2020年02月01日

藤田宜永通読(36)『ラブソングの記号学』

 一昨日1月30日に藤田宜永氏が69歳でお亡くなりになったことを知り、お別れに何か読もうと思って手にしたのが本書『ラブソングの記号学』(昭和60年8月、角川文庫)です。

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 昭和70〜80年代の歌を取り上げ、好き勝手な想いを語っているので、同じ世代の者同志が共有できるネタを通して生きた時代を振り返り、見送ろうと思ったのです。また、本書の解説を妻の小池真理子氏が書いていることも、このエッセイ集にしたことに少しは関係しています。
 しかし、あらためて再読し、あまりいい選書ではなかったと思っています。意外と中身がなかったことを知ることになったからです。作者には申し訳ないと思いながらも、そのような一人の作家と共に作品を通して楽しみ、貶して来たことを思い出すことになりました。
 それでも、逝く人に阿ることもなく、感じたままを記し留めることで、私なりの送別の気持ちを残しておきたいと思います。
 本書の中では、「優良物件案内」と題する一文だけは、おもしろく読みました。
 恋愛感情を表現する場としての恋愛空間を、たくみに歌にしたものを取り上げています。その視点がおもしろいと思います。藤田は私と同じ世代なので、引かれている歌詞がそのまま口ずさめます。
 藤田は、学生時代には歌手になろうと思っていたそうです。我々の高校時代にはグループサウンズがはやり、私も小さなバンドを作ったり、デュオをやっていました。恥ずかしながら、リードギターでボーカルをやったりもしていました。いつだったか、その時の写真をこのブログに掲載したことがあります。
 歌は、世代を超えて歌い継がれるものです。しかし、藤田や私たちが生きた昭和時代の中期は、まだ自分たちの世界を歌うものでした。「神田川」や「赤ちょうちん」はまさに私の学生時代の生活そのものです。そのことから見ると、ここに出てくる歌は、恋愛の場所を背景に持っています。そこに着目した、その切り口のみごとさに感心します。
 本書では、この節だけが光っています。総体に、演歌を初めとする情話を歌うものを扱った文章に、私はほとんど気を引かれませんでした。これは、藤田が情念の世界や、人情話を得意としない原因ともなっているように思います。男女の愛情の機微を表現するのは、当初から苦手だったのではないかと、勝手に思っています。そのために、藤田の恋愛話の作品の質が高くならないのではないかとも。
 本書でも、読み進むうちに、だんだん話に飽きてきました。藤田の作品の、特に恋愛物に多い、中盤から失速するパターンに入りました。恋愛観が薄っぺらいので、恋愛論が酒場での軽口の域を出ないのです。恋愛談議が平板です。同じことの繰り返しなので、飽きてくるのでしょう。
 そんな中で、吉行淳之介に言及する箇所が2つあります。少なからず藤田が意識していた作家だったといえるでしょう。

「『夕暮れまで』が寂しい印象を与えるのは吉行淳之介自身が『恋愛小説』の不可能をすでに知っているからではないのか」と川本三郎はあるところで書いている。
 『春の雪』(三島由紀夫)のように時代を溯らせている作劇の背景をつくり出し恋愛空間を成立させている作品は別にすると、確かにここ数年、これは、と思うような恋愛小説に出喰わさない。(42頁)
(中略)
 例えば、男女関係を描いた場合を取り上げてみても、吉行淳之介氏が二十代後半から三十代前半に書いた小説と今の三十前後の作家のものを比べてみると一目瞭然だ。吉行氏の場合は全て"私"で、しかも何度も出てくるが、今の若い作家の場合は、大半が"僕"でしかも使われる回数も少ない。これは何を意味するかというと、吉行氏の主人公は自分と自分以外の物事(女も含む)とのずれ、違和感といったものを明晰につかんでいたのだが、今の若い作家の主人公は、そういうことがつかみ切れず、右往左往しているということなのではないだろうか。これは、吉行氏が、その道のことを書かせれば右に出る者がない作家だということもさることながら、現代の男の生き様の反映だという気がする。(133頁)


 なお、船戸与一に対する藤田宜永が抱いていた親近感については、機会をあらためて『亡者たちの切り札』(祥伝社文庫、令和元年8月)を取り上げる時に触れます。
 本書には、社会の変動を扱ったネタも多く収録されています。ただし、多分に表面をなぞっただけで、深みがありません。社会現象を分析するのは、苦手なのでしょう。自分の周辺の話が社会一般に拡がらないのは、視点の狭さと切り込みの甘さからでしょう。お酒の席で無理やり聞かされる話のように感じられました。
 話が佳境に入った頃に、チャンネルが切り変わります。その切り返しがうまくないので、読んでいて爪先が突っかかる感じがします。何度か経験すると、読み進む楽しさも半減します。藤田の文章が持つそうした特徴を心得ていると、肩透かしを喰らった気分にならずに読めます。藤田宜永の作品を読むのには、こうした心得やコツがいるのです。
 亡くなった人を悼む気持ちで書く文章らしくなくなってきました。しかし、これも藤田への敬意からの追慕なので、これはこれとして許してもらいましょう。
 藤田のハードボイルドの作品は、大いに楽しめます。それだけに、恋愛もので失望する落差の理由が知りたくて、ずっと読み続けています。以下に、「藤田宜永通読」として書いてきたもののリストを揚げます。もう作品が書き継がれることがないことは残念です。それでも、こうして一度読んだ作品の読み直しは、発表された順を追うことを一つの方針として、折々に続けていくつもりです。
 以下、ご冥福をお祈りしながら。


書誌:本書に収録されたエッセイは『野性時代』に連載されたもの。


《藤田宜永通読リスト》

 (2020.2.1_までのもの35件)


「藤田宜永通読(1)『リミックス』」(2007年09月18日)

「藤田宜永通読(2)『いつかは恋を』」(2007年10月27日)

「藤田宜永通読(3)『戦力外通告』」(2007年11月22日)

「藤田宜永通読(4)『恋愛事情』」(2008年04月04日)

「藤田宜永通読(5)『喜の行列 悲の行列』」(2008年10月22日)

「藤田宜永通読(6)『恋愛不全時代の処方箋』」(2009年02月20日)

「藤田宜永通読(7)『たまゆらの愛』」(2009年09月01日)

「藤田宜永通読(8)「還暦探偵」」(2010年03月26日)

「藤田宜永通読(9)『空が割れる』」(2010年04月13日)

「藤田宜永通読(10)『老猿』」(2010年06月29日)

「藤田宜永通読(11)『愛ある追跡』は駄作です」(2011年07月08日)

「藤田宜永通読(12)『夢で逢いましょう』」(2011年11月14日)

「藤田宜永通読(13)『還暦探偵』」(2011年12月20日)

「藤田宜永通読(14)『敗者復活』」(2013年03月11日)

「藤田宜永通読(15)『野望のラビリンス』」(2013年08月08日)

「藤田宜永通読(16)『標的の向こう側』」(2013年08月28日)

「藤田宜永通読(17)『瞑れ、優しき獣たち』」(2013年08月31日)

「藤田宜永通読(18)『ライフ・アンド・デス』」(2014年02月06日)

「藤田宜永通読(19)『女系の総督』は次作を期待させるか?」(2014年07月02日)

「藤田宜永通読(20)『孤独の絆』」(2014年07月03日)

「藤田宜永通読(21)『モダン東京2 美しき屍』」(2014年09月23日)

「藤田宜永通読(22)『モダン東京3 哀しき偶然』」(2015年02月09日)

「藤田宜永通読(23)『ダブル・スチール』」(2015年08月18日)

「藤田宜永通読(24)藤田宜永『探偵・竹花 潜入調査』」(2015年10月06日)

「藤田宜永通読(25)『探偵・竹花 再会の街』」(2015年12月17日)

「藤田宜永通読(26)『血の弔旗』」(2016年01月12日)

「藤田宜永通読(27)『探偵・竹花 帰り来ぬ青春』」(2016年03月07日)

「藤田宜永通読(28)藤田宜永『呪いの鈴殺人事件』」(2016年06月14日)

「藤田宜永通読(29)藤田宜永『タイホされたし度胸なし』」(2017年08月14日)

「藤田宜永通読(30)『女系の教科書』」(2018年08月06日)

「藤田宜永通読(31)『彼女の恐喝 Blackmail』」(2018年11月23日)

「藤田宜永通読(32)『モダン東京1 蒼ざめた街』」(2019年01月10日)

「藤田宜永通読(33)『モダン東京4 堕ちたイカロス』」(2019年04月25日)

「藤田宜永通読(34)『銀座 千と一の物語』」(2019年09月27日)

「藤田宜永通読(35)藤田宜永『ボディ・ピアスの少女』」(2020年01月11日)

 
 
 
posted by genjiito at 18:32| Comment(0) | □藤田通読