2019年04月30日

京洛逍遥(544)壬生温泉「はなの湯」の壺湯で平成最後を過ごす

 今日は「平成」という元号では最後の一日です。明日からは「令和」。その意味では、一つの区切り目となる日です。
 ぶらりと、壬生寺の近くにある壬生温泉に行ってきました。
 家からバスで円町まで出て、そこからJRで丹波口まで二駅。丹波口からは歩いてすぐです。
 バスは大混雑でした。特に金閣寺の前後はなかなか発車できないほど超満員です。この連休に、いかに多くの観光客が移動しているかを実感しました。

 壬生温泉は、近場の親子連れで大賑わいです。
 この前に来たのは今から6年も前のことになります。「京洛逍遥(262)亡母からの贈り物「壬生やまとの湯」」(2013年03月05日)の記事を見ると、「壬生やまとの湯」とあります。今は「はなの湯」。

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 お風呂場を走り回る子供たちにハラハラさせられます。
 私は、陶器の壺湯にゆったりと浸かっていました。このお湯は、滋賀県守山市に源泉を持つ「守山天然温泉 ほたるの湯」で汲み上げた天然温泉を使っているとのことです。比良山系・鈴鹿山系・古琵琶湖層を通り地下1300メートルから湧き出る良質な美人の湯だとも。

 さて、来たる「令和」はどのような年になるのでしょうか。
 穏やかな日々の中で、いい仕事をしたいものです。
 
 
 
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2019年04月29日

2002年春にインドで書いた未公開日記(その10/第9週)

 2002年に、私はインドのデリー大学に客員教授として赴任していました。その時の大学での様子や、インドでの日常生活をあるがままに記した日録は、これまでにその中盤までは公開してきました。
 その後、サーバーがクラッシュしたために、読めないままとなっていた記事を、折々に再現しています。不十分なバックアップではあるものの、「デリーの土埃(A cloud of dust in DELHI)」で、その一部は読むことができます。これは、いずれすべてを復元するつもりです。

 さて、ここからは、「第9週 03/03〜03/09」の出来事を扱います。すでにクラッシュしたままのホームページでも、「第8週」以降は未公開のままだった部分なので、これからの「第9週」以降も今回はじめて編集し直すものです。メモを元にして、適宜インドでのことを思い出しながら、再現していきます。
 今回は、前回復元した「2002年春にインドで書いた未公開日記(その9/第8週)」(2019年04月19日)に続くものです。
 
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■2002.3.3■



 9時過ぎに朝食。たくさんの果物とおかずを食べる。ライスで作った「カルカン」のようなものも食べる。11時半にフロントでチェックアウト。何もなし。フランス人の2人が来てくれた。男性は画家。
 車で、昨日会ったNGOの方の家に行く。車中では、T2先生を中心にして、フランス語で会話が進む。助手席にいた私は、気楽に無視して市中を見物。家は高級住宅地にある。庭にはココナツやパパイヤの木がある。
 ご主人が出てこられてびっくり。昨夜遅くなってお出でになったフランス語をしゃベる方だった。女性とこの方が夫婦だったのだ。
 家の中に入る。しゃれた家で、いろいろな小物がある。子供たちが食事を作ってくれていた。
 T2先生いわく、NGOの人々も、みんながごく普通の生活をする中でこのような活動ができるようになればいいが、と言っておられた。普通の生活の中で、自分ができる社会協力をしていくことも重要である。身構えない社会貢献である。この方々は、農業指導を中心に活動をしておられる。もう40年も続いているそうである。ご主人は、NGOの専従だそうだ。日本のNGOやNPOは、無理をしているところがあるので、いつしかできなくなっていくものが多い。外部からの資金援助だけではなく、自分たちの努力で収益をあげていくことも考えないと、資金援助が途絶えたら突然中止となりがちである。何かをしようとするとお金が必要なので、そのことも考えて運営しないと続かないのだ。経済的にも、社会的にもしっかりしたものがないと、継続的で広範な活動はできない。この人たちは、農村部などの教育活動や、技術指導、そして出産のための理解と手助けなどを行っておられる。
 この家には、2人の使用人がいる。男性は庭などの仕事を、女性は食事の世話などをしていた。このような家庭の人がこうした活動にも積極的な推進しているのを見て、非営利の援助活動のあるべき姿の一つを見た思いがした。
 それにしても、突然のフランス語の世界にはなすすべもない。英語で話しかけてもらえたので、何とか間がもてたが……
 子供たちがみんなで楽しそうに昼食を作ってくれている。余裕というものが生活の中にあるせいであろう。
 明日の予定も少しまとまった。バンガロールには、Macintosh はないそうである。
 応接コーナーで見るテレビでは、昨日のグジャラー卜での暴動のニュースをしている。
 家の外には、洗濯物にアイロンをかけるカーストの人が仕事をしていた。写真を撮らせてもらう。

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 出発するときになって初めてわかったのだが、これから、ドイツの男性とその奥さんであるキューバの女性と一緒に、この女性の誕生日のお祝いを兼ねて、自然動物園にピクニックに行くことになっていたのだ。別々の車で出発する。

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BANNERGHATTA NA IIONAL PARK
FOREIGN TUURIST ADAUTS Rs200
          CILD Rs75


 自然動物園の入口で入場料のことで一もめ。Sさんが外国人扱いされたことに抗議されたのである。インド居住者なので、外国人観光客と同じ扱いはおかしいと。航空券などのときも、国内居住者としていつも手続きされていると。30分もかかっただろうか。結局、国籍の問題で外国人としての入場となった。納得できないことには徹底的に食い下がる精神は、さすがである。入り口で待ちながら、二人の女性と、私がタージマハルで750ルピー払ったことを話した。驚いておられた。

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 公園の中は子どもたちがたくさんいた。家族連れである。猿の檻の前に陣取る。Sさんは木切れをもってきて、これで猿を追い払うのだ、と言っていた。実は本当に猿が、我々の食事を狙ってやってきたのだ。Sさんは木の棒で追い払ってくれた。檻の中に猿がいて、檻の外にも我々と一緒に猿がいる。檻の外の猿が、檻の前にいる我々のお弁当を狙う。おもしろい風景である。

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 ビールをもらう。アルコールは持ち込み禁止なのに、おおらかなことである。ドイツ人の方の奥さんがキューバだとわかると、T2先生がミサイルの精度にまつわるベトナムとロシアの話をされた。三回目なのでよくわかった。
 園内を散策する。鰐や蛇や熊やヒョウや象などがいた。日本と同じ面々だが、心なしか暑さのせいかクタッとしている。
 動物園からサハリパークへはバスで行く。土埃を舞い上げながら狭い道を乱暴な運転で進むので、スリルは満点である。

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 虎とライオンは別々のエリアにいるので、ゲートの出入りを繰り返す。幸運にも、今日はたくさんの虎やライオンに出会えた。T2先生の話では、アフリカのサハリパークへ行ったときに、3時間も園内をウロウロしたが、結局一匹も近くで見ることはできなかったことがあったそうだ。ここの虎やライオンは指導が行き届いていると言って、感心しておられた。

 生まれて初めて、サトウキビのジュースを飲む。しかも、搾りたてを。これは勇気のいることである。しかし、T2先生が大丈夫だと言われたので、チャレンジした。おいしいジュースでした。

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 帰路は快適に走る。女性のサリーの色の鮮やかさに見とれる。きれいに着こなしている。おしゃれな人が多い。新しいホテルは、昨日のような豪華さはない。しかし、小奇麗でいい感じである。料金的には4分の1だが、これはこれでいいホテルである。吹き抜けを多用した構成で、エレベーターも開放的でいい。

 昨日泊まったタージレジデンスホテルの中華レストランへ行く。ここでも、カニ料理は食べられなかった。注文したところ、大分してから、シェフが作れないと言っているとボーイが伝えに来た。竹筒に入ったスープや、酢豚、固焼きそば、マーボー豆腐、アスパラガスの炒め物などを食べる。ビールも。食べきれないほどのおいしい食事だった。
 食後、T2先生はウエイターにクレイムを付けておられた。「遅い」「サービスが悪い」の2点である。食事が運ばれてくるのが、確かに遅かった。また、ウエイターも動きが悪い。反応が鈍いのである。超一流の一つにあげられる店でこんな対応を許すと、今後のためにもよくないとのこと。だらけた店員たちをピリピリさせるためにも、言うことはしっかりと言う、という姿勢である。ウエイターに、ここのレストランのマネージャーを呼んでくれと言っても、連絡されたマネージャーがどっかへ行ってしまう。再度呼んでもらうと、ひたすら謝るだけである。支払い後に、チップは渡されなかった。示しがつかないからと。また、帰りがけにホテルのロビーにいたサブマネージャー格の人にも、レストランの対応の悪さを叱っておられた。我々が玄関でタクシーを待っていると、先ほどのサブマネージャーがやってきてまた謝る。そして、何かバッグを持ってこようかと言うので、T2先生は、自分はインドに来てタージグループのホテルを使ってきたが、こんなにひどいのは初めてなので、今後のために忠告しただけである、と。何かほしいからではない、とキッパリと断られていた。名刺だけでもということだったので、渡しておられた。そして、昨日宿泊した客であることも。
 それにしても、先生の対応は見事の一語に尽きる。気持ちのいいものであった。確かに、こうでもしないと、インドのホテルの質はどんどん落ちて行くように思われる。なかなか言いにくいが、言うべきときには言う、というのは見習わなければならない。これからのインドのためにも、という意味がわかる。日本にいては通じないことのように思われる。しかし、現地にいると、確かにと頷ける。もし本当にいい対応を心がけているならば、明日新しく泊まっているホテルに花でも持って顔を出すくらいでなくては、とおっしゃっていた。果たして、明日はどうなるのか。
 部屋に帰り、その後下でコーヒーを飲んで雑談。その中で、私がもっと海外に出向いて仕事をすべきことをアドバイスしてもらった。積極的な働きかけをしないといけないと。たくさんの勇気付けられる話を聞いた。
 インドのテレビは、相変わらず歌って踊っての番組をたくさん放映している。

 
 
 
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2019年04月28日

京洛逍遥(543)「流し点」のお稽古の後は伏見の温泉へ

 大和平群へお茶のお稽古に行きました。
 明日は「第10回へぐり時代祭」の日です。しかし残念ながら、1日違いで参加できません。

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 途中の山道で、椿がきれいに咲いていました。今日は肌寒い1日だったので、当分は見事に咲いていることでしょう。

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 今日のお稽古は「流し点」の特訓です。
 来月からとなる風炉の用意をしていただき、3回も繰り返しやりました。集中してのお稽古です。
 このお点前は、水差しの蓋の開け閉めと、水を次ぐタイミングがポイントのようです。また、自分がお茶をいただく時に相手の方に少し身体を向けることなど、細かな要領も何とかわかりました。
 これで、親しいお客さんを迎えた時は、丸卓を使った「入子点」と、この「流し点」で、何とか対応できそうです。いつものことながら、実践的なお稽古をしていただいています。

 帰りに、伏見にある天然温泉の「力の湯」に立ち寄りました。竹田駅から歩いて5分です。

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 ここは、近くを鴨川が流れていて、少し先で桂川と合流します。高速道路やコンクリート工場などが横にあるので、周りの様子は温泉という気分とは違います。

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 しかし、きれいで豊かなお湯を楽しみました。
 今日の生薬風呂は生姜でした。香りに包まれているだけで、元気になれそうです。
 電気風呂も久しぶりです。高校を卒業して東京に出るまでは、家にお風呂がありませんでした。夏は家で行水を、冬は銭湯に行っていました。その高安の里の銭湯には電気風呂がありました。この微かなビリビリ感に、懐かしさが蘇ります。

 この「力の湯」には、6年前に来ています。長く来なかったのは、その時の記事に書いているように、自動販売機のことがあったからのようです。「京洛逍遥(252)スーパー銭湯「京都伏見 力の湯」」(2013年01月28日)
 今日は、コカコーラの飲料の自動販売機が目につきました。この会社も、私は避けています。インドにいた時、工場から川に流す排水の問題で、大学生たちが抗議と不買運動のデモをしていました。その時の印象があるので、今もこの会社の製品には手を出しません。どうでもいいことながら、こんな些細なことに拘り続けています。

 そんなことがあっても、いい温泉で交通の便がいいので、また来ることになるはずです。
 
 
 
posted by genjiito at 21:20| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2019年04月27日

[町家 de 源氏](第19・最終回)(字母は「个」か「介」、付:過去の研究会記事一覧)

 NPO法人〈源氏物語電子資料館〉が主催者となって「be京都」(http://www.be-kyoto.jp/)で実施してきた[町家 de 源氏物語の写本を読む]は、今回が最終回となります。

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 来月からは会場を「紫風庵」に移して新たに始まります。
 「京洛逍遥(538)登録有形文化財「紫風庵」の三十六歌仙絵」(2019年04月13日)

 今日は、ハーバード本「須磨」に書写されている変体仮名の内、「个」と「介」の判別をしました。
 その際、対象となる「須磨」における全111例に関して、次の3つの方針で判断しました。
(1)最後の筆が真っ直ぐ下に引かれている場合は「个」
(2)最後の筆が右下方向に滑らかに引かれ、全体的に曲線で構成されている場合は「个」
(3)最後の筆が右側に真横に引かれ、筆が折り返して下に続いている場合は「介」


 例えば、最初に出てくる第1丁表5行目行末の「あ里个れ」と翻字した次の例は、「変体仮名翻字版」で翻字をする場合には「个」ではなくて上記(3)を適用して「介」とすべきであると判断しました。

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 つまり、これは「あ里介れ」とすべきである、というように、111例すべてを「个」か「介」かを1文字ずつ確認していきました。
 続く「个れと」(第3丁表6行目)と翻字した例は、最後の線が右下方向に引かれているものであり上記(2)の場合に該当するとして、多少は迷いながらも一応このまま「个」としました。

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 こうした判断を一例ずつ下していき、結局は上の一例を含んで次の例を加えた合計5例が「个」とすべきではないか、となりました。ただし、これらは最後は筆が折り返しているのでいろいろと迷いながらも、真っ直ぐ下に引こうとしていると判断しました。もっとも、依然として疑問は残りながらも、ですが。

〈第30丁表6行目〉
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〈第36丁表4行目〉
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〈第49丁裏1行目〉
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〈第58丁表2行目〉
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 こうして、「个」とすべき5例をもう一度確認の意味で見直しました。すると、やはりこれは真横に線が引かれていないものの、最後に筆が折り返しているので、上記基準の(3)になるのではないか、ということに意見が集約されてきました。そして、この5例も最終的には「介」とすることになりました
 つまり、ハーバード本「須磨」には「个」は一例もない、ということを今日の結論としました。
 そして、上記基準の「(2)最後の筆が右下方向に滑らかに引かれ、全体的に曲線で構成されている場合は「个」」は考慮しないことになりました。つまり、今後は次の2つの基準で「个」か「介」かを判断しようということです。

(A)最後の筆が真っ直ぐ下に引かれている場合は「个」
(B)最後の筆が右横方向に引かれ、筆が折り返して下に続いている場合は「介」


 今後は、鎌倉期に書写された写本で(A)に該当する用例を探すことになりました。
 この例をご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示いただけると幸いです。

 写本に書かれた変体仮名の確認は、11丁表最終行の「可ゝる人/\も・えしも・」までを見ました。

 以下に、これまで京都の「ワックジャパン(WAK JAPAN)」と「be京都」で開催してきた勉強会の記事を一覧にします。2013年4月6日から今まで、どのような学習会をし、どのような問題点を検討してきたのかを確認するのに便利なリストかと思います。折々に確認の意味でご覧いただければと思います。

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【会場:「be京都」編】


『源氏物語「須磨」』の変体仮名を読む研究会



「[町家 de 源氏](第18回)(「か」と「ま」の字形)」(2019年03月23日)

「[町家 de 源氏](第17回)(変体仮名「寿・春・須」の使い分け)」(2019年02月23日)

「[町家 de 源氏](第16回)(現行平仮名が1文字に選定された経緯は?)」(2019年01月20日)

「[町家 de 源氏](第15回)(書写者が途中で変わること)」(2018年12月22日)

「[町家 de 源氏](第14回)(補入となぞりの確認)」(2018年11月25日)

「[町家 de 源氏](第13回)(変体仮名「う」と「こ」の字形)」(2018年10月14日)

「[町家 de 源氏](第12回)(変体仮名「可・尓・多」が圧倒的に多い)」(2018年09月22日)

「[町家 de 源氏](第11回)(石田版新糸罫と中国版糸罫)」(2018年07月28日)

「地震の後に第10回[町家 de 源氏物語の写本を読む]」(2018年06月19日)

「[町家 de 源氏](第9回)(【画像変更】糸罫が動いた結果)」(2018年05月26日)

「[町家 de 源氏物語の写本を読む](第8回)(糸罫の試作品完成)」(2018年04月21日)

「[町家 de 源氏物語の写本を読む](第7回)の報告(体験参加者と共に)」(2018年03月31日)

「[町家 de 源氏物語の写本を読む](第6回)の報告(重ね書きの問題点)」(2018年02月24日)

「[町家 de 源氏物語の写本を読む](第5回)の報告(ナゾリの問題点)」(2018年01月28日)

「[町家 de 源氏物語の写本を読む](第4回)の報告(虫損と誤読)」(2017年12月16日)

「[町家 de 源氏物語の写本を読む](第3回)の報告」(2017年11月25日)

「[町家 de 源氏の写本を読む](第2回)の報告」(2017年10月28日)

「[町家 de 源氏の写本を読む](第1回)の報告」(2017年08月26日)

「[町家 de 源氏の写本を読む](第0回)の報告」(2017年07月29日)

「[町家 de 源氏の写本を読む]を再開します」(2017年06月22日)

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【会場:ワックジャパン(WAK JAPAN)編】


(1)『十帖源氏』の現代語訳をする研究会



「京都でハーバード本「蜻蛉」と『十帖源氏』を読む(第20回)」(2015年06月21日)
※ここまでで『十帖源氏』「明石」巻の現代語訳は終了

「京町家ワックジャパンで『十帖源氏 明石』を読む」(2015年05月18日)

「京洛逍遥(350)京都で『源氏物語』を読んだ後に御所の一般公開へ」(2015年04月04日)

「京洛逍遥(346)京都のワックジャパンで『源氏物語』を読む」(2015年03月14日)

「京都で『十帖源氏』を読む「明石_その6」」(2014年09月08日)

「京都で『十帖源氏』を読む「明石_その5」」(2014年07月22日)

「京都で『十帖源氏』を読む「明石_その4」」(2014年06月22日)

「京都で『十帖源氏』を読む「明石_その3」」(2014年05月21日)

「京都で『十帖源氏』を読む「明石_その2」」(2014年04月13日)

「京都で『十帖源氏』を読む「須磨_その11・明石_その1」」(2014年03月02日)

「京都で『十帖源氏』を読む「須磨_その10」」(2014年01月21日)

「京都で『十帖源氏』を読む「須磨_その9」」(2013年12月16日)

「京都で『十帖源氏』を読む「須磨_その8」」(2013年11月10日)

「京都で『十帖源氏』を読む「須磨_その7」」(2013年10月06日)

「京都で『十帖源氏』を読む「須磨_その6」」(2013年09月22日)

「京都で『十帖源氏』を読む(第5回)」(2013年08月11日)

「京都で『十帖源氏』を読む(第4回)」(2013年07月14日)

「京都で『十帖源氏』を読む(第3回)」(2013年06月16日)

「京都で『十帖源氏』を読む(第2回)」(2013年05月11日)

「京都で『十帖源氏』を読む会がスタートしました」(2013年04月06日)

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(2)京都で『源氏物語「蜻蛉」』の変体仮名を読む研究会



「京都で「蜻蛉」(第22回)/傍記混入の確証」(2015年09月12日)

「京都でハーバード本「蜻蛉」を読む(第21回)」(2015年07月12日)

「京都でハーバード本「蜻蛉」と『十帖源氏』を読む(第20回)」(2015年06月21日)

「京町家ワックジャパンで『源氏物語』を読む(第19回)」(2015年05月17日)

※(第18回)は「『十帖源氏』の現代語訳をする研究会」のみで写本の研究会は延期

「京洛逍遥(346)京都のワックジャパンで『源氏物語』を読む」(2015年03月14日)

「京都で『源氏物語「蜻蛉」』の写本を読む(第16回)」(2015年02月28日)

「「変体仮名混合版」を後押しする手厳しくもありがたい批判(第15回)」(2015年01月17日)

「京都で「蜻蛉」を読んだ(第14回)後に流通前の古典籍を見る」(2014年10月04日)

「京都で『源氏物語「蜻蛉」』の写本を読む(第13回)」(2014年09月06日)

「京都で『源氏物語「蜻蛉」』の写本を読む(第12回)」(2014年07月19日)

「京都で『源氏物語「蜻蛉」』の写本を読む(第11回)」(2014年06月21日)

「京都で『源氏物語「蜻蛉」』の写本を読む(第10回)+追記」(2014年05月17日)

「京都で『源氏物語「蜻蛉」』の写本を読む(第9回)」(2014年04月12日)

「京都で『源氏物語「蜻蛉」』の写本を読む(第8回)」(2014年03月01日)

「京都で『源氏物語「蜻蛉」』の写本を読む(第7回)」(2014年01月18日)

「京都で『源氏物語「蜻蛉」』の写本を読む(第6回)」(2013年12月14日)

「京都で『源氏物語「蜻蛉」』の写本を読む(第5回)」(2013年11月09日)

「京都で『源氏物語「蜻蛉」』の写本を読む(第4回)」(2013年10月05日)

「京都で『源氏物語「蜻蛉」』の写本を読む(第3回)」(2013年09月21日)

「京都で『源氏物語「蜻蛉」』の写本を読む(第2回)」(2013年08月10日)

「京都で『源氏物語「蜻蛉」』の写本を読む(初回)」(2013年07月13日)

 
 
 
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2019年04月26日

京洛逍遥(542)一休温泉で一休み

 近鉄新田辺駅から、無料バスで「上方温泉 一休 京都本館」へ行きました。ここは京都府城陽市なので、一応[京洛逍遥]ということにしておきます。
 本ブログのこれまでの記事を検索してみたところ、この前来たのは昨夏8月20日。8ヶ月ぶりです。初めてこの「一休」に来たのが2018年4月3日、次に2018年4月29日でした。ちょうど1年前にも来ていることになります。「新緑の平群でお茶のお稽古の後は一休温泉へ」(2018年04月29日)

 今日は、八重桜が満開でした。

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 玄関までの小径は風情があります。

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 8種類の温泉を楽しみました。
 このところ、体調があまり良くありません。鞍馬の湯、宇治の湯、嵯峨野の湯と、近場の温泉を廻っています。こうして温泉のはしごをしているうちに、しだいに身体も回復してきていることを実感しています。逗留でもできれば一気に治るのでしょうが……なかなか、そうもいきません。
 こうして、小刻みに身体を労って少しずつ良くしていきます。連休中も、湯巡りで気力と体力を復活させることにします。
 
 
 
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2019年04月25日

藤田宜永通読(33)『モダン東京4 堕ちたイカロス』

 『モダン東京4 堕ちたイカロス』(藤田宜永、2002年3月、小学館文庫)を読みました。

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 昭和9年、東京を舞台とする的矢健太郎探偵が活躍する話です。
 時は、飛行機がブームとなった時代。飛行機をテーマにしているものの、いかにも調べた知識で書いたという作品です。

 まず、校正が甘い文庫本であることが気になりました。ほんの一例を。
 「後を追ううにして切れた。」(54頁)は「後を追うようにして切れた。」でしょうか。
 「ドイレ」は「トイレ」(309頁)です。
 その他、誤字・衍字と思われるものが散見します。発行元の校正者の見落としでしょうか。集英社文庫、朝日新聞社単行本に続いて3回目の印刷です。二番煎じ三番煎じ(?)なので、校正業務にも熱が入らなかったこともあり、気が緩んだのでしょう。

 新宿中村屋が出てきます。ライス・カレーはさておき、昭和8年に発売された「ピロシキ」を食べる場面を語ってほしかったのですが……。
 藤田宜永の作品を読んでいて、不満に思うことがしばしばあります。昭和初期の満州やインドに関する記述があっても、まったく知らないで書いたとしか思えないほどに国名を出してなぞるだけなのです。もっと調べて、物語の内容に組み込んだらいいのにと、いつも思っています。日本との歴史と異文化交流に興味がないようなので、残念なことです。話にもっと膨らみと深みが出てくるはずなのです。

 さて、扇原飛行機製作所の企業秘密を巡って、いくつかの殺人事件が起きます。その解明に向けて、的矢は奔走します。
 しかし、緩みっぱなしの語り口と展開で、ダラダラと話が流れていきます。その原因は、人間関係の結びつきが弱く、磁力の弱い磁石のような関係でしか描けなかったからだと思います。人と人との緊張感がないので、行動の必然性もなくて話が締まらないのです。女性の描写が、あいかわらず精彩を欠いています。これは、人物設定のミスマッチと、その行動力のなさから来るものだと思っています。

 警察を敵に回して、丁々発止のやり取りをするあたりから、物語の口調にキレが出ます。最後になって、やっと盛り上がりを意図したと思われる話となるのは、藤田宜永のいつもの特徴です。マラソンで、最後に競技場に入ってから、観客の視線を意識して途端に必至の形相で走るランナーに似ています。

 そんな中で、帝大の優等生の例は、それを言う意図がよくわかりません。
 「野々村は冷静だった。帝大以外は学校ではないと思っている優等生が、警官になった。そんな臭いがプンプン臭っていた。」(274頁)

 さらには、飛行機製作所と軍部との関係を詰めてほしい所でした。甘いのです。
 飛行機を愛する男たちのドラマは、夢を強調して終わります。しかし、私にはそれは夢だと言うほどのもののようには思えません。昭和8年、9年の社会の激動と、若者の生き様を描かないと作り物に脱したままになります。あまりにも中途半端なままで終わりました。

 あまり貶してばかりもいけません。作者は、いい作品も書いているからです。昭和8年という時代を描くために、いろいろと小細工をしていることは楽しめました。それだけに、もっと調べてから書くべきでした。それは、この的矢健太郎シリーズ全体を通して言えることです。【1】

※書誌情報:集英社文庫(1989年7月、書き下ろし)、朝日新聞社(1996年7月、単行本)
 
 
 
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | □藤田通読

2019年04月24日

京洛逍遥(541)新研究室の整理をした帰りに嵯峨野温泉へ

 新しい研究室で、引っ越し後の整理整頓を、遅々として捗らないながらも進めています。一番頭が重いのは、書棚が思うように手に入らなかったことです。そこでその対処策として、引っ越しの段ボールが150箱もあるので、それを並べて書籍や資料を収納するスペースを作ることにしました。
 まずは、部屋の奥にある入り口からの通路を確保し、その左側に研究・事務エリアと調査・作業エリアを作ってみました。電子ボードから後ろ(写真手前)を調査・作業エリアにする予定です。

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 段ボールを2段に積んで並べたところ、7メートルの長さを確保できました。その仮設の本箱のスペースを、グリーンの布地で覆ってみました。上面に並んでいる数冊の本は、クロスが滑り落ちないように、重石として仮に置いたものです。まだレイアウトを確認するだけのものです。しかし、期待通り、少し上品なカウンターの雰囲気が感じられるようになりました。
 調査・作業エリアから研究・事務エリアを見ると、こんな感じです。

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 まだまだ本が散在していて、雑多な状況です。これから整理を進めます。
 関係するみなさまの心配そうな顔が浮かぶので、今はこんな状況ですよと、参考までに報告しておきます。ご意見をお寄せいただけると助かります。
 この本箱の列が作るカウンターの右側が、アルバイトさんたちの通り路となります。右手後方のドアから入り、電子ボードがある調査・作業エリアで翻訳本の整理や情報収集などの仕事をしてもらいます。
 調査・作業エリアの窓際(赤矢印のスペース)には、各国語辞書や平安文学に関する参考資料を並べてみました。

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 知りたいことは、ネットで検索をすれば何でもわかると言われています。しかし、それはわかっていることを調べる場合のことであり、異文化コミュニケーションと文化の交流について調べる時には、ネットではわからないことが多いのが実情です。そのためには、どうしても書籍の助けが必要です。探し求める答えの有無が、ネットを使うか書籍を活用するかの違いとなることがよくあります。ネットに流れている情報は、まだまだ信頼性に危うさが伴います。書籍の記述は、見直しと校正の跡が辿れるので、信頼性は増しています。
 私とプロジェクト研究員は、ドアを入った正面、通路の左側の研究・事務エリアで仕事をします。これで、大まかな研究室のレイアウトが整いました。それにしても、段ボール150箱分の書籍や資料を整理して、この急拵えの書棚に収めようとしているのです。とてつもない時間と体力が要ります。
 1ヶ月が経ち、ここまで来ました。5月中には、調査と研究をこの新しい部屋で始めたいものです。
 関係者のみなさま、今後ともご理解と手助けのほどを、よろしくお願いします。

 帰りに、阪急京都線の西院(さいいん)駅から嵐電の西院(さい)駅で乗り換え、有栖川駅で降りて嵯峨野温泉の「天山の湯」に立ち寄りました。この温泉のことは、「京洛逍遥(405)さがの温泉「天山の湯」」(2016年05月04日)に詳しく書いています。ただし、この時は、電車のことに興味が集中しています。今日も、電車の中に取り付けられている降車ボタンが気になりました。味わいのあるボタンがまだ使われています。

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 「天山の湯」は、これまでの温泉の中でも一二を争ういいところでした。駅から徒歩3分というだけでなく、この温泉の認識をあらためました。のんびりと寛げます。

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 帰路、北野白梅町へ出るための乗り換え駅である帷子ノ辻駅で、小雨の中で線路が描くラインに見とれました。

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 また、新しい楽しみ場所を見つけました。
 
 
 
posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2019年04月23日

第19回[町家 de 源氏物語の写本を読む]開催のご案内

 今週末、4月27日(土)の午後2時から4時まで、「be京都」(http://www.be-kyoto.jp/)で19回目となる[町家 de 源氏物語の写本を読む]を開催します。これは、特定非営利活動法人〈源氏物語電子資料館〉が主催して取り組んでいるものです。
 テキストは、『ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「須磨」』(伊藤編、新典社、2013年)です。

 本日23日(火)の京都新聞(朝刊)「まちかど」欄に、この勉強会を呼びかける記事が掲載されましたので、あらためて本ブログでも紹介します。

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 今回は、上記テキストの10丁裏7行目の「佐らぬ・人八・とふらひ尓」から読みます。

 前回の内容については、「[町家 de 源氏](第18回)(「か」と「ま」の字形)」(2019年03月23日)をご覧ください。

 700年前に書写された『源氏物語』を、変体仮名に注目して読み進めることに興味と関心をお持ちの方は、このブログのコメント欄より、参加希望の連絡をお願いします。折り返し、詳細な案内を差し上げます。
 参加費は、初回だけは体験ということで千円で、2回目以降は二千円(学生は千円)です。
 NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の正会員には割り引き特典があります。

 次回の第20回は、5月25日(土)の午後2時から、場所をあらためて「紫風庵」で行なうことを決めています。
 「紫風庵」については、「京洛逍遥(538)登録有形文化財「紫風庵」の三十六歌仙絵」(2019年04月13日)で詳細に紹介しています。
 その第1回では、会場である「紫風庵」の襖絵に変体仮名で書かれた和歌を読むことを中心とします。
 そして、後半で、上記ハーバード本「須磨」を読みます。

 興味と関心をお持ちの方は、資料の用意がありますので、本ブログのコメント欄を通して、参加希望の連絡をお願いします。
 近在のみならず遠方からの方や、旅の途中で立ち寄っていただいても構いません。

 NPO法人〈源氏物語電子資料館〉としては、来月からは新しい活動の拠点で心機一転のスターとなります。
 今後の活動を楽しみにしていただけると幸いです。
 
 
 
posted by genjiito at 20:52| Comment(0) | ◎NPO活動

2019年04月22日

健康維持のためのスポーツクラブ通い

 私がスポーツクラブに通いだしたのは、高校の教員から大学の教員に転職した平成3年からです。
 奈良の王寺駅前、横浜の金沢文庫駅前、川崎駅前、そして東京の銀座三町目、そして京都の北大路と、いろいろな所の会員となりました。「銀座で泳いでいた日々を思い出して」(2017年08月06日)に、そうしたことを整理した記事を書いています。
 今は、京都のクラブに通っています。ここは、東京にいた時にチェーン店でもあり、掛け持ちで通っていた所です。ただし、施設が老朽化しているので、不衛生ということもあり、何度も辞めようとしました。しかし、やめてしまえばそれまでです。細々とでも続けることに意味があると思い直し、とにかく週1回は通うようにしています。
 今の施設は、10年前まではコンピュータを活用した健康データの管理が進んでいました。しかし、それもいつしかサービスが貧弱となり、今はコピュータシステムがまったくなくなったので様変わりです。
 そんな中で、スマホが使えそうだ、ということがわかりました。このままではもったいないので、今日からアイフォンを活用した健康データの管理をすることにしました。個人用のデータ端末を使ってのものなので、他社のアプリによる貧弱なサービスです。データ管理システムが良かった頃を知っているので、面倒なだけできめ細やかな思いやりの欠片もない、事務的なシステムになり果てているのにはがっかりです。それでも、これは使い方次第では何か役に立つこともあるだろうと、記録代わりに活用しだしました。
 それにしても、このクラブのスタッフは使い方の説明ができないのは、高齢者が多いので使うはずがないという気の緩みからだと思い至りました。スマホ片手にマシンのジムを利用しているのは、25人いても1人か2人です。
 今日は、マシンのパネルに貼られたQRコードを読み取り、一つずつ登録していきました。登録したからといって、マシンを使ってのウエイトの数値と回数は、最初に設定されているものを確認し、その日の体調に合わせて入力し直すだけです。デジタルの機器を使いながらも、利用時にはアナログの世界となります。何も連動してデータを管理していないのです。スタンドアローンのシステムです。家でデータが見られることが、新しさとでも言えるのでしょうか。
 自転車漕ぎのマシンは、また別のアプリをダウンロードするのです。面倒なので、これを使う人がいないのはわかります。しかし、ほとんどの方が使わないのならば使ってやれ、と思うのが私です。
 11台のマシンを登録したので、今後はこれで遊びながらエクササイズに取り組むことにします。目標があれば、それに向かって取り組むことになるはずです。そうした自分の性向を見越しての、利用する環境をわざわざ手作業で登録して設定したのです。
 それにしても、体重も血圧も体組成値も、すべてが一つ一つを手入力するので大変です。かつてのシステムでは、測定器が各人の数値を連携させて記録してくれていました。手入力になったのは、この運営会社の衰退を象徴するものです。と、ないものねだりをするのは、高齢化に伴う加齢難民の証だとも。昔はよかった、と言わずに、何事も前向きにとらえることに限ります。
 
 
 
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | *健康雑記

2019年04月21日

京洛逍遥(540)大和でお茶のお稽古の後は宇治の温泉へ

 急に暑い一日となりました。大和平群へ、お茶のお稽古に行って来ました。
 これからは、日毎に緑色が深さを増していきます。

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 今日は前回に引き続き、「続き薄茶」のお稽古です。道中の2時間で、『裏千家茶道 点前教則 19 応用点前 趣向と工夫』(淡交社)に写真で説明がある「続き薄茶」を目で追って、この前のことを思い出しながら予習をしていました。一通りおさらいをした後、何となく他のページを繰っていたら、次の項目の「流し点」に目が留まりました。その説明は次のように記されています。

 特に親しい少人数の客と語り合いながら茶を点てるといった、ごく打ち解けたものです。
 炉の流し点は古くから伝わってきましたが、風炉の流し点は、昔からあったものが一時中絶していたのを、明治二十八年頃に十三代圓能斎によって再興されました。(56頁)


 この説明を見て、これは私向けのお点前だと思いました。これまでは、「入れ子点前」が私にあったものとしてお稽古をしてきました。そこに、この「流し点」が加わりそうなのです。そこで、すぐに先生にメールを出しました。「流し点」があることがわかり、親しい少人数で話をしながらできるようなので、今日はこれをお稽古してみたいのですが、と。まったく、いつもながらワガママなお願いです。
 すぐに返信がありました。
「大丈夫です。一度されたことがあると思います ♪」
 と言われても、まったく記憶がありません。しかし、とにかく、やってみることにしました。
 「流し点」を、アドバイスをいただきながらやりました。本当にかつてやったことがあるのか、どうも思い出せません。その気になってお稽古をしていなかったからでしょう。やらされていた時のことは、まったく身に付いていない証拠です。
 今日は炉でのお点前です。しかし、来週の5月からは風炉のお点前となります。そこで、来週のお稽古では、風炉も用意してくださることになりました。いつも気ままな注文に応えてくださる先生には感謝しています。それだけに、こうした機会をまたとないものとして、真剣に身体に染み込ませるようにしたいと思っています。すぐに忘れてしまうにしても、真剣さの積み重ねを大事にしています。忘れることを怖がっていては、いつまでたっても身につくはずがないのですから。と、自分に言い聞かせています。

 帰り道は近鉄京都線の大久保駅で降りて、宇治天然温泉「源氏の湯」に立ち寄りました。ここに来るのは久しぶりです。

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 最近、体調が優れないので、昨日は鞍馬山の奥にある単純硫黄の鞍馬温泉で身体を休ませました。引き続き今日は、地下1111mより湧き出る海水の成分に似た食塩を含む、塩化温泉に身を委ねました。ヨモギのサウナにも入りました。
 今月から、生活環境が新しくなりました。季節の変わり目でもあり、こうして身体を労るようにしています。気分を一新して、また新たなスタートを切ることになります。この長いゴールデンウイークの期間中は、ゆったりと鋭気を養う機会にするつもりです。
 
 
 
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2019年04月20日

京洛逍遥(539)鞍馬温泉で霊気を浴びる

 大型連休の直前ということもあってか、洛北鞍馬や大原に行く叡山電車は静けさの中にあります。始発駅である出町柳駅には、おしゃれな電車が停まっていました。

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 鞍馬までの沿線は、昨秋9月の颱風で倒れた木々が、無残な姿で今も斜面に置かれています。

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 この電車も、貴船口駅から鞍馬駅間が運転を再開したのは、その2ヶ月後でした。秋の紅葉シーズンに何とか間に合ったのです。
 鞍馬駅の駅舎は少し改装されていました。

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 待合室には、昨秋の颱風で倒れた樹齢110年の杉がありました。鞍馬線の設立が昭和2年なので、それよりも古くから立っていた木なのです。

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 露天風呂はいつもの「峰麓湯」。温めの単純硫黄温泉です。入浴者のほとんどが海外からの方でした。

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 鞍馬は八重桜がこれから満開を迎えるところです。

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 鞍馬寺の参拝は、午後4時半までです。すでに過ぎていたので、今日も温泉だけで帰りました。お山のありがたい霊気を、思う存分に浴びることができました。
 
 
 
posted by genjiito at 21:47| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2019年04月19日

2002年春にインドで書いた未公開日記(その9/第8週)

 2002年にインドのデリー大学に客員教授として赴任していた時の、大学での様子や、インドでの日常生活をあるがままに記した日録です。これまでに公開していた記事は、サーバーがクラッシュしたために、読めないままとなっていました。折々に再現しています。特に、この「第8週」以降は未公開のままだった部分です。メモを元にして、適宜インドでのことを思い出しながら、再現していきます。
 今回は、その「第8週 02/24〜03/02」の内の、前回復元した2月27日から2日後の、コンピュータで世界的に知られるバンガロールへ行った時の、3月2日の行動の記録です。
 2月28日と3月1日については、写真などはあるものの、日録がどこにも見当たらないので、またいつかということにします。

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■02.03.02■



 バンガロールへ行く日。T2先生が仰るベンツだというオートリキシャで8時半に出発。朝夕が寒いということなので、長袖のセーターを1枚着る。おまけに、ビニールの半そでのウインドブレーカーも着る。空港までは、確かに寒かった。
 荷物のチェックは厳しかったが、特に問題はなし。出発が40分遅れた。待合室で、T2先生から成功する人間についての話を聞く。

 1、人間のネットワークを持っている。
 2、あきらめない。
 3、細部に目が行き届き、かつ何が重要かがわかる。

 英語は、今後とも習得する努力を続けるべきだとのこと。重要なポイントになるとのこと。
 機内では、G3さんから預かった刊行予定のチベット語会話の本の点検と校正をする。食事はノンベジタブルにした。少し辛いタンドリーチキンが出た。窓から見下ろすと、ただ土色の平野が広がるだけである。
 ウツラウツラしているうちに、2時間強でバンガロールに到着。40分遅れ。
 とにかく暑い。セーターをすぐに脱ぐ。木立が南国らしい。街も小奇麗である。予約していたタクシーの運転手はすぐに見つかった。エアコン付きのスズキの車でホテルまで。街が埃っぽくないので、改めて、異国に来た気分である。

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 五つ星のタージ・レジデンシー・ホテルは、意外にこじんまりしていた。内装や小物がセンスある、いいホテルである。プールもいい。T2先生と日本語を話しながらエレベータに乗ると、乗っていた婦人が「少し日本語がわかります。」と片言の日本語で語りかけて降りて行かれたのには驚いた。
 部屋もきれいである。早速パソコンに日記を入力する。

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 しばらく休憩してから、タクシーで市内観光に。といっても、ガイドなしで、気ままに散策。産業博物館と州立博物館に行く。産業博物館は、古い機械を展示するだけで、これといったものはない。州立博物館は、1世紀ごろの石造のレリーフがワンフロアーに展示されていた。ただし、名札があるだけで、特に説明があるわけでもない。T2先生がお持ちの地球の歩き方を見ると、翼のある馬や牛車や釈迦の石造が見ものだとか。入り口のすぐそばにあったが、そこに置いてあるだけ、という感じである。
 日差しが強く、日焼けしそうな天気である。庭の花を撮影して、すぐに次のお寺へ行く。昔の宮殿の跡で、18世紀末の木造の珍しいものだった。ティプー・スルターン宮殿。落ち着いたデザインで、インドらしからぬ地味な建物である。金と黒漆の柱が160本以上も並んでいる。

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 裏では、5人が椅子を持ち出して古い記録類を整理していた。ダラダラとやっていた。
 この隣に、小さいがハヌマーン等を彫った寺がある。近くに寄ると、窓枠などに電飾が見える。これは、インドの神様らしい。
 次は、少し高台にあるお寺へ行く。ブル寺院と言う。
 タクシーを下りてすぐに、T2先生がピーナッツを塩茹でにしたものを買われた。これがまたおいしいのである。皮は、そのまま地面に捨てる。自然に帰るので、ゴミ箱に捨てる必要はないのである。小さいものを二つ見て、牛が1枚の岩から彫り出されたものをご神体にするお寺へ行く。中は閉まっていたので早々に出て外で休憩していると、靴預かりのおじさんがおいでおいでをする。扉が開くので、もう一度入れと言う。
 中の黒い牛は、目がかわいい。インドの神様は、本当におもしろい。

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 ピーナッツを食べながらまた休憩していると、おじいさんが話し掛けてきた。何人かと。日本人ならどんなお金を使っているのか、それを交換しないか、とかなんとか、いろいろと話す。聞いてみると、今は75歳で、以前は英語の先生をしていたそうだ。インドのインテリである。悠悠自適とはいかず、自分の若かりし頃の再確認も含めて、観光客相手に話をする、といった体の声掛けおじさんとなられたようにお見受けした。適当に話を打ち切り、タクシーに戻る。
 すると、すぐ横のお寺にもどうかと運転手が言うので、それでは、ということで立ち寄る。中ではちょうど儀式がおこなわれていた。修行者のような上半身はだかのバラモンらしき人が、お盆にろうそくをともして歩いてきたので、私は思わずそのお盆に10ルピーを載せた。ところが、その人が私に新聞紙に包んだものを手渡してくれた。中をみると、焼き飯のようなものが入っていた。先に外に出ておられたT2先生にどうしましょうか、と聞くと、そこらに捨てて行けばいいとのこと。食べるとややこしくなるといけないようである。

 インドでは、食べ物などは、何でも道端に捨てている。自然に帰るし、牛たちが食べるので、それでいいのである。これは、私が育った日本やヨーロッパの現代文化とは大きく異なったものである。この外来の考え方が、今ではインドでも浸透し、自然に帰らないのにポイポイとものを外に捨てることになっている。そのおかげて、インドの街中はゴミが散乱している、という状況である。

 バンガロールの街は、デリーに比べると非常にきれいである。整然としている。ごみごみとしていない。南国と言うこともあるのだろうが、明るい。街を歩く人も、小奇麗である。女性はサリー姿が多く目に付く。そして、配色が明るい。ピンクやオレンジやホワイト。デリーと比べると、たくさんの若い女性がサリー姿で出歩いているように思える。道端にも、ゴミが少ない。道路の舗道側も舗装がしてあるので、デリーよりもずっと埃が少ない。車も、車間距離にゆとりがある。クラクションを鳴らすが、デリーほど執拗な鳴らし方ではない。オートバイもスクーターも、いいものに載っている。オートリクシャも、へこんだものは少ない。と言えばすべてがデリーよりもいいように聞こえる。しかし、排気ガスに関しては、まだガソリン車ばかりである。デリーでは、CNGという、天然ガスでたくさんの車が走っている。このバンガロールでは、まだそこまではいっていない。

 シティーマーケットに行って驚いた。ものすごい数の人が、広い市場に所狭しとお店を出している。露天と言うよりも、座った体のまわりに野菜や果物などを並べて、それも女性がずらりと並んで、物を売っている。売る人と買う人が、何十万人とでもいうほどの人であふれている。日本で見かける野菜や果物が多い。すごい熱気である。

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 ココナツを、T2先生が一つ買って私に食べさせてくださった。なかなかいい味である。

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 ホテルのフロントで、T2先生がすぐに女性と話し始めた。今日会う予定のNGO活動をなさっている方のようである。ソファーに座って、いろいろと世間話をする。すべて英語である。途中が私は部屋に帰り、シャワーを浴びる。7時に下に下りると、まだT2先生は話をしておられた。しばらくしてT2先生が部屋に帰られたので、私とその女性だけで話すことになった。それも英語で。これは大変である。と思っていたら、ありがたいことに非常に饒舌な方で、ひたすらその方の話を聞く一方であった。なんとかわかったので、適当に相槌を打つ。ちょうど、NGOの話になったときに、蛍の話になる。話が蛍のことだとわかるまで、しばらくかかった。
 ホームページやメールアドレスの話をし出したときに、ちょうどT2先生が帰ってこられたのでホッとする。
 私の家族のことを聞かれたが、これはすでに練習済みの会話なので、うまく答えられた。T2先生が、なかなかやるではないか、と誉めてくださった。8時ころに、バンガロール大学の先生で、詩人で、NGO活動をなさっている旦那さんがおいでになった。ノーネクタイのカッターシャツをズボンから出し、裸足にスリッパというラフなスタイルである。もう一人おいでになる予定の方は、ちょうど今日は先日来の暴動事件に関する問題が発生し、政府関係の方と対策の打ち合わせが入ったために来られなくなったようである。この街に、州の首相であるソニア・ガンディーさんが来られていて、明日は大規模なデモがあるために、政治関係者は大変な時期のようである。

 8時にホテルを出て、街中のカニ料理が美味いという中華料理店へ行く。ところが、あいにく今日はカニがないとのことなので、しかたがないのでエビ料理になる。
 政治や宗教などの幅広い話に、NGO活動の話が入り混じっての英会話に、私はついていくのが必死。私に向かって話してくださるときもあるが、とにかくニコニコと、顔が引きつらないように表情で答えるのが精一杯である。T2先生は、いつものわかりやすい英語で、それこそペラペラとしゃべっておられる。そうこうするうちに、今日は来られないはずだった方が顔を出された。この方との話では、T2先生が突然フランス語に切り替えられるので、何がなんだかわからない。
 記念撮影をして、また外でも写真を撮って別れた。レストランのボーイさんが、息子たちに見せたいと言うので、一応写真を撮ってあげる。しかし、渡すことができないので、適当なことを言って別れる。

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 ホテルでコーヒーを飲む。南インドのコーヒーは少し濃い。おいしい。レストランの女性に、タバコを持って来てもらう。インドのものしかないが、と言って笑いながら持って来られた。T2先生が、体調がいいとタバコがうまい、と言いながら葉巻を注文。なかなか贅沢な注文に、ボーイが次から次へといろいろな葉巻きを持って来る。先生のお好みのものはなかった。しかし、それなりにいいものを手にされた。

 部屋にインターネットのコンセントがあったので、説明書の通りにやってみたが失敗する。555で部屋から使えるとのことだが、うまくいかない。何度かチャレンジしたが、やはりだめ。諦める。
 
 
 
posted by genjiito at 20:04| Comment(0) | ◎国際交流

2019年04月18日

2002年春にインドで書いた未公開日記(その8/第8週)

 2002年に、私はインドのデリー大学に客員教授として赴任していました。その時の大学での様子や、インドでの日常生活をあるがままに記した日録は、これまでにその中盤までは公開してきました。その後、サーバーがクラッシュしたために、読めないままとなっていた記事を、折々に再現しています。特に、前々回の「2002年春にインドで書いた未公開日記(その6)」(2019年01月22日)からは、「第8週 02/24〜03/02」の出来事を扱っています。すでにクラッシュしたままのホームページでも、この「第8週」以降は未公開のままだった部分です。メモを元にして、適宜インドでのことを思い出しながら、再現していきます。
 今回は、その「第8週 02/24〜03/02」の内の、前回復元した2月25日の「2002年春にインドで書いた未公開日記(その7/第8週)」(2019年01月24日)に続く、2月27日の出来事です。2月26日については、結婚式場へ飛び入りで参加した写真などはあるものの、日録がどこにも見当たらないので、またいつかということにしましょう。

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■2002.2.27■



 N2君と一緒にデリー大学へ行く。私は授業。N2君は、そのタクシーを使ってデリー北部の調査に出向く。

 ジャンパトの中心地にある、メルディアンホテルで、インドでのマックイベントがあった。

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 その時のメモから。
 ・PDAに対する質問について、担当者は答えられなかった。
 ・プレゼンテーターに答えられない場面が多々あり。サポ−タ−が答えていた。
 ・デリーのバスとスクータ−を例にしての「PCバス」の説明は、あまりにも低レべルなもの。インドらしい例示。しかし、元々がパワー不足の乗り物すぎるのでよくない例え。

 ジャンパトからの帰り道のこと。
 いつもの通り、ジャンパトロードでオートリクシャーを探す。走り寄ってきた車の運転手に行き先を言って50ルピーでと言ったところ、メーターで走るというので辞めて別のものを探すふりをしたところ、50ルピーで行くというので乗る。
 ジャパンか? コーリアか? と聞かれたので、ジャパンだと答える。
 走り出してから、運転手がショッピングセンターを知っているので寄ると言う。しかし、ノーと断わる。しつこくランチボックスがどうのこうのと言うので、とにかくノーだと断った。しばらく走ってから、突然道路脇に止めて、ここのショッピングセンターで買い物をしないかと言う。とにかく嫌だから、急いで行ってくれと言うが、エンジンを止めたまま動かない。腹が立ったので、オートリクシャーから飛び降りて、近くのバス停の方に歩き出した。
 すると、運転手はとにかく乗れと言うので、また乗って帰ることにした。よほど別のオートリクシャーに乗り換えようかと思った。しかし、支払わないままになるのが後々面倒になってはと思い、とにかくそのまま乗ったのである。目的地の近くに来たときに、何か話しかけて来たが、無視した。お寺の前に着いたとき、50ルピーを出そうとすると、80ルピーだと言う。無意識に、日本語で「アホか」と言ってしまっていた。50だと言ったはずだと言って50を突きつけると、じゃあ70でいいと言う。腹が立ったので、「お前は嘘つきだ」と言って、50ルピー札を運転手の膝に投げつけてお寺の門に入った。門番のB2さんがいて、門を開けてくれたので、後ろから追いかけられる心配はなかった。とんでもない運転手である。インドに来て、こんなに酷いのに会ったのは初めてである。
 後でN2君に聞いたところでは、そんなときには、最後まで気分が悪いので、途中で下りて10ルピーを投げつけるのだそうだ。つまり、そんなことをしていたら、もらえるはずの50ルピーも手に入らない、ということを教えてやる必要があるからだと言うことである。ただし、私の場合は、次に乗り継いだオートリクシャーが、帰るところまでいくらの値段で交渉すればいいのかわからないので、乗り捨てるのも大変だったのである。今日の場合でも、少し遠回りしていたので、止まったショッピングセンターの場所がまったくわからない状況だった。なかなか難しい問題である。
 それはともかく、部屋に帰り、シャワーを浴びようとしていたときに、小僧さんが夕食を知らせて来た。いつもより早い。食堂へ行くとすぐに、アイヨディアで50人以上が列車を放火されて殺された、というニュースをみんなが教えてくれた。N2君に以前から聞いていたことだが、こんなに早く、それも問題を起こすはずのVHPのメンバーがムスリムによって殺されるとは、素人の私でさえ、まったく予想外のことであった。となると、後はVHP側の仕返しという暴動の心配である。
 N2君・N8先生と2人の若い女性と共に、この問題で話し合う。というより、2人の専門家の説明を聞いた。とにかく、何が起きても不思議ではない状況になっているようである。10年ぶりの危険な状態であり、しかも、10年前よりももっとひどい状態だそうだ。私は、すぐに帰国のことを考えた。1月26日の共和国記念日にも、テロのことが予想されたので、あの時もいつでも帰国できるようにスーツケースを整理していた。また、そんな事態になるかもしれない。みんなは笑っていたが、しかしそれもあり得るか、というのが今日のニュースである。テレビは、夜になるとこの事件の報道はしなくなった。規制がかかったようである。
 そして9時過ぎに、上人が今テレビで、今後10日以内にラーム寺院建設を中止しない場合は、非常事態宣言を出すことになるとの発表がなされたと伝えに来られた。まさに、大変なことである。どのようなルートで外出禁止令が出、どのような形で国外退去ということになるのかも、詳しく聞いた。明日はデリー大学へ行く日なので、大丈夫かということも確認したが、何とか大丈夫だろうとのことであった。明朝の判断である。

 
 
 
posted by genjiito at 23:28| Comment(0) | ◎国際交流

2019年04月17日

平安文学の翻訳本に関するアルバイト募集中

 箕面キャンパスへ行く時には、万博記念公園駅で大阪モノレール彩都線に乗り換えます。進行方向を見ていたら、おもしろい曲線を描いていました。

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 今日の太陽の塔は、まん丸いかわいい目で出迎えてくれました。見つめられている気持ちになります。その愛嬌のよさと引き換えに、胸の顔は相変わらず相手を見定める目です。

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 これまでの2枚(2019年4月4日、9日)を含めて、この2週間で背面以外はその表情のおおよそをアップしています。背面については、「視覚障害者と共に古写本を読むためのポスター発表をする」(2014年12月20日)と「学術交流フォーラムの音楽ワークショップで受けた刺激」(2014年12月21日)をご覧ください。

 箕面キャンパスの総合研究棟へ向かう道の八重桜は、今が見頃です。

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 いまだに、新しい部屋の整理をしています。今日、期間限定でテーブルと椅子をお借りすることができました。

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 さて、これをどうレイアウトするかが問題です。また、書棚はどうも手に入らないようなので、段ボール箱を工夫して本の収納をすることにしました。
 私とプロジェクト研究員、そしてアルバイトの方々の計8名が、この90平米の部屋で仕事をすることを、当座は想定しています。とにかく、これでようやく仕事モードに入れます。来週中には、研究活動の再始動の準備を終えたいと思っています。

 そこで、あらためてアルバイトで科研「海外における平安文学及び多言語翻訳に関する研究」(課題番号︰17H00912)を手助けしてくださる方を募ります。
 次の言語がネイティブの方と、これらの言語を日本語に翻訳できる方を探し求めています。英米語、チェコ語、中国語、ハングル、フランス語、イタリア語、スペイン語、ロシア語については、今年度は主な言語としては取り扱いません。今回は特に、インド諸語、ビルマ(ミャンマー)語、ルーマニア語を最優先でお願いするつもりです。その次が、東欧諸語です。


【お手伝いしてほしい諸言語一覧】



アッサム語(インド)・アラビア語・ウルドゥー語(インド)・エスペラント・オディアー語(インド)・オランダ語・クロアチア語・スウェーデン語・スロベニア語・セルビア語・タミル語(インド)・テルグ語(インド)・ドイツ語・トルコ語・ハンガリー語・パンジャービー語(インド)・ビルマ語(ミャンマー)・ヒンディー語(インド)・フィンランド語・ベトナム語・ポルトガル語・マラヤーラム語(インド)・モンゴル語・リトアニア語・ルーマニア語


 仕事をお願いすることに関しての事務的な手続きについては、まだその詳細は事務方と打ち合わせが終わっていません。これまでの例でいうと、時給950円で、火曜日と水曜日の午後に5時間以内、大阪大学箕面キャンパス(大阪府箕面市粟生間谷東8丁目1 大阪大学箕面キャンパス 総合研究棟 6階)に来てくださる方です。全国一律の規定により、交通費は出ませんのでご了承のほどを。
 やってみようと思われる方は、このブログのコメント欄を活用してお知らせください。直接お目にかかって、実際の翻訳資料をもとにしてご説明いたします。実際の仕事は、ゴールデンウィーク明けからスタートすることになります。
 なお、成果は科研のホームページ[海外へいあんぶんがく情報](http://genjiito.org)に公開し、お名前は研究協力者の中のアルバイトの項目に明記します。これは、情報の質を確保する意味で責任の一端を共に担っていただく意味から、私の仕事では常に心がけていることです。

[付記]すぐには返信や対応ができないこともあることを、くれぐれもご了承願います。
 
 
 
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ◎国際交流

2019年04月16日

谷崎全集読過(32)「或る漂泊者の俤」「母を戀ふる記」「不幸な母の話」

■「或る漂泊者の俤」
 中国・天津での話です。ボロボロ、ヨボヨボの男の姿を丹念に描きます。街の活気や賑わいを言葉で再構築しようとする中で、この男の尋常ではない様が浮き彫りになっていきます。雰囲気を伝える手法を模索する中での、作者としては文章修行の一つのように思いました。【2】
 
初出誌:『新小説』大正8年11月号
 
 
 
■「母を戀ふる記」
 日本橋での豊かな生活を畳み、片田舎に逃れての貧しい、惨めな生活に身を置くことになった、少年時代の自分の姿や考え方が五感を織り交ぜて語られています。冒頭の夜道の描写が印象的です。街道を歩き続けながら、見えたもの聞こえたもの会った人のことを、天空に月を置いて夢語りが続きます。母恋しさに想いを込めて綴られた作品です。【4】
 
初出誌:『大阪毎日新聞』『東京日日新聞』大正8年1月〜2月
 
 今回読んだ『谷崎潤一郎全集』の解説で、伊藤整は次のように言っています。
教科書などにもしばしば掲げられてゐる「母を戀ふる記」(大正八年一月、「大阪毎日」「東京日日」)は、母を描いたこの作家の小説としては究極的なものである……(239頁)

 
 
 
■「不幸な母の話」
 兄の結婚以来、母は人が変わったように別人になったと言うのです。息子たちの新婚旅行中に、嬉しさのあまり後を追って行き合流する母。しかし、帰りに船が転覆し、兄が母よりも妻の方を先に助けたことから、母の息子への失望から駄々っ子ぶりが酷くなるのでした。このおもしろおかしい展開に、読者は惹きつけられます。語り手の兄の遺書が、また読者を釘付けにします。谷崎の物語の設定がうまいところです。まさに、「カルネアデスの舟板」の話です。偶然とはいえ、人間の根源を突く物語といえるでしょう。【5】
 
初出誌:『中央公論』大正10年3月号
 
 
 
posted by genjiito at 19:16| Comment(0) | □谷崎読過

2019年04月15日

「百星の会」から栃木県の石田さんの訃報が届きました

 「点字・拡大文字付き百人一首〜百星の会」の関場理華さんから、「栃の葉かるた会」を主宰なさっていた石田えりさんの訃報がもたらされました。
 石田さんには、高田馬場の新宿区社会福祉協議会の中にある視覚障害者交流コーナーで、何度かお目にかかりました。
 広く情報を共有し、石田さんに哀悼の意を捧げたいと思います。

 栃木県で、「栃の葉かるた会」を主宰されていた石田えりさんが、お亡くなりになりました。
 今から5年前、「百星の会」が結成されたばかりで、まだ参加者も少なかった頃、応援したいと言って、往復3時間も掛けて、毎回かるた会に足を運んでくださり、楽しいおしゃべりと、暖かなハートで、いつも会を盛り上げてくださいました。
 栃木の方も、たくさん誘ってくださって、実際に体験すれば、面白さがわかる! と
普及のことを絶えず考えてくださっていました。
 そして、「栃の葉かるた会」を結成されて、定期的に百人一首を楽しめる場を音訳ボランティアの方々も巻き込んで、作ってこられて、またそこはかるたを楽しんだ後の、おいしいランチにおしゃべり…などなど楽しさが盛りだくさんの会になっていると、伺っております。
 このMLでも、情報がアップされると、いの一番に、返信をくださり、常に会にエネルギーを注ぎ込んでくださった・えりさん お会いすることができないなんて、未だに信じることが出来ないでおります。

 謹んでご冥福をお祈りいたします。

     関場理華

 
 
 
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ■視覚障害

2019年04月14日

夢の中で聞いた意味不明の詞句

 今から思い返すと、それは夜明け方のことでした。
 突然、つぎの一句が耳に響きました。
 電光掲示板のように、文字が流れたのではありません。
 間違いなく音声でした。

「じゅんせいの わたしにさわる あとかたづけ」

 何を思ったのか、ふいに目を覚まし、さらにはこのことばを忘れないようにと、すぐに iPhone に「平仮名」でこの詞章を入力しました。何でもすぐに記録する癖があるので、この時もその習性が働いたのでしょう。
 そして、この不思議な一句の意味を考えるよりも、どんな漢字になるのかに思いをはせました。とにかくその時は、何かのフレーズの一部を聞いたのだと思ったのでしょう。

(1)「じゅんせい」が何なのかわかりません。
 「純正」なら「純粋でまじりけのない」という意味。
 「順正」なら南禅寺の湯豆腐屋さん、ではなくて、「おとなしい」とか「道理にしたがって正しい」という意味。

(2)「の」は「格助詞」なのか「終助詞」なのか。

(3)「わたしに」は「私に」としか考えられません。

(4)「さわる」は「障る」ではなくて「触る」でしょう。
 目が不自由な方々とのお付き合いがあるので、触読が常に意識にあるからです。

(5)「あとかたづけ」は「後片付け」でしょう。
 これは、このところ引っ越しの荷物を整理していて、段ボール箱のガムテープを剥がしては片付ける、という作業を繰り返しているので、それに関連するものなのかも知れません。そうだとすると、この前に置かれた「さわる」は足腰に「障る」意味であるとした方がいいのでしょうか。

 あまりにも不思議な思いに包まれていたので、あれこれとことば探しをし出しました。iPhone で検索しても、これに類した句や歌は見つかりません。
 私には「歌ごころ」というものがまったくありません。そうであっても、この一句が、短歌の上の句なのかもしれないとも思ったりしました。しかし、そもそも、自分が知りもしない、使いもしないことばを書き取ることなどあり得ないことです。
 神のことばが聞こえたとも考えられません。
 今も、なぜ夢の中でこのような詞章を聞いたのかがわからないのと共に、そのことばの意味もまったく思いつきません。
 こんな経験は初めてのことです。
 明日から、目覚める時を楽しみにしましょう。

 そういえば、夢の歌人と言われたあの小野小町が、次の歌を詠んでいました。

「うたたねに恋しき人を見てしより夢てふものは頼みそめてき」

 私の場合は、こんなにロマンチックなものではなさそうです。しかし、明日の夢を楽しみにするのは、期待するものが違うといっても、古来人間が楽しんできた一人遊びの一種だといえます。この歳になって、と思うと気恥ずかしいものの、これもまた日々の楽しさが加わったと思うと、おもしろくなってきます。
 こんなことがありました、という、たわいもない記録の一つとして書き記して置きます。
 
 
 
posted by genjiito at 20:51| Comment(0) | *回想追憶

2019年04月13日

京洛逍遥(538)登録有形文化財「紫風庵」の三十六歌仙絵

 先週、「ワックジャパン(WAK JAPAN)」の小川さんから貴重なお話を伺い、その折に紹介してくださった「紫風庵」へ、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の理事である石田さんと一緒に行って来ました。次の記事の最後に書き留めておいたことが、今日の「紫風庵」を訪問したことにつながっています。
「久し振りのワックジャパンで貴重なお話をうかがう」(2019年04月05日)

 「紫風庵」は、昭和8年に建てられた数寄屋造りと洋風建築の和洋折衷です。最近、登録有形文化財に指定されました。

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 ここのパンフレットが出来た時のことが、「京都の日々の暮らし・スタート」(2019年2月24日)というブログに記されています。本当に新しい文化施設です。質の高い文化を継承する場所として、今後は有効に活用して行かれることを願って、ここに詳しく紹介します。所有なさっている宮本さんにご許可をいただきましたので、「紫風庵」の三つ折りのパンフレットを画像として掲載します。

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 まず、この場所から。

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 私は自宅前からバスに乗り、バス停「大徳寺前」の次、「船岡山」の一つ手前の「建勲神社前」で降りて南下しました。そこから5分ほどで着きます。
 建勲神社の桜は満開でした。

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 南下して突き当たりを右に曲がると、左側に船岡温泉があります。

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 船岡温泉と道を隔てた前にある建勲神社の標柱の所で、来た方向の建勲神社への道を入って直進し、左に曲がると、すぐ右に入る小道があり、もう「紫風庵」が見えます。

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 西側のバス停「千本鞍馬口」からも徒歩5分です。ちょうど船岡山公園の南側斜面に建っています。

 1階客間には、江戸時代に書かれたと思われる三十六歌仙の絵と和歌が貼られた襖があります。しっかりとした絵と仮名文字だけではなく、その色の鮮やかさには圧倒されます。相当くすんでいたものを、専門家に汚れを落としてもらい修復したものだそうです。

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 私は、『探幽筆 三拾六哥仙』と題する粉本画帖を持っています。「架蔵『探幽筆 三拾六哥仙』の復元」で公開していますので、ご覧ください。この「紫風庵」の三十六歌仙の襖絵と架蔵画帖を比べると、図様がよく似ていることに気付きました。私は絵画を専門にする者ではないので、今は何とも言えません。表情など細かな点はさておき、描かれ方がよく似ていると思うものを以下に例示します。
 上の「紫風庵」の襖絵の上段左に描かれている在原業平の図像は、次のようになっています。

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 これが、架蔵『探幽筆 三拾六哥仙』の原画に記された細かな色取りの指示通りに彩色を施した、コンピュータ・グラフィックによる復元画では、次のようになります。

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 在原業平と言えば小野小町が思い出されるので、小野小町の絵を比べて見ます。まず「紫風庵」の絵を、次に架蔵画帖の復元画です。

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 歌聖とされる柿本人麻呂は、三十六歌仙絵では最初に置かれるので、これも見比べてみましょう。「紫風庵」の絵の次に架蔵画帖の復元画です。

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 図様というと難しいので、ポーズや着衣がよく似ていると言っておきます。
 もっとも、明らかに違うものもあります。中務がそうです。中務は、上掲の襖絵の最下段に描かれています。架蔵の画帖はまだ彩色復元をしていないので、原画像のままをあげます。これも、「紫風庵」の絵の次に架蔵画帖です。

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 いかがでしょうか。桧扇も唐衣も、まったく異なるものが描かれています。

 「紫風庵」の襖絵は、狩野派の絵に近いとするのは、素人判断に過ぎるかも知れません。しかし、土佐派ではないのは明らかです。とにかくこの絵と書については、専門家のご教示をお願いするしだいです。

 インターネットをブラブラと見ていたら、「「陣内久紹 染の着物展」紫風庵」(2016年5月22日)と題する記事に出会いました。今日、宮本さんが着物展をしたとおっしゃっていたのは、このことだったようです。

 とにかく「紫風庵」は、日本の伝統文化を考える場所を提供してくれます。非常に刺激的な建物です。
 5月から、現在NPO法人〈源氏物語電子資料館〉が主催して毎月第4土曜日に開催している『源氏物語』を読む会は、次の5月25日(土)は午後2時からこの「紫風庵」で行なうことを決めています。その第1回では、この襖絵に変体仮名で書かれた和歌を読むことを中心とします。興味と関心をお持ちの方は、資料の用意がありますので、本ブログのコメント欄を通して、参加希望の連絡をお願いします。
 近在のみならず遠方からの方や、旅の途中で立ち寄っていただいても構いません。

 NPO法人〈源氏物語電子資料館〉としては、新しい活動の拠点と出会ったことになります。今後の活動を楽しみにしていただけると幸いです。
 
 
 
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2019年04月12日

清張全集複読(32)「日光中宮祠事件」「真贋の森」

■「日光中宮祠事件」
 一警察署の捜査に不可解な点が多く見られました。それを追求する刑事が物語を紡ぎ出します。署長が初動時の失敗を覆い隠すために、意地になって一家心中を主張し続けたためとして進展します。面子が背景にあると見るのです。
 そんな中、一枚の小切手を徹底的に調べていくことで、活路が見い出されます。面子に拘る警察への批判意識が顕著です。さらには、犯人グループとでも言うべき朝鮮人の存在を意識した物語に仕立て上げています。この時期の世相と清張の興味と関心が、その背後にあるように思います。【4】


初出誌:『週刊朝日 別冊 新緑特別読物号』(昭和33年4月)
 
※『松本清張全集 37』(文藝春秋社、1973.7.20)の巻末に収載されている著者自身による次の「あとがき」から、清張の調査手法の一端がうかがえます。
「日光中宮祠事件」は、戦後の混乱時の模様をまざまざとみせている実際の事件だ。一刑事が犯人を探し回って追及する姿がある警察雑誌に出ていたので、もっと詳しい関係書類を見たいと思い、当時の栃木県警察部長だった人を転任先の埼玉県警本部に訪ね、書類の一切を貸してもらった。これも、ほとんど記録通りに書いたが、話を聞いた場所の浦和の料亭の冬枯れた池の色がまだ眼に残っている。(551頁)

 
 
 
■「真贋の森」
 雑文書きの宅田伊作の元に、門倉孝造という博物館を解雇された骨董の鑑定屋がやって来ました。宅田は、日本美術界の大ボスであった東京帝大の本浦奨治教授に美術界から締め出された男でした。そのようなことがなければ、東大の同期仲間に伍する地位も名誉も手にしていたに違いないと悔やむのです。しかし、実証的な研究手法の津山誠一教授に近づいたがために、冷遇されることになったのです。
 津山先生は、本浦先生の業績の3分の2は贋作を扱ったものだと言います。しかし、《学者の礼儀》から問題視されなかったのです。また、《職人的》な鑑賞技術を持っていた研究者でもあったのです。
 宅田は、朝鮮で無為の13年間を過ごした後、内地の美術館の嘱託になります。しかし、2年後には本浦とその弟子の一言で、美術館の理事は宅田を馘にします。学者の世界の裏側が語られています。
 この作品には、日本美術史という学問に対する清張の不満や不合理だと思ったことが執拗に書き綴られています。日本美術に贋作が跳梁しているのは、特権者に作品が握られているからだと言います。所蔵家という地中に埋没しているのだと。そして、そうしたことを「盲点」という言葉の使い方で表現していることに興味を持ちました(294頁上段、314頁下段)。
 宅田は、九州から酒匂鳳岳という画家を連れて来て贋画家に育て上げます。それも、浦上玉堂だけを描かせるのです。そして、その贋作をアカデミズムの権威を試すために活用し、成功するのでした。さらには、贋画12〜13枚を売り立てに出すのです。正式に鑑定させ、封建的な日本美術史の盲点を突くのでした。
 しかし、少しでも自分を認めてほしいという人間の本性から、計画に狂いが生じます。人間を見つめる清張の面目躍如たるものがあります。この亀裂に、人間の本質が語られているのです。【4】


初出誌:『別冊文藝春秋』(昭和33年6月)
 
※『松本清張全集 37』(文藝春秋社、1973.7.20)の巻末に収載されている著者自身による「あとがき」には次のようにあります。

「真贋の森」は、ヒントを取った実際の事件がないでもない。美術界に少し詳しい人なら、誰でもあの事件かと合点するだろう。しかし、この創作は全く私のものである。
 この作品は、在野の美術家に主人公を設定したが、いわゆる官製的な権威が飾りものであることを書きたかった。たとえば、文部省の技官だとか、文化財保護委員という名前だけで、古美術界や骨董屋の問にはハバが利くのである。国立博物館員の「肩書」で有難がられるのと同じである。(551頁)

 
※『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)に「津山孝造教授」(93頁)とあるのは、「津山誠一教授」の間違いであり、「角倉孝造」と混同したものです。
 
 
 
posted by genjiito at 20:02| Comment(0) | □清張復読

2019年04月11日

京洛逍遥(537)半木の道の桜はまだ六分咲きです

 昨秋、半木の道の桜は想像を絶する被害に遭いました。その颱風一過の様子は、「京洛逍遥(513)崩れた半木の道の枝垂れ桜の棚」(2018年09月16日)の写真をご覧ください。
 その影響もあり、今年は比べものもないくらいに寂しい桜景色です。
 しかし、今年は花が開かなくても、枝葉は伸びていなくても、若い芽は育っています。そんな桜の健気な姿や、痛ましい姿や、再起を期した姿を撮ってきました。
 数少ない木々ではあっても、今週末には蕾たちはみごとに花開くことでしょう。

 この、半木の道の南端に一際目立って自己主張している紅枝垂れ桜が、この辺りの開花の様子を教えてくれるものとなっています。今日は、まだ五分咲きです。向こうの白っぽいのソメイヨシノは、京都府立大学グラウンドの桜です。その背景に、比叡山の山頂が見えます。

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 賀茂川上流を望むと、一見桜並木のように見えます。しかし、少し歩いていくと厳しい現実と出会うことになります。棚の上にやっと咲きかかっている枝は、来年が楽しみです。

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posted by genjiito at 23:15| Comment(2) | ◎京洛逍遥

2019年04月10日

谷崎全集読過(31)「小さな王国」

■「小さな王国」
 東京で小学校の教員をしていた貝島は、立身出世を諦めてからはG県に移り住み、自然の中で生活を営みます。
 その学校で、転校生がクラスを仕切るようになります。先生は、その過程を具に見て、この生徒たちの力関係について考えます。そして、その生徒が多くの生徒に言いつけを守らせていることから、教師にできないことを可能にしていることに脱帽するのでした。生徒と同一化して一緒に遊ぶ心構えが必要だとの結論に至るのです。
 先生は、次第に生活が苦しくなる中で、赤ん坊のミルクにも困ります。そこで、子どもたちが遊んでいた手製のお札での買い物ごっこにかこつけて、仲間にしてもらってミルクを手に入れようとするのです。子どもの遊びと現実が交錯し、正気を失っていく先生の姿が活写されます。人間の弱さと、かろうじて踏みとどまる大人が、巧みに描かれています。【5】

初出誌:『中外』大正7年8月号

 今回読んだ『谷崎潤一郎全集』の解説で、伊藤整は次のように言っています。少し長くなることを厭わずに、以下に引いておきます。

 「小さな王國」は大正七年八月號の「中外」に發表された。この作品が發表された翌々月の大正七年十月、當時の指導的社會評論家であつた吉野作造が「中央公論」の「時論」において次のやうに述べた。「『中外』八月號に載せられた谷崎潤一郎氏の『小さな王國』は我國現代の社會問題に關し頗る暗示に富む作物である。小學生の單純な頭腦から割り出された共産主義的小生活組織の巧みに運用せらるゝ事や、前途有望を以て自らも許し人も許して居つた青年教育家の生活の壓迫に苦しめる結果、不知不識其共産的團軆の中に入つて行く經過は、一點の無理がなくすら/\と説き示されて居る。作者の覘ひ所は何れにあるにせよ、我々は之によつて現代人が何となく共産主義的空想に耽つて一種の快感を覺ゆるの事實を看過する事は出來ない。而して少しく深く世相を透觀する者にとつて、今やしゃ社會主義とか共産主義とかいふ事は、理論ではない、一個の嚴然たる事實である。」この前年の大正六年十月に、ロシアの十月革命が成立してゐたのである。
 簡單に言へば、この作品は少年の世界に形を借りたところの、統制經濟の方法が人間を支配する物語りである。現代社會は必然的に統制經濟の社會へと推移しつつある。その統制經濟社會で、ある權力のもとに發行される紙幣が、卽ち經濟上の約束が、人間の生活意識を變へ、人間の價値判斷を狂はせるといふ物語りである。谷崎潤一郎の全作品の中で最も特色のある現代社會の批判性を備へた作品と見ることが出來る。吉野作造がこれを面白いと思つたのは、大きな必然性があつた。
 一般的に言ふと、明治時代は、封建性の濃厚な社會秩序の重壓から人間性を解放する努力がされた時代であり、無意味な古き秩序に抵抗する力點となつたのが、明治三十年頃からの社會主義者たちの行つた社會改革運動であり、また文士たちの作品活動を通して戀愛の自由を主張することによる愛情生活の改革であつた。そして大正期前半においては、自然主義者たち、夏目漱石、「白樺」派の人々の仕事を通して、個人の人格、その自由が文學作品の上では通念として確立されてゐた。しかし、この時、別な危險、卽ち個人の自由を原則として成立した資本主義制度は、その確立とともに、組織化された經濟力として人間を支配し、その考へ方を人工的に變化させ、人間を組織の奴隷とする危險が起つてゐたのである。そしてこの危險は、もつと新しい統制經濟を行ふ共産主義社會においても必ず起り得るものであり、現代社會の本質にある組織の非人間性につながるものであつた。
 谷崎潤一郎はこの作品においてそれを諷刺してゐるやうに今の讀者の目には見えるであらう。しかし、そのやうな圖式的諷刺性はこの作者に縁のないものである。むしろ、作者はさういふ物語りを面白いと思つて書いたのであらう。しかし、面白いと思ふことは、その物語りの實質が人間性にとつて關係がある、といふ藝術家の判斷である。面白さが人間生活の本質にかかはりがある時、それは結果として社會問題道徳問題に關係があることとなる。作者の面白がつた面と吉野作造の面白がつた面とは、眞實といふ楯の兩面であつたのだ。
(中略)
 作者はまた、一篇の「小さな王國」を興味ある物語りとして描くことによつて、更に、經濟的な拘束が人間の自主性を奪ひ、自由な人間を奴隷に變化させてしまふ危險のあることを證明した。周知のやうに、これ等のテーマは、實に現代の文學の中心にある二大テーマと言つていいのである。(265〜267頁)

 
 
 
posted by genjiito at 20:17| Comment(0) | □谷崎読過

2019年04月09日

楽しい偶然が重なって稔りある一日になる

 今日も、太陽の塔が明るく出迎えてくれました。

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 相変わらず、研究室を使えるようにするために、段ボールを1つ1つ開梱し、少しずつ本の確認をしています。お願いしている本棚が来たら、すぐに収納できるように、グループ分けを進めています。と言っても、種類も量も多すぎて、通って来て根気強くやるしかありません。

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 そんな時、福井県立大学のフィアラ・カレル先生から連絡が入りました。福井県文書館にいらっしゃるとのことなので、そちらに電話をしました。
 用件は、過日作成した『平安文学翻訳本集成〈2018〉』で、カレル先生がなさったチェコ語訳『源氏物語』に関して、底本の記述が正確ではないので訂正をしてほしい、ということでした。
 私が底本の項目に記した「佐伯梅友校注本」と「ロイヤル・タイラー本」は、フィアラ先生が翻訳にお使いになった底本ではないとのことです。いろいろと参照した本の中のものではあるがと。実際には、『日本古典文学全集』(小学館)に一番恩恵を受けたとのことでした。ということで、チェコ語訳『源氏物語』の底本の項目は、次のように訂正します。

備考:『日本古典文学全集』(小学館)等を参照


 2020年に『平安文学翻訳本集成〈2020〉』を作成します。今回の『平安文学翻訳本集成〈2018〉』は、そのための情報確認と収集と補訂のための試行版です。こうした不正確な記述に関する情報をお寄せいただけると、より正確な記述に補訂できるので助かります。

 しばらくすると、別のメールが入りました。同社大学の垣見修司先生からです。

2017年3月に奈良県立万葉文化館が刊行した『万葉古代学研究年報 第15号』に共同研究成果報告があります。
万葉集の翻訳に関わるところでは最新のものかと思います。
http://www.manyo.jp/library/20190330095508.pdf
中西進氏が主導したNARA万葉世界賞も設置されていますので、万葉文化館には海外の研究情報が蓄積されているかもしれません。


 貴重な情報です。専門外の者にとっては、こうした基本的な情報を手掛かりとして、必要な情報を手繰り寄せることになります。垣見先生の所のゼミ生を私の科研でアルバイターとして来てもらいたくてご許可をお願いしたことから、このようにタイムリーな情報をいただけたのです。ありがたいことです。

 その後、隣の外国語学部の棟の事務室に、先週お願いした書棚探しの件で、その後の進捗具合を尋ねに行こうとした時のことです。1階に下りたところ、玄関前で外国語図書館から小走りで来られるフィットレル・アーロン先生と出くわしました。

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 先月、科研の研究会で発表をしていただいて以来です。フィットレル先生が阪大の所属だと伺っていました。しかし、このキャンパスでまったく偶然の出会いにお互い驚きながらも、部屋が片付いたらゆっくりとどうぞ、とお誘いをして分かれました。こんなことがあるのです。世界は狭いものです。

 部屋の整理はそこそこに帰り支度をし出した頃、拙著『四本対照 和泉式部日記 校異と語彙索引』(和泉書院、1991年)が偶然になんとなく開けた段ボールから出てきました。この本が手元にないかというK氏とY氏からの問い合わせに対して、昨日、今はまだ引っ越しのどさくさなのでもう少しの時間を、という返信をしたばかりです。幸運なことに、たまたま開いた箱の中に一冊あったのです。本がここにいるぞ、と叫んでいたのでしょう。これも、伊井春樹先生がよくおっしゃる、探し求めていると本がお出でお出でをしてくれる、ということの一例になるのでしょうか。

 研究室の真下に阪急バスのバス停「阪大外国語学部前@」があります。そこから「阪急茨木市駅」まで乗ってみました。17時28分発で、45分もかかりました。よほどの大雨以外は使わないと思います。しかし、初めての経路を体験するのは、自分の行動範囲と移動手段が確認できて、これはこれで楽しいものです。

 日々、発見と出会いと情報が集まって来る楽しみがあります。
 まさに、気分一新のスタートです。
 
 
 
posted by genjiito at 21:07| Comment(0) | ◎国際交流

2019年04月08日

「京都でかるたを楽しむ会」のイベントの案内

 「大阪点字付きかるたを楽しむ会」の代表者である兵藤美奈子さんから、以下のイベント開催に関する連絡が届きました。
 私も参加しますので、初めてで様子のわからない方は、会場で私(伊藤)を探してください。ご説明いたします。
 

ゴールデンウィーク特別企画!
「京都でかるたを楽しむ会」開催のご案内



 今、目が見えない人も見えにくい人も見える人も、一緒に百人一首かるたを楽しもうという機運が全国的に高まってきています。
 このたび、新春に続きゴールデンウィークにも「楽しむ会」を企画しました。
 「春すぎて夏来にけらし…」という歌も聞こえてきそうな時期ですね。
 風薫る5月、一緒にかるたを楽しみませんか?
 百人一首の歌を全く覚えていない方、点字が読めない方も大丈夫です。
 当日は色々な遊び方を楽しみましょう。
主催:大阪点字付きかるたを楽しむ会
日時:5月1日(水・祝)午前の部10時〜12時30分
   午後の部13時30分〜17時(いずれかのみの参加も可)
  *途中参加・途中退出の場合はあらかじめご連絡ください。
会場:京都ライトハウス 1階 和室
  (「会場への地図」
内容:お坊さんめくり(坊主めくり)、札を並べての個人対戦・団体戦、
   他にも楽しい企画を検討中です。
費用:無料
申込:4月25日(木)までに、代表 兵藤 美奈子(ひょうどう みなこ)
  (メール:putti-castle205@key.ocn.ne.jp)
  または、事務局 野々村 好三(ののむら こうぞう、電話 090-3841-9107)へ。
  *関心を持たれた方は、お気軽にお問い合わせください。

 
 
 
posted by genjiito at 16:14| Comment(0) | ■視覚障害

2019年04月07日

京洛逍遥(536)河川美化啓発活動「鴨川茶店」

 賀茂川(鴨川)は、多くの方々による日々の清掃活動によって、その美しさが保たれています。鴨川を美しくする会が中心となって、お花見の頃に「鴨川茶店」が開催されます。「京都府鴨川条例」を広く知ってもらう場でもあります。昨日は東京に行っていたので、今日ぶらりと立ち寄ってきました。

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 昨秋の台風で多くの桜が倒れたために、例年のみごとな桜並木とはほど遠い状況です。それでも、多くの方がこれから育つ桜が咲き出した景色の中に、しばし心和ませる川辺を散策しておられます。

 啓発コーナーでは、日ごろの活動が写真やパンフレットなどで紹介されています。

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 昨年の大災害に合わせて、昭和10年に大洪水で鴨川が氾濫した時の写真や、明治・大正・昭和の写真も貴重です。

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 会場周辺では、いろいろなイベントがあります。

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 半木の道の桜は、これから咲き出すところです。六分どころの開花でしょうか。

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 いつものように菓子皿がほしくて、煎茶をいただきました。

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 対岸の右岸では、家族連れで大賑わいです。

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 鷺はそしらぬ振りで、魚を狙っています。

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 また、すがすがしい春がやってきました。
 
 
 
posted by genjiito at 21:45| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2019年04月06日

体験講座でお話をした後はゴジラに挨拶

 肌寒かった昨日が一転して快晴の今日となり、もうコートはいりません。朝早くから、日比谷図書文化館での『源氏物語』の講座に急ぎます。
 新幹線の車中では、京都駅の構内で手に入れた、柿の葉寿司ならぬ桜の葉で包んだ「吉野 桜寿司」をいただきました。

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 まさに旬の春を口にして香を楽しみながら、本を読み出しました。今、『万葉仮名と平仮名 その連続・不連続』(内田賢徳・乾善彦、三省堂、2019年3月30日)を読み進めています。しかし、やはり新幹線の揺れは酷いので、すぐに目が痛くなります。
 富士山はあまりにも富士山だったので、今日は写真を省略します。

 少し早めに東京に着きました。
日比谷公園は、桜がほとんど見当たりません。鶴の噴水の周りで見つけました。

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 日比谷図書文化館の地下にあるラウンジで、Aさんと1時間ほど科研に関する打ち合わせをしました。おおよそ、次の事を話し合いました。関係者向けの報告を兼ねて、要点をまとめておきます。

(1)報告書作成の計画

『海外平安文学研究ジャーナル』
 →「ミャンマー編」と「ルーマニア編」を作成。
 分量が少なくても、実績として発行する。
→2017年度と2018年度の分を合冊にして夏までに出す。
→2019年度を出す。
→海外の先生方や研究者に、原稿を募集、依頼する。

(2)報告書『平安文学翻訳本集成〈2018〉』の「翻訳史年表」の不備

・『平安文学翻訳本集成《2018》』
 155ページの1999年の『枕草子』は「1989年」が正しい。
 ホームページで公開している年表では、正しいものになっている。

 ※課題1:何かの手違いがあったようで、冊子版の「翻訳史年表」のデータは数世代古い3年前のものをベースにして作成されたことが判明。
 科研のホームページ「海外へいあんぶんがく情報」から公開しているネット上の情報は、最新の正確なもの。

 ※課題2:この他、公開している内容と『平安文学翻訳本集成〈2018〉』とで異なる所が多い。
 今後とも、きめ細かなチェックをすること。

 ※課題3:全訳か抄訳について。
 判明している場合は備考欄に入れること。
 『源氏物語』は入れている事が多い。

(3)ホームページ「海外へいあんぶんがく情報」の修補

・手直しが必要な箇所が多いので、早急に対処する


 今日の日比谷図書文化館での『源氏物語』の講座は体験講座です。

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 どんな内容のものかを試しに参加して、受講するかどうかの判断材料にしていただくものです。
 以下のことをお話ししました。

・自己紹介
・NPO法人〈源氏物語電子資料館〉と本講座の関係
 (NPOリーフレット配布)
・講座の内容
・自由参加の課外講座があること
・鎌倉時代の『源氏物語』の本文と大島本との性格の違い
・言語統制された結果としての五十音図は明治33年から
・平仮名と片仮名の字母のこと
・変体仮名の説明
・ユニコード(UTF8)に採択された変体仮名
・『千年のかがやき』の説明
・国文研蔵「若紫」の解説
・第1丁表をカラー版で見る
・「変体仮名翻字版」のこと
・「変体がな一覧」を確認
・箸袋に書かれた「おて茂登」
・世界中で読まれている『源氏物語』のこと
・目が見えなくても写本は読める

■資料の回覧
・この講座で使用するテキスト
 (『国文学研究資料館蔵 橋本本『源氏物語』「若紫」』(伊藤鉄也・淺川槙子編、新典社、2016.10))
・『変体仮名触読字典』と『変体仮名触読例文集』
・古写本の触読用シート3種類
 /立体コピー(若紫・蜻蛉・『百人一首』)


 2時間の講座では、もっと盛りだくさんの話をしました。おおよそこんな内容でした、ということで。

 一通り終わってからは、いろいろな質問を受けました。6名ほどの方からだったかと思います。お答えするうちに、またお話をすることとなりました。興味を持っていただけたらいいので、お一人ずつの問いかけには、丁寧にお答えしました。

 終了後、昨年度は大学で勉強をし直すために講座をお休みだったSさんが、来月から復帰なさるということでお越しになりました。いろいろと報告をうかがった後、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の会員となり、写本の翻字もやってみたいとのことでした。この講座は、「翻字者育成講座」と銘打っているだけに、このお気持ちはありがたいことです。いろいろなお話をして、とにかく来月から、ということになりました。この講座の本旨が少しずつ理解していただけているようなので、嬉しく思います。
 私自身、忙しさにかまけて、翻字の依頼やら回収とその整理が疎かになっています。今年度は、この点もさらなる進展を図れるように、着実に前を見て進んでいこうと決意しています。
 来月からは、これまでに翻字をします、とおっしゃってくださっている方々に、次の資料をお渡しすることで、この90年をかけての一大事業を一歩ずつ展開していくことにします。

 帰る途中で、有楽町駅前のゴジラに「これからも気長によろしく」と声をかけました。

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 「Yahoo!知恵袋」のベストアンサーとなっている「ギャーンゴーン グワワァン」とは鳴いてくれませんでした。コントラバスの音で「???」と鳴いたような、いや、返事はなかったような……
 このゴジラの前に佇むと、しばらく時間を忘れます。
 
 
 
posted by genjiito at 22:49| Comment(0) | ◎NPO活動

2019年04月05日

久し振りのワックジャパンで貴重なお話をうかがう

 京都でNPO法人〈源氏物語電子資料館〉が主催する『源氏物語』を読む会が始まったのは、今からちょうど6年前の2013年4月6日でした。「京都で『十帖源氏』を読む会がスタートしました」(2013年04月06日)に、その第1回の様子を詳しく書いています。会場は、ワックジャパン(WAK JAPAN)でした。そのワックジャパンへ、久し振りに行ってきました。

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 代表の小川さんと、さまざまな話題でたっぷりとお話ができ、いつもながら多くの知的な刺激をいただきました。小川さんは、伝統的な京町家を舞台にして、質の高い文化体験のサービスを展開しておられます。単なる体験ではなく、そのレベルの高さは特筆すべきものがあります。

 御所南にある「京町家わくわく館」は、最近さらに後ろに延びて、事業の規模がますます大きくなっていることを実感できます。新しく造られた大部屋の「文陽庵」や、着物体験の「芙蓉の間」を案内していただきました。すばらしい日本文化の体験ゾーンとなっています。

 一方、東山には「京都和心館」があります。京都国立博物館と三十三間堂のすぐ近くなので、行きやすい場所です。

 そのワックジャパンのメニューの中に、「国際交流プログラム」があることを、今日はじめて知りました。
 1997年5月の設立当初よりあったとのことです。私は、海外の方々が異文化を体験される場としての視点でしか、ここを理解していなかったのです。日本の若い方々にも、この「国際交流プログラム」は、新しいものの見方をイキイキと体得させてくれることでしょう。詳しくは、「ワックジャパン教育プログラムパンフレット.pdf」をダウンロードして、その内容を確認してみてください。
 今日は、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉が実施している『源氏物語』を古写本で読む講座について、小川さんから貴重なアドバイスと情報をいただきました。これまで以上に、質の高い社会人講座として広く知られるように、さまざまな工夫をしていきたいと思います。今年度から、運営方針を見直し、新たな環境で取り組むつもりです。プランがまとまり次第、この場と「NPO法人のホームページ」でお知らせします。
 
 
 
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ◎NPO活動

2019年04月04日

太陽の塔を眺めて老若男女の共生社会を思う

 今日も、太陽の塔と睨めっこをして来ました。行きの顔と胸は、味も素っ気もない無表情でした。
 箕面キャンパスからも、直線で6km先にある太陽の塔と大観覧車が、間近に見えました。

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 帰りは夕方だったせいか、目に灯りが点いていました。

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 この顔は特撮のロボットのように無機質で、ボーッと焦点の合わない表情です。胸の顔は、夕陽を浴びて少し悲しげでした。
 この塔の顔は、折々に楽しめます。

 大阪モノレールを使うようになり、駅のコンコースの休憩場所が、きれいでゆったりしているので助かります。私は、小まめに食事をします。駅のホームのベンチで、向かいのホームや線路を見ながら軽食を食べるのは抵抗があります。加齢と共に移動中に少し身体を休めたい時もあります。この大阪モノレールは、高齢化社会に合った駅の作りを見せています。若者をヨイショさえしておけばいいとされていた社会が、こうして幅広い世代に対応しだしたのです。老若男女が共に穏やかな日々を送れる社会にしていきたいものです。
 改札口の中に、自由に借りられる本があることは知っていました。しかし、実際に手にしてみると、時間つぶしにこれはいいですね。

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 このブログで読書雑記を書いた後は、本を処分するだけなので、今度はここに提供してみようと思います。

 これまでよりも通勤時間が半分以下になりました。身体の疲れが格段に違います。
 ただし、電車が揺れるので本が読めません。特に、モノレールは揺れが大きいのでまったくダメです。新幹線や「はるか」は、まだましだったことが、身体でわかりました。阪急もイマイチなので、これは死活問題です。
 それにしても、京阪特急の快適だったこと。特急料金も要らず、あの心地よさで本が読めた日々が懐かしくなります。
 さて、本が読めないとなると、iPhone で朗読を聴くことになるのでしょうか?
 音楽をイヤホンで聴くのはためらわれます。しばらくは、いろいろと試してみます。
 
 
 
posted by genjiito at 23:37| Comment(0) | *身辺雑記

2019年04月03日

微笑んでいるように見えた太陽の塔

 1970年に大阪で開催された万国博覧会以来、太陽の塔の顔は何度も見てきました。
 「万博公園の太陽の塔」(2008年12月08日)
 また、岡本太郎氏の逸話は、「読書雑記(252)小松左京『大阪万博奮闘記』」(2018年12月11日)に書きました。
 この太陽の塔の顔については、「おどけているなぁ」という印象を持っていました。それが、今日は「ほほえんでいる」ように見えたのです。胸の顔は、「拗ねているのかなぁ」と思っていたのが、今日は「好きなだけやれ! 」と励ましてくれているように見えたのです。

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 観音巡りが好きな私は、その時々に観音様の顔が変わっていくことを知っています。今日は、太陽の塔の顔が変化(へんげ)したのです。これから、ここを通りかかるのが楽しみになりました。

 今回お借りすることになった箕面キャンパスの部屋は、まだ机も椅子も本棚も、何もありません。だだっ広いスペースには、ガムテープを剥がしても中の本を取り出せない150個の段ボールが、各自勝手に平置きにされたままです。

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 今日は、使わなくなっている什器類を貸していただけないかと、事務所を2箇所めぐってお話をしてきました。面倒なことをお願いしているのに、話を聞いてくださり、対処をしてもらえることになりそうです。
 フロアーに寝そべって仕事をするわけにもいかないので、何とかなることでしょう。いつものように、楽観的すぎるのかもしれません。しかし、これもまた楽しらずや、です。この広い空間が、数ヶ月後にはどのようなレイアウトで生き返るのでしょうか。どういう結果となるのか、得難い体験に、今からこれからの成り行きに心躍らせています。
 
 
 
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | *身辺雑記

2019年04月02日

京洛逍遥(535)何もしない日の賀茂川散歩(4月)

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 1日中寝ていました。
 もっとも、寝ては本を読み、寝ては本を読みという1日です。
 夕方、賀茂川に散歩に出かけました。
 今年も「鴨川茶店」の日は、東京の日比谷図書文化館で講座があります。

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 売茶翁の詩碑の後ろの紅枝垂れは、まだまだ固い蕾です。この桜が花開くと、あたりは見頃になります。後ろに比叡山が望めます。

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 売茶翁の詩碑については、「京洛逍遥(440)売茶翁の詩碑と散り初めた桜」(2017年04月21日)で詳しく書きました。

 半木の道の桜は、まだ数本が開花しているだけです。

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 西山に陽が沈み出すと、川風も冷たさを増します。春はまだです。

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posted by genjiito at 19:39| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2019年04月01日

新しい仕事場を得て気分一新の再出発です

 新しい元号は「令和」となりました。出典は『万葉集』。かねてより日本の古典文学作品から、と言われていたので納得です。海外でお話をする時に、いい話題にもなります。『万葉集』の翻訳本も平安文学の領域に隣接する作品として、これまで以上に力を入れて収集していくことにします。

 さて、今日から大阪大学国際教育交流センターの招へい教授として、気分を一新して科研に取り組むこととなりました。今回の異動に関わり、さまざまな手助けと配慮をしてくださった方々お一人お一人に、心よりお礼申し上げます。おかげさまで、多くの研究仲間に助けられ、心機一転、新たな目標に向けて歩むことができるようになりました。研究基盤機関は変わっても、これまでと変わらぬご支援を、どうぞよろしくお願いします。

 これから2年間は、本部のある吹田キャンパスではなくて、箕面キャンパス総合研究棟6階が、私の研究活動の拠点となります。

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 このキャンパスには、東京外国語大学に次ぐ言語数を誇る外国語学部(旧大阪外国語大学)があるので、私が取り組む科研「海外における平安文学及び多言語翻訳に関する研究」(課題番号︰17H00912)にとっては、願ってもないチャンスが与えられたことになります。とにかく、『源氏物語』だけでも35種類の言語で翻訳されているのですから。

 箕面キャンパスは、大阪モノレール彩都線彩都西駅下車徒歩10分の所にあります。翻訳本などの資料の閲覧でおいでになる際は、彩都西駅から緩い登り道を歩いて、次の写真を目印にしてお越しください。

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 豊中・吹田・箕面のキャンパスを巡回する学内連絡バスの時刻表は、次の通りです。

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 今回私が入ることになった部屋には、机、椅子、書棚がまだ一つもないので、その調達から始めます。過日発行した『平安文学翻訳本集成〈2018〉』に収録した翻訳本の実物を確認したい方で、この荷解きの手伝いをしながら原本を手にとってみたい方は、遠慮なくこのブログのコメント欄を通して連絡をください。日程が合えば、開梱と整理に立ち会ってもらおうと思っています。ただし、謝金は期待しないでください。あくまでも、調査研究に参加ということで。

 先月15日に搬入した合計175箱の段ボール、そのうち150箱が書籍という荷物群は、今日までそのまま保管していただいていました。今日、その一部の荷解きに手をつけました。と言ってもまだ3箱だけですが。

 今日も先月の搬入の時と同じく、箕面キャンパスから本部のある吹田キャンパスにも足を延ばしました。
 吹田キャンパスでは桜がきれいに開花しており、学生たちがお花見の準備をしていました。

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 国際教育交流センターでは、お世話になった先生とお世話になる先生、そして研究活動を支えてくださる事務の方々にご挨拶をして回りました。特に、事務方の理解と協力なくしては、いい研究活動はできないことは、伊井春樹先生から厳しく躾けられてきたことでもあり、それを忠実に守ってきています。

 今回の通勤時間は片道1時間半。これまでが3時間半だったので、あっという間に着きます。ただし、これではブログを書く時間が足りません。今回はこまめに乗り換えるので、なおさらです。利点もあれば不都合も。いや、わがままを言ってはいけません。あわや沈没船となるところに救援の手を差し伸べてくださったみなさまに、あらためて感謝の気持ちをここに記します。
「ありがとうございました。」
 
 
 
posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | *身辺雑記