2020年01月29日

谷崎全集読過(35)「愛すればこそ」

 これは、谷崎潤一郎らしさが随所に見られる、初期の戯曲作品です。
 圭之助は妹を、母の牧子と共に「あれ」と呼びます。名前で呼ばないところに、妹が厄介な存在であることを示しています。この妹の澄子は、山田という男と同棲しているのです。それを、疎ましく思う気持ちが、この劇の冒頭から示されます。
 情に脆い澄子は、歌劇俳優の山田に溺れています。母と兄は、何とか救いの手を差し伸べては失敗してきたのでした。
 来訪中の圭之助の親友である三好は、帝大理科の助教授です。澄子に理解を示し、それが愛情になっています。
 そこへ刑事が、山田のことで来ます。この橋本家は今は亡き高官の家で、署長命令で刑事が差し向けられたのです。山田が詐欺で訴えられたためでした。澄子との現在の関係を問い質されます。
 それにしても、警察がなぜここまで親切心で介入するのか、今の感覚では理解できません。そんな時代背景がある、ということにしておきます。
 結局のところ、刑事は山田を詐欺ではなくて窃盗という単独犯にしたいがために、橋本家が澄子を山田から引き離し、引き取るようにと依頼して帰ります。
 同席していた三好は、澄子を愛しています。それだから、澄子の山田との乱れた生活に理解を示し、その責任の一端は自分にもあると考えているのです。谷崎特有の恋愛心理が形作られ、語られます。とにかく、善人同士の理解の示しあいで進んでいきます。
 三好の次の言葉が、そのことを表しています。

僕は澄子さんを愛すればこそ、黙つてじつと澄子さんを山田君の手に委ねて居るのだ。さうしなければ僕の愛は成り立たないのだ。(133頁上段)


 それにしても、3年間もじっと運命に縛られて見守る三好という男は、あまりにも理屈で形作られ過ぎていて、不自然に思いました。論理で作られた男だからです。
 対する澄子は、山田には哀れみと同情で離れられない、と言います。愛と情で縛られたという言い訳です。谷崎作品によく出てくる、女がよく口にすることです。これに、男は騙されるのです。
 純粋で心優しい三好は、澄子が自分の愚かさを許してくれという哀願を包み込んで同化します。この男の、人の良さが前面に出ています。澄子が繰り広げる、その場しのぎの言葉を受け入れるのでした。澄子の殺し文句にイチコロです。

澄子 (中略)もう私はあなたの所へ参れるやうな人間ではないのだと、あきらめてさへ居たのでございます。どうぞあなたのお力で私を昔の澄子になすつて下さいまし、私を世間の冷めたい人の眼から庇つて下さいまし、………今こそ私は、永久にあなたのものでございます、……-私を信じて下さいまし、……
三好 分りました、よく分りました、僕は一度だつてあなたを疑つたことはなかつたのです、僕は昔からあなたを信じて居たのです、あなたが僕をお捨てになつた其の時から。

  三好、手を差し伸べて澄子の手をしつかりと握る。(147頁上段)


 山田は、警察に連れて行かれます。みんながほっとしたところで、澄子は山田がかわいそうなのでまた山田のところに帰ると言い出します。身勝手な理屈ではあるものの、澄子は山田の愛に応えて救うのが自分の義務だとも言います。弱い立場の人間に、情に絆されて理性を忘れているのです。
 後半は、三好と山田の恋愛観がぶつかります。今の感覚では、犠牲的な精神の恋愛論なので、その感覚は理解できても、真意は伝わりにくいと思われます。
 最後は、もっと盛り上がる展開を期待したので、大いに期待外れでした。谷崎にとって、独自の恋愛観が形成された成果として、貴重な作品だと思われます。また、後に妻を佐藤春夫に譲渡する事件を下支えする内容でもあります。人間が鮮明に描かれた作品となっています。【3】
 
 『谷崎潤一郎全集 第八巻』(中央公論社、昭和34年6月)の「解説」で、伊藤整は次のように言います。
「愛すればこそ」は、作者の三十歳代を代表する大作かつ力作であり、今日これを讀みかへしても、その印象は新鮮で壓倒的である。この作品が成立したとき、その餘韻として形成されたやうに見えるのが「愛なき人々」である。(256頁下段)
(中略)
「愛すればこそ」と「愛なき人々」の二篇には作者は餘程の愛着を持ち續けてゐたらしく、戦後に、二度にわたつて、別々に加筆訂正が行はれた。即ち、昭和二十二年四月文潮社發行の單行本「愛すればこそ」に載つてゐるものがその第一種であり、また昭和二十五年十二月創元社發行の「谷崎潤一郎作品集」第八巻に載つてゐるものがその第二種である。
 この二種の改訂版はともに初出本に較べて大きな斧鉞の跡が見てとられ、しかもこの二種の加筆版は、直接關聯がなく、それぞれ別な立場からあるやうに見えることが、編集部の研究によって明らかとなつてゐる。この全集のテキストは、創元社本を底本とし、文潮社本を参考にして作製されたものである。(257頁上段)
(中略)
 あらゆる種類の人間的な汚辱の中をつき抜けて、しかもなほ愛情は成立し得るものであるか、といふのが、この作品において作者の提出した疑問であり、この作品の効果から言ふと、作者は、然り、それはなほ成立し得る、と答へてゐるかのやうである。その意味で、この作品は人間性について肯定的な答を出し得たものと見ることができる。(257頁下段)


書誌:『改造』大正10年12月号、第1幕「愛すればこそ」
   『中央公論』大正11年1月号、第2幕・第3幕「堕落」
 
 
 
posted by genjiito at 19:14| Comment(0) | □谷崎読過