2020年05月31日

京大病院で開腹手術をするまでのこと(1)

 昨日、四条河原町を少し下ったところにある、フレンチの川床料理をいただいていた時のことです。
 鴨川の川床は初めてです。貴船川の川床は経験しています。楽しみにしていたのに、配膳が始まってすぐに、食が止まりました。私には、よくあることです。
 帰る途中で、歩けないほどに痛みが広がりました。決して、料理のせいではありません。消化管を持たない、私の身体の問題です。
 家に帰り、横になっていても治りません。新三共胃腸薬や正露丸を飲んでもダメです。いつもなら、これで治るのに。
 尋常ではないので、救急病院を探してもらいました。しかし、土曜日の夜8時になっていたので、嵐山や宇治など、遠いところばかりです。
 思い切って、いつもお世話になっている京大病院に連絡をすると、運良く診てもらえることになりました。
 タクシーを飛ばして行きました。研修医さんたちからのさまざまな検査の報告を聞き、駆けつけてくださったのは、なんと10 年前に私の胃癌で消化管を全摘した現場にいらっしゃった先生でした。その後、外来でも完治までを診てもらいました。先生も私のことを覚えていてくださっていました。私に関する過去の膨大なデータを確認して、目の前のCT画像をスタッフと共同協議して、「絞扼性腸閉塞」と判定されました。そして、さらには命の危険があることを見抜き、すぐに開腹手術をする、と決断なさいました。あまりの急展開に、こちらがオロオロします。
 昨日のブログは、その間隙をぬって、スマホに入力したものです。看護師さんからは、手術室に入るのでスマホを妻に預けるように急き立てられます。そんな緊迫した中で、とにかく数文字を入力し、つながりにくい部屋からアップしました。わがままを聞いてくださったスタッフの皆さまには、感謝の言葉しかありません。記念すべき一件のブログとなりました。
 
 
 
posted by genjiito at 19:05| Comment(0) | *健康雑記

2020年05月30日

本日はお休みとします。

本日と明日は、用務多忙により、お休みします。
 
 
posted by genjiito at 22:57| Comment(0) | *健康雑記

2020年05月29日

大阪天満宮をブラリと観光

 大阪市内で会議があるために、午後から出かけました。いつもの京阪電車はガラガラです。
 通勤時間帯を外すと、混雑や密集はまったくないようです。

 一仕事を終えて戸外に出たところ、あまりの明るさに空を見上げると、昼の月が白く浮かんでいました。上弦の月でしょうか。私は、折々に節目/\に、きれいな月を見ることがあります。これも、何かいいことの知らせだといいのですが。

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 風も爽やかなので、ブラブラと大阪天満宮に向かいました。
 我が家の子供たち3人の宮参りや七五三のお祝いは、みんなここでやりました。

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 境内はまったく変わっていません。
 三十数年前、たしか車で境内まで入ったように思います。

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 当時は、このさざれ石があったのか、覚えていません。平成27年の奉納なので、なかったかもしれません。

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 「志留べ能石」は、明治十年の建立です。以前は刻まれた文字にあまり興味がなかったのか、まったく記憶がありません。

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 上方落語の定席である天満天神繁昌亭は、来月末までお休みです。

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 大阪天満宮というと、高田郁の『銀二貫』の舞台となっていたことも思い合わせられます。
 久しぶりに来て、子供たちが走り回っていたあの頃のままの姿であり続ける場所に身を置くと、思い出すことも楽しくて気持ちの良いものです。
 観光地が変わらないことは、リピーターのさまざまな思いを包み込んでくれます。それは、平穏であった証でもあるのです。
 新型コロナウイルスのために、出歩くことが少なくなりました。一息つく前に、また第2波がやって来る気配が感じられます。慎重な行動を心がける中で、こうした少しの空き時間にでも、ささやかな街歩きの観光を愉しみたいと思っています。
 帰りの交通機関は、地下鉄も阪急も京都市バスも、ゆったりと座れて空いていました。これくらい少数の人が乗る電車やバスであれば、安心して利用できます。問題は観光客の数にあった、ということに行き着くのでしょうか。
 これについては、慎重な検証が必要です。今は、心情的に「観光客お断わり」の風潮があります。しかし、いつまでもそうはいきません。生活者と観光客のほどほどのバランスと関係を、これから築いていく方策を考えなくてはなりません。国が示した「観光立国宣言」は、新型コロナウイルスの流行で無残にも砕け散りました。これから「国際」とか「観光」について、みんなで知恵を出し合う時代となりました。ゼロからというよりも、マイナス地点からのスタートです。特に京都がそうです。過去に縛られない、若い人たちの出番だと思っています。一緒に議論をしていきましょう。
 
 
 
posted by genjiito at 20:25| Comment(0) | ・ブラリと

2020年05月28日

藤田宜永通読(38)『喝采』

 『ハヤカワ・ミステリーワールド 喝采』(藤田宜永、早川書房、2014年7月)を読みました。

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 藤田宜永の私立探偵物には、鈴切信吾シリーズ(2冊)、的矢健太郎シリーズ(4冊)、竹花シリーズ(7冊)、相良治郎シリーズ(2冊)、浜崎順一郎シリーズ(2冊)があります。本作『喝采』は浜崎順一郎シリーズの1番目です。もう1冊の『タフガイ』(早川書房、2017年7月)は、この次に取り上げましょう。
 さて、時は1970年代。私が高校を卒業した年です。最初に物語の背景に流れるのが、ガロの『学生街の喫茶店』。学生運動が終わった年です。この作品でも、懐かしい歌がバックにたくさん流れて来ます。同世代の藤田の特徴でもあります。
 物語が始まる早々、元女優探しの話が意外な展開となります。おもしろくなりそうです。ただし、近年の藤田の作品は後半に失速するのが常なので要注意です。始め良ければ終わり良し、ではない作家だからです。
 現金輸送車襲撃事件と女優神納絵里香の殺人事件、松浦和美の失踪事件という、3つの事件がリンクするところに、読者を惹きつける力があります。
 作中で、私が好きな吉行淳之介の作品の一つである『星と月は天の穴』のことに触れます。

 珍しく空が澄んでいて、下弦の月を仰ぎ見ることができた。
見私たちは外堀通りに向かって歩いた。
「何か嫌な予感がしたわ」
「彼の強い想いが、神様に通じたのかも」
「気持ち悪いこと言わないでよ」
「空を見て。ほら、月が出てる。気分直して」
 里美が肩をそびやかし、火を吐く怪獣みたいな勢いで息を吐いた。「飲み明かそう」
 里美は月には目もくれなかった。
 私は里美の代わりにもう一度、月を見上げた。
『星と月は天の穴』という小説のタイトルを思い出した。ユニークで私好みのタイトルだったので記憶に残っていたが、本は読んでいない。
 今夜の里美にとって、月はまさにただの天の穴でしかないようだ。(322頁)


 しかし、読んだことがないとは、失礼な話です。
 本作でも、いつものように、藤田にありがちな中だるみがありました。しかし、しばらく辛抱していると、また物語に入っていけました。ただし、次第に情に流される内容が、殺人事件の背景に展開していくのです。探偵物に、複雑な恋愛感情が絡んでいます。これまでの藤田の探偵物とは違い、人間の内面が描かれています。物語の中盤からは動きが少なくて、退屈します。しかし、人間関係は丁寧に描き続けていきます。
 最後は、あまり意外性がありません。きれいにまとめ上げたかったのでしょう。レコード大賞を取ったちあきなおみの「喝采」の歌が流れます。その歌詞が紹介され、そして解釈が展開していたら、くどいな、と、思ったことでしょう。しかし、歌の内容にはまったく踏み込まずに終わります。これはこれで潔くていいと思いました。
 これだけの紙数(単行本で525頁)を費やすほどの内容の小説かというと、はなはだ疑問です。だらだらと話が続いていきます。メリハリがあれば、もっと完成度が高くなったことでしょう。
 本作の中でチェックしたのは、次のフレーズ1箇所でした。

 女は、嫌なことがあると捌け口を求めるものである。心に溜まった垢を丸めて投げつける相手が必要なのだ。聞かされる方は、キャッチャーよろしく、荒れ球でも受け取ってやればいい。間違えても余計なアドバイスは吐かないことに限る。(324頁)


 これだけでは何となく寂しい気がします。しかし、途中で投げ出したり飛ばし読みしなかったので、これまでとは少し味付けが変わったといえるかと思います。【2】
 
 
初出誌:『ミステリマガジン』(2013年4月号〜2014年6月号、全15回)に連載されたものに加筆修正して刊行された。
 
 
 
posted by genjiito at 20:35| Comment(0) | □藤田通読

2020年05月27日

京洛逍遥(629)秋を思わせる涼風に憩う鳥たち

 河原を吹き抜ける風に、初夏というよりも初秋を思わせる涼しさがありました。
 河原には、今日も多くの人が集まっています。
 圧倒的に若者が多いのがここ数日の特徴です。
 中年世代は先週から仕事が始まり、学生生徒は来月から学校が始まるのを待っているからでしょうか。

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 如意ヶ岳の大文字は、いつものように賑わう河原を見下ろしています。
 出番の送り火までは、あと2ヶ月半です。

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 急に飛び立った鷺が、ダイナミックな着地を見せてくれました。

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 川沿いの散策路に負けず劣らず、鷺や鵜や鴨が多く見られた夕方です。


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 新型コロナウイルスもなんのその。
 みんな元気です。
 
 
 
posted by genjiito at 19:11| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2020年05月26日

京洛逍遥(628)緊急事態宣言解除後の三条界隈を歩いて思うこと

 一日の内に、何回か検温をすることが日課となってきました。
 昨夜、寝る前の検温で37度2分となり、大急ぎで水分補給をしました。そして、麦茶を作って枕元に置きました。新型コロナウイルスで診察を受ける基準の中に、根拠は薄弱ながらも37度5分というものがあったことを思い出しました。すでに高齢であり糖尿病患者であるという、3つのチェック項目の2つをクリアしている身としては、残る発熱が一番の問題です。その発熱の基準値が37度5分だったので、緊急事態宣言が解除されたとはいえ、気を緩めるわけにはいきません。明け方までは熱が37度を往き来し、なかなか下がりません。7時過ぎにようやく下がりました。今日は、予定では箕面キャンパスの研究室で仕事をすることになっていました。しかし、大事に至らないためにも様子を見ることにして、これまで通り外出は自粛し、その旨の連絡を研究員の方にしました。頼りになる協力者が私の研究を支えてくださっているので、どのような状況下でも心強いことです。
 午後になって体調が落ち着いてきたので、運動を兼ねた散策として、いつもの賀茂川散歩ではなくて、小雨の中ながらも少し足を伸ばして河原町三条まで出かけました。
 乗った市バスが、大きな荷物を持った観光客に対応する仕様となっていました。
 座席は窓側に1列に切り詰めて、進行方向に向かって並んでいます。1台に座れるのは20名までです。これまでは、25〜28名くらいだったでしょうか。さらには、真ん中の乗り口のすぐ前に、荷物置きのスペースがあります。これまで通り、運転席の後ろにもあります。座席が窓際に押しやられたことに加えて荷物置き場を確保したことで、車内の床面の広さがこれまでの3倍以上は確保できています(素人の感覚でのものです)。これで、あの巨大なキャリーバッグなどを持ち込む観光客の対策にはなります。
 もっとも、乗客を犠牲にしたこの処置は、京都の今後の観光を見直してのものではありません。とにかく、観光客と地元住民の不満の折衷案に過ぎません。多分に、これまでの観光パターンを守ってのものであり、やはり依然として住民には我慢してもらおうという方策に変わりはないのです。しかし、世の中は新型コロナウイルスの問題で、これまでの観光というものを根本的に考え直す状況になりました。今日の市バスは、その意味では、過去の観光のイメージの延長での対処に留まるものなのです。
 日本の観光学は、まだまだ未成熟な学問だと思っています。新型コロナウイルスという感染症の問題が出来し、観光というものの抜本的な見直しが必要となった5ヶ月前から、観光学というものに対しても新たな見直し、再考が求められるようになったはずです。これまでが、あまりにも右肩上がりの、海外からの観光客を引き込む観光に終始していたのです。そのことが、今や完全に瓦解しました。これで観光学は、これまでの負の遺産を背負うことなく、ゼロから考え直せばよくなりました。これまでの無策に対する反発力を有効に利用して、新しい学問として出発できることはいいことだと思います。まさに、境界のない隣接諸科学を引き込み、柵のない学際的な展開が可能となります。これは、さまざまなチャンスを生み出すことでしょう。
 そのために、これまでの経緯と体験を保守しようとする方々は、いろいろと反発を抱かれることでしょう。しかし、そうした考え方や意見をも聞き入れることで、よりよい案が生まれることは確かだと思います。今後の観光学の進展が、大いに楽しみになります。そして、そうした議論が、京都の観光に新しい視点を導入した施策につながるはずです。今日の市バスが、今では後ろ向きの対処だったことを目の当たりにして、これも議論の上での実例として活かせる意義を見つけた思いがしました。
 河原町三条周辺の人出は、思った通りで活気が感じられました。これまでは、海外からの観光客8割に日本人が2割と言われていました。その8割を占めていた海外からの観光客がゼロにリセットされた姿が、今の河原町三条の現状だと思われます。今を措いては、これからの京都の観光を考えるのにいい時期はありません。今の実態を踏まえて、これまで観光客を当てにして商売をして来られた方々の視点だけで観光を論ずるのではなくて、この街で生活をする人々のことも考えた観光行政の検討が始まることを歓迎します。そのためには、混乱もあることでしょう。これまでの平和な時代を懐古して保身に走る意見も多く飛び交うことでしょう。そんな時には、若者の意見を聞くべきだと、私は思っています。もっとも、京都の若者は、青春の一時期を京都に居候する学生が多いので、その点を割り引いての若者の意見の集約が大切だと思います。
 河原町三条は、安売りのお店が増えてきたように思います。今日も、全国展開をしている安売りの大手が、来月からの出店で着々と開店の準備をしておられました。こうした、安売りを謳うお店やファーストフード店が多くなっていることは、多分に、観光客の懐と、学生の生活に迎合してのお店の変遷の一つだと、勝手に思っています。しかし、京都は自然淘汰の激しいところで、毎日のようにお店の消長が見て取れます。その点では、老舗の書店である丸善が入っている KYOTO BAL は、上品で気持ちのいい区画となっています。こうした両面からの街造りが、これからの新しい京都を作り上げていくことでしょう。常に最先端を突き進む中で、千年以上の街を展開してきた所なので、また新しい京都が生まれ変わることは楽しみです。無責任ながらも、新しい流れに協力したいと、勝手な思いを抱いているところです。
 
 
 
posted by genjiito at 21:18| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2020年05月25日

体調が気になった一日

 昨夜は、いろいろと考えることがあり、眠れませんでした。と言っても、一国の大事を思い悩んでのことではないので、たかが知れています。あくまでも、個人的なことに留まるものです。
 眠れない時には、iPhone で、クラッシックや落語やポップスなどを聞きます。気がついたら、明け方の4時でした。朝8時前に、なんとなく身体が熱っぽくて怠いので、思い切って起きることにしました。最近は、少し昼寝をするようになったこともあり、睡眠時間は4時間くらいです。スマホがしっかりと睡眠時間を記録してくれているので、日々の生活の指針になります。
 体温は36度9分。平熱は36度5分なので、少し高めです。身体を動かせば、何とかなることが多い範囲のことです。
 新型コロナウイルスの問題が起きてから、体調管理用のアプリとして、「体温計Watch+」と「Weight+」をiPhone とApple Watch に入れて、その日その日の数値を入力しています。

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 心拍数は、常時カウントされて日々の入力が蓄積しています。とにかく身体に関する情報が記録さえしてあれば、後日何かがあったときの判断の手助けになるだろう、という程度の活用です。それでも、経過を見ていると体調の変化がわかり、気をつけようというブレーキが自然とかかります。データの判断は素人なのでいいかげんながらも、気休め以上の効果はあります。
 とにかく、私は消化管がなくて、糖尿病を患っていて、しかもひ弱な身体なので、いつ何があってもおかしくありません。太れないし、体重は50キロに届かないしで、いろいろと努力をしています。こうして記録を残しながら、まさかの場合に、治療をしてくださるお医者さんのためにも、自分の身体の管理をしているところです。
 少し身体の調子がよくなったので、散歩を兼ねて、駅の上にあるメガネ屋さんに行きました。先日お願いした、白内障の手術後の目に合うメガネができた、という連絡があったからです。
 3ヶ月ほど、メガネのない生活でした。外出を自粛していたこともあり、あまり不便は感じませんでした。本や新聞を読み、パソコンのモニタを見ながら仕事をする上では、手術後はメガネが不要でした。しかし、外に出ると、標識や表示はぼやけて見えます。
 新しいメガネといっても、フレームは元のものをそのまま使っています。レンズは、これまでのものとまったく同じ製品で、遠近の度数が違うだけです。これで、自分の部屋ではメガネをかけず、それ以外のところでメガネをかける、という生活になります。
 今心配なのは、メガネの置き忘れです。これは、どうしようもないことなので、これからはメガネを探す時間が一日の内に組み込まれることになるはずです。これも、また楽しいことだと思っています。探す、ということは、頭をフル廻転させることです。いろいろな刺激となるので、老化の防止にもなることでしょう。
 
 
 
posted by genjiito at 21:01| Comment(0) | *健康雑記

2020年05月24日

京洛逍遥(627)まだ人出が多い河原と新緑の比叡山

 関西の三府県は、3日前に緊急事態宣言が解除されています。しかし、多くの方々が賀茂川に出かけて来ておられます。この混雑は、外出を自粛する用心深さがこの2ヶ月間で身に付いたことの現れです。第2波を招かないようにと、自然と近場で休日を過ごしておられるようです。
 北大路橋から下流、葵橋の方を見ると、こんな様子です。いつものように、鳶がお弁当を狙っています。左端が大文字の如意ヶ岳です。

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 上流は北山を望めます。とにかく、人出の多さには驚かされます。新型コロナウイルスの騒動の前は、ここを散策する人はこの4分の1もなかったように思います。

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 地下鉄北大路駅の上のショッピングセンターのテラスから、右に如意ヶ岳、左に比叡山の稜線を眺めました。

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 特に比叡山は、新緑のグラデーションが楽しめます。

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 如意ヶ岳から比叡山、そして北山と、これからますます緑が微妙な色の変化を見せてくれます。初夏と秋は、市街を囲む山々が色彩のキャンパスとなります。飽きることがありません。

 帰りに、北大路橋の西詰めにあった古書店が廃業となった姿を間近に見ました。

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 お店の中には、うずたかく古書が積み上げられていました。昔ながらの古本屋さんです。しかし、本の入れ替わりもなくなり、最近は入って古本を探すこともなくなっていました。歴史や芸術など、文化的な分野の専門的な本が集まっていた古書店でした。近くに大学がいくつか寄り集まっている地域とはいえ、本はなかなか動きません。大学の紀要や報告書は本の山の下や隅にかためられていたので、取り上げて手にするのも大変でした。固い内容の本や雑誌を置く古書店は、今どき貴重だと思っていました。そこへ、新型コロナウイルスの影響もあったことでしょう。先日、本を持ち出しておられた時に、入って見ようとして諦めました。文化を支えてきたお店とのお別れは、お付き合いは浅かったとはいえ寂しいものです。
 そういえば、我が家が賀茂川の右岸から左岸に引っ越しをした時、大量の本の処分をこのお店に相談しました。しかし、すでに経営の方針が決まっていたようで、引き取っていただくことは叶いませんでした。結局は、廃品業者の軽トラックで本をゴミとして処分してもらいました。片っ端から本を荷台に投げ入れたあの日の自分の姿は、思い出したくありません。何の本かがわかるとつらいので、ケースから出さず、背文字も見ないようにして、どんどん荷台を一杯にしてから出発してもらいました。以来、本という物は何かを、真剣に考えるようになりました。専門書は、とにかくその扱いが難しいものです。
 駅周辺の周りでは、さまざまな業種のお店が閉店や移転をされています。それが、日ごとに増えています。アーケードの通りの様子が、これからまだまだ変わりそうです。街並みも暮らし方も、これから大きく変わる予感がしています。来月6月が、その変化のピークになるのではないでしょうか。いい方向に変わっていくことを願っています。
 
 
 
posted by genjiito at 20:57| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2020年05月23日

読書雑記(285)村山祥栄『京都が観光で滅びる日』

 『京都が観光で滅びる日 日本を襲うオーバーツーリズムの脅威』(村山祥栄、ワニブックスPLUS新書、2019年12月25日)を読みました。

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 本書は、著者が2020年2月に行われる京都市長選挙への立候補を表明してからの刊行なので、多分に市長選挙の活動の一環を成すものだと意識して書かれている、と理解してよいかと思います。
 内容は、現在京都市が抱える問題点を取り上げています。現状がどうで、どんな問題点があるのかを、さまざまな状況説明と具体例と数値で提示していきます。ただし、その解決策については輪郭線が曖昧なままで投げ出されており、明確ではありません。もっと大胆な提案があるかと思って読み出したので、肩透かしです。さらには、刊行後に新型コロナウイルスの一大事変が勃発したため、観光という問題は今ではさらに見直しが必要です。そのような時代の変わり目に出た書籍という位置づけをよく知った上で読む必要があります。

 第一章の最後で、次のように前提を明言しています。

 市民の苦情からオーバーツーリズムが深刻化するまでの時間を考えると、京都はまさに今、このタイムラグの真っただなかにある可能性が高い。京都市をヴェネチアやバルセロナのようにしてはならないという危機感を前提に、本書を書き進めていきたい。(30頁)


 この前提には無理があるようです。ヴェネチアやバルセロナの例は、本書では対比の対象としては大きく外れています。しかたがないので、私なりの視点で読み進めました。

 第2章の民泊については、次のように2箇所で説明があります。

民泊ができた地域は住宅地が多く、しかも戸建て型民泊だったことも被害が深刻化した要因だといえる。東京などでは商業地域のマンション型民泊が多いため、外国人旅行客の出入りが多少増えても比較的トラブルになりにくいが、京都の場合は閑静な住宅地に民泊が登場したため、目立つ上にトラブルになりやすかったのだ。(39頁)


 不動産市場の混乱などは招いたものの、徹底して住民サイドに立った京都市の積極的な民泊排除の姿勢は、住民の日常生活を取り戻す上では大きな役割を果たした。民泊対策は、京都市のオーバーツーリズム対策として唯一合格点が出せる施策だと言ってもいいだろう。しかし、近隣トラブルや不安を抱える市民がいなくなったわけではない。(49頁)


 それでは今後どうすればいいのかについては、特に提言はありません。そうなんですか、で終わる指摘に留まり、市の政策任せで放置されたまま、話は前へとは進みません。もったいないと思いました。
 問題は、この次に想定される事態とその対処について、著者はどのように考え、どうすべきだと言うのか、それを語ってもらいたいと思いました。住宅地の民泊や近隣トラブルの問題について、もっと住民の生活実態に踏み込んでの検討と、そこから導き出される観光及び観光客の実状を踏まえたその意義と定義は、ぜひとも聞きたいところです。さらには、現職の市会議員ということなので、もっと自分の足で稼いだ情報を提起してほしいと思いました。机上の空論はすぐに飽きます。
 また、次の観光客数の限界値に関する問題は、本書の中で都合の良いように示されているように思えます。

 私は、現在の京都市が市民と共存しながら受け入れられる観光客数は5000万人が限界だと感じている。というより、これ以上増えると観光客、市民ともに不満が増大し、両者にとっていいことがない。大がかりなインフラ整備、混雑緩和対策、さらに積極的に観光客と市民の融和策をとり、再び京都市民の口から「観光客の皆様、ぜひ京都へお越しください」という言葉が出るようになるまで、現状を維持しながら行政がうまくコントロールする必要がある。
 京都市の観光客数は他都市がうらやむほどに順調に右肩上がりで伸び続けてきたが、ここでいったん踊り場をつくって整理し、受け入れ整備が進めば、再びそれ以上の人数受け入れを目指すシナリオがあってもよい。そのためのコントロールに最も効果的なのが、宿泊施設の適正な確保である。(78頁)


 行政任せで逃げるのではなく、人数と質の問題に切り込まないことには、解決には至らないでしょう。さらには、現在進行中の新型コロナウイルスの問題は、本書刊行時には想定できなかったとしても、これについても対処できるような理論武装をした意見が必要だったのではないでしょうか。今や観光客が皆無となった状況を踏まえた検討を、次の機会を得て、引き続き提示してもらいたいと思います。
 観光客数と宿泊施設が抱える問題が、新型コロナウイルスの前には別視点での議論が必要になった、ということが、本書の刊行後に顕現したのです。こうしたことに対応できる視点で本書が論じられていないことは、予測不能の問題だとはいえ残念でした。本書は、京都の観光が満ち足りた、幸せな時代の産物に留まるものなのです。これは、理論武装の甘さと、論理展開が上滑りしていることから見えてきたことです。
 地下空間を使った交通網の提案は、地下の自動運転シャトルというユニークなものです(95頁)。これは、次世代の人に任せたくなります。
 次の中国からの観光客の問題点の指摘も、興味深くて印象的な話題でした。

 中国人旅行者は世界中どこへ旅しても、食べ慣れた中華料理を食べたがる傾向が強く、中国人旅行者向けの中華料理店が京都市内に点在する。こうした中華料理店をめがけて観光バスが大挙してやってくる現象はあちこちで起きており、一昨年も住宅街の中華料理店にまで観光バスが連日やってきて、中華料理店に対する抗議運動が起こったほどだ。結局その中華料理店は廃業に追いやられてしまった。
 近年京都を訪れる観光バスは、こうした中華料理店と有名観光地界隈に数多く出没するのだが、一番大きな問題は、乗客待ちのバスの行き場だ。観光バスは中華料理店や観光地に乗客を降ろした後、乗客の食事などが終わるまで1~2時間待機し、再び彼らを乗車させて次の目的地へ向かうのだが、この待機時間の行き場がないケースが多い。(100頁)


 これは、まさに観光とは何かという問題に真っ正面から切り込む話題です。しかし、これもキレの悪いネタの提示に終わり、出された結論は陳腐です。
 その点では、「ゼロドル観光」の話は有益なネタとなっています。本書で一番意味を持つ文章だと思うので、少し長くなるのを厭わずに引きます。

観光行政の現場で「観光客数の伸びと税収の伸びはまったく比例しない」というのは常識である。税収どころか地元に金が落ちているかどうかもかなり怪しい。
 その代表格が中国資本の「ゼロドル観光」だ。無料または超安価なパッケージツアーを組み、決められた土産物店がツアールートに組み込まれ、土産物店にお金を落とさせ、そこからのコミッションで成り立つパック旅行である。
 我々日本人が利用する海外の格安パッケージツアーにでも同じようなものがあるのはご存じだろう。ツアーには宝石店やシルクショップ、土産物屋などが組み込まれ、やたら流暢な日本語で接客されてさまざまな商品を勧められ、長時間足止めされるケースだ。
 これは、海外ではごく一般的なツアースタイルだ。日本のツアーの場合、現地法人のツアー会社にそれらを委託するケースが多く、契約店舗からのキックバックがあるのは同様でも、通常以上に高額な価格で販売することを禁止しているケースが多い。しかし中国からの日本旅行では中国人人脈がフルに使われ、明らかに高額に販売する手法をとっているので、その分タチが悪い。商品が高額だということは、旅行代理店へのキックバックも大きいということだ。観光客はツアーに組み込まれた店だけで買い物をさせられ、代理店はそれ以外での買い物の時間を買い物客にほとんど与えない。つまりお金は代理店と特定の店だけにしか落ちないのだ。
 横行する中国旅行会社によるゼロドル観光には各国も頭を悩ませており、タイ政府やベトナム政府はゼロドル観光に関連する土産物店やツアー会社を厳しく規制している。
 2018年7月にタイ・プーケット沖で観光船の転覆事故が起き、10人以上が犠牲になったが、プラウィット副首相は「転覆事故は暴風雨の警告を無視して出港した零元団(ゼロドルツアーを主催した中国の旅行会社)の自己責任。ツアー会社も船会社も中国系でタイの観光業界とは何ら関係ない」と厳しく批判し、大きなニュースになったが、背景にはゼロドルツアーの悪質さが問題視されていたことが大きい。当の中国政府ですら、香港とマカオでゼロドルツアーを禁止した。
 中国人が運営するウェブサイトで客を集め、中国資本のホテル、中国人による白タク送迎、案内する店は中国資本が経営する土産物店や飲食店、決済はすべてウィーチャットペイなどの電子決済を使いスマホ上ですべてが行われる。彼らは寺社でお賽銭も入れず、まったくお金が地元に還元されないという。
 ほかにも、地元にお金が落ちない理由はいくつもある。
「爆買い」ブームが日本を席巻した時期があった。京都も同様だが、彼らが爆買いしたのは地元産品ではなく電化製品や日用品で、繁盛していたのはマツモトキヨシやココカラファインといったドラッグストアやビックカメラ、ヤマダ電機といった大手家電量販店、高島屋、大丸といった大手百貨店だ。販売側もほとんどが東京資本、売ってる商品ももちろん京都のものではない。中国人が大量に購入した100均のダイソー商品などほとんどが中国製だ。こうして考えると観光消費額のうちどれぐらいが地元に還元されているかはかなり不明だ。大量に供給されたホテルも同様で、大半は東京資本や海外資本で、京都で稼いで東京や自国へその利益を持って帰るという仕組みだ。
 土産物は例外だろうと思われる方も多いと思うが、これまた地元かどうか怪しい。地域活性化のスペシャリスト・藻谷浩介氏は京都についてこう嘆いていた。
「観光客にいくら土産物が売れても、そのお金は京都から出ていくんだからどうしようもないですよ。そもそも、京都の土産物の原材料のどれほどが京都産でしょうか。京都の材料を使って、京都で人件費を使って生産されて、それが売れて初めて街は潤います。それなのに丹波大納言を使わず、特選十勝産小豆使用などと謳って京菓子を売っている。これでは地域が潤うはずはありません」
 実に本質を突いていると思う。(220〜223頁)


 この一文は、これからの日本の観光を考える上で、いろいろな問題を提起する事例の報告となっています。本書の中で一番光る箇所です。
 さらには、次の文章も、観光に関する問題点の指摘となっています。

 門川市長は『日経ビジネス』(2016年5月9日号)の編集長インタビューで「京都では観光がとても活況なのに市の税収はまったく伸びていません。その理由は宿泊施設や飲食店といった観光業で働く人の75%が非正規雇用であることと無関係ではないと考えています。製造業は非正規雇用比率が30%です。観光業の非正規雇用の比率がこのままだと、持続可能な産業ではなくなる気がします。観光は京都にとって基幹産業でもありますから何とかしなければならない」と述べている。
 この発言は半分事実だが、半分間違っている。なぜなら観光産業とは、そもそも非正
規を多く生み出す産業構造だからだ。(224頁)


 もっとも、これは本書の「京都が観光で滅びる日 日本を襲うオーバーツーリズムの脅威」というテーマから遠ざかり、自治体が抱える政治的な問題へとすり替えていく結節点に置かれています。本書の構成は、よくありません。
 本書の後半は、著者の政治活動に直結する話題に転換してねじ曲がっていきます。京町家の話は、この本では不要だと思います。自分の政策論議と本書のテーマは、はっきりと切り分けるべきです。このことは、京都市立芸術大学の京都駅前移転の問題や、自治体の財政の話にも言えます。京都の観光というテーマが、自分の政策を述べる場へとすり替えられています。
 文化庁の京都移転の問題は、私には非常に興味のある話題です。次の文章には、いろいろな問題が含まれているようです。

 文化庁の京都全面移転は難しいと見るべきで、安倍内閣辞職後は再び関西分室へ格下げされる可能性もある。文化庁に対する過度な期待は禁物と考えるべきだ。
 しかし、文化庁移転に欣喜雀躍する京都市は、2016年(平成28年)、移転地については地元が提供、建設費用も地元が応分を負担、職員住居も協力すると申し出ている。さらに翌2017年度(平成29年度)には移転関連経費、出向職員5人の人件費、文化庁準備室の事務所や文化庁職員の住居まで提供するなど合計1億4800万円の支出を行っている。これが毎年しばらく続くことに加え、建設費がのしかかる。文化庁の京都移転は、私も賛成なのだが、なぜ国の官庁の必要経費まで、財政難で悲鳴を上げていいる自治体が負担しなければならないのか。(275頁、「いいる」は原文通り)


 鋭い指摘となっているようです。ただし、見開き2頁では中途半端だし、今ここでは場違いな話題です。
 これらは、書名で読者を誤った方向に誘導する、詐欺まがいの本になっていると言わざるを得ません。最後に京都党の基幹政策を展開するに至っては、何をか言わんや、です。あらためて書名が『京都が観光で滅びる日 日本を襲うオーバーツーリズムの脅威』となっていることを確認してしまいました。
 その意味では、第8、9、10、11章の111頁分は蛇足です。
 読み終えて、大きな落胆を感じました。滑り出しは良かったのに、次第にネタ切れとなり、切れ味もさらに悪くなりました。中盤からは、覇気がまったく感じられません。もっと材料を集め、斬新な視点で整理したシャープな提言をしてほしいものです。【1】
 
 
 
posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | ■読書雑記

2020年05月22日

【連絡】明日の〈紫風庵〉での勉強会はお休みです

 船岡山〈紫風庵〉での「源氏物語と三十六歌仙を変体仮名で読む会」からの連絡です。

 関西の京都・大阪・兵庫の緊急事態宣言は、昨日21日に解除されました。
 しかし、まだ勉強会を再開する状態ではないと思います。
 明日23日(土)の勉強会も、新型コロナウイルスの対処のためにお休みといたします。
 ご理解のほどを、よろしくお願いします。
 この勉強会は、毎月第4土曜日に開催するのを原則としているので、来月は6月27日(土)が〈第9回〉の開催日となります。しかし、今の情勢ではまだ未定としか言えません。
 みなさまとご一緒に、楽しく変体仮名が読める日が一日も早く訪れますよう、ひたすら祈るのみです。

 これまでに開催した8回分の勉強会の記録を、先月に続き以下に再掲載します。
 復習を兼ねた自学自習として、これまでの足跡をたどりながら、変体仮名を読む力をしばし養って再開をお待ちください。

NPO法人〈源氏物語電子資料館〉
代表理事・伊藤鉄也


「京洛逍遥(538)登録有形文化財「紫風庵」の三十六歌仙絵」(2019年04月13日)

「紫風庵で三十六歌仙と源氏物語の変体仮名を読む」(2019年05月25日)

「紫風庵で三十六歌仙と源氏物語の変体仮名を読む(第2回)」(2019年06月29日)

「「源氏物語と三十六歌仙を変体仮名で読む会」(第3回)」(2019年07月20日)

「「源氏物語と三十六歌仙を変体仮名で読む会」(第4回)」(2019年08月24日)

「「源氏物語と三十六歌仙を変体仮名で読む会」(第5回)」(2019年09月28日)

「紫風庵で三十六歌仙と源氏物語の変体仮名を読む(第6回)」(2019年10月19日)

「紫風庵で三十六歌仙と源氏物語の変体仮名を読む(第7回)」(2019年11月30日)

「紫風庵で三十六歌仙と源氏物語の変体仮名を読む(第8回)」(2020年01月25日)

 
 
 
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2020年05月21日

100年前の京都でのスペイン風邪

 京都新聞の「100年前の京は/スペイン風邪流行」という全10回(2020.4.23〜5.19、竹下大輔・中西英明記者が担当)の連載が終わりました。これは、京都新聞の前身である日出新聞の記事から、当時の様子を再現したものです。興味深い内容が多いので、私の興味のままに一部を引いておきます。

 まず、初回(2020.4.23)の冒頭はこう語り出しています。

 スペイン風邪の国内流行が始まったのは、第1次世界大戦末期の1918(大正7)年秋。当時の内務省統計によると、21年までの3年間で全国民の4割近い2380万人が感染し、38万人以上が死亡、府内でも41万人が感染し、1万1千人が亡くなった。


 そして、今に通じる状況が報告されます。まさに、医療崩壊寸前の状況です。

18年11月6日の記事=写真上=は、京都府立療病院(現府立医科大付属病院)の医療崩壊を克明に伝える。1日600人の外来患者が押し寄せる中、医師看護師も次々に感染。特に看護師は170人のうち、70人が病に倒れ、院内感染が深刻化した。290床の入院ベッドは「10日も前から申し込んでも容易に入院できない有様」だった。


 マスク着用について、当時は今以上に苦労したようです。

20年1月22日の紙面には警察の苦悩が描かれる。「街路を往来する中にもマスク使用者は比較的少なく」との状況下、五条署(現下京署)は料理店や旅館などの経営者を呼びつけ、「マスク使用を強要」し、劇場前に注意書きを掲示した。しかし、「効果を収め得ず。毎夜観客の(マスク着用が)十分の一位に過ぎざるは更に危険」とある。(2020.4.26)


 京都府が出した以下の日々の生活での注意事項は、今と同じです。

 100年前に流行したスペイン風邪を抑えようと、京都府は生活上の予防を呼び掛けた。それは現在の新型コロナウイルスへの対策と酷似している。
 1920(大正9)年1月24日の記事=写真=に詳細がある。せきをする人には近寄らない▽多衆集合する場所に立ち入らない▽外出時は呼吸保護器(マスク)か布片などで鼻口を覆う▽たびたび、うがいする▽せきをする時は布片または紙で鼻口を覆う▽予防注射を受ける―の6項目。府は「30万枚印刷し、府下各戸に配布」したとある。(2020.4.29)


 今と同じように、デマと中傷は当時も同じようにあったこともわかります。

 デマも飛び交う。18年11月17日の紙面は市井に広がる迷信を複数紹介。「奇抜なのは飯炊窯を頭から冠ると感冒にかからぬという話。これを聞いて三日以内でなければ効能はないと囃し立てている」と、うわさに注意を呼び掛けた。(2020.4.30)


 マスクについても、今の状況と同じです。

 市民はマスク不足をどう乗り切ったのか。同17日紙面では府立第一高等女学校(現鴨沂高)の生徒が自家用マスクを手作りしたり、小学校では家庭で作ったマスクを使う児童の様子を報じている。府が近く、図解入りで作り方を府民に周知する方針
も追記された。
 京都市教委などは現在、手作りマスクの製作方法をホームペ
ージに掲載している。役所の考えることは、100年前と全く変わっていない。
 当時、マスク寄贈の美談が続々と報じられた。同年1月の紙面を見ると、松原署(現東山署)に500枚、五条署(現下京署)に60枚が市民から届けられた、とある。警察は「貧民を調査せしめ頒布する」との方針で、生活困窮者に配られたようだ。(2020.5.5)


 学校の休校措置や修学旅行の実施についても、100年前の様子がわかります。

1920(大正9)年1月17日の紙面は、京都内全小学校が10日間休校することを伝えた=写真。児童全6万のうち6千人が感染で欠席し、安藤謙介市長は小、中学校とも2週間休校するよう、馬淵鋭太郎府知事に諮ったが、小学校だけの休校になった。「府市協調」はうまくいってなかったようだ。
(中略)
 保護者と学校の対立もあった。伏見第二尋常小(現伏見南浜小)では流行期に大阪、神戸と伊勢神宮への修学旅行を予定していた。20年1月20日の記事を見ると、保護者が「感染を憂慮し、四月に延期せられたく希望」と反対したが、学校側は経費を理由に拒否。「流感を恐れぬ無謀の見学旅行」との見出しで報じている。
 旅行を強行したのかどうか、紙面では確認できなかった。(2020.5.11)


 交通機関についても、今と同じです。

 当時も満員電車での感染拡大が指摘され、交通機関の経営も苦しかった。20年1月28日紙面は京都市電の乗客が3分の1に減少したことを伝え、市は1カ月分の減収を5万円(現在の価値で約2700万円)と試算。現在も地下鉄、市バスの乗客は大幅減となっている。(2020.5.16)


 人は、次第に引き締めた気持ちも緩みます。当時もそうだったようです。

同24日紙面では、18年〜19年春にかけ、全国で25万人以上が亡くなった、という内務省(当時)のデータを列記。第1次世界大戦が終結して間もなかったころで、「戦争以上の惨禍」と警鐘を鳴らした。
 府は劇場など人混みの危険性を訴えたが、市民は油断していたようだ。翌年1月の紙面では、正月三が日に繁華街新京極に計3万7千人が押し寄せ、明治天皇の眠る桃山御陵にも参拝者4万人以上が訪れた、とある。(2020.5.19)


 100年前のスペイン風邪は、流行期が3回あったそうです。今も蔓延している新型コロナウイルスも、第2波、第3波が心配されています。とにかく、1日も早い収束を願いつつも、撲滅は不可能なのでウイルスとの共存の道が探られています。少しずつでもこれまでの生活に戻るようにしつつも、気を緩めることなく、常に予防と警戒を怠らないようにしたいものです。
 今日から、関西の京都・大阪・兵庫の緊急事態宣言は解除されました。近所のショッピングセンターへ行っても、人がまばらなので安心しました。まだ、警戒感は薄れていないようです。とにかく、この緊張感を持ち続けて、やがて迫り来る第2波の被害を最小のものにしたいと思います。
 

 
 
posted by genjiito at 20:52| Comment(0) | *健康雑記

2020年05月20日

緊急事態宣言解除前の京阪電車での往き帰りの様子

 京阪電車を使って、大阪市内に出かけました。連日の外出なので、ウイルスの感染には神経を使っています。
 出町柳駅を出てからは、車内はガラガラでした。この京阪の特急電車は揺れが少なくて快適なので、ゆったりと本が読めます。
 ところが、枚方市駅から満席となりました。2人席のベンチシートが並ぶ2階建てのダブルデッカーに座るので、人数はしれています。ただし、前の席に座った女性が、隣の彼氏と頭を寄せながらずっと喋りづめです。マスクをしているとはいうものの、まったく口が止まりません。スイッチを切り忘れたテレビのお笑い番組が、目の前で延々と展開しています。うるさいを通り越して、恐怖を感じました。この女性が新型コロナウイルスの潜在的な感染者でないことを祈るしかありません。男性はまったく喋らないので、至近距離で会話をすることのリスクを知っているのでしょう。まっすぐ前を見て、肯くだけでした。車内のアナウンスでは、座席での会話を控えてほしいと言っています。約20分間、耐えるしかありませんでした。
 中之島での用事が終わった帰りは、ちょうど通勤の時間帯とぶつかりました。乗るのは、いつものダブルデッカーです。京阪のエレガントサルーン車は特急であっても、特急料金は要りません。しかも、乗り心地は新幹線やはるか以上に快適なのです。
 始発の淀屋橋駅を出た時には、2人がけのベンチシートに一人ずつでした。それが、しばらく走った京橋駅で満席となりました。立っている人はいないものの、すし詰め感はあります。やはり、通勤時間帯は避けなければなりません。
 周りに、際限なく喋り続ける人がいなかったのは幸いでした。
 中書島駅からは、途端にガラガラとなりました。潮が引いたような、というのはこのことでしょう。終点の出町柳駅までは、また快適な空間で本を読むことができました。
 明日から近畿三府県は、緊急事態宣言が解除されます。その前日がこんな様子だったので、明日から感染者が増えないか気掛かりです。感染に気をつけよう、という気持ちが緩んでいるのは確かです。自戒の念を含めて、重ね重ねの注意喚起が必要だと思いました。
 
 
 
posted by genjiito at 23:42| Comment(0) | *健康雑記

2020年05月19日

新しいコラムの連載を通して〈濃厚接触の意義〉を考える

 先週に続いて、今日も箕面キャンパスへ行きました。驚いたことに、市バスも阪急電車も満員です。特に阪急電車の乗客は、先週の3倍はいます。駅に着くと、ホームにいた方々が開くドアに集まって来られます。まさに、数ヶ月前のラッシュアワーを思い出させるシーンです。
 外出自粛は早くも崩れ去ったかのようです。せっかく新型コロナウイルスの感染をみんなで防いで来たのに、これで感染拡大が一気に逆戻りとなれば、悔やみきれません。もっとも、かくいう私も、理由はともかくこうして出かけているのですから、批判的に言う資格はありませんが……
 大学へ行くバスは、いつものように2人だけで閑散としています。私の研究室がある棟は、人っ子一人いません。エレベータは、帰るまでずっと同じ階に止まっていました。

 帰りは、今日も大学を早めに出ました。バスも電車もガラガラです。特に電車は、今朝の混雑が嘘だったかのように、駅のホームはもとより車内も、人はまばらです。通勤時間をずらすと、混み合う電車で移動することは避けられそうです。

 昨日から、近所の大型ショッピングモールが営業を始めました。これまでは、1階の食料品を中心としたスーパーマーケットエリアだけが開いていたのです。全館再開で、賑わいが戻って来たようです。ただし、適度な人出なので、これなら3密は心配なさそうです。マナーが守られているなーと実感しました。

 3月初旬に白内障の手術をしました。順調に回復して、今では本を読んだり資料を見たり、コンピュータに向かっての仕事などが楽になりました。先月の中旬には、遠近のメガネを作るつもりでした。しかし、新型コロナウイルスのために、近くのメガネ屋さんが営業を自粛しておられたので、作れないままだったのです。やっと、メガネ屋さんに行けました。入荷の関係で、1週間ほどかかりそうです。これで、テレビを観たり、掲示物を見たりすることができます。

 そんな折、研究仲間である国立民族学博物館の広瀬浩二郎さんから、新しいコラムを始めたという知らせが届きました。題して「それでも僕たちは「濃厚接触」を続ける! ―世界の感触を取り戻すために―」。
 これは、昨年末から準備が進み、私も協力者の一人に加えていただいていた〈国立民族学博物館のユニバーサル・ミュージアム特別展〉が延期となったことを受けての、積極的な問いかけともなっています。
 広瀬さんからの案内文の一部を紹介します。

 さわることに対する拒否反応が強まる社会状況の中で、「濃厚接触」のプロともいえる視覚障害者からのメッセージを発信するのは大切だと思います。
 図録の出版を担当してくれる小さ子社の原さんにご協力いただき、小さ子社のホームページでコラムを連載することになりました。
 テーマは、「それでも僕たちは『濃厚接触』を続ける! ーー世界の感触を取り戻すために」です。
 タイトルでは、あえて「僕」ではなく、「僕たち」を使いました。
 ユニバーサル・ミュージアム展に関わってくださるみなさんは「僕たち」だと、勝手に決めています。
 本日、初回分のコラムが公開されました。
 コラムは毎週火曜に更新され、6回続く予定です。
 ぜひお読みください。


 第1回となる本日は、「さわる文化と新型肺炎」です。
 目が見えない人にとっては、我々以上に〈触る〉ということは大事なことです。その触るプロからの、篤いメッセージが伝わって来ます。
 第1回の小見出しは、次の通りです。

■新たな触れ合いのマナー創出に向けて■

■「濃厚接触」のプロとして■

■「禍を転じて福と為す」ユニバーサル・ミュージアム構想■

■視覚優位の近代文明■

■近代的な人間観、ミュージアムの常識を覆す■

■「人に優しい」から「人が優しい」へ■


 このコラムの文末に置かれた一文を引いておきます。

次回は5月26日更新予定です。
この連載をもとに、2021年へと開催延期になった国立民族学博物館のユニバーサル・ミュージアム特別展に向けた動きや、世界中から集められた民族資料と「濃厚接触」して世界を感触でとらえた記録なども付け加えた書籍を、小さ子社より今夏刊行します。ご期待下さい。


 この連載を、これから楽しみにして読んでいきながら、来年の秋に延期となった〈ユニバーサル・ミュージアム展〉と、それに関連するイベントを心待ちにしたいと思います。
 
 
 
posted by genjiito at 21:01| Comment(0) | ■視覚障害

2020年05月18日

京洛逍遥(626)整備前の鴨川公園(葵地区)

 賀茂川と高野川が合流する賀茂大橋の北側に、鴨川デルタといわれる憩いの場があります。
 そのさらに北側に、鴨川公園の葵地区と呼ばれる一角があります。
 次の写真の右端に、下鴨神社へ続く鳥居が見えます。この一帯から北が糺の森です。

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 この狭く北に延びる一帯が、鴨川公園の葵地区です。

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 次の塀の右側が、旧三井家下鴨別邸の敷地で、小さな川が泉川です。

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 さらに北に向かって狭い道を通って公園を出ると、葵橋と家庭裁判所があります。

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 この狭い公園は、糺ノ森の木立が生い茂り、寂しい小暗い場所でした。
 そのため、広く活用してもらうようにと、「鴨川公園(葵地区)整備計画」が策定されました。2022年に完了する予定となっています。
 京都府のホームページ(https://www.pref.kyoto.jp/koen/news/kamogawakouen-aoichiku-seibikeikaku.html)には、その内容が次のように記されています。

クロマツなどの歴史的な樹林を活かした景観形成

クロマツを景観資源として活かし、森のシルエットを維持する。
生垣や低木は剪定や伐採を行い、外部からの見通しを良くし、園内を明るくする。

明るく開放的な広場と園路整備

園路や出入り口などのバリアフリー化を進める。
トイレ、倉庫などを集約し、周辺と調和した、明るく利用しやすい複合施設を整備する。

新たな交流・文化を創出させる環境整備

イベントスペースとしても活用できる広場を整備する。
イベント等に活用できる電源やスクリーン固定具などの整備を検討する。


 さらに、公開されている整備計画のパンフレットも紹介します。

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 帰りの賀茂川では、鷺と鴨が仲良く遊んでいました。
 いつもと変わらない風景です。

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 さて、この葵公園が2年後にどのような姿になるのか、今から楽しみです。
 その時に、これらの写真と見比べたいと思います。
 なお、一昨年の秋にも、この公園を「京洛逍遥(519)改修前の京都府立鴨川公園葵地区」(2018年11月03日)で紹介しています。また、「京洛逍遥(304)京都府立鴨川公園と目玉の松ちゃん」(2014年01月22日)でも、公園内の尾上松之助の銅像のことを書いています。併せてご笑覧いただければと思います。
 
 
 
posted by genjiito at 20:30| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2020年05月17日

30年前にノートパソコン持参の授業をしたこと

 家の片付けがまだ続いています。
 今日も、いろいろなものが出てきたので、その中から一つだけ。
 今から30年前、当時勤めていた大阪明浄女子短期大学の文芸科で、コンピュータを教育に導入しようとしていた頃の資料です。
 授業でコンピュータを活用した情報リテラシー教育が、国内では少しずつ広まり出した頃のことです。新時代の教育方法を探る中で、学生一人ずつがノートパソコンを持参する授業の実践を行ないました。すでに学生にノートパソコンを渡すという取り組みは、大きな大学ではなされていました。それを、日本でも最小の短大でやろう、ということです。まだ、ウインドウズが未熟だった時なので、OSは MS-DOS でした。
 年度当初に、以下のプリントを配布して、まずは希望者の実態を調べました。
(本ブログの画像はサムネールです。画像をクリックすると精細な画像が表示されます。)

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 ノートパソコンは、NEC の98シリーズと互換性があるものの、今から見れば非力です。しかし、当時は画期的なものでした。3.5インチのフロッピードライブを2基内蔵しています。ハードディスク内蔵タイプ(20MB、40MB)は、ウインドウズ v3.0に対応していました。しかし、当時のウインドウズは、まだ生まれたばかりで未熟でした。背面の RS-232C インターフェースにアダプタモデムを装着すると、通信も可能でした。
 授業では、フリーソフトの「PEMO」を使います。

 アンケートの結果(左横の手書きの数字)を見ると、ノートパソコンを使う「表現法演習」は、7割の学生が前向きに受講を検討しています。実際に受講したのは、20名ほどだったように思います。2割の学生が20万円弱の費用を投じて、新しい文化と技術を身に付けようとしたのです。パソコンが各家庭に普及していく時代の、キラキラした熱気が感じられました。

 この時のパソコンのスペックがわかるように、パンフレットの画像もこの後に列挙しておきます。
 こんなノートパソコンでも、授業ではデータベースはもちろんのこと、 KAN の「愛は勝つ」(♪心配ないからね 君の想いが〜♪)を演奏させたり、姓名判断をしたりと、楽しいチャレンジをしたことが思い出されます。
 大阪明浄女子短期大学にピザボックス型のマッキントッシュを50台以上導入し、LAN を組んでの授業は、この後に実現しました。東京大学がマッキントッシュを導入して話題になる前のことです。いろいろなマスコミから取材を受けたことを覚えています。このことは、資料が見つかったらまた報告します。

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posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | ◎情報社会

2020年05月16日

読書雑記(284)カミュ『ペスト』

 現在進行中の新型コロナウイルスの渦中で、これまでに読む機会のなかった『ペスト』(カミュ、新潮文庫、令和2年4月30日、91刷)を読みました。まさに、この時期に合わせて刷り増しされた本です。

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 この〈物語〉はいつ書かれたものだろう、と、あらためて確認するほど、いま世界中で蔓延している新型コロナウイルスの状況を再現したドラマとして読んでしまいます。確かに、細かいところは違います。しかし、期せずして再現だと思って、地球規模で起きている今の様子を思い描きながら読みました。時代感覚がそのままスライドするのです。
 ただし、そのことが、本作をよく理解できないままに読み終える結果となりました。今を理解するために、過去の出来事を知る縁になるのでは、という動機が、この作品の理解を歪めたように思われます。読み手である私の過ちでした。登場する人々を、丹念に読み解くべきでした。描かれている人間の思いを汲み取るべきでした。そこを、ペストという病気に惹かれ、新型コロナウィルスに通い合うものを探し求めてしまったのです。作者の意図から大きく外れる読み方をした、と思われるのが悔やまれます。

 時は今から80年前の1940年代、アルジェリアの要港オランでの話です。街中でネズミが死んでいることから語り出されます。一日に数千匹のネズミが焼却されることに発展していきます。事態はますます酷くなっていくのです。やがて住人が亡くなり、刻一刻と恐ろしいことが襲来していることが実感されてきます。
 その圧倒的な迫力は認めるものの、この小説の文章は、私にとっては馴染みにくいものでした。語り口が、右へ左へ、行ったり来たりと、落ち着きません。こうしたパターンに慣れないせいか、話になかなか集中できませんでした。

八月の半ばというこの時期には、ペストがいっさいをおおい尽したといってよかった。もうこのときには個人の運命というものは存在せず、ただペストという集団的な史実と、すべての者がともにしたさまざまの感情があるばかりであった。その最も大きなものは、恐怖と反抗がそれに含まれていることも加えて、別離と追放の感情であった。それゆえに筆者は、この暑熱と病疫の絶頂において、総括的な状況と、そして――例証的な意味で――生存者市民の暴行、死亡者の埋葬、引き離された恋人たちの苦しみなどについて、書いておくのが適当だと信ずるのである。(247頁)


 この作品が読み難い文章に思えるのは、言い直しや言い換えが多く、ダラダラと語りが続くせいではないか、と思います。あることを例える時などに、言葉を微妙に変えながら列記し、また、挿入や併記で言い換えたり、喩えたりと、あの手この手が用いられています。医師ベルナール・リウーの想像が際限もなく膨らんでいくのを、語り手が丹念に言葉として紡いでいくせいかもしれません。読み手である私は、いろいろな思いを語るリウーに引き回されるのです。そのために、作者の語り口に付いていくのに疲れ、読み難い文章だと思うようになってしまったのだと思えます。
 このカミュについては、その文体に高い評価が与えられています。1957年に、44歳でノーベル賞を受賞します。しかし、そうであっても、私には文章の意味が真っ直ぐには伝わってきませんでした。これは、相性の問題なのでしょうか。翻訳文にも、原因があるかもしれません。そうであっても、とにかく読み続けました。
 主人公の医師リウーは、目の前で展開する現実としてのペストによる災害を、克明に記録するのでした。その姿勢は、本作の最後で次のように語られています。

 この記録も終りに近づいた。もう、医師ベルナール・リウーも、自分がその作者であることを告白していい時であろう。しかし、この記録の最後の事件を叙述する前に、彼はせめて自分の差し出がましい行為を弁明し、また自分が客観的な証言者の語調をとることに留意したことを理解してもらうようにだけはしておきたいのである。ペストの全期間中、彼はその職務によって、市民の大部分の者に会い、彼らの感情を感じとることのできる状態に置かれた。したがって、彼は自分の見聞したところを報告するには適切な位置にあったわけである。しかし、彼はそれを、望ましい控え目な態度で行おうとした。全般的に、彼は努めて、自分の見えた以上のものは報告しないように、また自分のペスト仲間たちにも結局彼らがいだくには至らなかったような思想は賦与しないように、そして偶然あるいは不幸のおかげで、彼の手にはいることとなった記録だけを引用するように、心掛けたのである。(446頁)


 こうした語りのスタンスを保って、目の前で進行する事実と、それにまつわる人々の行動が語られていきます。ペストと人間の長い〈物語〉が展開します。
 例えば、次の話などは今に通じるものです。

あるカフェが「純良な酒は黴菌を殺す」というビラを掲げたので、アルコールは伝染病を予防するという、そうでなくても公衆にとって自然な考え方が、一般の意見のなかで強まってきた。毎晩、二時頃、カフェから追い立てられた相当の数に上る酔っ払いたちが街頭にあふれ、そしてしきりに楽観的な言葉をわめき散らしているのであった。(114〜115頁)

(中略)

 ところで、初めの頃われわれの葬式の特徴をなしたものは、迅速さということであった。すべての形式は簡略化され、そして一般的なかたちでは葬儀の礼式というものは廃止されていた。病人は家族から遠く離れて死に、通夜は禁止されていたので、結局、宵のうちに死んだ者はそのまま死体だけでその夜を過し、昼の間に死んだ者は時を移さず埋葬された。もちろん、家族には知らされたが、しかしたいていの場合は、その家族も、もし病人のそばで暮していた者なら予防隔離に服しているので、そこから動くことができなかった。家族が故人と一緒に住んでいなかった場合には、その家族は指定された時刻に出向くのであったが、その時刻というのは、遺体が清められ、棺に納められて墓地へ出発する時刻だったのである。(255頁)


 長い物語を経て、そのペストが収束の兆しを見せ、街も新しい生活を迎えようとしていたその時、リウーの分身とでも言うべきタルーが、ペストに感染した兆候を見せます。

 タルーは身動きもせず戦っていた。ずっと一晩じゅう、ただの一度も、苦痛の襲来に対して反射的なあがきを示さず、ただそのあらんかぎりの重厚さと、あらんかぎりの沈黙とをもって戦っていた。しかしまた、ただの一度も口をきこうとせず、つまり彼一流の告白の仕方で、もう心をそらすことなど全然不可能になったことを告白していた。リウーは戦いの推移をただ友の目つきによってたどっていた――かわるがわる開きあるいは閉ざされる目、眼球に一層強く圧しつけられ、あるいは反対にたるむ眼瞼、何か一つのものに凝集され、あるいはリウーと母親のほうへ振り向けられる視線。リウーがこの視線に出くわすたびごとに、タルーは非常な努力をしながらほほえんでみせた。(422頁)


 その病魔との戦いぶりは、読むものの胸を打ちます。そして、克明で感動的な描写を伴って、ついに亡くなります。
 見たまま聞いたままの一部始終を、リウーの目を通して丹念にことばにして語り残しています。冷静な態度と判断が、多くのことを今に伝えてくれます。

 最後は、次のように、未来を見据えての予言的な語りによって閉じられます。

 事実、市中から立ち上る喜悦の叫びに耳を傾けながら、リウーはこの喜悦が常に脅やかされていることを思い出していた。なぜなら、彼はこの歓喜する群衆の知らないでいることを知っており、そして書物のなかに読まれうることを知っていたからである――ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもないものであり、数十年の間、家具や下着類のなかに眠りつつ生存することができ、部屋や穴倉やトランクやハンカチや反古のなかに、しんぼう強く待ち続けていて、そしておそらくはいつか、人間に不幸と教訓をもたらすために、ペストが再びその鼠どもを呼びさまし、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差し向ける日が来るであろうということを。(458頁)


 ペストという病気の恐ろしさは、この作品を通して、具体的に十分に伝わってきました。それだけに、私が十分に読み切れなかったと思われる登場人物たちおのおのの思いに、再度の通読の機会を得て耳を傾けたいと思っています。【4】
 
 
 
posted by genjiito at 19:41| Comment(0) | ■読書雑記

2020年05月15日

京洛逍遥(625)王朝絵巻さながらの行列がなかった今年の葵祭 -2020

 例年であれば、今日は葵祭の華やかな行列が見られる日です。しかし、今年は新型コロナウイルスの感染が拡大するのを避けるために、斎王代が注目を浴びる行列(路頭の儀)は、残念ながら中止となりました。斎王代も選ばれないままだったとか。最近では、1995年に雨のために中止となっています。
 神事である社頭の儀は、関係者だけで行われるとのことなので、それが終わるお昼前を見計らって出かけました。

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 ちょうど神事が終わり、神職の方々がお戻りになるところが、西の鳥居から姿だけ見えました。

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 楼門に回ると、神事が無事に終わり最後の挨拶をなさっているところでした。

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 葵祭の当日に、このような楼門の姿を見るとは思いませんでした。本来ならばこの時間は、御所を出発した行列が下鴨神社の境内に到着し、ご奉仕の方々や馬などの喧騒に包まれている頃です。

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 光琳の梅には、みごとな梅の実が生っていました。

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 本殿の前の門の様子も、いつもと違います。

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 お守り代わりにお祭りのシンボルをいただきました。

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 境内の「媛小松」も、いつもと違ってお祭りの日ということで神々しく見えます。

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 この横に立つ説明書きを、スマホのアプリ「一太郎 Pad」で撮影して文字をテキストにしました。ほとんど正確に変換してくれます。

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媛小松 マツ科/ヒメコマツ

ちはやぶる 鴨の社のひめこ松
よろずよふとも 色はかわらじ
     藤原 敏行 (古今和歌集)

 賀茂祭(葵祭)、御蔭祭のとき
奏される東游はわが国最古の
歌舞である。
この松は歌の二段目「求め子」で
鴨の社のひめ小松とうたわれた
媛小松である。
 なお「ひめこ松」のひめは
当神社の御祭神
玉依媛命の御名にちなんで
「媛」と記されるようになった。


 葵祭の記念に、宝泉堂の申餅をいただいて帰りました。最近、自宅でお茶を点てて練習を始めたので、ちょうどいいお茶菓子になります。

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 お昼は、下鴨本通りにある千成食堂に行きました。今月の連休明けから新装となったそうです。

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 お店の中に、青伸ホームの花が飾ってあることに気付きました。

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 青伸ホームの青山さんには、賀茂川の右岸からこの左岸の地に移ってくる時に、大変お世話になりました。まだ東京との往き来をしていた時には、折々に自転車で我が家の前を通りかかり、様子を気にかけて見ていてくださいました。今も、時々お声掛けにひょっこりと来てくださいます。何度か上がっていただき、お茶を飲みながらお話をしています。その青伸ホームさんからのお祝いの花を見て、お店の方と青伸さんの話をしました。地元の方とのご縁が、こうして少しずつ拡がっていくのは楽しいものです。

 今週はじめ、5月11日(月)の京都新聞に、同志社大学の垣見さんが連載なさっている「古典に親しむ 万葉集のやまとうた」の第2回目の記事が「賀茂神社」と題して掲載されていました。紹介されていたのは大伴坂上郎女の次の歌です。

 夏四月、大伴坂上郎女、賀茂神社を拝み奉る時に、便ち逢坂山を越え、近江の海を望み見て晩頭に帰り来りて作る歌一首
 木綿畳 手向の山を 今日越えて
   いづれの野辺に 廬りせむ我
         (巻六・一〇一七)


 ここで、賀茂神社と葵祭に関して、次のように説明されています。

題詞によれば、郎女は賀茂神社(上賀茂神社・下鴨神社)を参拝したついでに、山背・近江の国境にある逢坂山を越えて近江の海(琵琶湖)を望見している。
(中略)
 この歌は京都市中心部との関わりも深い。郎女が奈良の地から遠く四、五十キロの道を北上して賀茂神社に詣でたのは、旧暦四月の第二の酉の日に行われる賀茂の祭(後の葵祭)が目的であったらしい。賀茂神社では奈良時代以前から祭日に騎射が行われ、多くの人々を集めていた。騎射は「うまゆみ」といい、葵祭で行われる流鏑馬神事のルーツである。しかし多人数が武器を持って集うことが嫌われ、文武二(六九七)年以降、禁じられたり山背国の人のみの参加に制限されたりしながら、天平十 (七三八)年には乱闘しないことを条件に解禁されている。坂上郎女の歌は天平九年の作と見られるが、解禁前でも他国からの見物人が絶えないのが実態だったのだろう。平安京がまだ存在しない天平の時代に、奈良の都びとが鴨川のほとりを旅した折の作である。


 奈良時代の歌人が賀茂祭(今の葵祭)を見に来ていたことを知り、驚きと共に新鮮な知識と接する機会になりました。長い時間の流れの中で、人々が生きていた証しを確認し、その地に今自分が立っていることの奇縁を感じています。
 
 
 
posted by genjiito at 20:59| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2020年05月14日

歩けなくなったハッチャンが元気を回復

 ハリネズミのハッチャンが我が家に居候するようになったのは、今年の1月からでした。

「ハリネズミのハッチャンが空路ANA便でやって来ました」(2020年01月14日)

 新生活が始まったころは、まだ遠慮がちでした。

「ハッチャンの家が東京から届きました」(2020年01月16日)

 慣れてくると、夜中に運動会を始めるようになりました。

「京洛逍遥(591)桜の開花と廻転寿司屋の開店」(2020年02月20日)

「京洛逍遥(594)人がまばらな京都駅周辺」(2020年03月02日)

 3月の下旬から、後ろの左足を引きずるようになり、しだいに真っ直ぐには歩けなくなりました。ゆるい斜面も登れません。いわゆる「ふらつき症候群」と言われているもののようで、やがてコロコロと転がって移動するようになったのです。

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 ハッチャンは、2016年10月1日生まれです。今、3歳半。ハリネズミの寿命は、3〜5年だそうです。高齢なのです。歩けなくなったのは、老化現象だとも言えます。とにかく、何か手立てはないものかと、下鴨神社のすぐ横にある動物病院で診てもらいました。やはり「ふらつき症候群」のようで、不治の病だとも。しかし、介抱してやれば、足は萎えたままでもしばらくは生きていけるでしょう、とのことでした。親切なお医者さんでした。「ハッチャンさん」と呼ばれています。飲み薬をいただきました。先は長くないかと観念しながらも、毎日世話をしていました。

 今日の診察で、先週よりも格段に元気になっているのを見た先生は、驚いておられました。体重は60グラムも増えています。後ろ足で踏ん張ることもできます。きれいに、ふっくらと丸まっています。これなら、「ふらつき症候群」を脱することも可能です。単なる加齢による足腰の老化だと思えばいいのです。

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 とにかく、エサをよく食べ、水をたくさん飲みます。元気になりました。まだ、廻転車で遊ぶまではいきません。明日からは、外で運動させようと思っています。
 新型コロナウイルスの自粛が始まった頃に下半身に変調を来たし、今夜の自粛解除と共に回復の兆しをはっきりと見せてくれたハッチャンです。
 みんな、元気がなによりです。
 
 
 
posted by genjiito at 20:45| Comment(0) | *健康雑記

2020年05月13日

吉行淳之介濫読(26)『暗室』

 『暗室』(昭和48年1月、講談社文庫)を読みました。

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 三島由紀夫が、吉行淳之介の『暗室』は谷崎潤一郎の『卍』に「遠く呼応するものであろう。」という選評をしていることを、宮城まり子さんが紹介しています(『淳之介さんのこと』「飛行機雲」、228頁)。そうだったのかと思い、読む順番を前後させて読み直すことにしました。

 味覚と聴覚の話で始まります。
 主人公は妻の事故死について、自殺だったのではないか、という疑いを少しだけ持っています。ただし、このことは、その後は特に何かと関係していくことはありませんでした。
 そして触覚。さらに色覚。
 話題の一つとしてあがる天才理学博士の内山虎雄には、2人の兄妹がいました。共に精神を病み、屋根裏部屋に住んでいました。兄は目が見えない、というのです。その田舎での静養は、20日ほどでした。目が見えないことに関しては、3箇所(48頁、50頁、87頁)に触れられています。このことは、別の機会に書くつもりです。
 マキとタエという2人の女性は、共に同性愛者という関係を楽しんでいます。そのことを、日記のスタイルで書こうとします。男性同性愛者と女性同性愛者について、冷静な目で客観的に分析していきます。吉行がよく見せる一面です。
 ここでは、マキが書いた同性愛に関するメモが、話を引っ張っていきます。
 主人公で語り手であるライターの中田は、マキとの会話で同性愛者について、そのマキのメモの内容を仲立ちにして議論します。そして、中田は観察者としてマキと旅館に入ります。
 交通事故で亡くなった圭子、その後は多加子、マキ、由美子が去った後は、夏枝との関係が続いています。
 読み終えて、若かった頃に本書を読んだ記憶を探り出そうとしました。しかし、まったく手掛かりが見つかりません。読んだ記憶は、所々にあります。しかし、ほとんど思い出せません。描かれている世界が、あまりわからなかったのでしょう。今回も、次第にわからなくなりました。とくに後半の、夏枝に絞り込まれていくあたりから、それまでの吉行が構築した世界の全体像が輪郭を持ち出したのです。女と性というものを、明らかにしていることは実感できます。読み取れたように思います。しかし、それがそれまでの〈物語〉とは接点を持たないのです。
 読後感は、まだ私にはよくわからない、ということになります。
 冒頭で触れた、三島由紀夫が『暗室』は谷崎潤一郎の『卍』に通うものがあると言った点については、まだよくわからないままです。この谷崎潤一郎の選評は、吉行の谷崎賞贈呈式の1週間後の1970年11月25日に三島が市ケ谷で自決したため、三島にとって最後の文学賞の選評となったものです。この作品は、またあらためて読み直すことになりそうです。【3】

 なお、この暗室をめぐる興味深い話はいろいろとあります。特に、「自由人の系譜 吉行淳之介「闇のなかの祝祭」と「暗室」(7)」(2018年04月23日)では、この『暗室』のモデルをはじめとして、いろいろな情報を提示しています。この作品の背景を知るのに参考になります。

■初出誌:『群像』1969年1月〜12月、連載12回)
    単行本『暗室』(1970年3月、講談社)
※第6回谷崎潤一郎賞受賞
 
 
 
posted by genjiito at 21:07| Comment(0) | □吉行濫読

2020年05月12日

京洛逍遥(624)久しぶりに研究室へ行った帰りの河原町

 箕面キャンパスにある大学の研究室に行きました。1ヶ月半ぶりの遠出です。
 道中の2時間は、いつもよりも緊張しました。しかし、人が少なかったので一安心。
 往きの市バスは、平日の朝8時前後ということもあり、半分以上の席は埋まっている状況でした。かつてのように、立っている人はいません。阪急電車は、3分の1以下の乗客です。通勤の方がほとんどのようです。大学行きのバスは、私を含めて3人。授業がないので、こんなものでしょう。
 研究室は、3月下旬のままで迎えてくれました。会社や学校で、休業や留守を狙った盗難があると聴いていました。しかし何の変化もなく、安心しました。
 新年度はメンバーの増員もあるので、机などの配置替えをしました。無事に来月から研究室が使えるようになれば、8名が90平米の部屋で科研研究の業務に就くことになります。この空間であれば、3密はクリアできます。今の在宅勤務が一日も早く終わり、みんなが寄り集まって、これはどうしようか、どこかにこんなものはないだろうか等々、ああでもない、こうでもないと、情報交換をしながら、手探りながらも手応えのある仕事をしたいものです。
 帰りは、帰宅の人混みをさけるために、いつもより少し早めに研究室を出ました。といっても、2時間に1本のバスに乗るので、少し早めといっても選択肢は一つ前の便しかありません。
 帰りは、来る時よりもさらに人が少なかったので、人混みを心配することはありませんでした。
 河原町のバス停では、カメラを左右に振っても、視界に入る人はまばらです。

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 周辺のお店はほとんどがお休みなので、ブラブラすることもなく、すぐに来たバスに乗って帰りました。味気ない道中となった、久しぶりの遠出です。気を緩めると感染が拡がるので、これくらいを維持しつづけることが肝要のように思われます。第2波、第3波が話題になっている中であっても、とにかくこの第1波をやり過ごすことに専念したいものです。
 
 
 
posted by genjiito at 20:32| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2020年05月11日

吉行淳之介濫読(25)『浮気のすすめ』

 『浮気のすすめ』(集英社コンパクト・ブックス、1965年9月)を読みました。

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 これは、「吉行淳之介濫読(23)宮城まり子『淳之介さんのこと』」(2020年03月25日)と「吉行淳之介濫読(24)宮城まり子『淳之介さんのこと』を追悼の気持ちで」(2020年03月27日)を書いたことから、私にとって吉行淳之介との始発点となった本のことに触れておかなくては、との思いから読み終えたものです。

 高校2年生の時、大阪の老舗古書店の天牛書店で、偶然に本書と出会いました。以来、吉行淳之介の作品を読み出しました。文章の軽さと重さが絶妙なので好きになりました。並行して谷崎潤一郎の作品も読んでいたので、少しませた高校生だったように思います。17歳当時、内容がどの程度わかったのかは不明です。背伸びもあったことでしょう。しかし、その文章の雰囲気が気に入りました。
 本書は、自分の体験と友人知人の話を巧みに配して、「浮気」をテーマにした随想で構成されています。ごく自然なスタイルで、「浮気」について飄々と語られています。
 著者はこれを随筆と位置づけ、次のような姿勢で「浮気」について35回にわたって語り継いでいきます。

 この随筆は、あまり理詰めな書き方は避けて、なるべく「浮気」な書き方をしたい。そして、たくさんの断片の積み重ねから、「浮気」というものの姿が浮び上ってくればよい、とおもう。それがどういう姿をしているかは、目下のところ、私自身にとっても曖昧模糊としているのだが。(78頁)

 私のこの随筆では、病理学の対象となるものは避けて、もっぱら正常な人間のあいだにおいての「浮気」について調査し考えてみたいとおもう。(83頁)

「アルス・アマトリア」や「カーマス ー トラ」や「アナンガ・ランガ」などという技術研究書には、きわめて明瞭な表現で書いてある。これらは、一種、医家の心がまえで書いてあるから、そのような表現も許されるのだが、随筆ではそうもいかない。
 これらの本は、市販されているから未読の方は、読んでごらんになるのもよろしかろう……。
 などと、当節では気軽にそう言えるのだが、戦前ではこれらの本は、
「まぼろしの書物」
といってよいくらいのものであった。(126頁)

「本気」はたいへんだから、その替りに「浮気」を持っていらっしゃい。その方が、精神の衛生によろしい、という意味合いのことを、「浮気のすすめ」の結びにしようとおもっていた。(176頁)


 なかなか扱いかねるテーマに、吉行は悪戦苦闘しています。そして、しだいに半身に構えた姿勢で語っていくのです。ここでは、その一々には触れません。確かに、調査らしきものはやっています。それが、身近な人々からの情報をもとにしてのことであっても。際どい話が随所に見え隠れしながらも、求道者の姿を装って語っています。【4】
 
 
■初出誌:『週刊サンケイ』1960年3月〜11月(連載35回)
 単行本:『浮気のすすめ』(新潮社、1960年12月)
 
 
 
posted by genjiito at 23:40| Comment(0) | □吉行濫読

2020年05月10日

谷崎全集読過(37)『卍』

 この物語の中核をなす園子と光子の往復書簡のことを紹介するにあたり、文中には「作者註」があります。そこには、封筒の大きさや細かなデザインの説明が記されています。谷崎は、艶やかな趣味の世界を読者に体感できるように表現しようとしているのです。王朝文学の懸想文のイメージの再現です。また、谷崎が考えていた東京と大阪の女についても、わかりやすく説いています。まず、長くなることを厭わず、その箇所を引いておきます。

(作者註、柿內未亡人がほんの一部分だと云つたところのそれらの文殼は、約八寸立方ほどの縮緬の帛紗包みにハチ切れるくらゐになつてゐて、帛紗の端が辛うじて四つに結ばれてゐた。その小さい堅い結び目を解くのに彼女の指頭は紅を潮し、そこを抓つてゐるやうに見えた。やがて中から取り出された手紙の數々は、まるで千代紙のあらゆる種類がこぼれ出たかのやうであつた。なぜならそれらは悉くなまめかしい極彩色の模様のある、木版刷りの封筒に入れられてゐるのである。封筒の型は四つ折りにした婦人用のレターペーパーがやつと這入る程に小さく、その表面に四度刷り若しくは五度刷りの竹久夢二風の美人畫、月見草、すゞらん、チューリップなどの模様が置かれてある。作者はこれを見て少からず驚かされた。蓋しかう云ふケバケバしい封筒の趣味は決して東京の女にはない。たとひそれが戀文であっても、東京の女はもつとさつぱりしたのを使ふ。彼女たちにこんなのを見せたら、なんてイヤ味ツたらしいんだらうと、一言の下に軽蔑されること請け合ひである。男も彼の戀人からかう云ふ封筒の文を貰つたら、彼が東京人である限り、一朝にしてあいそを盡かしてしまふであらう。とにかくその毒々しいあくどい趣味は、さすがに大阪の女である。さうしてそれが相愛し合ふ女同士の間に交されたものであるのを思ふ時、尚更あくどさが感ぜられる。とくにその手紙のうちから此の物語の真相を知るのに參考になるものだけを引用するが、ついでにそれらの模樣に就いても、一つ/\紹介するであらう。思ふにそれらの意匠の方が時としては手紙の內容よりも、二人の戀の背景として一層の價値があるからである。−)
(五月六日、柿內夫人園子より光子へ。封筒の寸法は縱四寸、横二寸三分、鴇色地に櫻ン坊とハート型の模様がある。櫻ン坊はすべてゞ五顆、Kい莖に眞紅な實が附いてゐるもの。ハート型は十箇で、二箇づゝ重なつてある。上の方のは薄紫、下の方のは金色。封筒の天地にも金色のギザギザで輪郭が取つてある。レターペーパーは一面に極くうすい高ナ蔦の葉が刷ってある上に銀の點線で罫が引いてある。夫人の筆跡はペン字であるが、字の略しかたにゴマカシがないのを見れば、相當に習字の稽古を積んだものに違ひなく、女學校では能筆の方だつたであらう。小野鵞堂の書風を更に骨無しにしたやうな、よく云へば流麗、わるく云へばぬらりくらりした字體で、それが又不思議なくらゐ封筒の繪とぴつたり合つてゐる)(30頁下〜31頁下)


 物語の中では英語やフランス語も混じっています。手紙が知的な交流であることを示すためでしょう。
 そんな中での、園子と光子の濃密な関係は、園子の身勝手な行動と論理で語られます。現代の若者は、これをどう読むのでしょうか。知りたいところです。
 光子が苦しんでのたうちまわるくだり(「その14」谷崎全集73頁)は、真に迫った描写がなされます。ただし、これは光子の狂言で、次第にお互いがこの芝居を楽しむという、谷崎らしい展開となっています。
 光子を美しさの対象として崇拝するという考え方が次第に明らかになっていきます。園子と綿貫は、次第に光子の策略にはまり、虜になってしまったという構図です。そして、綿貫は園子との姉弟の約束を固いものにするために、証文としての誓約書を2通作るのです。しかも、血判付きのものです。その内容と行為には、人間の愛情と関係を言葉で制御する、谷崎流の考え方が見えます。後に、谷崎が実際に実行することです。
 やがて、自殺未遂をきっかけに、園子と夫を光子は支配します。疑心暗鬼や嫉妬の心をうまく利用して、睡眠薬を毎晩使って2人を思い通りに操るのです。自分を太陽のように崇拝させることで満足感を得るのです。いかにも作り話であっても、人の心理を突いた展開です。物語としてはうまいと思いました。谷崎がストーリーティラーと言われるゆえんです。
 そして、〈物語〉を閉じる流れが実に巧みです。語り手である園子が、話題をスーッと読者に預けてきます。谷崎の面目躍如というところです。
 なお、最終節の一つ手前の「その三十二」で、「たつた一人貧乏鬮抽いたのん●●●●で」(158頁)とあります。この作品を読まれる方のために、ここではそのことばは「●●●●」として伏せておきます。さらに「此の●●●●から後で意趣返しされるやなんて、夢にも思ひ寄りませなんでん。」と語ります。この作品の終わり方を思うと、〈物語〉の最終段階でこのように言ってしまうと、これから先の展開が読者には見えてしまいます。なぜ、谷崎はこのように、今後の展開をわざわざここで漏らしたのでしょうか。私は、このくだりはない方が良かったと思います。谷崎によくある、終わりを急いだ、ということなのでしょうか。作者自身が集中力を切らしたのではないか、と私は思っています。谷崎の小説作法を考える上で、参考になると思われるところです。【4】
 
 
■初出誌:『改造』昭和三年三月号−四年四月号、六月号−十月号、十二月号−五年一月号、4月号
 
 
 今回読んだ『谷崎潤一郎全集 第十七巻』の解説で、伊藤整は次のように言っています。谷崎と関西と古典のつながりを考える上で参考になるため、長文ながら関係する箇所を引きます。

「卍」が雑誌「改造」に書きはじめられたのは、昭和三年三月、作者が數へ年四十三歳のときである。作者が關西に定住して「痴人の愛」を書いた大正十三年から數へて五年目にあたる。この昭和三年は、昭和文學全體から見ても劃期的な時期に當る。實質上、新しい文學の世代としての昭和文學はこの年にはじまつた、と言つていいのである。(270頁)
(中略)
「卍」は阪神地方の知識階級の女性の日常語で書かれた小說として、特にその文體が問題になつた。しかし、雑誌に掲載された第一回は標準語に近い文體であつたが、第二回以後大阪言葉に改められ、單行本になるとき全體が大阪言葉で統一されたのである。關西の言葉には、一般の文章語なる口語體にない柔軟さと、微妙な陰翳の把握力とがあつて、特に女性の心理描寫に適切である。それをこの作者が、十分にこの作品に生かしてゐることが、當時、新しい文體の創出に苦心してゐた後輩の作家たち、特に新感覺派、新興藝術派系の作家たちや、その系統のものに親しんでゐた讀者の關心を強く引いた。この作品は、昭和三年三月から連載され出して、終つたのが昭和五年四月である。作者は初めこの作品の第一稿を普通の口語文體で書き、それを關西の女性の手で飜譯させ、さらに手を入れて完成したのだといふ。(272頁)
(中略)
「卍」は作者の關西移住後の作風轉換の第一期を劃するすぐれた作品であるが、その題材から言つて現代小說であり、「蓼喰ふ蟲」とともに、それ以後の古典時代の作品と區別されてゐる。前に私は「卍」は作者におけるモダニズムの終りに當ると書いた。しかし、「蓼喰ふ蟲」がその題材において、特に後牛の部分で、關西情緒への作者の深い關心を示してあるやうに、「卍」もまたその現實把握の方法、その表現の方法において、標準語的表現によるリアリズムから脱し、關西語を通して、古典的な表現の領域へ入らうとする試みの一つと見ることもできる。古き日本の傳統的說話方法によって、古典的寫實手法の成立する第一歩がそこに築かれてゐるからである。作者の古典時代は、先づ關西の傳統藝術への關心、關西の傳統的な表現法についての省察等によって準備され、そこから遡って、「亂菊物語」(昭和五年)の華麗な過去の物語の展開を行った後に、沈潜的な古典物語の様式に入つて行つたのである。關西語系の表現の中に古典への道を發見した點において、「卍」は特殊の意義を持つ作品である。(274頁)

 
 
 
posted by genjiito at 18:36| Comment(0) | □谷崎読過

2020年05月09日

京洛逍遥(623)白川疎水を高野川まで歩いた後はお茶のお稽古

 白川疎水の始発点は、南禅寺の水路閣です。そこから流れは北上して哲学の道や銀閣寺、そして一乗寺を経て西に流れを変えてからは高野川を潜り、後はさらに西の賀茂川に向かって流れます。
 我が家の近くを通る白川疎水の「しもがも 葵の小径」については、「京洛逍遥(604)「しもがも 葵の小径」の桜 -2020-」(2020年04月02日)で紹介しました。
 この疎水は、賀茂川左岸からサイホン式で川を渡ると、紫明通を伏流して堀川通に至ります。
 今日は、その白川疎水が賀茂川の手前で地下に潜る下鴨中通りから南禅寺に向かって、逆コースで歩くことにしました。

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 ただし、午後は雨という天気予報なので、降り出したら引き返すという心づもりの散策です。
 その前に、和菓子屋さんの笹屋吉清で、お茶用のお菓子をいただきました。
 まずは、「しもがも 葵の小径」から高野川までを歩きます。
 疎水通には古い佇まいの家が多いので、いつもとは違う散策です。

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 疎水の遺構とでもいうべき煉瓦積みの水路も、突然顔を見せます。

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 このまま東へ向かって進むと、高野川にぶつかります。比叡山が迫っています。

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 このすぐ近くには、洛北阪急スクエアがあります。昨冬まではリバーズ京都(カナート洛北、ホテルアバンシェル京都)と言っていた商業施設です。ここには、よく買い物に来ます。
 そろそろ天気が怪しくなってきたので、高野川を渡ったその先はこの次ということにして、引き返すことにしました。
 帰ってから、久しぶりにお茶のお稽古をしました。お菓子は、散策に行く時に買い求めた笹屋吉清の和菓子です。
 お茶は、2月2日にお稽古に行って以来です。3ヶ月も前のあの日は、「大和平群で丸卓を使ったお茶のお稽古」(2020年02月02日)に書いた通り、まだ外出自粛の緊迫感は薄かったように思います。何もなかったからいいようなものの、今から思えば冒険でした。
 こんなに間が開いたのは、東京にいた頃以来のことです。仕事が忙しくて、京都と東京の往き来に追われ、奈良まで行く余裕がなかった時でした。東京を引き上げて京都に帰ってからは、体調を崩しても1ヶ月以上も間を空けたことはありません。それが、行きたいのに外出自粛で行けないという状況で、何度も和菓子だけは手に入れても、道具を出してのお稽古にまではいきませんでした。
 これではいけないと思い、今日は時間を作りました。しかし、情けないことに基本的なことからして、きれいさっぱり忘れています。妻に教則本を元にして流れを読み上げてもらいながら、そうか、そうだった、と呟きながらのお点前となりました。近在の笹屋吉清のお菓子と一保堂の抹茶ということで、点てる腕はともかく、お茶はおいしくいただきました。道具はこのまま出しておき、また近々点てたいと思っています。ということで、ぶざまなお点前だったので写真はありません。
 
 
 
posted by genjiito at 18:50| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2020年05月08日

京洛逍遥(622)新しくなった半木の道の丸太の腰掛け

 半木の道の散策路に置かれている丸太の腰掛けが傷んだため、取り換え中だったことは4月21日の記事で書きました。

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 その腰掛けが、この連休中に新しくなりました。
 爽やかな木の香りがします。

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 この近くには、こんな石碑があります。

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 花ひらを
  浮かへ
きらめく
  鴨川
 永遠の流れ
     を
  子らに残さん


 今日は、連休明けとはいえ、多くの親子連れが水遊びを楽しんでいます。

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 向かいの右岸では、テントを張って子供たちを遊ばせておられます。
 こうした風景は、出雲路橋の下流では、河原が広いこともありたまにあります。しかし、この北大路橋の上流で見るのは初めてです。

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 明日からの週末は天気が思わしくないようなので、人出は少なくなることでしょう。
 出町柳の三角地帯から南は若者たちが、その北は家族連れが集まったゴールデンウィークでした。
 
 
 
posted by genjiito at 20:49| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2020年05月07日

谷崎全集読過(36)「愛なき人々」

 妻を友人に譲る話と、その後日譚です。人間と財産がセットでやりとりされ、契約が成立する経緯が語られます。実際に、昭和5年に谷崎が佐藤春夫に妻を譲渡したことがありました。発表当時はともかく、そのことを知っていて読む今の読者にとっては、作り話らしさは薄められて感じられます。
 そうであっても、女性の帰属先をめぐるこの話は、今の若者には理解不能だと思われます。あくまでも、谷崎の女性観から描かれた世界として読む作品であり、谷崎を理解するためにはいい作品です。
 ここに語られる男の身勝手としか言いようのない論理は、その時代背景と谷崎の個性抜きには語れません。その意味では、本作は作品というよりも資料として価値を持つものだと思います。
 第三幕は、大いに盛り上がります。ただし、時間がなかったのか、少し荒っぽい結末です。【2】
 
 
初出誌︰『改造』大正12年1月号

 今回読んだ『谷崎潤一郎全集 第八巻』の解説で、伊藤整は次のように言っています。
人生において真の愛の失はれることがあり得るだらうか、といふ疑を持ちながら書いたやうに見えるのが「愛なき人々」である。そして、この作品においては、作者は、金のために友人の棄てた妻を手に入れる小倉なる人物を設定することによつて、その豫想を實現し得たかのやうに見える。しかしこの作品は、前作ほど十分に書き込まれてゐるとは言はれないところがあり、一應形としてはまとめてゐながら、なほ作者自身が滿足しないところがあるやうに思はれる。(258頁下段)

 
 
 
posted by genjiito at 20:19| Comment(0) | □谷崎読過

2020年05月06日

孫たちのお茶会

 昨日のこどもの日には、3歳と1歳の孫たちはお茶を点てて楽しんだようです。
 一人前に野点をした、ということになります。
 お茶菓子は「こいのぼり」でしょうか。

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 これまでに、我が家で開いた孫たちとのお茶会は、季節ごとにありました。
 今は、なかなかそんな悠長なことをしていられる状況ではありません。

「孫娘2人を相手にお茶の特訓」(2019年11月20日)

「孫のお点前でお茶をいただく」(2019年07月03日)

「孫娘が点てたお茶をいただく」(2019年03月24日)

 さて、私は2月以来、新型コロナウイルスのおかげで、お稽古に奈良まで出かけるわけにもいかず、お点前の作法をすっかり忘れてしまいそうです。
 外出自粛で遠出を避けて4ヶ月が経ち、いつしか炉から風炉に変わりました。
 何度か、自宅で練習をと思いながら、一度だけ座卓の上で点てただけです。
 和菓子屋さんは近くに何軒もあるので、数回いただいて来て「それでは」と思ったところまでで、実際にはきちんとお稽古にはなっていません。
 糖尿病患者なのに、お茶菓子だけは季節のものをいろいろといただいています。
 そろそろ本気で取り掛からないと、きれいさっぱり忘れてしまいそうです。
 誰かお客人を呼べたら、もっと真面目に取り組むのですが……
 このご時世、来ていただくわけにもいかないので、夏向けの道具を出すことからその気になるしかありません。
 
 
 
posted by genjiito at 19:48| Comment(0) | *美味礼賛

2020年05月05日

京洛逍遥(621)いつもと違う洛北と菖蒲の湯

 今日も、河原でお弁当をいただきました。
 出雲路橋を渡って右岸を下り、毎年お盆に京都五山の大文字の送り火を見る場所に腰を落ち着けました。ちょうど木陰でもあり、心地よい風を満喫しながらのお食事です。目の前には、風を受けて雄大に泳ぐこいのぼりが元気をくれます。

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 如意ヶ岳の大文字山には、人影が認められます。一度登りたいと思いながら、いまだ果たしていません。今年の夏は、悪疫退散を願い、登頂を試みたいと思っています。

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 出町柳の、賀茂川と高野川の合流地点である飛び石では、多くの親子が水遊びをしています。

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 帰りのバスは、誰も乗っていません。走る車が少ないせいもあり、停留所に早く着きすぎるのでノロノロ運転です。前に別系統のバスがいたこともあり、少し早足の人と同じスピードです。のんびりしたバスでした。これもいいものです。

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 葵祭の行列で賑わう賀茂街道も、ほとんど車の姿がありません。今年の葵祭は行列がないそうなので、寂しい新緑の街道です。

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 今日5日は端午の節句です。お風呂には菖蒲を浮かべました。

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 無病息災を祈り、新型コロナウイルスの収束を願うのみです。
 
 
 
posted by genjiito at 20:37| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2020年05月04日

京都新聞で読む〈やまとうた〉の新案内人は垣見修司さん

 京都新聞の月曜日に、「古典に親しむ」というシリーズが連載されていることは、「京洛逍遥(600)四分咲きの桜と新聞記事の意義」(2020年03月23日)で紹介した通りです。先週4月27日の小林一彦さんの「古典に親しむ 新古今和歌集の森を歩く」では、「五十二 春との別れ」と題して次の〈読み人しらず・春下・一七二〉の歌が紹介されました。

待てといふにとまらぬものと知りながら
  しひてぞ惜しき春の別れは


 この最終回を、小林さんは新型コロナウイルスに触れつつ、次のように語り終えておられます。

 古典和歌には、人と自然との循環型の暮らしが、やわらかなやまと言葉でよみこまれている。蒸し暑い夏、底冷えの冬も、季節を口説きながら、共生してきたのだ。疫病すら、人と同じ自然界の一部。敵味方の別なく、共生することでしのいできた歴史がある。古典から学ぶべきことは、たくさんある。


 小林さんは『新古今和歌集』の案内人として、歌ごころの乏しい私にもよくわかるように、やさしく和歌の楽しみ方を教えてくださいました。52週も続いたのですね。ありがとうございました。

 今日(2020年03月23日月曜日)からは、バトンタッチを受けた垣見修司さんの「古典に親しむ 万葉集のやまとうた」がスタートしました。
 第1回は「山吹」と題して、次の歌が紹介されています。

うぐひすの 来鳴く山吹
  うたがたも 君が手触れず 花散らめやも
      (大伴池主、巻十七・三九六八)


 初回は、まさに小林さんのバトンを受けた形で、次のように語り出しておられます。

 新型コロナウイルスの感染拡大で、今年はゴールデンウイークも遠出はせずにもっぱら自宅で過ごしている人が多いだろう。三月からこのかた卒業式や入学式も、楽しみにしていた旅行もほとんどが取りやめになり、春がずいぶん永く感じられた。
 『万葉集』の最終編者と目される大伴家持も、天正十九(七四七)年の春は、死を意識するほどの大病を患い外出のままならない日々を過ごしていた。何十日も苦しみようやく快方に向かったものの、痛みは残り体力も落ちてしまった。家の外では春花の香りが立ちこめ、林にはうぐいすが囀っているだろう。この良い時季、音楽を奏で酒を飲んで楽しみたいが、まもなく行われる上巳(後の桃の節句)の宴には出席できそうもない。そんなうらめしい思いを歌にして、経緯を記した漢文の序とともに、友人の大伴池主に宛てて贈っている。
 掲げた歌は池主が家持への丁寧な返信として詠んだもの。


 そして、最後はきっちりと着地が決まります。

 同族で仕事仲間でもあった家持と池主との友情は、この病後の書簡のやりとりをきっかけにしてさらに深まった。そして立夏の頃にはすっかり快復した家持はその後数年のうちに多くの秀歌を詠み、さらに「万葉集』の編纂を成すことになる。


 垣見さんとは、昨年4月からご縁があって連絡をとることとなりました。私の科研の研究協力者として来てもらうことになった吉村君は、同志社大学の学部三回生でした。私が指導する学生さんではないので、アルバイトとして大阪大学に来てもらうにあたり、垣見さんにご許可をいただくために、メールで連絡をとったのが最初でした。当初の指導教授であった岩坪健さんが、1年間のサバティカルで大学を一時的に離れられるということで、その間の身を預けられたのが垣見さんだったのです。岩坪さんには、昨春失職した私の身の振り方を親身になって相談に乗ってくださり、いろいろと動いていただきました。私が社会人入学した、大阪大学大学院の博士後期課程での先輩でもあります。共に、伊井春樹先生のもとで『源氏物語』の勉強をした研究仲間です。人と人とのつながりは、本当に大切なものであり、ありがたいものです。そして、うれしいものであり、実に楽しいものです。
 この4月から、吉村君は岩坪さんの指導を受けて卒業論文に集中することとなります。しかし、折悪しく新型コロナウイルスのため、キャンパスでの直接の指導は今しばらくは難しいことでしょう。いろいろなことがあるものです。

 そんなこんなの中で、垣見さんの『万葉集』が始まりました。
 毎週の楽しみが、また増えました。
 
 
 
posted by genjiito at 20:55| Comment(0) | ■古典文学

2020年05月03日

何もしない日(2020年5月)

 今日は何もしない、何も考えない1日。 

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 おりしも、本来であれば今日はゴールデンウィークの折り返し地点です。
 お昼ご飯は、少し下流のいつもの場所でいただきました。
 外出自粛の大号令の中、目の前には家族連れがいます。
 これ位でちょうどいいのかもしれません。

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posted by genjiito at 18:43| Comment(0) | *健康雑記

2020年05月02日

オイオイ!!と思うこと(10)日常生活で

(1)先日、寒い日が2日ほど続いた時のことです。自動販売機で温かい飲み物を買ったつもりなのに、冷たいものが出て来ました。自分がよく確認しないままにボタンを押したせいとはいえ、悔しい思いで冷たいドリンクを飲みます。季節感が乏しくなった自分の判断に対して、アーアーッと、ついため息が出ました。自動販売機の内部で、〈暖〉から〈冷〉に切り替えられたスイッチは、外気の温度を判断して自由に変更はしてくれません。AIが進化したら、このことが可能になるのか、今から楽しみにしています。

(2)バスの中で右端に座っておられた女性が、出発するやいなや、厳かにお化粧を始められました。棒状の物を目の淵に当てて、しきりと動かしておられます。揺れる中で、危険だなと思いました。急ブレーキがかかると、棒が目に突き刺さるのではないかと、こちらがハラハラして気が気ではありません。今はウイルス感染が怖くて、バスに乗る方が激減しています。車内がガラガラだからといって、何でもできるのではないのです。状況の判断も必要です。これも、無防備に慣れ親しんだ日本人の実状なのでしょう。

(3)相変わらず、自宅を出るとフリーの「Kyoto-WiFi」が勝手につなげようとして、スマホの通信の邪魔をします。今は旅行者は皆無なので、このつながるまでの儀式に手間のかかるWi-Fiは、住民の日常には非常に邪魔です。次の場所に移動したりする短い間に、インターネットなどに接続できないからです。家を出る時に、スマホのWi-Fiは切る習慣ができました。しかし、家に帰ってから一々接続にスライドさせる手間を忘れるので、なんとも面倒で迷惑なことがいまだに続いています。

(4)昨日購入した目薬の使用期限は、外箱を捨ててしまうと本体には明記されていないので、いつまでだったのかがわからなくなります。外箱には、2年ほど先の期間が書いてありました。3、4年は大丈夫なので、面倒な本体への明記はしない、ということなのでしょうか。メーカーによって、容器本体に記載のあるものもあったように思います。統一できないのでしょうか。売る時だけのための使用期限の明記には、なにか理由があるのでしょうか。混乱の元だと思いますが。

(5)最近、宅配便が届くことが多くなりました。ドアホンが鳴ったので、家の中から画面を見ながら応答しました。しかし、自分が誰かはもとより、用件を言う気配すらありません。モニタを見ると、玄関の戸が開くのを今か今かと待っておられます。よほど忙しいのでしょう。サッと渡して、次へ行きたいのでしょう。しかし、せめて、「○○です、荷物をお届けに来ました。」くらいは言ってもらうと、「ハーイ」と言って玄関に出られます。そうでないと、反応があるまで「誰だろう」「何だろう」と、応答を待ってしまいます。さらには、今はご時世なのか、印鑑やサインは要らない、とのことでした。配達の前に来たメールには、「置き配」のことが書いてあります。手渡しを避ける方策の一つなのでしょうか。2メートル離れて渡す、とか、サインのためのペンを出さない、などなど、新型コロナウイルスに関連して、いろいろなことが変わりつつあるようです。礼儀も作法も常識も、この新型コロナウイルスが粉々に崩して行くように思えてなりません。
 
 
 
posted by genjiito at 20:19| Comment(0) | *身辺雑記

2020年05月01日

パワーポイントを使った遠隔授業に疑念を抱く

 私は、講演や発表では、可能な限り画像を映写して話すようにしています。いわゆるスライドショーです。その時に、文字を映写することは極力しません。

 これも、インドへ行くようになってからは、そのやり方を変えました。インドは停電が多いこともあり、発表中にプロジェクターが突然映らなくなり、薄暗い中で話をし続けるということが何度かありました。以来、原則はプリントによるレジメを元にして話をします。画像は、そのプリントに印刷しておきます。スクリーンに画像を映すのは、私が聞いてくださる方々の顔を見ながらお話をしたいためであり、顔を上げていただく意味もあります。聴く方々の表情がわかれば、お話をしている内容がどの程度理解されているかがわかります。その反応によって、話し方や内容を変えていけるのです。

 そのためもあって、世に言うパワーポイント(パワポ)は、一度も使ったことがありません。意識して使わないようにしています。また、他の方がパワポを使った発表を始められたら、可能であれば席をはずすか、それができなければさりげなく内職をするか、あるいは自分だけ無念無想の世界に入り、考え事のヒントをもらえることを期待してひらめきの降臨を待ちます。顔は前を向きながら、講演者や発表者の話は聞いていません。失礼の段、お許しを。

 パワポを使った講演や発表には、啓発を受けるものがまったくないことが多いと、これは断言できます。お決まりの展開で、目がチラチラするだけで、知的な刺激がありません。そうは言っても、パワポを使った発表に聴き入ったことがあります。あれは、内容がすばらしかったからであり、プレゼン用のツールの問題ではないと思われます。

 今から12年前に、こうしたことを本ブログに、「iPod touch を使って研究発表」(2008年07月16日)と題して書きました。

 今、新型コロナウイルスの感染拡大を食い止めるために、学校でも遠隔授業となっているようです。パソコンとにらめっこの授業です。そこで、授業を進めるために登場するのが、パワポなのです。
 ある先生は、使ったことのないパワポを使わざるを得ない流れの中で、大苦戦を強いられているようです。同僚や、同じ教科の先生方がパワポを使ってテレビ授業を展開しておられるようなので、それに合わさざるをえないのだ、ということです。

 パワポは、マイクロソフトという会社が発売しているもので、オフィスというパッケージソフトの中にワードやエクセルと一緒に入っているソフトウェアです。これは、マッキントッシュで動くものもあります。しかし、あくまでもウインドウズのユーザーに向けてのものであり、私のようにマッキントッシュを使っていると、キーノートというソフトがそれに該当します。しかし、私はそのキーノートも使ったことがありません。

 エクセルは、元々はマッキントッシュのために開発されたと言われています。私は、このエクセルは使います。マッキントッシュ向けにアップルが提供しているのは、ナンバーズです。しかし、これは少し使ったことがある、という程度です。
 ワードは、それで自分が文書を作成することはありません。ほとんどの方からワードの書類が送られてくるので、その内容を確認するためにワードを起動する程度です。また、そのワードの文章に手を入れて返送したりしています。
 そう思うと、エクセルは自分の意思で起動して使うので、これだけは別格のソフトとして私は認識しているようです。

 さて、パワポで遠隔授業のための教材を作成しておられる先生方には、同情するしかありません。私には、遠隔授業にパワポなどのプレゼンソフトを使って、生徒や学生に興味を持ってもらえる授業や講義をする自信はありません。相手の顔は見えるのですから、私なら、その表情に合わせて、画像を提示する流れをいろいろと考えます。

 昨年の4月から、社会人講座は別として、学校で授業や講義をすることがまったくなくなりました。そのため、私には差し迫った遠隔授業のプランを練る必要がありません。いろいろと工夫をする必要に迫られていないことは、とにかく残念です。

 プレゼンソフトのパワポを学校教育の現場で教育を目的として使うのは、大いに疑問があります。社会人になってから、会社で使うからという理由で、職業教育の一環でその使い方を学ぶのはいいと思います。プレゼンのためにも、見せ方の技術は必要だからです。しかし、それを教員が教育の目的で使うのは、目的外使用だと思います。その教育効果のほどは、たかがしれていると言えるでしょう。
 
 
 
posted by genjiito at 20:58| Comment(0) | ◎情報社会