2019年08月25日

秋の気配を感じる大和で「入れ子点前」のお稽古

 先週に引き続き、大和平群へお茶のお稽古に行きました。

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 山道では、先週とはうって変わったように、涼しい風が心地よく吹き渡っています。あの酷暑の日々が終わったことに感謝しながら、一歩一歩坂を登りました。汗をかかなくなっても息切れがするのは、これは加齢のせいです。寄る年波に抗えないことなので、諦めざるを得ません。
 今日は、丸卓を使った「入れ子点前(いれこだて)」のお稽古に、急遽変更しました。相変わらず、わがままな生徒です。
 これは、「久しぶりのお茶のお稽古は「入れ子点前」」(2019年02月24日)に記したように、一通り覚えたはずでした。しかし、ほとんど覚えていないことに直面します。とにかく、何をどうするのかが思い出せないのです。先生に聞きながら進まざるを得ません。これは、恐ろしく手数のかかる、非効率的なことです。しかし、これがお稽古のお稽古たるゆえんだと開き直り、牛歩のように手を進めて行きます。
 丸卓の下段の地板に水指を置くところからして、すでに未体験ゾーンをさまよう予感がしました。棗、柄杓、蓋置と、丸卓の天板にかざるところまでが準備です。そして、あらためて曲げの建水に茶碗や茶杓などを仕組み、ここから挨拶をして始まるのです。棗を丸卓から下ろすと、少しずつ思い出します。ポツリポツリとですが。
 お茶を点てた後、帰ってきた茶碗を洗ってからも、茶巾を絞り直したり、棗と茶碗を本仕舞いにすることなどの記憶がないなど、頭も手もパニックです。最後に、棗と茶碗を両手に持って丸卓の天板にヨイショと置くと、ホッと一息です。この最後の動作が快感なのです。
 先生のコメントでは、この「入れ子点前」は70歳とか80歳になった方が、いわば熟年のお茶人がするものなので、意外と難しいところがあるとのことでした。そうとは知らず、あまり動かなくてもいいということに惹かれて、これまで取り組んで来ました。これは、心して会得するお点前の一つにしたいと思います。
 それにしても、一度覚えたはずの所作が、時と共にすっかり消え去っています。不思議なことです。
 こんな調子であっても、おぼつかない足取りながら続けることで、お手前の流れのいくつかは身体に刻み込まれています。
 いつ終わるとも知れないお稽古です。どれだけ覚えさせられるのかと思うと、気が遠くなります。そうであっても、よくわからなくても、忘れることを恐れず、とにかく目の前で展開することに立ち向かう気持ちは忘れないでいようと思っています。
 今はおもしろいので、余計なことを考えないことにしています。行ける時に大和へお稽古に行く、ということを心掛けています。
 電車を待つ余裕があったので、これまであまり撮らなかった電車にカメラを向けました。単線のレールを走る電車が持つ、何となくのんびりした雰囲気が写し撮れているかと思います。

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 なお、以前から、「京」ではなくて「亰」という漢字で表記されさている掲示物を求められていました。
 帰りの乗り継ぎ駅である京都駅の南北連絡通路に揚がっている「亰」という文字を、確認のためにまた撮影しました。参考までに、今日現在の例として、ここに掲載しておきます。

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 この「亰」については、「京洛逍遥(524)京都駅で見かける「亰」という漢字への違和感」(2018年12月29日)で問題点を整理しています。
 
 
 
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ・ブラリと