2019年02月28日

谷崎全集読過(30)『少将滋幹の母』

 『大和物語』や『源氏物語』の注釈書を引きながら、谷崎好みの平安朝の男たちが描かれていきます。そして、50歳も年下の妻を持つ大納言藤原国経に、時の権力者である時平が目を付けるくだりから、物語がおもしろくなります。
80歳に近い国経は、若い美貌の妻に対して、満足させられなくて申し訳ない気持ちを持っていました。そこへ、時平が割って入るのです。まずは、物量を投入します。

折にふれて何とか彼とか口實を設けては、矢繼ぎ早やに使者が來るのであつた。大納言は時平に格別な考があるのだらうなどゝは疑つても見ず、たゞもう有難さと恭さで一杯であつた。誰しも老年になると、若い人からちよつとしたいたはりの言葉をかけられても、つい嬉しさが身にこたへてほろりとするものであるのに、まして生れつきおめでたい、氣の弱い國経なのである。殊に相手は甥と云つても、天下の一の人であり、昭宣公の跡を繼いで攝政にも關白にもなるべき人であるのが、さすがに骨肉の親しみを忘れず、何の取柄もない老いたる伯父に斯くまで眼をかけてくれるとは。
「やつぱり長生きはするものですね」
と、或る晩老人は、北の方のゆたかな頬に皺だらけな顔を擦りつけて云つた。
「わたしはあなたのやうな人を妻に持つて、自分の幸福はもう十分だと思つてゐましたのに、そのうへ近頃は左大臣のやうなお人から、斯やうに優しくして戴ける。……ほんたうに、人はいつどんな時にどんな好運にありつくか分らないものです」
老人は、北の方が默つてうなづいたのを自分の額で感じながら、一層つよく顔を擦り着け、兩手で項を抱きかゝへるやうにして彼女の髪を長い間愛撫した。(『谷崎潤一郎全集 第27巻』26頁)


 人間の心の中に巧みに分け入り、ずる賢さと人の良さを手玉に取った物語展開が、読む者の関心を引き込み、楽しませてくれます。
 時平が歓待されてしたたかに酔って帰ろうとする時になって、引き出物についての国経との駆け引きが見ものです。
 「物惜しみをしない証拠」として、何にも変えがたい宝物である妻を差し出せとのこと。感謝の酔狂の中で、国経は時平に最愛の妻を渡すことになるのです。恋しい妻を人に譲った自分の胸の内を、谷崎は丹念に語ります。言い訳以上に、論理的に整合性を付けようとするところに、谷崎の性格が現れています。
 このくだりには、平中に関わらせて後日談があります。それを、古今集、十訓抄、今昔物語(谷崎は集を付けない)、後撰集、世継物語、大和物語、宇治拾遺物語などの古典に記されている逸話を引いて、歴史的な伝承の重みも付け加えています。
 その平中の話も、逸話を盛り込んで楽しませてくれます。侍従の君を忘れたいばかりに、排泄物を盗みます。しかし、相手もさるもの。芳しい香りの造作物にすり替えられています。尿は丁子を煮出したもの、塊は黒方の薫物に、という話はよく知られているものです。
 時平と道真の怨霊話を間に挟んで、後半は母を慕う滋幹の物語となります。母を恋う男の子の話です。また、父の姿を凝視する息子が描かれます。月光の下、死骸が累々と積まれた中で、父が女人の前で蹲る場面は、妻を慕う国経の老残に凄みを感じます。
 滋幹は、父国経の語る不浄観について、日記に記し残していたというのです。作者は、それを基にして、父が息子に語る話を述べるのでした。難しい話になった時に、手紙や日記を使うのはよくある手法です。
 物語の最終節で滋幹は、出家した母の籠る雲母坂の一乗寺あたりに思わず知らず赴きます。山荘にいると聞いている母のことを想いながら、朽ち果てた庵や瀧の情景の中を彷徨います。このあたりの描写は、谷崎らしい情緒的で妖艶な語りとなっています。意識的に物語を盛り上げようとする作者の気持ちが籠った行文です。
 春を盛りに爛漫と咲く桜と幽遠な月光、そして瀧の落ちる音が静寂の中に響きます。そんな夢幻の夕桜の下に、尼となった母の妖精のような姿を認めます。谷崎の世界です。
 この作品は、歴史と文学のあわいを往き来しつつ、時々作者が顔を出して語っている物語となっています。堅苦しくない語り口なので、歴史物語に引きずり込まれる思いで読みました。【4】

 巻末の文章を引きます。

「もし、………ひよつとしたらあなた樣は、故中納言殿の母君ではいらつしやいませんか」
と、滋幹は吃りながら云つた。
「世にある時は仰つしやる通りの者でございましたが、………あなた樣は」
「わたくしは、………わたくしは、………故大納言の遣れ形身、滋幹でございます」
そして彼は、一度に堰が切れたやうに、
「お母さま!」
と、突然云つた。尼は大きな體の男がいきなり馳せ寄つてしがみ着いたのに、よろ/\としながら辛うじて路ばたの岩に腰をおろした。
「お母さま」
と、滋幹はもう一度云つた。彼は地上に脆いて、下から母を見上げ、彼女の膝に凭れかゝるやうな姿勢を取つた。白い帽子の奥にある母の顔は、花を透かして來る月あかりに暈されて、可愛く、小さく、圓光を背負負つてゐるやうに見えた。四十年前の春の日に、几帳のかげで抱かれた時の記憶が、今歴々と蘇生つて來、一瞬にして彼は自分が六七歳の幼童になつた氣がした。彼は夢中で母の手にある山吹の枝を拂ひ除けながら、もつと/\自分の顔を母の顔に近寄せた。そして、その墨染の袖に沁みてゐる香の匂に、遠い昔の移り香を再び想ひ起しながら、まるで甘えてゐるやうに、母の訣で涙をあまたたゝび押し拭つた。(114頁)

 
 
初出誌:『毎日新聞』昭和24年12月16日〜25年3月9日 連載(挿絵:小倉遊亀)
メモ:本作は、『細雪』が完成して1年半後であり、また本作完成後の6月から『新訳 源氏物語』の執筆開始。
 
 
 
posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | □谷崎読過

2019年02月27日

『点字毎日』で紹介された「点字付百人一首」

 「点字付百人一首〜百星の会」の関場さんから、嬉しい情報をいただきました。
 先週号の「点字毎日」(2019年2月17日号)で「点字付百人一首」に関する活動が取り上げられた、というものです。一人でも多くの方々に「点字付百人一首」のことを知っていただきたいとの思いから、以下に引用して紹介とします。

「ルポ 最前線を行く
〜点字付きかるた じわじわ人気上昇
各地で同好会結成 世代を超えて楽しむ〜」



 点字付きの小倉百人一首かるたを使ったかるた取りが、じわじわと人気を集めている。主には東京や大阪、福島に同好会があり、それぞれの地で体験会が開かれている。点字付きの取り札は東京の日本点字図書館や京都の京都ライトハウスなどで買えるようになり、これまでなじみの薄かった人にもかるた遊びは身近なものになりそうだ。【平井俊行】

  「火付け役は 東京『百星の会』」

 このブームの火付け役とされているのが、東京の「百星の会」。2011年ごろから活動を続けている。それまでにも点字付きのかるたはあったが、個人で楽しむ程度がせいぜいで広く視覚障害者に知られるものではなかったという。
 そんな状況の中で、同会は定期的に体験会を開催して点字付き百人一首を紹介するとともに、参加者の意見をもとに用具とルールづくりも進めてきた。
 試行錯誤を重ねて生まれた一つがアーチ状に加工された取り札。めくりやすく、その形から「八つ橋型」とも「瓦型」とも呼ばれる。点字表示は札を挟んで向かい合う競技者のどちらからも読める。弱視者用に黒色の札に白色の文字の札も作った。手作りのため非売品だが、同会事務局の関場理華さん(52)は「多くの人にこのかるたに親しんでほしい」と話し、希望者に提供している。また初心者向けに代表的な10首を取り上げて解説書付きで紹介した点字と墨字の冊子もある。
 練習会は毎月第1、第3水曜日の午後6時から、新宿区の社会福祉協議会1回の視覚障害者交流コーナーで開催。ほかに月1回、都内で「1日かるた会」も開いている。
 関場さんは「世代を超えて意気投合できるところがかるたの魅力」と参加を勧めている。問い合わせは平日の午前10時から午後5時までに関場さんへ。

  「関西で体験会 広がりに期待」

 「百星の会」に続けと、関西で体験会の開催を続けているのが「大阪点字付きかるたを楽しむ会」。17年11月の結成で、2か月に1度、日本ライトハウス情報文化センター(大阪市西区)にメンバーが集まっている。体験会は今月1日、初めて神戸でも開かれ、参加者が4枚の札を使って、2人が競う「四人一首」などを楽しんだ。
 会場になったのは眼科専門の病院などがある神戸アイセンター(神戸市中央区)2階の「ビジョンパーク」。全日本かるた協会のA級資格を持つ現役選手が読み手を務めた。「四人一首」では、札を四角い敷物の四隅に1枚ずつ置く。4枚なので覚えやすく、点字を詠むのが苦手な人も一緒に遊べる。札は1枚減ったら足していく。10枚中何枚取れるかを競った。
 現場では、次の句が読まれるのをじっと待つ参加者から漂う緊張感が伝わってきた。イメージトレーニングの続きだろうか、時折、指を動かしている人もいた。
 読み始めても、まだ手は伸びない。迷っているようだ。少し間を置いてテーブルを挟んで腕が交差した。「あった」「また間違った」。取った札の点字を確かめる参加者の歓声が響いた。新しい札が足されると、また腕がテーブルの上を交差した。「点字を習って日が浅い」と話していた川田ゆみ子さん(64、全盲)は「こっちが『わ』で、こっちが『よ』」とつぶやきながら、札を触っていた。視力を失って家にとじこもりがちだったという川田さん。点字を覚えて、同会の交流会に参加するようになって表情が明るくなったと人から言われることが増えたという。「点字をスラスラとは読めないけれど、かるたは楽しい」と笑顔だった。
 同会の兵藤美奈子代表(46、全盲)は「いろいろな場所で体験会を開きたい。会場を提供してくれる人も募集しています」と話していた。問い合わせは兵藤さんへ。

  「福島に新たなグループ誕生」

 東京や大阪以外でも同好会結成の動きが出てきた。福島県では昨年7月、視覚障害者向けの文学講座の受講者らが「福島県点字・拡大文字付きかるたサークル」を結成。講座で教えてきた県立視覚支援学校高等部国語科教諭の渡邊寛子さん(50、全盲)を中心に20〜80代のメンバーが集まる。講座で百人一首を取り上げたとき、中途失明で点字も墨字も読むことが困難という人が「昔口ずさんだことがある」と喜んでくれた。以来、8年半かけて百首を取り上げた。そして「百星の会」などの取り組みを知り、サークルを結成。渡邊さんは「かるたを通じた交流の輪が広がってほしい」と話している。同サークルへの問い合わせは県立視覚支援学校の渡邊さんへ。

 
 
 
posted by genjiito at 20:50| Comment(0) | ■視覚障害

2019年02月26日

読書雑記(254)高田郁『あきない世傳 金と銀 六 本流篇』

 『あきない世傳 金と銀 六 本流篇』(高田郁、時代小説文庫〈ハルキ文庫〉、2019.2.18)を読みました。

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■「中有」
 大坂の呉服商「五鈴屋」の六代目店主だった智蔵が急死します。跡取りの問題が展開する中、9年前に亡くなった四代目の隠し子の存在が、跡取りの問題に関わって浮上します。緩急自在の展開が始まりました。【5】

■「女名前」
 「女名前の禁止」という掟に直面し、幸たちは後継の問題の対処を思案します。「抜け道」はないものかと。光明を見出すための策を、同じ身の女たちのためにも前を向いて歩こうとします。【3】

■「出帆」
 「女名前の禁止」という、おかみの「定法」と大坂商人の「慣習」のしがらみを、幸は条件を設けて認めてもらいます。もっと揉めるのかと思いました。少し気が抜けます。緊縛感がほしいところです。話の風向きは江戸へ出ることに移ります。今後の展開が示されたのです【3】

■「木綿と鈴紋」
 今後の物語展開の要となりそうな木綿が、幸の七代目を継いだ挨拶の品としての小風呂敷に使われます。しかも、生まれ育った津門村の木綿。過去と未来が行き来する語り口です。【4】

■「春日遅々」
 夫の隠し子との出会いが、挿話として温かく語られます。この話が、後の展開に関係するのかしないのか、興味深いところです。【4】

■「果断」
 幸の的確な判断で、江戸へ出ることが決まります。幸と共に女衆のお竹が話を引き締めています。蛍が効果的に飛んでいます。この作者は、季節感をうまく話の随所に盛り込んで、膨らみのある描写を心がけています。【5】

■「蟻の眼、鶚の眼」
 五鈴屋の要石である治兵衛は、江戸へと旅立つ幸へのはなむけに、「豪気と細心、大気と小心」ということを語ります。幸のあらたな門出の章です。【3】

■「七代目の誓い」
 大坂から江戸に出た幸たちは、浅草に近いところで店を持つことになっています。その開店準備も、着々と進んでいます。次の話への繋ぎとなる小話。みんなの前向きな気持ちに溢れた話です。【3】

■「光と塵」
 江戸に慣れるにしたがって、上方と江戸との生活する上での文化の違いがわかってきました。この比較は、楽しく読めます。特に、上方の女は前帯で、江戸は後ろ帯というのは初めて知りました。話は、古着をどう売るかという問題に展開していきます。【3】

■「知恵を寄せる」
 開店のための準備では、さまざまなアイデアが検討されます。反物の見せ方、塵の払い方などなど。一歩ずつ進んで行く様子が、わかりやすくて丁寧な描写で語られていきます。【4】

■「満を持す」
 討ち入りの日に店開きをする、というのは、なかなかのアイデアです。着々と進む用意の背景に、神社仏閣の手水舎に、屋号を染め抜いた手ぬぐいを奉納する、というのも奇策であり名案です。知恵が随所に生きています。気持ちのいい物語展開に、「笑って、勝ちに行く」という言葉が話を締めています。【4】

■「討ち入り」
 ようやく開店。夢で胸を膨らませる商法は、さらに江戸で人気を博することになりそうです。大坂の呉服商が江戸に討ち入りです。【5】

 この物語の刊行を1年間待ちました。今回も、丁寧な仕上がりで語られています。安心して読める作家として定着したようです。〈みおつくし料理帖〉の高い完成度に追いつけるように、さらなる物語の進展を楽しみにしています。
 
 
 
posted by genjiito at 20:01| Comment(0) | ■読書雑記

2019年02月25日

京洛逍遥(530)2年ぶりにあかちゃんがきました

 二人目の孫が、生まれて7日目に我が家に来ました。
 一人目の時は、「京洛逍遥(439)あかちゃんがきました」(2017年04月16日)で報告した通りです。
 その時の写真を再掲します。

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 今日は、病院からの帰りに北野天満宮の梅花祭に行くか、京都御苑の梅林に行くかで思案した結果、人の混まない京都御苑になりました。蛤御門から入ってすぐの梅林で、初めての外出を祝して記念撮影です。

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 2年前と同じ産着です。
 それにしても、面立ちがよく似ています。
 
 
 
posted by genjiito at 22:09| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2019年02月24日

久しぶりのお茶のお稽古は「入れ子点前」

 年末年始から何かと忙しかったのと、週末になると体調が思わしくなかったので、お茶のお稽古は昨年末から2ヶ月以上も間が空きました。
 しかも、ボーッとしていたせいもあり、大和西大寺駅で近鉄奈良線に乗り換えたまではよかったものの、生駒駅で乗り換えるのをすっかり忘れていました。生駒トンネルを走り抜けているときに、窓の外が暗いことに気付いた時はもう手遅れです。結局は、大阪環状線の鶴橋駅まで行ってから折り返すことになりました。片道2時間強のところが、3時間もかかってしまいました。長い間このルートで通っているのに、こんなことは初めてです。多分、寝不足が続いているからなのでしょう。

 平群を流れる龍田川は、冬から春へと水の勢いが増してきました。あと一月もすると桜が芽吹きます。すでに、鴬も鳴いているとのことです。

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 今日のお稽古は「入れ子点前(いれこだて)」をお願いしました。4月に、お客様をお呼びするので、その準備です。
 「入れ子点前」は、一番動きが少ないので、お爺さん向けで省エネのお点前です。しかし、なかなかうまくいきません。最初に丸卓にかざるところからして、アレッ! という始末です。
 まずは準備として、丸卓の地板に水差しを置き、天板には斜めに置いた柄杓を挟んで右上に棗、左下に蓋置をかざります。
 曲げの建水に、茶巾と茶筅と茶杓を仕組んだ茶碗を入れて、それをお茶室に持ち出します。流れはわかっているのに、細かなことが具体的にイメージできていません。
 出した茶碗が返ってきてから、茶巾を絞る所作がすっかり抜けてしまいました。慌ててやり直しです。
 キリッと、しかも優雅に、とはなかなかいきません。

 帰る途中で、東の大阪方向に聳える信貴生駒連山から、南に霞む二上山方面を望みました。かつては私の勉強部屋から見えた景色です。

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 京都の東山と違い、この大和の山並みからは古代の時間との隔たりを感じます。平群の地は倭建命が「たたみごも平群の山のくまがしが葉を…」と歌い、二上山には大津皇子が眠るといいます。記紀萬葉の世界なのです。

 京都駅前では、私の大好きな水芸が始まるところでした。16分間の楽しい水のパフォーマンスを楽しんでから帰りました。

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posted by genjiito at 23:38| Comment(0) | *美味礼賛

2019年02月23日

[町家 de 源氏](第17回)(変体仮名「寿・春・須」の使い分け)

 「be京都」でのハーバード本『源氏物語 須磨』を変体仮名だけに着目して読む勉強会は、今日で17回目です。

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 勉強している和室の広間は、もう雛祭りの雰囲気です。

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 9丁裏2行目末尾の「き古えさせま本しき」から読みました。しかし、ここに出てきた変体仮名の「寿・春・須」にこだわったために、結果的には次の行の「可寿/\」までの、1行しか本文の確認はできませんでした。
 以下、今日問題とした「寿・春・須」についての資料を提示して、これからの研究者のための情報提供とします。こうした資料をもとにして、さまざまな意見が交わされようになることを願っています。

 今日の参加者の間で話題にしたことは、以下のような点でした。いずれも、現在の五十音の「す(寸)」については検討していません。まずは変体仮名の傾向を見てから、と思っています。

 ・「寿」は写本の行頭に書写されているのに、「春」と「須」は行頭にはない。
 ・「寿」は語頭に来るのに、「春」と「須」は語頭には来ない。
 ・「須」は打ち消しの「ず」として使われる比率が高い。
 ・「須磨」の文字表記は、「寿満」3例、「春満」1例、「春ま」1例
 ・「娘」の文字表記は、「む須免」3例、「む寿免」1例

 これは、じっくり取り組むと、おもしろい仮名文字の使われ方が見えてきそうです。
 当面は、素人集団ながらもこうした変体仮名を読む勉強会で気付いたことを報告し、これからの若い方々が調査し研究対象としてもらえると幸いです。

 こうした視点から、鎌倉時代の写本における文字がどのような変体仮名の組み合わせで書写されているかがわかりそうです。ウインドウズ専用とはいえ、日本語ワープロの「一太郎 2019」では、変体仮名が扱えるようになりました。自由に変体仮名が文書作成に使えるのはいいとして、その仮名文字の使われ方の法則なりルールを確認しておかないと、せっかく国際的に認められたユニコードの変体仮名が無秩序に氾濫し、日本語の表記が節操なく拡散します。1日も早く、変体仮名の組み合わせのルールを確認したいものです。
 翻字が遅々として捗っていないので、少しでも多くの鎌倉時代の写本の文字資料を提供しなくてはいけません。NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の仕事は重要です。

 なお、こうした変体仮名の字母に関する問題について言及した実証的な論稿などをご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示いただけると助かります。

■ 公開資料「寿・春・須」 ■


 次の資料は、鎌倉時代中期に書写されたハーバード本の1行分の翻字を列記したものです。その冒頭部分にある4桁の数字は、手元のデータファイルの行数です。これは公開していないので、ハーバード大学蔵本におけるおおよその行数を示すものとして、その位置を推測する参考としてください。『ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「須磨」』は、10行書きの写本です。
 なお、写本の画像は、『ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「須磨」』(伊藤編、新典社、185頁、2013(平成25)年)を、その正確な翻字である「変体仮名翻字版」は、『国立歴史民俗博物館蔵『源氏物語』「鈴虫」』(伊藤鉄也・阿部江美子・淺川槙子 編著、新典社、2015年10月)の巻末資料を参照してください。

■ 「寿」の例 ■


『ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「須磨」』の「寿」

0009:と・いまは・いと・佐と者那れ・【心】寿こくて・あ
0019:るなへての・よ越も・いま八と・寿三八那れな
0024:ても・【又】・あひ三ん・【事】を・可那ら寿と・(1ウ)」
0039:徒まなるへきをなと・おも本し可へ寿
0092:ら寿・くら井を・可へし・堂てまつ里て・
0134:【侍】を・ゝさ那く・ものし・【給】可・かく・よ八ひ・寿(6ウ)」
0153:佐ま越・ひとしれ寿みし里【給】て・あ八れと・
0154:おも本寿・【人】/\・しつま里ぬる・【程】尓・とりわ
0160:やう/\さ可里・寿きて・わつ可なる・こ可个
0161:の・いと・しろき・尓わ尓・う寿く・ゝら可りて・
0193:古えさせま本しき・ことも/こ&こ・か寿/\・【思】・【給】
0229:免あ可し・【給】个れ者・寿のこなと尓・わ可
0231:いそき・をき佐者きて・との井寿可多とも・いと
0235:あ里八て寿や・ゆきちらんなと・さしも
0272:【月日】の・可个越も・み寿・【身】越・やすら
0296:「【身】八・可くて・さ寿らへぬとも・【君】可・あ多
0318:この・【御】可个尓・可くれて・寿くし・【給】へる
0330:のひや可尓・いり・【給】へ八・寿こし・井さりいてゝ・
0424:きこゑ・【給】八す・な里ぬ・[11]あ寿とての・くれ尓八・
0428:寿の・万へ尓・おまし・満いりて・【御身】つ可ら・き
0533:へら寿那ん・【御】万へ尓八・个いし・【侍】里ぬ・【心】
0568:寿てゝ・とふらひ・まひらせんも/ひ〈判読〉・な尓の・可ひ
0576:寿可多・い堂う・や徒し・堂まひて・【月】・
0580:えんと・寿らむ・【一二日】・堂満さ可尓・へ多
0582:するものをとて・み寿・まきあ个て・八
0615:まふても・うらやましくもと・うち寿
0623:「ふる佐と越・三ねの・可寿三八・へ堂つれと・
0650:い可て・とし【月】を・すくさむと・寿らむ登・
0662:寿満の・うら【人】・し本多るゝ・ころ・い徒登・(30ウ)」
0679:者寿・つき勢ぬ・まゝに・お本しこかるれ八・
0683:新・【給】遍り・【御】こと・ぬ支寿て・堂まへ累・
0691:【又】・もとの・【事】く堂ひら可尓・おほ寿・さ満
0699:そひ多らん・【心】ち・寿れと/八&と・可ひなし・いていり・
0708:八りな里/へり=こと〈丁末左〉・【中】/\・ひ多寿らよ尓・なくなり
0717:佐尓・寿こしの・な佐遣あるけしきをも・(33オ)」
0722:寿くし・すく/\しう・もてなし・【給】ひ
0733:しいてさらむ・【御返】も・寿こし・
0781:さ寿る尓も・徒三・ふ可き・【身】の三こそ・【又】き
0784:もし本・多るてふ・寿満の・うら尓て・よろつ・
0792:者可りを・まきつゝ个て・寿み徒きなと・三
0801:【給】て・きこしめ寿・王可や可尓・遣しきめる/き±者・
0814:い徒まて・寿満のうら尓・な可めん・きこゑ
0856:寿る可那なと・の堂満者勢て・【院】の・おほし・
0890:寿こし・可きならし【給】へる可・王れな可ら・
0923:いて・【給】て・堂ゝ寿み・堂満ふ・さ万の・
0947:「【心】可ら・とこよ越・寿てゝ・なく・可りを・【雲】
0969:本・いり・多満者寿
0978:ひぬ・まこと尓・【御】そは・【御身】・者那多寿・おい・
0988:【心】・と満る尓・【大将】・可くて・お者寿と・き
1140:寿免れと・ひ可免る・【心】は・さら尓も・【思】八て
1146:堂まふなれ・あこの・【御】寿く勢
1183:れと・え・おほし寿てしなと・いひ井堂
1240:しなし堂る・いと・を可し・【念】寿の・くと
1256:あ寿可【井】・すこし・う多ひて・【月】こ
1263:寿へくも・あらね八・【中】/\尓・可多八し
1264:も・え・まね者寿・よもす可ら・満とろまて・


■ 「春」の例 ■


『ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「須磨」』の「春」

0007:こともやと・おほしな里て・可の・ま八・
0238:尓し可八なん・れいの・おもはなる・佐
0429:こゑ・【給】ふ・【春宮】・【御事】を・い三しく・志ろ
0514:「いつ可・【又】・【春】の・【宮】この・【花】を・三ん・と
0521:けいれ八・志八し・三ぬ多尓・いとくるし
0537:「さきて・とく・ちる八/る=類・う个れと・ゆく・【春】
0589:よ尓・王可れな八・い可なる・うらに・さらへ・
0620:尓・こし・可多の・【山】者・可みはる可尓て・
0709:なん八・いふ可ひなくて・やう/\・王れくさ・
0710:おひや・ら無・きく・本とは・ち可遣れと・
0712:おほ尓・徒き勢すの三なん・[19]【入道】の【宮】
0713:尓も・【春宮】の・【御事】尓よ里・おほしな个く・
0727:可多尓は・ま可せ須・可つ者・免やくも・
0878:をしく・おほし堂る・【事】・おほ可里・[23]満尓八・
0938:八らひ・【給】へる・【御】てつきの・くろき・ゝ尓・
0989:く尓・あいなく・すい多る・む免とも八・ふね
1040:ま徒る・【入道宮】八・【春宮】の・【御】こと越・ゆゝし
1087:ま・うしろの・【山】尓・志はと・いふ・もの・
1088:ふふるなり个り・めつら可尓て・
1190:な尓の可とん・おほさし・本と尓・徒
1210:満免きて・【我】可・つくれる・【句】を・
1246:【御】らん・うらに・とし・ふらん・さ満なと・ゝ
1268:ゑひの・可那しみ・な三多・そゝく・【春】の・
1275:「ふるさと越・いつれの・【春】可・ゆきて・
1341:そらなり・う三の・おもて八・ふ満を・ひ
1350:【神】・な越・やま・なり三ちて・あ
1365:や三て/三&三・【君】も・いさゝ可・ね・【給】へれ八・



■ 「須」の例 ■


『ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「須磨」』の「須」

0005:き・ことの三・ま佐れ八・せ免て・志ら
0065:王佐となら・うちしのひ・【給】し尓も・
0084:ひさし支・【程】尓・王れぬこそ・あ八れなれ
0088:る・【程】・【何】と・八んへらともまい里きて・む可
0125:【君】も・え・【心】つよくも・ゝてなし・堂ま八
0129:い三しう・【思】・【給】へ・王るゝ・お里・那くの三・いま尓・
0140:てしも・可ゝる・つ三尓は・あ多ら・【侍】里け
0192:こゑ尓て・あけ尓あさ可ら/前あ$、△&け・【思】へ里・き
0194:へな可ら・む本をれ・【侍】・本とも・越し者可ら
0210:そへて・あはれ・徒きせ・いて・【給】ぬる・那こ
0240:者へる・【程】多尓・【御】免・可れせと・【思】を・可ゝ
0253:て・をと徒れも・きこゑ・堂満八・【御】とふ
0264:て・きこえ・【給】者・ま多・ゝのもし支・
0326:堂満者やと・うちくして・おも本し
0331:や可て【月】を・みつゝ・を八・【又】・こゝ尓て・【御物】
0354:【心】越・くら・ものな里遣れなとの(16ウ)」
0371:尓くし・【給】者・いと・可累ら可にあ
0413:れ八・こまか尓は・きこゑ・【給】八・【女】・い
0439:に・あ多里・者へるも・【思】・【給】へ・あ者ることの・ひと
0448:きせ・なま免き【給】へ里・【御山】尓・まいり・
0450:三尓・【物】も・え・きこゑ・【給】八・いみしく・多免
0469:三やしろを・かれと・み王多・本と・ふと
0519:を新満【御返】八/を+八、八し&新・い可ゝ・ものし・者へらむと・(24オ)」
0547:るは・多可き・三し可きとも・伊者・志里越よ
0561:しも・者多・いふ【可】尓も・あら・おもひ志
0644:志徒ま里・【給】・【心】・うつゝなら・くにの・可三も・
0648:堂満ひあ者へき・【人】し・まいらね八・
0659:かきも・や里・多満者・くらされ・堂満
0670:「こ里まの・うら能・三る免も・ゆ可志支
0727:可多尓は・ま可せ・可つ者・免や春くも・
0759:と・おも本・【又】・うち【返】し・なそや・かく・うき・
0765:こな井を・して・を者・【大殿】の・わ可き三
0794:とふし・うしと・【思】し・【心】あやま里尓・【又】・三や
0817:う尓・いつこ尓も・おほつ可な可ら・きこゑ・【給】・[21]【花】
0838:す【所】尓も・を者せ・おほやけさまの・【宮】つ
0861:なら・あちきなき・ものなり个れと・【思】し
0917:さ満尓・よ/=よろつイ・ものおもひ・王れつゝち可くなれつ可(42オ)」
0925:して/八&万・この【世】の・ものとも・みえ・【給】者・志ろ
0983:るい・ひろく・む免可ち尓て・【所】勢可り个れ・(45オ)」
1013:しも・え・多ちと満里【候】八・【宮】こ・者なれ
1045:八しまそ・多のもしけなき・【心】ち・志・
1129:よしきよは・可の・【入道】の・む免越・
1184:里/た&堂・[30]この・む免・すくれても・あらぬ可多ち
1224:しきにも・ひとつ・な三多ならそ・こ本
1277:佐ら尓・堂ちいてん・【心】ち・せ
1289:えし【給】八・【日】・やう/\・さしあ可りて・
1309:くなむとく/後く〈ママ〉・志めや可尓も・あら・可へり・【給】
1317:越/せ〈左濁点〉、む=【軟障也】、う&う・ひきめくらして・お者・その・く尓・可よ
1355:お者・ひ・くれぬれ八・【神】八・すこし・

 
 
 
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | ◎NPO活動

2019年02月22日

明浄社会人講座(10)渡部「ディープな大阪 おもしろ散歩」

 昨秋10月から始めた全十回のこの講座も、今回の第10回で終了となります。

190222_keiji.jpg

 最後は、渡部美智子先生が講師を務めてくださいました。地元である大阪めぐりをし、おもしろい話を交えてたっぷりと伺いました。
 スライドと配布された地図を見ながら、大阪の知られざる各所の案内から始まりです。

190223_osaka.jpg

・「黒門市場と天王寺七坂」の項目では、私が通っていた高校がある一帯が取り上げられました。高校時代に私は、クラブ活動はテニスをしていたので、このあたりの坂道は走り回りました。いや、走らされました。それにしても、あらためてこの地のことを伺うと、知らないことだらけです。じっくりと歩きたいと思いました。

・「コリアンタウン」も、高校があった桃谷・鶴橋の周辺なのでよく知っています。しかし、ここも知らないことだらけです。高校生だったこともあり、あまりディープなところには行かなかったようです。

・「大正街歩き」は、これまた、私が大正区で高校の教員を9年間やっていたので、懐かしく思い出しながら伺いました。渡船のことは、今も忘れられません。大阪湾に沈む夕焼けの中を、自転車を渡船に乗せて川を渡り、毎日のように毎年百人以上罷める生徒たちの家庭訪問をしたものです。

 最後に、お世話役の堀先生から「家隆忌」のリーフレットが配布されました。

190222_karyuzuka.jpg

 この高校では、短歌を作って「家隆」の塚に奉献する行事があるのです。そのことが、このパンフレットの赤丸印の箇所に記されています。そして、この周りの坂についての説明も記されています。今日は、まさに開催場所となった高校と内容もリンクした、興味深い講座だったのです。
 今日も、受講者からいろいろと質問や確認の発言がありました。可能であれば、このやりとりにもっと時間が充てられたら、さらに質の高い講座に発展していくことでしょう。

 これで、無事に社会人講座は終わりました。

180912_kouza1.jpg

 本当にささやかな集まりの講座でした。しかし、知的な刺激に満ちた、楽しい時間を共にできたことは意義深いことでした。受講生のみなさまからも、幅広い世界の奥深い所を見聞きすることができ、知ることの楽しさを堪能したというご意見をいただきました。
 いろいろな事情があり、予定していた第2期はできません。しかし、こうしたハイレベルな講座としての学習会ができることが実証され、私としても得難い収穫がありました。いわゆる、社会人向けの大学院講座なのです。しかも、講師と自由に意見交換ができるのです。今回の経験は、私にとっては今後のNPO法人〈源氏物語電子資料館〉の活動に活かして行きたいと思います。
 講師のみなさま、お忙しい中にもかかわらず、体験に裏打ちされた楽しい話を開陳していただき、ありがとうございました。当初の趣旨を活かした社会人講座が、立派に成立しました。そして、毎回細やかな気配りでお手伝いをしてくださった国語科の堀先生にも、心よりお礼を申し上げます。
 
 
 
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ■講座学習

2019年02月21日

「第6回 大阪点字付きかるたを楽しむ会」のご案内

 「大阪点字付きかるたを楽しむ会」の代表をなさっている兵藤さんから、お知らせが届きました。来月、3月9日(土)の午後、大阪の肥後橋にある「日本ライトハウス情報文化センター」を会場にして、『点字付き百人一首』を楽しむ催しです。この会も、スタートから1年が過ぎ、着実に回を重ねています。
 実は、私はまだ一度もこの会に参加できていません。週末は何かと予定が入るためです。今回の3月9日(土)も、ちょうど私がルーマニアのブカレストを発つ日に当たりました。またいつか、ということで、今回も開催のご案内だけですみません。
 

第6回 「大阪 点字付きかるたを楽しむ会」ご案内



厳しい寒さが続いておりますが、皆さんお元気でお過ごしでしょうか。

さて、「点字の百人一首を楽しめる場を大阪で作りたい!」という思いから始めたこの集まりも、皆様に支えられ、1年を超えることができました。
この間、点字毎日や日本ライトハウスさんの情報誌などに取り上げていただき、大変嬉しく思っております。
これまでのご縁を大切にしつつ、ますます多くの方々と、かるたの魅力・楽しみに触れられればと思っております。

毎回、坊主捲りや4人一首、文字通り100枚使っての百人一首で盛り上がっています!
点字の付いたカルタ(百人一首)のお持ち込みも大歓迎です。
ご持参いただける方は、お申し込み時にお知らせください。
「点字は苦手」という方もお子さんも、一緒に楽しめる場にしたいと思います。
皆様のご参加をお待ちしております。

日時:2019年3月9日(土)13時30分〜16時30分
場所:日本ライトハウス情報文化センター 4階 会議室3
(大阪市西区江戸堀1-13-2 電話  06-6441-0015)
交通:大阪市営地下鉄四つ橋線「肥後橋駅」北改札から2番出口を出てすぐ左。
   もしくは地下鉄御堂筋線・京阪本線「淀屋橋駅」4番出口から西へ400m
  (肥後橋交差点の南西角)
費用:大人−500円 高校生以下−無料
定員:先着20名(定員になり次第締め切ります)
申込:事前に、下記へメールでお願いします。
putti-castle205@key.ocn.ne.jp
(楽しむ会代表・兵藤美奈子)
※いただいたメールにすぐにご返信できない場合もありますが、ご容赦ください。
※メールは前日までにお願いします。
お問い合わせ先:野々村好三(電話090−3841−9107)

<持参予定の点字付きの札について>
@「点字付き お坊さんめくり」(発売元:京都ライトハウス)
A 4人一首セット(製作:「百星の会」=非売品)
B 競技用百人一首、白黒反転(発売元:京都ライトハウス)
C 百人一首(製作:点訳ボランティアの方)
※Cは荷物が多い場合には、Bで代用いたします。

<参考1>
坊主捲りには、上記「点字付き お坊さんめくり」を使用しています。
札を横長に置いた時の左上の角が丸くカットされ、上下に札の記号があります。
札は姫は「メメ」(姫のメ)、
坊主は「こた」(お坊さんの頭?)、殿は1本線のほか、皇族を表す台座も点字で表されていて、手で触って区別しやすくなっています。

<参考2>
2016年公開映画『ちはやふる』[上の句][下の句]は、シネマデイジーでお楽しみいただけます。
手に汗握る、競技かるたの世界をご堪能ください。

兵藤 美奈子

 
 
 

posted by genjiito at 21:09| Comment(0) | ■視覚障害

2019年02月20日

第17回[町家 de 源氏物語の写本を読む]開催のご案内

 今週末、2月23日(土)の午後2時から4時まで、「be京都」(http://www.be-kyoto.jp/)で17回目となる[町家 de 源氏物語の写本を読む]を開催します。これは、特定非営利活動法人〈源氏物語電子資料館〉が主催者として取り組んでいるものです。
 テキストは、『ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「須磨」』(伊藤編、新典社、2013年)です。

 本日20日(水)の京都新聞(朝刊)「まちかど」欄に、この勉強会を呼びかける記事が掲載されましたので、あらためて本ブログでも紹介します。

190220_be-kyoto.jpg

 今回は、上記テキストの9丁裏2行目末尾からの「き古えさせま本しき」から読みます。

 前回の内容については、「[町家 de 源氏](第16回)(現行平仮名が1文字に選定された経緯は?)」(2019年01月20日)をご覧ください。

 700年前に書写された『源氏物語』を、変体仮名に注目して読み進めることに興味と関心をお持ちの方は、このブログのコメント欄より、参加希望の連絡をお願いします。折り返し、詳細な案内を差し上げます。
 参加費は、初回だけは体験ということで千円で、2回目以降は二千円(学生は千円)です。
 NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の正会員には割り引き特典があります。

 次回は、第18回、3月23日(土)の14時〜16時までです。

 自由に参加していただける会です。
 この記事のコメント欄を利用して連絡をいただけると、詳しい説明を差し上げています。
 
 
 
posted by genjiito at 20:53| Comment(0) | ◎NPO活動

2019年02月19日

生後1日目のハイタッチ

 昨日産まれたばかりの妹と、小さな手と手を合わせて「よろしく」とあいさつをする、もうすぐ2歳のお姉ちゃんです。

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posted by genjiito at 20:33| Comment(0) | *身辺雑記

2019年02月18日

2人目の孫娘が産まれました

 一昨年、2017年4月に、お爺さんになりました。
 折しも、定年退職のために東京での生活を切り上げ、京都に戻ってすぐの出来事でした。
 新しい職場に移り、大型科研も新たに採択され、慌ただしく身の回りが動き出した時。
 時計の針が高速回転していました。

 1人目は夜。
 3,232グラムの元気な女の子でした。
 桜の花が祝福していました。

 2人目の今日は昼。
 3,500グラムの、これまた元気な女の子。
 梅の花が祝福してくれています。

190218_ume1.jpg

 2019年は、公私ともに2017年に負けず劣らず、活気に溢れた年になりそうです。
 時計の針には、一刻みずつコチコチと、一定のリズムで快適に進んでくれるよう、2人の孫の顔を見比べながら願いました。
 
 
 
posted by genjiito at 21:02| Comment(0) | *身辺雑記

2019年02月17日

モンゴル出身力士の千昇さんと両国で語る

 日比谷図書文化館の講座が終わってから、地下鉄を乗り継いで両国駅に向かいました。行き先はモンゴル料理の「ウランバートル」。

190216_mongol.jpg

 初対面の千昇秀貴(エンフバートル・バヤルバト)さんは、横綱白鵬と同期生の相撲取りでした。今は、白鵬を支援しながら、大志を抱く実業家です。
 化粧回し姿の写真をいただきました。ファンだった方もいらっしゃることでしょう。

190216_sensyou.jpg

 その千昇さんと、縁あってモンゴル料理をいただきながら長時間、さまざまな話題で楽しく語り合いました。
 千昇さんは、ウランバートル出身で、初土俵は平成13年です。幕下と三段目で優勝。平成24年に十両にあがり、相撲の世界から離れてからは、モンゴルの大草原の中を疾駆する勇姿を彷彿とさせる勢いで、夢に向かって若者と事業を展開しておられます。私も、負けず劣らず夢語りが好きなので、時間を忘れてモンゴルに旅したことに始まり、チンギスハンやコンピュータのことなど、久しぶりに夢満開の時間を共にすることができました。
 特に戦争の話では、お互いの家族のことで話題が合いました。千昇さんのお爺さんは1921年生まれ。私の父は1916年生まれ。共に戦時中は満洲の地(チチハルやハルピン)では、敵同士だったのです。終戦後、父はシベリアに抑留され、千昇さんのお爺さんは医者としてロシア軍と共に日本軍と戦われたのです。奇遇というべきか、父も軍医。もっとも、馬の医者でしたが。
 凍土で亡くなった方々の冥福を祈りながら、今後の友好を誓い合いました。ここに書ききれないほどの、貴重な話ができました。
 千昇さんは、多くの写真を持ってきてくださいました。その写真の1つ1つは、あらためて確認します。

190216_photo.jpg

 モンゴルで働く日本軍の捕虜兵士の写真も見せてくださいました。これも貴重です。何らかの形で、日本の遺族の方々に渡ったらいいと思いました。

 私がモンゴルに行ったのは2010年1月です。零下34度の凍てつくウランバートルを、2週間かけて飛び回りました。
 あらかじめ私の調査旅行記でもあるブログを見てくださっていたので、お互いの情報が共有されていたことも幸いし、豊富な話題で話が盛り上がりました。ブログの中から、話題となったことに関するリンク先のいくつかを上げておきます。特に、「亡父の代わりに日本人墓地跡へ」で書いたことは、戦争について理解を共有するものとなりました。
 なお、父が生きていたら行きたいであろう戦没者の墓地へ、代わりに私が行っています。モンゴルがそうだったように、昨春はミャンマーの慰霊碑に詣でました。「戦没者慰霊碑や旧王宮や2つの日本語学校を飛び回る」(2018年03月16日)。また、「読書雑記(198)船戸与一『残夢の骸 満州国演義9』」(2017年04月28日)では、ビルマでのインパール作戦にも触れながら、ミャンマーやシベリアと両親の満州暮らしにも言及しています。おついでの折にでもご参照願います。

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「マイナス34度のウランバートルに到着」(2010年01月10日)
「雪の中のゲルを訪問し馬に乗る」(2010年01月12日)
「モンゴル語訳『源氏物語』の話」(2010年01月13日)
「読み継がれる日本センターの本たち」(2010年01月15日)
「チンギス・ハーン像に上る」(2010年01月16日)
「モンゴル相撲観戦記」(2010年01月17日)
「亡父の代わりに日本人墓地跡へ」(2010年01月17日)
「モンゴルでの日本語教室に参加」(2010年01月18日)
「モザイク壁画の前に佇んで」(2010年01月21日)
「山岳寺院と宮殿博物館と写本文化」(2010年01月22日)
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 遅くなったので昨夜は蔵前に泊まり、今朝は所用のために大急ぎで帰洛です。
 何気なく調べた乗り換え案内のアプリを見て、アレッと思いました。お茶の水駅での乗り換えが変なのです。

190217_norikae.jpg

 総武線「三鷹行き」からお茶の水駅で中央線の「東京行き」に乗り換えるのに、「同じホーム乗換」とあるのです。到着ホームのすぐ向かいに東京行きが来るのですから、これはラッキーです。工事か何かで、ホームの利用が変わったのかなと思いながら乗りました。しかし、お茶の水駅に着くと、予想通り中央線は連絡橋を渡った反対側のホームでした。上の画像を見ると、総武線は2番線に着き、乗り換え後の中央線は4番線から発車するという情報が確認できます。やはり、「同じホーム乗換」という表示がおかしいようです。
 大したことではありません。しかし、荷物が多かっただけに、階段の昇り降りが予想外にきつくて、別のルートで東京に出ればよかったと思いました。

 いつものように富士山には気品を感じます。

190217_fuji.jpg

 帰りを迎えてくれる京都タワーは気持ちを引き締めてくれます。

190217_tower.jpg

 その点では、東京スカイツリーには何も感じません。
 「江戸漫歩(56)佃テラスから見るスカイツリーと業平橋駅」(2012年05月23日)に書いたように、「なりひらスカイツリー駅」にでもしたらよかったのに、と思っています。
 今回は、そのすぐそばに泊まっていました。
 しかし、シャッターは押していません。
 
 
 
posted by genjiito at 19:40| Comment(0) | ◎国際交流

2019年02月16日

日比谷で橋本本「若紫」を読む(その9、「障害」と書くか「障碍」と書くか)

 今日の講座での話題の一つとして、昨日の新聞に報じられた、宝塚市でこれまで「障害」と表記していた文字を4月から「障碍」にする、というニュースを取り上げました。
 このことについて、受講生として来ている全盲の尾崎さんに意見を求めました。
 尾崎さんの考えは、自分では読めない文字の話なので、結局はどちらでもいい、ということです。個人的には「障碍」がいいと思うけれども、ワープロなどで音読する時に、あまりたくさんの表記があったらややこしいので、一般的な「障害」でいいのでは、とのことでした。
 参考までに。『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(伊藤亜紗、光文社新書、2015年4月)には、次の意見が記されています。

 従来の考え方では、障害は個人に属していました。ところが、新しい考えでは、障害の原因は社会の側にあるとされた。見えないことが障害なのではなく、見えないから何かができなくなる、そのことが障害だと言うわけです。障害学の言葉でいえば、「個人モデル」から「社会モデル」の転換が起こったのです。
 「足が不自由である」ことが障害なのではなく、「足が不自由だからひとりで旅行にいけない」ことや「足が不自由なために望んだ職を得られず、経済的に余裕がない」ことが障害なのです。
 先に「しょうがいしゃ」の表記は、旧来どおりの「障害者」であるべきだ、と述べました。私がそう考える理由はもうお分かりでしょう。「障がい者」や「障碍者」と表記をずらすことは、問題の先送りにすぎません。そうした「配慮」の背後にあるのは、「個人モデル」でとらえられた障害であるように見えるからです。むしろ「障害」と表記してそのネガティブさを社会が自覚するほうが大切ではないか、というのが私の考えです。(211頁)


 この問題は、講座が終わってからの帰りの道々でも、話題になっていました。
 全盲の学生がいる中でこうした話題を考えることは、日常とは違う立場で課題が迫ってくる感覚の中に身を置くことになると思われます。受講生のみなさまにとっても、刺激的なテーマとして考えるきっかけとなったとしたら、これもこの講座ならではの勉強会だと言えるでしょう。

 さて、写本は、37丁裏4行目の「と・むせ可へり」から確認しました。
 問題としたのは、38丁表2行目の「つらく」の「らく」が「弖」(氐)のように見えることです。この「弖」については、8行目の「【給】て」で、「て」の下に削られた文字がある場所にも関係します。テキストとして使っている『国文学研究資料館蔵 橋本本『源氏物語』「若紫」』の印刷版では、この「て」の文字の下には「て」とあり、それが削除されているとしました。しかし、2年前の3月末に私が定年退職する直前の一日をかけて、不明としていた文字をもう一度見直したのです。その結果、この下に書かれていた文字は「て」ではなくて「弖」とすべきであることを確認しました。顕微鏡を使った写真を撮影したので、また機会があれば提示します。
 つまり、書写者はここで、最初は変体仮名の「弖」を書いたのです。しかし、親本をよく見るとそうではなくて「て」だったことから、すぐに「弖」を横にあった小刀で削り取り、その上に「て」と書いたのです。この写本の書写者は、字母に忠実に書写していることがわかる例です。

 今日は、私が翻字したデータをどのように管理しているのかも、お話しました。
 私の手元では、『源氏物語』54巻の翻字データは、エクセルの表形式で運用しています。補訂する時には、当該写本の当該文節のデータを訂正しているのです。
 みなさまには翻字のお手伝いをしていただいているので、そのデータがどのように管理されているのかを見ていただき、今翻字しているものがどのようになっていくのかを実見してもらいました。今は、翻字していただくと、その方に入力もお願いしています。こうした最終形態のデータを見ることで、今後の翻字のやり方の意味が理解していただけると、よりよい翻字データができあがることでしょう。
 それにしても、エクセルの表を見ていると、いかに「変体仮名翻字版」のデータが少ないかがわかります。9割以上は、私が嘘の翻字だったと言っている、旧来の50音図の平仮名による翻字なのです。「変体仮名翻字版」を急がなくてはいけません。
 今春4月からは、気分を一新してこの翻字文庫のデータ群の進展に注力するつもりです。翻字のお手伝いをしていただいている方々と、さらに連携して翻字データベースの構築に取り組みます。変わらぬご協力を、よろしくお願いします。

 日比谷図書文化館を受講生のみなさんと外に出てから、教えられるままに両国を目指しました。相撲取りだったモンゴルの方との面談があるからです。
(以下、つづく)
 
 
 
posted by genjiito at 23:59| Comment(0) | ◎NPO活動

2019年02月15日

京洛逍遥(529)新春おすすめ、お昼の京料理3店

 東京にいた一昨年までは、折々に銀座で千円ランチを楽しんでいました。
 夜はとても入れないお店でも、お昼なら手ごろな価格でいただけるのです。
 京都にもそのようなお店がたくさんあります。
 最近、時間の隙間を縫って、ぶらぶらと出かけたお店を3つ選んでみました。
 ただし、千円ではいただけないお店もあります。
 
(1)「六盛(ろくせい)」
   (京都市左京区岡崎西天王町71)
 ここは、平安神宮のすぐ西隣にあり、白川疏水に面しています。
 「手をけ弁当」で知られている所です。
 おもてなしの気持ちが伝わってくる、人を連れてきたくなるお店です。

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(2)「丸太町 十二段家(じゅうにだんや)」
   (京都市中京区烏丸丸太町西入)
 京都御苑の南西角に近いお店で、丸太町通に面しています。
 ここは、入口右にある著名人の色紙が見物です。私は、松山容子さんの色紙を見て、『天馬天平』(1960年-1961年、フジテレビ)や『琴姫七変化』(1960年-1962年、讀賣テレビ)を懐かしく思い出しました。お店の方の心遣いがほんわかしていて、のんびりします。

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(3)「立神(たてがみ)」
   (京都市中京区丸太町24-1)
 「丸太町 十二段家」から丸太町通をさらに西に進むと、向かい側に『藤原頼通の邸宅「高陽院」跡』という説明板があります。

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 もう少し西へ歩くと「高陽院邸跡」の説明もあります。

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 そんな一角の小路の奥に「立神」があります。

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 最後に出てきた、左側のホットチョコレートは、フキノトウと酒粕が入った大人の飲み物です。
 お店の方々の温かさが伝わってきます。

190215_tategami2.jpg
 
 
 
posted by genjiito at 20:09| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2019年02月14日

京洛逍遥(528)京都市バスの運転手さん(2019年-その1)

 朝、2日続きで、同じ時間帯で同じ運転手さんのバスに乗りました。感じのいい青年です。マイクでの車内アナウンスも丁寧です。朝向けの明るさが感じられます。
 時には、車内用の放送でパフォーマンスをなさる方もいらっしゃいます。しかし、それも朝だとドッと疲れます。疲れての仕事帰りだと、うんざりします。
 バスの運転手さんの話は、昨年は一度も書きませんでした。前回は、1年半前の
「京洛逍遥(453)京都市バスの運転手さん(2017年-その1)」(2017年08月08日)になります。それだけ、悪名高い京都市バスの無愛想でやる気のない運転手さんが、世代交代に伴って少なくなってきた、ということだと言えるでしょう。社内教育の徹底もあるかもしれません。とにかく、荒っぽい運転と、気分が悪くなる車内放送では有名でしたので。

 とはいえ、バスに乗っていて不愉快になることはまだまだあります。
運転手さんのことは、気付いた時にメモをしています。しばらくそのことを書いていなかったので、昨年からのものを拾ってみました。

Nさん/若い。爽やかで安全運転。
Yさん/若い。ほとんど喋らず。これもいいかも。
Tさん/若い。はきはき、きびきび、好感の持てる対応。


これに対して、乗客にとって、まだ問題を抱えた方もたくさんいらっしゃいます。

Sさん/若い。声が潰れていて、ほとんど聞き取れないアナウンス。
Sさん/若い。感じのいい青年なのに、人をバカにしたような、気だるいアナウンスです。
Mさん/中年。不貞腐れた態度で、アワアワと喚くだけ。これまでで最悪の方です。
Kさん/中年。ふざけた喋り方が耳障りで、不愉快になります。
Iさん/中年。もぐもぐと聞き取りにくい喋り方です。
Sさん/中年、マイクで話す言葉がまったく聞き取れない上に、投げやりな言い方で最悪です。
Iさん/年配。言葉が不明朗で投げやりな口調です。
Sさん/年配。部分的に日本語らしく聞こえるものの、この言葉は意味不明です。
Tさん/年配。小さい声でモゴモゴ。マイクを使っているかどうかさえ不明。ほとんど聞こえないし、投げやりな言い方です。
Sさん/年配、部分的に日本語らしく聞こえるものの、意味不明です。


 バスの運転も大変かと思います。
 先日も、乗り口のドアの横についているインターホンで話しかけているのに、無視をして発車した、という苦情が新聞紙上で問題になっていました。運転する側の言い分と、乗客の側の不満は、埋めがたい溝があるようです。そうであっても、車内放送で不愉快な気分にさせられるのはお断りです。
 
 
 
posted by genjiito at 23:59| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2019年02月13日

井上靖卒読(212)『星と祭 下』で書名への興味を抱く

 これまでに、この『星と祭』を何度読んだことか。10回はくだらないでしょう。もう、数えられなくなっています。
 最初は18歳の時でした。新聞小説として「朝日新聞」に連載された時に、その最初から毎日楽しみにして読んだものです。
 私は高校卒業後すぐに、親元を離れて上京しました。受験浪人の生活をしながら朝日新聞の配達をしていたのです。受け持ち区域の450部の新聞を配り終え、配達店の賄いの食事をしながら、毎朝楽しみにこの『星と祭』を読んでいました。333回続いた長編小説です。
 そして20歳。連載が終わるとすぐに、単行本として刊行されたのです。布張りのハードカバーの立派な本を、しっかりとした本の重みを手に感じながら読みました。ぺらぺらの新聞紙で小刻みに読んでいた時とはまったく違う、まさに読書を楽しんで読み通したのです。

 それからは、何かある毎に、折々に手に取って読んでいます。メモを頼りにして、それがいつといつといつだったのかを記したことがあります。ただしそのことを書いた記事は、残念ながらサーバーがクラッシュしたために、今は確認のしようがありません。いずれにしても、自分が苦しい立場の時や、気分を一新して歩み出そうとする時に、この作品を手にすることが多いのは確かです。満月と十一面観音が、天空へと誘ってくれるのです。

 昨年末に、この小説の前半を読んで、「井上靖卒読(211)『星と祭 上』の一節にまったく記憶がないこと」(2018年12月27日)という文章を書きました。
 そしてまた、その続きである下巻を持ち歩き、慌ただしい日々の中のちょっとした隙で、時間を忘れたかのように読んだのです。この作品には、ゆったりとした時間が流れています。

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 この小説は、ヒマラヤの麓の僧院で満月を見よう、という話で始まります。シルクロードがブームになる前のことです。
 主人公の架山洪太郎は、7年前に17歳だった娘みはるを琵琶湖で亡くしました。見知らぬ若者と一緒に、ボートの転覆事故で湖底に眠ることになったのです。生きていたら24歳。
 一度思い出すと、後妻との間に生まれた4つ下の光子の幸せな姿と被さり、辛い想いの中で死者としての娘との会話を楽しむのです。殯の期間に、生者として語れなかった思いを交わすのです。

 今回読んでいて、これまで無意識に読み流していたことがわかりました。それは、家族の想いが詳しく語られていたことです。登場人物の一人一人の想いが、丁寧に書いてあることに、あらためて気付かされました。長編小説によくあることとはいえ、自分の読みにあるムラというものを感じたのです。読んでいるその時の興味や関心に留まらず、人間や社会を見る目が歳と共に少しは養われたことによる、自分の読み手としてのレベルが、よくいえば上がったと言えるのではないでしょうか。

 人間は歳をとるとロマンチックになる、という話が出てきました(355頁)。納得です。これまで、こんなことが書かれていることに注意が向いていませんでした。小説は、歳相応なところで読者を立ち止まらせる、ということを感じています。

 この小説は、ヒマラヤで満月を見る、ということで始まりました。しかし、実際には山の天候が悪くて、雨の中を歩くことになりました。それでも、月はほんの少しだけであっても、夜空に照り輝いてくれました。

「月が出ますよ。早くいらっしゃい」
 岩代が報せて来た。
 戸外へ出てみると、カンテガの支稜の肩から、今まさに月は出ようとしていた。カンテガの支稜は雪がないので、真黒に見えているが、その肩の部分が際立って明るくなっている。やがて月が顔を出し始めた。
「五時五十五分」
 岩代が言った。月が完全にあがってしまうには何程もかからなかった。
「五時五十七分」
 二分で月はそのまるい姿全部を現わしたのであった。と同時に、右手のアマダブラムが霧の中から白い姿を現わし始めた。ほかの山は全く霧に包まれている。
 岩代も、伊原も、上松も、池野も、みんな黙って月を仰いでいた。申し合わせたようにズボンのポケットに両手を突込み、背をまるくして、月を仰いでいる。ヒマラヤの月を見るためにはるばるやって来、その月がいまあがり、それを仰いでいるのであるが、誰もひとことも口から出さなかった。暫くしてから、伊原が、
「とうとう出たな」
 と言った。それだけが、確かにその場に居る全部の者の正直な感懐であった。とうとう月は出たのである。(下、136頁)


 もしヒマラヤでの日々で、願いのままに月が見られたら、この小説の題名は『月と祭』になったのでしょうか? 井上靖のこれまでの作品から判断するに、『星と祭』の方がふさわしい気がします。井上靖は「星」が好きな作家だからです。
 この作品は、当初は『塔』と名付けられるはずだったようです。とすると、最初に設定した「ヒマラヤで満月を見る」ということが浮いてしまいます。また、物語の最後は、満月の晩に琵琶湖に船を出し、丸い月の下で亡き子を偲び、殯の期間が終わったことを自らに納得させようとします。〈祭〉はいいとして、ラストシーンは〈星〉ではありません。
 この書名について、これまで何度も読んだはずなのに、問題意識は生まれませんでした。次にまた読む時には、この書名のことを考えてみます。【5】
 
 
 
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | □井上卒読

2019年02月12日

清張全集復読(31)「黒地の絵」「氷雨」「額と歯」

■「黒地の絵」
 1950年の夏、小倉の祭で太鼓が鳴り響きます。しかし、朝鮮戦争に向かうために駐留していた黒人部隊は、戦地に赴く恐怖心から大胆な行動をします。300人もの脱走です。そのうちの6人が留吉の家に押し入り、妻芳子を襲ったのです。清張の憤りが気迫を持って語られます。
 また別の話では、朝鮮での戦死者を小倉に回収して死体処理をしていたというのです。その作業の内容がつぶさに描写されています。死体解剖の実情もリアルです。その詳細な情報を、清張はどうして集めたのかが気になりました。
 さて、留吉は黒人死体の刺青を調べていました。自分だけが知っているあパターンのものです。妻を襲った黒人をつきとめたい思いから、この仕事をしていたのです。そしてついに探し当て、ナイフで切り取ります。
 人間の常軌を逸した行動を、淡々と語ります。清張の歪んだ社会を見つめる目と、冷徹に人間を見つめる姿が浮き彫りになっています。【4】
 
初出誌:『新潮』(昭和33年3〜4月)
 
※『松本清張全集 37』(文藝春秋社、1973.7.20)の巻末に収載されている著者自身による「あとがき」には次のようにあります。
 「黒地の絵」は、朝鮮戦争中に実際に九州小倉に起こった事件で、この騒動のとき、私もその暴動地域のなかに住んでいた。しかし、黒人のこの暴動は、関係のないところでは全然気がつかれずに、私も翌朝になって事実を聞いたような次第だった。新聞には小倉キャンプの司令官が遺憾の意を表する意味の抽象的で簡単な発表をのせただけで、事件の詳しい報道は一切許されなかった。また、この短かい公式発表も北九州地区の新聞に載っただけで、全国的には報らされなかった。これを書くため小倉に戻って、当時の人たちの話を聞いたが、被害の届け出が少なかったのと、占領下だったために、現在でもよく分っていない。(51頁)

 
※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のようにあります。
清張が生地小倉で実体験した事件をもとに新たに現地取材して書き上げた力作で、『日本の黒い霧』に代表される戦後史物の先駆となる重要な作品。(55頁)


 
 
■「氷雨」
 渋谷の割烹料理屋が舞台です。年輩と若い女中の意地の張り合いが語られていきます。一人の男を巡って、駆け引きがあります。しかし、話は盛り上がらないままで終わります。清張にしては珍しい、描こうとしたものがうまく形にならなかった、とでもいうべき仕上がりです。【2】
 
初出誌:『小説公園』(昭和33年4月)
 
※『松本清張全集 37』(文藝春秋社、1973.7.20)の巻末に収載されている著者自身による「あとがき」には次のようにあります。
「氷雨」は、新宿辺の小料理屋小景として書いた。いささか古風だが、このような女の世界は銀座あたりでもみられる。これを書いたのは昭和三十三、四年ごろで、私は飲めない酒を新宿あたりの小料理屋にときどき飲みに行っていた。(551頁)

 
 
■「額と歯」
 昭和7年に団琢磨が射殺されたことから始まります。そして、話は玉の井おはぐろどぶの死体事件へと展開します。バラバラ死体の殺人事件が迷宮入りかと思われた時でした。一人の新聞記者が、警察のトイレで刑事が口にした犯人逮捕の囁きを耳にしたことから、新聞記事が物語の表面に躍り出ます。新聞記者の経験がある清張だからこその、記事を書く記者の側からの事件が語られていきます。後半は一気に読まされました。ただし、話としてはそんなに凝ったものではありません。作者の自己の体験から生まれた話です。【3】
 
初出誌:『週刊朝日』(昭和33年5月)
 
 
 
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | □清張復読

2019年02月11日

清張全集復読(30)「点」「拐帯行」「ある小官僚の抹殺」

■「点」
 脚本家の伊村のもとに、突然持ち込まれたメモ。九州の小説家という笠岡から、子供を介して話のネタと思われる「素材」が届きます。それを、押し売りのように買いとらされます。本人にあった所から、人間観察が始まります。警察、スパイ、共産党、などなどの単語が笠岡の口から出ました。底辺で生きる男の姿が描かれます。どこまでが本当で、どこからが嘘なのか、その判断は読み手に委ねたまま、話は終わります。興味深い内容と、男のありようがリアルに描写されているだけに、もっと丁寧にまとめてほしいと思いました。【3】

初出誌:『中央公論』(昭和33年1月)
 
※『松本清張全集 37』(文藝春秋社、1973.7.20)の巻末に収載されている著者自身による「あとがき」には次のようにあります。
 「点」は、『中央公論』に発表したもので、九州の或る地方にいた警察側の対日共密偵に材を取った。そのころ、ちょうど小倉に帰省してその話を聞いたのだが、当人には会わなかった。人づてに知ったことを私の想像でおぎない、事実から離れた虚構にして書いたのだが、用がすめば警察から冷淡にされていく人たちに興味を持った。
 ところが、この小説が発表されたあと半年経って、当の男がとつぜん手紙をよこし、自分のことを書かれたので迷惑した、あれが村の評判になり、自分は土地にいられなくなったと抗議してきた。九州の片田舎で人の話題になるほど『中央公論』が大部数を刷っているとは思われなかったが、その後、彼自身が上京し、私に面会を強要してきた。そのときは細君と子供三人をぞろぞろ連れて、あんたのために一家が村にいられなくなったと言い、なんとかしてくれとすわりこんだ。細君は所帯やつれしていたし、子供はみんなうす汚ない格好をしていた。その後、その男は東京
で詐欺か何かをしたらしいが、小説としてはこっちのほうが面白かったかもしれない。小説を書いていると、こういう小さなトラブルが一年に一度か二度は必ず起こる。
 現実のことをモチーフにして小説を書く場合、いつも思うのは、われわれの想像力には限界があるということだ。そのため、材料の面白さに惹かれて虚構の部分がうすくなりがちである。これは事実が想像以上に強いということであり、虚構の弱さでは支えきれないということだろう。(550〜551頁)


※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のようにあります。
零落した元スパイの暗い肖像を描いた純文学。(119頁)

 
 
 
■「拐帯行」
 集金したお金の内の35万円を懐にして、隆志は久美子と指宿へ死に場所を求めて最期の旅に出ます。「拐帯」とは、持ち逃げのことです。
 その道中で出会った、上品で穏やかな老夫婦が、この物語の意外な結末を引き取ります。心憎い構成です。【4】

初出誌:『日本』(昭和33年2月)
 
※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のようにあります。
結末の鮮やかさが光る短編推理の傑作。(28頁)


 
 
 
■「ある小官僚の抹殺」
 警視庁捜査2課に、砂糖をめぐる政界がらみの汚職があるとの電話密告がありました。ある省の唐津課長は、岡山へ出張した帰りに大阪に寄り、熱海で自殺します。
 汚職疑獄事件で課長補佐クラスが自殺することに、清張はこの頃から興味を持ったようです。警察と上役との板挟みの中で自殺する小役人について、清張は「精神的な他殺」だと言います。
 推測に想像を重ねた語りが続きます。その推測はともかく、弱い立場の人間に対する清張の眼差しに、推理作家特有の鋭い眼光を感じました。
 なお、第七節の冒頭で「唐津淳平は熱海に二十時十分についた。タクシーで来宮の「春蝶閣」にはいったのが八時半ごろである。」とあるのは、時間的におかしいと思いました。午前と午後が混乱しているのではないかと思います。いつか、このことを調べるつもりです。【3】

初出誌:『別冊文藝春秋』(昭和33年2月)
 
 
 
posted by genjiito at 19:15| Comment(0) | □清張復読

2019年02月10日

孫を相手にお茶を点てる

 今朝は雪が降っていました。お昼前には上がりましたが。
 あまりの寒さに、先週から調子の悪かった鼻と咽がガラガラです。声も出ません。残念ながら、大和平群へお茶のお稽古に行くことは自粛しました。
 先日手に入れたお茶入れを先生に見ていただくのは、この次にします。
 孫を相手に、お茶のお稽古をしました。遊びなので、不作法はお許しを。

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 茶碗に口をつけるだけの、ままごとのような一服です。
 この茶わんはお雛さまをあしらった、孫専用の一碗です。
 有名な方の作だとのこと。
 なかなか楽しい一時でした。
 
 
 
posted by genjiito at 19:52| Comment(0) | *美味礼賛

2019年02月09日

ビルマ語訳『女房三十六人歌合』に関する中間報告

 昨年3月に、ミャンマーの国際交流基金ヤンゴン仮事務所で、ビルマ語訳『女房三十六人歌合』と出会いました。速報として、本ブログの「ビルマ語の翻訳本と異文化交流の現地調査と資料収集は続く」(2018年03月09日)の末尾に、写真と共にそのことに触れています。その時は本の中も含めて写真に収めただけで、帰国後にいろいろと調べていました。

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 そもそも、私はビルマ語がまったくわからないので、調査は遅々として進みませんでした。そんな中、再度ヤンゴンへ行き、国際交流基金の新事務所開設のイベントに参加することになりました。昨年末から年始にかけて、国際交流基金ヤンゴン事務所の佐藤所長とメールをやりとりしている中で、次のような意外な展開がありました。
 まず、佐藤さんからの説明の中に、以下の文章がありました。

文学方面のカウンターパートということでPEN Myanmarと相談したところ、大変興味をもってくれたけれども、和歌を非日本語話者の文学関係者に紹介するには用意周到に計画をたてて臨みたいので、次回以降に改めて検討したいとのことでした。会長のMa Thidaさんは英語からの重訳で和歌の翻訳もした人なので、この機会を本当に大事に考えたうえでの意見ということで、尊重したいと思います。


 この文章にあるPEN Myanmarの会長のお名前に「Ma Thidaさん」とあったことに対して、情報共有をしている私の科研のプロジェクト研究員である大山さんからすぐに反応がありました。「会長のMa Thidaさんは『女房三十六人歌合』の翻訳者だと思われます」、というご教示なのです。
 大山さんには、ミャンマーで見つけた日本文学関連の写真すべてを確認してもらい、そこに写っている書影から翻訳本のリストを作成してもらっていたのです。私だけがこの整理をしていたら、「Ma Thidaさん」のことには思い及ばなかったはずです。
 偶然とはいえ、一つの手がかりが得られました。さらには、この『女房三十六人歌合』という本には個人的な歌仙絵の興味から、なぜこれが翻訳されているのか不思議に思い、念のためにその本の中身を全頁写真に撮っていたのです。
 まず、表紙と裏表紙です。

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 中の奥付にあたる部分もあげます。

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 早速、佐藤さんに、『女房三十六人歌合』の翻訳者と思われるMa Thidaさんと、連絡をとることは可能かを問い合わせました。すぐに佐藤さんからは、以下の回答が届きました。

 Ma Thidaさんをご紹介するのはもちろんできますが、彼女は日本語はまったくおできになりません。英語からの重訳をされたと聞いています。彼女は日本文学をミャンマーに紹介するキーパーソンには間違いないですが、日本文学の専門家ではない点、お伝えしておきます。また、残念ながら今回お越しいただくタイミングでは海外出張が入っているそうで、今回お会いするのは難しそうです。英語でメールのやりとりをされたい場合には、本人に私から趣旨をお伝えしたうえでメールアドレスをご案内します。あるいは、質問項目をいただいて、私からそれをお伝えするということも可能です。


 佐藤さんの懇切丁寧な説明と対応の助言を得て、これでビルマ語訳『女房三十六人歌合』に関する調査の足がかりができました。ありがたいことです。
 大山さんが、さらに詳しい情報を集めてくださいました。以下、引用します。

@ タイトル:『太陽の光 ポエム』(?)
  翻訳者:【画像の赤字の部分(マ ティ ダー)。カッコ内は、出身地(サン チャウン)】
      PEN Myanmarの会長Ma Thidaさんと同一人物と思われる。
  出版社:ティン サペー
  刊行年:2011年8月
      英語からの重訳と思われる


 このビルマ語訳の底本となったと思われる英語本の存在も、絶妙のタイミングで探し出してくださいました。

A タイトル:The Thirty-Six Immortal Women Poets
  翻訳者:Andrew J. Pekarik
  著者:Eishi Hosoda(細田栄之)
     Chobunsai Eishi イラスト(鳥文斎栄之:細田栄之と同一人物)
  出版社:George Braziller
  刊行年:1991年10月1日
  表紙:『錦摺女三十六歌仙』鳥文斎栄之・葛飾北斎
     寛政13年(1801年)春刊 西村与八版
     10~11ページ 式子内親王の絵
  底本:『錦摺女三十六歌仙』鳥文斎栄之・葛飾北斎 と思われる


 さらには、この本を手際よく入手してもらえました。

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 ビルマ語訳『女房三十六人歌合』の11頁に、次の挿し絵があります。

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 この絵は、英語本『The Thirty-Six Immortal Women Poets』の184頁にある、小野小町の挿し絵に該当します。

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 つまり、ビルマ語訳の底本である原本との配列は異なっているにしても、ビルマ語に翻訳するに際しての底本は、この一事で明らかになったと思います。

 これで、次回ミャンマーへ行った時に、翻訳者であるMa Thidaさんと面談した折に、翻訳にあたってのお話を伺う準備ができました。
 このようにして、着々と『平安文学に関する翻訳本』に関する情報が集まっています。
 本書に関して、さらに情報をお持ちの方からの連絡をお待ちしています。
 
 
 
posted by genjiito at 23:50| Comment(0) | ◎国際交流

2019年02月08日

糖尿病の検診結果は良好でした

 昨夜から今朝まで食事を抜き、空腹の状態で京大病院の糖尿病・内分泌・栄養内科に行きました。
 いつものように、まずは採血から。それが終わるや否や、急いで地下の飲食スペースで軽食を口にしました。
 1時間後に結果が出て、その数値を基にして診察を受けます。半日仕事です。しかし、私の命と日々の活動に直結することなので、3ヶ月ごとに通い続けています。
 幸い、結果は良好でした。前回の昨秋11月のヘモグロビンA1cは「7.6」でした。今回は「7.3」なので、あまり心配をすることはない範囲内になりました。

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 私は消化管を持たない身体なので、高めなのは仕方のないことです。「8.0」以内であれば、血液検査では他には何も問題はないので、今の私の身体であれば大丈夫でしょう、とのことでした。

 最近、私の体重は目標の50キロを大きく下回り、47キロを前後にするようになりました。毎日の食事が、思うように摂れません。すぐにお腹が一杯になり、無理をすると腹痛に見舞われます。これは、危機的な状況です。日々の活動の根幹に関わります。
 昨秋の栄養士さんのアドバイスを基に、妻と相談をし、とにかく体重の確保を優先した食事にしています。1日6〜8回の分食を心がけ、オニギリを持ち歩いています。それが功を奏したようで、今日は主治医から、この対策が好結果に結びついているように思われる、とのことでした。
 電車のシートや駅のベンチでオニギリを頬張っている姿は見られたくありません。しかし、1日でも長生きするためと割り切り、最近は恥ずかしさを払拭して実行しています。妻の努力も報われているようです。
 
 
 
posted by genjiito at 23:59| Comment(0) | *健康雑記

2019年02月07日

キャリアアップ講座(その16)『源氏物語』のくずし字を読む(最終回)

 今年度最後の勉強会となりました。
 一昨年、2017年4月に私が着任し、すぐの6月から始めた「熊取ゆうゆう大学」の社会人講座「『源氏物語』の古写本を読む」では、『国文学研究資料館蔵 橋本本『源氏物語』「若紫」』(伊藤鉄也・淺川槙子編、新典社)をテキストにして進めました。
 2018年度からは、「キャリアアップ講座」として再スタートです。昨年5月から10ヶ月にわたり、毎月1回のくずし字を読む勉強会を開催して来ました。10名ほどの地域住民の方々と一緒に、古写本の変体仮名を読んで来たのです。

 講座の内容は、『国立歴史民俗博物館蔵『源氏物語』「鈴虫」』(伊藤鉄也・阿部江美子・淺川槙子 編著、新典社)を読み進めることで、仮名文字を確認する集まりです。もっとも、私が喋りすぎて、遅々として進みませんでしたが。

 最終回の今日は、それでも残りをすべて確認しようという勢いで臨みました。結果は、あと2丁、4頁分を残して時間となりました。

 今日は最後ということもあり、午後1時半から3時半までと、いつもよりも早く始まりました。しかし、最後ということで名残惜しさもあってか、ついついいろいろな話となり、1時間も延びてしまいました。
 みなさまと楽しい時間を共にできたことを、あらためた感謝いたします。特にSさんとは、私が東京に行っていた間を挟みながらも、23年ものお付き合いとなりました。

 明日、2月8日に新発売となる日本語ワープロ「一太郎」に、異体字や変体仮名が搭載されていることや、日本語の再評価がなされ出した機運の中で、手書きの仮名文字は今後ますます注目されると思います。これまでに勉強してきた変体仮名が、これからは役立つ時代を迎える予感も、みなさまに伝えました。
 一人でも多くの方が、仮名文字としての変体仮名に親しんでほしいものです。古典籍などの原典を読む楽しさを実感していただきたいとの思いは、常に抱き続けています。

 今日は、「支」という変体仮名が2ヶ所も出てきました。赤丸印をつけた文字がそれです。

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 字母を交えて翻字をすると、右側は「佐多免な支」(15丁裏1行目)、左側は「ま本し支越」(16丁裏1行目)となります。
 この「支」は「 k i 」と読む変体仮名です。これは高いレベルの識字感覚を求められる字体で書かれています。
 日常的とまでは行かないまでも、折々に変体仮名を目にしていると、こうした文字は文脈から読めるようになります。

 雑談の中では、いつも話題にするように、答えは一つではない、ということも確認しました。優等生と言われる、言われてきた人こそ、答えはある、一つしかないと思いがちです。しかし、答えはいくつもある、ということを前提にして考えていく方が、より良い解決の道を歩むことができるのではないでしょうか、という私見を、今日も語ってしまいました。
 受講なさっていた方々からも、さまざまな意見をいただきました。意見交換のできる勉強会は、楽しいものです。

 さらには、若者を対象にした学校だけではなくて、社会人を、それも高齢者や心身が不自由な方との交流をも盛り込んだ学校、と言うよりも「学びの場」の必要性も提示しました。知的好奇心に溢れる方が多くなっています。そんな時代だからこそ、一般的なカルチャーセンターとは異なる、数歩踏み込んだ内容を展開する、研究指向の「学びの場」の必要性とその意義を考えたりしました。
 
 
 
posted by genjiito at 23:59| Comment(0) | ■講座学習

2019年02月06日

みやこめっせの和菓子展で手作り体験

 岡崎公園の中にある「京都市勧業館 みやこめっせ」で「第8回和菓子創作作品展」が開催されていました。主催は、京菓子講師倶楽部です。

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 我が家のご近所にある和菓子屋さんで「笹屋吉清」のご主人が勧めてくださったこともあり、ぶらりと行ってみました。
 ご主人の創作和菓子は、鶴の姿を大胆にかたどったものでした。

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 和菓子作りの体験ができたので、桜の形をしたお菓子に挑戦しました。
 まずは練習です。

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 本番になると緊張します。

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 初めてのせいか、ふんわりとした形にはなりませんでした。
 抹茶と一緒にいただきました。自分が作ったお菓子でのむお茶もいいものです。

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 帰りに出町柳で、お茶入れを見つけたのでいただきました。濃茶を点てる時に使う茶入れです。

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 良いものか良くないのか、よくはわかりません。濃茶の道具は持っていなかったので、お稽古用に、まずは一つ手元に置いておくことにしました。
 他にもいろいろとありました。どれが良いのかは、選ぶ基準を持っていないので迷います。こんなものかな、くらいの感じでお茶も続けていきます。
 
 
 
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | *美味礼賛

2019年02月05日

クラウド上のデータが大混乱となり作業がストップ

 先月下旬に、私がメインのパソコンとして使っているMacBook Proが不調のため、アップルのサポートを受けて初期化し、システムを入れ替えました。そのことは、「よりによってこんな時にパソコンを初期化」(2019年01月27日)に詳しく書きました。

 その後、新しく入れ直したシステムで順調に本稼働の準備を進めていました。特に問題もなく、そろそろこのメインマシンに作業を移行しようとしていた矢先に、今度はデータを置いていたウェブ上のiCloudのデータがおかしいのです。このことは、過日の記事でも、

 (4)iCloud(2テラ)のデータがダウンロードできない
 (5)ファイルやフォルダの容量が不自然な数字で表示される

として報告していました。
 それが、本稼働にあたって、これまでのデータを取り出して作業をしようとした時に、取り出せない状況になっていることが判明したのです。
 データを手元に置くのではなく、そのすべてをウェブ上に置くことで、いつでもどこでも仕事ができる環境を作ったはずです。しかし、そのウェブ上のデータが大混乱しているのですから、うまくデータが引き出せないことから仕事は停滞するばかりです。

 困った時にはアップルに電話をすると、私のパソコンの中を遠隔操作で一緒に見てもらいながら問題を解決する、というサービスが受けられます。今回もお願いしました。最初は問題点の確認をしてもらい、それでも解決しない場合は、専門家であるスペシャリストの方が対応してくださいます。

 今日は、午後7時から10時半まで、何と3時間半もの長きにわたり、つなぎっ放しの電話とパソコンの遠隔操作をしながら、スペシャリストの方からのサポートを受けました。バックアップデータの活用や、その再転送のことなどを検討してくださいました。個別のファイルをコピーする方法は、途方もない数量と分量のデータなので、その手作業での移行には何年もかかりそうです。結局は、さまざまなケースを想定しても、解決しませんでした。結論は、手作業でバックアップデータを、iCloudとは切り離してコピーを繰り返すことに落ち着きました。ただし、その作業にどれだけの時間がかかるのかは、予測もできません。

 スペシャリストの方の手元にある問題解決のための資料では、今回の事例は対処できない状況にあることがわかりました。アップルも、技術のすべてをマニュアルとして作成し、それを技術者に提供していないそうです。そのため、スペシャリストの方も、アップルが公開していない技術的な問題については、それ以上の対処ができないのです。私の場合が、その公開されていない問題に該当するトラブルのようです。

 ほんの一例をあげます。iCloudには手元のパソコンにあったデータが二重に転送されているのです。それは、「A」と「A2」というように、内容が同じものながらも違う名前としてアップロードされているのです。しかも、その2つが、ほとんどが同一のファイルが同期して転送されている中で、時たま違うのですから、サブと思われる「A2」を無視するわけにもいきません。つまり、ウェブ上でデータが混乱状態にあるのです。正確に言うと、ウェブにアップする前の段階で、アップロードに手間取っている内に手元のデータが混乱したということが考えられます。これは、ブラウザを使ってiCloudのデータを確認していただいてわかりました。

 その最大の原因は、データの容量が多いことと、数量も多いことにあるそうです。先月、しかたなく初期化する前に、それまでのウェブとの同期状況を見たところ、1年2ヶ月を要しても手元のデータの4分の1も転送できていなかったのです。この調子で、今の同期が終わるのを待つとしたら、あと5年以上はかかります。何とも気の遠くなる話です。とにかく、今すぐに、手元のデータを使いたいのです。5年後に使えますと言われても、何の話ですかと言わざるをえません。

 とにかく、今問題となっているのは、私的に使っている個人ユーザーのデータなのです。大組織や大型プロジェクトの場合とは、桁違いに小さいはずです。今回のような状況に陥っていることについては、アップル側の問題もあります。しかし、今それを追求しても、5年後に手元のデータがウェブ上にアップロードされているかどうかを確認しないことには、この問題の原因の解決には至りません。そんなに悠長な話を今していても仕方がないのです。

 そんなこんなで、この年度末に追い詰められた状況の中で、またもや仕事が停滞してしまっています。
 共同研究なので、多くの方々と一緒に仕事をしています。そのような中で、研究代表者としてメインとなる私の状況が、何とも惨めな状況に置かれているのです。
 明日までに仕上げて、次にバトンタッチするはずの計画が、思うように進められません。今編集しているものは、3月までに印刷して発行し、それを発送し終えなければなりません。時間に追われる中で、さらに窮地に陥っています。
 研究協力者のみなさまのお力を借りる中で、とにかく間に合うようにするしかありません。

 先日、1月27日には、「よりによってこんな時にパソコンを初期化」と題して、ご迷惑をおかけすることのお詫びを書きました。
 今日は、「よりによってこんな時にクラウドのデータが大混乱」という事態に直面しています。
 重ね重ね、関係するみなさまにお詫びします。
 毎度のことなので、「またか」「しょうがないな」と思っていただくしかありません。そして、タイムリミットがすでに来ている中で、最後のデータの調整などに関して、ご協力をよろしくお願いします。
 
 
 
posted by genjiito at 23:59| Comment(0) | ◎情報社会

2019年02月04日

機内で観た『妻よ薔薇のように 家族はつらいよV』

 ヤンゴンからバンコク経由での帰りの機内では、あまり観たいと思う映画はありませんでした。最近はJALやANAに乗ることが多かったので、そのせいか今回のタイ航空では、日本人向けの番組がラインナップの中にないのです。そんな中で、『妻よ薔薇のように 家族はつらいよV』(山田洋次監督、松竹、2018年)を観ました。
 この「家族はつらいよ」というシリーズの、第1作のテーマは「熟年離婚」、第2作は「無縁社会」、そしてこの第3作は「主婦への讃歌」だそうです。前2作は観ていません。この第3作が初めてとなります。
 家族をめぐる物語です。泥棒が入ったことで夫婦の均衡が崩れ、妻の家出から夫の生き様が家族の話し合いの俎上にのぼります。何気ない日常の中で起きた問題が、家族一人一人の考え方や役割をあぶり出します。専業主婦のありようが問われます。
 今、結婚や夫婦や家族に関して、これまでの画一的な価値観とは異なる多様さが生まれ、波紋を拡げつつあります。答えは一つではなくて、多くの組み合わせがそれぞれに認められていく時代となりました。
 そんな時代の中で、この映画が指向するところは、従来の枠から大きくはみ出さない範囲での帰結だったように思われます。「妻の反抗」により波風が立つものの、「夫婦の和解」で収束する、というものです。夫が妻に謝り、妻が夫を許すという場面には、大いに違和感を抱きました。そして、それでよしとする家族のみんなのあり方にも、疑問を感じました。
 今や専業主婦でいられる、という時代ではなくなっています。男女の働き方が問われる現代において、ここで取り上げられている事例は、あくまでもこれまでの生態から生まれた問題です。その影響下に今があるとしても、若い人たちは、ここに語られる人間関係からは、もう少し違う環境にいるのではないでしょうか。変化の過程にいると思われます。とすると、この映画は現在50歳から上の世代を意識して作られたものだ、ということになるのでしょうか。
 この映画の評論はともかく、私にはそのように映る作品でした。
 観ていて疲れない展開だったので、流し観にはちょうどいいかと思っていました。後半から問題が浮き彫りとなり、そしてもめ事も無事に円満解決で穏やかに終わります。自然体の物語だと言えるでしょう。ただし、こうしたホームドラマは私の好みではありません。どちらかと言うと、非日常を描いた物語が好きです。【3】
 
 
 
posted by genjiito at 23:59| Comment(0) | *身辺雑記

2019年02月03日

ヤンゴンの書店に立ち寄ってからの帰路

 昨日のヤンゴンの暑さは34度でした。空港に移動し、冬の日本に向かって飛び発ちます。
 その途中で、大きな書店に立ち寄りました。日本大使館の岸氏が参考になればということで、昨日の会場で見せてくださった、ビルマ語訳『百人一首』を購入して帰るためです。その表紙の写真を書店の方に示して探してもらいました。

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 残念ながら、2軒ともありませんでした。すでにあることがわかっている本なので、すぐに手に入ることでしょう。

 2件目の書店は、ダウンタウンの一角にありました。このような地域が大好きな私も、いかんせん今回は自由に動ける時間がありません。

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 心残りのままに、雑居ビルの中にある書店に入りました。わざわざ事務所から出て来られたオーナーが、日本文学関係のおもしろい本をたくさん出してくださいました。ほとんどが村上春樹です。

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 昨年3月にミャンマーで買い集めた本や、ネピドーにある国立図書館と国際交流基金とにある日本に関係する本のリストは、プロジェクト研究員の大山さんが出発前に、エクセルでデータベース化してくださっていました。それが、早速役立ちました。すぐにパソコンを開いて、目の前の本を一冊ずつ確認しました。その結果、私の手元にない4冊(上段にあるもの)だけを買い求めました。
 上段の左から、『みずうみ』(吉本ばなな)、『三四郎』(夏目漱石)、『タテ社会の人間関係(?)』(中根千枝)、『n.p』(吉本ばなな)、『デスノート1』(漫画版、吹き出しがミャンマー語)です。このうち、『n.p』はすでに入手ずみです。
 ここのオーナーは親切だったので、後日あらためてリストを送り、日本の文学・文化・歴史に関する本を集めてもらおうと思っています。
 この書店の一角は、摩訶不思議な古書の山でした。古い雑誌に連載されていた漫画を集めて製本したものや、挿し絵から日本らしい本だと思われるもの、戦時中の日本軍の写真集などなど、所狭しと堆く積んであります。背表紙に記されたビルマ語がまったく理解できないので、次回はわかる方と一緒に来たいものです。

 今回は慌ただしく時間に終われる数日だったので、食事のことを書く暇がありませんでした。昨年3月に来た時に気になっていた茶葉のサラダを、今回は食事の時には必ずいただくようにしました。特にカルタ会が終わってから行ったお店では、前日にいただいたものとは違う、茶葉を多くしてナッツ類を控えめにしたスペシャル版を作っていただくことができました。

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 茶葉があまり味と香りを主張しないので、まだ違いがよくわかりません。それにしても、興味深い食材です。
 出発前に、お茶の研究者である王静先生から、食べるお茶に関する文献を紹介していただいていました。その中の一本の論文に、次の記述がありました。

茶の利用形態に則していえば、飲む茶としてのチャ文化圏、食べるチャとしてのミアン文化圏という大きな文化圏を設定することが可能となる。(中村羊一郎2015『番茶と庶民喫茶史』323頁)


 食茶文化に興味を持ちだし、その実態を自分の目で観察しようと思っていました。しかし、今回は果たせませんでした。この食茶文化は日本ではどうだったのか、平安時代のお茶は、などなど、疑問が尽きません。すべて、今後の課題です。
 そのためもあって、家族へのおみやげはすべて茶葉のサラダの真空パックです。帰国して早々にいただきました。おいしくて病みつきになる、と好評です。

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posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ◎国際交流

2019年02月02日

【補訂版】ヤンゴンのジャパン・カルチャー・ハウスで盛況だったカルタ取り

 宿泊したホテルの5階から、早朝のヤンゴンの小路の様子を写しました。表通りは、さらに活気があります。

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 このホテルの入り口には、元気寿司の垂れ幕がありました。私が世界各国で探し求めている、回転寿司なのだそうです。ただし、今回は時間の余裕がないので、残念ながら行けません。次回にしましょう。

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 国際交流基金ヤンゴン事務所に併設されているジャパン・カルチャー・ハウスで、「百人一首の魅力を味わう ―日本の和歌を知りカルタにトライしよう」というイベントの2日目が開催されました。

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 市内近在のみなさまや、20人もの子供や若者たちが集まっています。総勢、30人を超えたため、部屋は満員です。このジャパン・カルチャー・ハウスに親しく通う現地の方々も多いとのことなので、この2年間のスタッフのみなさまの地道な努力がこうしてその成果を見せ始めています。

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 今月中旬以降には、ここからほど近い新施設へ本事務所が移転するので、さらなる発展が予想されます。このジャパン・カルチャー・ハウスが、ミャンマーの方々と日本文化との出会いの場所となるのです。そして、このヤンゴンを訪れた方々の情報交換のセンターとなれば、すばらしい国際交流の拠点となるはずです。今後が、ますます楽しみです。そして、新しく所長になられた佐藤さんのキラキラした思いが、このヤンゴンの地から拡がって行くのです。インド、エジプトでのご縁があるので、このミャンマーでも、文化・文学・歴史の分野からのお手伝いをしたいと思っているところです。

 現在、「JAPANESE FILM FESTIVAL 2019」が開催されています。

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 この中で、今日2日(金)と明日3日(土)には、映画『ちはやふる 結び』が上映されます。

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 それに合わせて『百人一首』に関するイベントを展開しよう、というのが、今回このヤンゴンに来た理由です。
 昨日は、ヤンゴン外国語大学で、先生方や学生さんたちに、『百人一首』に関する少し専門的な視点を盛り込んだ講義をしました。
 今日は、ジャパン・カルチャー・ハウスで、一般の方々を対象にした『百人一首』のお話とカルタ取りのワークショップです。
 まず、一緒に行った同僚の橘先生が、「『百人一首』カルタの絵」と題して、カルタの歴史に始まり、『百人一首』に描かれた歌人の絵姿の文化的な背景などを、やさしく語ってくださいました。『百人一首』が日本の文化や歴史の中でどのように位置づけられているかが、若い方々にもよくよわかる話となっています。
 それに先立ち、みなさまには、『百人一首』のカルタを模した包装紙に包まれている、小倉山荘のおかきを配りました。場所が佛教国ミャンマーなので、「坊主めくり」などの説明にはいろいろと工夫しておられました。

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 後半は私の、「『百人一首』の覚え方とあそび方を体験する」というセクションです。持参した『きまり字五色二十人一首 読札・取札セット』と『点字付き五色百人一首』(バリアフリー版)を回覧して、実際に札を手に取って見てもらいました。その後、インドでのカルタ会や目が見えない方々がカルタを取る様子を写真で紹介しました。

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 競技用にカルタを暗記する話に関連しては、スマホ用の無料アプリが36種類もあることや、『百人一首』に関するお菓子も見てもらいました。

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 その後、みんなでカルタ競技を楽しみました。

 まずは、昨年タイで開催された国際競技大会に出場したり、カルタ競技に親しんでいる4人の子供たちが、畳の上でエキシビションとしてカルタを取ってくれました。みんな日本から来ている子どもたちで、札のやりとりに戦術を考えていることなど、なかなかの腕前です。この4人は、大使館の一等書記官である岸氏の息子さんと、国際交流基金ヤンゴン事務所長の佐藤さんのお嬢さんたちです。ミャンマーでのカルタ取りの先導役となってもらいましょう。
 昨年の国際大会で3位になったタイを追いかける若者が、これから育っていくことを楽しみにしたいと思います。

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 カルタ競技がスポーツであることを目ていただいたあとは、みんなでカルタ取りに挑戦です。 『きまり字五色二十人一首』を4組使い、1度に8人がカルタ取りにチャレンジです。歌を読み上げているのは、佐藤さんのお嬢さんです。

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 カルタを取り出すと、頭と手がフルに活性化されるので、熱中して大いに盛り上がります。これは、今後につながるイベントとして育つことでしょう。
 今回のミャンマー訪問は、こうして収穫の多い、大成功の旅となりました。

 (以下、続く)
 
 
 
posted by genjiito at 21:57| Comment(0) | ◎国際交流

2019年02月01日

ヤンゴン外国語大学で講義

 午前中は、ヤンゴンの中心地にあるシュエダゴン・パゴダという寺院へ、佐藤さんに連れて行ってもらいました。約2500年前に建てられたものだそうです。昨年3月のブログを見返すと、ここに来ています。しかし、あの時は慌ただしく移動していたせいか、記憶が曖昧です。今回は、じっくりと時間をかけて拝観しました。

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 ちょうど、奉納された金箔をパゴダの内部に運び込む、珍しい儀式に出会えました。粋なパフォーマンスです。

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 さらには、巨大な涅槃仏であるチャウッタージー パヤーにも立ち寄ってくださいました。初めて見るものです。立ち上がると、東大寺の大仏様とどちらが背が高いか、などと考えたりしました。

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 午後3時には、ヤンゴン外国語大学へ行きました。昨年3月にも来ており、今日もお越しの佐藤先生にお話しを伺った大学です。

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 今回は、国際交流基金がヤンゴンの地で活動を開始したこともあり、新しい表示板が取り付けられていました。

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 教室に行く踊り場には、学生たちの習字が張り出されています。

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 このヤンゴン外国語大学では、「百人一首の魅力を味わう ―日本の和歌を知りカルタにトライしよう」というテーマで用意を進めてきました。
 私の題目は、「映画『ちはやふる』の恋の歌二首 ―四〇番歌「しのぶれど」と四一番歌「恋すてふ」―」としました。国際交流基金が映画『ちはやふる 結び』を上映なさることと連動しての企画です。
 予定していた内容は、平安時代の歌合で勝負がつかなかった歌を読み解くことで、日本文学に興味をもってもらうことでした。しかし、昨日来、佐藤さんからヤンゴンの大学事情について話を伺っているうちに、和歌の解釈を中心とする話は控えめにすることにしました。そうではなくて、日本語の学習に留まることなく、その次のステップとして、理解した日本語で日本の文化や文学や歴史について考える、という研究指向へと興味と関心が向くような話をすることに変更したのです。
 十数年前にインドでやりはじめたこの手法で、これからのミャンマーにおける文化交流のお手伝いをするために、私が思うスタートにあたっての心構えをお話しました。とにかく、今回がミャンマーにおける文化文学に関する初めての講義です。語学教育に終わらないようにして、これからはコラボレーションによる共同研究へとつなげて行きたいという、期待と希望をお話しました。
 その前の挨拶の後に、『百人一首』の和歌を印刷したお菓子を配布しました。少しでも親近感を抱いてもらうためです。近衛家の変体仮名カルタ(複製版)と「点字付百人一首」を回覧して、実際に触ってもらいました。江戸時代のカルタから、数百年の時空を飛び越えていただいたのです。また、目が見えない人も『百人一首』のカルタを取れることを、「点字付百人一首」から実感してもらいました。カルタを取ることは、目という視覚に頼るのではなくて、読み上げられる和歌を耳で聴いて音の世界として楽しんでもらいたい、という趣旨のことも伝えました。
 そして、その楽しさは、明日の国際交流基金でのイベントで体験してもらえることも、しっかりと宣伝しました。
 研究的な視点からは、『百人一首』を具体的にどのような切り口で読んでいけばいいのかという一例として、40番歌と41番歌について具体的に問題提起しました。

四〇「忍ぶれど 色に出でにけり わが恋は
    ものや思ふと 人の問ふまで」平兼盛
四一「恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり
    人知れずこそ 思ひそめしか」壬生忠見


 歌の解釈は配布したプリントに任せ、私はその2首が『百人一首』に取り上げられた背景を確認しました。『百人一首』を編集した藤原定家の気持ちや、当時の歌の評価などから、『百人一首』は単なる和歌のアンソロジーではないことを強調して、研究するおもしろさをお伝えしたのです。解釈で日本の研究者に立ち向かうのではなくて、『百人一首』に選ばれたそれぞれの歌の性格と読まれてきた歴史に目を向けることをポイントにしました。

 私の古典文学の立場からの話を受けて、橘先生は、三島由紀夫の『春の雪』の映画を映し出しながら、冒頭の『百人一首』が読まれる場面を説明されました。
 そして、77番歌の「瀬をはやみ〜」の歌が、映画と小説の中でどのように描かれているのかや、その歌の作者である崇徳院のことを、ご専門である民俗学の視点から読み解いたりと、興味深い話を展開していかれました。

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 みなさん、めったに聞けない話ということもあり、メモをとりながら熱心に聞いてくださいました。
 こうした内容のお話をする機会を、今後ともまた設定していただけるようにお願いしました。インドで「インド国際日本文学研究集会」をこれまでに8回も開催してきたように、ミャンマーでも日本文学を研究的な視点から読む方が少しでも増えるように、さまざまな形でお手伝いをしたいと思います。国際交流基金のヤンゴン事務所が創設されたことは、今後の文科系のイベントを通して日本の文化理解を深める意味からも、意義深い存在となります。
 佐藤さんとは、インド、エジプトの縁を引き継いで、このミャンマーでも国際的な文化交流のお手伝いすることになりました。気心の知れた仲間との活動は、気持ちのいいものです。継続を合い言葉にさらなる展開が可能となれば、私が取り組んでいる海外における文学の調査・研究も、少しはお役に立つことになると思われます。このことは、明日の『百人一首』のカルタ取り体験というイベントでも、確認したいと思っています。
 
 
 
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ◎国際交流