2019年09月08日

京洛逍遥(575)洛陽三十三所(27)平等寺

 平等寺(因幡堂)については、先日の「京洛逍遥(574)京都十二薬師霊場(5-1)「平等寺」」(2019年08月31日)で取り上げました。そして、次のように記しました。

 今回、これまでの記憶をたどっているうちに、洛陽三十三所としてすでに2011年7月9日に参拝し、朱印をいただいていたことに思い至りました。しかし、この頃も今と同じように何かと多忙でした。過去の記事を確認していて、この平等寺に関する洛陽三十三所のことも、これまでに書いていなかったことに気付いたのです。


 以下にあげる2枚の写真は、2011年7月9日のものです。過日の8年ぶりに行った写真と比べても、何も変わっていません。古社寺を巡拝していると、変わらないものと変わるものを体現する楽しみがあります。

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 以下、ホームページ「洛陽三十三所観音巡礼」から平等寺の略説を引きます。

御詠歌:まよいいで ここはいなばの ひがしむき
  こころはにしへ はこびぬるかな

当山は長保五年(一〇〇三)橘行平卿の私宅を寺とし、その孫の光朝禅師を本願として創建されました。本尊薬師如来は日本三如来に数えられています。

因幡堂縁起によりますと、橘行平卿が夢告により、因幡の国賀留津の海中より薬師如来を引き上げ、仮堂に安置されました。行平卿の帰京の後、尊象は京都に飛来され行平卿の屋敷に入られた。行平卿は屋敷を寺としこれを祀ったのが当寺の始まりです。長保五年四月八日のことです。因幡の国には後光と台座だけが残り、座光寺と呼ばれ現在も残っています。

当寺は町衆の寺として特に芸能に縁が深く一説には浄瑠璃発祥の地ともいわれ、また、狂言にも「因幡堂」「鬼瓦」など、当寺を舞台にした演目が残っています。室町時代より猿楽狂言が何度も上演され、江戸時代には因幡堂芝居と呼ばれる歌舞伎興行が行われていました。

また当山に伝わる二体の十一面観音は元、北野天満宮に祀られた観音様で、東寺の観智院を経て当山に来られ、観音堂本尊として安置されました。


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 三条から四条にかけては、日々街中が変化しています。しかし、四条通りから南は、あまり変わりません。京都駅のある七条から八条が、これから大きく変化していくはずです。そんな変わりようも、本ブログの京洛逍遥で報告していきます。
 
 
 
posted by genjiito at 20:13| Comment(0) | ◎京洛逍遥