2019年07月31日

読書雑記(263)うおやま『ヤンキー君と白杖ガール』

 『ヤンキー君と白杖ガール 1』(うおやま、小学館、2019.1)を読みました。

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 紹介すべき言葉に窮しています。何と言っていいのか、困っています。
 数年来、目の見えない方々とのお付き合いの中で、いろいろな話を聞いています。みなさんの明るさに戸惑うばかりです。そんな中で、これはまた種類の違う、弱視の少女の恋心を明るく笑い飛ばす物語です。ヤンキーとの掛け合いが秀逸です。それだけに、どのようなリアクションを取ればいいのかわかりません。素直に読後感が書けないのは、自分の中に何かこだわりや引っかかりがあるからでしょうか。今はよくわかりません。

 この漫画を読んでみようと思われた方は、まずは、巻末の「おまけ」3ページを読んでから巻頭に戻って読む、ということをお勧めします。物語の内容が、多分にアクの強いものなので、その方が自然に話に入っていけると思うからです。
 第2巻を読んでから、またあらためてこの物語について考えてみます。
 
 
 
posted by genjiito at 20:22| Comment(0) | ■読書雑記

2019年07月30日

ロシア語の資料と情報を整理できる方と面談をして

 科研で、ロシア語を担当していただけるアルバイト希望の方と、箕面キャンパスの研究室でお話をしました。図書館に掲示していたポースターが目に留まったことから、仕事をしてみたいとの連絡があったのです。
 お目にかかったのは、大阪大学外国語学部でロシア語を勉強しておられる方です。先月6月までの1年間、サンクトペテルブルグに交換留学生として行っていたとのこと。モスクワでの留学経験もあるそうです。心強い助っ人がまた一人、この科研に加わります。ウクライナ語の勉強もしていたとのことなので、ちゃっかり最近刊行されたウクライナ語訳『源氏物語』のこともお願いしました。
 手掛けたいことは無限にあります。それはともかく、まずは一歩ずつ進みます。
 集めた情報や成果は、その都度、ホームページ「海外へいあんぶんがく情報」に公開します。この科研は、コラボレーションによる共同研究で進めています。専門家や関係者からの、折々のご教示をいただけると、ささやかな報告も大きな稔りに成長していくことでしょう。
 引き続き、インド諸語とルーマニア語による平安文学情報の収集と整理をしてくださる方を、探し求めています。新しい出会いを楽しみにしていますので、このブログのコメント欄を活用して連絡をください。折り返し、面談についての返信を差し上げます。
 大阪大学で科研の事務を担当なさっているみなさまへ。
 次から次へと、矢継ぎ早に急なお願いばかりで申し訳ありません。
 もろもろ、ご高配のほどを、よろしくお願いいたします。
 
 
 
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2019年07月29日

読書雑記(262)船戸与一『蝦夷地別件(下)』

 船戸与一の『蝦夷地別件(下)』(小学館文庫、1998年7月、669頁)を読み終えました。これは、全3冊の内の最終巻です。

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 前巻同様に、「BOOK」データベースからその紹介文を引いて、物語の流れを押さえておきます。

国後で始まった和人との戦い。しかし、叛乱に立ち上がったのはわずかな地点にとどまり、蝦夷地全土には広がらなかった。そこへ新井田孫三郎率いる松前藩の鎮撫軍が圧倒的な装備で鎮圧に迫る。もはや勝ち目はなくなった。このままでは、厚岸をはじめ鎮撫軍に与する同砲(ママ)とも戦うことになってしまう…。国後の人々は、松前藩から示された降伏の条件のほか、戦いを終わらせるために、さらに大きな犠牲を払わなければならなかった。命を賭したアイヌの思いは報われたのか。そして、江戸幕府の描いた「日本」という国の形とは。圧倒的な筆力の超大作、ここに完結。


 ペテルブルグの独房を抜け出せた、救国ポーランド貴族団のマホウスキのことから始まります。マホウスキが鉄砲を蝦夷に運べるか、ということが物語の展開に大きく影響するのです。
 話はすぐに、蝦夷の地に養生所を作って医療活動をする臨済宗の僧洗元に移ります。蝦夷の反乱に対して鎮撫に向かった松前藩の一行に、洗元は取り込まれていくのでした。
 御家人葛西政信は、老中松平定信のスパイだということが明らかにされます。松前藩から蝦夷地を取り上げるために、蝦夷の反乱を煽ったというのです。海外が狙う蝦夷地を、松前藩に任せてはおけないということです。
 日本という国家の立て直しのためにも、蝦夷地はロシアなどに渡してはいけない、と葛西は言います。船戸の国家に対する考え方を代弁しています。
 血腥い物語が綴られて行きます。迫力があるだけでなく、登場人物の心情が丁寧に描かれています。これまでの船戸のハードボイルドとは違う、人間の忿怒と激情が読者に届けとばかりの口吻で、活劇が展開します。
 鎮撫軍副監軍の松前平角がアイヌを40人惨殺した時、臨済宗の洗元は両目を切られ失明します。その時、天台宗の清澄は大般若経を逆さまに読んだそうです。舞台裏も克明に語られています。
 後半で、ラクスマンや大黒屋光太夫が出てきました。井上靖、吉村昭などの小説を読んだ記憶がオーバーラップします。
 失明した洗元が、音を頼りとする生活を余儀なくされていることが、事細かに描写されています。破戒僧が、しっかりと一人の人間として描かれているのです。
 惣長人のツキノエは、3年半前の悲惨な結末を招いた反乱を振り返ってこう言います。

「アイヌの暮しがこういうふうに変わっていくとは想わなかった。わしはじぶんが裏切者と陰口を叩かれてることを言ってるんじゃない。あの和人が教えてくれたように、アイヌが等級の低い和人として扱われることになるのだとは正直なところ考えていなかった、江戸に住んでる和人の肚のなかはまるで見抜けてなかった……」
「だとしても」
「何だ?」
「まちがってませんよ、絶対に! 何がどうなろうと、アイヌは生き延びなきゃならなかったんだ。それで充分じゃないですか!」
 ツキノエは三年半まえの戦いについてはこれでもう触れる気はなくなった。考えてみれば、喋れば喋るほどそれは愚痴になるのだ。コタントシの言いかたのほうがよっぽどすっきりしている。ああ……じぶんはいったいどこまで老いてしまったのだろう?(508頁)


 アイヌの時代はすでに大きく変化していることを身にしみて感じての、アイヌの総責任者としての感慨が吐露された場面です。

 最終段での壮絶な場面は、蒼い月影の下で展開します。人間が持つ渾身の迫力で語られます。
 最後に、静澄が洗元宛に書いた書簡の中で語られる水戸学のことは、もっとわかりやすく説いてほしいと思いました。

 なお、末尾に表記上の注記があります。著者の姿勢が窺えるものとなっています。

本書初版本(単行本)のアイヌ語表記に多くの誤りがあることが判明し、再版本以降、本文に訂正を施しました。アイヌ語復権への動きが著しい現代にあって、できうる限り正確なアイヌ語を伝える必要性を痛感し、本文訂正に当っては千葉大学助教授・中川裕氏の全面的な協力を得、北海道ウタリ協会札幌支部・阿部ユポ氏からは貴重なご意見を頂きました。
アイヌ語を片仮名で表記することには大きな困難が伴いますが、現在一般的なアイヌ語表記法に倣うことを旨としました。また文学作品という性格上、逐語訳的手法よりも文脈上最も適切なアイヌ語を選択する形をとった箇所も存在します。もとより完壁を期することが難しい作業でもあり、今後も読者の方々のご教示を仰ぎたいと思います。(663頁)


 原稿用紙2800枚の分量に盛りきれなかった内容と問題提起は、ずっしりと私の身体に覆いかぶさってきます。多分に手に負えないテーマながら、心の片隅にしっかりと居座っています。これまで、あまり意識して来なかった問題だけに、船戸氏から大事なメッセージを受け取った思いで、この長大な物語を読み終えました。【4】

初出誌:平成7年5月に新潮社より刊行。

 これまでの上・中巻については、次の記事を参照願います。

「読書雑記(258)船戸与一『蝦夷地別件(上)』」(2019年06月20日)

「読書雑記(261)船戸与一『蝦夷地別件(中)』」(2019年07月05日)
 
 
 
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2019年07月28日

西国三十三所(2019-3)/今回もひどかった六角堂(18番)

 西国三十三所めぐりの三つ目は、街のど真ん中の烏丸六角にある六角堂です。

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 私はこのお寺との相性が悪く、これまでに何度も来て、何度も不愉快な思いをしています。「京洛逍遥(461)洛陽三十三所(1)六角堂頂法寺」(2017年09月04日)の写真にもあるように、記帳をしてくださる方が金属製の腕時計をしておられるのが気になります。今日も、時計の金属ベルトが朱印軸の生地を擦っていました。特に今回の軸は、満願の後にあらためての表装はしなくてもいいものです。大事に扱ってもらいたいと思います。

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 さらには、今回も寺名の印「六角堂」がズレています。以前、枠が大幅に左に寄ったひどい朱印をいただきました。「西国三十三所(7)頂法寺(六角堂)」(2010年10月07日)に、その箇所の写真を掲載しています。今見ると、この時にも腕時計をしておられます。また、今日の「西国十六番」という印は、このスペースには不似合いな大きさのものが押されています。上の写真にあるように、他の札所と同じように縦長のものがあるはずです。こんなに横幅のある不格好なものは押していただきたくない、と思います。間違いではないもの、丁寧に扱ってもらいたいものです。
 あまり気分のいいことではないので、ここに書くのに気が引けることがまだあります。それは、今日も納経所で3人並んでおられた中で、左端の方は気持ちよく大きく船を漕いでおられました。後ろには海外からお越しの方が並んで待っておられました。咳払いをしたらやおら目を覚まし、何事もなかったかのように朱印帖を受け取って書き出されました。醜態です。ただ印を押し、筆で決まりきった文字を書くだけなので、退屈なお仕事なのでしょう。しかし、そこはお寺のお役目と割り切って、まじめに取り組んでいただきたいものです。
 六角堂は池坊という華道では輝いておられるとしても、この朱印事業においては手抜きが過ぎます。
 
 
 
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ・ブラリと

2019年07月27日

鳥取県日南町で池田亀鑑賞授賞式の打ち合わせ

 今秋予定している、第8回池田亀鑑賞の授賞式に関する打ち合わせで、岡山県との県境にある鳥取県日野郡日南町に行って来ました。
 折しも、颱風が今朝は三重県に上陸し、その後東に進んでいる時です。岡山行きの新幹線は、1分遅れで京都を出発しました。岡山で特急やくもに乗り換えたところ、倉敷を出たあたりで踏切が異常信号を検知したとのことで、点検のために停車。過日の福岡行きに続いて、実害はないものの少し躓きながらの、いつもの小旅行です。

 岡山県から鳥取県に入った最初の駅である上石見駅は、井上靖の『通夜の客』(映画は『わが愛』)で主人公が降り立つ駅です。実際に、井上靖はこの駅で降りて家族の疎開先である曽根の家に通いました。

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 池田亀鑑が生まれた町を流れる日野川は、『花を折る』に何度も出てきます。

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 生山駅には、池田亀鑑文学碑を守る会の事務局長をなさっている久代さんが出迎えに来てくださっていました。早速、今年の授賞式について打ち合わせです。

 授賞式は、当初の予定通り、11月3日(日)の午後1時半から。会場は、日南町役場の交流ホールで、となりました。

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 第一部、受賞者の記念講演。
 第二部、池田亀鑑に関する講演
 第三部、池田亀鑑体験、古写本を読む

 ここは、第5回の授賞式・記念講演会場としてお借りしたところです。その時の受賞者は畠山大二郎氏でした。
 「第5回池田亀鑑賞授賞式と講演会」(2016年10月01日)

 今回も、多くの方のご参加を楽しみにしています。
 
 
 
posted by genjiito at 21:40| Comment(0) | □池田亀鑑

2019年07月26日

京洛逍遥(564)梅雨明けの賀茂川

 初夏以降、中洲がどんどん大きくなり、草も繁り出しました。水が流れる幅が、極端に狭くなっています。北大路橋の南側は、対岸に渡って行けそうです。

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 橋の北側は、この連日の大雨で少しは土砂が流されたようで、水面が多く見られるようになりました。

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 2羽の鷺が北山に向かって仲良く飛んで行きます。

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 それを見送るアオサギ、クロウ、カモたち。

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 早朝の半木の道は、吹き抜ける風も爽やかです。これから気温が35度まで上がり、蝉時雨の小道となります。

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 植物園に向かう並木道も、早朝の散策に限ります。右側が府立大学のグラウンドです。これから球音が響きます。

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posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2019年07月25日

目頭を押さえる日々

 最近、目頭を押さえることが多くなりました。目が霞むため、ジッと凝らして物を見る癖がつきました。目への負担が倍増しているからでしょう。
 1日の後半になると、目の奥が落ち込むように重くなります。横になっていても、頭は冴えているので、身体を休めていることにはなりません。この疲労感から脱するため、何かに熱中することになります。つまり、溜まりに溜まっている仕事をすることになるのです。
 目薬を使うことが増えました。目の疲れを和らげるためです。効いているのかいないのか、よくわかりません。気休めのようなものだと思っています。普段なら買わない、高額の目薬を買ったりします。これも、気休めにしか過ぎないと思っています。
 白内障の手術は考えています。しかし、まだもう少し後で、と先送りしています。
 
 
 
posted by genjiito at 17:45| Comment(0) | *健康雑記

2019年07月24日

中国語に翻訳された池田亀鑑の著作

 中国・広東省恵州市にある恵州学院の庄婕淳さんが、箕面キャンパスの研究室に来てくれました。そして、中国語訳の本を一冊ずつ手にして解説をしてもらいました。得難い研究支援を受けることとなりました。献身的な研究協力に感謝です。
 そんな中、池田亀鑑の本が中国語に翻訳されたということで、詳しい話を聞くことができました。
 今回わかったのは、先月6月に池田亀鑑の『平安時代の生活と文学』が中国語に翻訳されて刊行されたということです。池田亀鑑の著作物が中国語に翻訳されたのは初めてです。

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 今回の中国語訳に使われた底本は、〔ちくま学芸文庫〕(2012年1月)かと思われます。

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 しかし、私のような昭和世代は、〔角川文庫〕(昭和39年4月)で馴染んで来ました。

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 この本がどんなものなのかを、庄さんは私にもわかるように文章にしてくれました。それを、以下に紹介します。

《平安朝的生活与文学》『平安時代の生活と文学』
訳者:玖羽  四川人民出版社  2019年6月 後浪出版公司企画

 1943年に出版した『宮廷と古典文学』を修正して1952年に出版した『平安時代の生活と文学』を中国語に訳した本である。訳者の序は、「一、池田亀鑑の人生と主な業績」「二、本書について」「三、注釈と引用について」からなっている。まず、池田亀鑑が『源氏物語』の本文を整理する大きな功績を褒めたたえ、注には「大島本」を目にするまでの経緯をも説明している。次は、この本は一般向けの古典文学普及書であると説明し、本の焦点が平安時代の女性であるのは、当時の女性が平安文学の担い手であり、読者によりよく作者の世界を理解してもらうためである、と言う。最後に、この本における注釈は訳者によるものであり、引用の原文と和歌はすべて訳者が訳出したと説明している。訳者は原文に忠実に中国語の文言で訳し、直訳を原則として、適宜注釈をつける。また、作者の観点に誤りのあるところは、原文を保留し、注釈で説明をつける。原文の「旧仮名遣い」を保留し、この本が言及している「現代」「今日」はすべて20世紀50年代を指すと説明している。


 今、なぜ中国で池田亀鑑の本が? ということは今後の調査に待ちましょう。
 庄さんからは、翻訳者が書いた序文全文の日本語訳と、内容の精査に基づく翻訳文の調査検討の結果を、原稿としてまとめていただけることになりました。
 現在、『もっと知りたい 池田亀鑑と「源氏物語」 第4集』(新典社刊)の刊行が、私の責任で中断しています。さまざまな問題が解決し出したこともあり、編集を再開したところです。庄さんの原稿は、最新情報としてこの『もっと知りたい 池田亀鑑と「源氏物語」 第4集』に掲載します。楽しみに、お待ちください。
 
 
 
posted by genjiito at 19:58| Comment(0) | □池田亀鑑

2019年07月23日

京洛逍遥(563)祇園祭-2019-南観音山のチマキをいただく

 去年は、前祭の函谷鉾でチマキをいただきました。「京洛逍遥(502)祇園祭 -2018- 四条通散策」(2018年07月13日)
 今年は、後祭の南観音山のチマキです。

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 南観音山は、私が一番好きな山です。「京洛逍遥(330)お茶のお稽古をした後に祇園祭へ」(2014年07月21日)で、少し詳しく書いています。

 今日は、四条烏丸の交差点に上がったちょうどその時に、突然の豪雨となりました。しばらく降ってからすぐに止んだので、新町通を北に向かって南観音山に行きました。
 今年は、数が少ないと言われていたチマキも、念願の山のものが手に入りました。
 玄関に架けて、また1年間の無病息災を祈ります。
 
 
 
posted by genjiito at 21:05| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2019年07月22日

平安文学の翻訳本に関するアルバイト募集のポスター(その3)

 すでに2度ほど、科研で多言語翻訳に関するアルバイトを募集していることを、本ブログに掲載しました。

(1)「平安文学の翻訳本に関するアルバイト募集中」(2019年04月17日)
 (ここでは、「インド諸語、ビルマ(ミャンマー)語、ルーマニア語を最優先で」と。)

(2)「続・平安文学の翻訳本を整理するアルバイトを募集中」(2019年06月12日)
 (ここでは、ロシア語を追加。)

 その後、特に問い合わせも希望者もないままに、今に至っています。条件としての言語があまりにも限定されているので、該当する方にこの募集案内が届いていないかと思われます。

 そこで、大阪大学外国学図書館(箕面キャンパス)の入口に、今月初旬から、次のポスターを掲示していただいています。今春よりアルバイトで来ている吉村君が、このかわいいポスターを作ってくれました。

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 ここにも記したように、次の言語に親しんでおられる方を求めています。翻訳については、在宅で取り組んでいただくことも可能です。

インド諸語、ビルマ(ミャンマー)語、ルーマニア語・ロシア語


 この内、ビルマ(ミャンマー)語については、来月中旬の面談しだいで適任者を紹介してもらえることが期待できる状況にあります。
 いずれにしても、「インド諸語、ビルマ(ミャンマー)語、ルーマニア語・ロシア語」の運用および翻訳ができる方について、お知り合いを含めて情報を拡散していただけると幸いです。
 
 
 
posted by genjiito at 19:27| Comment(0) | ■科研研究

2019年07月21日

大和でお茶のお稽古の後は音の花温泉へ

 このところ雨が多かったので、龍田川の上流の水は濁っています。

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 今日は、あらかじめ運びの薄茶のお稽古をお願いしていました。相変わらず、わがままな生徒です。
 「洗い茶巾」や「葉蓋」のお点前が、何とかそれらしく見えるようになりました。夏向けのメニューは、これに「入れ子点て」を加えて、今夏のおもてなしのお茶とします。

 源氏車が描かれた茶碗を使ったお点前がありました。その時、先生が「源氏車」とはなんですか? と生徒さんに聞かれました。そして、あろうことか、私に説明を振られたのです。私は、茶道での意味合いがよくわからなかったので、さてどうしようと戸惑いました。江戸時代の演劇で『源氏供養』という演目の中に、舞台に水車を仕掛けた水芸で、夏らしい演出をするものがあったことを思い出しました。そこで、夏らしい水車の趣向を表す茶碗の絵柄ではないか、とお答えしました。後で思えばピンボケな対応でした。そんなマニアックな問い掛けではなかったのです。しかし、ちょうど、茶碗や茶杓の名前は季節を感じるものにするといい、ということを話題にした雑談をしていた時だったので、平安時代を例にしては説明できなかったのです。
 後で、
〘名〙 (源氏絵に多く見られるところからいう)
@ 中古から中世にかけて、牛が引いた貴人の乗用車。御所車。牛車(ぎっしゃ)。〔日葡辞書(1603‐04)〕
A 紋所の名。御所車の車輪を図案化したもの。衣装や調度などの意匠にも用いられ、輻(や)の数によって、八本骨源氏車、一二本骨源氏車などがある。(『日本国語大辞典』)
とあるのを見て、こっちの方で聞かれたようだ、ということに気付きました。せっかくの出番に的確なことをお答えできず、大変失礼しました。

 今日は、だいたいスムーズにお点前ができたと思います。水指しの水を柄杓で汲む時に、上面ではなくて真ん中あたりの深さの水を汲むといい、ということの意味がよくわかりました。昔の水の事情を考えると、たしかに真ん中の水は安定しています。
 濃茶での茶器の拝見なども、新しい刺激があります。何と答えるかは、遊びの要素があります。お稽古は、その訓練なのですね。
 ただし、お点前の途中で、床に飾られていたお花と花器のことを聞かれ、事前に教えてくださっていたのに、花の名や物の名に疎い私は思考停止となりました。この自然との関わりについての勉強は、日々の生活の中ですることですね。ますますおもしろくなります。
 お茶の世界には、さまざまな文化が詰まっています。その一つ一つが見え出した時に、その背景に日本特有の文化が配されていることに気付かされます。贅沢な遊びです。

 お稽古が終わっての帰りに、隣の駅である東山駅の近くにある「音の花温泉」に行きました。

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 露天風呂が、広い岩風呂となっています。内風呂も広くて、とにかく開放的です。のんびりと日頃の疲れを癒して帰りました。
 
 
 
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | *身辺雑記

2019年07月20日

「源氏物語と三十六歌仙の写本を変体仮名で読む会」(第3回)

 今日の資料は、A4版で12枚です。
 まず、配布したプリントの確認から。
 前回、6月29日の勉強会の内容を、当日のブログの記事を元にして確認しました。
 架蔵『探幽筆 三拾六哥仙』の粉本の絵と、この「紫風庵」の襖絵がよく似ていたことに始まり、人丸・貫之・躬恒の和歌の「変体仮名翻字版」の確認です。
 そして、今日の歌人とその和歌が襖のどこに配置されているかから。

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 今日は、向かって左から二領目の襖の真ん中と右側に配された、兼輔・朝忠・敦忠の3名です。
■兼輔
 (人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな)
                 (後撰和歌集 一一〇二)
■朝忠
 (逢ふことのたえてしなくは中々に人をも身をも恨みざらまし)
                   (拾遺和歌集 六七八)
■敦忠
 (逢ひ見ての後の心にくらぶれば昔は物も思はざりけり)
                 (拾遺和歌集 七一〇)
 上から順に、以下の表記で書かれています。今回は、チラシ書きはありません。


   左 中納言兼輔
  【人】のおやのこゝろ
   は屋三尓阿ら年とも
   【子】越【思】ふ【道】尓
    まと飛ぬる可な


    右 中納言朝忠
  【逢事】能【絶】てし
    なく盤な可/\尓
  【人】をも【身】越も
     うらみさら満し


   左 権中納言敦忠
  あ飛【見】帝の
   【後】農古ゝろ尓
       くらふ連盤
   むかしは【物】も
      おも盤佐り
          介梨


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 目の前の歌仙絵を架蔵『探幽筆 三拾六哥仙』と比べると、兼輔と朝忠はほとんど図様はよく似ています。しかし、敦忠は大きく異なります。
 まず、「紫風庵」の敦忠。

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 そして、架蔵『探幽筆 三拾六哥仙』の敦忠。

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 表情は、全体的に架蔵『探幽筆 三拾六哥仙』の方がリアルで厳しいものが多いようです。そのこと以外に、左手の扱いが、まったく異なるのです。「紫風庵」の敦忠のように左手をかざしている図像は、和泉市久保惣記念美術館画帖、斎宮歴史博物館/情報データベース/三十六歌仙図画帖、狩野尚信『三十六歌仙額』、医王寺蔵三十六歌仙図(狩野派)などで確認できます。しかし、笏を立てて持っている図が大半のようです。もし、「紫風庵」と架蔵の三十六歌仙絵が共に狩野派と関係があるものであれば、この違いは何に由来するものなのでしょうか。
 また、架蔵『探幽筆 三拾六哥仙』の敦忠の袖には、「くろ」と色の指定が書き込まれています。つまり、ここは黒で塗りつぶせということです。しかし、「紫風庵」の敦忠の着衣は白が基調のものであり、柄も花鳥を織り込んだ派手なものです。
 さらには、ほとんどが肌色で顔が描かれているのに、ここでは下の2人の顔は白いことに意味を見いだす意見が、参加者から出されました。しかも、頬に赤く朱が入っているので、恋の歌と関係があるのではないか、という楽しい説明です。後方の襖に貼られた業平では、そのような傾向が見られないので、これも今後の課題となりました。
 これらの問題は、専門家の意見を仰がなくてはならないようです。

 なお、参考資料として、7月9日の京都新聞に掲載された「二条城・重文障壁画 松鷹図 探幽でなく山楽筆」という記事を配布しました。これは、これまでの説が最近の研究によって、同じ狩野派でも探幽から山楽の絵だと修正がなされたのです。これだけ有名な所が所蔵する著名な作品でも、京狩野と江戸狩野の違いがあらためて再確認されたことになります。さて、この「紫風庵」の襖絵は、狩野派が描いたものでいいのか、もしそうであれば誰が想定できるのか、興味と関心をお持ちの方の参加をお待ちしています。

 後半は部屋を移り、手前の座敷でハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「須磨」巻を読みました。12丁裏4行目の「ゆゝしや」からです。
 今日は、書写の道具としての糸罫が、この丁の6行目以降では使われていないのではないか、ズレているのではないか、という意見が出されました。9行目の「人」などは、両端の線が左右の行に割り込むように伸びているので、ありうることです。これでは、糸罫に張られた糸が邪魔になって、この横に広がる大きな「人」は書けません。

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 後半の30分で、13丁表1行目の「な可尓ても」まで進みました。8行分の変体仮名を確認したことになります。こんなのんびりとした調子で進んでいます。

 今日は、先日の京都新聞に掲載された記事をご覧になったお二人が、体験的に参加なさいました。今回も10人が寄り集まり、頭をフル回転の2時間でした。
 前回は、説明が少し早かったとのことなので、ペースを落として確認しながら進めました。

 最後に、昨夜がんばって作成した、この勉強会のことを紹介する三つ折りのチラシを見てもらいました。
 少し時間を置いて再度確認してから、いろいろな所に配布しようと思っています。

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 次の第4回「源氏物語と三十六歌仙の写本を変体仮名で読む会」は、8月24日(土)午後2時からです。多くの方々の参加をお待ちしています。
 
 
 
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ◎NPO活動

2019年07月19日

「紫風庵」のホームページの紹介とNPO活動の報告

 NPO法人〈源氏物語電子資料館〉主催の勉強会の会場としてお借りしている、「紫風庵」のホームページが充実してきています。

「登録有形文化財指定〈紫風庵〉のホームページ」

 この「紫風庵」のホームページの中にある「過去のイベント」のコーナーでは、本会のNPO活動の一端が写真とコメント付きでわかりやすく紹介されています。

「「紫風庵」の過去のイベント」

 明日も午後2時から、三十六歌仙の襖絵があるお部屋をお借りして、第3回となる「源氏物語と三十六歌仙の写本を変体仮名で読む会」を開催します。
 前回の内容は、
「紫風庵で三十六歌仙と源氏物語の変体仮名を読む(第2回)」(2019年06月29日)にまとめています。
 京都新聞に掲載された明日の勉強会のことをご覧になったお2方が、体験参加をなさいます。
 明日の参加についても、明朝、午前中でしたら、本ブログのコメント欄から連絡をしていただければ参加していただけるように資料の用意をいたします。
 次の第4回は、8月24日(土)午後2時から、となる予定です。

 一人でも多くの方々に変体仮名に親しんでいただきたいことと、日本の文化体験の一つとして写本を読む集いに参加してくださる方を、広く募っています。
 まずは、体験参加をしてみてはいかがでしょうか。
 ほぼ同じ趣旨で、東京の日比谷図書文化館では古文書塾「てらこや」で、鎌倉時代に書写された『源氏物語』の「若紫」巻を読んでいます。今秋から、『源氏物語』の異文を読んで楽しむ講座も新設されます。これについては、また後日、詳細を報告します。
 
 
 
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2019年07月18日

京洛逍遥(562)祇園祭の神輿渡御

 祇園祭は創始1150年ということで、例年に増して賑わっています。
 昨日17日(水)の山鉾巡行(前祭)は、観ることができませんでした。しかし、その夜、ご祭神が八坂神社を出発し、四条寺町の御旅所に入られる渡御は、たまたま河原町で夕食をいただいたために観ることができました。
 阪急烏丸駅で地上に出ると、烏丸通を挟んで四条通の東側に長刀鉾が立っています。ただし、山鉾巡行が終わった後なので、化粧回しなどはすべて外され、解体が進んでいます。

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 烏丸通を挟んだ四条通の西側には、函谷鉾が立っています。これも、骨組みだけが残っています。

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 このすぐ先の室町通をのぞくと、菊水鉾が解体されているところでした。

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 四条河原町で食事を終えて店を出ると、目の前を渡御の行列がゆっくりと進んでいるところでした。

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 この渡御の列が河原町通りを四条通りに曲がるまでは、交通機関は規制されています。その規制が解除されるや否や、後ろでずっと待たされていたバスが、渡御よろしく整然とつながって、しずしずと進み出しました。私には、このバスの渡御姿が殊の外印象的でした。

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 八坂神社から遷された神輿は、24日まで御旅所に留まります。24日の夕方より行なわれる還幸祭で、今度は神輿が御旅所から夜遅くに八坂神社に戻ります。

 24日(水)も、山鉾巡行(後祭)は観られません。しかし、昨日と同じように、還幸祭・神輿渡御には立ち会えるかも知れません。

 この時期は蒸し暑い日が続きます。元気に無病息災で、この夏を過ごしたいと思います。
 
 
 
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2019年07月17日

「源氏物語と三十六歌仙の写本を変体仮名で読む会」(第3回)のお知らせ

 本日17日(水)の京都新聞「まちかど」欄に、次の紹介記事を掲載していただきました。

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 会場は、平安京の北の基点となった船岡山のすぐ南にある、登録有形文化財に指定されている「紫風庵」です。その「紫風庵」で、ハーバード本「須磨」巻を読むと共に、「紫風庵」所蔵で江戸時代に描かれた三十六歌仙の絵と和歌を読んでいます。平仮名は変体仮名を再確認しながら、書かれた文字を忠実に読んでいきます。
 三十六歌仙については、その絵が貼られた襖を間近に見ながら、一文字ずつを解読していきます。「紫風庵」に所蔵されている「三十六歌仙」の詳しいことは、「京洛逍遥(538)登録有形文化財「紫風庵」の三十六歌仙絵」(2019年04月13日)(http://genjiito.sblo.jp/article/185856865.html)をご覧ください。

 今回は、次の写真右側の、兼輔・朝忠・敦忠を見ます。

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 1年かけて、この三十六歌仙に取り組む予定です。ぜひこの機会に、生きた古典と接する得難い体験の場としてください。初心者を意識して、丁寧に変体仮名を読むコツなどを説明します。
 参加を希望される方は、このブログのコメント欄をご利用ください。折り返し、説明の返信を差し上げます。
 なお、この学習会は、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉が主催する企画です。小規模ながら、地道に気長に活動を続けています。
 『源氏物語』ともども、「三十六歌仙」という古典文学作品を原典で鑑賞し、そこに書かれた文字を忠実に翻字していくことに興味をお持ちの方の参加をお待ちしています。
 会場である「紫風庵」への道順などは、上記ブログに詳しく掲載していますので、参考になさってください。
 
 
 
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2019年07月16日

HP「バリアフリーかるたフォーラム」のこと

 昨日福岡で開催された「大阪点字付きかるたを楽しむ会」のイベントの席上、読手である京都小倉かるた会の植山さんの紹介で、全日本かるた協会点字かるた企画部の中原さんと連絡を取るようになりました。そして、開設されている「バリアフリーかるたフォーラム 〜全ての人に小倉百人一首かるたを〜」というホームページに、私のこのブログ「鷺水庵より」にリンクを張ってくださいました。
 このホームページの冒頭には、次のような頼もしい、力強いことばが記されています。

2020東京オリンピック・パラリンピックピック協賛イベントととして、一般社団法人全日本かるた協会では、2015年にバリアフリーかるたに関する企画部を設置しました。


 植山さんも同じ企画部に所属とのことです。この企画、「小倉百人一首フェスティバル2020 in Tokyo」のますますの展開を楽しみにし、私もこの東京オリンピック・パラリンピックピック協賛イベントに積極的に協力していくつもりです。これまで通りの広報活動に加えて、残された1年でできることには何でもお手伝いしていきます。遠慮なくおっしゃってください。私にもできることは多いと思いますので。また、この企画に協力してくださる方がいらっしゃいましたら、このブログのコメント欄を通して手を上げていただけると助かります。

 この企画に関するTwitterのアドレスも伺っています。

https://twitter.com/tenji_carta

 ただし、私はTwitterやFacebookは意識的に遠ざけているので、これに関してはよくわかりません。

 なお、全日本かるた協会が発行している機関誌『かるた展望』の第69号(令和元年7月2日発行)には、植山さんが「バリアフリーかるたの魅力に迫る!」と題する記事を執筆しておられます。掲載されている写真の片隅には、私もちゃっかり写っています。本ブログ「鷺水庵より」のアドレスの紹介もあります。ぜひご一読を。

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2019年07月15日

大盛会だった「大阪点字付きかるたを楽しむ会」の福岡開催

 今日は、「大阪点字付きかるたを楽しむ会」が福岡県春日市であるため、早朝より博多へ移動です。
 しかし、新幹線が1時間遅れで京都に来たため、移動の調整でバタバタしました。こんなに遅れる新幹線に出会ったのは何十年ぶりでしょうか。この前がいつだったのか、まったく思い出せないほど昔のことです。新幹線の運行システムの信頼が高いことは、その背景にある技術力が支えているのです。すごいことです。といっていたら、車内放送が65分遅れのお詫びの後に、「この先、線路の高架に自動車が衝突したため、確認のために発車を見合わせることがあります。」とのこと。もう、無事に着いてくれたらいい、と思うようになりました。海外の交通機関ではよくあることです。どうしようもないので、大きな気持ちでゆったりと座って行くことにします。そうこうするうちに、姫路駅で停車し、ひとまず様子見となりました。結局、1時間半の遅れで博多に着きました。

 今日は、目が見えない方々が『百人一首』のカルタを楽しむ日です。私は、この競技が国際的に広まり、来夏のパラリンピック関連のイベントで認知度が高まるように、国内はもとより、国際交流の立場からも広報の役割を担って参加しています。日本の古典文学の精華の一つである『百人一首』を世界的な認知へと展開するためにも、来年のオリンピック・パラリンピックは好機です。現在取り組んでいる科研の「海外における平安文学及び多言語翻訳に関する研究」(課題番号︰17H00912)でも、「百人一首」はもとより、この「点字付百人一首」も取り上げて、研究対象としているところです。

 会場となったクローバープラザは、立派な施設でした。その最上階である8階でかるた会は行なわれます。

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 参加者は30名。東京からは、百星の会の関場さん親子。大阪の事務局の兵藤さんと野々村さん。九州かるた協会のお2人には初めてお目にかかりました。

 野々村さんの開会宣言、兵藤さんの挨拶で始まりました。
 京都小倉かるた会と九州かるた会のプロの方(公認読手)の紹介。
 天智天皇の歌と菅原道真の歌が九州と関係があるとのことで、地元の方からの歌の説明がありました。
 今日取り上げる歌10首の資料と、点字付きカルタの実物も配布されました。

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 自己紹介では、福岡からはもちろんのこと、大牟田、朝倉、北九州、長崎、明石、大阪、東京と、各地から集まっておられました。

 関場さん親子の名調子で、かるた会は楽しく進みます。
 まずは「百人一首クイズ」からです。テーブルに置かれた3つの品物が、それぞれどの和歌と関係するかを答えるものでした。
 テーブルには(1)焼塩、(2)モグサ、(3)青汁、が置かれています。

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 配布された点字資料(墨字プリント)には、次の和歌が記されています。
百人一首クイズ
 テーブルに並んだ1から3番の品物と関係の深い歌はどれでしょう?

心あてに折らばや折らむ初霜の
  置きまどはせる白菊の花
    凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)

君がため春の野に出でて若菜つむ
  わが衣手に雪はふりつつ
    光孝天皇(こうこうてんのう)

来ぬ人をまつほの浦のタなぎに
  焼くや藻塩の身もこがれつつ
    権中納言定家(ごんちゆうなごんていか)

かくとだにえやはいぶきのさしも草
  さしも知らじな燃ゆる思ひを
    藤原実方朝臣(ふじわらのさねかたあそん)


 テーブルの上の3品を触り、口にしたりなどして、答えを探します。見えないことから、触覚・味覚で想像を膨らませるのです。これは、なかなかいいアイディアで、五感を駆使したゲームとなっています。私は、モグサを始めて触りました。これは、若い方には難題でしょう。その意味もあって、火をつけたお灸が、ヒントとして回されました。

 今日の会場には、盲導犬と一緒の方もいらっしゃいました。盲導犬と一緒に数時間を過ごしたのは初めてです。

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 「四人一首」は、目の見えない方々のために、南沢さんが開発なさったものです。ボードの四隅にリズミカルに手を置く体操をすることで、いい準備運動になります。
 続いて、決まり字の練習。実際にかるたを4枚取り出し、ボードの四隅に置きます。
 例えば、「よを」と読まれた時、「よにあふさかの」を取ります。ここで、「あふさか」と書かれている言葉の読み方や意味がわからないとのことで、昔の書き方だと説明されます。こうした歴史的仮名遣で書かれた札を、現代の表記による音読で取ることの難しさが、今後の普及に問題となることでしょう。特に、海外からの参加者が増えるに従って、こうした日本語の文字の表記に関する疑問は多く出てくるはずです。その対策を、今以上にすべきでしょう。

 盲と聾の方もいらっしゃいます。2台のブレイルメモと指文字でのコミュニケーションで、みなさんと一緒に『百人一首』に取り組んでおられました。これは、コミュニケーションに時差が伴うものなので、読手が読み上げると同時にブレイルメモのピンが表示するシステムを開発すべきです。どなたか、提案してくださいませんでしょうか。

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 歌を詠む練習も、しっかりと丁寧に行われました。読む時に気をつけること、特に決まり字の発音をいかに明瞭に詠むかなど、わかりやすい説明が九州の読手の方からありました。最後には、初めて読み上げる体験をしたという方々が、積極的に読手となって場を盛り上げてくださいました。楽しさが会場全体を包み込む、いい雰囲気となっていました。

 実践編では、京都ライトハウスが作成されたかるたを使って行われました。

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 初めての方が何人もいらっしゃっいました。そのほとんどの方が、目が見えなくてもかるたが取れることに感動しておられました。私の街にも広めたいと。とにかく実際に体験していただくことが、一番の広報となるようです。

 嬉しいニュースもありました。
 パラリンピックを機会に、バリアフリーかるたの大会を開催する準備が進んでいます。そして、来年の5月と8月には、パラリンピックの一環として、ワークショップの形で東京と近江神宮を会場として実施するそうです。このことは、近日中にこのブログでも取り上げてお知らせします。その準備として、「百星の会」では11月2日(土)のイベントとして、次の全国大会も企画されています。ぜひ、多くの方に参加してほしいものです。

速報! 百人一首の全国大会が
11月2日(土)に東京で開催されます!
出場選手を大募集中です。
個人戦と団体戦(1チーム3人)。
会場は「サイトワールド」にも行きやすい飯田橋です。
出場選手には宿泊費の補助あり。
お申し込み・お問い合わせは、「百星の会」まで!


今後の「点字付百人一首」の展開がますます楽しみです。

 なお、『百人一首』に関して点字とデイジーの図書では、田辺聖子さんの本、阿刀田高氏の本、橋本治氏の本も、お勧め図書として関場理生さんから紹介されました。現代詩の最果タヒさんの本はデイジーだけだそうです。興味のある方は、ぜひご一読を。

 役員のみなさま5人と一緒に、今回の反省会と今後のさらなる発展のための意見交換会を、帰り際に事務所でコーヒーをいただきながら話しました。次回に向けて、いい提案がいくつも出ました。私は、盲教育史研究会との連携を提案しました。
 一緒に、博多まで移動しました。再会を約して、盛会だった会の余韻に浸りながらお別れしました。みなさま、お疲れさまでした。
 私は博多で一泊するので、夕食は筑紫女学院大学の須藤氏と博多駅前で、いろいろな話をしながら、京料理屋さんでおばんざいをいただきました。最近は食が極端に細り、この時も多くを残しました。小まめに食事をする日々を送っています。
 
 
 
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2019年07月14日

朴光華編著『源氏物語−韓国語訳注−(須磨巻)』の紹介

 韓国の朴光華先生が、『源氏物語』の「桐壺」「夕顔」「若紫」に続く「須磨」巻の訳注本を刊行なさいました。

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 朴先生については、「朴光華先生のハングル訳『源氏物語』」(2010年07月05日)で詳しく書きました。
 これまでに刊行されているものの紹介記事は、次の通りです。

(1)「朴光華著『源氏物語─韓国語訳注─(桐壺巻)』」(2015年09月06日)

(2)「朴光華訳の第2弾『源氏物語−韓国語訳注−(夕顔巻)』刊行」(2016年08月26日)

(3)「朴光華編著『源氏物語−韓国語訳注−(若紫巻)』の紹介」(2018年09月06日)

 この韓国語訳注は、19年という長い歳月をかけて、さらに巻を次いで刊行されることになっています。次は、来年5月に「須磨」巻が刊行される予定です。
 韓国語がわからない私には、このようにして紹介することでしかお手伝いができません。『源氏物語』の韓国語訳に関しては、原文を確認してハングルで翻訳されたものが一つもないのが実状です。日本の文化を韓国語訳で広く正確に理解していただくためにも、一日も早い完結を待ち望んでいるところです。

 本書の書誌情報を、いただいたお手紙から転記します。

1) 著者;朴光華(Park KwangHwa)
2) 初版発行日;2019年6月1日
3) 出版社;図書出版DNP
 〒31166韓国忠南天安巿西北区双龍4GIL 8、1F
 電話;041-572-7887
 Email;tdxl000@naver.com
4) 総頁;510頁
5) 定価;W 60,000
6)ISBN;979-11-964307-1-9 (03830)
7) 本書の構成;写真4枚
 序、凡例、須磨巻の概要、登場人物系図、参考文献など;1〜26頁
 若紫巻(日本語本文、韓国語訳、韓国語注);27〜493頁
 論考「なぜ須磨なのか」(今西祐一郎)494〜503頁
 後記(日本語);504〜502頁
 図録1~5 ; 506〜510頁


 さらに、本書の性格と朴光華先生のお人柄がわかる「後記」を、参考までに引用します。文中に「韓国の読者や研究者らにもっと分かりやすく説明するために、ついにこのような形になったのである。」とあるように、この翻訳に朴光華先生が真摯に取り組んでおられることが伝わってくる、一大事業の公開です。

後記
『源氏物語−韓国語訳注−』(須磨巻)は、「文華」(第十一号。2012年1月1日)雑誌に発表されたものである。当時は『源氏物語韓釈一須磨一』(日本文学研究会)という題でこの世に出た。それから約七年後、今日、ようやくしてこれに相当な注釈を施して発刊することになった。当時の須磨巻をいまになって見ると、情けなく間違った個所も多く目立つ。その後「文華」は十二号(2013年1月1日)まで続刊された。
 既刊の桐壺巻・夕顔巻、若紫巻と同じように、須磨巻においても助動詞「む・べし」、丁寧語「はべり」、「にて」などで苦労した。『源氏物語−韓国語訳注−』を企画した最初は、韓国語訳の充実、登場人物の紹介・モノガタリの意味、注釈書の紹介等々を試みたが、いつのまに文法・語法のほうへ傾いてしまって、いまは完全に『源氏物語』についての「韓国語語法書」に転落してしまった。情けないが、しかたない。韓国の読者や研究者らにもっと分かりやすく説明するために、ついにこのような形になったのである。
 私の古典文法にっいての知識は、たかが高校の受験生の程度の実力であろう。このみすぼらしい実力で、いままで『源氏物語』に注をつけてきた。後世になって再読すると、きっと誤りはあるだろう。では、須磨巻の本文につぎのような文がある。

  @「…まばゆきまでしつらひ、かしづきけり。」

 後半部・明石の入道がむすめを大切に育てる場面である。「かしづきけり」は「かしづき(四段連用形)+けり(過去助動詞終止形)」である。が、『大系』は本文を「…かしづけり。」としながら、「「けり」は継続過去の現在状態である。」のように注をつけている。「かしづけ(四段命令形又は巳然形)+り(完了助動詞終止形)」にしてほしいところであるが…。念のため『大系』の底本をみだ(ママ)が、やはり「…かしづけり」であるから、おそらく他本文との校異からきた勘違いであろう。
 もう一つ巻頭のところ、『全集』の本文では6行目にっぎのような文がある。

  A「人しげく、ひたたけたらむ住まひは、…」

 「ひたたけたらむ」を「ひたたけ(力行下二連用形)+たら(完了助動詞たり未然形)+む(推量助動詞連体形で婉曲(〜ような)の意味)」と処理した。が、『評釈』は「「らむ」は婉曲」のように注をつけている。私のほうが正しいと思うが…。
 『源氏物語−韓国語訳注−』は前期、後期に分けて発刊する予定で、所要期間は当初は十四年であったが、大幅に変更された。まず前期30巻は2015年8月〜2033年(19年)となっている。前期の第1期発刊は、桐壺巻(既刊)、夕顔巻(既刊)、若紫巻(既刊)、須磨巻、明石巻、総角巻・浮舟巻などが順次的で発刊される予定である。そして、各巻ごとに諸先生方の論考が掲載されることになっている。桐壺巻(「桐壺院の購罪」伊井春樹先生)、夕顔巻(「夕顔の宿」糸井通浩先生)、若紫巻(「(不掲載。延期)」中野幸一先生)、須磨巻(「なぜ「須磨」なのか」今西裕一郎先生先生(ママ))。
 次は明石巻であるが、予定されていた小町谷照彦先生が2014年10月31日に突然お亡くなりましたので、どうしようかなと考えている。先生についての思い出をすこし述べようかとも思っている。ちなみに『源氏物語−韓国語訳注−』の訳注の原則、方法、内容、発刊計画などについては、日本言語文化研究21号(2017年1月30日)で「『源氏物語−韓国語訳注−』について」という題で発表したことがある。ご参照まで。
 目下『源氏物語−韓国語訳注−』は後世に残すために執筆している。この須磨巻はSにさしあげる。

               2019年6月1日 朴光華

 
 
 
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2019年07月13日

日比谷で源氏の橋本本を読む(13)[講座新設と異文読解]

 日比谷図書文化館で『源氏物語』を読む講座がある日です。ただし、自宅で朝食を食べている時に腹痛に見舞われました。消化管を持たない私にとっては、最近とみによくあることです。食べ残してでも、出かけるしかありません。

 京都駅の構内で、お昼ご飯を兼ねたお弁当を買いました。しかし、それもほとんど食べられないままに、腹痛を我慢しながらの上京となりました。いつものことで慣れているとはいえ、身体には堪えます。出がけに妻が手渡してくれた、副食と化しているチーズと栄養ドリンクでお昼を済ませました。

 今日の資料は、A4版のプリント6枚。日比谷図書文化館のスタッフの方に印刷してもらい、お話をしながら一緒にホッチキス留めをしました。
 始まる前に、写本を翻字してくださっている方からの疑問点にお答えしました。漢字として翻字するのか、変体仮名として字母である漢字を表記するのか、ということです。初めてということで、いろいろと思い悩んだ末の質問でした。数十個の疑問箇所について、その一つ一つの判断の基準を示しながらお答えしました。NPO活動のメイン事業として、「変体仮名翻字版」を作成しています。その作業過程において、翻字にあたっての漢字表記の問題は、面倒なことが多いのです。それでも、漢字と思った文字には隅付き括弧(【 】)で括っておいていただくようにお願いしています。後で括弧を外すのは簡単だからです。

 講座が始まる前とはいえ、頼まれた資料を渡したり、目が見えない学生さんのNPO法人からの奨学金の手続き書類の確認、この1ヶ月間にお願いしたりお願いされたりしたことの回答や報告を受けるなど、何かと慌ただしい対応に追われます。
 受講生のお名前を読み上げて出欠を取った後、過日のブログ(2019年07月07日)に書いた変体仮名の「王」について、プリントを使って確認しました。これは、日常の中にある生きた文字に関する資料の検討です。

 山下智子さんの京ことばで読む『源氏物語』の案内チラシも、このタイミングで確認しました。

 この講座は「翻字者育成講座」です。今秋からは、新しく「異文を多角的に楽しむ講座」を開設することになりました。前回の講座報告(2019年06月08日)で、次のように書きました。
この日比谷図書文化館での講座に関しても、前回同様に橋本本の本文を解釈してその意味をみんなで考える勉強会の設立を、具体的に打ち合わせました。これについては、近いうちに結論を出すつもりです。

 これに関しては、これまで講座が終わってから外で実施していた課外講座を、この古文書塾「てらこや」のプログラムの中で展開するものです。主催者側が認めてくださったので、その募集チラシの素案を提示し、少し説明をしました。まだ検討中の文案ながらも、参考までに引用します。これについて、ご教示いただけると幸いです。

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 これは、来月には広く公開して受講者を募集することになります。新設の「異文を多角的に楽しむ講座」だけの受講者も歓迎します。午後の「翻字者育成講座」と連動するものではあっても、これはこれで単独の講座として扱われます。

 今日のメインは、前回読んだところの続きにある、本文異同の問題点の確認です。橋本本と大島本の2つのグループ間には、さまざまな本文異同があります。この段落ではその違いが顕著な例があるので、日頃は翻字以外はしない方針のこの講座であっても、あえて取り上げることにしました。これは、今秋から始める異文の問題をどのようにして対処するのか、というシュミレーションでもあります。
 以下の資料を配布しました。

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 異文を丁寧に確認し、今この講座で読んでいる橋本本が大島本と大きく違うことを説明しました。
 橋本本が「さまたけとや」とする箇所を、大島本は「ほたしに」とします。「ほだし」と「きずな」について説明しながら、ここでの表現の違いに目を向けてもらいました。続いて、橋本本が「息の下なる御こゑも御(心?)くるしうほのかに絶え絶え聞こえて」とするところを、大島本が「心細げなる御声絶え絶え聞こえて」となっている箇所の意味の違いを考えました。この本文異同については、この講座が終わってから新橋駅前のレストランに集まっての課外講座でも、おもしろかったとの反応があったので、わかりやすい異文の確認となったようです。

 残りの30分は、テキストである写本橋本本の翻字を進めました。44丁裏の最終行まで見終わりました。

 前述のように、レストランに場所を移しての課外講座は、今日の内容の確認と、今秋から始める「異文を楽しく読む講座」の内容について相談しました。さらには幅広い話題で、2時間半以上も語り合いました。さまざまな立場から新鮮な意見が聞けるので、これもいい勉強の場となっています。

 最終の京都行き新幹線に飛び乗り、食事をしようとした時です。また、腹痛と吐き気がしました。緊張感が解けると、今朝の悪夢のような時間に包まれました。今日は体調が良くないようです。新幹線でこの文章を書くと、早々に身体をシートに沈めました。明後日は九州に飛ぶので、明日はひたすら身体を休めることにします。

[追記]
 今日、受講生の中で翻字のお手伝いをしてくださっている方々にお渡しした翻字依頼のための資料は、次のものでした。いつも、どなたにどの写本のどの巻をお願いしたのか、すぐに忘れます。後でメモも探せないこともしばしばです。情けないことです。そこで後々のためにも、ここに記録しておきます。いずれも保坂本です。

09葵(SI氏)・10賢木(SE氏)・12須磨(HM氏)・13明石(HM氏)

 
 
 
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2019年07月12日

京洛逍遥(561)京都十二薬師霊場(2-6)「福勝寺」

 昨日、「京洛逍遥(560)京都十二薬師霊場(1-7)「双林寺」」をアップしました。
 ところが、その後にデータの整理をしていて、昨年5月からこの薬師めぐりをしていたことに思い至りました。とにかく慌ただしく日々を送っているので、いろいろと忘れています。特に昨年の初夏は、科研のホームページに関して悩ましい問題の渦中に立たされていました。その意味では、加齢のためばかりとは言えません。日々、すぐに忘れないと生きていけない状況にあったのですから。

 さて、京都十二薬師霊場は、平安時代に始まり、江戸時代(天明年間)に現在の諸寺に落ち着いたようです(ウィキペディア)。その記事の脚注は、気遣いが感じられる説明となっているので、以下に引用します。

・注の欄に▲がある寺院は、平日に参拝する場合は電話確認を要する。
・△の寺院は曜日に関係なく留守になることがある。そのような場合は堂前に置かれた缶の中に朱印が入っているが、日付は入らないので、確実に在宅時に参拝したいのなら電話確認したほうが良い。
・○の寺院は札所本尊が有料拝観区域内にある。なお、納経所は有料拝観区域外にある。
・注1の寺院は現在は寺院が運営する「七条幼稚園」の園内に立地している。平日の園児が登園している時間帯は入口に鍵がかかっているので、インターフォンを押して関係者に来てもらう必要がある。


 「京都ガイドブック」の「京都十二薬師霊場めぐり」には、次の説明があります。わかりやすくまとまっているので引用します。

【京都十二薬師霊場めぐり 歴史・簡単概要】
京都十二薬師霊場めぐりは平安時代から盛んに行われていた薬師詣りの内、特に信仰を集めた12の寺院をめぐり、無病息災・病気平癒・厄難消除・所願成就などを祈願します。京都十二薬師霊場めぐりでは平等寺(因幡薬師)・東寺(金剛薬師)・水薬師寺(水薬師)・壬生寺(歯薬師)・地福寺(日限薬師)・福勝寺(峰薬師)・双林寺(東山薬師)・大超寺(鍬形薬師)・薬師院(不来乎薬師)・大福寺(菩提薬師)・西光寺(寅薬師)・永福寺(蛸薬師)をめぐります。なお京都十二薬師霊場めぐりは80年ほど中断していたが、2012年(平成24年)から復興しました。
京都十二薬師霊場めぐりは薬師十二所参り・都十二薬師・洛陽十二薬師などとも言われているそうです。


 さて、今回見つかった朱印は、京都十二薬師霊場の6番札所「福勝寺」です。

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 ここは、洛陽三十三所観音霊場の第29番でもあるので、その参拝時に一緒に薬師さまのご朱印もいただいたようです。

「京洛逍遥(490)洛陽三十三所(29)福勝寺」(2018年05月08日)

 すっかり失念していたので、ここにあらためてアップしました。

 「京都十二薬師霊場会」のホームページから福勝寺の略説を引きます。

峰薬師(みねやくし)
 薬師如来は、愛知県の鳳来寺の薬師如来と同木同作で、利修仙人(鳳来寺開山)の作と伝わる。
 東大寺大仏の再建に際して重源僧正に授与され諸国を遍歴し、その後当山に持仏として奉安された。
 その後、後陽成天皇が勅願され御平癒された事により、天皇より「薬師如来」の名号と菊の御紋が寄付され、勅願寺となった。
<宗旨> 真言宗善通寺派 <開山・開基> 弘法大師・覚済僧正(中興)

御詠歌
みなひとの やまいをいやす みねやくし
  るりのくすりを あたへましませ


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2019年07月11日

京洛逍遥(560)京都十二薬師霊場(1-7)「双林寺」

 昨日の続きです。
 長楽寺へ行く手前に、京都十二薬師霊場の第7番札所「双林寺」がありました。

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 さまざまな病気を抱え込んでいる私にとって、薬師様と聞くと足が留まります。

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 「京都十二薬師霊場会」のホームページから略説を引きます。

東山薬師(ひがしやまやくし)
 桓武天皇の勅命により、左大使尾張連定鑑(むらじさだみ)がこの地に伽藍を創立し、霊鷲山沙羅双樹林寺法華三昧無量壽院と号した。
 鳥羽天皇皇女綾雲女王、土御門天皇皇子静仁法親王が住職を務めるなど皇室とのかかわりも深い。
 また、平康頼、西行法師、頓阿法師など文人が止住した。17の支院を有する国体安穏祈祷の大道場として、東山屈指の巨刹であったが、今は僅かに本堂と飛地境内にある花月庵(西行堂)を残すだけとなる。

<宗旨> 天台宗  <開山・開基> 伝教大師 延暦24年(805年)

御詠歌
とうとしな ふたつのはやし ふかければ
  るりのひかりに なやみはるらん


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2019年07月10日

京洛逍遥(559)洛陽三十三所(7)長楽寺

 長楽寺は、八坂神社の奥、円山公園の中にあります。
 祇園祭の時期に重なったということもあり、八坂神社は国内外から多くの観光客が訪れています。石の鳥居越しに望む南楼門の朱が鮮やかです。

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 長楽寺へは、石畳の奥からさらに石段を登る、静かなお寺です。

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 以下、ホームページ「洛陽三十三所観音巡礼」から長楽寺の略説と地図を引きます。

御詠歌:こヽもまた じょうどなるらん ちょうらくじ にはのはちすも はっくどくすい

伝教大師入唐の際、海上にわかに暴風起こり、船まさに破れんとした時、大師舳先にすゝみ、除難のため三宝の救護を祈願し給うに、忽然として光明照躍して、二頭の龍神その頭に准胝観世音を奉載して大師の船側に近づき、観世音菩薩、大師の御衣に飛び移り給うと覚えて、風波鎮まり無事御帰朝の後、この海上示現の尊像を自ら刻んで、当寺の御本尊としてまつられた。霊験たぐいなく古来勅願所として歴代天皇の御帰依深く、勅封の秘仏として奉安せられ、歴朝の御即位式および御厄年に、勅使御代参あって、その侍立の下にのみ開帳せられることを恒例としてきた。

明治初年より勅使御侍立の儀は廃止されたが、陛下御即位にあたり御開帳される行儀は現在に至るまで護られ、平常は秘仏の御本尊とされている。二頭の龍神が守護された准胝観世音菩薩の御尊像はまことに希有なお姿であり、都の平安を御祈願されるにふさわしく、平安朝には京の七観音の一つにかぞえられ、古来よりその信仰がひろまっていた。延暦二十四年(八〇五)桓武天皇の勅命により伝教大師がその御本尊をまつり創建され、平成十七年(二〇〇五)で当寺創建より千二百年にあたり、その歴史は御本尊の御加護の証に他ならない。


 御詠歌の結句にある「はっくどくすい」とは、名水「八功徳水」のことです。

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2019年07月09日

京洛逍遥(558)洛陽三十三所(15)六波羅蜜寺

 昨日、西国三十三所の第17番札所である六波羅蜜寺に行ったことを書きました。

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 そこで朱印をいただいた折に、洛陽三十三所第15番の朱印も一緒にいただきました。

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 西国三十三所と洛陽三十三所が重複するのは、六角堂(頂法寺)、革堂(行願寺)、清水寺、六波羅蜜寺、今熊野観音寺の5ケ寺です。

 以下、ホームページ「洛陽三十三所観音巡礼」から六波羅蜜寺の略説と地図を引きます。

御詠歌:おもくとも いつつのつみは よもあらじ ろくはらどうへ まいるみなれば

六波羅蜜寺は、天暦五年(九五一)醍醐天皇第二皇子光勝空也上人により開創された洛陽三十三所観音霊場第十五番札所である。

当時京都に流行した悪疫退散のため、上人自ら十一面観音像を刻み、御仏を車に安置して市中を曳き廻り、青竹を八葉の蓮片の如く割り茶を立て、中へ小梅干しと結昆布を入れ仏前に献じた茶を病者に授け、歓喜踊躍しつつ念仏を唱えてついに病魔を鎮められたという。[現在も皇服茶として伝わり正月三日間授与している。]

現存する空也上人の祈願文によると、応和三年八月(九六三)諸方の名僧六百名を請じ、金字大般若経を浄写、転読し、夜には五大文字を灯し大萬燈会を行って諸堂の落慶供養を盛大に営んだ。これが当寺の起こりである。

上人没後、高弟の中信上人によりその規模増大し、荘厳華麗な天台別院として栄えた。


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 この東山地域には、六道珍皇寺や河原院跡など、『源氏物語』と関係の深い場所が多いので、気ままに散策するのが楽しみです。
 
 
 
posted by genjiito at 19:59| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2019年07月08日

西国三十三所(2019-2)/六波羅蜜寺(17番)

 西国三十三所めぐりの2つ目は、昨日の革堂(19番)に続いて市内の東山にある六波羅蜜寺にしました。

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 ここはつい最近、平清盛ゆかりの六波羅邸の堀跡が見つかり、軍事防御用の堀としては京都最古だと、大きなニュース(京都新聞、5月17日)になっていました。今でも、市内は掘れば何かがでてくるおもしろい町です。そして、その上に今も寺院や遺跡が建っているのです。
 この六波羅蜜寺は、醍醐天皇第二皇子光勝空也上人の創建になるお寺として、学校で教わります。「南無阿弥陀仏」という6字の名号を口から出す姿は、多くの方の記憶に残っていることでしょう。

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 西国三十三所の観音霊場めぐりも、すでに1300年の歴史があることがわかりました。どれだけの方が歩きめぐられたのかということに思いを致すと、気が遠くなります。とにかく、歴史と文化の重みを感じます。
 境内はきれいに整備されています。
 巻物仕立ての軸も、これで2つの朱印が並びました。

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 これからどのように朱印が捺されていくのか、今から楽しみです。

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 帰りに、すぐ近くにある、「みなとや幽霊子育飴本舗」の飴をいただいて帰りました。子育て中の娘夫婦へのお土産です。この飴のいわれについては、「お店のホームページ」を参照願います。

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 なお、前回ここに来たことは「西国三十三所(2)六波羅密寺」(2010年08月31日)に詳しく書いています。入院中にアップしたものでした。時間があったからでしょうか、丁寧に書いています。ご笑覧を。
 
 
 
posted by genjiito at 20:45| Comment(0) | ・ブラリと

2019年07月07日

西国三十三所(2019-1)/6巡目は洛中の革堂(19番)から

 梅雨の合間のせいか、何となく身体が怠くて重たい感じがします。大和へお茶のお稽古に行こうとしていたら、あろうことか腹痛が起き出しました。私には、よくあることです。今日はのんびりと過ごすことにします。
 そんなこんなで、予定していた6回目の西国三十三所めぐりで気分転換をはかることにしました。今回は、家から一番近い丸太町通りから寺町通りに入って少し下ったところにある、革堂(第19番札所・行願寺)からスタートです。

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 先週、この革堂に来ました。しかし、朱印軸がなかったので納経の開始を見送ったことは、「京洛逍遥(556)革堂を「かうだう」と仮名書きすること」(2019年06月23日)に書いた通りです。

 西国三十三所めぐりについては、前回の5巡目をスタートしたのが、ちょうど9年前の今ごろでした。2010年7月19日に、石山寺から始めています。この時は縦長の朱印軸に御詠歌を書いていただきました。「西国三十三所(1)5周目は石山寺から」(2010年07月19日)
 今回は、以下に掲げる写真のような、今週入手した、小振りで巻物仕立ての横長の朱印軸を持ち歩くことにしました。

 革堂は、寺町通りの民家の間に挟まれるようにして建っています。知らないと見過ごします。

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 境内が狭いこともあり、山門を入るとすぐに本堂があります。

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 朱印軸を出し、小さめに書いてもらいました。

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 まずは一つ。
 これから新しい旅が始まる実感が伝わってきます。

 本堂の柱に、御詠歌を書いた奉納板が打ち付けてありました。今の表記にすると、「花を見ていまは望みも革堂の庭の千草も盛りなるらん」となる歌です。
 明治23年の奉納板の和歌を「変体仮名翻字版」で示します。

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花を見て
 今八のぞ三も
  かう多"うの
尓王のちくさも
 さ可りなるらん


 あたりを見回していると、昭和8年に奉納された御詠歌の中で、「に王」(漢字で書くと「庭」)という文字に目が止まりました。ただし、「に王」ではなくて「に生」としか読めない字で書いてあります。

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はなをみて
 いまはのぞみも
かうだうの
 に生のちぐさも
  さかりなるらん


 ここで、後者の奉納板に「に生」と書いてある文字は、本来なら「に王」となるはずのものだったと思われます。その前後の平仮名は、すべてが明治33年に平仮名が1文字の字体に統一・制定された、現行の五十音にある仮名文字です。そのような中で、この「王」という字母を持つ文字が認識出来ないままに書かれたのでしょうか。この書写者の書き癖ではなくて、変体仮名に対する意識が希薄だったと思います。

 明治23年の方の奉納板は、平仮名が一文字に統制される前の、変体仮名を用いて自由に書かれています。「八・三・多・尓・王・可」がそうです。それが、昭和8年のものでは、「天・以・久"・左・奈」が字母である漢字に近い形で書かれているものの、あくまでも文部省の指導方針を忠実に守っています。「王」と書くはずが「生」と書いてしまった一文字以外は。
 個人的な推測ながら、この昭和8年の奉納板の書写者は、変体仮名に親しんでいなかった人のように思われます。そのため、「には」とか「に八」、さらには「に者」などと書かず、手本にしたものに書いてあった、よくわからない「王」の字形を見よう見まねで書いたために、このような「に生」という文字を今に伝えることとなったのではないでしょうか。「生」という文字の縦棒が上に突き抜ける字形で書く癖があったにしても、この一文字だけが変体仮名になっているというのが、この書写者の一貫性に欠ける文字遣いとなっています。
 いろいろとおもしろい例になるので、少しこだわってみました。これも、変体仮名の受容史と言えるでしょう。
 
 
 
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ■変体仮名

2019年07月06日

2002年春にインドで書いた未公開日記(その16/第11・最終週)

 2002年にインドのデリー大学に客員教授として赴任していた時の、大学での様子や、インドでの日常生活をあるがままに記した日録の公開です。
 ここでは、インドの滞在最終週となる「第11週 03/17〜03/20」の出来事を扱います。すでにクラッシュしたままのホームページでも、「第8週」以降は未公開のままだった部分です。メモを元にして、適宜インドでのことを思い出しながら、再現しています。
 今回は、3月17日のメモを復元しました。
 この前日、3月16日に実施した『百人一首』のカルタ取り大会については、別にあらためて詳しく掲載します。

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■2002.3.17■



 朝6時アグラへ出発。タクシーはキッチリと来ていた。今日はいい仕事の日であるから、忘れるはずはないか。
 I1先生とN2君と共に出発。暗い内の出発だった。1時間もしない内に明るくなり始めた。この前と同じく、ただひたすら真っ直ぐの道を飛ばす。今日の運転手は、いつも送ってくれているスピード狂の人である。朝が早いせいか、今日は飛ばし屋ぶりはまだ発揮していない。
 過日食事をした所で熊(?)を連れた人に会った。見せ物にしているようである。

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 ラクダが大量の荷物を運んでいた。

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 2回目のタージマハル訪問。

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 マツゥーラでは、聖なる川にボートで漕ぎ出す。

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猿も見かけた。

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 切り絵をたくさん買った。

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 このおじさんが作る、素焼きの小壺で飲むチャイは、格別においしかった。

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 きれいな夕陽を見ながらの帰り道。インドの夕陽は、旧満州に負けず劣らずだ。

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 夜はいつものように、お寺の前のマーケットで、おじさんのジュースをいただく。もう、行きつけのお店となっている。

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posted by genjiito at 23:07| Comment(0) | ◎国際交流

2019年07月05日

読書雑記(261)船戸与一『蝦夷地別件(中)』

 船戸与一の『蝦夷地別件(中)』(小学館文庫、2012年1月、651頁)を読み続けています。これは、全3冊の内の第2巻です。

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 世界的な視野で多民族の歴史と独立の問題を扱った長編なので、物語の展開を追うのも大変です。巻頭に登場人物44人の一覧と地図があります。しかし、カタカナ名前が苦手な私には、アイヌの人々の名前となるとさらに覚えられません。それでも、興味深い展開と描写に引かれて、快調に読み進んでいます。

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 「BOOK」データベースからその紹介文を引いて、物語の流れを押さえておきます。

長く患っていた惣長人サンキチが、和人からもらった薬を飲んだ直後に亡くなった。惣長人は殺されたとして、和人との戦いを叫ぶ声が一気に高まり、鉄砲がなければ戦うべきではないとする脇長人ツキノエの主張は次第に掻き消されがちになっていく。その頃、鉄砲の調達に奔走していたマホウスキは、ロシアの地で獄中に繋がれていた。ミントレをはじめ、マメキリ、ツキノエの息子セツハヤフら若者たちは、アイヌの蜂起を促す和人の動きもあって、ツキノエを択捉へ赴かせ、戦いの準備を始める。和人との戦いは、さまざまな対立を孕んで熱く燃えさかろうとしていた。


 物語は、ロシアでの暗殺や、蝦夷でのアイヌの動向に加えて、松前藩の蝦夷地統治の問題も浮き彫りになります。アイヌの蜂起は、和人との戦いです。その嵐の前の静けさに、月光が効果的に配されて物語を支えています。船戸の得意とする月光の設定です。
 和人と闘う決意を語る場面は、冷静な態度の中にも秘めた熱気が漲っています。これまで虐げられてきたアイヌの人たちの屈辱の想いが、溜まりに溜まっていたのです。我慢の限界を、不気味なほどに心の高まりを抑制しながら語ります。船戸の筆力を感じるところです。
 ハルナフリが、父セツハヤフの反乱を見守る役を負わされます。語り伝え、次に自分の時代が来たら立ち上がるための実地学習です。アイヌの和人たちへの憎しみが、地鳴りのような雷雨の中で、見事に活写されています。
 もう一つの話も展開します。場所は、ペテルブルク。ポチョムキン暗殺未遂に関して、マホウスキが厳しい取り調べを受けます。マホウスキは、300丁の鉄砲を調達する画策をしていた人物です。その背後にある政治的な動きが、ロシア当局の逆鱗に触れていたのです。
 遠く東の果ての小さな国の内乱を意識しながら、ヨーロッパでの権力闘争が語られていきます。まったく別次元の話のように思われることが、次第に連環していくところに、ダイナミックでワールドワイドな歴史のおもしろさを堪能できます。
 国後や択捉だけでなく、目梨に広がる、憎い和人を殺して一掃する話が展開します。そんな中で、アイヌ同士が仲間内で互いに憎み合う闘いも進行していきます。人が心を一つにして行動することの難しさと、個人の思惑、そして揺れ動く人間の心の問題が、丹念に描かれています。そうこうするうちに、裏切り者も出てきます。具体的な闘いに対する姿勢から、思いを統一することの難しさがえぐられています。中巻は、後半になるにしたがって盛り上がって来ます。ジッと読み耽りました。【4】
 
 
 
posted by genjiito at 19:03| Comment(0) | ■読書雑記

2019年07月04日

読書雑記(260)平山郁夫『生かされて、生きる』

 『生かされて、生きる』(平山郁夫、角川文庫、平成8年11月)を読みました。

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 井上靖やシルクロードへの興味から知ったこともあり、好きな画家の一人です。長く奈良に住んでいたので、仏教伝来をテーマとする一連の絵には、平安とは違う親近感を持っています。
 これまでに書いたブログでは、「平山郁夫の「大唐西域壁画」」(2011年02月12日)が最も詳しく紹介しています。

 「自分の型」を持つことと、「自分の世界」を摑むことが、著者の課題だったと言います。そして、「自分の世界」を摑むことが先だと決心し、画家の道を歩み出すのでした。
 自分の物の見方や考え方を、一つずつ確認しながら語っています。私の耳元で、優しく語ってくださっているかのように思いながら、耳を傾けるようにして読みました。
 一枚の絵の中には、描き手である画家の文化や人や物に対する想いが込められている、ということに気付かされました。
 自分の役割について、次のように語ります。

 日本はこれまで西から東へと伝わってきた優れた文化の恩恵を被ってきた。今までの日本はあまりにも自己を語らない「顔のない国」だった。これからは自己の文化を勉強し、相手に語り、発信していくべきではないだろうか。そのための、いわばボランティァ組織的な機関が世界文化財機構である。
 私は絵を描き続けながら、この活動に余生の全てを捧げるつもりである。あの被爆で生き延び、生かされて、生きてきた私の、これは務めだと思っている。(112頁)


 15歳の時に広島で体験した原爆の話は、日本画家平山郁夫のその後の原点です。抑制された語り口が、読む者を引き込みます。
 奈良の薬師寺にある玄奘三蔵院の壁画は、ここでお茶会が催されることもあり、何度も見に行った親しみのある絵です。それだけ、その話がストレートに入ってきました。

 私はいま、玄奘三蔵の姿を描いている。
 奈良の薬師寺に完成した玄奘三蔵院の内陣の壁画と天井に、私は玄奘の功績を荘厳する絵を描くことになっている。
 薬師寺は法相宗に属するが、この開祖こそ中国唐の僧、玄奘三蔵である。三蔵法師の遺徳を称えるため、信者たちの写経勧進などによって玄奘三蔵院は建立されたのである。
 長方形のお堂のなかにある、十三面の壁画に三蔵法師の旅を描く。新聞紙で二百四十枚ほどになる天井には一面に星座を配し、壁面には玄奘が辛苦の旅で目にした風物を描こうと考えている。
 縦二メートル十五センチ、総延長五十メートルほどの壁画となり、既に大下図は描き終え、実制作も始めている。今世紀内に終わらせたい、と決意しており、これまでの百回を超えるシルクロードの旅のすべてをこの大壁画に注ぎ込みたい。
 考えてみれば、私はこの大壁画を描くために、仏教伝来の道を歩んできたのかもしれない。シルクロードを旅し始めたとき、このようなことは全く予想できなかったが、いま自分の人生を振り返ると、被爆して以来の私は、三蔵法師のお導きで画業人生をここまで続けてこられたのかもしれない。(117〜118頁)


 お人柄がよくあらわれていると思われる語り口で、非常に読みやすい文章です。
 なお、本文庫の186頁から188頁までの3頁分だけが、「楼蘭」と表記すべき箇所で「桜蘭」となっています。私は初版を読んだので、再版以降は補訂されているかと思います。
 本書刊行までの経緯は、巻末に次のように記されています。
本書は一九九二年七月、プレジデント社より刊行されたBOOK&VIDEOカミュ文庫「永遠の道」の「本」に加筆し、文庫化したものです。(226頁)

 
 
 
posted by genjiito at 20:37| Comment(0) | ■読書雑記

2019年07月03日

孫のお点前でお茶をいただく

 遊びに来た2歳2か月の孫が、お茶を点ててくれました。
 まずはお菓子を運びます。今日のお菓子は、三條若狭屋の「祇園ちご餅」です。今月から祇園祭の準備が始まりました。お稚児さんが振る舞ったといわれるこのお餅は、厄除けと招福で知られています。

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 4か月の次女も参加しています。

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 小さな手ながらも、一人前にお茶を点てています。おもしろいらしく、いつまでも茶筅をグルグルしていました。

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 茶碗と建水は、ルーマニアで見つけたものを使っています。
 
 
 
posted by genjiito at 23:27| Comment(0) | *美味礼賛

2019年07月02日

ご心配いただきありがとうございます

 本日の某紙朝刊の記事に関連して、多くの方々からお気遣いの連絡をいただいています。
 それが第1面のトップだったこともあり、ご心配をおかけしたようです。
 本日16時に記者会見があったようで、夕方以降のテレビのニュースでも報じられていたとのこと。
 私自身に関しては、今のところは今週に入ってから、特に何も影響がありません。
 いたって平穏に、ただひたすら前を見て、今日も山積する科研の用務をこなして帰って来たところです。
 取り急ぎのご報告といたします。
 
 
 
posted by genjiito at 19:24| Comment(0) | ◎情報社会

2019年07月01日

何もしない日(7月)

 今日は何もしない、何も考えない1日。

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 賀茂川散歩をした後、家で昨日お稽古した葉蓋のおさらいをしました。
 梶の葉は、白河疎水育ちの元気なものです。その上に水滴を落としても、水玉を作ることができませんでした。

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 今日のお茶は寺町二条の一保堂さん、お菓子はご近所の笹屋吉清さんと、地元でいただいたものです。笹屋吉清の保木さんは、平成25年度の京都府現代の名工(京都府優秀技能者表彰)に選ばれた方です。
 練習を兼ねて、妻を相手にした年寄りの趣味の時間です。未熟なお点前は、こうした贅沢な素材に助けてもらっています。
 
 
 

posted by genjiito at 20:18| Comment(0) | *身辺雑記