン・チョン(ルハン)が第2の目撃者として名乗り出る。最初はリン・チョンを懸賞金目的の不届き者だと思っていたルー刑事でしたが、彼が犯人(チュウ・ヤーウェン)に襲われたことから考えを改めます。やがて、出会い系アプリを悪用した女子大生連続失踪事件との関連性が浮上。そうこうしているうち、シャオシンはバスで犯人につけ狙われ、スマホのビデオ通話でリン・チョンに誘導されて命を救われるものの、盲導犬コンコンが殺されてしまいます。実はリャン・ツォンの大ファンだった音楽好きのリン・チョン。亡き弟を介して姉弟のような絆を育むシャオシンとリン・チョンですが、そんな2人に犯人が襲い掛かります…。

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<日本版『見えない目撃者』・あらすじ>

 警察学校の卒業式当日に交通事故を起こし、最愛の弟・大樹(松大航也)を死なせてしまい、自らも視力を失ってしまった浜中なつめ(吉岡里帆)。それから3年後、悲しみと後悔のどん底に生きているなつめは、ある晩たまたま車の接触事故と遭遇します。慌てて立ち去る車の中から、助けを求める少女の声を耳にするなつめ。すぐに警察へ届け出る彼女ですが、話を聞いた木村刑事(田口トモロヲ)も吉野刑事(大倉孝二)も取り合ってはくれません。しかし、これが誘拐事件だと確信するなつめは、車との接触事故を起こしたスケボー少年・国崎春馬(高杉真宙)を探し出して協力を求めます。

 事件に気付きながらも犯人の姿を見ていないなつめと、犯人の姿を見ていながら事件に気付かなかった春馬。はじめこそ迷惑がっていた春馬ですが、しかしなつめの熱意に押されて調べ始めるうち、2人は家出女子高生たちの間で噂になっている謎の人物「救様」の存在にたどり着きます。やがて、荒れ果てた廃墟の裏庭で発見された女子高生たちの無残な死体。その傍で見つかった自殺者が犯人かと思われましたが、しかしその陰惨な儀式的殺害方法を目の当たりにした木村刑事は、15年前に起きた猟奇事件と何らかの関係があるのではと疑い始めます…。

 
 
 
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2020年10月09日

広瀬さんの新著『それでも僕たちは「濃厚接触」を続ける!』

 研究仲間の広瀬浩二郎さん(国立民族学博物館)が、楽しい本を刊行します。
 目の見えない方々が物を確認しようとする時、触らないとどうしようもありません。認知と情報共有をもとにコミュニケーションを取る上で、これは欠かせないことです。しかし、新型コロナウイルスの拡大に伴い、触らない、ということが推奨される社会的な風潮が出来上がりました。これで良いのでしょうか。

 広瀬さんが、これに答えを出しています。それが、新著『それでも僕たちは「濃厚接触」を続ける!』です。以下の画像をクリックすると、精細な表示となります。

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 送っていただいたメールの一部を引いて、新著の紹介とします。

 コロナ禍を吹き飛ばす「触発の書」です。
 コラムをまとめるだけでは新しさがないので、国立民族学博物館所蔵の資料写真を多数掲載しました。
 写真を見たら、実物にさわりたくなるというコンセプトで、各資料写真のキャプションでは、僕が資料にさわった印象を述べています。
 新著の前半は「世界の感触」写真集、後半は文章(連載コラムの拡大版)という構成です。
 前半の写真集はカラー印刷です。
 どさくさ紛れに(?)僕自身が撮った通勤時の風景写真も6枚ほど入れています。
 後半の文章部分はあらためて「ユニバーサル・ミュージアムとは何か」についてじっくり考える三つの章から成り立っています。

 今回も「さわる表紙」にはこだわりました。
 濃厚接触をイメージする触図は、さまざまな触感を伝えてくれます。
 昨年のシンポジウムのチラシでもお世話になった桑田知明さんのデザインです。
 視覚障害の有無に関係なく、多くの方にぜひ触れていただきたい「さわる表紙」となっています。


 さらに詳しくは、以下の小さ子社のホームページで確認してください。
 https://www.chiisago.jp/books/?code=9784909782069
 刊行されたら、またここで紹介します。
 まずはお知らせまで。
 
 
 
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2020年10月08日

読書雑記(301)アレックス・カー+清野由美『観光亡国論』

 『観光亡国論』(アレックス・カー+清野由美、中公新書ラクレ、2019年3月)を読みました。

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 最近、観光関係の本を読み漁っています。しかも、初心者用の入門編として刊行されている読み物を。
 これは、予想外に観光学というものが、学問領域において立ち後れていることを知ったからです。今、新型コロナウイルスが観光業界や観光地を大混乱に陥れています。しかし、そのことに関して、観光学の分野から学問的な知見はほとんど社会に還元されていないようです。マスコミなどに観光学者がまったく呼ばれないことは、その表れではないかと思っています。なぜなのだろう、というところから、原点に返り、初心者は初心者らしくわかりやすい読み物からその基礎的な知識を蓄えることにしたのです。というよりも、観光学とされる分野から刊行されている専門書は、まずは単語レベルで躓いてしまい、私の理解にほど遠いからでもあります。

 いろいろと読んできたせいか、本書のインバウンドやオーバーツーリズムに関する事実確認の頁は、これまでの本でも指摘されていることなので読み飛ばすようになりました。本書は1年半も前の刊行なので、その数値も、その分析も、現在の新型コロナウイルスによる観光客激減の今の実態との接点は希薄です。
 観光が新型コロナウイルスによって打ちのめされた今、本書はインパクトを欠いた物となったことが惜しまれます。しかし、合間合間に語られる話には、注意してチェックした箇所が多いのです。また、読みやすい本なので、疲れません。
 この本の中から、いくつか抜き出しておきます。「看板公害」「視覚汚染」「聴覚汚染」ということばも、新鮮な響きをもっています。

■観光地の看板の多さを嘆き、対応策3点の提示
・看板の数を減らす。
・看板の位置を検討する。
・デザインに配慮する。(126頁)



■無意味な撮影禁止
 京博や奈良博よりも、さらにかたくなに「秘仏精神」を守っているのが、ほかならぬ寺社です。たとえば京都の禅寺に残る襖絵は、日本の誇りといえる美術品ですが、「秘仏精神」、あるいは著作権への強い執着心によって「撮影禁止」が行き渡っています。
 写真撮影を解禁している美術館や寺院は、写真を撮ることが来館者の勉強になることを理解しています。誰かが写真をネットにあげたとしても、それが自分たちの持っている宝物の発信になるととらえています。(129頁)



■多言語表示は本当に必要か
 最近では、世界各国から観光客を日本にお迎えしましょう、という背景もあり、英語、中国語、韓国語、フランス語、スペイン語、アラビア語と、看板に記される言語にもキリがない状況があります。国際的な観光機運の中で、多言語表示は、基本的には良いことではあります。ただし日本の場合、インバウンド増加を呼び水に、もともと過剰な看板が多言語化して、2倍、3倍と増えていく事態を招きかねません。実際に福岡県のあるお寺では、外国人観光客が急増したことで、境内での飲酒飲食やスケートボードの乗り回しなどマナー違反も急増。12か国語でマナーを喚起する看板を設置しました。しかし、それでも効果はなかったそうです。
 さらに気をつけるべきは、観光名所や商業施設などで、マナー喚起のアナウンスを多言語でエンドレスに流す動きです。看板は目をそらせば見なくてすみますが、耳を直撃するアナウンスからは逃れられず、それは精神的なストレスになります。アナウンスにも適切なやり方を取り入れなければ「視覚汚染」のみならず「聴覚汚染」も広がってしまいます。
 言語に限っていえば、日本語と英語、もしどうしても必要なら中国語、という3か国語で事足ります。(131頁)



■観光地での翻訳の品質
 観光客が興味を持つポイントは、それぞれの母国の文化によって違いますし、また興味を満足させるための文章表現、スタイルも変わってきます。そのためには、外国からのインバウンド動向に詳しく、文章表現のスキルのある人に頼む必要があります。外国人の翻訳なら誰でもいいわけではないのです。翻訳には、その国の文化レベルが如実に現れます。翻訳はきちんとしたプロにお願いして欲しいと強く感じています。(133頁)



■家の中で傘を開くことを不吉とする文化
ある新設のホテルでは、レストランの照明シェードに、逆さにした和傘を取り付けていました。デザイナー目線で見た和風≠フ新しい解釈なのかもしれませんが、この光景を見て、知り合いの京都人はぞっとしたそうです。なぜなら京都には、家の中で傘を開くことを不吉な印として忌み嫌う文化が今も伝えられているからです。
 これらの現象は、日本の文化や伝統に対する観光客や事業主の無知、という表面的な問題だけではなく、根本に別の要因があります。それはすなわち、当の日本人が自分たちの伝統の着物や、町家のような空間の継承を放棄したということです。まがい物の着物や逆さの傘は、単純に「デザイン目線」から生まれたものではなくて、「観光客を喜ばせるために、無理に創造した日本」として、ほかならぬ日本人が作ったものなのです。
(145頁)



■世界遺産の変質
 ユネスコサイドは、世界遺産に登録された後、徐々に始まるのではありません。登録された段階、もしくはその前でも起こります。
 ミャンマーにあるバガン遺跡は世界三大仏教遺跡の一つで、11世紀から13世紀に建てられた仏塔や仏教遺跡が3000以上も残る、実に神秘的な場所です。有名なカンボジアの世界遺産であるアンコールワットより、さらに規模が大きく、気球に乗って日の出を見るツアーが観光客から人気を博しています。
 ミャンマー政府はかつてバガンの世界遺産登録を進めましたが、軍事政権下ということもあり、遺跡の管理体制が十分でなく、話は進展しませんでした。その後、民主化を機に世界遺産登録への機運が再び高まり、その盛り上がりと並行するように、観光客がワッと押し寄せるようになりました。
 夕方になれば絶景スポットとされる高さ数十メートルほどの寺院に人々が大挙して集まり、その混み合うさまは古代寺院の神秘どころではなく、危険そのものです。中には夕暮れをBGM付きで楽しみたいということで、あたりかまわず音楽をかける人も出ているといいます。
 ユネスコサイドの流れは4段階を踏んで進みます。

1、世界遺産に登録される、あるいは登録運動が起こる。
2、観光客が押し寄せて遺産をゆっくり味わえなくなる。
3、周辺に店や宿泊施設が乱立して景観がダメになる。
4、登録地の本来の価値が変質する。(155頁)



■地方の町や村と観光
 人口減少が進む日本、とりわけ地方の町や村は、観光という起爆剤を持ち込まないと、やがて経済が回らなくなり、消滅への道をたどってしまいかねません。町の消滅は、同時に文化と歴史の消滅を意味します。(160頁)



■数は成功の指標とはならない
 観光が成功するためには、地域の活性化、雇用の改善、ダメージと収入のバランス、そこに住む人と訪れる人の喜びなど、もっといろいろな要素がある。それなのに数だけを指標にしたら、それは観光過剰を呼びますね。(181頁)



■本来の観光の姿
 「観光コミュニティ」とは、訪れた国の自然や環境、文化に触れ、地元の人々の精神的な部分までを理解することこそが観光だ、とする精神のことです。
 もちろん国を町、村、地域に置き換えても同じ。そのような「観光コミュニティ」の精神があることで、地方の小さな村の暮らしが成り立っていく。それを可能にする行動こそが、本来の「観光」なのです。
 残念ながら大型観光に「観光コミュニティ」の精神はありません。数十分だけ滞在して、写真を撮って帰る。そこには土地に対する愛情もなければ理解もない。受け入れる地域にしたって、そこから外部に発信できることは乏しいものです。(186頁)

 
 
 
posted by genjiito at 23:37| Comment(0) | ■読書雑記

2020年10月07日

読書雑記(300)佐滝剛弘『観光公害』

 『観光公害―インバウンド4000万人時代の副作用』(佐滝剛弘、祥伝社新書、2019年7月)を読みました。

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 京都に住んで1年になる著者が、日々の思いをまとめた本です。「まえがき」で、次のように言います。

 この論考は、自分自身がいつも旅人として異国の地を彷徨っている「観光」の当事者であり、今では大学で「観光」を教える立場になった研究者であり、観光庁が旗を振るDMO(着地型観光組織、詳しくは後述)の戦略立案の責任者の一人であり、さらには長年ジャーナリストとして世の中で起きていることを噛み砕いて伝えることを職業としてきた筆者が、日常生活と観光にどう折り合いをつけるべきかを、国内外の観光地を実際に取材・調査した体験を中心にまとめたものである。(7頁)


 本書は「論考」ではなく、あくまでも「読み物」です。そのため、読みやすい語り口で展開していきます。
 新型コロナウイルスによる観光打撃について、誰もが予想だにしなかった1年3ヶ月も前の刊行物なので、今となっては社会環境も情勢も本書に述べられたこととは、現状が大きく異なっています。
 次の言葉は、そうした観光全盛の時代を背景にした物言いです。

まだ二〇年も経っていない二一世紀を一語で形容してよいのかどうかはわからないが、「AIの時代」とも言いうるのと同じ並びで、「観光の世紀」になりそうな勢いを感じるほど観光産業が伸長している。(69頁)


 本書が書かれた当時とは社会情勢が激変している今の視点で、最後まで読んでみました。著者にとっては想定外の読まれ方をするわけで、申し訳ないとの思いと共に、書籍を通して語ることの意味を考えるのにいい機会となりました。
 読み進む中で、次の指摘には考えさせられました。現代の観光に内在する問題点が見えてきたからです。これも、新型コロナウイルスの影響で観光業が変質している今、これからの変化を追っていく必要があるように思います。

私たちは、殺到する観光客を悪者にしがちだが、その観光客の誘致に力を注いだり、地域住民よりも観光客の利便を優先してしまうのも、受け入れ側、つまり地元が主導している側面があることを忘れてはいけない。古都京都の静かなたたずまいを壊そうとしているのは、事情を知らずにやってくる外国人観光客ではなく、事情を知ったうえで、地域の景観や雰囲気を貶めることに加担する地域の業者だったりする。実は本当の対立構造は、儲けを重視して観光客を優先する「地域」と、知らず知らずのうちにそのマイナス面を引き受ける「地域住民」、つまり「地域」vs.「地域」だったりするかもしれないのだ。単純な二項対立では捉えきれないところにオーバーツーリズムの難しさが潜んでいるのである。(81頁)


 なお、先日読み終えた高坂晶子著『オーバーツーリズム』には、「観光公害」という表現は避ける傾向にあることが指摘されていました。そのことは今は措くとして、この「観光公害」ということばが持つ意味あいと、その問題の切り口は、新型コロナウイルスの脅威を体験している今、あらためて再検証されるべきでしょう。つまり、これまでのことは一端白紙に戻し、あらためて現状を見つめ直して「観光公害」ということばの意味を定義し直すべきだ、ということです。これは、「GoTo トラベル」という今直面している事態が終息してから、再確認していく問題となることでしょう。
 なお、本書には3つのコラムがあります。

「コラム(1)一風変わった外国人からのクレーム」
「コラム(2)お坊さんの専門誌に掲載された観光公害」
「コラム(3)江戸時代からあった富士山の「入山料」と「観光公害」」

 このコラムで指摘された問題点は、興味深いものでした。次の機会には、こうした情報をまとめていただくと、幅広い分野の方々が観光に関する分野の問題に興味が向き、理解も深まると思います。【2】
 
 
 
posted by genjiito at 23:48| Comment(0) | ■読書雑記

2020年10月06日

大阪大学箕面キャンパスで科研の業務に専念

 今日は終日、大阪大学の箕面キャンパスで科研の仕事をしていました。
 2017年4月から4年間の計画で取り組んだ科研費研究(基盤研究 A)「海外における平安文学及び多言語翻訳に関する研究」(17H00912)も、早いもので本年度が最終となりました。
 昨年末に中国の広州で開催した国際研究集会は『海外平安文学研究ジャーナル《中国編》』として編集が最終段階に入っています。
 年次報告書の最後となる『海外平安文学研究ジャーナル 9.0+10.0』(オンラインジャーナル、ISSN番号 2188ー8035)の編集も、先月のネットワーク越しの研究会の成果を掲載することで、目次のメドが立ちました。これから原稿の依頼と編集が始まるところです。
 今回のジャーナルの最終巻『9.0+10.0』では、これまでにお世話になった先生方に、多言語翻訳に関連するご自身の翻訳などと向き合う姿勢や、今何をしているか、あるいはこの科研との関わりからのエッセィなどを寄稿していただき、特集記事を構成したいと思っています。
 この科研は、多くの先生方のご協力を得て膨大な成果をあげ、それらはホームページ「海外平安文学情報」(http://genjiito.org)に結実しています。

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 このテーマを、来年度からは次の世代に引き渡すにあたり、『海外平安文学研究ジャーナル』の最終号に、チームプレイとしての共同研究に何らかの形で関わっていただいた先生方のことばを特集として残すことも、意義深いことだと思います。これから、お願いのメールを送る準備をします。ご協力のほどをよろしくお願いします。
 また、研究協力者とは別の視点で、ホームページ[海外平安文学情報]について利用者の方々からのご意見をお寄せいただけると幸いです。可能な限り、『海外平安文学研究ジャーナル』の誌上で紹介したいと思います。その際には、このブログのコメント欄を活用してください。
 
 
 
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ■科研研究

2020年10月05日

NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の相談ごとで京都市役所へ

 新型コロナウイルスのこともあり、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の活動が停滞しています。
 〈紫風庵〉での三十六歌仙と『源氏物語』の変体仮名を読む会は、本年2月からずっと休会が続いています。今月はなんとか開催したいと思っています。
 日比谷図書文化館での源氏講座も、2月から中断したままです。これは、11月から再開される見通しが立っています。
 そのほか、いろいろな計画が予定通りには実施できていません。
 そんなこんなで、京都市役所内にあるNPO担当窓口へ行き、報告と相談がてら提出書類のことでアドバイスをいただいてきました。
 担当部局は、京都市文化市民局です。そこの、地域自治推進室市民活動支援担当の尾嶋さんが、今日の担当でした。
 すぐに、手引き書やネットにアップされていない様式のデータを、添付文書として送ってくださいました。
 いつものことながら、素人の私にもわかるように、懇切丁寧に対応してくださいました。貴重なアドバイスにも感謝しています。ありがたいことです。
 市民活動は、私のような素人集団などは特に、手がかかるかと思います。しかし、それを熟知しておられるのか、実に親切に接してくださいます。
 ここのスタッフに助けられて、とにかくNPO法人は運営ができています。
 感謝、感謝の中で、NPO活動に取り組んでいるところです。
 会員のみなさまには、なかなか小まめに対応ができていません。
 甘えながらの運営については、ご寛恕のほどをよろしくお願いします。
 
 
 
posted by genjiito at 19:50| Comment(0) | ◎NPO活動

2020年10月04日

今日はお休みとします(10月-1)

 10月も、何かと慌ただしい月となっています。

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 今日は、大阪の天王寺で開催された、大学関係の2つの大切な会議に出席してきました。
 その後の打ち合わせも長時間にわたるものだったこともあり、本ブログ[鷺水庵より]はお休みとします。
 
 
 
posted by genjiito at 21:29| Comment(0) | *健康雑記

2020年10月03日

京洛逍遥(661)西院春日神社の「御東場」

 阪急西院駅の近くにあるジョーシン京都1番館に、マッキントッシュの周辺機器を買いにフラリと行ってきました。ここは、淳和院の跡地に建っていることもあり、外装が和風のデザインです。四条のアップルストアも和風であるように、こうした建物がポツリポツリと市内には点在しています。

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 この近くにある春日神社は、平安時代に淳和天皇の内親王である崇子内親王が疱瘡(天然痘)に罹った折、それを一夜で治したという由緒ある神社です。奈良の春日大神を勧請しています。今の新型コロナウイルス下において、ついでと言っては失礼ながら、通りかかったご縁でお参りをしてきました。

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 トイレをお借りしようと思い、社務所におられた方にお尋ねすると、別棟に案内されました。
 靴を脱いで建物に入ると、どうやらここがトイレのようです。男女は色で分かれていることと、描かれた鹿に角があるかどうかで区別があるようです。

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 それにしても、「御東場」を何と読むのかわかりません。調べてみると、宮家では「おとうば」と言っておられるようです。曹洞宗のお寺ではトイレを「東司(とうす)」と言っていることは、我が家がその宗派なので知っていました。ちなみに、同じ禅宗でも臨済宗では「雪隠(せっちん)」と言います。トイレにまつわる話は、おもしろいものが多いようです。

 帰りに通りかかった、少し南に下った一画の路地の雰囲気が気に入りました。こうした風景は、いつまでも残していきたいものです。

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posted by genjiito at 21:04| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2020年10月02日

読書雑記(299)高坂晶子『オーバーツーリズム』

 『オーバーツーリズム 観光に消費されないまちのつくり方』(高坂晶子、学芸出版社、2020年3月)を読みました。非常にわかりやすい説明がなされている本です。

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 設定したテーマを広く見回してから、問題点を具体的に丹念に追っています。提示する情報の出所が明確なので、安心して読めました。この手の本にありがちな、情熱からの思い込みや熱弁は、適度にセーブされています。文章もわかりやすく、質の高い本に仕上がっていると思います。
 特に、多くの図表が内容を的確にまとめています。極端なことを言えば、この図表をじっくりと眺めているだけで、著者の言わんとすることは伝わって来ます(29頁など)。
 オーバーツーリズムの問題点が、具体的な事例で示され、その対処策が示されていきます。何が問題で、どうすれば解決の糸口へのヒントがあるのか、よくわかります。
 よくわかる具体例として、海外の場合は、スペインのバルセロナ、アメリカのハワイ、タイやフィリピンの島、スイスのツェルマット、エクアドルのガラパゴス諸島、ネパールのヒマラヤ山脈が検討の対象となっています。国内の場合は、京都からはじまり、続いて、神奈川の鎌倉、沖縄の恩納村、富士山、北海道美瑛町。それぞれの問題点を提示し、その対処策を考えて行きます。わかりやすい展開です。
 また、SNSへの投稿内容をオーバーツーリズムの対策に活用することは、今後ともこの問題を考える上で有効です。問題点の指摘の後に、それぞれの対処策が提示されています。これは、本書のテーマを理解する上で助かります。
 最終章である「8章 レスポンシブル・ツーリズム」で、著者は「観光客の意識」の節で次のように言います。「レスポンシブル・ツーリズム(責任ある観光)」と「サステイナブル・トラベル(旅行先の環境やコミュニティに配慮した旅行)」の違いに言及し、その問題点を整理しています。少し長くなるのを厭わず、引用します。

 レスポンシブル・ツーリズムにおける観光客は、一方的にもてなされる立場ではなく、応分の責務や役割を担う存在である。観光地の自然・社会環境、住民(特に原住民)の生活・文化等に対して敬意を払ったり、保全に寄与する人物像が想定される。
 では、観光客自身は、レスポンシブル・ツーリズムについてどの程度意識しているのであろうか。世界的な宿泊予約サイトである「ブッキングドットコム(Booking.com)」が2019年に実施した「サステイナブル・トラベル(旅行先の環境やコミュニティに配慮した旅行)」に関するインターネットアンケート(世界8カ国、8歳以上で2018年中に旅行した男女約1万1千人を対象)によると、「次世代のために地球を守るには、人々はすぐに行動しサステイナブルな選択を行う必要がある」と回答した比率は、全世界では72%、日本では40%であった。また、「宿泊施設がエコに配慮していることを知った場合、その施設を予約する可能性は高くなるだろう」との回答者は、全世界では70%、日本では36%であった(表1)。
 総じて日本の旅行者のサステイナブル・トラベルに対する配慮・意識は、世界全体と比較すると低い傾向にあるが、その理由として、日本人の34%が「旅行は特別な時間であり、サスティナビリティについて考えたくない」と回答しており、責任ある観光よりも旅の特別感、解放感を優先する傾向が見てとれる。これには、日本人の旅行日数がアンケート対象国のうち最短であり、リラックス優先となりがちなことが関係していよう。あるいは、「よりサステイナブルな旅行を行う方法がわからない」とする日本人の比率は49%と、全世界の37%を上回っており、情報の少なさが影響している可能性もある。(240〜242頁)


 これは、今の日本実状を示しているように思われます。ただし、次の住民に対する2つの課題を解決することには、新型コロナウイルスに直面している今の日本ではハードルが高く、相当の時間が必要だと思われます。

 すなわち、オーバーツーリズム現象に対して住民が諦めつつ距離を置くかつての状況は変化しつつあり、日本でも観光と住民の関係性を問い直す時期が到来している。今後は、住民の観光(客)に対する受容力を向上させることが課題となろう。住民の観光受容力が重要な理由として、以下の2点が挙げられる。
 一つは、観光客の嗜好の変化に対応していく必要性である。観光客、とりわけインバウンドの間では、景勝地や伝統的建造物の見物だけでは飽き足らず、ユニークな体験をする「コト消費」や地元の日常生活に価値を置く傾向があることはすでに指摘した。この場合、必然的にコミュニティとの接触・交流が生じるため、住民の観光受容力が極めて重要となる。
 実際、観光客が街を散策するような場合でも、住民が友好的に受け入れる雰囲気の有無は観光客のはの満足度を左右する。ましてや観光客が道に迷ったり、天災等のトラブルに遭遇した場合、周囲からの声掛けや手助けの有無は、当該地域ひいては訪問国全体に対する彼らの心象を左右する結果となろう。これらのイメージがSNSで拡散し、大きな影響力を持つことは6章で指摘した通りであり、軽視はできない。
 もう一つは、地域の観光開発やまちづくりを適切に管理していく必要性である。近年のインバウンドブームを受けて各地で観光開発が進んでおり、著名観光地やリゾートではホテルや娯楽施設の建設ラッシュと地価の高騰が報じられている。これらの開発は観光客の受け皿整備として必要な側面もあるが、古くからの街並みに変容をもたらし、本来は観光振興のために保持すべき資源すら毀損される恐れがある。今後は、無秩序な開発に陥らず、住民生活にとっても、また観光にとっても好ましいまちづくり、地域開発が重要となるが、そのためには住民の観光に対する理解と地域の意思決定への主体的な参画が必要不可欠である。(249〜250頁)


 本書は、本年3月に刊行されたものです。ちょうど新型コロナウイルスが拡がりつつあった時であり、著者はこれに続く私論の構想を温めておられることでしょう。読みやすい本だけに、続編の観光が待たれます。【4】
 
 
 
posted by genjiito at 23:17| Comment(0) | ■読書雑記

2020年10月01日

読書雑記(298)望月麻衣『京都寺町三条のホームズ 13 麗しの上海楼』

 『京都寺町三条のホームズ 13 麗しの上海楼』(望月麻衣、双葉文庫、2020年1月)を読みました。

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 快調に「Introduction」が始まります。「とらや」に関する話は、私も体験しました。

「『とらや』の美味しさとそのブランド力は、誰もが知るところなんですが、一部の者には、『京都を捨てていった店』という感情もあるんです。ですから外の人が『とらや』を持参すると、『京都を捨てていった店のものを持ってきて。分かってへんのやなあ』という感情が生まれてしまう場合があります。特に、お詫びに使う場合は避けた方が無難でしょう。京都ブランドの和菓子をおすすめしますね」(14頁)


 話は、京都木屋町から上海へと飛ぶことが予告されます。大富豪の娘のイーリンが、いい役所として描かれます。

■序章「まるたけえびすに、気を付けて」
 「車折神社」の振り仮名に「くるまおり」とあるのは、何かのミスでしょう。その直前に、次の会話があります。

『……くるまおり神社?』
小首を傾げる桜子に、紅子は首を振った。
『「くるまざき」と読むんだって』(39頁)


 なお、通り名から人名を推定する説明には苦しいものがあります。

■掌編 『小松は見た』
 小松探偵事務所の隣の隙間で、ホームズが葵に口付けをしているところを小松は見てしまいます。話に色付けをするための挿話です。

■本編 『麗しの上海楼』
[1]小松探偵事務所、上海へ
 上海上陸を果たしたホームズこと清貴一行は、豊かに発展した街を旅人として回ります。旅の報告です。【1】

[2]上海博物館
 楽屋裏での目利きの雑談を聞かされているような内容です。【1】

[3]上海楼
 お金持ちの招待で行った上海旅行に付き合わされるだけでした。後半でやっと盛り上がりかけます。展開がバラバラで、品にかける文章になっています。【1】

[4]とある画家の秘密
 鑑定を誤った話です。そして、次の話につなぐために、しだいに盛り上がっていきます。【3】

[5]回顧録
 円生の貧しかった過去が語られます。感傷的というよりも、悲哀の滲む語り口に、この作者らしくないと思いました。
 話は次の章に続きます。【2】

[6]作戦遂行
 きれいに事件は解決しました。気持ちのいい、すっきりとした話に仕上がっています。【3】

[7]出発の夜
 円生が、鑑定士ではなくて画家として新たな道を歩み出す応援歌となる章です。本作品中の綴じ目として、完成度を高めています。【5】
 
 
 
posted by genjiito at 23:11| Comment(0) | ■読書雑記