2019年08月31日

京洛逍遥(574)京都十二薬師霊場(5-1)「平等寺」

 京都十二薬師霊場1番札所の「平等寺」は、四条通を烏丸通に沿って南に下った所にあるお寺です。ホテル日航プリンセス京都のすぐ南側、と言った方がわかりやすいでしょうか。
 ここは、因幡薬師という呼び名で親しまれています。また、この平等寺は、京都十二薬師霊場第1番札所以外に、洛陽三十三所観音霊場第27番、京都十三仏霊場第7番にもなっているお寺です。

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 今回、これまでの記憶をたどっているうちに、洛陽三十三所としてすでに2011年7月9日に参拝し、朱印をいただいていたことに思い至りました。しかし、この頃も今と同じように何かと多忙でした。過去の記事を確認していて、この平等寺に関する洛陽三十三所のことも、これまでに書いていなかったことに気付いたのです。この日の記事は、「京洛逍遥(191)四条で講演を聞き千本釈迦堂の陶器市へ」(2011年07月09日)として、別のことを書いています。その日の写真を見て撮影時間をたどると、この日はまず平等寺に先に行っているのに、この日の記事にはこの平等寺のことは取り上げていないのです。この時期が、いかに忙しくて、夢遊病者であるかのように日々を送っていたのかがわかります。
 ということで、洛陽三十三所の平等寺は書き忘れていることがわかりました。後日このことを書くことにして、今日ここでは、京都十二薬師霊場の平等寺について記します。

 朱印は、すでに書いてあったものに日付だけを書き加えて渡してくださいました。これは、ありがたみという点では薄れます。しかし、私には見えない奥で日付だけを入れていただいたものなので、昨日の記事の蛸薬師のように、目の前で日付を入れてくださるのを間近に見るよりも、少し有り難みはあります。微妙な心理です。

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「京都十二薬師霊場会」のホームページから略説を引きます。

因幡薬師(いなばやくし)
 長徳3年(997)中納言 橘行平卿が、勅命により因幡の国 一宮(宇部神社)に参拝したおりに、夢告により賀留津の海中より一体の薬師如来を得、仮堂に安置した。
 任を終え帰京した行平を追って、長保5年4月7日に薬師如来像が飛来。行平は宅を寺とし薬師堂、因幡堂と称した。
 承安元年(1171)に高倉天皇より勅額を賜り「平等寺」となる。
 古来、嵯峨、清凉寺の釈迦如来、信濃、善光寺の阿弥陀如来と共に日本三如来にかぞえられる。

<宗旨> 真言宗智山派  <開山・開基>橘 行平 長保5年(1003年)

御詠歌
七佛の みのりにもたる 人もなく
  皆びやうどうに すくふせいがん


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posted by genjiito at 23:24| Comment(0) | ◎京洛逍遥