2019年08月03日

日比谷で源氏の橋本本を読む(14)[削除後の空白箇所は謎]

 日比谷公園では、女性のアイドルグループが歌い、その仮設ステージの前で多くの中年の男性が手を叩いて踊るパフォーマンスが繰り広げられていました。この会場となった一角では、「撮影禁止」の張り紙が至る所に貼られています。「撮影禁止」と書かれた張り紙を写真に撮るわけにもいかず、珍しい光景をただ眺めていました。
 韓国で、香港で、中国でと、日本を取り巻く国々が政治的に騒然となっている時、ここ日比谷では「食と音楽のイベント」が太平楽に催されています。なんとなく擽ったい気持ちになりました。

 今日の橋本本『源氏物語』を読む講座は、中国で7世紀の仏教の写本が見つかったという新聞記事から始めました。『源氏物語』の古写本を探し求める努力も、諦めてはいけません。終戦後、中国で姿を消した従一位麗子本や、インドに渡ったと思っている伝阿仏尼筆本などは、戦禍や災害で焼失したのではなくて、今もどこかで眠っていると思っています。それが夢だとしても、その夢はいつまでも追い求めていきたいものです。いつの日にか、その姿をまた見せてくれることを楽しみにして。

 橋本本は、44丁ウラの冒頭から、変体仮名の字母に注意して確認していきました。
 始まってすぐの2行目に、2文字分の空白があります。

190803_nabiku.jpg

 その空白の右横に、「徒む」と書き添えられています。この削られた箇所には、その下に「ひく」と書かれていたことが原本の調査でわかっています。上掲の写真からも、その下の文字がかすかに見えています。参考までに他本の本文を見ると、すべてが「なつむ」となっています。つまり、橋本本の「なひく」は、「ひく」を削ることで「なつむ」にしたいようです。ただし、削った後をなぞるのではなく、横に書き添えているのが、これまでの訂正方法と違って謎です。
 次の行にも、1文字分の空白の右横に、「人」という漢字が1文字書き添えてあります。ここは、下にあった削られた文字はまったく読めません。削った意図も不明です。
 さらには、7行目にも、空白が2文字分あり、その右横に「てら」と書かれています。

190803_tera.jpg

 削られた文字は「さと」です。他の写本の本文を参照すると、「山さと」と書き写された橋本本の本文を、「山てら」に変えたいようです。「山さと」は河内本グラープが伝える本文で、「山てら」は大島本グループの本文です。河内本グループから大島本グループへという、本文の変更がなされているのです。
 この本文の異同と、橋本本の本文を削ったことの背景は、もっと証拠を積み上げてこの意味するところを明らかにしたいものです。
 こうした空白は、一体なんなのでしょうか。実は、この橋本本には、最初から何箇所もこうした例がありました。この例のすべてを、以下に列記しておきます。諸本の本文異同も同時にあげます。この文字を削った後に、その右横に字句が書かれている背景には、橋本本とは異なる本文を伝える、現行物語の基準本文となっている大島本グループの存在が大きく関係しているようです。
 これらは、すべてが今後の課題です。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
※今日の検討事項
  削除されて残った空白箇所

「若紫」異文校合 十七本(尾カラー重複)
橋本本・・・・050000
 大島本(1)[ 大 ]
 尾州河内本(1)カラー版[ 尾 ]
 中山本(1)[ 中 ]
 麦生本(1)[ 麦 ]
 阿里莫(1)[ 阿 ]
 陽明本[ 陽 ]
 池田本[ 池 ]
 御物本[ 御 ]
 国冬本[ 国 ]
 肖柏本[ 肖 ]
 日大三条西本[ 日 ]
 穂久邇本[ 穂 ]
 保坂本[ 保 ]
 伏見本[ 伏 ]
 高松宮本[ 高 ]
 天理河内本鉛筆なし[ 天 ]
 尾州河内本(1)[ 尾 ]
--------------------------------------

・とくこそ/く〈削〉□=く(1ウ1行目)050042
 とくこそ[大尾中麦阿陽池御肖日穂保高天尾]
 とてこそ[国]
 とてこそ/て$く[伏]

・まう□□たれ盤/さ勢〈削〉□□、う+し(1ウ2行目)050056
 申たれは[大池御国肖日穂保伏]
 まうさせたれは[尾天尾]
 申させたれは[中麦阿陽]
 まうさせたれは/さ〈改頁〉[高]

・志□〈改行〉路し免しな可ら/ろ〈判読・削〉□(14ウ2行目)
   (諸本に大きな異同なし)

・【十】よ【日】□□より/よ△〈削〉□□(14ウ8行目)・051098
 十よ日の[大池御国日伏]
 十よ日より[尾高天尾]
 十日より[中]
 十日よひの[麦阿]
 十日の[陽]
 十よ日の/日よひ〈削〉よ日[肖]
 十余日の[穂]
 十よ日の/の〈改頁〉[保]

・【御】せ□そく/い〈削〉□(28オ2行目)052161
 ナシ[大麦阿池御国肖日穂保伏]
 御せうそく[尾陽高天尾]
 御せうそこ[中]

・な□□/ひく〈削〉□□、前□=徒む(44ウ2行目)053633
なつむ[大尾中麦阿陽池御国肖日穂保伏高天尾]

・□をやと/【事】〈削〉□、=【人】・【事】さら尓(44ウ3行目)053638
 人にやと[大麦阿池御国肖日穂保伏]
 人をやと[尾中陽高天尾]

・【山】□□尓/さと〈削〉□□、前□=てら(44ウ7行目)053656
 山寺に[大麦阿穂]
 山さとに[尾陽高尾]
 山寺らへ[中]
 山てらに[池御肖日保伏]
 やまてらに[国]
 山里に[天]
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

※次回以降に検討する用例
・いと□/け〈削〉□・なさ気那く(46ウ4行目)053827
 いと[大尾中麦阿陽池御国肖日穂保伏高天尾]

・うしろめ□多う/て〈削〉□(50オ4行目)054150
 うしろめたなう[大池国日伏]
 うしろめたう[尾中麦阿肖穂保高天尾]
 うしろめたなふ[陽]
 うしろめたなう/な$[御]

・を那しく八・□〈改行〉よろしき/△〈削〉□〈付箋跡〉(50ウ10行目)054218
 おなしくは[大尾麦阿陽池国肖日保伏高天尾]
 をなしうは[中]

・【年】ころよ里も□/△〈削〉□(52ウ8行目)054382
 としころよりも[大尾中陽池御国日穂保伏高尾]
 とし比よりも[麦]
 年ころよりも[阿肖]
 年比よりも[天]

・堂てまつり□/て〈削〉□(53オ8行目)054427
 たてまつり[大尾中陽池御国日穂保高天尾]
 奉り[麦阿]
 ナシ[肖伏]

・【心】□〈改行〉く類しくなんと/く〈削〉□(53ウ7行目)054465
 心くるしうなと[大麦阿池御国肖日穂保]
 こゝろくるしうなんと[尾尾]
 心くるしくなんと[中]
 心くるしふなと[陽]
 心くるしうと[伏]
 心くるしうなんと[高天]

・徒可八春□□/△△〈削〉□□(56ウ7行目)054724
 たてまつれ給ふ[大]
 つかはす[尾中麦阿陽高天尾]
 たてまつれ給[池国肖日伏]
 たてまつれたまふ[御]
 たてまつり給[穂]
 たてまつれ給/〈改頁〉[保]
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


 こうした例については、今後とも用例を積み重ねて、誰が、いつ、何の理由で、どのようにして削り、何を参考にして書き添えたのかを明らかにしていく必要があります。今は、今後の検討課題として、問題箇所を明示しておきました。

 なお、今回も、私の翻字の間違いを見つけてくださいました。
 「し可た【気】にて」(44丁裏7行目)の「た」は「多」の誤りでした。
 ここで、翻字の字母が正確に表記できていなかったことを、お詫びして訂正します。

 このブログの記事を書き終えた頃に、新幹線は京都駅に着きました。ドアが開いたので降りようとした時のことです。ものすごい勢いで乗り込んで来られる6、7人のグループが、降りようとする私などを押し退けてでも乗り込もうとされます。私の後から降りようとする方も、この勢いには怯んでおられました。電車は夜ということもありガラガラです。私たちは、満員だったのでデッキに立っていたのではありません。降りるためにデッキにいたのです。
 ここで、中国語を捲し立てて突進して来られる方々と競う気持ちは、毛頭ありません。新幹線の乗り降り口は、人一人が出入りできる幅しかありません。自ずと、この中国からのグループが乗り込まれるのを、これから降りようとしていた私たち数人は、降り口から数歩下がって、旅行客であるみなさまが乗り終わられるのを待つことになります。
 降りる人々を押し倒すようにしてでも乗り込むことは、日本の文化にはありません。降りる人が優先、という暗黙の了解があるのです。他国に来て、自国の論理を押し通すのは、気持ちのいい文化交流にはつながらないと思います。異文化間の人的な交流について、その難しさをこんな所で痛感することとなりました。お互い、気持ち良い交流を心がけたいものです。我先にという自国の文化を背負っての実践的な行動は、少なくとも日本では謹んでいただきたいものです。自国でなさるのはご自由です。しかし、ここは日本なのです。嫌でも日本の流儀に合わそうとするところに、異文化体験を通しての異文化理解が生まれると思います。そんな旅人ならば、温かく迎えて、楽しい旅となることを願って、可能な限りの手助けをしたくなります。相手を理解しようとするところから、お互いの文化の違いがわかり、そこから新しい交流につなげていけると思います。
 今日は、お隣の国の方々の身勝手な行動に、残念な思いをさせられました。
 
 
 
posted by genjiito at 23:45| Comment(0) | ■講座学習