2019年12月31日

今年もありがとうございました -2019-

 あと数十分で新年を迎えることになります。
 2019年も無事に終えることができます。
 多くの方に助けていただいて過ごせました。
 この場を借りて、改めてお礼申し上げます。
 2020年もどうぞよろしくお願いします。

 我が家の玄関先にも注連飾りを掲げました。
 注連飾りは「一夜飾り」にしないそうです。
 そう言われ続けているので昨夜つけました。

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 また新しい年にどのようなことがあるのか。
 新たな出会いに満ちた日々になるでしょう。
 いろいろなことにチャレンジする予定です。
 末長いお付き合いをよろしくお願いします。
 
 
 
posted by genjiito at 23:49| Comment(0) | *身辺雑記

2019年12月30日

形ある物としての本を処分すること

 今年も、本に悩まされました。
 本年3月に、突然とでも言うべき理不尽な理由によって、研究室を出ることになりました。
 3年前の3月に、東京立川の職場と江東区の官舎から、京都と大阪に大量の荷物を移動させました。もちろん、大半が本の詰まった段ボール箱です。
 大阪南部の研究室に移動して来た専門的な内容の本は、しばらくは安泰だと思っていた矢先のことでした。今度は、大阪北部に移動させることになったのです。150個の段ボールに詰めた本は、その分量はともかく重さが半端ではありません。
 幸い、新しい移動先の研究室は90平米もある広さなので、置くスペースは十分です。

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 いまだに新研究室に運び込んだ本の整理が終わっていないのですから、これにかけるエネルギーと時間は膨大なものが費やされています。いやいや、自宅においても、すでに東京を引き上げて来て3年が経とうとしているのに、いまだに未開封の段ボールが、押し入れに投げ込まれています。必要になった本を手にしたい時に、段ボールの側面に書かれたメモを頼りに、やおらガムテープを剥がして本を取り出しています。
 それにしても思います。なぜこんなに本を持って移動し続けなければならないのか? と。
 資料集や参考書であれば、折々に見て確認することがあるので、身近な場所に置いておく必要があります。しかし、研究書や雑誌論文を収めた本や冊子に加えて読み物としての本は、必要な時に手にできればいいのです。そのために、京都府立京都学・歴彩館の近くに終の住み処を定めたはずです。しかし、やはり手元に本を置いておきたいために、多くの本を処分する勇気がなかなか出ません。
 一度読んだ本は、自宅に置いておく必要はなくて、図書館や資料館に寄贈すればいいと思いました。しかし、実際には引き受けてもらえない現実があります。よほど貴重な本でない限りは、図書館などでも重複してしまうのです。
 また、本を購入した際には、読み終わったら購入したその書店で引き取ってもらえるといいとも思いました。しかし、これも手放す方はそれで開放されるとしても、書店としては引き取ってからの処置がややこしいようです。本には、定価というものが付いているので、いろいろと問題も多いようです。勢い、ブックオフなどの存在意義がでてきます。しかし、私はブックオフに本を引き取ってもらったことがありません。本がかわいそうに思えるからです。突然、自分の心の中に、本に対する愛着が芽生えるのです。それを書いた人、刊行した出版社の方々の顔が浮かぶのです。
 読み終わったら持て余すことの多い、物としての本は、どうあるべきなのでしょうか。
 電子ブックという新しい流れがあります。しかし、私は光の点が構成する文字というキャラクタの連続に目を走らせると、すぐに目頭が痛くなります。新しい技術であり文化なので、まだ慣れないからでしょうか。特に少し専門的な内容の本は、電子ブックになっているものは少ないし、あっても考えながら読むには適さないように思います。紙に印字された文章を読む方が、私には安定して、書かれている内容が理解できます。この安心感は得難いものです。
 小説にしても、紙の質や本の重さも、読書の楽しみの一つとなっています。読み進むにしたがって、その前と後ろの厚さが移動していきます。長編小説を読むことが大好きな私は、この自分の現在位置を示す本の厚さは、読み進む上では大切な情報です。これが、電子本では、質感も分量もページをめくる感触もないので、気が抜けてしまいます。だだッ広い野原に、文字を集めたデータを与えられたように思ってしまいます。宙ぶらりんの状態での読書は、手応えがありません。
 もちろん電子版は、キーワードで探しやすいし、何かに引用するときに重宝します。私の科研では、『日本古典文学翻訳事典1〈英語改訂編〉』『日本古典文学翻訳事典2〈平安外語編〉』『平安文学翻訳本集成〈2018〉』『海外平安文学研究ジャーナル』(既刊6巻)などの電子版をホームページから公開しています。海外の方々などは、本の入手が大変なので、こうした電子版はダウンロードすれば読めるので歓迎されています。その効用は理解しています。しかし、それは確認のための活用に向いているだけだと、私は思っています。
 なお、漫画本は、電子本でもいいのではないか、とも思います。これは、画像としての画面を楽しむことに起因するものだと理解しているからです。
 厚さがあり、重さがある物体としての本は、家の中の場所を取ることが一番の問題でしょう。木造の家に住んでいる私などは、本の重さは死活問題です。すでに家が傾いています。家の中の柱の位置は、私にとっては大切な情報です。そのためもあって、いかに手際よく本を処分するか、ということに悩まされ続けているのです。
 著者や出版社には申し訳ないことです。しかし、読者の立場も何かと大変です。購入するのはいいとして、読んだ後はそのほとんどを手元から遠ざけないことには、居住生活に影響します。
 これは、みなさんが直面している問題かと思います。
 本の流通と、その本の読後の取り扱いについては、これからも悩み続ける問題といえそうです。今、私にできることは、1冊でも多くの本を人に差し上げることと、心ならずもゴミとして処分することです。いずれは、食べ残しのゴミに近い性格の問題として、本の後始末が問題になるかもしれません。これは飛躍しすぎとしても、とにかく本をきれいに処分することは喫緊の課題なのです。海外では、図書館がこの問題に救いの手を差し伸べている実態を見てきました。しかし、日本ではまだまだ個人が本を購入して、個人で管理している現実があります。
 多くの関係者に、大変失礼なことを書いているかと思います。しかしながら、自分をごまかしながら現実には本をどんどん捨てている日常を思い、とりとめもない雑駁な考えで今の自分を振り返ってみました。
 先日も、何万円もする本を数冊、燃えるゴミと一緒に出しました。いろいろな方の顔が浮かぶ中を、私にとっては毎月の仕事と化しています。いつまでこんなことをするのか、させられるのか。本の後始末には、苦渋の決断が伴います。心おきなく本が処分できる環境を、あるいは処分ではなくて流通させる手だてを、一日も早く作りあげたいものです。
 歳末の今日も、たくさんの本を処分しました。本の供養塔を、家の裏にある狭い庭先に建立することを、真剣に考えています。その形は、枡形本と巻子本を組み合わせたものにしたい、とも思っています。
 
 
 
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | *身辺雑記

2019年12月29日

スマホから見た大阪と東京の違い

 歳末となり、街中は気ぜわしい雰囲気となっています。
 そんな中で、「citrus 編集部(執筆:新井庸志)」の記事に、次のものを見かけました。

大阪の歩きスマホ率が低いのは、東京人と大阪人の気質の違いによるものだ。
東京の場合、住民同士でも隣近所との付き合いが薄い。まして街に出れば他人ばかりで、コミュニケーションなどほとんどない。
一方の大阪は、誰かれ構わずコミュニケーションする。何か調べものがあれば、スマホを使う東京人と違い、まず誰かに声をかける。歩きスマホ率が低いのも、誰かとコミュニケーションして物事を解決するのも、ベースとなるのは「せっかち」という気質だ。大阪人は「せっかち」だから、歩くスピードがゆっくりになる歩きスマホをする人も少ないし、何か調べものがあっても、まず人に聞いて解決しようとすることも多い。


 なるほど、と納得です。
 ただし、これは屋外での、街中での観察によるものですね。
 屋内では、何かわからないことがあると、すぐにスマホを取り出して調べるのは、関西人に多いように思います。
 関西人は、老若男女を問わず、新しいものが大好きです。
 そして、知りたいことに出くわすと、すぐに調べます。
 ご多分に漏れず、京都の人も目新しいものが大好きなようです。
 それが証拠に、京洛のお店は、めまぐるしく新しくなっていきます。
 ついこの間まであったお店が、いつの間にか変わっていることは、日常茶飯事です。
 さて、スマホの東西における違いを、調査に基づいて論理的に解明しようとしたデータはないものでしょうか。
 ご存知の方からのご教示をお待ちしています。
 
 
 
posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | ◎情報社会

2019年12月28日

京ことばと津軽弁による語りの競演

 山下智子さんの「源氏語り」と、中村雅子さんの「大宰語り」が楽しめるイベントの紹介です。「京おんな」と「津軽おなご」の語りの競演が実現したのです。
 いただいたパンフレットには、《京ことばで聞く「はんなり」源氏物語》ということばと、《津軽弁がかもす大宰の「ユーモア」》というフレーズが並んでいます。女房語りの山下智子さんが、新たに太宰治の語り手である中村雅子さんと、コラボレーションを展開されるのです。

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 私は、目が見えない方々とのお付き合いが広がる中で、耳でことばを聞いて理解することや、音を聞き分けて楽しむことを再認識するようになりました。完全に目に頼った生活をしているので、聞くことに鈍感になっていました。『源氏物語』の勉強をしながら、それが《語り》であったことを忘れていました。山下さんから、女房語りというものを通して、多くのことに気付かされてきました。そして、今回のイベントの意義を再認識しています。日本の文化が、掘り起こされるのです。

 山下さんからいただいた連絡には、次のようにあります。

 私と同じくふるさとの言葉で朗読をなさっている青森出身の中村雅子さんとの二人の会、紫式部 VS 太宰治 「京おんな」と「津軽おなご」語りの競演 が実現致します。

 私は相も変わらぬ京ことば源氏物語ですが、対する中村雅子さんは太宰治の『津軽』。
 きっと皆様のお耳に新鮮に響くことと思います。
 一部は序の舞として短いそれぞれの朗読とトークタイム。福島放送のアナウンサーでもあった中村さんの進行で、方言についてのあれこれを語り合います。
 第二部には第五帖の「若紫」をダイジェストでお聞き戴きます。若き源氏の君が最愛の人 紫上(10歳!)を北山で発見、そして父帝の后藤壺に密通し不義のご懐妊・・・という運命の物語です。
 『津軽』は太宰治が生まれ故郷を旅し、自身を再確認してゆく物語、津軽弁を話す故郷の人びとのあたたかさが聞きどころです。

 京王線 調布駅から数分の、たづくり映像シアターにて、1月29日(水) 2時開演です。
 終演後には自由参加の茶話会もございます。
 ご予約制 2500円です。
 詳細、お申し込みフォームはこちらです
https://www.genji-kyokotoba.jp/2020年スケジュール/1-2月/
 このページは1,2月の予定で、この中程に出て参ります。


 残念ながら、この日も私は所用があって残念ながら行けません。
 一人でも多くの方々が、この新しい試みを追体験されることをお勧めします。
 
 
 
posted by genjiito at 22:02| Comment(0) | ◎源氏物語

2019年12月27日

中国語による翻訳本の整理に関するアルバイトを募集中(その6)

 すでに5度、私の科研で多言語翻訳に関するアルバイトを募集していることを、本ブログに掲載して来ました。
 前回は、「平安文学の翻訳本整理に関するアルバイトを募集中(その5)」(2019年10月31日)でした。
 おかげさまで、上記ブログで募集した中で、「ベトナム語」と「情報整理」の仕事に関しては、すばらしい方との出会いがあり、すでに業務についていただいています。
 そこで今回は、今週、中国広州で入手した中国語訳の翻訳本を整理してくださる方を募ります。
 対象となる翻訳本については、「今回中国で手に入った中国語訳の平安文学関連の本たち」(2019年12月25日)に画像で掲載したものと、『平安文学翻訳本集成〈2018〉』に掲載している手持ちの中国語訳の書籍数十冊です。
 仕事に関する、〈内容〉〈時給〉〈日時〉〈場所〉〈連絡先〉は、上記のブログのポスターに掲載されている通りです。

 中国語の運用および翻訳そして情報の整理ができる方について、お知り合いをも含めて、この情報を拡散していただけると幸いです。他大学の学生さんや、社会人の方も歓迎します。連絡をお待ちしています。
 面談の日時は、新年の火曜日と水曜日、午前11時から16時の間になります。
 希望される方は、本ブログのコメント欄を利用して連絡をいただければ、折り返し面談に関してメールを差し上げます。
 
 
 
posted by genjiito at 13:49| Comment(0) | ■科研研究

2019年12月26日

広州の回転寿司は気に入りました

 広州でも回転寿司屋さんに行きました。

 世界各国に回転寿司屋さんがあります。
 今年は、ミャンマーのヤンゴンに宿泊していたホテルに「元気寿司」がありました。しかし、残念ながら超過密スケジュールだったため、時間がなくて食べられませんでした。「【補訂版】ヤンゴンのジャパン・カルチャー・ハウスで盛況だったカルタ取り」(2019年02月02日)
 来春、また行くので、その時には必ずレポートできるようにします。

 昨年の夏に行ったペルーのリマには、「回転寿司 なごや」がありました。現地の人々に目を向けたお寿司屋さんだったので、好感を持ちました。「リマの回転寿司の地元指向に好感を持つ」(2018年08月18日)

 カナダのバンクーバーへ行った時、回転寿司は見つからなかったものの、その報告の中で、私は次のように書きました。
 海外では、回転寿司に限ります。しかも、日本人向けではなくて、地元の方々が入る回転寿司屋が一番です。そこにこそ、日本文化が変容した姿があるからです。
 日本人が入る和食の店は、みんな日本での味と比べて「まずい、まずい」と言いことによって自己満足しておられます。しかし、日本の文化がその土地土地でどのように受け入れられているのかを知るのが、私の回転寿司屋巡りの原点です。
 海外で、日本の味の「再現」を望むのは筋違いだと思います。気候風土も環境も、さらには食材も文化も異なるのですから。
 その国のその土地での創意工夫がどのようになされているのか。それを、私は楽しんでいます。


 ベトナムのハノイでは、日本的な雰囲気満点のお寿司屋さんがありました。「ハノイでお洒落な回転寿司屋さん発見」(2014年02月14日)
 ここは、日本人を意識したお店です。このお店が現地の方々を意識したお店になると、私が言う日本文化の発信の拠点となるのです。もっとも、経営方針の問題から、そのような舵取りはまだのようですが。

 このベトナムと同じ位置づけとなるのが、スペインのマドリッドにある回転寿司屋さんです。「待ちに待ったマドリッドの回転寿司」(2013年10月31日)
 ここは、日本にいるかのような雰囲気にさせる、日本の寿司屋さんです。それだけの需要があり、そのポリシーを守っておられるのです。しかし、私の視点から言うと、現地の一般の方々に迎え入れられる寿司屋さんになる必要はないものの、そうしたお店も必要だということです。スペインに関してはまだ情報不足なので、またいつか探してみます。

 アメリカには、それこそ日本人や現地の方々が楽しむための、たくさんの回転寿司屋さんがあります。ワシントンの例を1つだけ。「ワシントンのお寿司(2)」(2010年01月28日)

 イギリスにも多いので、これも1例だけ。「ロンドンの最後は回転寿司で」(2009年09月25日)

 とにかく、海外の回転寿司屋には、日本の文化を発信する起点となる要素が、ふんだんに盛り込まれています。日本の文化を理解していただくためには、こうした場所の意義を我々はもっと知っておくべきだと思っています。

 中国の回転寿司屋さんについても書いておきます。
 長春で見つけたお店です。「【復元】中国の長春と博多の回転寿司」(2010年04月30日)
 そして、今回の広州にもありました。「万歳」という回転寿司屋さんです。
 ここは、広州に41軒、全国に200軒を展開するチェーン店です。

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 店頭に支店のマップがあるほどです。

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 店内は、日本人ではなくて地元の人々に目を向けていることが明らかです。

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 創作寿司もいろいろとあります。

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 多様な寿司が楽しめるお寿司屋さんでした。特に私は、にぎり寿司よりも、押し寿司や巻き物が好きなので、この点では江戸前にこだわる日本よりも、海外の楽しいお寿司が気に入っています。

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 こうして、私の《海外回転寿司マップ》も、着々と増えていきます。

 なお、今回の旅で手に入れた非常食は、チーズのブロックとクラッカーです。左下のチーズはロシア産でした。

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 私は消化管を持たないために、海外での食生活は自由ではありません。特に、少量しか食べられません。それだけに、少しで楽しめる食事を探しています。間食としての食べ物も、スーパーやコンビニで探し出しては、旅の道中で折々にこまめに口にしています。
 その点でも回転寿司は、ネタも量もその時々の体調に合わせて調節できて自由に選べるので、私にとっては最適な食事場所となっています。
 
 
 
posted by genjiito at 19:09| Comment(0) | *美味礼賛

2019年12月25日

今回中国で手に入った中国語訳の平安文学関連の本たち

 今回の旅では、どの国でもそうであるように、書店で平安文学に関する本を探す時間も確保しました。広州の中心街にある巨大な書店で、30冊以上の本が見つかりました。本は、出会った時に手に入れておかないと、また次はないと思っています。そこで、その時に書店にあったほとんどの本を、いただいて来ました。
 以下の写真でわかるように、谷崎潤一郎や井上靖や松本清張なども含まれています。今後の調査研究に関連してくるであろうこうした本も、見つけ次第に購入しています。今回は、谷崎潤一郎の『春琴抄』が8種類も一度に集まりました。いろいろな活用ができそうです。
 昨夜、帰国してすぐに関空から大学宛に送った本が、今日のお昼には箕面の研究室に届きました。早速、翻訳本のリストに追加するための作業に入りました。この本を、ホームページ「海外平安文学情報」(http://genjiito.org)に追加して公開するまでには、いましばらくの時間をください。
 中国には、まだまだ平安文学関連の翻訳本があります。今後とも、気長にそうした本の収集にあたります。
 もしお手元に、『平安文学翻訳本集成〈2018〉』に掲載されていない表紙の翻訳本をお持ちでしたら、提供していただけると助かります。大切に保管し、原本とその情報を、次世代に引き継いで行きます。調査研究の対象としておられる方には、箕面キャンパスの研究室で閲覧していただいて、原本による研究ができるような研究支援もしています。

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posted by genjiito at 20:38| Comment(0) | ■科研研究

2019年12月24日

中国での国際集会を成功裡に終えて帰国の途に

 帰国便は、午後4時に広州白雲空港発です。それまでを、広州市内の散策に充てました。
 六榕寺の六榕花塔はみごとでした。ここは、蘇軾が広州(当時の恵州)に左遷された時に訪れている寺です。

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 陳氏書院と広東民間工芸博物館では、みごとな細工を施した工芸を堪能しました。

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 古玩城では板に経文を刻んだお経を手に入れました。

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 帰りの空港でのことです。
 チェックインカウンターで、預ける荷物の重さが23キロまでのところを、私のキャリーバッグは5キロもオーバーしている、とのことです。翻訳本を30冊以上も詰めたので、何となく予感はありました。そこを何とかと言っても、聞く耳を持たぬと、そっぽを向いておられます。
 仕方がないので段ボール箱を買い、箱詰めを18キロにし、キャリーバッグを10キロにしてOKとなりました。これまでの体験からでは、これくらいは大目に見てもらえていたように思います。とはいえ、規則は規則なので、どうしようもありません。
 機内食は「うなぎごはん」をいただきました。もっとも、まだ半分も食べないうちに、それ以上は喉を通らなくなりました。後で、手持ちのチーズとビスケットで補いました。
 座席に取り付けられたテレビが不調でした。それでも何とか映画が見られるように頑張り、来るときに半分まで観た「居眠り磐音」の後半を観ました。終わり方が後を引かない、いい映画でした。
 帰りの飛行機は、相当古い機体でした。モニタのタッチパネルがなかなか反応しません。画面のコントラストがまばらです。隣のA席は空いたままで荷物を置けました。ただし、座席のシートが壊れていて、置いた荷物を動かすとシートも一緒に外れて下に落ちる仕掛け(?)のものでした。この席に誰か座ったら、大騒ぎになったことでしょう。また、私の目の前の物入れのポケットは、マジックテープが古くなっていて、物を入れようとして触ると、ベリッと剥がれて落ちました。使い物になりません。何も入れないようにしました。昔懐かしい、肘置きのカバーが捲れ上がり、中の配線が剥き出しのままで飛んでいた、某航空を思い出します。腕が感電するのではないかと、ハラハラして乗っていたことを思い出しました。
 そういえば、来るときに、女性アテンダントの方のダラダラした態度が気になっていました。だらしないのです。見たくない姿だったので、帰りはと見ると、今度はキビキビした方ばかりでした。当たり外れが大きい航空会社なのでしょうか。
 とにかく、無事に帰国しました。
 目的はすべて達成できた、充実した旅でした。トラブルが何もなかったことが、さらに気持ちのいい旅にしてくれました。
 
 
 
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ◎国際交流

2019年12月23日

中国の恵州学院で百人一首の話をする

 今回の中国・広州における国際シンポジウムは、恵州学院の庄婕淳さんのおかげで実現しました。広東外語外貿大学の陳多友先生との橋渡しをしていただいたおかげです。大盛会のうちに終えられたことに安堵しています。
 今日は、庄さんが勤務しておられる恵州学院へ行きました。表敬訪問であると共に、学生たちに日本の古典文学に親しんでもらう良い機会にしよう、ということで実現しました。
 恵州学院は、広州市内から車で片道3時間弱の所にあります。のんびりと身体を休めながらの遠出です。長距離を快適に走る車を、大学が出してくださいました。ありがとうございました。
 恵州学院は、のびのびと勉強ができる広い敷地の環境に建っています。

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 教室には、20人ほどの学生たちが集まっていました。
 まずは、『百人一首』のカルタを模したおかきを配りました。私はこれまでに、インド・ミャンマー・ルーマニアでも、このおかきを配って『百人一首』の話をしました。これが初対面の学生たちにすぐに近づけて、日本の古典文学を印象づけるのに一番いい方法だと思っています。

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 そして、カルタ取りのスマホ用アプリを30種類ほどスクリーンに映写して紹介しました。

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 そのうちのいくつかを起動して、歌を実際に読み上げるアプリや、決まり字の話をしました。次の写真は、紫式部の「めぐりあひて〜くもがくれにし〜」を説明しているところです。「め」に注目しましょう、ということです。

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 学生は、突然やってきたおじさんが何を言うのか、という顔をしています。しかし、その直前に目が見えない人もカルタを取り、しかも目が見える人よりも早いということを、私のブログに掲載している写真を目の前のスクリーンに映写して説明をしてあります。

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 そのため、読み上げられる歌の「言葉」というよりも「音」を聞いてカルタを取るのであり、「音」を聞く耳が大事であることに気付くことから、この決まり字の意味と、このゲームに占める重さを理解するのです。

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 この時、さりげなく、変体仮名を目が見えない人も読めることを話します。さらには、見えない上に聞こえない人も、『百人一首』を楽しんでいる写真も映し出します。そうしたことを伝えておいてから、『百人一首』は、障害がある人もない人も一緒に楽しめるスポーツである、ということに話を持っていくようにしています。
 『百人一首』の世界大会で、フランスやタイが上位3チームに入っていることや、今年の大会に向けての、フランス・タイ・中国・チャイニーズタイペイ・ベトナム・インド・ロシア・ヨーロッパチームなどの意気込みを紹介しました。そして、これからミャンマーを育てていく予定であることも……。

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 三人で1チームを作り、北京のチームと並んで世界大会に広州からも出よう、とエールを送りました。
 学生は、『百人一首』のことを知っていました。カルタ遊びをした学生もいました。今日、私が何を話すかは、あらかじめ連絡していた訳でもありません。突然の『百人一首』の話にも、興味を持って聞いてもらえました。
 教室に入ってからお菓子を配り、スマホを取り出し、その画面をスクリーンに映写し、歌を読み上げ、私のブログから『百人一首』に関係する写真を映し出すという流れでした。中国では特に日常に溶け込んだスマホという小道具を使った演出は、うまくいったようです。
 学生たちともコミュニケーションがとれるようになったので、帰り際に学内を案内してもらいました。

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 掲示パネルに写真で紹介されている学生が、これが自分であることを示してくれました。なかなか優秀な学生たちが集まっているようです。
 廊下の一角には、日本の本が並んでいました。学生たちの今後の活躍が期待できる感触を得ました。

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2019年12月22日

学術フォーラムの2日目は伊藤科研のメンバーで

 第2日は、会場を北門近くの第7教学楼に移して行なわれました。

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 校舎にはいってすぐ視界に入ったのは、顔認証システムの自動販売機です。最先端を行っています。

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 分科会は、朝の8時半からです。18室にわかれて、同時進行での開催です。
 私は李先生と一緒に第一専家分科会の主宰者となり、この「日本古典文学」のパートを進行する役となりました。
 プログラムは、次のようになっています。

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 まず、伊藤科研の研究協力者である須藤圭さんから。

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 続いて、小川陽子さん。

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 そして、今回は代読での参加となったスペインのレベッカ・クレメンツさんについては、小川さんが託された原稿を代読し、補足資料などはスクリーンに映写して発表がなされました。

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 庄婕淳さんは、この広州の地での発表にふさわしい、2種類の中国語訳『源氏物語』についてです。

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 以上、伊藤科研の研究協力者である4名が研究発表をした後は、中国側から2名の発表がありました。呂天雯さんと鄭寅瓏さんです。鄭さんは、最初は中国語で発表するはずだったそうです。しかし、日本人が多いので急遽日本語での発表にする、とのことでした。ご配慮に感謝します。
 発表を受けてのディスカッションは、時間が足りなくなり制限せざるを得なくなりました。
 そこで私から一点、小川さんから提案がなされた翻訳における「注」について、少し意見を出し合いました。
 今回は、一人15分という厳しい制限時間ということもあり、みなさん意を尽くせなかったにちがいありません。後日、『海外平安文学研究ジャーナル《中国編》』に報告書としてまとめてウェブ上に公開します。これは電子ジャーナルなので、海外も含めて広く読んでいただけるような方策を講じます。しばらく、お待ちください。
 今回の国際集会は、スケジュールが非常に混み合っています。大急ぎで、昨日の国際会議ホールに戻り、最後のイベントである記念講演会に駆けつけました。発表者とタイトルは、以下の通りです。

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 東京外国語大学の岡田昭人先生は、「グローバル時代を生き抜く力」と題する講演でした。
 小・中・高の学習指導要領の改訂に伴う教育内容の検討がなされました。昨夜の晩餐会で、私は岡田先生に、高校国語科の先生方の国語を指導する力量に関して、実態調査の必要性を感じていることをお話しました。講演の中で、昨夜お話したことに触れてくださいました。「文学国語」と「論理国語」の問題を考える時に、指導にあたる教員の実態も知った上で、この指導要領が抱える問題を考えていくべきだと思っています。岡田先生は、このことに耳を傾けてくださったのです。
 次に、北京外国語大学の徐一平先生は、ご自身が学生時代からの懸案であった「日本語名詞畳語の特殊性について」の考察でした。ウイットに富んだお話で、説得力のある講演でした。徐先生も、お話のなかで私のことを例にして巧みに話を展開しておられました。
 最後は、広東外語外貿大学の陳多友先生です。

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 映写されたスライドの中に、「文学教学的一个対論」とありました。この「个」についてお聞きしようと思いながら、聞かずじまいになりました。いつか、お尋ねしようと思っています。
 2日間にわたって開催された国際シンポジウムも、これで無事に終わりました。
 関係者のみなさま、さまざまな配慮とご協力をいただき、ありがとうございました。
 参会のみなさまと一緒に昼食をいただいた後は、広州の散策に出かけました。
 
 
 
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | ◎国際交流

2019年12月21日

広東外大での学術フォーラムの初日

 早朝より、学術フォーラムの会場である広東外語外貿大学へ行きました。

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 定刻に開幕式が始まります。
 ヘッドホーンを通して、中国語が日本語に同時通訳されていたので、内容はよくわかりました。同時通訳を担当した学生さんは、専門用語が多い内容だけに、大変だったかと思います。しかし、その通訳の効果は素晴らしいものがあります。ぜひとも今後も続けたいただきたいと思います。
 以下、プログラムを挙げながら、私に関わることに絞って書きます。

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 4番目に私が挨拶をしました。

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 ポイントは、会議の手引きの表紙にある、日本側の組織の役割です。大阪大学国際教育交流センター、特定非営利活動法人〈源氏物語電子資料館〉、伊藤科研《海外平安文学情報》について、概略を手短に話しました。
 その後、休憩を挟んで、4名の基調講演です。
 午前最後の4番目に、私が「世界中で読み継がれる〈平安文学〉」の題してお話をしました。

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 持ち時間は30 分です。みなさん時間厳守で、順調に進んでいたので、予定した内容を組み替えながらも制限時間内に、少し余裕を持って終えました。
 ここで強調したことは、以下の点です。

・コラボレーションで取り組む。
・調査では人と会うことを大事にし、直接足を運んで面談を心がける
・翻訳本とその情報を悉皆調査する。
・詳細な翻訳史年表を常時公開する。
・36種類の言語で翻訳された翻訳分を、日本語に訳し戻しする。
・訳し戻された日本語文を比較検討する。
・日本の文化がどう変容して伝わっているかを考察する。
・若い研究者へのバトンタッチを常に意識してあたる。


 今回の成果は新年3月ころに、『海外平安文学研究ジャーナル《中国編》』という電子ジャーナルに掲載して電子版として発行します、いましばらくお待ちください。
 夕食前に、白雲区江夏村方面を散策しました。小さいながら、楽しいお店がたくさんありました。
 途中で、おかしな点字ブロックを見かけました。

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 また、一人カラオケのボックスを見かけました。

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 これはアイデアです。日本にすでにあるのでしょうか。

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 夕食後は、テーブルを囲んでのディスカッションです。
 みなさまは中国語で討議をなさるので、私には同時通訳の方を一人付けてくださいました。

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 通訳の方は私のすぐ横で、発言者が話された内容を整理しながら、わかりやすい日本語でささやいてくださいます。こんな時には、今流行のポケット翻訳機を使うことも可能です。しかし、通訳していただいている間に生まれた疑問を、その場でいつでも通訳者に尋ねられることは、AI翻訳にはできないことです。人間だからこそできるのです。私だけのために同時通訳者が付いてくださったことにより、さまざまなことを考えるきっかけをいただきました。ご高配に感謝します。貴重な体験をすることができました。
 
 
 
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ■科研研究

2019年12月20日

関空から中国広州へ一ッ飛び

 久しぶりに始発の京都駅から「はるか」に乗って関西空港まで行きました。一時期、通勤に使っていたので、懐かしい車輌です。キティちゃんでラッピングをした電車でした。

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 乗り心地は、相変わらず悪く、やはり本は読めません。市バスと同じくらいの揺れ具合です。
 座席には引き出して広げる小さなテーブルしかない上に、電源コンセンもないので、何かと不便です。とにかく、1時間半の辛抱です。
 空港では Wi-Fiルーターをレンタルし、自動チェックインしてから荷物を預けて出国です。パスポートの出国スタンプは、こちらから申し出ないと押してもらえません。いつも、記念にもらっています。
 搭乗機越しに、今春までいた職場が見えます。

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 今日は次々と電話やメールが来るので、その対処に追われているうちに搭乗となりました。
 搭乗してすぐに、前の方の乗客が声を張り上げて口喧嘩が始まりました。周りには緊張感が走りました。アテンダントの方が数人で宥めて席を移動してもらい、何とか収まりました。すると、また別の席の方がアテンダントの方に食ってかかっておられます。またまた、4、5人のアテンダントの方が集まってこられました。旅の始まりの人もいれば、これで旅の最後となる人もいます。自分の国に帰るので、気分が高揚しておられるのでしょうか。

機内で観た映画は、
「盲目のメロディー インド式殺人狂騒曲」(2018年に公開)
 (盲目を装うピアニストが殺人事件に巻き込まれる話。いくつかの賞を受賞)

「居眠り磐音」
(2019年5月公開。坂崎磐音役を松坂桃李。ピエール瀧の不祥事で奥田瑛二を代役にして再撮影)
の2本です。
 ただし、「居眠り磐音」は中半までで広州に到着しました。続きは帰りに見ることにします。

 機内食はご飯がなくなったとのことで、スパゲティでした。ほとんど食べませんでした。コーヒーも、まったく味がなかったので、流し込んだという感じです。JALのコーヒーを知っているので、物足りませんでした。アテンダントの方々は、多分にお疲れのようで動作が緩慢でした。

 無事に広州に着いたものの、キャリーバッグが出てくるのを待ち疲れました。予想外に暖かいので、ヒートテックは不要みたいです。
 空港では、恵州学院の庄婕淳さんの出迎えを受けました。そのまま、食事会場となっている維也納(ウィーン)国際ホテルに直行です。空港からの高速道路は大渋滞です。
 ホテルの正面入り口には、明日の国際シンポジウムを知らせる電飾の文字が流れていました。

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 食事会場では、まず今回の中国側の主催者である広東外語外貿大学の陳多友先生にご挨拶をしました。何人かの先生と久しぶりにお目にかかったので、懐かしい話もしました。多くの先生方と名刺交換をし、また席にまで挨拶に来てくださる方も多かったので、落ち着いて食事もままならない、慌ただしい歓迎会でした。
 
 
 
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ◎国際交流

2019年12月19日

清張全集復読(38)「部分」「駅路」「誤差」

■「部分」
 妻とその母親の顔を例にして、似ているけれども違う点をあげます。母親の顔が妻に似ているとはいえ、醜悪に誇張されているというのです。小さなことの積み重ねが、やがて生理的な嫌悪感となっていきます。生理的な不快感が鬱積して内攻し、母親の存在を呪うようにまでなります。このあたりの男の心情が、克明に描かれています。その後の展開は、歌舞伎座の1枚の券を仲立ちにした、まさに清張の世界です。【5】
 
初出誌:『小説中央公論』(昭和35年7月)
 
※『松本清張全集 37』(文藝春秋社、1973.7.20)の巻末に収載されている著者自身による「あとがき」には次のようにあります。
−現実は醜悪である。われわれは人間の顔でも手足でも平気で見ているが、よく見ると、それは醜悪であり、無気味である。鼻でも、指でも、バラバラに部分的に見ていると、ぞっとするくらい無気味である。それが現実だから無気味なのである。この無気味に「美」を見つけたのは岸田劉生であろう。この小説では、部分の無気味さに、血のつながりの醜悪をつないでみた。私がいつも感じていることだが、実際、親子というものは顔がよく似ている。年老いているだけに、父親なり母親には子供の特徴が歪曲され、醜化されている。母娘の顔を較べている男の心理を書いてみた。(554頁)

 
 
 
■「駅路」
 定年退職した小塚貞一が、その秋の末に行方不明になります。有利な再就職も断っての自由な生活の中でのことでした。二人の刑事が事件解決に奔走します。ただし、犯人のあぶり出しに無理があります。人生を駅路に例えるのも、こじつけのようなものです。構成と展開がうまく噛み合わなかった例です。【1】
 
初出誌:『サンデー毎日』(昭和35年8月7日)
 
※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のようにあります。私の感想とはまったく異なる評価です。
定年という人生の「駅路」を主題にした失踪ミステリーの名作。(22頁)

 
 
 
■「誤差」
 鄙びた湯治場に一人で来た女は、東京の住所と27歳だと書きました。連れの男は、その3日後に来ました。そして、連れが帰った後に女は扼殺死体として発見されたのです。当然、この男が疑われます。死後推定時間の誤差が問題となります。警察嘱託医と、解剖した病院長の間には、1時間以上の開きがありました。しかし、数日後にこの男は自殺したのです。殺害時間と男の行動に疑問を抱いた一人の刑事が、法医学の翻訳書を読んでいて閃きます。そして、犯人逮捕となります。すでに伏線が張られていたので、読者は納得します。【4】

 
初出誌:『サンデー毎日特別号』(昭和35年10月)
 
 
 
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | □清張復読

2019年12月18日

今年の「読書雑記」から3本を選ぶ

 去年は38件あった「読書雑記」の記事が、今年は22件と、大幅に少なくなりました。
 通勤経路が変わったために、車中で本を読む時間が短かくなったことが大きく影響していると思います。
 昨年は片道3時間半、今年は2時間なので、時間と冊数が正比例しているようです。
 また、読んで良かったと思える本との出会いにも、今年はあまり恵まれませんでした。
 特に新刊の小説は、読み出してから途中ですぐに罷めたものが多すぎました。
 私が新しい流れに付いていけなくなったのか、あるいは、いい作品が産まれにくい時代なのか。
 電子ブックを私は読まないので、デジタルの世界では、いい作品が産まれているのでしょうか。
 以下の3作は、印象に残った作品です。

「読書雑記(255)山本兼一『夢をまことに』附[山本兼一の記事一覧]」(2019年03月26日)

「読書雑記(258)船戸与一『蝦夷地別件(上)』」(2019年06月20日)
 「読書雑記(261)船戸与一『蝦夷地別件(中)』」(2019年07月05日)
 「読書雑記(262)船戸与一『蝦夷地別件(下)』」(2019年07月29日)

「読書雑記(274)伊井春樹『宝塚歌劇から東宝へ ―小林一三のアミューズメントセンター構想』」(2019年12月05日)
 
 
 
posted by genjiito at 23:17| Comment(0) | *回想追憶

2019年12月17日

読書雑記(276)岩坪健『源氏物語といけばな 源氏流いけばなの軌跡』

 『源氏物語といけばな 源氏流いけばなの軌跡』(岩坪健、ブックレット〈書物をひらく〉20、平凡社、2019年11月)を読みました。

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 まったく知らなかった世界を教えてもらうことは楽しいものです。
 本書の内容を理解するためには、著者と本テーマとの出会いから語られている、「あとがき」から読まれることをお薦めします。そうでないと、『源氏物語』と生花と著者がスムースにつながらないからです。
 さて、多くの人が初めて聞く「源氏流いけばな」について、平易な説明で語られていきます。18 世紀後半の江戸で、千葉龍卜が始めた花道は『源氏物語』を取り入れたことで一世を風靡したそうです。ただし、2代目で断絶したために、今は資料も何もないことになっていたのです。それを掘り起こした著者は、冒頭で次のように言います。

 ところが実際には子孫は帰郷して家業を伝承し、また先祖伝来の秘伝書も保管していたのである。本書では発見された資料をもとに、幻とされていた源氏流いけばなを取りあげる。とりわけ当流の特徴でありながら、資料がないため実態不明であった、『源氏物語』との関係を明らかにして、いけばなにおける『源氏物語』の享受を明らかにしたい。(6頁)


 図版がふんだんに添えてあります。そのため、内容が生花のことなのに、素人にもイメージしやすくて助かります。また、関連文献を博索しての説明であることがよくわかり、安心してついていけました。
 源氏流は2代で途絶えたとされてきました。しかし、著者は次のように新たな見解を示します。

なぜ龍弐と龍弎の存在は世に知られなかったのか。それは龍子以後は故郷の赤穂に戻り、当地で活躍したため、当流はいわば地域限定になってしまったからであろう。また龍子の具体的な足跡については不明な点が多いが、これも龍トが江戸で華々しく活躍したのに対して、龍子は帰郷したため、知名度が他国では高くなかったからであろう。(26頁)


 本書の内容は、著者の『源氏物語の享受 −注釈・梗概・絵画・華道』(和泉書院、2013年、第15回紫式部学術賞受賞)が背後に控えているので、さらに詳しく知りたい方はそちらも確認されたら、この本の魅力が倍増することでしょう。
 そのことは、著者自身が「小著(『源氏物語の享受』)では不明であった箇所が、龍卜自筆本により解明された。そこでその成果を踏まえて、本書を執筆した次第である。」(92頁)と言っていることからもわかります。
 本書は、生花に関するものです。著者のことばで言えば「古人は『源氏物語』を、五感で堪能していた」ことの一面があぶり出されたのです。しかしそれに留まることなく、私は書籍や文書を読み解いて考えていく基本的な態度を伝えていることに注目しています。これが、このブックレットの中に収まったのも、そうしたことがあるからだと思っています。
 
 
 
posted by genjiito at 19:58| Comment(0) | ■読書雑記

2019年12月16日

何かと体調が思わしくなくて……

 このところ、どうも体調がすぐれません。

 最近の記事を読み返すと、身体が怠いことをポツリポツリと書き添えています。それが次第に酷くなり、先週の水曜日は病院のハシゴをし、木曜と金曜は終日床に伏せっていました。
 土曜日は、早朝から深夜まで東京との往復。さすがに帰りの新幹線ではぐったり。そのおかげで、メガネを新幹線の窓側の小物置きに忘れて降りてしまいました。ホームに降り立ってからすぐに気付いたので、案内所でどうしたらいいのかを教えてもらいました。
 翌朝、忘れ物係に電話をしました。そして今日、妻が新大阪駅まで受け取りに行ってくれたので、無事にメガネは手元に戻りました。

 1999年に単身赴任で上京して以来、奈良から品川へと新幹線で通うようになりました。2007年から2017年までは、京都から立川に新幹線で通いました。この間、車中に忘れ物をしたのは、ブレザーを網棚に置いたまま降りたことが1回あっただけです。後日、受け取りに、新大阪駅まで行きました。「心身(23)注意散漫の日々」(2008年09月19日)に書いていますのでご笑覧を。

 不覚にも、ということは比較的少ないはずなのに、一昨日はなんと肌身離さず持ち歩くメガネを置き忘れたのです。
 その土曜日は、日比谷での源氏講座の内容を、車中でブログの記事としてまとめていました。名古屋駅の手前までは熟睡していたので、それから猛然と書き始めました。つい長くなったので必死に読み直しをしていて、米原駅を過ぎたあたりで大慌てで整理にかかりました。京都駅のホームに入った頃からカバンや上着の取り込みをして、ドアが閉まる寸前に飛び降りました。そして、ホームでメガネを掛けようとして、窓側に置いたままで降りたことに気づいたのです。眠気も何も吹っ飛びました。

 昨日の日曜日も、終日気怠さで横になっていました。一歩も家を出ていません。

 今朝は、京大病院の耳鼻咽喉科で診察を受けました。先生は、私の鼻に内視鏡を突っ込んでクルクル回しながら、副鼻腔炎ではなくて慢性鼻炎だとおっしゃいました。30年ほど前に体験した、今思い出しても鳥肌が立つ、あの手術はしなくてもすみます。神経が集中する顔は、とにかく大変な手術となるのです。それが避けられただけでも一安心です。
 今週の金曜日から中国へ行くので、それまでには、何とかして直さなければなりません。あと3日。
 点鼻薬をいただきました。これで、症状は何とか軽くなってほしいものです。次は、風邪対策です。幸い、熱や頭痛はないので、気合で打ち勝つしかありません。
 
 
 
posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | *健康雑記

2019年12月15日

2019年の10大出来事2〈身辺のこと〉

 2019年も公私共にさまざまなことに挑戦してきました。
 前回は〈その1〉として〈対外的なこと〉を列記しました。
 今回は〈その2〉として〈身辺のこと〉を列記してみます。
 多くの方のご厚意に支えられていることに感謝しています。

(1)ブログを毎日書き続けて12年目に突入

(2)今年から毎月「何もしない日」を設ける

(3)突然の事故で京大病院で目尻の縫合手術

(4)2人目の孫娘が産まれお爺ちゃんを自覚

(5)熊取の研究室と作業室を退去して箕面へ

(6)公開講座を「be京都」から「紫風庵」へ

(7)NPO源氏物語電子資料館の第7回総会

(8)西国三十三所の6巡目は洛中の革堂から

(9)目が見えない人と『百人一首』を楽しむ

(10)68歳となり運転免許証を自主返納する
 
 
 
posted by genjiito at 21:32| Comment(0) | *回想追憶

2019年12月14日

日比谷で源氏の橋本本を読む(17)[藤壺の場面の本文異同]

 夜明け前に家を出たので、賀茂川の下流はまだ眠っています。左の山が、大文字の如意ヶ岳です。日の出前から、散策路にはちらほらと人影が見えます。

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 地下鉄の駅前で、中天に穴が開いたかのような、まんまるいお月さまが白んでいました。気持ちのいい朝です。

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 新幹線はガラガラです。
 新橋駅の広場に置かれたSLには、サンタさんが赤い服をのぞかせています。

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 今日の日比谷図書文化館での古文書塾「てらこや」の源氏講座は、1日2講座になってから2回目です。午前中は、「異文を楽しむ講座」です。配布した資料は8枚。前回が体験講座を兼ねていたので、実質的には今日から始まります。
 少し世間話をしてから、受講生でいつも熱心に勉強なさっているYさんにバトンタッチしました。Yさんは、講座が終わってから有楽町での有志による課外講座で、橋本本「若紫」の現代語訳に果敢に取り組んでおられました。その自主講座がこの「異文を楽しむ講座」の開講へと発展したのです。そして、これまでみんなで話し合っていた話題の一つであった「おこり」ということばについて、調べた報告をしてくださいました。
 それは、「若紫」の冒頭部に出てくる、「あまたたび【おこり】たまひければ」と、そのすぐ後に「去年の夏も世に【おこり】て」とある2例の「おこり」に関するものです。
 辞書をもとにして、その意味の検討をして、結果としてこの2例は同じ意味内容であることから、病気が発症したり発生することである、とのことでした。他の受講生の方からの質問の中に、写本によっては「をこり」というものもあるので、この「お」と「を」の違いはあるのでしょうか、というものがありました。これは、私も調べていなかったので、今後の課題とさせていただきます。また、病名の「瘧」というものの命名の由来などの質問もありました。これも、また調べていただき、次回以降に報告していただくことになりました。
 社会人の講座なのに、大学のゼミのような雰囲気になってきたのは、いい傾向です。
 橋本本の本文は、これまでまったく読まれていなかった鎌倉時代の本文です。その本文の意味をこれから丹念にたどって理解していく上でも、こうした単語の意味を1つ1つ確認していくことは大事なことです。その意味からも、疑問に思うことがこうして活発に出てくるのは、自分たちがまだ読まれていない物語を明らかにしようという意欲の表われなので、歓迎すべき流れです。まだ、試行錯誤の取り組みなので、毎回こうして意見のやりとりをすることを基本として続けていきたいと思います。
 今、市中に出回っている古語辞典は、すべてが大島本の本文によって立項されています。しかし、大島本は独自な異文が多い上に、室町時代に書写された本文を江戸時代に校訂されたものです。そのような大島本『源氏物語』の本文で作られた辞典で、それよりも古い鎌倉時代に書写された橋本本を理解することには、釈然としないものがあります。用いる道具と物差しが、読もうとする本文には合わないと思っています。かと言って、言葉の意味を私を始めとしてここに集った素人がどうにかできるものでもありません。そのために、可能な限り言葉の意味を確認しつつ、まだ中身が読まれていない鎌倉時代に書写された橋本本を読む、という基本的な態度は守りたいと思います。面倒なことではあっても、今後とも、こうした姿勢で橋本本を読んでいくことになります。どのような取り組みがいいのかはわからないので、とにかく手探りの状態で進めるしかありません。
 続いて私からは、藤壺懐妊のくだり(小見出し番号【62】、052889「ふしつほの宮」〜)の本文異同を踏まえて、橋本本が語る物語を見ることにしました。
 まず、現在一般に読まれている大島本で作成された校訂本文本文を、『新編日本古典文学全集』(小学館)のものから引きます。

 藤壺の宮、なやみたまふことありて、まかでたまへり。上のおぼつかながり嘆ききこえたまふ御気色も、いといとほしう見たてまつりながら、かかるをりだにと心もあくがれまどひて、いづくにもいづくにもまうでたまはず、内裏にても里にても、昼はつれづれとながめ暮らして、暮るれば王命婦を責め歩きたまふ。いかがたばかりけむ、いとわりなくて見たてまつるほどさへ、現とはおぼえぬぞわびしきや。宮もあさましかりしを思し出づるだに、世ととももの御もの思ひなるを、さてだにやみなむと深う思したるに、いと心憂くて、いみじき御気色なるものから、なつかしうらうたげに、さりとてうちとけず心深う恥づかしげなる御もてなしなどのなほ人に似させたまはぬを、などかなのめなることだにうちまじりたまはざりけむと、つらうさへぞ思さるる。


 次に、私が作成した橋本本の校訂本文をあげます。【 】で括った語句が、大島本と異同を示すことばです。

 藤壺の宮、【このごろ】【わづらひ】たまふことありて、まかでたまへり。上のおぼつかながり【嘆かせたまふを】、【見たてまつりたまふも】【いとほしながら】、かかるをりだにと心もあくがれ【たまひて】、いづくにもいづくにもまうでたまはず、内裏にても里にても、昼はつれづれとながめ暮らし・、暮るれば王命婦を責め歩きたまふ。いかがたばかりけむ、いと【わりなきさまにて】【見たてまつりたまふ】。宮【は】あさましかりし【ことを】思し出づるだに、世ととももの御もの思ひなる【に】、さてだにやみなむと深う思し【ける】に、いと【心】憂くて、いみじき御気色なるものから、なつかしうらうたげに、さりとてうちとけ【ぬ】御もてなしなど【とりあつめ、なのめなる所なく】人に似させたまはぬを、【などて少しよろしき所だに】うちまじりたまはざりけむと、つらうさへ・【思ほす】。


 この2種類の本文を読み比べると、随所に違いが確認できます。赤で明示した本文を見比べるだけでも、橋本本は大島本とは明らかに違う本文を伝えていることがわかります。特に「現とはおぼえぬぞわびしきや。」という文を持たない橋本本の本文は、丁寧に読み解いてその違いを明らかにしておく必要があります。ここについては、『新編日本古典文学全集』の頭注には、「『わびし』は予想外の事態に処しかねる気持ち。源氏の心内に即した語り手の感想である。」(二三一頁)という頭注があります。

 ここでは、これ以上の詳しい解説は省略します。とにかく、この本文の違いについては、今後も折々に取り上げて、参会者のみなさんと一緒に討議の材料にしていきたいと思います。
 今日は、ここまでで時間がきました。残りの半分については、次回に扱います。
 大きく異なる2つの本文を、社会人が集まる講座で読み進むのは大変です。しかし、文章の違いを実感することはできます。
 上記の本文の違いについても、今日のところは大島本が光源氏と藤壺の心情に言葉を費やして語っているのに対して、橋本本はやや素っ気ないようにも思えます。
 まだ始まったばかりです。これから出てくるさまざまな例を通して、この2つの写本が語る物語の質の違いが浮かび上がればおもしろい、と思って進めていきます。少なくとも、2種類の『源氏物語』の本文が楽しめることは確かです。

 午後は、「翻字者育成講座」となります。これは、これまで続けてきた、橋本本に書写されている文字にこだわって、丹念に見ていく時間です。ここでは、語られている内容は問題にはしません。「翻字者育成講座」なので、あくまでも仮名文字に着目して音読し、変体仮名の字母を確認していくのです。
 今日は、48丁表の1行目から、49丁表8行目まで確認しました。この時間は、全盲のOさんが受講しているので、画数の多い文字は特に丁寧に説明するように心掛けています。それは、渡している立体コピーの精度が低くく、画数が多いと文字がきれいに浮き上がらず、ボテッとつぶれた形になっているからです。
 今日は特に、変体仮名の「て」に関する一覧資料を配布し、「く」のように見える「弖」の字形の確認をしました。いろいろなお話をしながら、2時間はあっという間に過ぎてゆきます。
 次回は、新年18日(土)です。
 今日も帰りに、有志の方々と有楽町に出かけました。過日、伊井春樹先生のご本『宝塚歌劇から東宝へ ―小林一三のアミューズメントセンター構想』を読んだこともあり、東京宝塚劇場の地下で、軽い食事をしながら楽しく語らいました。全盲のOさんも参加です。私は、いつものように赤ワインをいただきました。

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 この有楽町から銀座にかけては、木々を覆うように着けられた電飾が、行き来る若い人たちの顔を晴れやかに照らし出しています。渋谷や新宿とはまた違う、すこし上品な雰囲気が漂っていました。
 
 
 
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ■講座学習

2019年12月13日

2019年の10大出来事1〈対外的なこと〉

 2019年もこれまでに増して充実した1年となりました。
 折々に係わってくださったみなさま方には感謝をしています。
 そして何とかここまで生き延びたことを感慨深く思います。
 海外での研究活動はミャンマー・ルーマニア・中国(来週)。
 翻訳本も予想以上に多彩な本を収集することができました。
 科研のホームページも「海外平安文学情報」が再スタート。
 目が見えない方々とのコラボレーションも活発に取り組みました。
 本年特記すべきは研究基盤機関が大阪大学に移ったことです。
 さまざまなことがあったこの1年を2回に分けて列記します。

(1)ミャンマーで百人一首の講演とイベントを開催

(2)明浄社会人自主講座の全10回が無事に終了

(3)ルーマニア語訳『源氏物語』の翻訳者と面談

(4)新ホームページ[海外平安文学情報]を公開

(5)『平安文学翻訳本集成〈2018〉』を発行

(6)大阪大学国際教育交流センター招へい教授に転属

(7)愛知文教大学で翻訳本に関する出張講座を実施

(8)ウクライナ語訳『源氏物語』の翻訳者と情報交換

(9)日比谷図書文化館での源氏講座は2講座となる

(10)中国で国際シンポジウムを主催者として開催(来週予定)
 
 
 
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | *回想追憶

2019年12月12日

読書雑記(275)堀越英美『女の子は本当にピンクが好きなのか』

 『女の子は本当にピンクが好きなのか』(堀越英美、河出文庫、2019年10月)を読みました。

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 最初に、本書の概要が記されています。

 そもそも、なぜ自分はピンクにこんなにもやもやしてしまうのだろう。私は、ピンクから何を読み取っているのだろう。
 二女の母としてのこんな素朴な疑問が、本稿を書かせるきっかけとなった。一章ではまず、フランス、アメリカ、そして日本を中心に、ピンクが女の子の色となった歴史を概観する。二章では、ピンクまみれの女児玩具シーンに反撃ののろしをあげた二〇代アメリカ人女性考案の玩具ブランド〈ゴールディー・ブロックス〉および〈ルーミネイト〉の快進撃の事例とともに、欧米におけるアンチ・ピンク運動を取り上げる。三章では、〈ゴールディー・ブロックス〉の成功から始まった、現在進行形で広がりつつある女児玩具のSTEM(理系)化ブームを紹介する。四章では、女性の理系・社会進出が進まない日本社会においてピンクが何を意味するのかを考える。五章では、日本のインターネット上で盛り上がる「ダサピンク」批判から、客体としてのピンクと主体としてのピンクの違いを考察する。最終章となる六章では、ピンクが好きな男子に対する抑圧、そして「カワイイ」から疎外される男性の問題を取り上げる。(12〜13頁)


 このタイトルで本を書く著者なので、女のお子さん2人はピンク好きにはならないだろう、その生活実態からの報告だろう、と思って読み始めました。ところが、実際にはピンクを好む子になっていたので驚いた、ということから語り出されていきます。話の展開が、予想とはまったく違う方向へと向かい出したのです。
 開巻草々、『源氏物語』の例が出ます。ただし、日本の古典文学が引き合いに出されるのはここだけです。

『源氏物語で各登場人物の服色を色彩系統別に研究した論文「『源氏物語』にみる人間関係と表現の関連」(山村愛、斎藤祥子著/二〇〇六年)によれば、紫の上の服色はピンク、赤、紫系が約二割ずつ、女三の宮にいたっては三分の二がピンク系。光源氏自身もピンク二割、白一・五割、赤一割の割合で着用している。特権階級がそれまでにない豪奢な暮らしを享受できた平安時代は、ロココ同様に女性の文化が花開いた時代でもある。清少納言が「枕草子』で小さく弱い存在である赤ちゃんや子供の可愛さを称揚できたのも、豊かさと平和があればこそ。優雅で柔弱であることがよしとされる貴族文化では、男女間わずピンクが好まれるのかもしれない。(22頁)


 読み進んでいたら、突然「変体少女文字」(52頁)という用語が出てきました。これは、一般の読者には意味不明なことばです。注がほしいところです。本書には、出典を示す後注が詳細に付いています。しかし、こうした特別なことばに注がないので、よくわからないままに読み進むことになります。
 スタンフォード大学の2人の女子大生が、組み立て系のおもちゃを開発します。女児向けのエンジニア玩具で、女性がもっと理系分野を学べるようにと作ったものです。本書には、こうしたコンピュータのプログラミングを女性が習得し、将来の職業に活かす意義を強調する箇所がいくつもあります。これを読みつつ、私は次の本を書棚から抜き出してパラパラとみました。書名は、『私は♀プログラマ』(草葉恋代、ビレッジセンター出版局、1992年7月)。

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 これは、当時コンピュータの雑誌に連載されていた時から、毎回楽しみにして読んでいたものの書籍版です。すでに、女性がコンピュータ分野で活躍していた時代があり、その楽しさを語る本なのです。今から27年も前の本です。それ以降は女性がこの分野で活躍するというプログラム熱は、ほとんど進展しなかったのでしょうか。あるいは、何か形を変えているのでしょうか。今回読んだ本の著者がこの27年前の本を読まれたら、どのような感想を持たれるのか興味を持ちました。
 なお、この本にはディスクに貼り付けるラベルが、おまけとして付いていました。当時を知る者が共有できる、遊び心のあるおもしろいしかけです。

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 レゴの世界にも、ピンクの女の子コーナーと、ブルーの男の子コーナーがあることを初めて知りました。孫娘が、最近レゴで遊ぶようになりました。先日は、高い塔を組み立てたようです。これは、男の子が好むものとされています。本書には、男児玩具には空間把握能力を育む教育能力が高い、とあります。子供時代の遊びが将来の職業選択に及ぼす影響についても言及しています。
 それに関連して、以下の例を紹介しておきます。

 米国テキサスA&M大学の心理学者ジェリアン・アレキサンダ教授は、男女で玩具の好みが違う理由は、目の構造の性差にあるのではないかと推察している。目の網膜は光を神経シグナルに変換する組織だが、光の情報を中枢神経へ伝達する神経節細胞の分布は、男女で大きく異なる。男性の網膜に広く分布する"M細胞"は、おもに位置・方向・速度に関する情報を集め、色には反応しない。これが、男児がボール遊びや車のおもちゃを好む理由ではないかと考えられている。鉄道マニアがほぼ男性で占められている理由も、M細胞で説明できるのかもしれない。一方、女性の網膜には、色や質感に関する情報を集める"P細胞"が広く分布している。女児のほうが色にこだわり、描く絵がカラフルであるのはこのためではないかというのである。
 男児向け玩具のカラーリングが多様であるのに対し、女児向け玩具がピンクなどのパステルカラーに特化しているのも、P細胞のせいなのかもしれない。(84頁)


 さらに読み進むと、次の説明があります。

女子中学生は「周囲から『女性らしい』と見られるよう『理数科嫌い』を装うことが予想される」と考察し、「ジェンダーステレオタイプによる女性としての望ましさから、周囲が理数離れを起こしやすい状況を提供したり、本人も『理数嫌い』を装ったりすることが、理数科への勉強への動機付けを減じることになり、その結果、成績も下がることになってしまう。(…)こうして、『理数嫌い』を装うことが本当に理数嫌いにしてしまうのである」と結論づけている。
 つまり、こういうことだ。「かわいい女の子」のロールモデルが「頑張り屋さんだけど、算数は苦手」である社会では、かわいい存在でありたいと願う女の子は自らそちらのイメージに"寄せていく"のである。本来の好き嫌いにかかわらず。そうして、本当に数学がわからなくなってしまうのだ。(96頁)


 こうしたことは、どれくらい客観的に解明されているのか、科学の分野での研究成果を知りたくなりました。
 さらに、アニメや映画を例にして、ピンクの扱われ方を見ていきます。文化の受容を通して、ピンクが果たす役割を分析します。しかし、私の体調がよくないせいもあってか、語られている内容になかなか入っていけません。客観的ではない、恣意的な情報の取り上げ方が感じられたからです。
 社会でピンクがどのように取り扱われ、理解されているのかを、本書は論じています。その受容を通して、傾向を見ていきます。しかしながら、このことが、本書のタイトルからずれていっているように思えました。『女の子は本当にピンクが好きなのか』というテーマと、本書が語る例示の対象がズレているように思えたのです。集めた情報の分析の妥当性がよくわからないし、本質に切り込んでいないようです。私が期待した展開ではなかったのです。
 また、海外の情報をもとにして展開する論理と、日本の風土が持つ特有のものを等価値で比較していいのかということにも、大いに疑問を感じました。日本でのピンクが持つ意味と受容相に触れてもらわないと、納得しにくいし、理解が深まりません。外国の影響はわかった、しかしそれは人ごと、というレベルに留まるのです。
 著者の次の見解は、印象批評の域を出ず、論証が必要だと思います。自分の中に結論があり、それを元にして語られているのです。

ピンクには軟弱さや愚かさといった負の女性性のイメージがついていることもあって、これを男性が身に着けることはゲイやトランスジェンダーのふるまいとして見下される傾向にある。(187頁)


 最終章である「文庫版特典 女の子と男の子のジェンダーをめぐる話をもう少し」は、非常におもしろく読みました。まずは、その冒頭を引きます。

女の子が文学部に入るべきでない5つの理由


 「女の子の色はピンク」が自明視されているように、「女の子は文学部に進めばよい」というステレオタイプは根強い。いや、かつては根強かった、というべきだろうか。
 自分の適性も考えずに文学部に進学して辛酸をなめたのは、これまで述べたとおりだ。私のような失敗をする若い女性がこれ以上増えないよう、女子が安易に文学部に進むべきではない理由を語り継いでいきたいと思う。(212頁)


 それまでが、調べたことの報告だったので多分に退屈していた私は、ここでは作者の実体験をもとに語られているのでおもしろかったのです。生の声が聞こえます。たとえば、次の独白は、作者の本音なのでしょう。

自然=女性という本質主義的イメージを身にまとい、自らを再コンテクスト化して他者性をアピールしよう。何を言っているのかわからなくなってきたが、自分でもよくわからないことをつい口走ってしまうのも文学部出の性である。(217頁)


 私が本書に馴染めなかったのは、こうした語り口についていけなかったからなのかもしれません。本書は、この最終章を読んでから、あらためて一章から読めばいいように思いました。
 
 
■書誌:『女の子は本当にピンクが好きなのか』(Pヴァイン、2016年)に加筆して文庫化
 
 
 
posted by genjiito at 20:26| Comment(0) | ■読書雑記

2019年12月11日

2つの病院を掛け持ちで行く

 来年3月上旬に白内障の手術をするため、少しずつ準備としての検査が進んでいます。
 今日は京大病院の主治医の先生から、目に入れるのは単焦点レンズでいきましょう、という説明を受けました。
 私からの要望は、「目の前66cmの位置にある3台の大型モニタと、手元30cmの机上に並べた資料を、メガネを掛け外しすることなくデスクワークをしたい」ということに尽きます。これを叶えるために一番いいのは、単焦点レンズでデスクワークをし、テレビを見たり外に出る時にはメガネを掛ける、ということだそうです。
 とにかく、霞んで見えにくい現状が少しでも改善されるのであれば、どのような方法でも構いません。そのための対処が、着々と進行しています。
 今日はもう1点、鼻の調子がよくないので、副鼻腔炎の検査をお願いしました。
 今から29年前の夏、副鼻腔炎の治療のために、大阪上本町にある大阪赤十字病院で入院手術を受けました。『データベース・平安朝日記文学資料集 第一巻 和泉式部日記』(同朋舎)の最終校正を、入院中のベットでしたのでよく覚えています。その本は、無事に11月に刊行されました。その時の症状が、また再発したようです。
 来週早々に、耳鼻科の予約を入れていただきました。年末の慌ただしい中で、また一つ問題を抱えることとなりました。
 先月、京大病院専用のクレジットカードを作りました。これにより、会計をする時に長蛇の列の一人となることなく、スムーズにいきます。しかも、看護師さんから受け取った会計用紙を専用カード保持者のための窓口に出すだけで、あっというまに支払いが完了します。カードを見せる必要もありません。もっとも、今日の診察費がいくらだったのかは、次回に手渡される領収書を見るまでは、その金額はわかりません。知りたければ聞けばいいようですが。とはいえ、20分も待たされることもなく、あっという間に会計が終わるのは、気持ちのいいものです。
 副鼻腔炎とも関連するのか、昨日の朝からノドが締めつけられるように苦しくて、微熱と倦怠感に襲われています。今日も、背筋がゾクゾクしています。そこで、思い切って今夜、掛かりつけのお医者さんである近所の邦須医院に行きました。ここの先生は、すぐそばにお住まいだった角田文衛先生の掛かりつけだったとのことで、角田先生のお話を聞くことがあります。そのこともあってか、私を考古学の関係者だと思っておられます。来週から中国の広州へ行くので、3種類の薬を、少し多めに処方していただきました。その時、中国では発掘調査ですか、と聞かれました。角田先生は、考古学が本業だったのですから、その関係者である私もそうかと思われています。いえいえ、文学関係の仕事で行きます、とお答えしました。
 先日も書いたように、身体が怠いので横になっている時間がこのところ増えました。身体が弱くなっていることを自覚しながら、自分を騙し騙し明日へとつなげているところです。
 
 
 
posted by genjiito at 20:17| Comment(0) | *健康雑記

2019年12月10日

目が見えなくても変体仮名は触読できる

 先々週の「紫風庵」での勉強会の様子は、「紫風庵で三十六歌仙と源氏物語の変体仮名を読む(第7回)」(2019年11月30日)に書いた通りです。

 その記事の冒頭で、全盲のHさんについては、「生まれつき目が見えない方です。五十音図のひらがなは何とか書けるそうです。歴史と古典に興味があり、昨年から現代語訳の古典を読んでいるとのことです。初めて仮名文字の触読に挑戦ということになります。」と書きました。
 勉強会では、どのような文字を、どのように説明したのか、その詳細は上掲のブログの記事を参照願います。

 その後、全盲のHさんへの勉学支援を今後どうしたら一番いいかを、当日直接横でサポートした吉村君と相談しました。そして、吉村君が触読のサポートをしていて感じたことを、そのままメモとして私へのレポートにしてもらいました。
 この吉村レポートをHさんに読んでもらうことで、こちらが感じたことを伝え、それに対するHさんの意見を聞く。その繰り返しの中で、お互いの意思の疎通をはかりながら進んで行くことにしよう、ということになりました。
 以下、吉村君がまとめたレポートを適宜整理し、箇条書きにして引用します。
 この吉村レポートに対するHさんからの感想や思うところを伺うことで、我々は次の対処の方向性を探ろうということです。

 これまでに私は、見えない方が変体仮名を読まれることに関しては、3人の方に関わりました。その過程は、「古写本『源氏物語』の触読研究」に、いろいろな記事として報告しています。その中でも特に「触読通信」と「研究会報告」が、さまざまな事例を取り上げています。

 私と同年というHさんは、いろいろと豊かな文字感覚や知識をお持ちです。今回の「紫風庵」での立体コピーを触っておられる様子を拝見していて、予想外に触読ができそうにお見受けしました。横で直接サポートに当たった吉村君の報告を読んで、その思いはさらに強いものになっていきました。
 私としては、一緒に楽しみながら日本語の文字の歴史をたどりつつ、文字の触読を通して日本文化を共に体験していく仲間に出会えたと思っています。
 そして、いつも一緒に行動しておられる旦那様も、共に変体仮名が読めるようになり、お2人で博物館や美術館や街の書道展などに足を向けられ、展示されている仮名文字を旦那さまが読んで説明し、Hさんがその文字の形を確認するなど、楽しい話が交わされる姿を思い浮かべています。
 もっとも、見える見えないに関係なく、しばらく変体仮名に接していないと、すぐに読めなくなります。久しぶりに立体コピーを触ると、しばらくは指が空をさまようそうです。「あれっ うーん」と。とにかく、気長に続けることしかありません。まずは、月に1回ながら、「紫風庵」での勉強会です。

 以下、吉村レポートを整理したものを引用します。

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■Hさんへの触読支援に関する報告■



「第7回 源氏物語と三十六歌仙を変体仮名で読む会」(2019.11.30)

(0) 「三十六歌仙絵」を紙で確認する時は、初めに全体像の絵を立体コピーにしたものを触ってもらい、襖の枠に当たる四角い部分の内側に、歌と絵があることを確認してもらいました。

(1) 字を読む時は、まず作者名を確認します。しかし、漢字なので読むことはできません。この文字列が名前を表しているのだ、という認識だったと思います。

(2) 最初の清原元輔の歌では、1行目「【音】」「那」はやはり難しかったようです。
 「し」は、「これが「し」ですよ」と伝えると、「ああ、わかるわかる!」と感嘆しておられました。
 「の」は、今の字母と同じです。しかし、漢字に近く輪になっている部分がなかったため、腑に落ちない様子でした。
 「【河】と楚徒ゐ丹」は難しかったので、1文字ずつ一応説明するような形になりました。
 「と」は、今と同じ形です。しかし、小さいので読みにくいようでした。
 次の「な可連いつる」も、難しかったようです。手違いで資料作成の段階で消してしまった「い」については、「ここに本当は「い」があります」と言って、何もない所を触ってもらいました。
 「可」はよく出てくるので、「くるっと回っていたら「可」ですよ」と伝えました。この時には、この文字が変体仮名であることを伝え忘れてしまったような気がします。今後気をつけなければなりません。
 次の「い者で【物】おもふ」は、「お」と「ふ」がわかったようでした。「お」は最後の点を触ってもらい、「ふ」は最後の2画の点を触ってもらうと納得してもらえました。
 「【人】の【涙】盤」は、漢字の「【人】」がわかったようでした。

(3) 当日は気にならなかったことで、後で漢字が読めていた事に気がつきました。次回、漢字をどの程度知っておられるのか、確認したいと思います。

(4) 歌仙絵を見比べる時は、触って顔や目の位置、冠があることを確認しました。ポーズなどは触って知るのが難しく、笏を持っている部分がどうなっているのか、よくわからない様子だったので、口で説明しました。絵の様子については、旦那様も説明に加わってくださいました。

(5) 次の坂上是則では、1行目「三」「よ」は触りながら伝えても、理解するのが難しかったようです。しかし、「し」はすぐに読むことができていました。
 続く「野」「々」「山」は、漢字なので説明するだけに留めました。
 「能」は、「これは「の」ですよ」と伝えると、「これもわかる」とおっしゃっいました。
 なぜ変体仮名がわかったのかと思いましたが、形が少し「の」に似ていたので勘違いされたのだと思います。「今の平仮名とは違う形の変体仮名ですよ」ということは一応伝えました。
 また1文字目の「三」は、「カタカナの「ミ」に似ています」と伝えました。しかし、そもそもカタカナはわかるのかどうか、という事に後で気がつきました。これは後に出てくる「八」も同様だと思います。

(6) 2行目は変体仮名が多く、「これは今と違う仮名ですが、「○」です」、「これは漢字で、「雪」と書いています」といったように、説明ばかりになってしまいました。
 最後の「し」は、「これは何かわかりますか?」と尋ねると、見事に「し」であることを当てられました。
 3行目では、「む」と「く」はわかったようでした。
 「さ」も、見た目は今の形に近いですが、小さかったので触って読むのは難しかったようです。
 4行目の「里」は、「り」だとわかるとのことでした。しかし、これも先の「能」と同じように、「里」の上の部分を「り」と勘違いされたのだと思います。これについては、私も「里」を「りと」と二文字だと思って読んだ経験があるので、慣れで解消できる問題ではないかと思いました。目で見ると、字の全体像を把握できるのに対して、触って読む場合は上からなぞっていくため、「里」の上の部分まで触ったところで「り」と判断してしまいやすいようにも思われます。
 この点については、福島の渡邊さんや、東京の尾崎さんがどうされているのか、気になりました。

(7) 5行目最後の「り」は、今の平仮名と同じです。左右のバランスが今と違うためか、少し難しいようでした。

(8) 4,5行目は、「な」の形が問題になりました。しかし、くずし字を読むのが初めてということもあり、内容の理解はなかなか難しい様子でした。

(9) 藤原元真の歌では、1行目「【夏】【草】は志希り耳」のうち、「は」はわかったようでした。
 2行目「気里奈堂まほこの」については、「まほこの」の部分がわかったようでした。「ま」は1、2画目の横棒が、「ほ」は1画目の縦棒が、「こ」「の」は今の形に近い事が理解の助けになったのだと思います。
 3行目「【道】遊く【人】も」は、「く」「人」「も」がわかりました。
 4行目「む春婦者閑梨に」は、「む」「に」がなんとなくわかったようでした。「む」は右上の点が助けになったようです。

(10) 襖で実物を確認している間は、もう一度同じように触ってもらいました。実物と比較はできませんが、良い復習タイムになっていたように思います。「し」や「く」などは、何も助言しなくても読むことができていました。

(11)「須磨」15丁ウラの変体仮名交じりの文章は、時々指を筆の運びに従ってなぞりながら進めてもらいました。どうしても途中で遅れてしまうので、キリの良いタイミングで遅れてしまった部分は飛ばしました。
 すぐに理解できたのは、「く(4行目など)」「け(5行目など)」「し(2行目など)」「の(2行目など)」「や(3行目など)」です。
 逆に難しかったのは、やはり変体仮名と漢字です。特に、画数が多いものや小さいものは、立体コピーで潰れてしまう所が多かったことも、原因だと思います。
 そこで今回は、「可」や「八」を特に強調しながら進めました。「か」はクルッと回っているもの、「八」は左右に点が2つあるもの、といった感じです。
 この時に、カタカナの「ハ」に似ているという説明をしました。しかし、先の「ミ」と同様に、伝わっていたのかどうかわかりません。
 頻出の「尓」も、強調しようと思いましたが、小さいため難しいようでした。

(12) 全体を通して、読めた時に毎回喜びが伝わってきました。終わった後も、参考資料である『変体仮名触読字典』を取り出して、「どれから覚えていけばいいですか」と聞いてくださいました。
 まず、現行の平仮名と同じ字母のもの(字典では一番右のもの)を勧めました。しかし、この調子だと、変体仮名も覚えていく順番を決めておかなければならないかな、と思いました。その時は、出現頻度が高い文字や、余白が多めの文字から始めるのがよいかと思います。またある程度慣れてきたら、特に注意する部分を拡大コピーしておくことで、わかりやすくなる所もあるのではないかと思いました。


 この吉村レポートをメールでHさんに送ったところ、以下のような返信をいただきました。少し整理して紹介します。

・ 紫風庵での勉強会は、学生時代に帰ったような気持ちでとても楽しかったです。

・ 立体コピーの人物像は、輪郭をつかむのに役立ちます。詳しいことは、言葉で説明していただくとイメージがわきます。

・ 文字について。私は学生時代にリポートを提出するとき、今のようなパソコンはなかったので、ひらがなタイプと英文タイプを使っていました。そのため、ひらがなとアルファベットは覚えています。しかし、カタカナや漢字は忘れてしまいました。

・ 勉強会で漢字が出てきたときは、最初からわからないとあきらめて触れるだけになってしまいました。心を入れ替えて、次からは丁寧に指でなぞることにします。

・ 変体仮名については、現代の仮名に近いものは何とかわかりました。しかし、ほとんどは吉村さんの説明を聞きながらなぞっていくだけになりました。どこまでが一文字なのか、自分がどこまで理解できているのか、よく分かりません。

・ 複雑で細かい文字は、拡大していただくと分かりやすくなります。

・ 『変体仮名触読字典』を使うときの、有効な方法があれば教えてください。


 この往復便となったメールを読み返して、また次の対処法を考えることにします。
 『変体仮名触読字典』と『触読例文集』の活用によって、さらに効果的に触読できるようになるはずです。そのための学習プログラムを、3人で意見交換をしながら作っていくことにします。なお、ここで紹介している『変体仮名触読字典』と『触読例文集』については、「『変体仮名触読字典』と『触読例文集』が完成しました」(2017年03月31日)で詳しく紹介しています。
 
 
 
posted by genjiito at 23:48| Comment(0) | ■視覚障害

2019年12月09日

それはないですよアップルさん

 今秋公開された「macOS Catalina」(Ver.10.15)にしてからというもの、次から次へとトラブル続きです。
 このバージョンのOSは、公開されてすぐの10月ごろから、いろいろと問題点が指摘されていました。そのため、新しもの好きの私も、しばらくは「macOS Mojave」で我慢の日々を送り、アップデートを見送っていました。しかし、痺れを切らして「macOS Catalina」をインストールした途端に、悲惨な思いをして貴重な時間をドブに捨てるような日々にドップリと浸かっています。
 当初から、「macOS Catalina」では macOSで32bitアプリを起動すると警告表示出て、やがて使えなくなるという告知はありました。macOSアプリの64bit移行に伴うものです。32bitアプリが動作しなくなることは知っていました。しかし、これほどまでに軒並み使えないアプリが続出するとは思いませんでした。しかも、以下に示すように、アップル純正のアプリでも不具合が続出しています。
 周辺機器では、カメラのデータの転送なども、できなくなりました。一々、カメラからSDカードを抜き出してUSB接続し直して、写真をパソコンに読み込んでいます。この方法しかないことは、ソニーに確認済みです。被害甚大です。
 また、バックアップ用に使っていた「Time Machine」が、外付けハードディスクを認識しないために、「AirMac time capsule」でのバックアップができません。

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 今は、「macOS Catalina」 にアップグレードを早まったと後悔しています。しかし、もうどうしようもありません。かといって、いまさら Windows マシンへと都落ちする気はありません。1989年にMacintoshの魅力に取り憑かれてからちょうど30年になります。以来、MS-DOSの世界から酷かったWindowsをパスしてMacintoshのユーザーとなりました。そんな私でも、あまりにも酷いと思わざるを得ないOSが公開されたことを、一ユーザーとして恥ずかしく思っています。
 参考のために、現在私の元で起きている不具合を、思いつくままに列記します。これらは、ほんの一部です。そして、これらの症状を回避するためには、再起動すればいいことまではわかりました。しかし、アプリを一度終了してしまうと、また再起動しなければなりません。これでは、まともな仕事には使えません。
 これまで私の持論だった、〈コンピュータを使った仕事は、8割はマシンの調整に労力を費やし、後の2割で仕事をする〉と言うことが、いまだに正論だったことを実感しています。
 私からの返信や送信をお待ちの多くの方々には、ここに記してお詫びするしかありません。
 もし、スティーブ・ジョブズが生きていたら、こんな出来の悪いOSの出荷は認めなかったことでしょう。本当に残念なことです。1日も早くまともなOSに仕上げて提供してほしいものです。

■「macOS Catalina」の不具合■


・コピー&ペーストができないことが多い(ファイル名の入力では必ず)
・「メール」にワードなどの文書が添付できず送信もできなくなる
・そのため、添付ファイルのあるメールはウェブメールで送っています
・「プレビュー」で JPEG の画像、PDF のファイル、スクリーンショットが見られない
スクリーンショット 2019-12-09 23.58.40.png
・ディスクトップにあるファイルがゴミ箱に捨てられない
・多くのアプリケーションが起動しない(閲覧専用の「ワード」はともかく「エクセル」は痛手)
・エバーノートで「すべてのノート」がほとんど表示されない
・Bluetooth のキーボードやマウスの接続が、突然にしかも勝手に解除されてしまう
・今使っている15インチMacBook Proでスリープから復帰できない
・写真アプリの動作が不審
・「メモ」の同期が、パソコンとiPhoneで半日のことがしばしばで時間差が大き過ぎる
・ダークモードでコピーした文字列が見えないため、一々文字列の色を変更せざるをえない
・作成した文章が保存できなくなるために「保存」できなくて「書き出し」の機能を使うこととなる
・ディスクトップにあるはずのファイルが画面に表示されない

 
 
 
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ◎情報社会

2019年12月08日

何もしない日(10/11/12月分)

 本年正月から、毎月の始めは、「何もしない、何も考えない1日」を設けることにしました。

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 しかし、早速2月に、あまりにも多忙のあまり、設けないまま過ごしました。
 そのため、3月2日に2月分も一緒にお休みの日としました。

 以来、順調に毎月初旬にお休みの日を守ってきました。
 しかし、10月と11月の2ヶ月続きで、またまた多忙な日々に身を置くこととなり、休めませんでした。

 師走の今日は、3ヶ月分のお休みの日とします。
 
 
 
posted by genjiito at 18:48| Comment(0) | *身辺雑記

2019年12月07日

久しぶりのスイミング

 先月11月は、一度もスポーツクラブに行けませんでした。

 まず、体調がよくなかったこと。いまだに、身体がだるくて、すぐに横になりたくなります。出かけると、どっと疲れてしまい、しばらく横になって休憩という情けないありさまです。

 そして、やることが多すぎて忙しかった、ということもあります。

 1ヶ月以上も行かなかったことは、京都に帰ってきてから、この3年の間では初めてのことです。

 また、今春から職場が変わったこともあります。それまでは、片道3時間半という小旅行のような通勤をしていたので、結構歩いていました。授業や会議に行くのも、結構歩くものです。

 それが今春からは、自宅からすぐのバス停まで歩き、乗り換えて電車とバスを乗り継ぐと、研究室の真下にバスが停まります。通勤で歩くのは百歩もなさそうです。授業も会議もないので、歩き回ることもありません。

 これでは、運動不足になるのは明らかです。

 今日は、プールで身体を慣らしました。気だるいとはいえ、身体を動かすとシャッキリとします。

 打たせ湯、水中ウォーキング、軽く泳ぐ、ミストサウナ、ジャグジー、水風呂、温浴風呂で身体に刺激を与え、最後はマッサージ機で足の指圧とストレッチです。これが今日のフルコースでした。

 心身共にさっぱりとして、冷たい賀茂の川風を浴びながら帰りました。

 さて、気を引き締めて師走の激務に立ち向かっていくことにします。

 

 

 


posted by genjiito at 19:47| Comment(0) | *健康雑記

2019年12月06日

運転免許証を返納しました

 運転免許証の返納をしてきました。
 電話で免許証の返納手続きができる場所を確認したところ、我が家に一番近いのは出町柳のすぐ北にある下鴨警察署であることがわかりました。京都駅前だと、その日の内に「運転経歴証明書」が発行できるとのことです。しかし、京都に住み着いてからは車を持たない生活になっていることと、運転する機会もなく、「運転経歴証明書」も急ぐものではないので、1ヶ月後の受け取りを了承して下鴨署へ自転車で行きました。
 申請手続は簡単でした。ただし、私は住所が東京都江東区のままの免許証だったので、変更手続きが必要でした。さらに驚いたことには、本籍地が奈良県生駒郡になっていました。10年以上前に変更したはずなのに、やっていなかったようです。それでも、保険証と印鑑があれば大丈夫でした。費用は、\1,120円です。写真は、警察署の別室で撮影してもらえました。
 今日付けで、運転免許は取り消されました。
 帰りに、京都市からということで、500円のギフトカードをいただきました。内心、開封するまではいくらなのか楽しみでした。正直、がっかりしました。何となく中途半端な金額だと思います。これが2,000円のバスカードなら、もっと返納者が増えることでしょう。
 なお、自主返納した者に対する支援があるそうです。それは、後日「運転経歴証明書」を受け取ってからにします。どんな支援があるのか楽しみにしましょう。

 運転免許は、18歳の時に、東京都大田区蒲田の自動車教習所で取りました。仕事で使うために取得したものなので、教習所への費用は会社持ちでした。
 毎朝3時に、新聞の印刷所へいすゞのトラック「エルフ」で行き、荷台に印刷されたばかりの新聞の梱包を積み、大田区の各新聞販売店に下ろして回る仕事です。最後に自分の販売店に帰り、それから350部の新聞を1時間半かけて自転車で配る日々でした。夕刊は、学生なので授業を受けることが優先ということで、印刷所へ行く仕事はありませんでした。ただし、休日等には新聞に入れる広告やチラシを受け取るために、都内の広告代理店などを車で回りました。今から思えば、東京を走り回った楽しかった日々でした。
 あれから50年たった今日、免許証は失効となりました。子供たちを車で全国各地を連れて回り、奈良から京都への引っ越しは、すべて私がレンタカーを運転してやりました。
 思い出深い自動車の運転については、いくらでも話が湧いて出ます。それらは、またいずれ。
 とにかく、今は感慨無量です。
 
 
 
posted by genjiito at 20:17| Comment(0) | *身辺雑記

2019年12月05日

読書雑記(274)伊井春樹『宝塚歌劇から東宝へ ―小林一三のアミューズメントセンター構想』

 『宝塚歌劇から東宝へ ―小林一三のアミューズメントセンター構想』(伊井春樹、ぺりかん社、2019年11月30日)を読みました。一読三嘆、あらためて本を読む楽しさを満喫しました。

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 小林一三と宝塚の歴史が、今回あらたに、丹念に掘り起こされた事実に基づいて語られていきます。本作は、以下の2作を踏まえて、さらに宝塚が生まれる背景を浮き彫りにしたものです。

「読書雑記(136)伊井春樹著『小林一三の知的冒険』」(2015年07月15日)

「読書雑記(202)伊井春樹著『小林一三は宝塚少女歌劇にどのような夢を託したのか』」(2017年07月12日)

 著者は、阪急文化財団の理事として、逸翁美術館・池田文庫・小林一三記念館の館長という要職の中で、小林一三(逸翁)と宝塚に関する情報を収集し、身の回りにある膨大な資料をコツコツと解読することにより、次のような構想を形にすることになったのです。

宝塚少女歌劇の発足からの歩み、創設者小林一三の演劇への思い、それらが日本の演劇史や文化史にどのように位置づけられるのか、といったことにはあまり言及されないのが実情である。(「あとがき」226頁)

宝塚少女歌劇のその後の展開を、文化史の中に位置づけるにしても、どのような見取り図のもとに書くのがよいのか、たんなる歴史叙述ではあまり意味がない。そこで思いついたのが、その先にある演劇映画の東宝の存在だった。(「あとがき」227頁)


 事実と事実の間を溢れんばかりの想像力で自然な流れの話としてつなげていく、「伊井節」のおもしろさ満載です。豊富な情報が背景にあってこその為せるわざだと言えるでしょう。
 温泉の余興にすぎないと評されていた宝塚少女歌劇が、あれよあれよと言う間に世間に認められていく話は、非常におもしろくて気持ちのいい物語です。
 大正時代の松竹と宝塚のありようは、さまざまな資料を駆使して詳細に語られます。しかも、視線は演劇の国民への普及、国民劇創出を目指す小林一三にあるので、わかりやすくまとまっています。松竹と宝塚の方針の違いが明らかにされていきます。
 その中で、特に分かりやすいのは、女優の命名由来でしょう。

宝塚少女歌劇団の生徒の名は「百人一首」に由来したのに対し、松竹の芸名は「万葉集」を用い、梅組・桜組の組織(後に松・竹)にするなど、明らかに宝塚少女歌劇の後を追い、人気を奪うまでの勢いになる。(75頁)


 また、松竹が宝塚の地に、一大歌劇場の建設に着手していたことの事実を資料から掘り起こしている点は、非常に興味のあるところです。そして、著者の調査が徹底していたことの証ともなっています。
 その後、宝塚で菊五郎の歌舞伎が上演されます。新しい演劇の幕開けとなります。それを本書は活写しています。
 他方、社会的な変動を背景に、一三は東京に健全な娯楽地を探し求めていました。それが、仕事の関係から止むを得ず手にすることになったのが日比谷という地になるのです。おもしろいものです。これが、アミューズメントセンターの構想へと展開します。まずは、日比谷東京宝塚劇場です。壮大な計画が少しずつ実現していく様が、目の前に現前するように描かれています。
 現在私は、その日比谷の地にある日比谷図書文化館で『源氏物語』の講座を担当しているために、毎月1回はこの劇場の前を通っています。帰りには課外講座と称して、受講生の方々と有楽町周辺で自由に語らっています。その地の歴史がわかり、あらためて日比谷から有楽町の、上野とは異なる文化が根付いていることが理解できました。そして、まさにその地で私は好きなことをさせていただける幸を、本書を読み進めながら噛み締めていました。
 その後、東宝と松竹は俳優の引き抜き合戦を展開します。その中で、興味深い箕助をめぐるくだりは、『源氏物語』にも関わることなので、長くなるのを厭わずに引用します。

 大阪歌舞伎座で、五代目菊五郎追善公演に出演中の坂東三津五郎から、息子(養子)の蓑助が東宝の舞台に立ちたいと願い出ていると、五月十五日に松竹に情報が入ってきた。かねて蓑助は新しい歌舞伎劇の提唱をし、移籍の噂がありはしたが、父親からの正式な連絡を聞き、松竹本社は強い衝撃を受ける。ほかにも二三人の俳優が、松竹を脱退するとの話もあり、すぐさま流出を食い止める方策にかかる。東宝は松竹の俳優を引き抜こうとしていると、熾烈な対抗意識をあらわにもする。
 蓑助から東宝劇団入りの意向を聞いた三津五郎は、松竹から芸名を取り上げられるだけではなく、二度と舞台には立てなくなると強く反対する。それでも蓑助の決意は固く、松竹を離れてしまう。六代目坂東蓑助(旧八十助)は三十歳の新進気鋭、新宿第一劇場の青年歌舞伎に出演中で、将来の歌舞伎界のホープともされていた。
 かつて昭和八年十一月に新宿歌舞伎座で『源氏物語』の上演を企画し、研究者の藤村作博士、池田亀鑑諸氏の監修、番匠谷英一脚色、舞台意匠は松岡英丘、安田靫彦といった豪華メンバーを揃え、稽古も怠りなく準備を進めていた。脚本は申請して検閲中だったが、直前の四日前になって警視庁保安部からの上演禁止命令が下される。入場券は完売し、衣装から舞台装置もすべて整えていただけに、蓑助は奔走し、脚本の書き直し、当局との折衝を試みたものの、舞台化は許されなかった。虚構の作品であっても、宮中の恋愛事件の舞台化は、不敬罪に当るとの判断である。『源氏物語』が舞台や映画になるのは、第二次世界大戦後までなされなかっただけに、成功していれば斬新な蓑助の企画力と行動力として、文化史にもその名は刻まれていたであろう。
 松竹に属していては、自分の芸を磨くことができないため、新しい環境で芝居に精進したいというのが蓑助の言い分である。松竹は蓑助の遺留に努め、ほかにも数名の移動する気配に警戒を強める。一方の東宝側は、六月からの有楽座出演は蓑助の意思によって決定しており、とくに引き抜きをしたわけではないと反論する。「松竹を脱退し、蓑助が東宝入り」と新聞で大きく報じられ、真相は不明ながら、松竹と東宝の対立は表立って先鋭化していき、それがまたニュース面を飾ることになる。(180〜182頁)


 このことは、『もっと知りたい 池田亀鑑と『源氏物語』 第2集』(伊藤編、新典社、2013年)に掲載した「源氏物語劇上演の打ち合わせ?(昭和8年秋頃?)」の写真(380頁)に関連するものであり、警視庁の弾圧に関係します。本ブログでも、以下の記事で言及しています。

「『源氏物語』の演劇化弾圧に関する新聞報道」(2012年04月24日)

 しかし、今は引用だけに留め、後日さらに調査した報告を記したいと思います。
 なお、個人的な興味と関心によるものながら、「盲目の兄とその妹」を箕助が演じています(182〜183頁)。これはどのような内容なのか、これもまた後で調べてみます。

 有楽座の新築をめぐって、当時の演劇のありようと、その芸を見せる場としての劇場という小屋の存在が浮き彫りにされていきます。新しい国民劇を興そうとする小林の考えを、こうしたことの掘り起こしから克明に描き出しています。
 私が一番心待ちにしていた宝塚と『源氏物語』のことは、この次の著書になるようです。待ち遠しい思いで、その公開を楽しみにしています。

 「あとがき」には、次のようにあります。

 私が、「ゴジラ」の映画を見たのは十三歳の中学二年生の時である。地方都市なので、封切ではなく数か月遅れての上映だったのであろう。迫力のある強烈な印象だっただけに、帰宅する道すがら、夕暮時だったが、近くの山のあたりからゴジラが出現するのではないかと、不安な恐ろしさを覚えた。それが東宝映画と認識したのは、ずっと後になってのことである。中学・高校時代の昭和三十年代は映画の全盛時代、学校からの帰りにはよく寄ったものだ。(227頁)


 著者の手元には、膨大な情報と資料があるようです。しかし、それらの中でも、次のようなものは今は省略した、とのことです。

劇場や映画の話題に向かうと、資料は膨大になり、研究者だけではなく、監督、演出家、俳優の立場からの著作も多い。小林一三との関係からだけでも、川口松太郎、秋田実、菊田一夫、大河内伝次郎・古川緑波等数えるときりがなく、資料も残されるが、問題が拡散するためすべて省略に従う。(228頁)


 この「あとがき」を読みながら、さて私と東宝の接点は、と思いをめぐらすと、ゴジラはもちろんのこと、それよりも大学1年生だった頃に足を運んだ日劇ミュージックホールのことが思い出されました。たまたま、処分しようとしていた段ボールの中に、パンフレット『日劇ミュージックホール 1〜2月講演 開場20周年記念公演』(昭和46年12月発行)があったことに気付きました。処分しなくてよかったと思い、取り出してみると、次のコラムが目に留まりました。些細なことながら、捨てるともう出会えないものなので、参考までに引いておきます。

「二十年なんてまだ子供だ」丸尾長顕(演出家)



「日本で面白いショウを見ようと思えば、日劇ミュージック・ホールへ行け」
 と、カバルチードに書かれてからも十年は経った。こんなちっぽけな劇場で、こんな小規模のスタッフで、ともかくショウの世界に覇をとなえてきたことは、まことに幸運だ。
 草創時代の苦しかったことなど、当然だと思うし、楽しい思い出だ。
 「丸尾君、派手に赤字を出してくれるナァ」
 と、寺本副社長に皮肉を云われても、返す言葉がなかった時
 「一年間は黙って見てやるものだ」
 と、小林一三先生の助け舟で、涙が出たことを思い出す。やっぱり小林先生は偉かった。それで一所懸命になった。スタッフも力を協わせてくれた。8カ月で、第一の黄金期を迎え赤字を解消したのだから、先生の恩義に酬い得たと、これは嬉し涙が出たものだ。
 伊吹まり、ヒロセ元美、メリー松原の3スターが揃って加盟してくれたことが、興隆のキッカケをつくった。私はこの三人に恩義を感じている。それはやがて奈良あけみ、春川ますみ、ジプシー・ローズ、小浜奈々子等々多くのスターが加わってくれる動機となったのだから−。
 トニー谷、泉和助、エリツク君などの登場も大きな力だった。それと共に日本喜劇人協会をつくった盟友、榎本健一、古川緑波、金語楼の諸君が出演してくれたり、蔭になり日なたになって助力してくれたことも箔をつけてくれる結果になった。
 もう一つ忘れてはならないことは、作家諸先生の援助だった。谷崎潤一郎、村松梢風両先生をはじめ、三島由紀夫先生も脚本を書いて下さった。三島先生から
 「なんだ、これぽっちのお礼か」
 と、叱られたことも今となれば忘れ難い一コマである。舟橋聖一、吉行淳之介、遠藤周作、近藤啓太郎、戸川幸夫、梶山季之その他諸先生、画壇からは東郷青児、伊東深水、南政善諸先生等々、漫画界から小島功、杉浦幸雄、久里洋二、加藤芳郎の諸先生が、いろいろと後援して下さったことも、隆昌の大きな背景となった。
 このように20周年を盛大に迎えられるのも、決してわれらスタッフだけの力ではなく、多くの有力な方々のご援助があり、ご指導があったからだ。そして、何よりもこの20年間愛し続けて下さった観客の皆様の愛情の力によるものだと、感謝の他はありません。
 だが、私は20年だなんて大騒ぎをするにあたらない、これから何世紀も生き続けるショウにならねばダメだと思う。20才なんて鼻ッ垂れ小僧だ。それがためには才能をもった後継者が続々現われてくれないと困る、幸い岡聡、平田稲雄、大村重高の3人が立派に成長してくれた。この3人は、草創期の苦労をよく知つているし、苦労している。その次の第二の新人群もそろそろ頭角を現わして来たようで安心だが、時代は激動している、ショウも激変する。時代をよく洞察して新しい時代の先駆をせねばならぬ、20周年で新人にフンドシを締め直して欲しいと願っている。
 宋詩に「只伯春深」とある、ただわが代の春に酔ってだけはいられないのだ、と思う。


 この、小林一三と宝塚の話は、まだまだ展開していきそうです。
 さらなる刊行を、楽しみにして待つことにしましょう。
 
 
 
posted by genjiito at 19:38| Comment(0) | ■読書雑記

2019年12月04日

【復元】運に見放された一日

 何をしても「あーあー!」ということはよくあります。
 疲れている時には、なおさら心身共に堪えます。
 そんな時の気持ちを綴ったブログの記事が、クラッシュしたデータの残骸の中から見つかりました。単身赴任で奈良から東京に出かけていた頃のことです。
 
(※以下の記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
2006年7月21日公開分
 
副題「しかし、ものは考えようです。」
 
 今日は一日中、会議と打ち合せに忙殺され、また書類作りに終始しました。最近は毎日のように、自分の時間を切り売りするだけの日々です。自分が本当にやりたいことがまったくできない日常です。

 そんな中で、今日は、というか今日も、さんざんな一日でした。

 いつものように午後9時頃に仕事を終え、どっと疲れて帰路につきました。
 まず、戸越公園駅に着くやいなや、改札を通ろうとしたちょうどその時に、電車がサッサと発車してしまいました。それでは逆回りのコースで帰ろうと思い、反対側のホームに移ったその時に、向かい側のホームに後続の電車が入って来たのです。先ほど、すでに電車が行ってしまったので、次はこちらに来る電車が早いと思ったのです。しかし、フェイントをかけられました。
 しばらく待った後に、ようやく来た電車に乗って、終点の大井町駅で乗り換えました。

 この時間帯になると、お腹も空きます。お昼を食べてから9時間近く、何も口にしていないのですから。駅の周りを見回したところ、息子と同じ名前の店がありました。とにかくお腹に何かを、と思っていたので、思い切って入りました。
 メニューに800円と書いてあったものを注文しました。しかし、帰りにレジでは 1,115円だというのです。アレッ、と思い、どうしようかと思ったのですが、料金のことを確認するのも気が引けたので、訝しみながらも言われた通りの料金を払いました。こんな時には、みなさんはどうされるのでしょうか。もし私がこんなに疲れ切っていなければ、メニューの料金と違うことを言って確認したはずです。でも、そんな気力は、すでに失せていたのです。特別料金をとるほどの店ではないように思うのですが。

 何となくスッキリしないままに、駅のホームに立ちました。
 ところが、ようやく来た電車は行きたい金沢文庫駅まで行かない、途中の駅までのものだったのです。その電車をやり過ごして、しばらくしてからようやく行きたい駅に止まる電車に乗りました。
 電車に乗ってから耳に届いた車内放送によると、私が行きたい駅へは、次の急行が早いとのことでした。それならと、降りようとしたちょうどその時に、無情にもドアが閉まりました。次の駅で降りて引き返しました。しかし、これまた入ってきた電車には、あと少しで間に合いませんでした。またまた、しばらくホームで待ち、ようやく来た特急に乗りました。前列に並んでいたにもかかわらず、突進する女性に気圧されたこともあり、座れないままに、大混雑の中を立ちっぱなしで50分間を耐えました。
 金沢文庫駅についたら、何とフィットネスクラブの受付終了まで、あと2分しかないのです。走っても6分はかかります。もう、今日は間に合いません。行かないことにしました。

 ブラブラ帰り、シャワーでも浴びるかと気持ちを切り替えて駅の階段を下りたところ、外は雨。昨日までの大雨が、今日はすっかり上がっていたのに。
 こんな人生なんだと諦めて、雨に濡れながら、トボトボと宿舎にたどり着きました。

 今日は、ついていなかったのです。

 しかし、何事も前向きに対処するように心がけている私です。ここで発想を変えて、気分転換をしました。
 つまり、帰宅途中に、車に跳ねられなかったのは幸運だったと。今日のニュースでは、交通事故の件数が数十年ぶりに減少したそうです。これまでは、1時間に1人が交通事故で死んでいたのです。見方を変えれば、1時間に1人ずつ、人間が人間に車で殺されていたのです。人1人が殺されると、マスコミは人の命の尊さを訴えます。しかし、毎日大量に殺されている交通事故死に関しては、もう完全にマヒしています。「交通戦争」などという名前をつけてマスコミが騒いでいたのは、すでに過去のことになってしまいました。日常的に生起するできごとは、ニュースバリューを失うのですから、このような死に方にマスコミは、形ばかりの対応です。国も、車で殺し殺されることには、真剣に手を打つ気はないようです。車による便利さを享受する人の数が、とにかく圧倒的に多いのですから、こんなことはあえて問題としないのです。

 業者が改造したガス湯沸かし器による一酸化炭素中毒死もそうです。車の欠陥により死んでいく人も、たくさんいるはずです。欠陥製品を手にすることが多い私が、自信を持って言えることがあります。製品は均一には作られていない、ということです。私は自動車も、欠陥車を何度か買わされました。突然正常な運転ができなくなって、心ならずも人を殺したり、自ら死んでいった方々は、本当にお気の毒なことだと思っています。私も、走行中に車の不調に気付き、すぐに修理をしてもらって事無きを得たことは、これまでに何回も経験しています。雨の中での高速走行中に、突然エンジンが停止したこともあります。また、高速道路上で駆動後輪のブレーキが利かなくなったこともあります。こんな話は、七八年前に、私のホームページで書いた記憶があります。またいつかまとめましょう。

 それはさておき、
 今日私が、駅のホームで突き落とされなかったのもラッキーでした。
 電車が転覆しなかったのは、不幸中の幸いでした。
 帰宅途中に、暴漢に包丁で刺し殺されなかったのは、本当によかったと思います。
 帰り道で、頭上に看板が落ちてきたりして、巻き添えを食わなくて助かりました。
 今日、関東に大地震が来なくてよかったと。
 などなど。

 考えようによっては、今日はいい日だったのです。
 今、こうして無事に、キーボードで文字を入力できているのですから。

 ものは考えようです。
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
 
 
 
posted by genjiito at 19:58| Comment(0) | *回想追憶

2019年12月03日

箕面キャンパス周辺のモミジの色模様

 京都北山に負けず劣らず、大阪箕面も冷え込みが厳しくなりました。
 研究室がある総合研究棟6階からは、箕面キャンパス周辺の紅葉や黄葉がきれいです。
 大阪モノレール彩都線の彩都西駅の方角を見下ろすと、こんな景色が広がっています。

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 転じて、万博記念公園の方を見ます。
 大阪モノレールの架橋が、左の彩都西駅からまっすぐ右方向に延びています。

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 万博公園から北はあまり知られていません。
 参考までに地図を添えます。地図をクリックすると精細な表示になります。拡大もできます。

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posted by genjiito at 19:23| Comment(0) | *身辺雑記

2019年12月02日

京大病院での検診結果は問題なし

 検診に行く途中のバスは、これまでにないほどの不愉快な思いをさせられました。いやいやながらの運転であることがプンプンと臭う車内アナウンスでした。停留所で停まるたびに、「あーがどうした!!」と暗く落ち込んだ声が天井のスピーカーから聞こえます。何を言っているのだろうと、よく聞くと、どうやら「ありがとうございました。」とも聞こえます。それに加えて、急ブレーキ急発進、カーブの曲がり方はF1レーサー気取り。お年寄りが座られる前に急発進だった時には、大きくよろけて倒れそうになられるところを、どうにか手助けしました。私も、滅多にない車酔いをしました。今日は心電図をとるので、このことが影響しないように、アップルウォッチの心拍数を計測するアプリを使って、何度も深呼吸しました。こんなに酷い運転手さんは、最近では久しぶりです。
 Oさん、もう一度研修のし直しが必要だと思いますよ。自分で申告して受けることはないでしょうから、ずっと不機嫌な運転をなさるのでしょうね。乗客は迷惑していますよ。一日も早く、自分の運転態度が良くないことに気付きましょう。

 採血を待つ間に心電図です。これは、来春の白内障の手術のための準備です。
 採血は、手術のためのものも含めて6本分。加わった2本は、いつもより長い試験管(?)でした。
 今日は主治医の先生が多忙のため、午後にずれ込むとのことだったので、別の先生に診ていただきました。
 今回のヘモグロビン A1cは「7.1」。これまでと変化なしで、高め安定です。血液検査による他の内臓疾患についても、これまでとまったく変化はありません。以前に何回か血尿があったので、問題はないものの念のためにということで、今日2回目の尿検査が入りました。結果は次回の診察の時となりました。

 主治医の先生への伝言として、おかげさまで体重が50キロ直前まで来ていることをお知らせしました。血糖値のことは今はしばらくおき、とにかく体重を少しでも増やすことに専念してきました。1日6回食で、出来る限りカロリーを摂ることを心がけています。その成果が、少しとはいえ体重の増加に現われて来ています。消化管のないこの身体にとって、この増加は涙ぐましい努力の結果なので嬉しいことです。ただし、晩ご飯の時には必ず腹痛に見舞われます。この対処策として今日の先生は、しっかりと食べる食事をもっと早くしたら、というアドバイスをくださいました。とにかく、なんでもやってみる主義なので、早速今晩から取り組んでいます。

 また、今日から京大病院専用のクレジットカードが使えるようになりました。いつもの長蛇の列に並ぶことなく、優先的に会計をしてもらえます。これだけでも、15分は待ち時間が短縮できます。

 帰りの市バスの運転手さんは、マイクでの優しい案内と穏やかな運転だったので、非常に快適でした。市バスに乗ることが、いつ何が飛び出すかわからない、ロシアンルーレットの世界を体験する場となっています。一昔前の因習にこだわっておられる運転手さんの、一日も早い意識改革を期待しています。
 
 
 
posted by genjiito at 18:53| Comment(0) | *健康雑記

2019年12月01日

3ヶ月ぶりに風炉から炉で「入れ子点前」のお稽古

 賀茂川沿いの紅葉は、今年は鮮やかさを楽しむまでには至りませんでした。昨年の颱風と今年の大雨のために、倒れた多くの桜が植え替えられた影響もあったのでしょうか。

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 お茶のお稽古の時は、賀茂川と龍田川の定点観測を心がけています。
 大和では赤みを増した樹々が目立っていました。

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 前回も気になっていた解体現場は、すっかり何もない姿となっています。記憶の中にある建物がなくなった実感は、まだありませんが。

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 今日のお稽古は、入れ子点前をお願いしました。この前は、8月25日に風炉でやっています。3ヶ月前なので、だいたい覚えていると思っていたのに、実際にやりだすとうろ覚えであることを実感します。いつものことですが。
 今日も、帛紗が裏返っていました。前回、丁寧に畳み方を教えてもらったのに、不思議なことです。もう一度特訓です。
 終わってから茶巾を絞る時も、やったはずのことが思い出せません。これは、水屋でしっかりとやっていないことの証明でもあります。これまた毎度のことながら、記憶に頼らずに身体が覚えていることをやってみる、というくらいの気構えがいいのかもしれません。
 すべて終わってから、棗と茶碗を一気に丸卓の天板の上に持ち上げます。すでに置いてある柄杓の左右に、この棗と茶碗を置く時が一番気持ちの良い瞬間です。これをしたいがために、この入れ子点てをしたくなるのです。
 そこで気が抜けたのか、その後はまたアレッあれっの流れとなります。
 そんなこんなで、とにかくなんとか終わりました。まさに、難行苦行です。しかし、やった、という達成感もあります。
 帰りは、隣の駅に近い「音の花温泉」でゆったりと温まりました。たくさんの人が来ていて、ロビーも露天風呂も大賑わいでした。急に寒くなったせいでしょうか。この平群では、今朝は薄氷が張ったそうです。今日から師走。これから本格的な冬となりそうです。
 
 
 
posted by genjiito at 23:18| Comment(0) | *美味礼賛