2019年10月04日

吉行淳之介濫読(22)『浅い夢』

 『浅い夢』(吉行淳之介、角川文庫、昭和53年6月)を読みました。

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 なお、手元には昭和49年5月に番町書房(主婦と生活社内)から刊行された軽装版もあります。参考までに、書影をあげておきます。内容は記号(?、……、等)が違うくらいのようです。

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 小説家である牧村英太は、友人である画家の息子である矢田鉄也を居候として迎え入れます。そんな時に、「新版いろは歌留多」を作る仕事が舞い込みます。
 いろは歌留多には、京都、大坂、江戸とそれぞれに違いがあることや、仮名や音に関して話題にするものの、それはあまり展開しません。あくまでも、「ん」で始まる歌留多を作ることがテーマです。
 「を」の章で、歴史的仮名遣いのことが話題となります(98頁)。吉行には、いろいろと勉強した跡がうかがえます。文献を用いた作品はあまり書かない作者にとって、机の周りには資料があったように思われます。
 「ね」の章では、「いまの若い連中は、いろはの歌を知りませんね」と言い、22歳を境にしてそれ以下は言えない、と語っています(209頁)。この作品が毎日新聞に連載された昭和44〜45年は、作者22歳。それからちょうど50年経った現代では、どれくらいの若者がいろは歌を最後まで言えるのでしょうか。気になります。
 さて、「ね」の章で、一番の課題であった「ん」について、やっと案ができました。「んの一声国が傾く」というもので、説明の絵は、アラビアの王様とすごく色っぽい美人の絵になったようです。といっても、読者としてはそれでどうした、と言うしかありませんが。
 この作品が軽妙に展開していることは、次のように作者が顔を出して読者に語りかけることからも明らかです。

 鉄也が言ったとおりの時刻に、葉切は姿を現わした。ここが山口七重問題の「やま場」である。(と書かないと、いろは歌留多はもう出来上がったことだし、「や・ま」の章という説明が付かない。作者の苦しいところでもある。ただ、いろは歌留多の「や」の部は「闇夜に鉄砲」でり、「ま」の部は、「播かぬ種は生えぬ」「待てば甘露の日和あり」「負けるが勝ち」である。これを読者は覚えておいて、これからの話の展開を見ていただくと、都合がよい)(296頁)


 謎の女として登場する七重は、妖精のような女として男たちに対します。後半は、この女が話をさらっていきます。
 最後に、「え」と「ゑ」についてかなの表記の問題が、おもしろい方向に及んでいきます。

 私(筆者)は、試みに友人二人に問うてみた。
「君、恵比須さまというのは、旧カナでどう書くかね」
 二人とも答えて曰く。
「わ行のゑだな。つまり、ゑびす、だ」
 じつは私自身そうおもいこんでいた。私は自分の書く文章を新カナに替えてから、二十年になる。その前は、かなり正確に旧カナを書くことができていた筈である。「恵比須」は昔から「えびす」と書くことが、辞書を引いて分かった。
 それにしてもこの錯覚はどこから起こったのだろう。俗に「エビス顔」といい、この笑い顔は、取澄ましたものではない。眉も眼尻も下げて、顔を皺だらけにして笑っている。そういう表情からの連想で、「ゑ」という文字のほうが似合っている、とおもったようだ。
「えびす」
 と、書くと、気取ったマダムが、
「おほほほ」
 と、揃えた指先を口の前に当てて、笑っているような気分になる。
 因みに、
「笑む」という言葉の旧カナは、「ゑむ」であって、そこらにも錯覚の根はあったのかもしれない。
 いずれにせよ、この物語の「ゑ」の章は、筆者の錯覚の話で責めをはたすことにする。
 なお、「いろは歌留多」の「ゑ」の項は、-
『縁は異なもの味なもの』
 であるが、「縁」という文字も旧カナで「えん」であることを、付け加えておこう。(353頁)


 のらりくらりとさまよった話が、最後には本題に戻るわけです。
 男を迷わせるために育てられた七重は、果たして本来の目的を達成するのか。読者に多くの問題が投げかけられます。そして、その落とし所は「ん」だったのです。
 さて、いろは加留多で「ん」はどうなったのか。興味深い終わり方をします。いろはを駆使した、吉行淳之介らしい機知に富んだ話です。女性の魅力は、夢を追い求める男性が生み出すものだということも、吉行流に語られています。後年、夢の歌人小野小町を描くことにつながるのは、こうした下地があったからなのでしょう。【4】
 
初出誌:昭和44年(1969)5月〜45年3月、『毎日新聞』(連載282回)
 
 
 
posted by genjiito at 23:43| Comment(0) | □吉行濫読