2019年06月30日

大雨の中を大和平群でお茶のお稽古

 連日の天候不順で、昨夜から雨が降り続いていました。お昼前に少し雨脚が緩んだのを機に、お茶のお稽古に出かけました。
 2時間ほど南に下った奈良は、なんと意表を突かれて予想外の大雨でした。龍田川も濁流が押し寄せています。

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 背中も腕も裾もびしょ濡れです。ひ弱な私が風邪を引かないかと心配してくださった先生は、ズボンと羽織るシャツを貸してくださいました。今日は、リラックスしてのお稽古です。

 あらかじめ、葉蓋のお稽古をお願いしていました。前回は洗い茶巾だったので、夏の定番の特訓です。
 里芋の葉を水差しの蓋として被せ、その葉の上に水滴を垂らします。見た目にも、涼しそうなお点前です。これまでは、梶の葉や蓮の葉を使っていました。いろいろなパターンを教えていただいています。
 細かいことでは問題はあるものの、今日はいつもより滑らかに手も足も動いていたように思います。あまり頭の中がごじゃごじゃしなかったので、それなりに身体が覚えてきているのでしょう。
 今年の夏は、洗い茶巾と葉蓋でお客様をお迎えできるようにすることを、一つの目標にします。

 帰る頃にはすっかり雨も上がり、道路も乾いていました。干していただいた服も、おかげさまですっかり乾いています。革靴は雨を含んで重たく、身体に雨を浴びたこともあり、大和平群のかんぽの湯に入って気分一新です。

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 雨上がりのためか、南を望むと二上山と葛城山は雲に覆われています。

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 ロビーでは、七夕の飾りが迎えてくれました。いろいろな願いが書いてあります。楽しい出迎えです。

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 今春4月末から露天風呂ができてお風呂は新装となり、気持ちのいい温泉気分に浸れます。
 いい気分転換となりました。
 
 
 
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2019年06月29日

紫風庵で三十六歌仙と源氏物語の変体仮名を読む(第2回)

 大徳寺に近い「紫風庵」で、「源氏物語と三十六歌仙の写本を変体仮名で読む会」の第2回となる学習会を開催しました。主催はNPO法人〈源氏物語電子資料館〉で、参加者は10名でした。

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 今日は、襖に貼られた三十六歌仙の絵と和歌を見る前に、架蔵の粉本(模本)『探幽筆 三拾六哥仙』を見てもらいました。「紫風庵」の三十六歌仙の絵と図様が近いことを、実物を前にして確認するためです。

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 歌仙の姿は言うまでもなく、表情までもが「紫風庵」の歌仙絵とよく似ていることがわかります。架蔵本については、「架蔵『探幽筆 三拾六哥仙』の復元」に詳しく紹介しています。
 ということで、この「紫風庵」の絵は狩野派の絵に近いと考えていいかと思います。もちろん、すべての絵が一致するとは限りません。このことは、今後ともおいおい確認していきます。

 先月から始まった第1回の勉強会の成果は、「紫風庵で三十六歌仙と源氏物語の変体仮名を読む」(2019年05月25日)にまとめて報告した通りです。ただし、そこでの翻字は漢字の表記を特定していないなど、正確な「変体仮名翻字版」ではありませんでした。ここにあらためて補訂したものを掲載します。

◎《1左上》
■伊勢
(三輪の山 いかに待ち見む 年ふとも 尋ぬる人も あらじと思へば)
                      (古今和歌集 恋歌5)
   右 伊勢
  見わの【山】
     い可尓 【待】三む
       【年】婦とも
  阿羅し     多つぬ類【人】
    登         も
    おもへ者
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
◎《1左中》
■大伴家持
(春の野に あさる雉の 妻恋ひに 己がありかを 人に知れつつ)
                      (拾遺和歌集・21)
   左 中納言家持
  【春】能【野】尓あさる
     きゝ須の【妻恋】
  【人】       尓
    耳 をの可【有】
   志れ      可を
     筒
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
◎《1中下》
■山辺赤人
(和歌の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ 芦辺をさして 鶴鳴き渡る)
                        (万葉集・919)
   右 山部赤人
  【和歌】能うら尓【塩】
    三ちくれ八か多お
   多つ【鳴】  な三
      わ多 あしへ
        流  を
          佐し
            帝


 今日は、前回の復習を兼ねて、この3首の仮名文字の確認から始めました。

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 続いて、本日確認する、人丸・貫之・躬恒の和歌を字母に気をつけて読みました。

 ◎《1右上》
■柿本人麿
(ほのぼのと 明石の浦の 朝霧に 島がくれ行く 舟をしぞ思ふ)
                     (古今和歌集 羇旅)
  左  柿本人丸
 本の/\登【明石】の
 【浦】農【朝霧】尓志満
 かく連【行】【舟】越し所
 おも婦

 ◎《2左中》
■紀貫之
(桜ちる このした風は 寒からで 空にしられぬ 雪ぞふりける)
                      (拾遺和歌集・64)
  右 紀貫之
【桜】ちる【木】能し堂
 閑勢盤【寒】可ら帝
 【空】尓し羅れ怒
 【雪】所ふり介る

 ◎《1右下》
■凡河内躬恒
(いづくとも 春の光は 分かなくに まだみ吉野の 山は雪降る)
                      (後撰和歌集・19)
  左 凡河内躬恒
 い徒くとも【春】能ひ可り八
   王可なくにま多
遊起     三よしのゝ
 婦る       やま
           八


 歌仙絵と和歌が2つの襖に分かれている意味が、まだよくわかりません。さらには、公任の『三十六人撰』は人丸から中務までの配列になっており、今回見た「人丸・貫之・躬恒」、そして前回の「伊勢・家持・赤人」の6人は、公任の配列と同じです。つまり、縦の列は一致するのです。それが、右から左に並んでいるのはいいとして、その最初の歌人である人丸が襖の中途半端なところから貼られていることには、どのような意味があるのかが、今後の課題です。最初は画帖に貼られていたものが、屏風から襖に貼り直されたのではないか、と個人的には思っています。その際、貼る順番が混乱したために、最初の人丸がこのような所に置かれたのではないでしょうか。これは、これから1枚ずつ確認していく中で、いろいろとわかってくることでしょう。

 続いて、ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「須磨」を読みました。今日は、11丁裏の8行目「をの徒可ら・」からです。今日は、初めてこの勉強会に参加なさる方が3人いらっしゃったので、ポイントと興味深い例をピックアップして、字母の説明をしながら進めました。そのせいもあってか、話が飛び飛びになり、いつもより早く進んでしまいました。12丁裏に入ってからも、「堂」「者」「王」に加えて「ミセケチ」や「ナゾリ」のことも説明したので、盛りだくさんになりました。すみません。わかりやすいようにと意識しすぎて、かえって混乱させてしまったようです。次回では復習しながら、再確認をしていきます。
 結局、12丁裏の3行目「【心】あ者多ゝ新き・あな・」まで進みました。「あな」の「な」という文字がひしゃげた形をしているのは、糸罫を使っているためであるという説明も、この次に詳しくとりあげます。
 次回は、7月20日(土)午後2時から、今日と同じ「紫風庵」で行ないます。
 あらかじめ連絡をいただければ、資料を用意してお待ちしています。旅行中の方が立ち寄ってくださっても構いません。お気軽にどうぞ。
 
 
 
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2019年06月28日

市役所にNPO法人の事業報告書を無事に提出

 NPO法人の事業報告書は、来週の7月1日(月)が締め切りです。
 今週は、その作成にかかりきりでした。書類作成などの事務的な仕事が大の苦手な私は、毎年のことながら年に一度ということもあって、悪戦苦闘の日々となります。今回も、総会に引き続き事務的なことで手助けをしてもらっている運営メンバーの理解を得て、なんとか無事に報告書を提出し、受理してもらいました。
 今回も、ここまでにはいろいろと手違いなどがあり、今日のお昼過ぎの時点では今週中の提出を諦めていました。しかし、東京の淺川さんとの連携が信じられないほどにうまく行き、大得意の電光石火の早業がものの見事に功を奏した結果、予定通りに事が運びました。毎度のことながら、市役所の担当者の方をはじめとして、みなさまに感謝感謝の1日でした。
 無事に提出したとはいえ、次の3つの課題が指摘されました。これらは、今回の報告書の期限とは別だとはいえ、できる限り早く対処すべきものです。これから大至急取り組みます。

(その1)2人の役員に住所変更があったので、「役員変更等届出書」(1通)と「年間役員名簿」(2通)を提出すること。

(その2)「活動計算書」に1箇所だけ前年度と矛盾する金額の記載があるので、後日修正をすること。

(その3)平成28年に、「特定非営利活動促進法」(NPO法)が改正されました。それに伴い、特定非営利活動法人〈源氏物語電子資料館〉でも、現行定款の公告の方法とは別に「貸借対照表」の公告方法を変更する方が利点の多いことを、京都市文化市民局地域自治推進室市民活動支援担当の方から教えていただきました。そして、現行の定款を変更する方法等のアドバイスを受けました。お話を伺い、現行定款の「第9章 公告の方法」にある「第 53 条 この法人の公告は、この法人の掲示場に掲示するとともに、官報に掲載して行う。」に関して次の文言を追記することにより、定款の変更とすることにします。

ただし、法第28条の2第1項に規定する貸借対照表の公告については、ホームページに掲載して行う。


 その新しい定款を総会に諮り、決議を経ることになります。今月初旬に「第7回 通常総会」を開催したすぐ後で恐縮ながら、今秋にでも臨時総会を開催することにします。
 そして、「定款変更届出書」の次の項目には、それぞれ次の文言を記入することになります。

「変更年月日」=総会で承認された日
「変更の理由」=「特定非営利活動法人法の改正により、貸借対照表の公告方法を変更したため。


 この届出にあたっては、総会の議事録の謄本1部と、変更後の定款2部を提出することになっているそうです。
 特定非営利活動法人〈源氏物語電子資料館〉の運営に関わっておられるみなさま、及び会員のみなさまの、これまでと変わらぬご理解とご協力を、どうぞよろしくお願いいたします。
 この場をお借りして、活動報告と今後の予定をお知らせしました。

 今回も、市役所内にある京都市文化市民局地域自治推進室市民活動支援担当の部署の方には、丁寧でわかりやすい対応をしていただきました。おかげさまで法律に疎い私にも、今すべきことがよくわかりました。この法人を設立する時から、市役所のこの窓口の担当者の方々は、とにかく親切に接してくださいました。以来、毎年ギリギリになって書類を持ち込み、細かなミスの多い紙面であっても丹念に点検していただき、問題のない報告書にしていただいています。本来なら、○○書士と言われる方々の助けを借りるところかと思われます。しかし、普通の会社とは違い、こうしたことにも経済的な負担が大きいNPO法人の実態をよくご存知ということもあり、こうして懇切丁寧な対応をしていただけるのです。
 今回の公告の方法についても、いただいたプリントには、以下のように気遣いがなされた文章が記されています。法律の文言と実態を、柔軟な姿勢で整合性をとろうとしておられるように思います。

現在、公告の方法については「この法人の公告は、この法人の掲示場に掲示するとともに、官報に掲載して行う。」と定款で定めている法人が多いですが、官報で貸借対照表を公告することは、掲載費用や手続き面で法人の負担が大きいため、定款変更により別の方法を定めることをおすすめしております。


 市役所に足を運ぶたびにこの窓口の職員の方々には、NPO活動を支援して文化の活性化を手助けする、という心意気が感じられます。それが、今回もアドバイスという形で助けられました。ありがたいことです。お堅い市役所の窓口ではなかったことに、感謝しています。
 それに引き替えすぐそばの法務局は、とは言わないでおきます。次の記事が、その最たるものです。
 「法務局のミスで市役所への登記完了届出書が不受理になりました」(2013年02月19日)
 これまでに、法務局の対応ぶりについてはさんざん不平不満を記しているので、ここでは市役所と較べる対象にはしないでおきます。気持ちよく日々を送ることを最優先とします。幸い、今回はこの後に法務局へ出向く必要はなさそうです。
 
 
 
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2019年06月27日

2002年春にインドで書いた未公開日記(その15/第10週)

 2002年にインドのデリー大学に客員教授として赴任していた時の、大学での様子や、インドでの日常生活をあるがままに記した日録の公開です。
 ここでは「第10週 03/10〜03/16」の出来事を扱います。すでにクラッシュしたままのホームページでも、「第8週」以降は未公開のままだった部分です。メモを元にして、適宜インドでのことを思い出しながら、再現しています。
 今回は、3月12日のメモを復元しました。

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■2002.3.12■



 しばらくホームページの更新をしていない。明日で、大学院の一年生の授業は最後である。みんなに書いてもらった作文を今日中にインターネットに公開しないと、みんなに見てもらう機会がなくなる。がんばって、一日中ホームページ作りに専念する。今回は、ノートパソコンと小型プリンタを持参した。停電が多い中でも、何とか動いているので助かっている。

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 E1さんは、先週末に電子メールで作文を送ってくれていたので、その整理から始めた。なかなかいいできである。少し手を入れて、完成。レイアウトも、うまくいっている。その他の女性の作文を、順番に入力していく。いろいろな書き方をされていて、手をいれるのに手間取る。すこしでも日本語らしい表現にして公開してあげるために、大幅に手を加えるものもあった。
 文章を読みながら、相当想像力を逞しくしないと趣旨が理解できないものがある。易しい表現にする中で、いろいろなパターンの作文に仕上げた。このできあがりと、自分が書いた原稿を見比べれば、作文の書き方がよくわかるのではないだろうか。可能な限り学生の文体を生かすようにしたので、どうしてもこなれていない表現が残っている。しかし、これも一つの味として見てもらうこととしよう。
 男性2人の作文は、以前K3で直しながら入力してくれていたものがあったので、それを使うことにした。
 自分の日記も、整理する。

 ホームページなどで使用するために、必要な写真を急遽撮影する。
 例えば、今回持参した食料はこんなものがある。

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 深夜、ホームページをアップデートする。

 
 
 
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2019年06月26日

アレッ!と思う時〈その8〉不便に感じること

(1)新幹線で、スマホなどの充電をするために、足元にあるコンセントを使います。その位置がとんでもない所にあるのです。下すぎるのです。おまけに、暗くて見えにくいのです。さらには、なかなか充電器の差込口が合いません。必ずといっていいほど、メガネが必要です。しかも、座席の下に頭を潜り込ませるので、見られたくない姿を人目に晒さざるを得ません。隣に人がいる時は、諦めることにしています。色の識別なり、形状を工夫して、さっとコンセントが使えるようにしてほしいものです。最前列や最後列か、グリーン車に乗れば楽ですよ、という問題ではないと思います。設計者は、当然のことながら、早くから気付いておられることでしょう。利用者に苦痛を強いないように、一日も早い対処をお願いします。


(2)いろいろな系統のバスを便利に利用できる場所で生活をしていると、さまざまなことがあります。今日は、乗った後で、このバスはどこ行きだったのか不安になりました。車内を見回しても、どこ行きかという表示がありません。これは意外でした。キョロキョロして、不審に思われる前に諦めました。車外の前と横には、何系統かという番号や記号が表示されていることはわかっています。しかし、窓を開けて、首を伸ばして確認するわけにもいきません。いくつかバス停を過ぎた頃、大きな液晶モニタに、これから止まるバス停が縦にズラリと6停留場分が表示されました。そこには、今乗っているバスの路線番号が右上に小さく表示されています。眼鏡越しに確認し、やっと安心できました。どこ行きなのかだけでも、表示かアナウンスがほしいものです。観光客の方々は、どのようにして確認しておられるのでしょうか。


(3)最近、レジでの支払いに電子マネーかクレジットカードで済ますことがほとんどになりました。そんな中で、現金のみというお店に出くわすと、現金を財布から探すのが面倒に感じられます。もし現金を持ち合わせていなかったらどうなるのかと思うと、精算の時にヒヤリとします。四条河原町のマルイの上にある回転寿司屋さんは、観光客が多く出入りする地域なのに現金しか受け取ってもらえません。あえてカードが使えない精算方法にしているのは、何か深い理由があることでしょう。しかし、これはこれで驚きです。街中の自動販売機も、コインや紙幣を投入することがなくなりました。たまにカードが使えないと、不便に感じます。このカード化の傾向は、今後とも加速することでしょう。そして、新たな不便が発生することでしょう。


(4)電車内からメールを送ったはずが、勝手に鉄道会社のWi-fiにスマホがアクセスしていて、手続き待ちのままのことがよくあります。送ったはずのメールが、未送信のままなのです。大急ぎでWi-fiを切って、送信し直します。街中でも、勝手にWi-fiにつながらないように神経を使います。出かける時にはWi-fiを切る、という本末転倒で愚かなことを強いられています。今日も、阪急電車に乗るが早いか、Wi-fiを切りました。新幹線でも、30分するとつなぎ直しをさせられます。東京に着くまでに、何度も再接続の操作をさせられるので、Wi-fiに頼らずにスマホ単独でネットにつなげています。こんな未成熟なインフラは、そろそろ抜本的に再構築したらどうでしょうか。私は、1日も早くインターネットを見限るべきだと思っています。


(5)日々、ものが見えにくくなり、何かと不便に感じています。これも、加齢のせいです。そこで、目薬が手放せません。その目薬が、あと数回分と少なくなってくると、目にさそうとして下に向けると、ポタポタと液体が顔に落ちてきます。メーカー側は、目薬がこんな状態になることに気付いているはずです。しかし、最後まで使う人はほとんどいないと思っておられるのでしょうか。我慢しろ、ということでしょうか。もったいない上に、顔を拭く手間がかかります。残っていても捨てることになるのは、何とかしてほしいものです。
 
 
 
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2019年06月25日

「源氏物語と三十六歌仙を変体仮名で読む会」(第2回)のお知らせ

 本日、6月25日(火)の京都新聞「まちかど」欄に、次の案内記事が掲載されました。

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 読む会の会場は、今回も前回同様に登録有形文化財の「紫風庵」です。

 今回は、先月の初回を受けて、まず「三十六歌仙」の和歌を確認します。
 前回は、部屋の左奥にある襖の中央と左側に書かれた「伊勢」「家持」「赤人」の和歌を、字母に注意しながら丹念に読みました。その詳細な報告は、「紫風庵で三十六歌仙と源氏物語の変体仮名を読む」(2019年05月25日)を参照願います。

 今回は、その襖の右側と奥から2つ目の襖の左側に書かれている「人丸」「貫之」「躬恒」の3首を、変体仮名に気をつけながら読みます。絵と和歌が2つの襖に跨がって貼られているので、閉めてしまうと2首が見えなくなります。

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 寛弘6年(1009)頃に藤原公任が選出して結番した『三十六人撰』は、人丸→貫之→躬恒→伊勢→家持→赤人と続くので、この「紫風庵」の襖の貼り方ではその順番がおかしいことになります。作者の配列は、上から下へ、右から左へと流れているので、今回の「人丸」に始まり、前回の「赤人」までの6人分が一塊になっていたものと思われます。しかも、一番右端の襖がその定位置だと思われます。現在の順番とは逆です。

 この江戸時代に描かれた三十六歌仙については、その絵が貼られた襖がある部屋で、しかも間近に見ながら、一文字ずつを解読していきます。「紫風庵」に所蔵されている「三十六歌仙」の詳しいことは、「京洛逍遥(538)登録有形文化財「紫風庵」の三十六歌仙絵」(2019年04月13日)(http://genjiito.sblo.jp/article/185856865.html)をご覧ください。

 1年かけて、この三十六歌仙に取り組む予定です。
 歌仙の歌を確認した後に、ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「須磨」を読みます。
 ぜひこの機会に、生きた古典と接する得難い体験の場としてください。初心者を意識して、丁寧に変体仮名を読むコツなどを説明します。
 参加を希望される方は、このブログのコメント欄をご利用ください。折り返し、説明の返信を差し上げます。
 なお、この学習会は、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉が主催する企画です。小規模ながら、地道に気長に活動を続けています。
 『源氏物語』ともども、「三十六歌仙」という古典文学作品を生で鑑賞し、そこに書かれた文字を忠実に翻字していくことに興味をお持ちの方の参加をお待ちしています。
 会場である「紫風庵」への道順などは、上記ブログに詳しく掲載していますので、参考になさってください。
 
 
 
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2019年06月24日

京洛逍遥(557)洛陽三十三所の再興に関する資料発見

 今日の京都新聞第一面に「洛陽三十三所」に関する貴重な資料が見つかった、とのニュースが掲載されています。昨日、西国三十三所第19番札所の革堂のことを書いたばかりだったので、それに引き出されたかのような嬉しい知らせとなりました。こうして、洛陽三十三所のことが少しずつ明らかになっていきます。
 洛陽三十三所は、京都の観音霊場をめぐるものです。その中の清水寺で、江戸時代の「寛文五年」と記された巡礼札が見つかったのです。記事には、次のようにあります。

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 洛陽三十三所は平安時代末期ごろにはあった西国三十三所を参考にして札所を京都の寺院に限り、室町時代には巡礼が行われていたとされる。応仁・文明の乱(1467〜77年)で途絶えたが、寛文5(1665)年、霊元天皇の勅願で三十三所が定められて再興したとされる。(日山正紀)


 この札の中の1枚に「寛文五歳巳七月吉日」とあり、洛陽三十三所が江戸時代の寛文五年に霊元天皇の勅願で再興された、とされていたことが証明された、ということです。
 今回見つかった巡礼札は、7月29日から京都文化博物館の展覧会「洛陽三十三所展」で展示されます。

 なお、この洛陽三十三所に関しては、以下の19の霊場をめぐったところです。満願までは道半ばを過ぎたばかり。西国三十三所の観音めぐり(第6巡目)を始めるのをいい機会として、この洛陽三十三所も残された14のお寺を、一つずつ参拝したいと思います。

■本ブログの洛陽三十三所の記事一覧■
  (2019/06/24現在)

「京洛逍遥(555)洛陽三十三所(20)泉涌寺」(2019年05月19日)

「京洛逍遥(554)洛陽三十三所(18)善能寺」(2019年05月18日)

「京洛逍遥(552)洛陽三十三所(19)今熊野観音寺」(2019年05月15日)

「京洛逍遥(551)洛陽三十三所(25)法音院」(2019年05月14日)

「京洛逍遥(550)洛陽三十三所(21)法性寺」(2019年05月13日)

「京洛逍遥(549)洛陽三十三所(16)仲源寺」(2019年05月06日)

「京洛逍遥(490)洛陽三十三所(29)福勝寺」(2018年05月08日)

「京洛逍遥(489)洛陽三十三所(33)清和院」(2018年05月07日)

「京洛逍遥(488)洛陽三十三所(30)椿寺 地蔵院」(2018年05月05日)

「京洛逍遥(478)洛陽三十三所(5)新長谷寺(真如堂)」(2017年11月29日)

「京洛逍遥(466)洛陽三十三所(9)青龍寺」(2017年09月20日)

「京洛逍遥(465)洛陽三十三所(4)革堂行願寺」(2017年09月19日)

「京洛逍遥(464)洛陽三十三所(3)護浄院 清荒神」(2017年09月11日)

「京洛逍遥(462)洛陽三十三所(2)新京極 誓願寺」(2017年09月05日)

「京洛逍遥(461)洛陽三十三所(1)六角堂頂法寺」(2017年09月04日)

「京洛逍遥(460)洛陽三十三所(28)壬生寺」(2017年09月03日)

「京洛逍遙(125)洛陽三十三所(31)東向観音寺」(2010年03月01日)

「京洛逍遙(122)洛陽三十三所(8)大蓮寺」(2010年02月26日)

「京洛逍遙(114)洛陽三十三所(6)金戒光明寺」(2009年12月06日)

 
 
 
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2019年06月23日

京洛逍遥(556)革堂を「かうだう」と仮名書きすること

 京都五山の内でも大文字の送り火は、毎年の夏の楽しみとしてお迎えしています。その如意ヶ岳の「大」の文字は、まだ2ヶ月も先のことでもあり、松明を置き並べる準備に入っていません。

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 今年は、どのような文字を見せてくれるのでしょうか。文字の中心に火が着いてから消えゆくまでのドラマは、ゆったりとした時の流れに身を任せ、日ごろは感じない思いで炎の明滅を見つめます。いつもとは違う豊かな10分ほどの時間を、また体験できることを今から楽しみにしています。

 散策の途中で丸太町から寺町通りを下り、西国三十三所の第19番札所である革堂(行願寺)に立ち寄りました。

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 今月から、また西国三十三所の観音巡りを始めることにしたからです。今回で6巡目です。
 最初は亡父のために母と一緒に、2巡目は秋田の義母と、3巡目は娘のために、4巡目は亡母のために、5巡目は癌から命拾いをした自分のために回りました。今回は妻と一緒に、これからの稔り多い老後の無事を祈念しての巡拝にします。これまでの5回のことは、「西国三十三所(1)5周目は石山寺から」(2010年07月19日)にその経緯を書いていますので、ご笑覧いただけると幸いです。

 さて、ご朱印を何に書いていただくかが、今回のさしあたっての問題です。軸装、額装に加えて、御詠歌のご朱印も満願となりました。次は、これまで持ち回っていなかったアイテムに朱印をいただこうと思っています。そのこともあり、近くの革堂に立ち寄り、どのようなものがあるのかを見に行ったのです。受け付けでお尋ねしたところ、この革堂には朱印帖以外は置いていないとのことでした。今回集印をするアイテムが決まってから、本格的に第6巡目をスタートしようと思っています。

 この革堂の入口脇に、大きく「こうどう」と記した標識が目を引きます。その横に、「一条かうだう」と刻んだ石柱がありました。

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 変体仮名の講座の折に、「堂」を「た」と読むという説明をします。その時、「お堂」の「堂」を「たう」と読んでいたからです、と言い添えます。これでは、どうもピンと来ないようだったので、これからはこの石柱の「だう」という平仮名表記をスクリーンに映すことにします。

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 現在、革堂では境内で蓮祭りが行なわれています。みごとな蓮を見ながら、何かと気忙しさの中で気鬱な思いをする日々だったので、大いに気分が晴れやかになりました。これまで何気なく見ていた蓮が、気分をリフレッシュしてくれる花であることに、あらためて思いを新たにしました。
 
 
 
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2019年06月22日

吉行淳之介濫読(21)『女の決闘』

 「吉行淳之介傑作小説選集(全4冊)」の一冊として刊行された『女の決闘』(吉行淳之介、文理書院ドリーム出版、昭和42年(1967)12月、挿し絵は野田弘志)を読みました。

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 いくつか刊行されている中でこの本を読むことにしたのは、挿し絵があったからです。ここにあげた書影は、あるいは本来は別のカバーがあったかも知れません。確認は後日とします。
 本作については、別に新書版の『女の決闘』〈コンパクト・ブックス〉(集英社、昭和46年(1971)4月)が手元にあります。

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 また、『東都書房創業十周年記念出版 吉行淳之介集 現代文学15』(昭和41(1966)年9月)に収録された『女の決闘』も持っています。共に、本文は今回読んだものと同じです。
 なお、後述するように、『女の決闘』の改稿版である『赤と紫』(角川文庫、昭和49年(1974)7月)もあります。

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 これは、『女の決闘』の本文を、少し刈り込んだものです。吉行としては、この『赤と紫』を決定稿としたかったようです。本作品の来歴を知るために、『赤と紫』(角川文庫、昭和49年7月)の巻末に置かれた著者による「あとがき」を引きます。

 この作品は、昭和三十八年に「赤と紫」という題で地方新聞に連載したものである。そのときにはまったく連想がなかったのだが、「赤と黒」という名作のあることに気が付いたので、単行本にするとき「女の決闘」という書名にした。しかし、そういうこだわり方もおかしなものなので、今回また原題に戻した。
 この作品の中に霊感少女の問題が出てきて、彩りというよりももう少し重い役割をしている。昭和四十八年にこういう霊感とか念力の問題がクローズ・アップされてきたので、そういう点に興味をもつ読者もいるかもしれない。
 かなり以前の作品だが、美容整形の問題とか、そのほかの問題もますます進行しているものなので、古くなっていないところが取柄といえるだろう。なお、文庫にするにあたって大幅に改稿した。(374頁)


 ここで、吉行は「文庫にするにあたって大幅に改稿した。」と言います。しかし、私が本文の異同を調べた限りでは、後に記すように、「大幅」と言うほどの改変ではありません。『星と月は天の穴』を例にして、その改変の跡を提示した記事、「吉行淳之介濫読(17)未発表原稿が見つかったこと」(2016年06月09日)を参照願えれば、吉行が手を入れることで様変わりする一端が、実感してもらえるかと思います。

 さて、整形手術をしてテレビスタアへの道を歩みだした江里子。妹の路子は姉を羨ましく見ています。その江里子は、3年前まではアンナと名乗るコールガールだったのです。自分の素性が知られはしないかと、江里子の胸は騒ぎます。
 ミステリー仕立てで、ぐんぐんと読ませてくれました。ドンファンやプレイボーイの飄々とした話とは違う世界が展開するのです。
 かつてのコールガール仲間だったユカリは、その江里子を揺さぶり動揺させ、貶めていくことに快感を覚えるようになります。テレビドラマの主役として江里子がコールガールに扮するすることになってからは、さらにさまざまな思いが錯綜します。
 そんな中で、光姫とみよ子の予言話のくだりは退屈でした。作者が2つの話を並走させた意図がよくわかりません。大人の世界と子供の世界が交流するのです。その前段階において、前が見えない展開なのでおもしろくないのです。
 しかし、後半に入ると、江里子と対をなすもう一つのみよ子の予言話が推理仕立てでおもしろくなります。二本立てで進行する構成が功を奏したことになります。ただし、最後までわたしにはこの設定がよくわかりませんでした。
 整形手術によって、林江里子と路子姉妹は人生が大きく変わり、ついには姉妹が入れ替わるという、おもしろい設定が後半で楽しめました。男女ではなくて姉妹の入れ替わりは、これまでにもありました。この作品も、そうした種類の一つに加えましょう。周りの混乱が、話をいや増しにおもしろくします。
 この姉妹を「赤と紫」に例える場面が、「第二十一章 林江里子」にあります。

「ぼくも、そうおもう。光姫が赤とすれば、みよ子は紫といえる。赤は三原色の一つで、まじりっけのない色だ。赤に混ぜものをすると紫になる。みよ子もたしかに才能はある。しかし、まじりもののある才能だ。赤には勝てない。光姫は天才とすれば、みよ子は秀才というところだな」(232頁、上段)
(中略)
「赤と紫、ね。おもしろいたとえだわ。先生、姉とわたしでは、どちらが赤でどちらが紫かしら」
「それは、はっきりしている。この前までは、江里子くんが紫できみが赤だったが、今はその逆だ」
「いまは、わたしが紫ですか」
「なぜなら、きみは今、まじりっけがあるからね、整形手術を受けて、鼻のあたりに混じりっけができた」(232頁、下段)
◎「才能だ。」→『赤と紫』「才能なんだ。」(232頁、上段)


 吉行が後に手を入れた改稿版『赤と紫』(角川文庫)が、どうやら本作の決定稿のようです。
 本作は小説家吉行を知るのに好例になると思います。カットされたのは、新聞の連載小説のために、つなぎの役割を果たす部分があげられます。また、「筝曲教授の家」と「同性愛者」と「復讐」を語る一章は、ごっそりと削除しています。これは、関係者への配慮ではないか、と思っています。さらには、作者が解説しすぎたと思い、後に手を入れてカットしたものもあります。特に、一章まるごと削除しているところは、検証すべき問題を孕んでいます。吉行の小説作法を知ることができるからです。これらは、またいずれ、ということにしておきます。【4】

私注:目次構成の異同

 『女の決闘』目次   →『赤と紫』目次
 第一章 顔      → 第一章 同(ただし冒頭の2文が入れ替わっている)
 第二章 食卓の光景  → ナシ(前章に組み込む)
 第三章 光姫     → 第二章 同
 第四章 黒い点    → 第三章 同
 第五章 晩飯会    → 第四章 同
 第六章 山川みよ子  → 第五章 同
 第七章 酒場にて   → 第六章 同
 第八章 買った話   → ナシ(前章最後の「コールガールという役を与えられたときの江里子の内心の動揺。」から5行分カットに加え、この章もカット)
 第九章 光と影    → 第七章 同
 第十章 霊感について → 第八章 同
 第十一章 食味通信  → 第九章 同
 第十二章 危険な日々 → 第十章 同(本章末尾「でもみよ子さんの実力って、信用できるの。」から3行分カット)
 第十三章 変化    → 第十一章 同(本章冒頭の10行分の、作者が顔を出して誘拐の経緯を語る部分を3行に縮約)
 第十四章 足を引張る → 第十二章 同
 第十五章 女の決闘  → 第十三章 同
 第十六章 日暮どき  → 第十四章 同
 第十七章 姉妹    → 第十五章 同
 第十八章 揺れ動く  → 第十六章 同
 第十九章 勝負    → 第十七章 同
 第二十章 二つの顔  → 第十八章 同
 第二十一章 林江里子 → 第十九章 同
 第二十二章 新しい巣 → 第二十章 同


※初出誌︰「赤と紫」(昭和38年2月23日〜10月2日、連載220回、中国新聞他6紙、後に『女の決闘』と改題、それをさらに昭和49年の文庫収録にあたり大幅に改稿して原題の『赤と紫』として刊行)

※刊行情報(全集及び選集は未確認のものが多い)
・『女の決闘』(桃源社、昭和39年(1964)年4月)
・『女の決闘』〈ポピュラー・ブックス〉(桃源社、昭和41年(1966)年7月)
・『女の決闘』(『東都書房創業十周年記念出版 吉行淳之介集 現代文学15』収録、昭和41(1966)年9月)
☆『女の決闘』(文理書院ドリーム出版、昭和42年(1967)12月)[『吉行淳之介全集 第15巻』所収の「著書目録」に未記載]
・『女の決闘』(東方社、昭和43年(1968)年11月)
・『女の決闘』〈コンパクト・ブックス〉(集英社、昭和46年(1971)4月)
・『女の決闘』(青樹社、昭和48年(1973)9月)
・『赤と紫』(角川文庫、昭和49年(1974)7月)


 
 
 
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2019年06月21日

読書雑記(259)梨木香歩『西の魔女が死んだ』

 『西の魔女が死んだ』(梨木香歩、平成13年8月、新潮文庫、平成27年2月88刷)を読みました。

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 西の魔女と呼んでいたおばあちゃんが、心臓発作で倒れたことから始まります。
 話は、すぐに2年前へ。主人公のまいが中学に入学した時にさかのぼります。
 まいは、苦痛しか与えない学校へは行かなくなります。そして、田舎のおばあちゃんのところで一緒に暮らすことになりました。車で1時間ほどのところです。
 まいは、おばあちゃんとの自然の中での生活を満喫します。そして、その自然の中から多くのことを日々学びます。素直におばあちゃんに接する姿が爽やかです。絵本の中のような世界が展開していきます。メルヘンタッチの、女の子が少しずつ成長する物語です。心のきれいな人たちばかりです。透明感のある語り口です。学校に行かないまいに対する周りの接し方について、次のようなやりとりがあります。

「何でパパはわたしが学校に行かないのか聞かないんだろう」
「ママは聞きましたか?」
「ううん。そういえばおばあちゃんも聞かなかったね」
「みんな、まいのことを信頼しているからでしょう。まいが行かないと言うからには、きっとそれなりの理由があるからだとみんな思っているんですよ」(158頁)


 おばあちゃんとまいとの会話は、澄んだ目で人を、社会を見つめているから成り立つやりとりです。
 死についての対話も、自然体です。物事を決めつけず、結論を焦りません。
 1つだけ、気になったことがあります。予想外の出来事があったのです。おばあちゃんの元を離れる時、まいが向かいの家のゲンジさんを悪し様に罵った時のことです。おばあちゃんは、まいの頬を打ったのです。

「わたしはそういうことに動揺せずに、平気になんか、絶対なれない。わたしはあの人を好きになんか、絶対なれない。あんな汚らしいやつ、もう、もう、死んでしまったらいいのに」
「まいっ」
 おばあちゃんは短く叫んでまいの頬を打った。瞬間の出来事だった。まいはあっけにとられた。それから涙がじわりとわいてきた。(170頁)


 この後、2人の間には次のやり取りがあります。おばあちゃんは、魔女は動揺してはいけない、と教え諭していたことが、この背景にあるのです。

「でも、おばあちゃんだって、わたしの言った言葉に動揺して反応したね」
 おばあちゃんはにやりと笑って片目をつぶった。
「そういうこともあります」(172頁)


 さらに、次のようにも言います。

 おばあちゃんのことを思うと、いつも胸が痛んだ。あのときゲンジさんのことをあんなにひどく言ったのは、自分でも止めようのなかった感情の「流出」だったとまいは今でも思う。(「流出」という言葉は最近本で覚えた。でも実生活で使ったことはないので、まだ自分の言葉という気がしていない)後悔も反省も今はまだするつもりはない。
 けれど、おばあちゃんにとっても、まいにああいう手荒なことをしたのは、やはり止めようのなかった感情の「流出」だったのではないだろうか。おばあちゃんだって、魔女である前に人間なのだ。まいは、おばあちゃんと離れてからそんなことを考えるようになった。(182頁)


 私には、おばあちゃんにまいの頬を打たせた作者の思いが、いまだによくわかりません。おばあちゃんが暴力に訴えたことは、一時の動揺や理性や感情で説明しきれないものなので、語り手はさらにフォローが必要だったのではないか、と思います。この1つの行為で、おばあちゃんの人間像が崩れます。機会があれば、再読で再確認したいと思っています。

 そうであっても、この作品は、人に対する思いやりと、人の死というものを実感させてくれます。人の心の温もりも伝わってきます。きれいな物語です。【3】

※平成6年4月に楡出版より刊行。平成8年4月小学館より新装版刊行。
 
 
 
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2019年06月20日

読書雑記(258)船戸与一『蝦夷地別件(上)』

 船戸与一の『蝦夷地別件(上)』(小学館文庫、2012年1月、588頁)を読みました。これは、全3冊の内の初巻です。

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 長編なので、物語の展開を追うのも大変です。「BOOK」データベースから、その内容紹介を引いて、まずはその流れを押さえておきます。

十八世紀末、蝦夷と呼ばれるアイヌ民族は和人の横暴に喘いでいた。商人による苛烈な搾取、謂れのない蔑みや暴力、女たちへの陵辱…。和人との戦いを決意した国後の脇長人ツキノエは、ロシア人船長に密かに鉄砲三〇〇挺を依頼する。しかし、そこにはポーランド貴族マホウスキの策略があった。祖国を狙うロシアの南下政策を阻止するべく、極東に関心を向けさせるための紛争の創出。一方で、蝦夷地を直轄地にしようと目論む幕府と、権益を死守しようとする松前藩の思惑も入り乱れていた。アイヌ民族最後の蜂起「国後・目梨の乱」を壮大なスケールで描きだす超大作。


 ペリーが浦賀に現れた時へと時間が遡ります。序章には、次のような書簡の一部が引かれています。

 それにつけても、愚僧は貴僧とはじめて御逢いした六十五年まえのあの地が憶いだされます。異国にたいする日本という国家。それがいまのようなかたちを整えはじめたのは愚僧と貴僧が六十五年まえにあの地で見た一連の動きと深い関わりを持ってる。そんな気がしてならないのです。(10頁)


 船戸は、平原や海原や大空を描くのが上手いと思います。さらには、月の光を巧みに取り込んで、夢語りを展開させます。本作にも、随所に見られます。この小説作法が、私は好きです。
 また、音が語りを重層的にしています。話をしている時に、泣き喚く子供の声がやがて遠ざかっていく場面など。
 上巻の後半で、救国ポーランド貴族団の話が出て来ます。唐突に感じたので、ポーランドがこれからこの話にどう関わっていくのか、楽しみになりました。日本の漂流民とかラクスマンなどのことが語られると、大黒屋光太夫などの話が背景にあることがわかります。井上靖や吉村昭の作品が思い出されます。それを殊更詳しく語らないのが、船戸の流儀なのでしょう。とにかく、世界史の知識がフル稼動です。
 アイヌとシャモ(和人)の生き様が、その違いを確認しながらダイナミックに展開します。船戸の筆力は、北の大地を舞台に冴え渡っています。
 アイヌの大地からシャモを追い払うためには、どうしても鉄砲が要ります。その鉄砲が、ロシアから入ってこないことがわかったところで、上巻は終わります。大河の一端を見た、という感じです。【4】
 
 
 
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2019年06月19日

「浮かれ源氏」のパンフレットから物語を再現

 先週末に、「谷崎全集読過(33)「鶯姫」「或る男の半日」」(2019年06月15日)をアップしました。その「鴬姫」という戯曲作品に関して、「浮かれ源氏」がミュージカルになっていたことを取り上げたことがきっかけとなり、そのパンフレットを入手する幸運に恵まれました。

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 また、このミュージカルで笠置シズ子が歌った音源が見つかり、CD化されていることもわかりました。
 これは、また後日にして、ここでは、このミュージカルのストーリーが確認できるように、プログラムからその物語展開を再現してみます。谷崎潤一郎の「鴬姫」とはまったく異なる展開の、エンターティンメント性の高いミュージカルであることがわかります。『源氏物語』がこのようにパロディー化されたという受容史の興味深い資料として、以下に掲載します。
 なお、表記にあたっては、仮名遣いはそのままにしつつも、旧漢字は新漢字に書き換えています。



「浮かれ源氏」


 

秦 豊吉



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 歌舞伎、映画、宝塚と至るところ「源氏物語」ばやりとあつては、遅ればせながら、わたくし流の「源氏」を、と頭をひねつてみた。そこで「浮かれ源氏」、英語名「スウィング・源氏」とあつては、どんなものか。
 踊りに「浮かれ坊主」、六代目菊五郎のお得意のもの、パラマウント映画に「浮かれ姫君」、小波山人のお伽噺「浮かれ胡弓」、俗曲に「浮かれ節」とあつては「浮かれ源氏」もおかしくない。
 「源氏」となると、何はともあれ、まず谷崎潤一郎先生に教えを乞わなければならぬ。私が先生の名作「鶯姫」をぜひ舞台でやつてみたいと思つたのは、すでに昭和九年の大昔で、その時先生からお許しを得たまゝ今日に至つた。谷崎先生の源氏研究は、事新しく今日の現代語訳に始まつたのではない。すでに先生の青年時代の小戯曲「鶯姫」に始まつているのだ。処は桜咲く春の京都、ある女学校の国文学の老教師が、平安朝を夢に見るのが話の発端。この教師が生徒の中に、平安朝の姫君のように可愛らしい少女を認め、ほのかな愛着を感じる処へ、夢に鬼が現れ、この時代に連れてゆかれ、この少女そつくりの鶯姫を発見して奪つて羅生門へ逃げ込むと、陰陽師安倍晴明に祈られ、雷神に羅生門の上から蹴落されたと思つたのは、実は校庭で居眠りの椅子からころげ落ちていたという、実に美しく、楽しく、愛らしい小戯曲である。新橋の東おどりが、上演したいと希望したと聞いたが、ご尤もな話である。後年の先生の「源氏」の夢はことごとくこの短篇に溢れている。
 私は先生とお目にかかるたびに、この「鶯姫」上演の遅延の申訳ばかりしていたが、やつと二十年後に、これを果す事が出来る時になつた。私としては実にうれしい。私はその間に、この戯曲を宝塚にも上演を勧めたが、果さなかつた。やつと自分の手にかける事の出来るのは本懐である。
 私はこの夢物語の「鶯姫」を、新しい音楽喜劇にする積りである〈ママ〉そうするには、どうしてもパロデイ化す〈ママ〉ほかはない。この老教授が平安朝を好きなら、一層光源氏に若返つて鶯姫を好いてみたらどんなものか。今日の源氏学者の説によると、平安朝の人間は、どんな女性でも愛人として選ぶことができ、どんなに美しい才能のある女性でも、これを愛人として沢山持つ事によつて、自分の国が栄え富むのだという思想である。これが「色好み」の思想と名付けられたが、そうなると平安朝の日本人の理想は、まさにギリシヤ哲学と同じものではないか。この象徴こそ光源氏であると、諸先生方は云われるのである。
 源氏学者は、この物語を、もののあわれ化しておられるが、十一、二歳で異性の肉体を知り、情欲にかけては何のお叱りもない若い男女が、几帳の陰で一夜を語り明かしたといつても、誰もこれをおしやべりばかりして徹夜したとは考えられない。「源氏」を肉体小説だといつても、決して「源氏」を卑むわけではなく、今日の学説にはひいきのひき倒しが多いが、もつと平安朝の情欲生活を明にして頂くのも人間的ではあるまいか。
 おつと、これは私の悪い癖で、口数が過ぎたようである。桜の庭に遊ぶ女達、鶯、車びき、金色の極楽、昔なつかしい地獄カラクリ〈ママ〉源氏の君の英語御教育、ついでにストリツプ源氏と、私の「浮かれ源氏」を考えるのは、私の最も幸福な時間である。(14〜15頁)



源氏各説



☆とにかく源氏は人間ですよ。彼は聖人ではないただの人間なのだ。しきりに気まぐれな恋愛をやる。 −池田亀鑑−

☆十一二歳で結婚した平安朝貴族の男女の精神年齢は今日の常識では律し得ない。 −池田亀鑑−

☆源氏を見ますと、人間の一番立派な美しい徳は、色好みであるという事になつております。 −折口信夫−

☆ほんとうの色好みは、日本人の理想でした。宮廷の理想であり、公家の理想、それが又庶民の最もあこがれた美しい夢になりました。 −折口信夫−

☆心も容貌もとりどりに捨つるべきものなく、と苦しがりながらも、どんな女性にも何等かの取柄を見出して愛しないでいられないし、またどんな女性に満足し切れないのである。 −関みさを−

☆青春の日に読んだ源氏物語は、若き源氏の愛の生活の香のやうに映じた。 −久松潜一−

☆今人から考へれば、平安朝人は、性欲の点に就いては、殆ど粗野な自然人であつたといわねばならぬ。 −津田左右吉−

☆男子が正室の外、多くの婦人に通じていた当時の習慣は事新しくいうには及ばぬ。その正室よりも、初めから正室と定まつてはいずまた初めから男の家へ迎えられたのでない場合が多いという風であるから、正室ならぬ婦人の情交が必ずしも永続しないのは不思議ではない。 −津田左右吉−

☆男には幾人でも妻を持つ事が許されて、女は惨めに泣いて暮すのね。 −大映「源氏物語」−


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第四回帝劇ミユージカルス

浮かれ源氏



 二部二十三景


  − 谷崎潤一郎作「鶯姫」のパロデイー −

   第一部

  プロローグ


 ここはストリツプ劇場。今しも「ストリツプ源氏」の幕が上る。ヌード居並び十二単衣をきた女が唄いながら着物を脱ぐ。見物中の女学校国文学教諭大伴先生は憤慨して思わず「やめろ、やめろ!」と怒鳴る。
  大伴先生 榎本健一
  オーケストラ指揮者 三木のり平
  歌う十二単衣の女 マリア・ローザ
  絵の女 X・小夜

 (中略)

  第二景 或る学会


 王朝文学の研究会に大伴先生が出席して今日観てきた「ストリツプ源氏」は平安朝文学を侮辱するも甚だしいと憤慨しながら話す。そこへ紅式部が現われて−野暮なことを云わないで、社会科の参考に「ストリツプ源氏」を観ていらつしやい−と云う。
  大伴先生 榎本健一
  紅式部 松田トシ

 (中略)

  第三景 女学校々庭


 放課後である。大伴先生がストリップを見物に行つたことが生徒の間に問題となる。生徒壬生春子は噂の真疑を心配するが、先生から文学の参考にみに行つたに過ぎないときかされてホツとする。けれど、大伴先生は壬生という名前から大宮人を連想し、王朝を憧れるあまりとかく壬生をヒィキにするので京極を初め他の生徒たちが嫉妬するのであつた。壬生が置いて行つた鶯の籠の傍で、大伴先生は源氏物語をヒモトイているうちについ眠つてしまう。と、羅生門の青鬼が現われて、神通力により大伴先生を憧れの平安朝時代へつれて行く。
  大伴先生 榎本健一
  女学生京極文子 笠置シヅ子
  同 壬生春子 筑紫まり

 (中略)

  第四景 羅生門


 青鬼と一緒に羅生門の楼上に立つた大伴先生は、葵祭りの賑いをみて、あの美しい姫たちのところへつれて行つてくれと頼む。
  大伴先生 榎本健一

 (中略)

  第五景 車争い


 葵祭の賑い。市女笠の踊り。雑色の唄。そこで牛車の衝突事件が起る。車争いの主は片や左大臣家の鶯姫、片や右大臣家の京極姫であるから面倒だ。青鬼に伴われてきた大件先生は、鶯姫が壬生春子そつくりなのに吃驚する。.
  大伴先生 榎本健一
  京極姫 笠置シヅ子
  鶯姫 筑紫まり
  父左大臣 三木のり平

 (中略)


  第六景 約束


 大伴先生はなんとかして、この壬生によく似た鶯姫と言葉を交してみたいと、青鬼にたのむ。青鬼は、鶯姫と契りを結ばないと誓うのなら、大宮人にしてやろう。しかも女にモテる光源氏にしてやろうと云う。
  大伴先生 榎本健一

 (中略)


  第七景 朧月夜


 紅学会々員山田先生が、紅式部から源氏物語の中の朧月夜のところを教えてもらつている。
  紅式部 松田トシ

 (中略)


  第八景 太子昇殿


 光源氏にして貰つた大伴先生は殿上人に迎えられる。先生は日頃の含蓄を傾けて大和言葉で話しかけ、一寸ガクのある処をみせる。
  光源氏 榎本健一

 (中略)


  第九景 宮中歌合戦


 成年に達した源氏は、帝の御諚により、歌により妃を選ぶことになつた。京極姫を初め我れと思わん姫君たちによつて一大歌合戦が宮中に開かれた。最後に登場した鶯姫の声をきくと、源氏の君は思わず「壬生春子さん」と叫んで大宮人を吃驚させてしまう。
  光源氏 榎本健一
  京極姫 笠置シヅ子
  鶯姫 筑紫まり
  父左大臣 三木のり平
  紅式部 松田トシ
  末摘花姫 山田周平

 (中略)


  第十景 太子御教育


 大伴先生の源氏は鶯姫ばかりを追つかけるので、これでは原作の源氏物語と筋が違うと殿上人は噂とりどり。一方愛される帝になるべく、プリンス源氏は紅式部先生に就いて英語を勉強する。
  光源氏 榎本健一
  京極姫 笠置シヅ子
  紅式部 松田トシ
  末摘花姫 山田周平

 (中略)


  第十一景 苦しい時の鬼頼み


 京極姫に追い駆けられて、源氏はほとほと困り果て青鬼に助力を頼む。鬼は自分も源氏になつて京極姫のお相手を勤め様と云う。
  光源氏 榎本健一
  京極姫 笠置シヅ子

 (中略)


  第十二景 池のほとり


 やつと二人きりになれた源氏と鶯姫は池のほとりで恋を囁く。片方では鬼の源氏が京極姫に、恋愛の定義について語つたりしている長閑かな春の日−源氏はその夜鶯姫の部屋へ忍んで行くことを約束する。
  光源氏 榎本健一
  京極姫 笠置シヅ子
  鶯姫 筑紫まり
  父左大臣 三木のり平

 (中略)


  第十三景 御簾の前


 御簾の赤い房を目印しに忍び込んだ源氏は両方の部屋に赤い房が下つているので大いにマゴつく。
  光源氏 榎本健一
  京極姫 笠置シヅ子
  鶯姫 筑紫まり

 (中略)


  第十四景 女の部屋


 首尾よく鶯姫の部屋で甘い恋の睦言を交わしたのも束の間、嫉妬にかられた京極姫に騒がれる。鶯姫の部屋にいたのは小野小町という和歌の先生だが、これが怪しげな人物であつたため大騒動となる
  光源氏 榎本健一
  京極姫 笠置シヅ子
  鶯姫 筑紫まり
  父左大臣 三木のり平

 (中略)


  第十五景 極楽への道


 愛する源氏とも逢えなくなつた鶯姫は、窮屈な宮中を抜け出す。跡を追つた源氏は、易者に鶯姫の居所を占つて貰う。
  光源氏 榎本健一
  鶯姫 筑紫まり
  父左大臣 三木のり平

 (中略)


  第十六景 キヤバレー・極楽


 キヤバレー・極楽は女人ばかりの楽園であつた。飲んで唄つて淋しさをまぎらわせていた源氏は、鶯姫を発見する。再び逢えた二人は永遠に変わらぬ愛を誓う。余りの嬉しさに青鬼と約束した愛の限度を越したため、哀れ源氏は地獄へ堕ちなければならない。
  光源氏 榎本健一
  鶯姫 筑紫まり

 (中略)

− 休憩 −

  第二部


  第十七景 地獄の門


 地獄に堕ちた源氏が裁かれる日である。地獄ではその噂さでもち切りである。特に女鬼たちは一張羅の虎の皮のスカートをはいたりして、大めかし。源氏はどこまでも人気がある。
  ニユーフアツシヨンの女鬼 マリア・ローザ
  同 X・小夜

 (中略)


  第十八景 源氏裁判


 閻魔大王裁判長によつて地獄法廷が開かれ、源氏の好色の件が取調べられる。源氏物語は文学であつても、光源氏の所業は倫理規程に反すると、鬼検事は有罪を論告する。弁護人側の主張は浮かれ源氏は光源氏に非ず大伴先生であるという。結局源氏の所業を浄玻璃の鏡にかけてみると、鴬姫と契りを結び、青鬼との約束を破つたことがわかる。そこで源氏は地獄の責苦を加えられ、赤鬼にされてしまう。
  光源氏 榎本健一
  検事 笠置シズ子

 (中略)


  第十九景 参道


 源氏の君の行方がわからないので鶯姫は清水様へ願をかける。その途中で赤鬼になつた源氏にさらわれようとする。この危難を救つたのは一寸法師である。一寸法師は赤鬼から買つた打出の小槌で忽ちに大きくなる。
  赤鬼 榎本健一
  鶯姫 筑紫まり

 (中略)


  第二十景 藤の花の宴


 左大臣家で藤の花の宴が催される。大きくなつた一寸法師即ち渡辺少将と鶯姫の縁組みの催しである。赤鬼になつた源氏は鬼女となつて鶯姫をさらつて行く。このこと知つた陰陽師阿倍晴明は雷神に祈つて鬼を退散させようとする。
  赤鬼 榎本健一
  鶯姫 筑紫まり
  父左大臣 三木のり平
  阿倍晴明 如月寛多

 (中略)


  第二十一景 雷神


 阿倍晴明に呼び出された雷神がその偉力をたたえて跳躍する。
  雷神 笠置シヅ子
  阿倍晴明 如月寛多

 (中略)


  第二十二景 羅生門


 羅生門の楼上に、赤鬼の源氏が鶯姫をさらう。そこへ雷神が現れて大格闘となる。そして赤鬼は楼上から突き落されてしまう。
  赤鬼 榎本健一
  雷神 笠置シヅ子
  鶯姫 筑紫まり


  エピローグ


 いままではすべて大伴先生の夢であつた−大伴先生は椅子から落ちて目を覚ます。
 春の花の校庭はやはり長閑かである。大伴先生は籠の中の鶯を放してやる。鶯も春を謳いながら飛び去つた。それに和するように若い女生徒たちの歌声が春の悦びを歌つている。
  大伴先生 榎本健一
  女学生京極文子 笠置シヅ子
  同 壬生春子 筑紫まり

 (後略)

 (挿入歌の歌詞は省略)

 
 
 
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | □谷崎読過

2019年06月18日

電車の自動改札でものの見事に転ぶ

 朝の通勤時間帯での出来事です。
 阪急電車の自動改札口を、財布に入れた「PiTaPa」というICカードで入場しようとした時でした。読み取りエラーで、バタフライ形式のゲートが開かず、ブザーが鳴りました。仕方がないので後退りしようとしたところ、何がどうなったのか後ろ向きにお尻からひっくり返りました。
 天井の蛍光灯が見えました。すぐ後ろにいた方や、周りにおられた方が5、6人、仰向けにひっくり返った私の顔を取り囲んで覗き込み、口々に「大丈夫ですか?」と声を掛けてくださいました。意識がシャキッとしたので、ありがたいことでした。そして、目の前に展開する、四方八方から顔がさし出されているのを間近に見て、映画のワンシーンのように思えました。

 後頭部は無意識に庇ったようです。背中から落ちたのです。肩甲骨が痛かったものの、意識ははっきりしていたので、「大丈夫です。」と答えて立ち上がりました。再度、手にしていたICカードが入った財布で自動改札機をタッチして、改札の中に入りました。無理な姿勢で頭を庇ったせいか、首筋に違和感がありました。
 梅田行きの電車には、30分ほど乗ります。席に座ると、股関節と尾骶骨と肩甲骨がジンジン痛みます。ジッと座っていました。

 自動改札でエラーが出た理由はわかっています。実は、この4月1日に、新年度の再スタートと気分転換の意味で、防磁機能付きの財布に変えました。河原町にある丸善本店で、探し求めていたものに出会えたので、少し贅沢かと思いながら買ったものです。しかし、防磁機能が謳い文句のこの財布が、自動改札でやたらエラーになるのです。財布自身は気に入っていたこともあり、変えたくない思いからエラーの原因を知りたくなりました。東京で作られたものなので、関西の鉄道の自動改札などではチェックをなさらなかったようです。公表されている数値だけで、防磁機能の確認をなさったのでしょうか。そこで、2ヶ月半にわたる実験の末、丸善を通して製造元に連絡をしました。

 すぐに同等の製品が送られて来て、不具合のある財布は交換となりました。それが、一昨日のことです。その新しく届いた財布に入れたICカードが、今回もまたエラーとなったのです。
 改札機では、入る時に2度目のタッチで通れました。出る時にも最初はエラーとなり、2度目にオーケーとなりました。
 どうやら、この交換された財布の防磁機能も、なにやら怪しくなりました。

 今年は、新年早々、改札口で人とぶつかり、目尻を手術するハプニングがありました。
 「突然救急隊員のお世話になり京大病院に搬送される」(2019年01月11日)

「夜更けの手術は2針縫って無事に帰宅」(2019年01月12日)

 改札口では気をつけろ、という危険信号としてのメッセージのようです。

 さて、一昨日、不具合のある財布を製造元に返却する際、次のメモを付けました。

 4月1日に京都河原町丸善で購入した「カードケース財布」(商品コード: ●●)について報告します。
 財布自体の使い心地については満足しています。
 しかし、購入した翌日から、駅の自動改札口でのICカードのタッチでエラーが出ました。
 エラーが連日続くので、混雑時の他の乗客への多大な迷惑を考えながら、怒鳴られるという不愉快な思いをさせられながらも、さまざまなケースを想定して、いろいろな組み合わせによって、その原因を追求するための個人的な実験をしました。
 実際には、次の条件で実施したことの報告となります。

(1)ICカードは、私がよく使う「PiTaPa」だけを使い、しかも1枚だけ財布に入れてタッチ。
(2)「PiTaPa」は、財布の外側にポケットが付いていない、フラットな面でタッチができる方のセーブポケットに1枚だけ入れる。
(3)実験にあたっては、財布の中には他のカードと小銭は入れない。

 これによって、以下の傾向がわかりました。エラーが多い路線から列記します。数字は、エラーなく通過できる比率です。正確な数値は煩雑なのであげません。
 また、タッチの仕方もいろいろと試しました。しかし、実験を意識して実施したことなので、詳細な条件の違いは丸めて整理しています。しかし、ほぼ普通の人がタッチしている実態に即した、正確なものだと思っています。

(実験期間:4月2日〜6月14日)
(60%)阪急京都線
(70%)嵐電嵐山本線
(80%)大阪モノレール彩都線(+本線)
(80%)京都地下鉄烏丸線
(90%)阪急バス
(100%)近鉄京都線(+奈良線、+生駒線)
(100%)京都市営バス(●、●、●号系統)


 交換したものは前回と同じ財布なので、使い方はこれまでと一緒です。それなのに、使い始めの今日から早速、エラーだったのです。

 私はこれまでに、コンピュータの新製品が出るとすぐに手を出していました。そのこともあり、欠陥商品を手にすることでは仲間内でもよく知られています。30年以上も、メーカーのテスター役を、結果的にはボランティアでやらされてきたので、今回もまたかとの思いでいます。広い心で、少しでもいい製品となる手助けにでもなれば、との思いで協力しています。

 なお余談ながら、今回の配送業者は、あの佐川急便でした。私が受け取り拒否をしていることは、すでにこのブログで何度も書いてきた通りです。

「東西を迷走した佐川急便の荷物」(2016年07月02日)

 今回は、代替品を受け取ると同時に、不良品を引き取って先方に返送してもらえるということなので、了解しました。しかし、相変わらずの対応でした。
 まず、財布を作った会社から届いた荷物の中に返送用の封筒があるはずだとのことで、配達員の方が率先して私が受け取るはずの荷物を開封されました。そして、中から封筒を取り出すと、これだとのことです。返送にあたっての先方からの手紙が入っていたので読んでいると、とにかく財布を同封されている袋に入れてくれと急かされるのです。急いでおられます。返送用の袋に入れて渡すと、すぐに帰ろうとされました。すかさず私は、受け取りのサインをしなくてもいいのですか? と聞きました。このままでは、私が受け取ったという証明がないので困りませんか、と声をかけました。すると、「そうですね、それならサインをもらっておきましょうか」と、配達用の用紙を差し出されました。どうやら、佐川急便では受け取りのサインは、どうでもいいもののようです。後で、配達員の方がご自分で私の名前を書いて、サインをもらったことにされるのでしょうか。相変わらず、理解に苦しむシステムです。

 この財布の件は、先方の製作会社が検証するとのことなので、また後日報告します。
 
 
 
posted by genjiito at 19:10| Comment(0) | ◎情報社会

2019年06月17日

スポーツクラブの会員の高齢化

 今日は月曜日。
 土日は、何かと私の活動が集中するのです。そこで、月曜日は予定を入れないようにしています。 そして、スポーツクラブで体力を維持するために、可能な限り夕方からは、マシンジムやスイミングに勤しんでいます。
 今、プールから上がり、野菜ジュースを飲みながら思います。なんと今日も高齢者であふれていたことか、と。
 老後も元気に、というのはいいことです。水中歩行のレーンは、チョコチョコと歩く方や、おしゃべりをしながらのご婦人方で渋滞です。泳ぐレーンでも、あまり進まない方が多いので、ぶつからないように間隔を保って泳ぐのが大変です。かと言って、上級者用の高速レーンで泳ぐほどの技量は持ち合わせていません。
 ジャグジー風呂は、町内会の寄り合いなのかと思われるほどに、よもやま話に花が咲いています。

 このところ、プールではめっきりと若い方が減りました。これは、ジムも同じです。スタジオは、若い女性を見かけます。しかし、そこは男性がほとんどいないので、入りにくいのです。
 この施設の利用者の男女比はわかりません。私の感触では、男性2割に女性8割だと見ました。そして、8割方が60歳以上。大きく外れていたら、経営者の方には申し訳ないことです。あくまでも、日頃の感触で、ということで。
 また、最近、「健康維持のためのスポーツクラブ通い」(2019年04月22日)で、スマホを使ってジムのマシンを活用することに挑戦し出したことを書きました。しかし、あまりにも操作の手順が面倒なので、2回ほどで諦めました。
 このスポーツクラブは、まだまだ利用者を囲い込む方策があるのに、なぜそれをしないのでしょうか。今は、適当にやっているふりをしている状況です。さらにビジネスモデルを検討すべきだと思います。利用者が文明の利器を持ち込んでいるのです。かつてのように、企業がシステムを用意しなくても、アプリの活用でいいのです。私が考える前に、とっくに試行錯誤はなさっていることでしょう。しかし、具体的な形に至らないのでしょう。これは、若者たちの柔らかい発想が発揮できる分野だと思っています。

 先日、東京在住時代に通っていた、銀座3丁目のスポーツクラブを覗いて見ました。かつてあったプールは、経営が変わった今はマシンジムのフロアになっていました。もう、銀座で泳ぐことができなくなったのです。今にして思えば、贅沢なことだったのです。日舞の振りをお稽古しながら水中ウォーキングなさっていたクラブのママさん(?)と一緒に、10mほどのプールを歩いていたことを懐かしく思い出します。

 私のスポーツジム通いの経緯は、「銀座で泳いでいた日々を思い出して」(2017年08月06日)に書きました。
 その後の記事を、今の時点で整理して列記します。

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【フィットネスクラブで汗を流した日々の記録】
(その2、2017年2月26日〜2019年6月17日・本記事)

「健康維持のためのスポーツクラブ通い」(2019年04月22日)

「手荒い疣の治療の後はスポーツクラブで初泳ぎ」(2019年01月09日)

「血糖値は少しだけ下がるも横ばいで投薬が変わる」(2018年11月12日)

「銀座探訪(37)銀座散策の後は日比谷で古写本を読む講座」(2018年08月04日)

「歯の治療は出張前のために様子見となる」(2018年07月23日)

「このところ定着した週1回のスポーツクラブ通い」(2018年07月09日)

「迂闊にも昨夏骨折した左足首を捻った後にスイミング」(2018年02月04日)

「初泳ぎで健康に気遣った生活を始めました」(2018年01月05日)

「体力測定で体力年齢は31歳だと」(2017年11月20日)

「体調も復調したので遅れを取り戻します」(2017年11月17日)

「枕を新調してから頭痛緩和のためのスイミング」(2017年10月14日)

「久しぶりに泳いだら肩がゴギッと音がして」(2017年08月18日)

「スポーツクラブでの身体測定では29歳の身体だとか」(2017年08月07日)

「銀座で泳いでいた日々を思い出して」(2017年08月06日)

「東京マラソンで思い出した個人的なマラソン史」(2017年02月26日)
 
 
 
posted by genjiito at 20:39| Comment(0) | *健康雑記

2019年06月16日

大和でお茶のお稽古の後はかんぽの湯へ

 京洛は晴れていたのに、大和は今にも泣き出しそうな天気でした。駅前には、千光寺へのハイキングに向かう人が集まっています。単線の駅も、休日は賑わいがあります。

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 今日のお稽古は、丸卓を使っての洗い茶巾をお願いしました。1年ぶりです。もっと基本を、と言われそうです。しかし、季節季節の変化を感じながらのお点前が楽しいので、わがまま勝手を言って、贅沢なお稽古をしています。
 まずは、平茶碗に水を張ることから忘れていました。茶碗に浸す茶巾のたたみ方も。いろいろなお点前を教えていただいているうちに、それぞれが混ざり合い、組み合わせがおかしくなります。アレー! のオンパレードです。
 出だしはそうであっても、茶巾を建水の上でしっかりと絞って釜の蓋の上に置いてからは、いつもの所作となっていくのが実感できました。どこが基本と違うのかが、流れの中でわかればいいようです。とにかく、身体が覚えるまで続けるしかありません。

 帰りに、「かんぽの宿 大和平群」に寄りました。4月末にリニューアルオープンした温泉に入って来ました。

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 露天風呂が新たに加わりました。紫陽花を見ながらの露天風呂は爽快です。急に天候が悪化して、先ほどは雷雨でした。それが、温泉に入る頃には、すっかり上がっていました。この高台から、信貴生駒や金剛葛城の山々が望めます。山の名前を確認しておきます。

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posted by genjiito at 21:27| Comment(0) | *身辺雑記

2019年06月15日

谷崎全集読過(33)「鶯姫」「或る男の半日」

 『谷崎潤一郎全集』の第8巻(昭和34年6月、中央公論社)は戯曲集です。
 巻頭には、次のモノクロ写真が置かれています。
 これは、『源氏物語』の受容資料として貴重なものです。

※「浮かれ源氏」(「鴬姫」のパロディー)
 (昭和二十七年三月帝劇ミュージカルス)
  榎本健一の大伴先生
  筑紫まりの女学生
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■「鶯姫」(戯曲)
 1幕5場の内、第1場と第5場は現代、第2場から第4場までは王朝時代となっています。
 京都の女学校で、国語の教師である大伴先生に学生がテニスをしようと呼びかける場面から始まります。そこで、「つきづきしい」という言葉が出てきます。この『枕の草紙』に出てくる言葉を、3年生ではない2年生の生徒はまだ教わっていないと言います。平安朝を意識した話題を振っている箇所です。
 そうこうする内に、大伴先生はうつらうつらと眠りかけてしまいます。そして、平安朝の羅生門の鬼、渡辺綱に腕を斬られたという鬼に、平安時代に連れて行ってもらうのでした。タイムトラベルです。
 鶯姫が出てきます。しかし、仕掛けが十分には練られていなかったせいか、盛り上がりに欠けます。ここで話を打ち切っては、中途半端すぎます。次の物語を楽しみにしましょう。【2】

※初出誌:『中央公論』大正6年2月号

 今回読んだ『谷崎潤一郎全集』の解説で、伊藤整は次のように言っています。
「鶯姫」(大正六年二月「中央公論」)は一種の幻想劇としての面白さを持つたものである。この作品は、現代の女学校、平安朝の貴族の酒宴の場、屋上の鬼と少女などの姿を舞台にのせることによつて効果を生むものであり、オペレッタのやうな作劇術をそこに見るべきものと考へられる。(259頁)

 
 
 
■「或る男の半日」(戯曲)
 小説家の間室が、原稿を取りに来た雑誌記者に、できてもいない原稿をさも完成間近のように言い訳をします。この冒頭の場面は、物書きには身につまされる年中行事でもあるので、谷崎潤一郎もその手を使うのか、とニヤリとします。人間の心理を読んだ場面として、秀逸です。
 この小説家は見栄っ張りで、借金に苦しめられながらも贅沢をします。自制が効かない性分なのです。まさに、谷崎の生き様をよく反映している人物です。そこをよく理解した妻は、能天気な夫に対して、冷静に接していくのです。この取り合わせが、おもしろく組み立ててあります。
 郊外だという渋谷や代々木が、遠くて寂しいところだとあります。この作品が書かれた大正6年が遠く感じられました。
 最後に意外なオチを置いて、軽妙な劇は終わります。ユーモアを交えた、知的生活を送ろうとする遊民を描き出したものです。【3】

※初出誌:『新小説』大正6年2・5月号

 今回読んだ『谷崎潤一郎全集』の解説で、伊藤整は次のように言っています。
一種の性格劇であり、同時にユーモラスな効果を狙つて現代智識階級人の生活批評を行つたものである。(259頁)

 
 
 
posted by genjiito at 19:48| Comment(0) | □谷崎読過

2019年06月14日

私の人差し指はへバーデン結節?

 最近、ヘバーデン結節という言葉をよく聞くようになりました。
 私も、指に違和感を感じ、何度もお医者さんに診てもらいました。
 仲間から、ヘバーデン結節ではないかとのアドバイスをもらい、いろいろと対処策を考えました。特に効果的なことはせず、今はマウスをクリックする指を、右手の人差し指から中指に変えて、応急の対処をしています。この、マウスのクリックだけが問題なので、これで3年ほど様子を見ているところです。
 同じ症状に困っておられる方へのアドバイスはないものの、病院が大好きな私がお医者さんと交わした内容であれば、以下のブログに書き残しています。何かの参考になればいいのですが。

 最初に指が痺れることに気付いたのは、今から8年ほど前の夏でした。それは、左手首の痺れで、問題の右手の指が痛くなる前兆のような出来事でした。行ったのは九段坂病院です。

「左手首が痺れるので病院へ」(2011年08月01日)

 その時に撮影したMRlのフィルムを、京大病院のいつもの検査の時に持参したことは、次の記事の通りです。ここで言われた「隠れ脳梗塞」は、その後も東京のいくつかの病院で指摘されました。今、特にその気配はないので、そのままにしています。

「「隠れ脳梗塞」だとの診断を受けて」(2011年08月04日)

 その頃、コンピュータで日本語を入力する上で、トラブルがありました。これが、今から思えば、右手の酷使に直結しているように思われます。

「マック版日本語入力「ATOK2011」で不具合発生」(2011年08月09日)

 次の記事から、左手の痛みについて書き出しています。

「病院内で丸一日を過ごす」(2011年08月11日)

 その後の診断では、加齢で片付けられていることがわかります。

「何事も加齢ですよと60歳」(2011年08月22日)

 この指の痛みについて、ついに病名が付きました。「バネ指」だそうです。次の記事にもあるように、「原因は何ですか?と聞くと、60年も使って来たからでしょう、と、気が抜けるほどのシンプルな回答です。」というオチがつきました。

「病院で悠久の時を刻む」(2011年10月11日)

 それから5年。足を骨折した話の中に、指の痛みのことがブログの中に出てきます。そこで、指の専門医を紹介してもらっています。しかし、忙しさにかまけて、その病院には行かずじまいでした。

「左足首捻挫は骨折だとわかりギプス生活に」(2016年07月30日)

 この骨折のギプスが外れたついでに、お医者さんに右手人差し指の痺れについて相談しています。「変形性関節症」だとか。以前は、「バネ指」と言われました。この年の春から、マウスをクリックする指を、人差し指から中指に変えていることがわかります。

「やっと足のギプスが外れました」(2016年08月31日)

 その後、また同じお医者さんに右手人差し指のことで相談をしています。しかし、またもや加齢とのことで打つ手はなく、塗り薬をいただいて終わっています。

「整形外科で更年期障害と言われても……」(2016年09月28日)

 この右手の人差し指は、今も、痛まないまでも違和感がつきまとっています。大きく変形しているわけでもないので、ずっと放置しています。
 最近、ヘバーデン結節が話題になっていることが契機となり、この指の症状に対する適切な対応策が示されることを待ち望むようになりました。これが好機となり、加齢で片付けられていたことに一つの指針が出るだけで、諦めながらも困っている私などは気分的にも楽になります。
 
 
 
posted by genjiito at 20:10| Comment(0) | *健康雑記

2019年06月13日

映画『ツナグ』を観て父と母のことを想う

 『ツナグ』は、2012年10月に公開された映画で、辻村深月の小説を映画化したものです。
 亡くなった人に一度だけ会える、という設定で物語が展開する映画です。死者と生者の再会を仲立ちして〈ツナグ〉のが、樹木希林と松坂桃李の役柄です。

 観ながら、私なら誰に逢いたいのだろう、と考えていました。いろいろと思いをめぐらすと、多くの亡くなった方々の顔が浮かびます。やはりと言うべきか、行き着くところは父と母でした。
 その内でもどちらか、と自問を続けるのは、私が一番嫌いな二者択一の世界です。どちらにも逢いたいところです。

 それでも、今どちらかに逢わせてもらえるのであれば、まずは父でしょうか。その次に母。
 母は、いつもニコニコしていて、私が何をしても何も言わず、見つめ続けていてくれました。
 父は、私が高校を卒業するまでは、厳しい対応で接してもらいました。しかし、高校卒業後に一人で大阪から東京に出て仕事をするようになってから、川崎の予備校を経て渋谷の大学に入ってからは、優しかった父しか知りません。貧しかった家計から我が身を切り離した私を、1人の独立した人間として認めての対応だったのだろう、と思っています。煮え切らず、融通も利かず、ふらふらする私ではあっても、丁寧に接してくれました。そんな中で、母はこっそりと、いろいろと物を送ってくれました。時々お小遣いも。背後で支援してくれていました。
 そういえば、父からお小遣いをもらったことは、ただの一度もありません。徹底していました。


 父は、さまざまな局面で、何も反対せずに後押しをしてくれました。
 私が突然フランスへ行きたいと言った時、ブラジルへ行きたいと言った時、大学院へ行きたいと言った時、すべて父が知らない世界にもかかわらず、話を聞き、思うがままに行動したらいいと言ってくれました。フランスへも、ブラジルへも行きませんでした。大学院には行きました。
 大病をした後、研究者になることをあきらめて大阪で高校の教員をすることにした時も、何も言いませんでした。家探しに始まり、ままごとのような日々に、見ていられないことも多かったかと思います。それでも、結果的には、いつでも後押しをしてくれていたように思います。長女が生まれることを機に、奈良に住むことにしました。その時の家探しにも、一緒に付いて来てくれました。自分は住まないままに亡くなったことが惜しまれます。

 生きていく間には、いろいろと岐路での選択をします。その折々に、人の世話をするのが大好きだった父は、私にも言いたいことがいっぱいあったはずです。危なっかしく揺れ動く私の判断を横目に、それでも何も言わなかったということは、よほど胸にはさまざまな思いが去来していたことでしょう。それを、ぐっと秘めていたようです。

 今の私は、父が思い描いていた生き方とは違うにしても、父の想定外ではないように思います。その点では、今逢っても、失望はさせなかったと思っています。もし聞けるものならば、いくつもの岐路において、父が私に勧めたかった道はどれだったのか、知りたいものです。詰め将棋や詰め碁が好きだった父と、それにはまったく興味も関心もない私です。お互いの出した結論のズレと一致するところを、夜を徹して語り明かせたら、と思います。

 今も、どうしようもなく困った時には、仏間の父と母の遺影に向かい、どうしたらいい? と聞きます。しかし相変わらず、何も言ってはくれません。そうであっても、私が出した結論に、両親が後押しをしてくれていることを実感することがしばしばあります。不思議な力を感じています。

 映画『ツナグ』にあるような、後悔という思いで亡くなった両親に逢うことは、私の物語にはありません。当時の、お互いの判断を確認しあうために、父と語りたいと願っています。これでは、映画のような物語にはなりませんね……
 
 
 
posted by genjiito at 20:37| Comment(0) | *回想追憶

2019年06月12日

続・平安文学の翻訳本を整理するアルバイトを募集中

 本年度が始まってすぐの4月17日に、「平安文学の翻訳本に関するアルバイト募集中」という記事を公開しました。
 このことで、再度の募集のお知らせです。

 科研「海外における平安文学及び多言語翻訳に関する研究」(課題番号︰17H00912)では、平安文学に関する翻訳本の整理を進めています。多彩な言語にわたるものなので、手助けをしてくださる方を募っています。
 次の言語が母語で日本語を普通に運用できる方と、日本語が母語の方で次の言語を日本語に翻訳できる方を探し求めています。翻訳は、文学的な表現を求めているのではなく、逐語訳ができるレベルで大丈夫です。翻訳本に関する資料作成のお手伝いをお願いしたいのです。

インド諸語・ビルマ(ミャンマー)語・ルーマニア語・ロシア語


 現段階では、以下の条件を考えています。

 ※時給:950円(交通費の支給なし)
 ※日時:火 or 水曜日/11時〜16時の5時間以内
 ※場所:大阪大学箕面キャンパス 総合研究棟 6階
     (大阪府箕面市粟生間谷東8丁目1)

 やってみようと思われる方は、このブログのコメント欄を活用してお知らせください。直接お目にかかって、実際の翻訳資料をもとにしてご説明いたします。
 なお、成果は科研のホームページ[海外へいあんぶんがく情報](http://genjiito.org)に公開し、お名前は研究協力者の中のアルバイトの項目に明記します。これは、情報の質を確保する意味で責任の一端を共に担っていただく意味から、この科研では常に心がけていることです。
 
 
 
posted by genjiito at 20:44| Comment(0) | ■科研研究

2019年06月11日

(書影追補)過日お亡くなりになった田辺聖子さんに関するメモ

 今月6日に、田辺聖子さんがお亡くなりになりました。大阪樟蔭女子大学に出入りしていた頃があったので、『源氏物語』との関係でお話をお聴きしたいと思いつつ、実現しないままでした。
 『源氏物語』の翻訳に関連して、田辺さんの情報は集めていました。その一部を、忘れない内にここに残しておきます。

 本日6月11日(火)の京都新聞に、宮本輝氏、山折哲雄氏、中西進氏、藤山直美氏と共に、伊井春樹先生のコメントも掲載されていました。「関西の風土に根差す」との小見出しで、『源氏物語』に関しては以下のように語り出しておられます。

国文学者の伊井春樹さんの話

 源氏物語の現代語訳は、原文に忠実に古典の雰囲気を再現した谷崎潤一郎訳と、解釈を入れ意訳した与謝野晶子訳の系譜がある。田辺聖子さんは後者の流れを受け継いでいて、現代人により受け入れられるように、面白く解釈している。(下略)


 伊井春樹先生は昨年まで逸翁美術館の館長をなさっていました。その関係から、宝塚歌劇のことにも触れておきます。田辺聖子の『新源氏物語』が舞台化されていたからです。ただし、この分野は専門家が多いので、ここにはほんの一端だけをあげます。

タカラヅカ101年 26年ぶり、花組公演「新源氏物語」 光源氏の愛と苦悩

 宝塚歌劇団花組が、「新源氏物語」(柴田侑宏脚本、大野拓史演出)を宝塚大劇場で上演している。紫式部の傑作を現代語訳した「新源氏物語」(田辺聖子作)をベースに劇化した作品で、同名作品を宝塚歌劇団で上演するのは26年ぶり3回目。きらびやかな平安の世の宮廷を舞台に、花組トップスター明日海りおが光源氏を演じ、当代きっての美男子の愛と苦悩を表現している。11月9日まで。【文・釣田祐喜、小寺裕子、写真・山田哲也】
(中略)
 新源氏物語は1981年、月組が初めて公演した。実力・人気も全盛期を迎えていた当時のトップスター、榛名由梨が光源氏を、上原まりが藤壺の女御を演じた。次いで89年の月組による再演では、剣幸が光源氏、こだま愛が藤壺の女御を演じた。3度目の今回は、8月の台湾公演で「ベルサイユのばら」とレビュー「宝塚幻想曲」の2本立てを成功に導いた明日海と、花乃のコンビ。端正な顔立ちの明日海からは、女性をひきつける甘い雰囲気がにじみ出ているようだ。花乃は、道ならぬ恋に落ちる罪悪感にさいなまれながら、光源氏を受け入れる藤壺の女御を、限られた登場シーンの中で懸命に演じている。(2016年1月6日 毎日新聞)


 なお、私が生まれた頃のことながら、1952年には春日野八千代が「源氏物語」(白井鉄造構成・演出)の光源氏を演じていました。

 田辺聖子の著作は、目で文字を読むことが困難な方々のために、点字や音声で楽しめるように、「サピエ」(視覚障害者情報提供ネットワークシステム整備事業)からデータが提供されています。利用者は、次の作品がダウンロードできます。これ以外にも、いろいろと公開されていると思います。私が今摑んでいる情報の一部として、以下に引用します。
(複数の製作館がある場合は最も古いものを掲載しています)

サピエ図書館(点字図書や録音図書)

(1)【点字】

新源氏物語 上(新潮文庫)/田辺 聖子著/1984年

新源氏物語 中(新潮文庫)/田辺 聖子著/1984年

新源氏物語 下(新潮文庫)/田辺 聖子著/1984年

絵草紙源氏物語(角川文庫)/田辺 聖子文 岡田 嘉夫絵/1984年

私本・源氏物語/田辺 聖子著/1985年

源氏・拾花春秋 源氏物語をいける(文春文庫)/田辺 聖子, 桑原 仙渓著/2002年

小説一途 ふたりの「源氏物語」(the寂聴)/田辺 聖子, 瀬戸内 寂聴著/2010年

(2)【音声デイジー】

『源氏物語』の男たち ミスタ−・ゲンジの生活と意見/田辺 聖子著/音声デイジー/7時間12分/1990年

霧ふかき宇治の恋 上巻 新源氏物語(新潮文庫)/田辺 聖子著/音声デイジー/12時間31分/1993年

霧ふかき宇治の恋 下巻 新源氏物語(新潮文庫)/田辺 聖子著/音声デイジー/13時間17分/1993年


 さらには、2008年に笠間書院より刊行する予定で編集を進めていた『源氏物語【翻訳】事典』では、田辺聖子訳『源氏物語』の翻訳本として、次の情報を整理していました。しかし、その後、相次いで『源氏物語』の翻訳本が刊行されたこともあり、収録する翻訳本の切れ目の判断が出来ないままに今に至っています。出版社および情報を提供していただいたみなさまには、申し訳ないことです。先日も、36番目となるウクライナ語訳『源氏物語』の情報が届いたこともあり、もうしばらくこの『源氏物語【翻訳】事典』は先延ばしになることを、ご了承いただければと思っています。

中国語訳『源氏物語』の情報(2009.02.02版)

『新源氏物語』

紫式部原著・田辺聖子現代語訳/彭飛 等訳[1958−]
上海(シャンハイ)[中国]:上海訳文出版社
 和泉書院(大阪)と東方書店(東京)からも販売
上巻-430p.下巻-866p.
21cm./簡体字

 『源氏物語』翻訳委員会(代表者:彭飛)による中国語訳。初版。底本は、田辺聖子の現代語訳『新源氏物語』(新潮社)である。表紙は、二冊とも福岡市美術館蔵『源氏物語屏風絵・若紫』である。装丁は、ペーパーバックとハードカバーがある。
 序文はなし。上巻は、「空蝉」〜「少女」まで。巻首の挿絵は徳川美術館蔵『国宝源氏物語絵巻』の「蓬生」、大阪府立大学学術情報センター蔵『絵入源氏物語』、『十帖源氏』、『源氏絵鏡』、『源氏鬢鏡』など。下巻は、「玉鬘」〜「常夏」、「野分」〜「幻」までを収録。巻首に陽明文庫蔵『源氏物語』(藤原定家)影印「宿木」掲載。
 あとがきは翻訳者による。主な内容は、
1.「世界最古の長篇小説『源氏物語』、誕生して千年を迎える」、
2.「日本の著名な作家、田辺聖子と『新源氏物語』」、
3.「翻訳委員会初の大作」。
 彭飛はさらに詳しく「翻訳委員会」の各担当者の名前と担当原書の頁数を明記している。林少華(原著上巻1〜100頁)、曹亜輝(上巻101〜200頁)、王華(上巻201〜325頁)、張龍妹と呉志虹(上巻326頁〜中巻243頁)、楊蕾(中巻244〜313頁及び下巻86〜95頁)、花文勰(中巻314〜387頁)、徐麗明(中巻388〜458頁)、任川海(中巻459〜下巻41頁及び下巻96〜115頁)、彭飛(下巻42〜85頁)、杜鳳剛(下巻116〜352頁)、玉琢(下巻353〜448頁)である。和歌及び巻名の部分はすべて杜鳳剛訳。
 「訳者紹介」があり、以下の通り列挙。王華(中国海洋大学外国語学院日本語系準教授)。王琢(暨南大学外国語学院日本語系教授)。任川海(上海外国語大学日本文化経済学院準教授)。杜鳳剛(大連理工大学教授)。楊蕾(日本京都外国語大学博士後期課程研修生)。花文勰(日本京都外国語大学博士前期課程研究生)。呉志虹(集美大学外国語学院講師)。張龍妹(北京外国語大学日本学研究中心教授)。林少華(中国海洋大学外国語学院日本語系教授)。徐麗明(日本京都外国語大学博士前期課程研究生)。曹亜輝(天津工業大学外国語学院準教授)。彭飛(日本京都外国語大学教授)。
 「顧問紹介」として増田繁夫(日本大阪市立大学名誉教授)の名前を挙げる。
 上海訳文出版社は、1978年成立。外国文学、文化などの総合的な翻訳出版社である。


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posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ◎国際交流

2019年06月10日

「福岡でかるたを楽しむ会」のご案内

 来月、7月15日(月・海の日で祝日)に、福岡で『百人一首』のかるたを体験する会があります。
 「大阪点字付きかるたを楽しむ会」の代表者・兵藤美奈子さんから、以下の連絡が来ましたので転載してご案内とします。


「福岡でかるたを楽しむ会」開催のご案内



 今、目が見えない人も見えにくい人も見える人も、一緒に百人一首かるたを楽しもうという機運が全国的に高まってきています。
 来年、ロービジョン対応点字付きかるたを使用した大会の開催も予定されており、小学生から年齢層の高い方まで、幅広い視覚障害者が感心を寄せています。
 今回は天智天皇の歌「秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ」のゆかりの地、福岡で開催。
 百人一首の歌を全く覚えていない方、点字が読めない方も大丈夫です。
 色々な遊び方を楽しみましょう。

主催:大阪点字付きかるたを楽しむ会
日時:2019年7月15日(月・祝)
   13時〜16時30分
会場:クローバープラザ8階第3和室A・B
(〒816-0804 福岡県春日市原町3丁目1
 電話092-584-1212、JR春日駅徒歩1分)
内容:坊主めくり、百人一首クイズ、初心者向け四人一首、個人戦体験など、楽しい企画盛りだくさん!
※定員30名程度、参加費無料。
申込:7月10日(水)までに、代表 兵藤 美奈子(ひょうどう みなこ)へ
  (メール:putti-castle205@key.ocn.ne.jp)
  *関心を持たれた方は、お気軽にお問い合わせください。

 
 
 
posted by genjiito at 23:19| Comment(0) | ■視覚障害

2019年06月09日

春日野での茶道文化講演会で高麗茶碗の話を聞く

 近鉄奈良駅前は、修学旅行生と中国からの観光客でごった返しです。耳に届く言葉の99パーセントは中国語です。修学旅行生の日本語を聴くと、ここが中国の観光地ではなかったことに気付かされます。鹿が至る所にいる町並みと、観光客の大群には、違和感を覚えました。京都での観光客の雑踏とはまったく違う、大らかさの中の混雑です。

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 今年も、東大寺の近くにある奈良春日野国際フォーラム甍で、第53回 茶道文化講演会がありました。演題は「高麗茶碗の話」、講師は野村美術館の谷晃館長です。

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 配布された資料の冒頭には、次のように記されています。

「見て、知って、楽しむ 高麗茶碗」

    2019.06.09 於 淡交会奈良県支部

          谷 晃

高麗茶碗とは何か

主として16世紀初頭から18世初頭にかけて、朝鮮半島南部において生産された施紬陶磁碗で、日本の茶の湯に受け入れられたもの。但伝世品は対馬藩の経営する倭館内の窯で生産されたものが多い。
 青磁系・粉青系・白磁系・その他の系統がある
 初期・中期・後期で性格が異なる
 産地の特定がされつつあるもののまだ十分ではない


 韓国での調査に関する体験談から始まりました。発掘調査と文献調査をもとにして話は展開します。
 高麗茶碗の5割から8割は、日本で使われることを意識して作られたものだそうです。
 アレっと思ったのは、「先祖を大切にする儀式である祭事が、日本では忘れられてしまったが、韓国では今でも残っている」という表現でした。儒教を語る流れの中だったとはいえ、そう言ってしまうと、日本の伝統行事がないこととなり、話の切り口が変わってしまいます。その後は、茶会記の話に移ったのでよかったものの、茶碗の文化に疎い素人ながら、少し心配をしました。

 最後の30分で、茶碗の写真が映写されました。この時には、多くの方の頭が上がりました。

 今日知った言葉に「倭館窯(対馬藩の韓国出張所)」があります。ここでは、韓国の民生品を中心としたコピーや注文製品が作られていたそうです。1回の窯入れで千個くらい焼けたので、1万点以上が幕府にプレゼントされたり、藩内では贈答に使われたようです。
 お話をうかがいながら、もっと画像を見せていただけないかな、と思いました。

 講演会が終わるとすぐに、近鉄奈良駅から大阪へと移動です。その途中で、興福寺南円堂が見えました。

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 新しい生活が始まったこともあり、6回目の西国三十三所観音霊場巡りを始めようと思っています。今度は、なんにも追い立てられることのない、ゆったりとした旅にするつもりです。そのため、目の前の西国三十三所第九番札所の南円堂には今は立ち寄らず、大阪へと向かいます。伊井春樹先生にお目にかかる予定があったからです。

 今日は蒸し暑い中を、京都・奈良・大阪と、三都を巡る日となりました。
 
 
 
posted by genjiito at 21:09| Comment(0) | ■講座学習

2019年06月08日

日比谷で源氏の橋本本を読む(12)[盛りだくさんの内容]

 日比谷図書文化館での『源氏物語』の講座は、順調に回を重ねています。
 今日は、国会通り沿いに咲いている花の艶やかさに、つい立ち止まってしまいました。
 後方の赤レンガ色の建物が、日比谷公会堂です。

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 後ろの方にすっくと立っている赤やピンクや白い花は「タチアオイ」、手前の黄色は「ビヨウヤナギ」。どちらも、我が家でも花を咲かせていたものです。京都に移ってからは植えていません。記憶の片隅にこの花の姿があったせいか、懐かしい想いで見ました。奈良の山の中で咲いていた花が、今、国会議事堂のそばで花開いているのです。こんなに見事に咲いているのに、あまり見向きもされない花たち。しばし、見とれてしまいました。

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 今日は、ここまで進みます、と宣言して始めました。いつも、写本を読む前にお話に熱中してしまうので、あまり進まないうちに終わります。これではいけないと、進む目標を決めてのスタートです。これまでの5年間で初めてのことです。

 まずは、山下智子さんの女房語りの案内のチラシを配りました。東京と京都の2箇所のものです。一昨日も山下さんからは、ご一緒に変体仮名と源氏語りのセッションをする計画を楽しみにしている、という連絡をもらっています。しかし、私がいつも出歩いているので、なかなか日程が合いません。今年こそは、と思っています。

 この講座は、特定非営利活動法人〈源氏物語電子資料館〉の活動の一環として開催しています。そのため、会員の多くはこの講座に参加なさっている方々です。NPOの総会の話と、今年度から視覚障害者への奨学金制度を設けたことを報告しました。そのことは、過日のブログ「NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の第7回総会の報告」(http://genjiito.sblo.jp/article/186085614.html)に書いたように、次の奨学支援をすることになったことです。

目が不自由な学生等を対象とした「日比谷図書文化館古文書塾てらこや受講生向け奨学金制度」を設立します。これは、障害者手帳と日比谷図書文化館での翻字者育成講座領収書の提出を受けて、受講料の約6割の1万円を本法人が支給することで、勉学の支援をする制度です。本年度から実施します。内規を適用しながらの運用となります。


 該当者でもある2人の若者は、今日も元気に参加しています。みなさまもその熱意を感得しながら、共に変体仮名を読んでおられるので、この制度の意義は理解が得られたと思います。
 視覚障害者との活動を展開なさっている方からも、ブログに触れて次の励ましをいただきました。

日比谷図書館の講座を受講する際の、奨学金制度が出来たことも、すごいことだと思いながら拝読致しました。
口先だけで呼び掛けるのではなく、勉強出来る環境の方を整えて行くというのは、真の支援だと思います。


 とにかく、目が見えないながらも触読で変体仮名を読もうとする若者を、大切に育てていきたいと思います。また、講座に参加なさっている方々も、いろいろと助けてくださいます。いつものように、終わってからの課外講座での話の中で、高校生に付いて来ておられるサポートの方は、講座中はそばでなくて室外の控え室で待っていただいた方が、本人の自覚も高まり、受講生との一体感の中で自立した勉強ができるのではないか、という意見が出ました。なるほど、と思いました。来月は、その提案をしてみようと思います。普通の高校生だって読まない変体仮名です。さまざまな取り組みの中で、多くのことを学んで育ってほしいものです。

 ウクライナ語訳『源氏物語』のことや、大阪大学外国学図書館のこと、さらには「紫風庵」での三十六歌仙のことなど、さまざまな近況報告などをしました。それでも、今日は早々と写本を読むことになりました。

 42丁表の1行目「ましたると」からです。「悲」という変体仮名が、前回同様に出て来ました。「出」とか「書」に間違えやすい字形をしています。
 「可し〈改行〉古新とて」という箇所では、「古」と「新」つなげたところには、書写者の遊び心があるのではないか、という提案をしました。これは、平安時代の作者に遡ってもいいと思います。一案です。
 「个」は今後は筆の流れが一旦右に折れているものは「介」にしたいと提案しました。また、「て」はそのままとして、短く入ってくの字に膨れているものは、「弖」にしたいことも伝えました。
 そんなことを話しているうちに、また脱線してしまいました。そんなこんなで、結局は予定していた興味深い異文のある直前まで辿り着くのがやっとでした。一番肝心の話題になるはずだったことが、できなかったことは、意を決して望んだだけに残念でした。
 ということで、43丁表2行目「みちにも」まで進みました。次は、本文が橋本本グループと大島本グループとで真っ二つに分かれる箇所からとなります。
 終わってから、これからは保坂本の翻字をスタートさせるため、あらかじめ希望をお聞きしていた方々に翻字資料を渡しました。また、今日から参加なさった方とお話をしていたところ、前回からお話を伺っていた変体仮名をパソコンで自由に表示する、かつてはフロントエンドプロセッサと言っていたものを開発し始めた方から、進捗状況を伺いました。一太郎2019に搭載されているとはいえ、この新方式は自由度が高いので楽しみです。ただし、どの変体仮名を組み合わせて1つの単語を構成するのかなどなど、まだ検討する課題は山積しています。それでも、身近なところで、こうして変体仮名を扱うコンピュータのツールが作られているのは、楽しみの多いことです。
 帰りは、新橋に近いレストランで課外講座と称する会合を持ちました。視覚障害に関する話題では、当事者を交えて稔り多い展開がありました。また、この日比谷図書文化館での講座に関しても、前回同様に橋本本の本文を解釈してその意味をみんなで考える勉強会の設立を、具体的に打ち合わせました。これについては、近いうちに結論を出すつもりです。
 充実した1日だったので、新幹線に飛び乗るが早いか熟睡です。気がついたら名古屋でした。
 
 
 
posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | ■講座学習

2019年06月07日

大阪大学外国学図書館の貴重な資料群

 私の新しい研究室のすぐ隣には、外国語学部の研究室が入ったB棟があります。
 その3階から上には、これまで探し求めて来た海外の翻訳本情報や、貴重なアドバイスがいただける研究室が並んでいます。

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 『源氏物語』は、今日現在で36種類の言語で翻訳されています。先日報告したように、最近確認できたのが、36番目となるウクライナ語訳『源氏物語』です。平安文学となると、さらに言語の種類は増えそうです。とにかく、日本の文学は、それも古典文学は世界中の言語に翻訳されているのです。
 上の写真の多彩な言語を担当されている研究室を見ても、今はまだ確認できていない『源氏物語』を翻訳した言語は、デンマーク語・ペルシア語・スワヒリ語・タイ語・インドネシア語・フィリピン語があるのです。これらも、直接研究室を訪問して先生にお目にかかり、またその国から来ている留学生たちに話を聞けば、まだまだ見つかりそうです。その研究室訪問の計画は、現在準備を進めているところです。

 そのB棟の前、私の研究室の真下には、大阪大学外国学図書館があります。
 今回、図書館の利用手続を終え、書庫に入ることができました。まさに、私にとっては垂涎の資料の宝庫でした。

 日本文学作品が並ぶ書棚には、日本語の本の間に翻訳本が寄り添うように置かれていました。私は日本語と英語しか認識できないので、これらはどのような本であるのかを、研究協力者の手を借りて後日あらためて調査します。表紙を見た限りでも、まったく知らない本が多くありました。

 オンライン蔵書検索(OPAC)で、所蔵資料はわかります。いや、わかるはずです。しかし、これまでの経験では、自分で直接書籍や資料を手にしてみないと、確かなことは言えません。コンピュータの記録やシステムは、あくまでも文字化された情報の集積です。文字列にされた時点で、削ぎ落とされた情報を、本そのものは持っています。まずは表紙の絵が、OPACではわかりません。

 言語がわからなくても、私はまずは勘に頼って本を仕分けています。その後に、専門の方に教えていただくのです。まずは勘から、というのが、一番の近道のように思っています。科学的な研究手法ではありません。しかし、これまでにこの手法で、絶対にないといわれて来た本を何冊も見つけ出して来ました。これも、立派な研究手法だと思います。

 それよりも何よりも、この図書館の書庫で驚喜したのは、コレクションの多さでした。
 例えば、「ユーゴ関係コレクション」「リトアニア語寄贈図書」「台湾研究講座関連図書」に始まり、退職なさった先生方の寄贈図書群である「スペイン語関係」「ブラジル・ポルトガルコレクション」「ヤンゴン大学寄贈図書」「ビルマ語関係」「中央アジアコレクション」「インド関係」「インド・パキスタン関係」「インドネシア語関係」「南十字星文庫」「北欧関係」「中国語・中国文学」「サハラ以南 アフリカ言語文化コレクション」などなど。ここには、先生のお名前を冠した文庫は取り上げていません。
 さらには、膨大な量の海外の新聞・雑誌・書評などの印刷物。

 この書庫の整理だけでも、翻訳本の有無はともかく、世界に紹介されている日本文学の全体像を明らかにする手がかりが得られます。それだけでも、ますます夢が広がります。

 この大阪大学外国学図書館が所蔵する平安文学の翻訳本の情報と、私が持っている本のリストを統合したものが出来たら、東京外国語大学の図書館の資料と突き合わせてみたいと思います。
 それによって、「海外へいあんぶんがく情報」(http://genjiito.org)から公開している翻訳史年表も、さらに詳細なものとなることでしょう。

 こうした作業のお手伝いをしてくださる方を探し求めています。謝金がどのように使えるのか、まだ研究基盤機関が変わったばかりなので、その実状がわかりません。とにかく、ご自分の勉強を兼ねての原本調査の協力、ということで、連絡をいただけると幸いです。
 
 
 
posted by genjiito at 21:26| Comment(0) | ■科研研究

2019年06月06日

読書雑記(257)芥川賞2作を読んで

 平成30年下半期の芥川賞受賞作を2本一気に読みました。
 文章に、普通は漢字で書く語句が、頻繁に平仮名で書いてあることに、違和感を覚えました。今は、平仮名多用の時代になっているのでしょうか。
 また、女性の役割が添え物のように感じられました。テーマが女性の存在を特に求めなかったからでしょうか。この2作を、女性はどのように読まれるのでしょうか。
 2作共に、恋愛をテーマにするものではありません。コンピュータのエンジニアと、ボクシングの選手が主人公です。神経が張り詰める世界に生きる男が息を抜く様子が、合間合間に語られていたので、興味深く楽しみました。

■上田岳弘『ニムロッド』
 「駄目な飛行機コレクション」が、物語の展開の中でいくつも出てきます。これはどんな意味を持たせて語られるものなのか、終始疑問に思いながら読み進めました。しかし、現代が直面している課題を抉り出していることはわかります。【3】

■町屋良平「1R1分43秒」
 戦いと時間を前にして、人間が自分の身体の限界と向き合う話です。戦いを控えた1人の男の内面が、具体的に語られています。後半は、2人の男の交流が。こうした戦いは経験していなくても、その心持ちは理解できます。そこに、作者と読者の接点があります。【4】

 共に、私が日頃経験しない世界が舞台です。ビットコインとボクシング。そして、共にわかりやすい文章でした。比喩をこねくり回した、凝った文章は好きではありません。その意味からも、この2作は、また読んでも疲れない作者だと思いました。
 
 
 
posted by genjiito at 23:08| Comment(0) | ■読書雑記

2019年06月05日

孫娘が描いた不可解な変体仮名

 2歳2ヶ月の孫娘が、文字なのか絵なのか判断に迷う、摩訶不思議なものを描きました。
 もちろん、上下左右、どこから見ればいいのかもわかりません。

 右利きの子なので、縦書きであれば、この向きでしょうか。

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 いや、これでは最初が横書きなので変です。
 180度向きを変えてみました。

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 いやいや、文字だとしたら、縦に書くのは早すぎるのではと思い、横書きとして見ました。

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 しかし、これでは、左端が縦に書いたように見えるので、これも180度向きを変えてみます。

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 あるいは、紙を斜めにしたり、回したりと、勝手気ままに書いたのかもしれません。
 この時、この子の頭の中にはどんな図像があり、それを何を思って線で形にしていったのでしょうか。

 日ごろから私は変体仮名を読んでいるので、これも変体仮名として読めないか、などと思いをめぐらせました。
 しかし、孫娘は平仮名を見たことはあっても、それがどのような意味を持つものなのかは知らないはずです。
 ましてや、変体仮名などは、まだ見たこともないはずです。

 楽しく想像を逞しくしていると、人が図形から意味のある記号へと認識していく過程が、おもしろく連想されます。
 象形文字ならまだしも、これが1字1音の仮名文字だとしたら、さらに複雑な認識がなされていることになります。
 そんなことがあるのかないのか。
 こんな研究は、すでにあることでしょう。

 とにかく、記録として残しておきます。
 
 
 
posted by genjiito at 21:32| Comment(0) | ■変体仮名

2019年06月04日

36番目の言語となるウクライナ語訳『源氏物語』

 科研の研究協力者である淺川さんから、ウクライナ語訳『源氏物語』に関する情報が届きました。
 これは、『源氏物語』の翻訳では36番目の言語となるものです。

 〈源氏千年紀〉の2008年に、「世界中で読まれている『源氏物語』」(2008年02月15日)という記事を書きました。その中で、未確認の本として、ウクライナ語訳『源氏物語』のことに言及しています。それから11年間の経緯は、これから調べます。
 それにしても、11年前までは、『源氏物語』の翻訳は18種類の言語であった、ということに我ながら驚いています。今回のウクライナ語訳『源氏物語』は、その倍の36種類目の言語による翻訳本なのですから。

 まず、出版社のサイトに公開されている表紙の写真をあげます。
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 この本は、国際交流基金ライブラリー(913.36 D99)に所蔵されています。そのことを淺川さんが確認できたため、ここに36番目の言語で翻訳された本として、その情報の一端を紹介します。電子書籍もあります。

・タイトル:Повість про Ґендзі
・アルファベット表記:Povist' pro Gendzi
・シリーズ名:Бібліотека світової літератури
・翻訳者/機関: Ivan Dzi︠u︡ba(Ivan Dziub/イワン・ジューブ)
 Institut literatury im. T.G. Shevchenko
 (前身をタラス・シェフチェンコ科学研究所とする、ウクライナ国立科学アカデミー文学研究所 )
・巻号:1
・翻訳範囲:桐壺〜朝顔
・出版社:Фоліо(Forio)
(URL)https://folio.com.ua/books/Povist-pro-g%27endzi--Kniga-1
・出版年:2018年
・表紙:菊川英山『青樓美人遊 海老屋内あひつる』
・メモ:表紙の裏の絵は、楊州周信の『千代田大奥花見絵』、扉の絵は鈴木春信『女三宮と猫』。見返しに月岡芳年の『古今姫鑑 紫式部』。
 国際交流基金の支援で出版。
(URL)https://www.jpf.go.jp/e/project/culture/publication/supportlist_publish/support_p_30.html
■翻訳者に関する情報:「コトバンク」より
 1931年生まれ。物理学者;翻訳家;日本文学研究家; 肩書: ウクライナ科学アカデミー理論物理学研究所上級研究員
(URL)https://kotobank.jp/word/イワン%20ジューブ-1682263


 これにより、これまでに翻訳された『源氏物語』は、次の36種類の言語となります。


【『源氏物語』が翻訳されている36種類の言語一覧】


(2019年06月04日 現在)

アッサム語(インド)・アラビア語・イタリア語・ウクライナ語・ウルドゥー語(インド)・英語・エスペラント・オランダ語・オディアー語(インド)・クロアチア語・スウェーデン語・スペイン語・スロベニア語・セルビア語・タミル語(インド)・チェコ語・中国語(簡体字)・中国語(繁体字)・テルグ語(インド)・ドイツ語・トルコ語・(現代)日本語・ハンガリー語・ハングル・パンジャービー語(インド)・ビルマ語・ヒンディー語(インド)・フィンランド語・フランス語・ベトナム語・ポルトガル語・マラヤーラム語(インド)・モンゴル語・リトアニア語・ルーマニア語・ロシア語


 本年1月にルーマニア語訳『源氏物語』の存在を知り、3月に翻訳者であるホンドル先生の元へ飛んでいきました。

「日比谷で橋本本「若紫」を読む(その8、ルーマニア語訳『源氏物語』の第一報)」(2019年01月26日)

「ルーマニア語訳『源氏物語』に関しての翻訳者とのやりとり」(2019年01月28日)

「ホンドル先生のご自宅で伺った興味の尽きないお話」(2019年03月08日)

 ウクライナ語訳『源氏物語』については、情報を集める中で、可能であれば翻訳者から直接お話を伺えないかと思っています。この本と翻訳者に関して情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、連絡をお待ちしています。
 
 
 
posted by genjiito at 23:25| Comment(0) | ◎国際交流

2019年06月03日

何もしない日(6月)

 今日は何もしない、何も考えない1日。

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 のはずですが……
 溜まりに溜まっているメールの返信を少しずつ送りました。
 どうしても今日中に対処しないといけない案件のメールも。
 これはどうしようもないことなので割り切ってのことです。
 
 
 
posted by genjiito at 18:45| Comment(0) | *健康雑記

2019年06月02日

NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の第7回総会の報告

 8年前に産声を挙げた、この特定非営利活動法人〈源氏物語電子資料館〉は、さまざまな活動を通して貴重な経験を積み重ねて今に至っています。ただし、会員の皆様には、年会費を支払ったことに見合うだけの、十分な成果や手応えのある見返りを、まだお渡しできていません。
 しかし、こうして牛歩であっても、90年をかけて『源氏物語』の本文の整備をすることを目標にして、着実に前を見据えて進んでいることは確かです。駅伝のバトンよろしく、若い世代に文化資源を引き継ぎながら、気長な活動と堅実な成果を継承しています。今しばらくの支援をいただく中で、稔り多い非営利活動を展開していきます。

 今日現在、会員数はちょうど30名です。そのうち、『源氏物語』を研究の中心に据える研究者は1割ほどです。『源氏物語』の写本に書写された文字を、忠実な本文データベースとして構築することの重要性は、研究者にも十分には説明できていないことは、本会の今後の課題でもあります。
 そうであっても、こうした地道に活動を続ける意義をご理解いただき、変わらぬお力添えをいただけていることは幸いです。

 本日の総会は、朝9時半からの開始です。今朝の富士山は少し霞んでいました。

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 総会の開催場所は、東京駅の近くにある、京橋プラザ区民館です。

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 これまでに何度もお世話になった京橋区民館ではなくて、その少し先にある区の施設です。9:30から12:00までを予定し、時間ちょうどに無事終わりました。

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 集まったのは、正会員9名と8名の委任状による出席者です。議長、書記、議事録署名人を選出・確認してから始まりました。
 総会資料に記載された通り、議事は順番に進みました。
 事業報告などの中で、適宜以下の資料が参照されました。

・(別紙1)変体仮名翻字版進捗表
・(別紙2)平成30年度活動計算書
・(別紙3)平成30年度財産目録
・(別紙4)平成30年度貸借対照表
・(別紙5)令和元年度活動予算書


 詳細は、本法人のホームページに後日掲載する総会及び活動実績報告をご覧ください。

 本年度、令和元年度の事業計画案のうち、特記すべきことは次の5点です。

(1)文化庁の京都移転を視野に入れて、京都市内に本法人の事務所を開設したいことを明言しました。

(2)そのためにも、関西の理事の補強と正会員の増加につとめたいと思います。

(3)翻訳本を持って全国を巡回し、展示等を通して実際に触って海外における平安文学の受容を実感していただこう、という計画を実行します。これは、伊藤科研で計画されていることの実現に向けて、後方支援するものです。研究と支援活動を、目に見える形で展開していきます。

(4)伊藤科研で発行している電子版『海外平安文学研究ジャーナル』(ISSN番号 2188ー8035)を、科研が終了する2年後に円滑に引き継げるよう、今から準備を始めます。

(5)目が不自由な学生等を対象とした「日比谷図書文化館古文書塾てらこや受講生向け奨学金制度」を設立します。これは、障害者手帳と日比谷図書文化館での翻字者育成講座領収書の提出を受けて、受講料の約6割の1万円を本法人が支給することで、勉学の支援をする制度です。本年度から実施します。内規を適用しながらの運用となります。


 特定非営利活動法人〈源氏物語電子資料館〉は、多くの夢を抱えて歩むNPO法人です。
 今後ともご支援のほどを、よろしくお願いします。
 
 
 
posted by genjiito at 20:40| Comment(0) | ◎NPO活動

2019年06月01日

公共施設の更衣ロッカーで不思議とすぐ隣に利用者がいること

 不思議に思うことがあります。

 公共のスポーツ施設や温泉施設などで、更衣ロッカーを使うことがあります。
 入口で利用の手続きをすると、自分が使うロッカー番号を書いたキーをもらえます。
 自分に宛てがわれた番号のロッカーに行くと、だいたい、私の番号の横で誰かが着替えようとしています。
 それは、帰りがけの人であったり、今来たばかりの人だったりします。
 または、私が着替え始めると、隣に新しい別の方が来られます。

 だだっ広い更衣室の、しかもよりによってピンポイントの隣同士で、寄り添って着替えることになるのです。
 上から見ると、顔見知りでもなんでもない、赤の他人が寄り添う姿は、奇妙なシーンでしょう。

 これからの方は、私よりも少し前にお出でになった方のようです。
 とすると、受け付けの方は、並んだロッカー番号のキーを渡したことに気が付かないのでしょうか。
 利用者としては、わざわざ隣同士で着替えるよりも、少し離れている方が気が楽です。
 別のスペースはガラガラなのですから。
 また、お互いが開けたスチールロッカーの幅が狭いので、扉が邪魔になります。
 おのずと、狭い思いをして衣類やウェアなどを出し入れしなくてはなりません。
 すみません、すみません、と言いながら。

 帰りの方とぶつかるのは、これは偶然かも知れません。
 しかし、あまりにも横の方がお帰りになるタイミングでロッカーを使うことになるので、これも不自然です。
 これも受け付けでキーを渡す方は、いつ来た方が隣同士になるかは、把握しておいてほしくなります。
 この遭遇現象を避けることは、無理からぬことかも知れません。
 しかし、これは容易に予測できることです。
 だいたい、30分から1時間の利用だからです。
 また、ロッカールームは広いスペースの場合が多いので、ゆとりを持ったロッカーの配当は難しくないはずです。
 とにかく、広いロッカールームの時などは、本当にこの偶然と思えることが不思議でしかたがありません。

 あるはい、管理上なのか、セキュリティ上なのか、利用者が隣同士でロッカーを使った方が、営業者側は都合がいいのでしょうか。
 利用者が避けてほしいと思うことと、経営者の意図は、えてしてずれるものなので、これはその例なのでしょうか。
 とにかく、広い世界でなぜに見知らぬ他人が寄り添って、更衣ロッカーを使わされるのか。
 しばしば体験することなので、不思議に思っています。

 この現象は、何とかの法則とかいう命名が、すでになされているのかもしれません。
 ご教示いただけると、気持ちが落ち着きます。
 
 
 
posted by genjiito at 20:59| Comment(0) | *身辺雑記