2019年08月05日

読書雑記(264)岸博実『視覚障害教育の源流をたどる』

 『視覚障害教育の源流をたどる 京都盲啞院モノがたり』(岸博実、明石書店、2019年7月31日)を読みました。

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 「版元ドットコム」から、本書の紹介文を引きます。

2018年、明治時代初期に開校した国内初の公立特別支援学校「京都盲啞(もうあ)院」の関係資料約3000点が、国の重要文化財に指定された。資料には、近代日本の障害者教育で先駆的な役割を果たした教材や文書の数々が含まれる。これら貴重な資料の調査研究に長年取り組んできた著者が、その解説を通じて特別支援教育の源流や社会参加の原点を探る。


 この資料群が重要文化財になったことは、次のように記される通り意義深いものです。

 その内訳は、文書・記録類一一五三点、教材・教具類一九三点、典籍・教科書類一二五三点、凸字・点字資料二二一点、生徒作品八四点、書跡・器物類六四点、写真・映画フィルム三二点である。
 近現代の教育分野としては、東京大学、東京書籍株式会社附設教科書図書館に次ぐ三件目、大学以外の公立学校としては初めての重要文化財指定である。これは、盲学校史だけでなく、近代日本の教育史を巡っても画期的なできごとと思える。(5〜6頁)


 「京都盲啞院」の資料を見ていく前に、盲教育の初発段階からの事跡が確認されています。少し長くなることを厭わず、大事な部分なので以下に引いておきます。

 「世界で最初の盲教育機関」はどこであったか。これについては、一七八四年にヴァランタン・アユイがパリに開いた訓盲院が嚆矢だとするのが通説である。しかし、実際には、一六九三年に盲人・杉山和一検校が江戸で始めた「杉山流鍼治導引稽古所」(後の鍼治講習所)を無視すべきではなかろう。つまり、杉山和一の始めた施設が、世界でも、日本でも、最初の盲教育機関として誕生したのだ。「日本で最初の盲啞院」というくくり方も、正確には「盲教育とろう教育を併設した学校としては日本で最初のもの」という意味になる。あるいは、京都盲啞院の盲教育機能は「近代日本で最初の盲学校」と位置づけられ、同院のろう教育は「日本で最初のろう学校」にあたると言えよう。
 では、「近代日本で最初の盲学校」として京都盲啞院が挙げられるのはなぜか。
 明治維新の後、封建制の打破を図る政府は、一八七一(明治四)年に、中世以来の伝統を持つ盲人の職能団体である当道座を廃止した。これにより鍼治講習所も消失した。つまり、盲教育機関が廃絶したのである。同年、官僚であり、後に楽善会の中軸メンバーとなる山尾庸三が「盲啞学校ヲ創設セラレンコトヲ乞フノ書」として、盲学校ならびにろう学校の設立を建白したが、ただちには実を結ばなかった。山尾は長州ファイブの一人としてイギリスに渡り、造船所でろう者に出会ったことなどをきっかけに盲・ろう教育の必要を痛感したという。かたや当道座の人々による模索もあったが結実はしなかった。一八七五年、宣教師フォールズ、医師ボルシャルト、中村正直、岸田吟香ら、キリスト教関係者による楽善会が訓盲院の創立を目指し始めた。一方、一八七六年には、盲人・熊谷実弥が東京麹町に私学として盲人学校を開いたものの一年ほどの短命に終わったとされる。
 こうした推移がある中、京都において、一八七三−七五(明治六−八)年に古河太四郎(一八四五−一九〇七)が「上京第十九組小学校(後の待賢小学校)瘖啞教場」で啞生の教育に着手し、遅くとも一八七七年には盲生への指導も開始した。その成果を京都市全域に及ぼすべく構想を描き始めた。
 同じ頃、遠山憲美が京都府宛に「盲啞訓黌設立」を建議し、愼村知事も同意した。こうして、古河・遠山らと幅広い町衆および京都府が協力し合って産声を上げたのが「京都盲啞院」であった。一八七八(明治一一)年五月二四日である。その翌年には大阪府が大阪摸範(模範)盲啞学校を設置し、一八八〇年に楽善会訓盲院が授業を開始する。時間軸に沿ったこの経緯をもって、京都盲啞院の盲部門を「近代日本で最初の盲学校」とみなすのは妥当である。(16〜18頁)


 また、なぜ最初に京都で盲学校が誕生したのか、ということについては、次のようにその理由が語られます。5つの項目だけをあげます。

@京都は、盲人にとっていわばメッカであった。
A京都は、宗教都市でもあった。
B京都は、高度な商・工業や文化的資源に富む都市であった。
C明治期になって、京都には「首都でなくなる」ことへの危機意識があった。
D京都盲啞院を設立することになる古河太四郎は、寺子屋・白景堂を営む家に生まれた。(18〜21頁)


 以上のことを最初に確認しておいて、本書の全体を通覧しておきます。「版元ドットコム」より、本書の目次を引きます。

はじめに――重要文化財に指定された〈京都盲啞院関係資料〉

第1章 盲教育のはじまり――京都盲啞院と古河太四郎・鳥居嘉三郎の時代
 「日本最初盲啞院」とは?
 近代日本で最初の盲学校
 なぜ、京都で?
 古河太四郎の発起と教育観・障害観
 古河太四郎の学校づくりと教材開発
 第二代院長・鳥居嘉三郎の時代

第2章 京都盲啞院資料をよみとく
 1 文字を知る――点字以前
  盲生背書之図/木刻凹凸文字/知足院の七十二例法/紙製凸字/盲目児童凸文字習書/蠟盤文字/自書自感器/表裏同画記得文字/墨斗筆管
 2 読み書き
  凸字イソップ/凸字『療治之大概集』/盲生鉛筆自書の奥義/盲生の鉛筆習字/訓盲雑誌
 3 数を計る
  盲人用算木/盲人用算盤/手算法/さいころ算盤/マルチン氏計算器/テーラー式計算器
 4 世界に触れる――地理
  立体地球儀/凸形京町図/針跡地図ほか
 5 力と技を身につける――体育・音楽・職業訓練
  盲生遊戯図・体操図/オルガン/職業教育/按摩機
 6 点字の導入
  盲啞院への点字の導入/ステレオタイプメーカー/ルイ・ブライユ石膏像
 7 学校づくり
  盲生教場椅卓整列図/ろう教育史料/瞽盲社会史と検校杖/受恵函

第3章 盲啞院・盲学校が育んだ文化
 これからの視覚障害教育に活かせる文化として
 障害者の生きる社会を問う文化として

 参考文献/関連拙稿
 京都盲啞院関係資料重要文化財指定番号一覧
 あとがき
 初出一覧


 前置きが長くなりました。
 これまでに岸先生からは、多くのことを直接に、また公開されている文章を通して教えていただきました。何でも疑問に思ったことを聞く私に、先生は丁寧に説明してくださいます。幅広い知識と探究心をもって、これまで私にはよくわからなかった領域に、ポツリポツリと光を灯してくださっています。教えていただいても、すぐに忘れてしまう私は、極力ブログに書き残すことで確認できるようにしてきました。今からちょうど一年前には、「障害者と戦争」をテーマとする展示会場で、お話しを伺いながら展示物を見る機会がありました。「立命館大学の戦争展で視覚障害者の資料を見る」(2018年07月31日)に書いた通りです。
 そんな折、岸先生は京都府立盲学校に保存されていた貴重な資料が国の重要文化財に指定されたことを受けて、その全容を紹介する本書を公刊なさいました。その資料を直接整理なさったことが背景にあるだけに、新しい知見はもとより、教えていただきながら忘れていたことの意味に気づく、ありがたい一書となっています。
 写真や図版が多いので、初めて視覚障害に関する話に接した方にも、わかりやすい手引き書です。また、少し大きめの文字で、ゆったりと組まれた本文は、非常に読みやすいと思います。優しい目で、そして聴く者に負担がないように気遣いをしながら、しかも論理的に道筋をつけて行かれる語りの手法は、まさに名調子です。
 日本で点字戦争がなかったこと(32頁)、京都盲啞院をたどると龍馬に及ぶこと(49頁)などなど、広い視野からの話が満載です。
 仮名文字に興味を持っている私は、『裏表同画記得文字』の項目で紹介されている『古川氏盲啞教育法』に記されている仮名文字の図に注視しました。紹介されている写真(69頁)から、現在の平仮名の字母とは異なる、変体仮名に当たる文字及び「命」や「盲」の文字などを赤で囲ってみました。

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 私はまだ平仮名文字の歴史的な変遷について調査をしているところなので、この図の説明ができません。ご存知の方からのご教示を、楽しみにしてお待ちしています。
 木刻文字や凸字などの項目は、私の研究テーマである「古写本『源氏物語』の触読研究」(http://genjiito.sakura.ne.jp/touchread/)に直結するものなので、丹念に読みました。石川倉次が点字を選定するまでの触読の実態については、特に興味があります。
 例えば、『訓盲雑誌』の説明の中で、「点字の出現によって、まもなくこの雑誌の存在意義は薄れていったと考えられる。読者数はどこまで伸びたのだろう。比田虎雄、大庭伊太郎もまた深い霧のかなたの人である。」(95頁)とあります。多くの関係者のその後についても、もっと知りたくなりました。
 最終章では、現代におけるさまざまな問題点について、私見を述べておられます。納得できることが多いだけに、もっと紙幅を割いて語っていただきたいところです。しかし、本書の性格上、そうもいかないのでしょう。またの機会に、ということです。
 そうした中で、これからの視覚障害教育について言及している箇所で、私がチェックをしたところを抜き出しておきます。

いわゆる統合教育を受けている子の中に、ほんとうはもっと早く拡大教材や点字に出会うチャンスがあるべきなのに、その機会に恵まれていないケースがあるのではないかという疑問。二つめには、現に通常学校で統合教育を受けている児童などに対して、文字学習の面で盲学校の持つノウハウが貢献しうるはずだという期待である。(180頁)
 
 
 点字のなかった頃の教材は、限られた盲学校にしか現存しない。四国や近畿の盲学校数校からリクエストをいただき、凸字教具のレプリカや写真を携えて、出前した。徳島県立盲学校を皮切りに、和歌山、滋賀で中学部生や高等部生に「凸字や点字」についての特設授業を行ったのだ。いずれも、新鮮に受け止められたようで、真剣に耳を傾けていただいた。なかでも、徳島の生徒たちは二〇〇八(平成二〇)年、自分たちで「点字の歴史」を調べ、パネルなどに仕立てて百貨店でその成果を発表する展覧会にまでこぎつけた。その会場に駆けつけてみた。「点字への誇り」が新鮮に花開き、多くの市民が点字に接するユニークな機会になっていた。(184頁)
 
 
 点字には、目の見えない人々の、「読みたい・書きたい」願いがこめられている。自由な記録、伝達、表現、読書に不可欠であった。凸字から点字への道を切り開いたことによって、学びの質が飛躍した。大正時代には、全国の盲人たちが連携して選挙における点字投票の公認を目指す運動を成功させた。男性だけという時代的な制約はあったが、世界で初めての点字投票を実現させたのも当事者たちだった。点字が、視覚障害者の社会参加を裏付け、人問としての尊厳を確保させた。(197頁)
 
 
「京都盲啞院関係資料」は、わが国の視覚障害教育にとって"生きたアーカイブス"でなければならない。過去を懐かしみ、その輝きを称えるだけでは、それを活かせない。今日的な素材や技術に基づく教材・教具の中にそれが生きていること、先達の知恵や創意の中には我々が及ぼない高みもあったことなどを知り、指導法や教育条件をいっそう改善するうえでの参考としたい。(198頁)


 よくわからないことや不明な点は、はっきりと疑問のままに提示し、語られています。どこまでわかっているのかが明確なので、今後の調査や研究の上でも大いに助かるところでしょう。
 本書は、これからの盲教育を考える上で、その基盤を整備したものだと言えます。これを出発点にして、共通の情報源として、今後の問題点を考えていくことになると思われます。
 著者は、盲教育史研究会の事務局長をなさっています。これを契機に、ますます共通認識を踏まえた議論と研究が進展することが期待されます。今後の活躍と展開が楽しみです。
 
 
 
posted by genjiito at 23:45| Comment(0) | ■読書雑記