2019年01月31日

関空からバンコク経由で一路ヤンゴンへ

 空港の真上に泊まっていると、遠路はるばると移動して来なくてもいいので、何かと便利であることを初めて知りました。このパターンは今後も活用します。

 関空から空路ヤンゴンへ向かう日です。
 チェックインカウンターに預けたキャリーケースの重さは「12.3キロ」でした。中身は、お土産として持参する『百人一首』に関するおかきを数種類。そして『百人一首』のカルタ6組。カルタは上質の紙を使ったものなので、意外と重いのです。

 機中では、JALで活躍された中村真典先生から先週伺った、客室乗務員の方々の苦労話を思い出しました。飛行機の舞台裏が、身近に感じられます。これから、飛行機に乗る時の視線が変わってきそうです。ただし、今回は順調な飛行だったので、アテンダントの方の腕の見せ所には遭遇しませんでした。

 機内では、映画「ザ・ブラインド・サイド」(「しあわせの隠れ場所」-2009年)を観ました。巨漢のアメリカンフットボール選手が心身共に育っていく話です。サンドラ・ブロックが出ていました。サンドラ・ブロックを観るのは、「ザ・インターネット」(1995年)以来です。この映画からは、相手への優しさと思いやりが人を支える力になる、というメッセージが伝わってきました。ただし、あまりインパクトがない成功物語だったので、もっとドラマチックな台本にしてほしかった、と思いました。サンドラ・ブロックを引き立たせるためか、全体的に黒人問題や貧富の差などが抱える問題は抑え気味です。優等生的な映画にしようという意図が見え隠れしていたので、もったいないと思いました。

 さて、ヤンゴンに行くと言っても、関空からの便では、途中でタイのバンコクで乗り換えです。
 ところが、昨年3月もそうだったように、今回も乗り継ぎの際、広い空港内をさまよいました。空港での案内表示を最小限にするのであれば、せめて音声での案内があってもいいと思います。2年続けて迷ったのです。とにかく、空港職員に聞かないとわからない仕組みでは、不親切な空港だと言わざるをえません。
 また、待ち時間に利用するつもりだった、インターネットへの接続手続きが大変でした。ノートパソコンは苦心の末につながりました。しかし、スマホがつながりません。1時間ほどかかって、パスポート番号やメールアドレスや電話番号を入れたのに、結局は二つ目のデバイスはつながらないままに、ヤンゴンへ飛び立ちました。
 日本でも、バス停や電車の中で接続の手続きをしているうちに、つながらないままに目的地に到着することがよくあります。昨夏のように、レンタルのルーターを持ち歩いた方が、精神的にはずっと楽です。こんな調子で、ネットワークに接続するのに多大なエネルギーを費やしていた時代があった、という記録をここに残しておきます。急激な技術の進歩に、利用環境が追いつけないままなのです。

 バンコクからヤンゴンへは1時間以内です。空港には、国際交流基金ヤンゴン事務所の所長である佐藤さんが、わざわざ出迎えに来てくださっていました。昨年3月に、衝撃的な十数年ぶりの出会いがあり、またこうして交友が始まりました。
 2002年にインドのニューデリーで、佐藤さんと出会いました。エジプトのカイロでの仕事も、プロデュースしてもらいました。昨年ニューデリーに行った時に、たまたま行くことになっていたミャンマーのヤンゴンに佐藤さんが赴任されたばかりだとのことで、早速予定を変更して立ち寄りました。その時の面談で、今回の旅の話がスタートしたのです。おもしろいものです。気心の知れた仲間とは、楽しく仕事ができます。アイデアマンの佐藤さんなので、今回もすべてをお任せしています。さて、どんな旅になりますか。

 夜食としての軽食を、アウンサンスーチーさんの父であり「ビルマ建国の父」と言われる将軍が、独立運動の初期に事務所として使った家でいただきました。

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 メニューは、将軍の写真を配したもので、歴史物語が追えるようになっていて、よくできていました。

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 今回の旅では、「ラペ トゥ」という茶葉のサラダを食べることを、一つのテーマとして来ています。早速、この歴史的な部屋でいただきました。ナッツなどの混ぜ物の味が勝っていて、お茶の葉の味は感じられませんでした。

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 このレストランの一角には、アウンサン将軍が事務室として使っていた部屋があります。

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 机の上には、今では懐かしいハンマー式のタイプライタが置いてありました。

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 その隣には、ここがインド人のお屋敷を借りていたことがわかる部屋があります。佐藤さんと初めて出会ったインドが、今度はミャンマーで接点をもつことになりました。おもしろいものです。

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 今夜は、明日のヤンゴン外国語大学での講義の準備をしてから、ゆっくりと休むことにします。
 
 
 
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2019年01月30日

出国間際の慌ただしさの中で

 今日は、関西国際空港の中にあるホテルに泊まっています。明日からのミャンマー行きの便が早いので、大学からすぐという地の利を活かして、仕事帰りに直行で来ました。

 一昨日から今に至るまで、『平安文学翻訳本集成《2018》』の校正のため InDesign という版下作成ソフトを相手に、悪戦苦闘をしています。一冊の本を発行するのは、計り知れないエネルギーと関係者の協力が求められます。毎度のことながら、頭の痛い作業が続いています。それでも、多くの協力者を得られたことにより、なんとか終着点に向かって進んでいるのです。

 これが終わっても、まだ5冊の編集が遅々として進まない状況で待機しています。身辺が慌ただしい中で、多くの方々のご理解に縋り、甘える状況下にあります。
 近年、とみにスケジュールの管理がうまくいかず、段取りの悪さと気力の衰えを自覚するほどにまでなり、自分にとっての障害となっています。そんな中で、少しでも力を入れることができたのが、この『平安文学翻訳本集成《2018》』だったのです。

 手がけているのは、薄い冊子です。しかし、抱え込んだままで数年が経つ膨大なデータ群が、やっと日の目を見ることになるのです。温かく迎えていただけるように、最後の調整を小まめにしています。この作業は、外地でも夜中に少しでも手を着けざるを得ないため、細切れの補訂がまだまだ続きます。

 来週帰国と同時に、一気にゴールに突き進む工程となります。マラソンに喩えるなら、競技場を出て2時間以上が経ち、とにかくまた競技場のトラックが見え出した地点に至った、という状況なのです。今は、この一点を仕上げることに専念します。

 同時並行で、明日からのミャンマーでのイベントにも、全力で注力しています。さきほど、ヤンゴンに2種類のレジメを送りました。
 今回のテーマは「百人一首の魅力を味わう ―日本の和歌を知りカルタにトライしよう」となりました。
 一つは、「映画『ちはやふる』の恋の歌二首 ―四〇番歌「しのぶれど」と四一番歌「恋すてふ」―」(内容︰平安時代の歌合で勝負がつかなかった歌を読み解く)にしました。
 もう一つは、「『百人一首』の覚え方とあそび方を体験する」(内容︰各種カルタを見た後、カルタを暗記し、競技を楽しむ)」としました。
 今夜は、作成したばかりのレジメを枕元に置き、この内容の確認と想定問答をして寝ることにします。

 こんなことができるのですから、まだ若さが残っているということでしょう。ありがたいことだと思い、多くの方々に感謝するばかりの日々の中にいます。
 
 
 
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2019年01月29日

「一太郎2019」で変体仮名が使える?

 来月、2月上旬に発売される、ジャストシステムの日本語ワープロソフト「一太郎 2019」では、変体仮名が扱えるようになるそうです。この「一太郎」では、「一太郎 2015」で早くから変体仮名への対応はなされていたようです。しかし、その時には、グラフィックソフト「花子」による図形としての変体仮名だったために、あまり話題にはなりませんでした。

 その後、国立国語研究所が「学術情報交換用変体仮名」の国際的な働きかけを展開し、一昨年には念願の国際社会から認知を受けました。それが、「Unicode 10.0」で追加された変体仮名285文字です。「Unicode変体仮名フォント」として公開されていることなどは、すでに本ブログでも何度か書いてきました。研究仲間の高田智和氏(国立国語研究所)からも、折々に情報をいただいてブログなどで報告していました。その援護射撃らしきこともして来ました。
 その変体仮名を実装したアプリが、予想通り「一太郎」で実現されたことは、今後の変体仮名の位置づけが楽しみになります。

 「ジャストシステムのホームページ」から、その宣伝文を引きます。

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 私がしばしば指摘するように、1900年(明治33)に日本語の中でも平仮名が1文字に制限されるという、いわゆる言語統制を受けたことは、もっと問題点を整理してその意義を検証・確認すべきことだと思います。その意味では、今回の「一太郎」が変体仮名を実装したことにより、日本の平仮名文化にどのような影響や刺激を与えてくれるのか、その動向に注目したいと思います。
 Macintosh ユーザーである私は、Windows 専用のワープロソフトである「一太郎」を使う環境にありません。昔は、Macintosh用の「一太郎」もありました。しかし、ワープロというものを必要としない情報化社会になったこともあり、自然消滅して行くのを傍観してきました。
 変体仮名がどのように扱われて行くのかは、しばらく静観ということになります。いずれにしても、平仮名としての変体仮名が、社会の中で新たな歩みを始め出したことは確かです。
 
 
 
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2019年01月28日

ルーマニア語訳『源氏物語』に関しての翻訳者とのやりとり

 一昨日のブログ「日比谷で橋本本「若紫」を読む(その8、ルーマニア語訳『源氏物語』の第一報)」(2019年01月26日)で少し触れたように、ルーマニア語訳『源氏物語』が刊行されていることがわかりました。そして、幸いなことに、その間を取りもってくださった保坂氏の迅速な中継ぎにより、翻訳者であるAngela Hondru(アンジェラ・ホンドゥル)氏と連絡がつきました。以下、保坂氏から転送していただいたメールの一部と、研究協力者である淺川さんからの情報をとりまとめて報告します。


■翻訳本のタイトル:『Povestea lui Genji』

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■翻訳者:Angela Hondru(アンジェラ・ホンドゥル)
 国際交流基金のホームページ「2008年 国際交流基金賞:日本語部門 受賞者プロフィール」より、翻訳者であるアンジェラ・ホンドゥル氏の紹介。

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■編集: Cartonata

■出版社: POLIROM
 出版に際しては国際交流基金の協力を得ている。

■出版年:2017年(電子書籍あり)

■翻訳範囲:「桐壺」〜「鈴虫」

■表紙:国文学研究資料館蔵『源氏物語団扇画帖』「若紫」巻

■備考:この書籍は、2017年にルーマニアのブカレストで開催されたブックフェスタに出品。
 ※リーフレット公開:「Evenimentからの情報」

■書誌の情報元:
(1)https://www.libris.ro/povestea-lui-genji-murasaki-shikibu-POL978-973-46-6769-7--p1165541.html

(2)https://takumi.ro/povestea-lui-genji.html

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[アンジェラ・ホンドゥル氏の英文メールから]



1.(「翻訳事情」に関するメモ)

 ・与謝野晶子版の『源氏物語』(角川書店: vol. I (1995) vol. II (1989) )から翻訳。

 ・翻訳は2年8カ月かかった。

 ・20年前に初めて『源氏物語』を読み、その時、翻訳したいと思ったけれども、本当にできるとまでは思っていなかった。

 ・現在のバージョンは41巻で、略語は使わずに完全翻訳をした。(integrally? abbreviation?)

 ・最初はルーマニアの読者に日本の宮中の生活を紹介し、その後のバージョンに他の巻を追加していった。

 ・翻訳しなかった巻もあるが、これらは一覧にして本に含まれている。

 ・632首の和歌もすべて訳した(本文から589首、与謝野版の各章の序文から43首)。

 ・和歌の翻訳には、『新編日本古典文学全集 源氏物語』(小学館)も使用。

 ・Mrs. N と、その友人のMrs. S H がチェックしてくれた。

 ・翻訳でわからないことは、Mr. K T (グロッサリーの作成を手伝ってくれた)と、古い友人のMr. O(去年の10月に亡くなりましたが)から教えてもらった。

 ・My Genji(私が自分の翻訳をこう呼んでいるのですが)の出版には、国際交流基金のお世話になった。

2.私の翻訳本は、ルーマニアに来られるなら直接渡します。
 ルーマニアからの郵便事情がよくないけれども、送ることも可能です。

3.もちろん、私の家に来ていただけると嬉しいです。手書きのメモなど、作業工程をお見せできるので。
 また、保坂さんにいただいた資料が翻訳作業に不可欠だったので、これもお見せしたいと思います。
 翻訳作業を助けていただいたMrs. M N のこともご紹介したい(彼女のアドバイスは翻訳最終版に記載していますが)。
 また、私の他の本もぜひ見ていただきたい。13,000ページにもなりますが。
 日本語を話すのは苦手です。しかし、通訳なしでもなんとかなると思います。


 このメッセージを受けて、ルーマニアに行って直接お話を伺う方策を検討中です。
 以上の報告に関連して、何か情報をおもちの方がいらっしゃいましたら、ご教示いただけると幸いです。

 これで、『源氏物語』は以下の35種類の言語で翻訳されている、ということになります。


【『源氏物語』が翻訳されている35種類の言語一覧】


(2019年01月28日 現在)

アッサム語(インド)・アラビア語・イタリア語・ウルドゥー語(インド)・英語・エスペラント・オランダ語・オディアー語(インド)・クロアチア語・スウェーデン語・スペイン語・スロベニア語・セルビア語・タミル語(インド)・チェコ語・中国語(簡体字)・中国語(繁体字)・テルグ語(インド)・ドイツ語・トルコ語・(現代)日本語・ハンガリー語・ハングル・パンジャービー語(インド)・ビルマ語・ヒンディー語(インド)・フィンランド語・フランス語・ベトナム語・ポルトガル語・マラヤーラム語(インド)・モンゴル語・リトアニア語・ルーマニア語・ロシア語



 
 
 
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2019年01月27日

よりによってこんな時にパソコンを初期化

 年度末ということで、ハイペースで仕事をこなしています。いや、こなしていました。
 そんな折も折、愛用のパソコンであるMacBook Pro(2017、SSD:1.0テラ)が不穏な挙動を見せ出しました。

(1)ストレージの空き容量がすくないという警告が頻発
(2)タイムマシンでのバックアップが失敗の連続
(3)スリープをすると2度と起動しないため電源ボタンの長押しの連続
(4)iCloud(2テラ)のデータがダウンロードできない
(5)ファイルやフォルダの容量が不自然な数字で表示される
(6)パソコン本体のストレージの空き容量がどんどん減っていく
(7)エバーノート(プレミアム)の4,500件のノートが表示されなくなる

 これまでに私は、コンピュータに関しては、ありとあらゆるトラブルに遭遇しています。その豊かな体験から推して、このパソコンは危機的な状況にあり、クラッシュするのも時間の問題だとの直感が働きました。そこで、すぐにアップルの電話によるサポートをお願いしました。このサービスで、何度も助けられています。
 サポート担当の方の熱心なヒアリングとアドバイスを受け、私のパソコンの中に遠隔操作で入って状況を確認してもらうこと2時間。その電話と通信によるサポートの結果、このパソコンはシステムファイルが壊れているようなので、内蔵のディスクの初期化をして再度システムをインストールするのが一番確かであることを、丁寧な対応で教えてくださいました。
 アップルの専任スタッフのサポートを受けた後、パソコンをシャットダウンしました。その後、電源を入れ直し、すぐにコマンドキーを押しながら[R]キーを長押しして、アップルマークが表示されてから手を離しました。そしてディスクユーティリティで内蔵のメディアであるSSDの初期化を終えました。その後、MacOSを再インストールし、今は外付けのハードディスクから先週までのデータを復元しています。最初は48時間かかると表示されたものが、ようやくあと11時間まで来ました。
 3日後の31日には、関西国際空港から飛び立ちます。それまでにやり終えなくてはいけない仕事が、列を為して待ちかまえています。
 今は、別の仕事で使っていたMacBookAir(2018、SSD:1.5テラ)で、これまでMacBook Pro でやっていた仕事を、iCloudからデータをダウンロードしながら取り掛かっています。このブログも、これまでブログの更新には使っていなかったパソコンで書いています。さらには、外付けのハードディスク5台(4T/3T/2T/2T/2T)に分散して退避させていたデータが、面倒な手続きを経ながらも再活用できているので大助かりです。
 それにしても虫の知らせなのか、昨年11月にもう1台のパソコンを手に入れていて助かりました。パソコンやクラウドがよくクラッシュする経験があるので、まさかの事態を想定して常に予備を用意している心構えが今回は活きました。持論ながら、まだまだコンピュータは未完成の情報文具なのです。根拠もなくパソコンを信頼しない癖が身に付いています。大丈夫だろうと思わない習慣が、今回の事態に幸いしたのです。
 この期に及んでのMacBook Proのトラブルは痛手です。しかし、月末の31日までは不眠不休で事態の対処にあたるしかありません。
 そうでなくても、多くの仕事を積み残したままで、いろいろとご迷惑をおかけしています。何とか挽回すべく対処に当たっていますので、またまた今しばらくの猶予をお願いします。
 
 
 
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2019年01月26日

日比谷で橋本本「若紫」を読む(その8、ルーマニア語訳『源氏物語』の第一報)

 天気予報では、近畿圏は大雪とのこと。今日は、日比谷図書文化館で『源氏物語』の講座がある日です。関ケ原で新幹線が止まらない内にと、とにかく少しでも早く関ヶ原を通過することを願っての早出です。
 家を出ると、小雪が舞っていました。賀茂川上流の北山は、うっすらと白くなっています。

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 ヒートテックを3枚着込んで来たせいもあり、急ぎ足で駅に着くまでに少し汗をかいていました。

米原を過ぎたあたりから、伊吹山がきれいに見えました。

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 大好きな富士山も、くっきりと見えました。それではおもしろくないので、少し行き過ぎてから、雲がかかった時の写真を撮りました。

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 日比谷図書文化館の講座では、まずは今年いただいた年賀状で「上希満寿」や「万春」など、変体仮名で書かれていたものを見ていただきました。次に、新年のニュースとなった、「盛安本源氏物語絵巻・夕顔残欠巻」の画像を映写。さらには、ミャンマーでの講演やワークショップで使う『百人一首』関係の画像と、三島由紀夫の小説『春の雪』において映画と小説での『百人一首』の扱われ方の違いなどの話もしました。その関連で、ビルマ語訳『女房三十六人歌合』とその英訳版にも及びました。

 前置きの最後に、現在校正が進んでいる『平安文学翻訳本集成 《2018》』に収録した、ビルマ語に翻訳された『源氏物語』の話をしました。

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 この話が誘い水になったようで、本日より受講なさっている方から、2年前にルーマニア語訳『源氏物語』のお手伝いをしたという、驚きの情報がもたらされました。ルーマニア語訳『源氏物語』については、私の手元にはまったく情報がありません。翻訳をなさった先生は高齢ながらもお元気だとのことです。日本語も堪能ということなので、お目にかかって面談をし、翻訳の事情などを伺える機会を作っていただけないかと、あつかましいお願いをしました。早速その連絡をしてみましょうとの、ありがたい言葉をいただきました。
 ということで、新年早々、ルーマニア語訳『源氏物語』という、新しい情報が得られたことをここに第一報として報告しておきます。
 これで、『源氏物語』が翻訳された言語の種類がまた1つ増え、35言語となりました。ルーマニア語訳『源氏物語』の翻訳本は、1冊本だとのことです。どの巻が収録されているのか等々、今から拝見するのが楽しみです。家に1冊はあるはずだ、ということです。見つかったという連絡があり次第に、本ブログで報告することにします。
 さらには、『百人一首』の英訳(文春文庫、2017年4月)をなさったピーター・J. マクミラン先生ともつながりがあるとのことでした。今私はちょうど『百人一首』に関わり、カルタ取りと共に、その翻訳本の情報も収集しようとしていたところです。偶然とはいえ、重ね重ねの、いいタイミングでの出会いとなったのです。

 いつも前置きの話が長すぎるので、今日は50分に収めました。そして、休憩を挟んだ後半は、橋本本「若紫」を読み進むことに専念しました。

「【御】もてなしなと」(橋本本「若紫」、052954)からです。
 ただし、この直前に、現在流布する大島本グループには別の言葉が書かれています。その写本の本文異同について、17種類の本文を読み比べられる資料をスクリーンに映し、その違いを確認しました。

『国文研蔵 橋本本『源氏物語』「若紫」』
  ※本文異同の顕著な部分(052952〜65)

ナシ[橋=尾麦阿高天尾]・・・・052952
 こゝろふかう[大御]
 心ふかさなと[中]
 心ふかく[陽]
 心ふかう[池国肖日伏]
 ふかう[穂]
 心ふかう/〈改頁〉[保]
ナシ[橋=尾中高天尾]・・・・052953
 はつかしけなる[大陽池御国肖日穂保伏]
 心はつかしけなる[麦阿]
御もてなしなと[橋=尾陽高天尾]・・・・052954
 御もてなしなとの[大麦阿池御国肖日穂保伏]
 ナシ[中]
ゝりあつめ(とりあつめ)[橋=尾尾]・・・・052955
 ナシ[大麦阿池御国肖日穂保伏]
 ゝりあつめて(とりあつめて)[中]
 とりあつめ[陽高]
 取あつめ[天]
なのめなる[橋=尾中陽高天尾]・・・・052956
 ナシ[大麦阿池御国肖日穂保伏]
ところ[橋=尾高尾]・・・・052957
 ナシ[大麦阿池御国肖日穂保伏]
 所[中陽天]
なく[橋=尾中陽高天尾]・・・・052958
 ナシ[大麦阿池御国肖日穂保伏]
人に[橋=尾中陽高天尾]・・・・052959
 なを人に[大麦阿池御国伏]
 なを人に/〈改頁〉[肖]
 猶人に[日保]
 猶人には[穂]
ゝさせ(にさせ)[橋=大陽御日保伏高]・・・・052960
 にさせ[尾中池国肖天尾]
 に[麦阿穂]
給はぬを[橋=大中麦阿陽池御国肖日穂保伏高尾]・・・・052961
 給はぬを/た△〈削〉給は[尾]
 たまはぬを[天]
なとて[橋=尾中陽高天尾]・・・・052962
 なとか[大麦阿池御国肖日穂保伏]
すこし[橋=尾中陽高天尾]・・・・052963
 ナシ[大麦阿池御国肖日穂保伏]
よろしき[橋=尾中陽高天尾]・・・・052964
 なのめなる[大麦阿池御国肖日穂保伏]
ところたに[橋=尾高尾]・・・・052965
 ことたに[大池御肖日穂]
 所たに[中陽天]
 事たに[麦阿国保伏]


 この本文異同を印刷して配布しなかったのは、私が「変体仮名翻字版」に取り組む前の、従前の翻字方法である不正確な、嘘の翻字データによる資料だからです。そうであっても、「変体仮名翻字版」で写本が校合できるようになるまでには後30年以上はかかる大仕事なので、今はこんないいかげんな翻字資料でも、おおよその傾向やあたりをつける調査研究には、ないよりもましなメモだと思うことにしています。

 一々の検討をここでは繰り返しません。とにかく、橋本本のグループ(赤字で表示)と大島本のグループ(青字で表示)では、いろいろと違いがあるのです。
 今日は、37丁裏3行目の「【身】とも可那」まで進みました。
 なお、今回も翻字のミスを指摘していただきました。漢字を隅付き括弧で括るところです。

37丁表2行目
]「【御】気し○(き)なるもの可ら」
○「【御気】し○(き)なるもの可ら」


 こうして、少しずつであっても、より正確な翻字資料が完成して行くことは嬉しいことです

 本格的な本文研究ができる環境は数十年後になるとしても、こんな資料でもお遊びのシュミレーションには使えることもあるかと思われるので、紹介しておきます。
 それにしても、正確な本文の翻字を急がなくてはなりません。基礎資料作りの協力者を求めていますので、興味や関心や意義を感じてくださる方々からの連絡を、楽しみにお待ちしています。その意味では、日比谷図書文化館の翻字講座を受講してくださっているみなさまは、心強い理解者であり、強力な助っ人でもあります。

 今日は、帰りの関ケ原の雪が心配なので、いつもの有楽町駅前での課外勉強会は失礼しました。ただし、ルーマニア語訳『源氏物語』のことを教えてくださった方は参加してみたい、とのことだったので、みなさんと合流するところまではご一緒しました。日比谷周辺は、立っているのもつらいほどの強風が吹き荒れていました。それにしても、またまた、心強い仲間の加入となりました。幸先の良い新年のスタートです。

 新幹線は大きく遅れることもなく、無事に京都駅に着きました。関ヶ原の手前に留め置かれた車中でのオニギリを覚悟していたので、ホッとして京都タワーの前に立ちました。外は、今朝と同じように小雪が舞っていました。自宅に着く頃には牡丹雪が降りしきり、道路はあたり一面が真っ白になっていくところでした。

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 明朝は、今年初めての雪景色となっていることでしょう。
 
 
 
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2019年01月25日

明浄社会人講座(8)中村「観光学、大空を翔けめぐる舞台裏」

 第8回となる社会人講座は、中村真典先生の「観光学、大空を翔けめぐる舞台裏」です。
 中村先生は、日航で客室乗員の指導をはじめとして、主要な役職を経て来られた方です。その豊富で多彩な経験を踏まえて、我々には見えない飛行機の中での舞台裏を語ってくださいました。ちょうど1週間後に、私は飛行機の中にいます。お話の1つ1つが、旅人にはすべてが血となり肉となるものでした。
 本年4月より導入される、新型政府専用機ボーイング777型機のサービス訓練の指導を中村先生がなさったことは、私もテレビで拝見しました。意外な経験が次々と話題になっていき、楽しい話の連続でした。
 本日のお話は、昨年3月に刊行された『元CA訓練部長が書いた日本で一番やさしく、ふかく、おもしろい ホスピタリティの本』(晃洋書房)から抜き出された内容をもとにして、そこには書ききれなかったことなどを語ってくださったのです。中でも、飛行機の中にあるトイレの話がもっとも興味深く伺いました。これは、飛行機に乗ったら、特に国際線の場合は誰もがお世話になる場所だからです。シンクと調理場の水は機外に放出し、汚水は空気で後方に吸い上げて水分がない状態で溜めているそうです。トイレのあのヴォーっというバキューム音の理由がわかりました。
 昨年末に「007」シリーズ24作が一挙に放送されました。歴代のジェームスボンドを見比べるのが好きな私は、『007/オクトパシー』と『007/美しき獲物たち』の2作以外は、すべて観ました。夜中も寝ずに。
 その中で、第7作の『007/ダイヤモンドは永遠に』に登場する偽ソムリエと”クラレット”「シャトー・ムートン・ロートシルト」のことも、今日の話題に上りました。私には無縁のファーストクラスなどでは、ワインに関してもいろいろなエピソードがあるのです。
 中村先生のご著書に関わるネタをバラさないようにするためにも、楽しかったお話のことはこれくらいで止めておきます。
 客室乗務は、人間が相手の仕事です。それだからこそ、人間ならではの逸話や感動劇がたくさんあるようです。その一端から、人間が持つ魅力に共感が得られる機会をいただきました。飛行機の中で、日々ドラマは展開しているのです。
 最後は、「知識と情報が仕事を楽にする」という言葉で話を締めくくられました。楽しい、おもしろい話の合間合間に、学ぶことの大切さを教えていただきました。受講者の方からも、話の切れ目切れ目で、さまざまな疑問や質問がでました。それにも、中村先生は丁寧に応えておられました。そうした質問タイムに、なかなか伺えない裏話がいくつも聞くことができました。疑問や質問をストレートにぶつける、というスタイルの講座は活き活きとしてきます。

 前回の講座の帰りには、乗換駅で大怪我をして救急車で運ばれ、手術となりました。そのことが気になっていたので、今日は帰りの経路を変えました。高校の近くのJR美章園駅から天王寺駅→大阪駅→京都駅→地下鉄北大路駅→京都市バスと乗り継いで帰りまた。たしかに、前回のようなトラブルはありませんでした。ただし、最初の美章園駅で一駅(所要時間2分)乗るだけなのに15分の待ち時間、天王寺駅で8分、大阪駅で10分、京都駅で5分、市バスが7分もの待ち時間がありました。通算すると、駅のホームでボーッと45分。さらには、交通費が非常に高くつきました。何事もなかったからいいものの、ある意味ではリスクの高い帰宅経路でした。

 この全10回の社会人講座も、残すところあと2回となりました。
 毎回、興味深い話が展開しています。いつも受講者の方は、知的で贅沢な時間をありがとうございます、と言って帰っていかれます。講師の先生とともに、満足していただけて良かった良かった、と言って会議室の後片付けをして帰ります。参加者は少ないながらも、充実した講座が展開しています。
 この講座が始まるまでは、学校側の無理解と非協力的な対応が続き、いろいろと難儀な思いをしました。しかし今は、挫けずに初心を貫徹してよかった、と思っています。あらためて、知的好奇心が旺盛な受講者と作り上げるレベルの高い社会人講座の意義を、再認識しています。街のカルチャースクールとは異なる、フリー・ディスカッションで盛り上がる社会人講座は、円熟した高齢化社会においては、これからますます求められるものとなることでしょう。
 
 
 
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2019年01月24日

2002年春にインドで書いた未公開日記(その7/第8週)

 私がインドのデリー大学へ客員教授として赴任していた2002年のことについて、大学での様子や、インドでの日常生活をあるがままに記した日録を再現しています。
 特に、前回の「その6」からは、「第8週 02/24〜03/02」の出来事を扱っています。すでにクラッシュしたままのホームページでも、この「第8週」以降は未公開のままだった部分です。
 メモを基にして、適宜インドでのことを思い出しながら、再現していきます。
 今回は、その「第8週 02/24〜03/02」の内の、2月25日の出来事です。ここから、インドで『百人一首』に取り組んだ報告が出てきます。
 来週からミャンマーへ行き、国際交流基金ヤンゴン事務所のオープニングイベントに参加して来ます。文化交流として『百人一首』の講演とカルタ取りの異文化体験を開催することで、イベントへの協力とお手伝いをしてきます。そのこともあって、インドで取り組んだ『百人一首』のカルタ取りに関するワークショップのことを、大急ぎで実践報告としてまとめているところです。

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■2002.2.25■



 朝食中の8時半前に、タクシーが来ていると小僧さんが呼びに来た。またである。
 どこかへ行けたらもうけもの式に、またタクシーの運転手さんが来たようである。頼んでもいないので、今日は違うと伝えてもらう。やれやれ、インド式の「行ってみる、やってみる、言ってみる」というのは、本当に頭が下がる。ご苦労様。しかし、今日は出かける用事がない。
 すぐ後で、ネルー大学のT4先生から電話があった。予定されていた、今日の授業のことである。
 先方から、いつまで待っても連絡がなかったので、今日は予定が詰まってしまったことを伝え、行けなくなっていると言う。そして、『百人一首』のカルタ大会も、日程が押し迫っているので、今日の授業は断念する旨も伝えた。
 先生は、先週から家族の問題で家を留守にすることになったことを説明され、申し訳ないことになったと詫びておられた。それはともかく、私の講義の用意をしているし、学生も楽しみにしているとのことで、後日、2回ほど授業をしてもらえないか、とのことであった。
 来週は、バンガロールへ行く予定になっている。再来週の金曜日、3月8日に一度だけ行くことにした。そして、11日は、もし可能ならば行くが、それはペンディングにしてほしいと伝えた。
 今日とか今週の金曜日の授業を、と言われても、あまりにも突然で困ってしまう。何とも、急な申し出で困惑することが多い。
 上記の『百人一首』のカルタ大会について、ここで少し説明する。
 デリー大学の大学院生には、日本の文学史や『源氏物語』のみならず、『百人一首』の勉強もしてもらっていた。『百人一首』については、和歌の解釈はそっちのけで、〈日本のかるたあそびを体験する〉ということを主眼にしたものである。百首を覚えるのは日本人でも大変なので、恋愛心理を扱った和歌20首選んだ。それは、以下の20首である。
 そして、その成果は、後日開催予定の〈百人一首カルタ大会〉で確認することにした。
 次に掲げる和歌の、上の句の前半にある「/」記号は、カルタ取りで重要になる「決まり字」を示している。

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56 あらざ/らむこのよのほかのおもひでに いまひとたびのあふこともがな 和泉式部
58 ありま/やまゐなのささはらかぜふけば いでそよひとをわすれやはする 大貳三位
65 うら/みわびほさぬそでだにあるものを こひにくちなむなこそをしけれ 相模
72 おと/にきくたかしのはまのあだなみは かけじやそでのぬれもこそすれ 祐子内親王家紀伊
60 おほえ/やまいくののみちのとほければ まだふみもみずあまのはしだて 小式部内侍
97 こぬ/ひとをまつほのうらのゆふなぎに やくやもしほのみもこがれつつ 権中納言定家
77 せ/をはやみいはにせかるるたきがはの われてもすゑにあはんとぞおもふ 崇徳院御製
89 たま/のをよたえなばたえねながらへば しのぶることのよわりもぞする 式子内親王
80 ながか/らむこころもしらずくろかみの みだれてけさはものをこそおもへ 待賢門院堀河
53 なげき/つつひとりぬるよのあくるまは いかにひさしきものとかはしる 右大将道綱母
88 なにはえ/のあしのかりねのひとよゆゑ みをつくしてやこひわたるべき 皇嘉門院別当
19 なにはが/たみじかきあしのふしのまも あはでこのよをすぐしてよとや 伊勢
9 はなの/いろはうつりにけりないたづらに わがみよにふるながめせしまに 小野小町
90 みせ/ばやなをじまのあまのそでだにも ぬれにぞぬれしいろはかはらず 殷冨門院大輔
14 みち/のくのしのぶもぢずりたれゆゑに みだれそめにしわれならなくに 河原左大臣
57 め/ぐりあひてみしやそれともわかぬまに くもがくれにしよはのつきかな 紫式部
59 やす/らはでねなましものをさよふけて かたぶくまでのつきをみしかな 赤染衛門
92 わがそ/ではしほひにみえぬおきのいしの ひとこそしらねかわくまもなし 二條院讃岐
38 わすら/るるみをばおもはずちかひてし ひとのいのちのをしくもあるかな 右近
54 わすれ/じのゆくすゑまではかたければ けふをかぎりのいのちともがな 儀同三司母

 
 
 
posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | ◎国際交流

2019年01月23日

本年度最後の授業はお茶室で

 早いもので、今日は本年度の最終授業日です。
 昨年と同じように、学内にあるお茶室を使いました。
 お茶室の様子などは、昨年の記事、「お茶室で本年度最後の授業」(2018年01月18日)をご覧ください。
 ただし、今年は抹茶だけではなくて、世界各国のお茶を淹れました。

 最初だけは、型通りに教科書を使って、物の数え方の確認です。
 お箸は一膳二膳と数えることなどを。
 その確認が終わった後は、いろいろな話をしながらお茶をいただいたので、まさに茶話会です。

 まずは、ベトナムの蓮茶から。私も初めてです。少し渋みを感じました。
 そして、ペルーのココア茶、コカ茶。
 さらには中国の白茶、烏龍茶。
 最後は日本の抹茶、桑茶。
 香りと味の区別がつきやすそうなお茶を選んで、気ままに飲み比べてみました。

 こんな時には、畳の部屋で座卓を囲むと、気分がほぐれます。
 よく勉強する学生たちと、和やかに和室での最終授業となりました。
 
 
 
posted by genjiito at 21:28| Comment(0) | *美味礼賛

2019年01月22日

2002年春にインドで書いた未公開日記(その6/第8週)

 私がインドのデリー大学へ客員教授として赴任していた2002年のことで、日々の記録が未整理のままだったものをまとめています。大学での様子や、インドでの日常生活をあるがままに記した日録です。
 前回の「2002年春にインドで書いた未公開日記(その5)」(2019年01月07日)が「第6週 02/10〜02/16」の項目の2月16日に該当するものでした。
 以下、今回の記事は、1週間飛んで「第8週 02/24〜03/02」の項目の2月24日の出来事の日録にあたるものです。「第7週 02/17〜02/23 / 何でもありのデリー市街では電柱から火の玉も飛び散る。」という項目は、すでに一旦公開しました。今は、サーバーがクラッシュしたために見られませんが。
 この第8週以降については、すでにクラッシュしたままのホームページでも、未公開のままだった部分です。インド滞在も後半となり、何かと大学の行事などが立て込んだために、メモもまばらで未整理状態です。適宜インドでのことを思い出しながら、再現していくつもりです。

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■2002.2.24■



 日本から、上人の友人の妹さんが来た。初めてのインドであるとか。インドで騙されることについて、いろいろな意見がでる。公共料金が選挙対策として安く押さえられているので、人を何とか誤魔化して稼がざるを得ない国情が、少し理解できるようになった。生きていくために、生活していくために、何とかして余分な収入がないと、やっていけないのである。それを、私たちは騙された、と解釈するが、彼らには彼らなりの事情があってやっているのである。家族と生活をするためにも。
 最近は、大使館から日本人の詐欺師がいるので気をつけるように、との通知が回っているそうだ。20代後半の女性で、日本から来た女性の旅行者に近づき、同じ旅行者のふりをして騙すそうである。カルカッタにもいたとか。女性なので安心してしまい、つい引っかかってしまうそうである。その人は、インド人の男かツーリストの人と一緒になっているので、二人で罠を仕掛けるのである。なかなか手がこんできたようだ。
 M1さんが、また来た。過日割ってしまったK4の呼び鈴を買ってきてくれた。コンノートプレイスで70ルピーだったのを、ネループレイスでは50ルピーだったと言って買ったそうだ。ありがたく売ってもらった。
 午前中、デリー郊外にあるヒンドゥー寺院群のチャッタルプルへ行く。近年できた、アミューズメントパークとでもいうべきお寺の集合地である。デリーの南端で、ハイソサエティーに属する人々が、ピクニックを兼ねて家族連れで訪れるようである。ゆったりとした敷地に、ディズニーランドかと思わせるような趣向が凝らされている。

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 まず、中心となるお寺の中に入る。とにかく広い。中では、サンスクリット語で古典の物語を語っていた。語り手のおじさんの前には、サンスクリット語で書かれた、大きくて分厚い本が置いてある。そのページを繰りながら、マイクを通して語るのである。大英図書館を初めとして、その他のヨーロッパの各地で、大きな本にきれいな装飾をしたものを何度か見かけた。あれは、飾り物の本ではなくて、実際にこのようにして使われるものであることを、今、目の前で見て、はじめて知った。
 南インドのお寺のゾーンで、家族連れで花壇の中で写真を撮っていた中の一人の少女が、突然柵越しにN2君にことばをかけてきた。一緒に写真を撮りたいとのことである。外国人と一緒に写真を撮ることなど、めったにないのだろう。家族と一緒にきれいな花畑の中でポーズを取って撮影している内に、テンションが上がったのではないだろうか。ご要望にお応えして、我々も赤い花のゲートをくぐり、柵の中の花壇に入った。家族のカメラに一緒に収まった。ついでと言っては何だが、我々のカメラでも一緒に撮影する。なかなか楽しいファミリーである。

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 隣のお寺の階段を、その子たちはケンケンをしながら登っていく。そのお寺の横には、無料宿泊所であろうか、ホテルのような部屋が続いていた。
 道を隔てたところにも、大きな寺院がある。ここも、広大な敷地の中にお寺が建っている。最初のお寺では、大きなリンガを祭っていた。お寺の周りを一周したときに、ちょうど裏の庭園に向かって、電気のコンセントにコードの端を剥いたものを二本突き刺して電気を引いているのを見つけた。こんなにすばらしい寺で、大胆な電気の引き回しである。

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 その横の建物では、お寺の人が住んでいるのであろうか、2階から洗濯の水を流すホースを地面に垂らし、それを直接下水に流しているのを見かけた。何とも、こうしたやり方のアンバランスさに、ほとほと感心した。

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 さらに横の公園には、なんとキリンの作り物があるのだ。インドにキリンなど、いようはずがない。何を考えているのか。しかも、子どもがそのキリンの置物の背中によじ登っている。すぐお寺の人が来て、「コラクソボウズ、ハヤクオリンカイ」とヒンドゥー語で叫んでいる。

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 キリンの前は、きれいな花壇になっており、その敷地内に赤く塗られた大きな猿のハヌマーン像が建っている。ここだけが、未完成のところであった。

 オートリクシャーで、これまたインドでは最高級ショッピングセンターであるアンサルプラザへ行く。今日は、上流階級の人が行動するパターンの行程をシュミレートしている。このアンサルプラザは、まさに日本の大都会の中のショッピングセンターにひけをとらないものである。インドでは考えられないほどの、とにかく超現代的なショッピングゾーンである。

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 こういうところがインドにあることも、しっかり見ておく必要性を痛感する。少しずつ消えようとしている昔からのものばかりを見て、それが本当のインドだと思うのは、ある種の偏った見方であると思う。これから変わろうとしている新しい部分と、これまでの古い部分の両方を見て初めて、インドを見たことになる。インドの貧しさや汚さだけでなく、豊かさや綺麗な面も、しっかりと見たいのである。
 このアンサルプラザは、商品も日本の若者向けのショッピングモールと同じだし、値段も日本と違わない。インドの人の収入からすると、目が飛び出る以上にボトリと落っこちてしまうほどの高額商品が並んでいる。
 子どもがテニスをしているので、テニスショップへ寄ってみた。日本とまったく同じ値段で、同じ展示方法でラケットを売っている。ここへ足を踏み入れたインドの人は、最初は大きなカルチャーショックを受けることだろう。しかし、二度三度と足を運ぶ内に、こうした異文化に対する違和感と価値観を、しだいに軌道修正していくはずである。我々も、そのようにして欧米の文化を取り入れたはずである。このインドの新しい流れは、恐らく急速に新たなものの見方を生み出していくことであろう。数年後、いや10年後には今とはまったく違ったインドがあるはずである。もちろん、これまでのインドも生き続ける。しかし、旧来のインドの見方では括れないインドがあるはずである。そんな胎動を、今日、自分の目で確認することが出来た。この国は、これからも楽しみが多いと確信した。
 昼食は、マグドナルドが若者たちで満席だったので、2階の奥まった目立たないところにあった、ネッスルの軽食屋さんで済ませた。インド風のホットドックなどを食べた。

 次は、これまた若者たちを中心に豊かな生活を心がけている人々が集まる、サウスエクテンションというエリアへ、それも徒歩で行く。歩いて7、8分の距離である。自家用車やタクシーで行かないところが、本当のリッチな人間でない証拠である。
 ここも、たくさんの人で賑わっている。私は、革製のステーショナリー三点セットを買った。以前から日本でもほしかったが、狙っていたものがここにあったのである。値段は日本より少し安い程度だが、作りが丁寧で気品があったので、思い切って購入した。そして今、このステーショナリを机上に置いて、このメモを認めている。
 今日は、ここがインドであることを完全に忘れてしまっている。これもインドの新しい一面である。バックパッカーよろしく、薄汚れた安宿に居を構え、ヨレヨレの服に身を包み、埃とゴミだらけの地道を選んで歩き、はたまたサイクルリキシャと値段のことで口論を繰り返し、2ルピーとか5ルピーとかの食事をするのも、ハングリーなインド旅行であることには違いない。しかし、それだけではないのがインドであることも、これからは知っておく必要がある。そうでないと、前向き思考のインドの人たちに、大変失礼であると思う。
 そして本日の締めくくりは、これまた私には行きつけとなっている、グレートカイラーシュのMブロック。これは、サウスエクテンションをこぢんまりさせたところである。お店の数も適当で、ほとんどのものがここで入手できる。高級住宅地を背景に成り立つ、高級商店街である。これもインドであることを実感して、こうして、今日のハイソサエティーコースは、無事に終了した。

 お寺に帰ると、すぐに近所のマーケットで、いつものジュース屋さんでフルーツジュースを飲んだ。最後の仕上げがこのジュース屋さんであるところが、庶民の落ち着く先である。
 部屋に帰ろうとすると、M1さんとK2さん、そして外大の二年生の男性がいて、しばし歓談。ネルー大学の日本語学科長であるT4先生の電話番号を聞く。明日の行き先を確認するために。いまだに電話がないので、不安になっているところである。
 夕方、T2先生が顔を見せに来られた。今デリーに来たとのこと。刊行されたばかりのベトナムの本をいただく。精力的に活動されている。今月末までは、いつものIICに泊まられるとのこと。27日の講演会は、まだ場所も時間も先生自身が聞いていない、とのことだった。これも、のんびりしたことである。
 夕食後、やはりネルー大学の先生から電話がないので、こちらから電話をした。ところが、お手伝いさんが出てヒンディー語しかしゃべらないので、すぐにN2君にかわったもらった。どうやら、今日は帰らないとのこと。なんとも、無責任な話である。
 しょうがないので、懸案のデリー大学とネルー大学との対抗戦としての『百人一首』のカルタ大会は、ここWBCのスタッフとデリー大学の学生との、和やかな交歓会として催した方がいいのでは、というN2君の提案を受けた。すぐに上人に相談し、その方向で考えることにした。そうすれば、無為なデリー大学とネルー大学の対抗意識に悩むことなく、本当に気心の知れた仲間での、日印親睦の会となるのである。
 後は、I1先生の講演会を無事に成功させることに専念することである。
 体重を量った。55キロを少し切る程度で、日本にいたときとまったく一緒である。規則正しく健康的な生活をしている証拠である。
 
 
 
posted by genjiito at 20:13| Comment(0) | ◎国際交流

2019年01月21日

2002年春にインドで書いた未公開日記(その5)

 今からちょうど17年前のことです。2002年の新春は、インドのデリー大学へ客員教授として赴任していました。
 その時の体験談で、日々の記録が未整理のままだったものをまとめています。大学での様子や、インドでの日常生活をあるがままに記した日録です。
 今回あらためて整理しているもの以外は、すでに公開していました。しかし、その公開分は、数年前にサーバーがクラッシュしたために、すべてが読めなくなっています。これも、再建をめざしていろいろと手を打っています。ただし、まだその再公開のメドはたっていません。もうしばらく時間をください。いずれは再公開できるものと思われるので、そこに記していない日録を、ここで追記の形で再現しているところです。

 前回の「2002年春にインドで書いた未公開日記(その4)」(2019年01月07日)は、「第6週 02/10〜02/16」の項目の2月15日に該当するものでした。今回の記事は、それに続く2月16日の出来事の記録です。
 
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■2002.2.16■



 K4の帰国後は非常に眠たい。朝も、ボーっとしている。とにかく、緊張の連続するハードな日々の2週間であった。
 千円事件の続きをみんなに話した。
 ガンディー空港では、タクシーの到着場所から空港への入場口までは、ほんの短い距離だそうだ。そこを、荷物を運ぶと言って強引に手伝い、チップを要求する輩が多数待機しているそうだ。N10さんも、しつこい輩に付きまとわれ、とにかくドルをくれと言うそうだ。1ドルが百数十円になるからである。ルピー換算で45ルピーになる。相場は10ルピーだそうだ。しかし、外国人だと見ると、執拗に高額を請求するそうだ。K4も、この輩に捕まったようである。餌食を待つ輩の目に留まったことになる。また、この空港では、トイレの掃除の人もしつこくチップを要求するそうだ。N10さんは、お腹の調子が悪くて何回も行ったときに、4、5回目にはもう要求しなくなったとか。出国審査のすぐ横でもお金をせびる空港関係者がいるそうだ。とにかく、もらえればラッキー、とにかくお金を要求してみる、というノリだそうだ。あげなくてもいい。しかし、そうするとうるさく付きまとうので、10ルピーを渡して追い払うのが相場のようである。
 何となく体がだるいので、ベッドの中で『ラーマーヤナ』を読み始める。子ども向けに日本語訳されていることもあり、上巻を2時間ほどで読み終えた。なかなかおもしろい。途中で、登場人物をメモし、気づいた点を書き出した。ただし、下巻は猿の戦いが中心となることや、この話の結末が見えてきたので、休憩する。ちょうど昼食になったので、N2君にメモをもとにしていろいろと教えてもらう。

 『ラーマーヤナ インド古典物語』(河田清史、第三文明社、レグルス文庫1・2、1971)

・盗賊のラトナーカルが吟誦詩人バールミキとなって、ラーマの歌物語を語るという語り出しについて。文字化されたときに、こういうスタイルになったのではないかと。これは、『ラーマーヤナ』をバラモンが統合化したものであり、16世紀にバナラシーのラームチャリトラマナースという人がまとめたものだそうだ。東南アジアのワヤンという影絵などは、『ラーマーヤナ』の話をもとにしたものだそうだ。以下、細かな誤謬は、すべて私のメモが不正確であるためであることをお断りする。将来が楽しみな若き学徒のせいではない。

・『ラーマーヤナ』は、いろいろな伝承を文字化したものであり、最後にラーマとシータが別れるという話になっているものが16世紀にあった。これはおかしいとして、カットするのが現在では一般的である。

・シータを、私は我がままな姫君と読んでしまったが、そうではなくて貞淑な理想的な女性とされているとか。訳からの印象では、我がまま気ままな妃に思えるが。訳が子ども向けのせいからか。

・3匹の猿の内、ハヌマーンはよく見かける。しかし、知恵と学問の神とされるジャンバーン(頭が熊で体が猿)は、信仰の対象とはなっていないようだ。人形も少ないとか。子どもの受験というものが問題になっていないインドでは、知恵や学問の神にすがることは少ないのだろうか。しかし、これは今後は庶民が求める信仰の一つになるのではないかと思う。日本の文殊菩薩や菅原道真の天神さんのように。

・ラーマの貴種流離は14年間。この14年に何か意味があるのか。仏教における7の倍数と関係があるか。N2君は森林生活の14年というものと関係があるかも、と言っていた。そのラーマの追放は、即位の前日。これは、あきらかに処分されての追放であり、光源氏のように自ら身を引いての蟄居ではない。

・吟誦詩人バールミキが語る物語という語り出しの形式は、日本では『大鏡』の大宅世継の例がある。

・追放されたラーマを追ってきたバーラタは、王冠をラーマに贈ろうとする。しかし、それを拒否するラーマ。父の遺言を守るのである。バーラタは摂政に留まり、玉座にはラーマの靴を置く。この意味がわからなかった。N2君に、足に跪くこととの関連を教えてもらい、氷解。

・つい、『源氏物語』との比較をしてしまった。悪后の弘徽殿女御はカイケイー妃、桐壺帝はダサラタ王、光源氏はラーマ王子、朱雀院はバーラタ王子(ただし、ラーマの弟だが。あるいは摂政ということで聖徳太子?。)


 今日の昼食には、身延山の「大奥随身長」の方が同席された。「大奥」とか「随身」ということばが生きているのに感心した。「大奥」といっても男性ばかりで、また「随身」も「ずいじん」ではなくて「ずいしん」と読むそうである。
 メールチェックは、ヤフーメールだけにしたら、ストレスが解消した。試しにsify.comに接続して設定を確認したところ、メールのパスワードが変更されていなかった。とにかく、よくわからないインドのプロバイダーである。後1ヶ月なので、適当に利用することにする。

 『ラーマーヤナ』を読み終えた。

・説話化された起源譚としては、ハヌマーンの顔が黒いこと。リスの背中の3本の縞。インドとセイロンに架けた橋のなごりとしての岩の出っ張り。

・ハヌマーンが太陽を自分が覆い隠すことは、時間をコントロールすることである。古事記の天の岩戸神話などを連想した。それにしても、『ラーマーヤナ』にはエロチックな場面がない。これは、私が読んだ本が子ども向けだったせいだろうか。

・最後から2節前の話で、語り手が登場する。これは、冒頭以来。

・シータの潔白を示す試練として、火による証明が語られる。

・本書の解説によると、以下のことが目についた。「日本では、この『ラーマーヤナ』は近年になるまでまったく知られていませんでしたが、ある学者によると、すでに平安朝のころに、この物語りのことを紹介した本があるそうです。(185頁)」


 N2君が調査していたところが深く関わるし、インドで至るところで目にすることばや物が出てくるので、これはもっと早く読むべきだったかと反省。ただし、これまでの疑問が堆積しての読書なので、これはこれで有意義な機会を得たと思う。解説に、平安朝の文学にも見られるようなことが書いてあったので、誰かに問い合わせてみよう。
 英会話をCD−ROMでやる。繰り返しやれば、なんとかなるかもしれない。違和感なく聞き取れるようになったので、少しは進歩しているのだろう。ただし、日常の簡単な会話がわからない。「空港まで送ってください。」とか、「タクシー代を渡しておきます。」などなど、動詞に当たる部分に悩んでしまう。もっとパターンを覚えるべきか。学生に教えてもらう会話も、もっと工夫しよう。
 夕方、M1さんが立ち寄られ、カルカッタの南のプリーの人形をお土産にもらった。今は、ニューデリーの近くのメインバザールに泊まっているとのこと。200ルピー以下の部屋だそうだ。それでも、ちゃんと一部屋で、シャワーもあるとか。ここは少し高いので、と言っていた。旅慣れた人にはそうかもれしない。
 部屋の湯沸かし器を直してくれた。しかし、まだ水が漏れている。これで、今月の6日から10日間も、シャワーとトイレが使えない。困ったことである。
 夕食の時に、上人さんからインドでの銀行の利用方法について知恵をもらう。一番いいのは、郵便局のキャッシュカードにシティーバンクの機能を持たせたものを持参すること。すると、世界各国のシティーバンクで預金がおろせるし、インディアン・スティト・バンクでもおろせることになる。このインディアン・スティト・バンクは、インド中にあるので、非常に便利である。これは、キャッシュがいつでも入手できる。次に、デリーの東京三菱銀行に、日本からパスポート番号で入金してもらい、それをパスポートを持参して受け取る方法。これは、手数料が7千円かかるけれども、確実な方法。それにしても、クレジットカードで現金をローン扱いで下ろすのが、一番手軽な現金入手法である。ただし、これはカードがなくなると途方に暮れることになるので、現金、T/Cなど、複数の手段でお金を確保することが肝要である。
 
 
 
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2019年01月20日

[町家 de 源氏](第16回)(現行平仮名が1文字に選定された経緯は?)

 「be京都」でのハーバード本『源氏物語 須磨』を変体仮名だけに着目して読む勉強会は、今日で16回目となりました。

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 いつもと違う日曜日の10時からということで、参加してくださる方々には曜日と時間に気をつけてください、というメールを事前に回しました。また、本ブログでも、そのことを告知していました。それなのに、当の私が勘違いをしていて、いつもの午後2時からではなくて10時からであることをすっかり忘れていたのです。
 いつまで待っても私が「be京都」に姿を見せないことから、京都で世話役をしていただいている石田さんから、メールと電話で「何かあったのでしょうか」という連絡をいただきました。先週は突然手術をするなど、特にこのところ何かとバタバタする日々にあったために、いろいろと気遣いをしてもらい恐縮しました。
 とにかく大急ぎで同志社大学の方に出かけ、1時間遅れで会場に着きました。今日は、初めて参加なさる方もいらっしゃったので、大変失礼なことをしてしまいました。お許しください。
 これまでに、こうした公開のイベントなどで、私は予定をドタキャンしたり、大きく遅れることはしてきませんでした。それだけに、まったくと言っていいほど経験してこなかったことなので、予定を忘れていたことに自分自身がショックを受けています。こまかな物忘れは、最近とみによくあります。しかし、対外的にも大事なことでは、行けなくて待っていただいたことは記憶にありません。自戒の意味も込めて、ここに記しておきます。そして、今後とも何かありましたら、メールか電話で「忘れていませんか?」と催促をしてください。昨日の本ブログにも書いた通り、「人に迷惑をかけない高齢・老齢社会にし、生き抜いて行きたいものです。」ということが、早速我が身に降り懸かって来ました。今日のことは、高齢・老齢化の兆候の一つだと思われます。何かと、よろしくお願いします。

 さて、今日は、いつものように前置きが長くならないようにと気をつけながら、今年いただいた年賀状から変体仮名の好例を紹介しました。

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 右側は「上希満/寿」(上げま/す)、もう一つの左側の方は「万春」(ます)と書いておられます。共に、おめでたい新年を寿ぐのにふさわしい字母となる変体仮名を選んでのものです。変体仮名が単なる仮名として一音を表記するだけではないものであることが、こうした使い方からわかります。この、仮名文字が伝えてきている文化を、これからも守り伝えて行きたいものです。

 ハーバード本「須磨」については、9丁裏1行目の「ましくおもふ多まへらるゝ【程】可那と」から読みました。初めて参加してくださった方がいらっしゃったので、まずは変体仮名の「多」のことからお話をしました。
 ハーバード本「須磨」では、仮名文字で表記するのに用いられている変体仮名(1792例)の中で、「ta」という音の「多」は3番目に多くて「142例」、続いて8番目に多い「堂」が「74例」となっています。明治33年に文部省によって言語統制された結果としての五十音図の平仮名「太(た)」は、ここで用いられている現行平仮名(1792例)の中では7例にすぎず、「ゐ」(5例)と共に最小使用例となっています。
 この傾向は、ハーバード本「須磨」とかつては共に揃い本として組まれていたハーバード本「蜻蛉」や歴博本「鈴虫」でも、ほぼ同じことが確認できます。明治33年に平仮名を1文字に決めるときに、どのような基準で選定されたのかが知りたくなります。鎌倉時代にはほとんど見かけない「太(た)」が選ばれ、それが日本では唯一の平仮名として公認されて今に至っている根拠を、何とかして知りたいと思っているところです。
 また、2行目の「あけ尓あさ可ら須」とある所で、「あけ」について書写されている状態を確認しました。
 まず、「あ」にはミセケチの記号「˵」が2ヶ所に打たれています。この字はないことにしよう、ということです。
 次の「け」は、その下に「佐(さ)」が書かれています。ただし、その「佐」の旁の部分は、「左」と書き終わる前に、つまり「エ」の部分を書かずに「け」という文字で上からナゾって訂正しています。この「佐」が書き止した状態であることは、次の丁の5行目にある「佐」とまったく同じ字形であることから確認できます。
 つまりここでは、「尓」と書こうとしていたのに、それに続く「あ左可ら須」の「あ左」に目が飛んでしまい、「あ佐尓」と書いたと思われます。しかし、すぐに続く「あ左可ら須」と書こうとして「あ佐尓」が間違いだったことに気付き、「あ」をミセケチにし、書き止しだった「佐」を「け」に書き直したと思われます。
 こうして、写本を丹念に見ていると、書写した人が書いている状況が見えてきます。写本の書きざまから、書いている人の姿が見えてくる楽しさを、こうして読み取っているのです。これも、写本を読む楽しみの一つです。

 ということで、今日は2行だけを見たことになります。
 次の第17回2月23日(土)14時〜16時では、9丁裏2行目の「【思】へ里」から読みます。

 旅の途中に立ち寄っていただいても結構です。興味のある方の参加をお待ちしています。
 その際は、資料を用意する都合がありますので、本ブログのコメント欄を使って連絡をお願いします。
 
 
 
posted by genjiito at 23:55| Comment(1) | ◎NPO活動

2019年01月19日

右目の抜糸を終えて高齢社会について考える

 先週11日(金)の深夜に、救急搬送された京大病院で右目の上を手術したこと「突然救急隊員のお世話になり京大病院に搬送される」(2019年01月11日)に関する、その後の報告です。
 おかげさまで本日、右目の上の縫合箇所を抜糸してくださいました。血の塊が邪魔をしていて、担当医の先生は抜糸に苦労なさっていました。しかし、無事に縫い合わせていた糸が取れ、まばたきも自由に出来るようになりました。
 まだ、顔の右上が腫れぼったくて重たい感じがします。瞼も黒ずんでいます。しかし、もう何も問題はありません。幸い、眉毛で隠れる場所だったということもあり、これで一安心です。ご心配をおかけした方々には、あらためての報告とお礼を申し上げます。
 今回のトラブルは、気をつけようにも避けようのない事故としか言いようがありません。人混みの中では、こうしたことは当然あることだからです。そのケガの程度がどれほどのものか、ということです。その点では、今回は当たり所が悪かった、と言うことになります。
 大阪市内での事故でした。救急隊員の方は、市内の病院へ搬送する手配に入っておられました。しかし、夜間にもかかわらず、何とかして京都の病院へ行くことに私が固執したことが、いろいろな意味で幸いしました。それも、偶然とはいえ、京都で運び込まれた救急車内からの引き受け病院探しで、受け入れてもらえた病院が自宅に近くて通院中の病院だったのです。これは、不幸中の幸いとしか言いようがありません。何よりも、私の先週までの病歴が即座に画面で確認できたのです。糖尿病・内分泌・栄養内科、消化管外科、眼科、皮膚科、口腔外科などなど。産婦人科以外は、さまざまな科を関連する検査などで渡り歩いて来ました。手術にあたり、アレルギー及び麻酔の反応、投薬情報、他の病気のことなどの情報が、たちどころに一目瞭然となりました。これは、迅速な対処に結びついた一因と言えるでしょう。
 こうした突発的な事故に遭遇した時の対応などについて、何でもありうる年齢に達していることを踏まえた今後の対策について、家族と話をする機会ともなりました。
 とにかく、何かあればすぐに電話かメールを、というところに落ち着きました。
 幸い、私はApple Watchを常時身に付けています。そのサイドボタンの長押しや転倒検知によって、「緊急通報サービス」に登録している家族には、自動的に「緊急SOS」が発信されるように設定しています。少なくとも、私が動けなくなっている場所は、家族に自動的に送信されるのです。今回の場合は、この機能のお世話にはなりませんでした。

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 私はまだ徘徊することはありません。しかし、いずれは訪れるに違いない認知症などの対策は、まだ思案中です。高齢者で構成する国となり、こんな時代に生きているのですから、こうしたことは今後の最重要とすべき検討課題です。知恵を出し合いながら、人に迷惑をかけない高齢・老齢社会にし、生き抜いて行きたいものです。
 
 
 
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2019年01月18日

第16回[町家 de 源氏物語の写本を読む]開催のご案内

 明後日、1月20日(日)午前10時から12時まで、「be京都」(http://www.be-kyoto.jp/)で16回目となる[町家 de 源氏物語の写本を読む]を開催します。これは、特定非営利活動法人〈源氏物語電子資料館〉が主催者として取り組んでいるものです。
 テキストは、『ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「須磨」』(伊藤編、新典社、2013年)です。

 昨日17日(木)の京都新聞(朝刊)「まちかど」欄に、この勉強会を呼びかける記事が掲載されましたので、あらためて本ブログでも紹介します。

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 今回は、上記テキストの9丁裏1行目「ましくおもふ多まへらるゝ【程】可那と」から読みます。

 前回の内容については、「[町家 de 源氏](第15回)(書写者が途中で変わること)」(2018年12月22日)をご覧ください。

 700年前に書写された『源氏物語』を、変体仮名に注目して読み進めることに興味と関心をお持ちの方は、このブログのコメント欄より、参加希望の連絡をお願いします。折り返し、詳細な案内を差し上げます。
 参加費は、初回だけは体験ということで千円です。2回目以降は二千円(学生は千円)です。
 NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の正会員には割り引き特典があります。

 次回以降は次の日時に開催します。

 第17回 2月23日(土)14時〜16時まで
 第18回 3月23日(土)14時〜16時まで

 自由に参加していただける会です。
 この記事のコメント欄を利用して連絡をいただけると、詳しい説明を差し上げています。
 
 
 
posted by genjiito at 18:41| Comment(0) | ◎NPO活動

2019年01月17日

キャリアアップ講座(その15)『源氏物語』のくずし字を読む(現物で実感する)

 まず、江戸時代に本が出版されていたことを実感してもらうために、『古訓古事記』の版木を見てもらいました。

「源氏千年(78)我が家でも版木発見」(2008年12月06日)

 これは、私が持っているものの1枚で、実際に文字が彫られた板を手にすると、これで刷られた様子が体感できます。手書きの写本と木版刷りの版本の違いが、これによって一目瞭然となります。
 次に、エジプトのカイロで手に入れたパピルスを触ってもらいました。ごわごわとした手触りなので、和紙との違いが明らかです。これで、古写本が、日本の独特な文化に支えられていることも納得です。ヨーロッパの羊皮紙があったら、もっとおもしろくなるところです。今度、調達しておきます。
 この熊取地域には、パピルスが生えているそうです。和歌山に近い地域だからでしょうか。意外でした。旅行でカイロに行った方が2人もいらっしゃったので、話が弾みます。
 続いて、六道絵を描いたタンカも広げました。インドで手に入れた何枚かのタンカのうち、細密画がきれいなものを持参しました。じっくりと見てもらいました。
 さらには、歌仙絵の粉本(模本)も見てもらいました。こうしたものは、骨董市などでまだ手に入ります。話は、狩野派の絵の特徴にまで及びました。
 その後は、視覚障害者のみなさまとの『百人一首』のカルタ取りや触読の話になり、問われるままにお答えしているうちに予定の5時となりました。
 結局、写本は1文字も読まないままで終わりとなったのです。この前にも、こんなことがありました。すみません。
 こうした幅広い話題での雑談が楽しいので来ています、とおっしゃるお言葉に甘えて、今日の社会人講座は終わりました。
 次回は、今月末の31日(木)の予定でした。しかし、その日は、私がこの大学の眼下に望む関西国際空港からミャンマーのヤンゴンに飛び立つことになったために、2月7日(木)の13時半からに変更することとなりました。本日お休みだった方は、どうかお気をつけください。そして、それが今年度の最終回となります。
 
 
 
posted by genjiito at 22:39| Comment(0) | ■講座学習

2019年01月16日

2002年春にインドで書いた未公開日記(その4)

 私がインドのデリー大学へ客員教授として赴任していた2002年のことで、日々の記録が未整理のままだったものをまとめています。大学での様子や、インドでの日常生活をあるがままに記した日録です。
 前回の「2002年春にインドで書いた未公開日記(その3)」(2019年01月07日)が「第6週 02/10〜02/16」の項目の2月14日に該当するものでした。
 以下、それに続く2月15日の出来事の記録です。
 
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■2002.2.15■



 K4君が昨日買ったショールを忘れたことから、N2君と血液型の話で盛り上がる。B型の典型であるK4君について、いろんな話が展開した。
 インドの映画音楽を聴きながら仕事をしていたら、G4さんが来て、日本に送る荷物を見せてくれとのこと。そして、すぐに麻布を持ち出して、それで包んで糸で縫い出した。

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 マジックで裏表に住所を書き、車でいくことになる。出口でオートバイを見ていたら、これで行こう、ということになった。意外な展開に驚いた。おもしろそうなので乗る。シートにあったベルトをしっかりと摑んでいた。とにかく車が多い中をすれすれに走るので、紐が切れたらもう終わりだと観念しながら乗っていた。
 無事に郵便局に着く。とにかく、こちらの人は我先に郵便物を差し出し、やってくれと言っている。G4さんも、周りを無視して差し出している。押しがないと、このインドでは生きて行けそうもない。途中で、「AIR MAIL」「SPEED POST」という単語を書き加えた。乱暴な扱いで処理をする局員。奥には、日本と同じように、仕切られたボックスに郵便物を仕分けしている。窓口の局員は、コンパックのコンピュータと、バーコードリーダーで処理をしていく。700グラム弱の小荷物が、588ルピーだった。スピードポストの場合は少し高いが、別の用紙にパスポート番号などを書く必要がないので便利だ。
 裏口から入って、郵便物に貼られた切手の部分にスタンプを一つずつ押す風景を見た。かつての日本もこうだった。向こうに、機械でスタンプを押すものがあった。もっとも、壊れているそうである。それにしても、その機械も日本で言えば、戦前の雰囲気が漂うミシンみたいなものだった。私書箱もあった。
 またオートバイで帰る。怖さは薄らいだ。それにしても運転が大胆である。これで事故が少ないのだから、大した国である。
 調理場でチャイを作ってもらいながら、お寺の人と話す。部屋の湯沸かし器が壊れている話になり、さっそく電話をしてくれた。
 G4さんにタンカの話を聞いているときに、N2君が降りてきた。タンカは、軸の中心がずれていないかを見るといいそうだ。先日行った、お正月でお休みだったニュー・チベタン・コロニーのものは、アクリル絵の具を使っているが、あれは本物だそうだ。そして、目の前にあるものは、岩絵の具で、観光みやげ用に作られたものだそうだ。いいものをさがして、G4さんに魂を入れてもらおうという話で沸いた。
 私の部屋で、N2君のノートパソコンのパスワードを確認しているうちに、私の物も起動後にパスワードを入れずに、キャンセルキーを押しても、何ら支障なく使えることがわかった。今まで丁寧にパスワードに答えていたのは何だったのだろうか。これだから、Windowsは信用できない。
 昼食後、N2君とホームページの文章や彼の論文のコピーをしている時に、修理の電器屋さんが来た。私が画像などの確認をしていると、電器屋さんも興味深そうに見に来た。
 痴漢やメディアビジョンや大学教授の差別のページの話で盛り上がり、またまた話し込む。
 3時過ぎから、メールをチェックする。もう、ヤフーのウエブメール一本にすることにした。転送処理を終え、テストもオーケー。I1先生から、書類の催促のメールが届いていた。こうしたことの間に入るのは、何かと大変である。でも、何とかしなければ。誠意をもって対応しよう。学位に関する会議で、今月は通過したとのこと。もう少しである。
 5時半に、奈良に電話。K4は、デリー空港でスーツケースのトラブルに巻き込まれたそうだ。覚えたてのヒンディー語でしゃべりだしたとか。
 顛末はこうだ。タクシーが空港に到着して、運転手さんにスーツケースを下ろしてもらったところ、すぐに男がやってきて空港の入口の方に運ぶのを手伝い出したという。運転手さんはツーリストの人が手伝っていると思っていたのではないかとのこと。その男は、キャリヤーにスーツケースを乗せてドンドン押して進んでいくので、K4はようやくおかしいと思い、返してくれと言ったそうだ。すると、お金を出せと言う。いつもの通り、10ルピーを出すと、ダメだという。もう1ルピーを出してもだめ。そこで、日本の千円札を見せて、これ一枚しかないというと、それをかっさらって逃げたそうだ。それしかないからと言っても、そんなことは知らんと言って行ってしまったそうだ。千円はインドのお金に換算すると300ルピーだ。悔しがっているようだ。
 今日は早めにシャワーを浴びてスッキリする。
 食事の時に、N2君にK4の千円事件の話をする。最近は聞いたことがないと言っていた。
 食後、N10さんとN11さんとN2君の四人で、近所の結婚式に行く。ネルー大学の先生からの電話を待っていたが、後でまたかけてもらうようにG4さんにお願いして、大急ぎで出かける。

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 N2君はネクタイ姿、私はブレザーを着て、少し関係者らしくみせることにした。花火を揚げたり、楽団の演奏やら馬車の行進やらで大にぎわい。いつもは公園になっているところにテントを張り、2千人くらいの規模の結婚式である。費用はすべて花嫁側が負担するそうだ。

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 夕食に間に合わなかったN11さんは、近所でテイクアウトのピザを買ってきていた。しかし、ここで夕食を済ませると言って、たくさん食べていた。私は、果物とアイスクリームとコーヒーをもらう。結婚式とは関係ない子どもや、リクシャの運転手たちも大勢がかけつけていて、たらふく食べている。これはこれで、金持ちの慈善事業の一つとして見ると意義があるかもしれない。もっとも、女性側にとっては、何かと悲しい日だとか。花婿側はどんちゃん騒ぎをし、花嫁側は家族共々悲しみの風を装うのが通例だそうだ。これは夜中まで続き、花嫁の登場は11時ころだとのことなので、適当に切り上げて帰った。
 夜11時過ぎに、お寺のベランダの下を、花婿側の馬車が大騒ぎをして通った。

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 最後尾の花婿の馬車は、すぐ後ろにいる発動機を搭載した車が、ライトを煌々と照らしていた。音と光の一大スペクタクルといいたくなるほど、派手な演出である。当人たちはともかく、周りはこれ幸いとストレス発散、といった趣でもある。地域の人が、総出で食事にありつけるのは、なにはともあれいいことだと思った。

 
 
 
posted by genjiito at 20:20| Comment(0) | ◎国際交流

2019年01月15日

明浄社会人講座(7)本多「京都学、都市と神社の意外な関係」

 新年第1回目の講座は、本多健一先生の「京都学、都市と神社の意外な関係」です。この講座は、先週11日(金)に開催されたものです。本多先生のご著書については、「読書雑記(232)本多健一『京都の神社と祭り』」(2018年07月11日)で紹介しています。

 まず、住んでいる地域の土地の守り神である氏神(産土神)と氏子の地域を地図に示した資料を配布してくださいました。本邦初の、貴重な地図だとのことです。それを踏まえて、京都の神社のことを考えていきました。
 現在の京都市内には約300の神社が登録されています。その京都では、氏神さまの名前が地域住民からはスラスラと出るのに対して、大阪はなかなか出てこない傾向があるそうです。それは、住民の意識以外にも、街の成り立ちが関係しているようです。
 京都で広い地域に氏子を持つ代表的な神社9社は、いずれも平安京の外側にあります。なぜ?、という問いかけがなされました。これは次の分類でもわかる通り、自然信仰と都市生活の違いが関係しているようです。

・平安京以前=賀茂(上下)、松尾、稲荷
  /原始的な自然信仰(神体山、磐座)
・平安京以降=祇園、北野、御霊(上下)、今宮
  /都市生活から生まれた新しい神、都市住民の祈願


 さらには、平安京での糞尿の始末をどうしていたのかが問題にされました。肥料になる前の時代のことです。これは、おもしろいテーマです。
 疫病を起こすのは怨霊・御霊・疫神だと信じ、慰撫のための御霊会を行うようになったのです。『日本紀略』(994年6月27日条)にある船岡での御霊会も平安京の外。これが、今の出雲路の御霊祭や八坂の祇園祭などにつながっていく、疫病対策のお祭りです。
 マンションが建つと、氏子組織が壊されていくようです。そんな中でも、京都では祇園祭ブランドがあるので、保たれているようです。
 氏子を持たない神社もあり、大阪では住吉大社などがそうだとのことでした。
 このようにして、お話が今につながり、納得です。
 今の時代の神社のありようには、興味深いものがあります。そうした問題意識を、いろいろな切り口から刺激してもらえたお話でした。
 
 この講座が終わってからの、帰り道のことでした。地下鉄御堂筋線の淀屋橋駅で乗り換える時に、過日も記したように、自動改札を出た所で人がぶつかって来られたために、頭に強烈な一撃を受ける事故に遭ったのです。夜の9時頃でした。その後、救急車のお世話になり、病院で手術を受けることになりました。まさに、災難は突然やって来ます。多くの方々が親切にしてくださいました。おかげさまで、もう大分よくなりました。注意をしましょう、と言っても無理なことはあります。こんな事故に巻き込まれたら、即座にどのように対処するか、ということは、日ごろから考えておいてもいいと思います。これが、今回得た教訓です。
 
 
 
posted by genjiito at 22:36| Comment(0) | ■講座学習

2019年01月14日

近江神宮で全国競技かるた大会を観る

 「新春!東西でかるたを楽しむ会」の第2日(13日 日曜日)は、カルタ取りの実践訓練と、『百人一首』の聖地と言われる近江神宮への旅となります。
 前日に京都ライトハウスから「宇多野」の宿泊所に移った25人は、宿舎で団体戦のかるた会をしてから、午後は琵琶湖へと移動です。
 私と妻は、みなさんをJR山陰本線(嵯峨野線)太秦駅でお待ちしました。
 宿泊所から太秦駅までの道案内は、私の姉が担当しました。すぐ近くに住む義姉も、このあたりは詳しいということで協力参加してもらえました。
 太秦駅でみなさんと会ってからは、電車で一路京都駅まで出ます。そして、京都駅ビル東ゾーン2階の京都劇場の前にある「徳兵衛」というお店で、みんなで昼食会です。年末にそのお店の2階全面(40名席)が予約できたので、我々27人の一団は旬のおばんざい6種を盛り込んだ「おばんざい御前」を、ゆったりといただくことができました。
 さて、いよいよみなさん憧れの近江神宮への旅の始まりです。
 京都駅からJR湖西線大津京駅までは11分とすぐです。JR大津京駅からは、京阪石山坂本線の京阪大津京駅から一駅先の近江神宮前駅へ行く予定でした。このことは、すでに「『百人一首』の近江神宮で吹雪にあう」(2018年12月28日)に書いた通りです。
 しかし、みなさんの様子を拝見していて、タクシーを使って近江神宮に直接行くことになりました。

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 この近江神宮は、映画「ちはやふる」でよく知られています。今回の参加者は全員といってもいいほど、この映画のことをよくご存知です。この階段を歩くことはもちろんのこと、さらに下の長い階段も、白状を突いて登られるグループもあります。映画の世界にご自身を投影してのことのようです。元気です。
 本殿下の境内では、ジャンボかるた大会が開催中でした。みなさんは、ジャンボかるたには点字が付ていないのと、広い境内に札が散っているので参加はできません。しかし、境内に響き渡る読み手の声に耳を傾けながら、聖地に来たことを実感しておられました。この読み手の方は、今回同道の京都小倉かるた会の方々のお仲間だとか。世間は狭いものです。

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 かるたの競技会場となる近江勧学館へ行く途中にある「天智天皇御製」の石碑の前では、刻まれた和歌を手で触っておられました。

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 近江勧学館では、「高松宮記念杯 近江神宮全国競技かるた大会」が行なわれていました。裏手から、競技会場を拝見しました。

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 若者たちの熱気が、窓越しにも十分に伝わってきます。『百人一首』が広く親しまれ、競技としても頼もしく展開していることがわかります。
 『百人一首』のかるた大会を堪能した後は、入口にあるお土産を手にしておられました。いい記念になることでしょう。
 近江神宮からは、来たときの逆コースでタクシーを使うことになりました。
 充実した時間の中に身を置き、京都と滋賀の旅は無事に終わりました。
 京都駅では、お別れが惜しくて、なかなか離れられません。
 元気な方は夜行バスにしておられ、これから市内に出かけるとのことです。みなさん、有効に時間を使っておられます。
 なお、今回も参加なさっていたドラネコさんが、すばらしいホームページを立ち上げておられます。
「バリアフリーかるたの世界へようこそ!!」
 この中の「○バリアフリーかるたに挑戦しよう!」をクリックして、「百人一首」ならぬ「四人一首」を体験してみてください。

 2日間の楽しかった時間を共にしたみなさんとお別れしてから、私は、一昨日の頭部手術後の経過観察のために、京大病院に向かいました。今日の皇后杯全国女子駅伝の後の影響もあってか、市内は大渋滞です。京都駅から病院まで1時間もかかりました。途中で駅伝の結果を確認したら、1位が愛知、2位京都、3位大阪とのことでした。都大路も熱気に包まれていたようです。
 やっと病院に到着したと思いきや、急患が入ったとのことで、さらに待つことになりました。のんびりと、一昨日妻が私を待ってくれていたソファーで、電気ストーブに当たりながら呼び出しを待ちました。
 診察の結果、順調に傷口が回復しているので、5日後には抜糸となりました。顔の腫れも酷くなく、少し黒ずんでいるだけです。それでも、右目はやはりだるさが残っていて、目を瞑るとフッと寝てしまいそうになります。しばらくは、こんな調子で過ごすことになりそうです。私が気怠そうにしていたら、まだ完全に直っていないと察して、構わないでください。10日もすれば、今まで通りの生活に戻れると思います。
 
 
 
posted by genjiito at 21:02| Comment(0) | ■視覚障害

2019年01月13日

京都ライトハウスで「新春! 東西でかるたを楽しむ会」

 東京の「点字・拡大文字付き百人一首〜百星の会」と、大阪の「大阪点字付きかるたを楽しむ会」との合同企画である、「新春!東西でかるたを楽しむ会」の初日(12日土曜日)は、京都ライトハウスが会場です。
 東京方面から参加の、目が見えない方6名と見える方5名の11名を、新幹線中央口でお出迎えしました。そこへ、さらに大阪組2名が合流。出迎え組は、私の関係者5名です。
 到着のみなさまには中央口改札前でいくつかのグループに分かれていただき、お昼のお弁当を買うために「The CUBE 京名菓・名菜処 亰(みやこ)」へご案内しました。ここは駅弁とは違う、京都の名店が提供するお弁当が手に入るのです。お弁当選びのお手伝いを、まずは出迎え組がします。

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 そのお弁当を持って、地下鉄で北大路駅まで移動。そこからは予定していたバスではなくてタクシーになりました。いつもお世話になっている京都ライトハウスの野々村さんが、玄関まで出迎えに来てくださっていました。
 早速、駅で手に入れたお弁当を「ふれあいカフェ きらきら」でいただきます。お弁当とはいえ老舗の味なので、豪華な御菜の昼食会です。
 開会前に、野々村さんに館内を案内してもらいました。幅広い活動を展開しておられる施設なので、見所がたくさんです。私は、点字ブロックで突起の低いものに注意が向きました。

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 現在、街中に張り巡らされている点字ブロックは、不必要な箇所が多過ぎるという私見を持っています。このことは、「点字ブロックは本当に視覚障害者のための物でしょうか」(2018年10月22日)という記事で問題提起をしました。あの突起でつまずく障害者や高齢者が多いことや、車イスが困ることを考慮した設置をすべきだ、と思っています。もし、補助金や既得権の関係でどうしても敷き詰めたいのであれば、この低突起の点字ブロックにすべきでしょう。また、細い線で誘導する方式も、つまずきや車椅子には効果的です。
 いろいろと問題はあるにしても、多くの方が気持ちよく安全に歩ける対策を検討してほしいものです。そのためにも、不自由な移動を強いられている方々の幅広い意見を聴取すべきです。私の周辺には、現在のバリアフリー対策に異見を持つ方が多いことを明記しておきます。
 さて、この日の参加者は30数名(関係者を入れると50名弱?)と大盛況です。かるた会は、世話役である関場さんの名調子で進行します。名札を付けて、楽しい自己紹介から始まりました。今回は、和歌山、兵庫、大阪、京都、愛知、東京、千葉、埼玉、福島と、本州の各地から駆けつけて来ておられます。
 開会の挨拶の後はすぐに、渡邊寛子先生(福島県立盲学校)がご自身で選ばれた恋の歌10首を、一首ずつ恋心を読み解きながらの解説がありました。わかりやすい、ユーモアたっぷりの話ぶりです。平安時代の文化的な背景も盛り込んだ名解説でした。
 最後の「きりぎりす」の歌については、全員に人形(ひとがた)が配られ、「ころもかたしき」の説明がありました。実際に着物姿の人形を触りながら説明を聞くと、実感としてよくわかりました。
 京都小倉かるた会のみなさんも、読み手や審判として大活躍です。点字毎日の新聞記者さんも取材に余念がありません。
 初心者用のグループや、体験者のためのワークショップもあります。
 実戦形式の対戦は、ギャラリーを釘付けにします。

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 盲聾の方も練習をしておられます。見えない、聞こえない方は、どのようにしてカルタを取られるのか、じっくりと拝見しました。ブレイルメモを2台使っての、思いもしなかった方法が導入されていました。次の写真をご覧ください。

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 まず、読み上げられている歌の読みを、写真右手の人がブレイルメモに点字データとして入力します。そして、そのデータをWi-Fi機能を活用して、写真左手の盲聾の方のブレイルメモに送るのです。盲聾の方は、自分のブレイルメモに表示される点字をリアルタイムに触読し、その歌が書かれたかるたがあらかじめ覚えたどの位置にあったものであるかを思い出して取る、ということになるのです。

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 まさにこれは、文明の利器を最大限に活用した、ハイテク技術を駆使した新時代のかるた取り、といえるでしょう。
 部屋を2つに仕切ってのワークショップは大盛り上がりの内に終わり、最後に表彰式がありました。
 閉会後は、宿泊場所となっている宇多野の宿泊場所に移動します。ただし私は、十数時間前に頭部を手術して間もないため、一旦我が家に帰り明日の英気を養うことにしました。幸い、手術を受けた右目も問題がなく、頭痛も吐き気も起きませんでした。一日中フル回転したにもかかわらず、何もなかったのですから、深夜の救急診療と緊急手術は大成功だった、ということです。まずは一安心というところで、1日目が無事に終わりました。
 参加者のみなさま、お疲れさまでした。そして、ご案内で至らなかった点はご寛恕のほどを。
 
 
 
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ■視覚障害

2019年01月12日

夜更けの手術は2針縫って無事に帰宅

 出町柳から京大病院までの救急車の中では、ベットに横たわる私の首は固定されていました。その状態のまま、ストレッチャーは病院の救急外来から診察室へと入って行きます。白い天井が後ろに走って行く様子を、映画でよくある光景だなぁと思いながら眺めていました。眠気も催してきました。
 6番のドック(?)に収まりました。問診に始まるさまざまな検査を経て、頭部と首のCTスキャンを受けることになりました。慌ただしく別室に移動です。手際のよい流れの中で、担当医は次々と指示を出し、状況を判断して行かれます。長時間、丹念にCTの画像をクリックしてスタッフのみなさんと一緒に確認した後、頭部には異常はないようだと判断されました。
 次は、目の上の創傷の診断です。
 パックリと割れた傷口を水で洗い流し、消毒液を使っての手当てが進みます。ヒリヒリします。糸で縫うか、テープを貼るかの判断を、先生はそうしながら思案しておられるようでした。傷は、鋭い切り口ながら深くないとのことです。
 研修医の方や看護師との会話がすべて聞こえます。大学病院ということもあり、若手育成のための研修医などの指導をしながらの処置が進んでいきます。
 いくつかの検査をもとにしての結論は、「縫う」ということになりました。早速、手術の準備が進みます。
 目の上に麻酔をする時に、先生が「この後はあなたがやってみなさい」とおっしゃって注射器を研修医の方に渡されたときには、内心ヒヤヒヤしました。針先が血管を突いていたらいけないので、少し引いて血が混じってこないかを確認してから注入するように、と、発せられる指示が生々しく具体的です。まさに現場に身を横たえていることを実感します。もう、完全に第三者になっています。
 これまでにこの病院では、さまざまな病気の治療の実験台になることに協力してきました。目の調査研究の実験には、志願して参加しました。私の身体でもお役に立つのであれば、という気持ちからです。今回もそうでした。特に命に別状がない治療であり、学生さんの技術力の向上になるのであれば、それは練習台でも構いません。
 2針縫うということです。2針目に、「次はあなたが」と言って研修医と変わられました。「上手い、上手い」という声が聞こえるとホッとします。こうしないでこうするといい、とか、ああしたら後が大変などなど、具体的な指示も飛んでいました。まさに、俎板の上の鯉です。
 治療が始まって2時間。日付は変わり、長時間の処置のおかげもあって、無事に手術も終わりました。
 病院の方々はみなさん親切な対応でした。気持ちよく処置室を出ることができました。だだっ広いロビーで手術が終わるのを待っていた妻は、病院から貸していただいた電気ストーブにあたりながら、家族に報告の連絡をしているようでした。看護師の方が、状況を丁寧に説明してくださったようです。
 タクシーを呼んでもらい、家に帰ったのは午前2時頃でした。
 痛みはありません。当分は、顔や目が大きく腫れるでしょう、とのことでした。それは覚悟の上です。今後一二ヶ月は頭を打った後遺症が考えられるので、何かあればすぐに連絡をするように、との指示を受けました。今月末から海外出張です。十分に気をつけなければいけません。
 突然の予期せぬ出来事が、運良くというべきか、このようにして収束することになりました。大事に至らなかったのですから、幸運な年の初めと思うことにします。
 さて、明日は京都ライトハウスで、目の不自由な方々の『点字付百人一首』のかるた会があります。その集まりで、いつものようにお手伝いをすることになっています。多くの方々との新しい交流も生まれることでしょう。みなさんが『百人一首』を楽しんで全国各地にお帰りになるように、運営の一端をしっかりとサポートしたいと思っています。
 
 
 
posted by genjiito at 21:07| Comment(0) | *健康雑記

2019年01月11日

突然救急隊員のお世話になり京大病院に搬送される

 明浄学院高校で社会人講座がありました。いつものように少し長引き、20時半頃に地下鉄御堂筋線の昭和町駅から帰路につきました。
 地下鉄から京阪電車に乗り換えます。その始発駅である大阪淀屋橋駅から京都出町柳駅行きに乗り換えようとした時です。地下鉄の自動改札を出てすぐ、カードをポケットにしまおうとしたちょうどその瞬間に、頭に強い衝撃を受けました。横から来た男性の頭が、頭突きのように私の右目の上を直撃したのです。一瞬フラッとしたものの、倒れることもなく、顔からずれ落ちかかったメガネ越しに相手の方を見ました。
 相手の方は私よりも年配で、自分は左目がよく見えなくて、と言いながら平身低頭謝っておられます。その方も、よそ見をしておられたのでしょう。
 目頭が激痛に襲われつつも、身体も意識もはっきりして来たので、もう大丈夫ですから、と言って離れていただきました。
 別れてすぐ、頬に温かいものを感じました。メガネを外して下を向いた時でした。突然、鮮血がコンコースの床に滴り落ち出したのです。ポタポタと音がするくらいだったので、前屈みに埋くまろうとしたら、すぐに横から女性の方が声をかけてくださいました。大量のティッシュを私の右目にあてがい、出血を止めようとなさっているのです。またすぐに左側から、別の女性の方が消毒用のシートを持っているのでと言って、駆け寄ってくださり、手当てを手伝ってくださっています。男性も二人が気遣ってくださって、すぐ近くの駅長室へ飛んで行き、駅員さんを連れて来てくださいました。
 床にこぼれた大量の血を、何人もの方が手持ちのティッシュで拭いて掃除をしてくださっていました。駅員さんは、それはこちらでしますからと言い、私に駅長室で休むように手配をしてくださったのです。その時、いろいろと私の面倒を見てくださった通り掛かりの方々にはお礼を言い、案内されるがままに駅長室へ行きました。最初に気遣ってくださった女性お二人と駅長室に走ってくださった男性には、お名前も伺えませんでしたので、この場を借りてお礼を申し上げます。そして、その他の方々にも感謝しています。
 駅長室では、止血に使う大きなガーゼで顔を覆ってくださいました。駅員の方は、頭を検査してもらった方がいいということで、早速救急車を呼んでくださっています。そうこうする内に、ぶつかった後、一通り私に謝って行かれた方がまた戻って来られ、駅長室で丁寧にお詫びを口にされました。私の様子が尋常ではなかったのか、気になって引き返して来られたようです。誠意が十分に伝わったことと、もうそれ以上はいいと思ったので、引き取っていただきました。
 その後、先ほどの女性が目に当ててくださったティッシュの束が鮮血に染まっているのを見て、予想外に出血していることにあらためて驚きました。部屋にあった鏡を見て、右の眉のあたりがパックリと口を開けているのがわかりました。まだしばらく、血が出ていました。
 そうするうちに、救急車が淀屋橋駅に到着したようで、救急隊員の方3名がドタドタと駅長室に入って来られました。いろいろと聞き取りを受け、あらためて止血の処置をしていただきました。頭のCT検査と傷口の縫合手術のために、大阪市内の病院へ搬送されることになりました。しかし、私には、明日の京都ライトハウスでのイベントのことが頭を離れません。
 大阪市内の病院へ行くと、今日中には京都に帰れなくなるのです。何とかして今日中に京阪電車で出町柳駅まで行き、そこからであれば、京都のどの病院へ行ってもいい、という気持ちを救急隊員の方に伝えました。救急隊員の方とのやりとりの末、血も止まっており、意識もしっかりしていて歩けることを確認して、私の意思を尊重してくださいました。ただし、大阪から京都の救急車の依頼も予約もできないので、出町柳に着いたら自分で119番に電話をするように、とのアドバイスももらいました。
 多くの方々が、親切で丁寧な対応をしてくださいました。駅長室におられた駅員のみなさま、そして救急隊員のみなさま、ありがとうございました。
 京阪電車の始発である大阪淀屋橋駅から、終点の京都出町柳駅まで特急で55分。目の上に貼られた大きなガーゼを気にしながら、じっと終点の駅への到着を待ちました。
 出町柳駅には、妻が出迎えに来てくれていました。すぐに119番に電話をし、駅前のロータリーで待っていると、すぐに救急車が来ました。車中で問診を受けている内に、京大病院の救急外来が引き受けてくださることになりました。ここは、先週も、糖尿病の診察で通院したばかりです。勝手知ったるいつもの病院です。出町柳駅からすぐそばということもあり、すぐにストレッチャのまま病院の診察室に運び込まれました。

 以下、続く。
 
 
 
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | *健康雑記

2019年01月10日

藤田宜永通読(32)『モダン東京1 蒼ざめた街』

 『モダン東京1 蒼ざめた街』(藤田宜永、小学館文庫、2001年11月)を読みました。

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 昭和5年12月の東京銀座で物語が始まります。
 満洲帰りの柳生三郎を探し出してくれと、怪美人の堀越奈々子がアメリカ帰りの的矢健太郎秘密探偵事務所に来ました。的矢は、深川生まれの深川育ちです。作中に門前仲町が時折出てきます。かつて私が8年間住んでいた地域なので、懐かしさを感じながら読みました。
 人間関係の縺れ具合が、複雑に綯い交ぜになって行きます。この点は、その巧拙はともかく、藤田の技巧的な話の作り方です。
 挿絵画家の名前として、高畠華宵と鮎貝華人の名前が出ます(文庫版、70頁)。そして、実業之日本社の石山という人が原稿を受け取りに来ます(99頁)。池田亀鑑のことを調べていた時に、高畠や実業之日本社のことを調査したので、これらの人物が事実と符合するのか興味があります。
 また、「再来年のオリンピックに出場してもいいくらいのスピードで逃げ切ったよ。」(128頁)とあります。昭和初期に東京市で開催される予定だった第12回夏季オリンピックは、1940年(昭和15年、皇紀2600年)です。ただし、これは支那事変のために中止となりました。ここで、昭和5年時点から「再来年」とあることとどう関係するのか、時代背景に疑問が残ります。
 次の引用文は、手紙がバラバラに千切られてゴミ箱に捨てられていたものを復元した場面です。男の漢字交じりの文はすぐに元どおりにできました。しかし、女の手紙は手間取ったというのです。一字一音を表記する、平仮名が持つ特性がよくわかる例となっています。

 添衛門とふたりで、もう一通の手紙の復元に取りかかる。こちらのほうにはことの外時間がかかった。
 女からの手紙で、例の件で至急お会いしたい、とあった。そして、待ち合わせの時と場所が記されていた。短い手紙だが判読に時間がかかったのは、ほとんど平仮名で書かれていたからである。(145頁)


 昭和5年当時の日常生活における、通信環境がよくわかる場面も出てきます。

「用があったら、電話……。あんたのとこには電話はあるか」
「そんなもんありゃしませんよ」
「じゃ、なにかあったら電報を打つよ。さあ、家まで送ろう」(146頁)


 私が16歳だった高校一年生の頃(昭和45年)と変わりません。もっとも、40年の時の開きに少し疑問が残りますが。
 と、ここまでは昭和レトロを探しながら読み進んで来ました。昭和初期の社会や文化を楽しみながら、的矢探偵の推理と活劇を期待していたので、上記のようなことに気が留まりました。
 しかし、これから後の3分の2がおもしろくありません。肝心の物語の中身が、私には興ざめでした。そのため、残り半分以上を読み飛ばすことになりました。藤田宜永の作品は、こうしたことがよくあるのです。どの辺りまでまじめに楽しんで読み、それからはとにかく流して最後まで付き合うか、という思案のしどころがあります。今回は3分の1でその流し読みの決断をしました。【1】
 
 
 
posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | □藤田通読

2019年01月09日

手荒い疣の治療の後はスポーツクラブで初泳ぎ

 年末に近所の皮膚科で、左手薬指の疣を治療してもらいに行きました。
 一昨年の夏までは、2年がかりで右足の指に出来た疣を治療しました。これは、東京と京都の公立病院を股にかけ、気長な治療で何とか完治しました。
 今回は、街の開業医です。ここでは、液体窒素をたっぷりと長時間押し付けられ、激痛に苦しめられました。荒っぽかったので、年始にかけては焼かれた指が火傷状態で、その痛みが続いていました。これでいいのだろうかと思い、腫れ上がった指を見つめながら、別の病院へ診てもらいに行こうかとも思ったほどです。しかし、三が日の内に大きな瘡蓋がポロリと落ちました。一安心です。
 優しい治療は、気の遠くなるほどに時間がかかりました。手荒い治療はすぐに直ります。いろいろな治療方法があるものです。今日も、まだ少し残っている痕跡を、また、これでもかと忍耐力を問われるほどの激痛を味わう、液体窒素の洗礼を受けました。痛くても、短時間で治るほうがいいか、と思うようになりました。

 年末年始は運動不足でした。今日は、久しぶりにスポーツジムで初泳ぎです。
 平日の夜ということもあってか、お年寄りばかりです。新年の仕事が始まり、働き盛りの方は、まだスポーツクラブに足を運ぶ余裕はないのかもしれません。
 いつものように打たせ湯を浴びてから、水中ウォーキング、軽くスイミング、最後はミストサウナとジャグジー風呂でゆったりと心身を温めました。
 さて、明日から仕事始めです。あと1ヶ月。今年度の総整理にかかります。
 
 
 
posted by genjiito at 23:52| Comment(0) | *健康雑記

2019年01月08日

新設された「出国税」と凍結された「妊婦加算」

 昨日7日から「国際観光旅客税(出国税)」が徴収されるようになりました。27年ぶりの新しい税金だそうです。「飛行機や船舶で日本を出国する人から、国籍を問わず、1人1,000円を徴収」とのことです。
 その使い道は、次のものだということに一応はなっています。

・ストレスフリーで快適に旅行できる環境の整備
・我が国の多様な魅力に関する情報の入手の容易化
・地域固有の文化、自然等を活用した観光資源の整備等による地域での体験滞在の満足度向上


 例外は、以下の場合です。

・2歳未満の乳幼児
・入国後24時間以内に出国する、いわゆるトランジットの場合
・天候などやむを得ない事情で立ち寄る、または引き返した場合
・政府専用機で出国する場合
・強制退去者


 もっとも、問題はやはりあるものです。チケットをキャンセルしたとします。バニラ エアーの場合は4,000円の手数料が、ピーチは3,240円の手数料がかかります。航空会社によって違うのですから、変な話です。
 私は、今月末から海外へ行きます。早速、この「出国税」の対象者となりました。2019年1月7日よりも前に契約した場合は、課税の対象外だそうです。しかし、私に関しては現在進行中の手続きなので、この新税の対象者です。今回は、文部科学省ではなくて、外務省に関係する仕事です。しかし、政府専用機を使えるほどの身分でもないので、例外は適用されません。

 こんなことを書いていたら、家族から「妊婦加算」がなくなっていた、との知らせが届きました。貼付された画像を見ると、明細書の中の「初診・再診料」の下の段に、先月までは紛れ込ませるようにこっそりと書かれていた「妊婦加算」という文字列が、なんと消えていたのです。「おかげさまで妊婦罰金がなくなりました! 200円くらい安くなってました!」とのこと。
 「妊婦加算」については、「【聞き取り報告】今年から妊娠したら「妊婦加算」という罰金刑?がかかっていたこと」(2018年12月13日)をご笑覧ください。
 この「妊婦加算」は、世間からのブーイングで凍結されたものです。いつ復活するかも知れません。出産は今の内に、という声も聞こえてきそうです。
 
 
 
posted by genjiito at 19:10| Comment(0) | *身辺雑記

2019年01月07日

2002年春にインドで書いた未公開日記(その3)

 私がインドのデリー大学へ客員教授として赴任していた2002年のことで、日々の記録が未整理のままだったものをまとめています。大学での様子や、インドでの日常生活をあるがままに記したものです。
 以前に書いた「2002年春にインドで書いた未公開日記(その2)」(2018年02月25日)が「第6週 02/10〜02/16」の項目の2月13日に該当するものでした。
 以下、それに続く2月14日の出来事の記録です。

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■2002.2.14■


 K3と一緒にデリー大学へ行く。授業中は図書室で待機。授業は、N1さんと島崎藤村の若菜集の「六人の処女」を読む。古文がなかなか読めないので、説明に苦心する。デリー大学では、古文を扱うのはいろいろと工夫がいりそうである。今日は、「およふ」だけ。『羅生門』では、色について注目する。にきびは保留。老婆が髪を抜く女が、『今昔物語集』と『羅生門』で違うことを指摘。『今昔物語集』では主人だが、『羅生門』では魚売り。

 なかなか上手く展開しない。参考書がないので、話が広がらないのだ。私がどんどんやるのもおかしいので、自制しながら進める。途中でU先生が来られ、『百人一首』の資料がほしいとのこと。ネルー大学へ教えに行くのは、できるだけ後にしてくれないかと頼まれる。そうでないと、デリー大学が負けることになるからと、笑いながらおっしゃっていた。

 授業の後、図書室に『ラーマーヤナ』を借りに行く。K3が学部生を相手に話をしていた。A1さんと一緒だったので安心。
 T3先生のところへ挨拶に行く。歴史の話で意見があう。紅茶を飲みに行こうと言うことになり、T3先生の車でカムラナガルまで行った。しかし、バレンタインデーのために車が入れなかったので引き返す。校舎の横の売店で、立ちながら紅茶を飲んで話す。

 お別れした後、部屋のドアにG2さんのメッセージがあり、図書室にいるとのこと。P2さんは後に寮の食堂にくるそうなので、G2さんと時間つぶしを兼ねて、カムラナガルへ行くことにする。これは、K3が大学のトイレに入れないということなので、ファーストフード店のトイレを使うしかないとの結論からである。

 T6とS3のお土産を探した。しかし、見つからない。寮の食堂で定食を食べる。しばらくして、P2さんが来た。食後、チャイを飲む。

 タクシーでショール屋さんに行く。運転手さんがいろいろと聞いてくれて、何とか到着。少し早めに着いた。ここでタクシーとは別れる。地下におりると、まだN11さんは来ていなかった。
 K3はお土産にする小物を物色。私は、マフラーを見せてもらう。いいものばかりで、予算を大幅にオーバー。35ルピーのものを予定していたが、実際には95ルピーのものだった。K3の見立てでも、これしかないようなので、思い切って決断する。お金が足りないので、銀行に連れて行ってもらうことにする。
 ソファーで、お店の人と英語で世間話。私も、こんなこともできるようになったのである。おまえは何をしているか、とか、『源氏物語』とはどんな話かとか、『ラーマーヤナ』がどんな話かなどを、数十分間も話す。これは、私にとっては大変な進歩である。

 そうこうするうちに、N11さんが、今日は来ないと言っていたN2君と一緒に現れる。足りないお金を貸してもらうことになり、銀行には行かなくて済むことになった。買ったショールとマフラーは、日本で買えば20万円前後の品物。私の学位記念にもなるので、思い切って買った。荷物をお寺に置いて、今度はNブロックマーケットへ行く。K3に、Oたちのクルタを選んでもらう。N2君も妹のクルタを買う。こぎれいな店を見つけると、K3はすぐに入る。日本でもあるような店にすぐに行ってしまう姿を見て、N2君はよくわからないとしばしば漏らす。

 8時までには、K3のスーツケースが作れなくなった。あまりにも荷物が増えすぎたのである。私が手伝い、どうにか整理した。N2君にも上に乗ってもらい、ようやく蓋ができた。夕食をしながら、パスポートや航空券の管理をはじめ、みんなが心配してくれた。みんな、無事に日本に着けないのでは、と不安に思っている。

 食後、ネルー大学の先生から電話があった。日本語のうまい方だったので、先日のコンサートで通訳をした方かもしれない。

 そうこうするうちに、出発の9時となる。スーツケースが重く、20キロ以上1キロごとに3700円追加というのにあわて、G4さんにバネばかりではかってもらうと、27キロであることがわかった。なんとかなるだろう、ということで出発。運転手さんに250ルピーを前払いする。みんなが別れを惜しんでくれたので、K3も少し泣き顔になる。なかなかいい、感動的な暖かさのある別れであった。

 10時すぎまで、N2・N10さんと話し込む。K3を誉めてくれた。しかし、それにしても何を考えているのかわからないと、しきりに頭を抱えていた。
 一人が帰国した後、部屋に帰っても何となく居心地が悪い、というより落ち着かない。あわただしくデリー周辺を精力的に歩き回った2週間であった。楽しかったし、充実した時間だった。いろんな収穫の多い日々を、大切にしたい。そして、いろいろな局面で手助けをしてくれたN2君に、とにかく感謝感謝である。

 
 
 
posted by genjiito at 20:01| Comment(0) | ◎国際交流

2019年01月06日

現在構築中のHP[海外平安文学情報]にご意見をお寄せください

 昨年末から、科研の成果を公開することで情報交換や交流をする場としてのホームページ[海外平安文学情報]の構築に、鋭意取り組んでいます。
 これは、これまで公開していた「海外源氏情報」(http://genjiito.org)を継承し、さらに充実したサイトを構築しようとしているものです。
 それまでの経緯は、「科研のHP[海外へいあんぶんがく情報]が半歩前進」(2018年11月24日)に報告した通りです。

 現在、以下のような項目(見取図)で進んでいます。多分に、ベースとなる「海外源氏情報」の色彩が濃いものとなっています。しかし、これは公開しながら手を入れ、平安文学に特化した[海外平安文学情報]に転進させていきたいと思っています。
 以下に揚げる項目をご覧いただき、さまざまな意見をお寄せいただけると幸いです。研究手法としては、コラボレーション(共同研究、共同開発、共同制作、共同構築)を意識して取り組んでいます。そのためにも、折々にこのホームページの運用にあたってのアドバイスをいただき、お役に立つ情報群の集積としてのウェブサイトに育てていきたいと思います。
 最終的には、利用に資するデータベースになるよう、時間をかけて育て上げることを目標として取り組みます。本科研(「海外における平安文学及び多言語翻訳に関する研究」課題番号︰17H00912)が終了した後は、特定非営利活動法人〈源氏物語電子資料館〉がその運用を引き継いで行きます。あと2年で終わらない、末長く続く情報サイトでもあります。末長く利活用していただけるように、多くの方々のご理解とご協力のもと、若者たちを育てることも視野に入れたウェブサイトにしていきます。ご支援のほどをよろしくお願いします。

【 トップページ 】


■研究と成果
 あいさつ
 目的 / 意義 / 概要
 研究会報告一覧
 研究報告書一覧
  『日本古典文学翻訳事典 1・2』正誤表
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 過去の実績と関連する研究

■源氏物語情報
 『源氏物語』翻訳史
 現代語訳『源氏物語』年表

■平安文学情報
 平安文学翻訳史

■〈オンラインジャーナル〉
 海外平安文学研究ジャーナル インド編-2016-
 海外平安文学研究ジャーナル vol.1.0
 海外平安文学研究ジャーナル vol.2.0
 海外平安文学研究ジャーナル vol.3.0
 海外平安文学研究ジャーナル vol.4.0
 海外平安文学研究ジャーナル vol.5.0
 海外平安文学研究ジャーナル vol.6.0
 海外平安文学研究ジャーナル ミャンマー編-2018-(編集中)
 海外平安文学研究ジャーナル vol.7.0(編集中)

■〈論文検索〉海外 – 源氏物語・平安文学

■〈論文検索〉翻訳 – 源氏物語・平安文学

■十帖源氏
 『十帖源氏』「桐壺」対訳
 現代語訳『十帖源氏』一覧

■〈資料〉海外・平安文学
 『十帖源氏』「桐壺」英訳
 対訳データベース
 海外タイトル一覧表

■各種Infomation
 『源氏物語』関連インフォメーション
 科研サイト更新&進捗情報
  2014年度〜

■サイトの諸注意(リンク・利用など)と情報提供のお願い
 お問い合わせ及びご教示の内容
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posted by genjiito at 20:41| Comment(0) | ◎情報社会

2019年01月05日

「お薬手帳」の記載方法に異議あり

 昨日、京大病院の糖尿病・内分泌・栄養内科に行きました。11月12日の診察の際に処方してくださった薬を、勘違いで飲む量を間違っていたことに、昨年末に気付いたからです。
 その薬は、いつも行く大学病院前の薬局でもらったものです。「お薬手帳」に貼ってもらったシールには、次のように記されています。〈朝夕食後〉「2錠」「×84日分」と。

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 11月に主治医からは、薬を変更したことと、飲むのは「朝夕」と聞いていました。一度に何錠飲むのかはすぐに忘れたのか怪しくなり、「お薬手帳」を見て「朝夕2錠」ずつ飲みました。すると、ひと月ほど経った頃に、この薬が後10数錠しか残っていないことに気付いたのです。これはおかしい、「朝夕1錠」ずつだったのではないのかと思い、「お薬手帳」を見て間違いではないことを確認してから、すぐに病院の担当科に電話をして相談しました。私の主治医は年末の回診でいらっしゃらなかったものの、同科の別の先生が対応してくださいました。1錠のところを2錠ずつ飲んだとしても、この錠剤であれば服薬の上限容量をオーバーしていないはずなので、特に問題がなければ今あるもの1錠ずつを飲みきり、年明け早々の病院最初の診察日に予約なしの外来で手続きをし、主治医と相談するように、との指示を受けました。
 昨日の主治医の診察でも、問題はないとのことで安心しました。この次に定期の予約が入っているのが2月の初旬なので、その時の血液検査の数値で様子見をすることになりました。
 それまでの足りない薬については、追加として処方してくださいました。ただし、保険がきかないので100%の実費であることの確認がありました。
 処方箋を持って、いつもの薬局に行きました。そして事情を伝え、「お薬手帳」に貼る表示に紛らわしい表記ではなくて、以下のように「1日」と「1回1錠」の文字を書いてほしいとお願いしました。

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 薬局の説明では、薬が入っている袋には以下のような表示をしているので、それを見て確認をしてほしい、とのことでした。

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 確かに、この表現なら間違えようがありません。しかし、この表示が記された紙は、透明のビニール袋に差し込まれて渡されるものであり、自宅で袋から出して薬箱に整理する私には、ポイと捨てしまうものです。渡された薬袋に印刷してあるものであれば、そのまま薬箱の中に残ることでしょう。しかし、そうではなくて添えられた紙に書いてあるものでは、そんなに大切に扱われません。いずれにしても、あくまでも、「お薬手帳」に記載されていることが基本情報のはずです。
 今後も、今回の手書きのような表示にした方が私のように間違う人は出ないのでは、と提案すると、薬局の方はコンピュータで印字していますので、とのことでした。そんな問題なのかな、と思いながらも追加の薬をいただき、請求された「7,862円」をお支払いしました。「お薬手帳」の表記が正確であれば、払わなくてもいいものなのに、と思いながら。正確な日本語の表記になっていれば、無駄な費用を支払わなくてもよかったのに、と薬局を責めたい気持ちを払拭し切れませんでした。
 もっとも、いただいた次の明細の中にある、「調剤料」と「薬歴管理料合計」の意味がいまだにわかりません。帰ってから見たので、今度また聞いて見ましょう。

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 とにかく、過日の記事で「妊婦加算」を取り上げて以来、国が設定したとされている医療費については、大いなる疑問を抱くようになりました。医療業界には、疑心暗鬼の状態にいます。

「【聞き取り報告】今年から妊娠したら「妊婦加算」という罰金刑?がかかっていたこと」(2018年12月13日)

 この「妊婦加算」については、マスコミなどが大々的に問題点を浮き彫りにし、結局は徴収が凍結となった経緯があります。
 上記の明細書にある「調剤料」とは何なのでしょうか。前回84日分処方された1種類の薬剤について、同じ薬を残りの35日分、実費で追加処方となったのです。明細にある「調剤」とは、どのような意味を持つものか、門外漢の私にはわかりません。1つの薬しか選択の余地がないのに、何を「調」と表現しているのでしょうか。
 また、「薬歴管理料合計」とは何でしょうか。その管理しているとされる服薬情報が、明確に「お薬手帳」に反映されていません。本来は1錠のところを、2錠とも読めるような曖昧というよりも誤解を生む不正確な表現なのですから。とにかく、よくわからないことだらけです。医療業界では自明のことなのでしょう。しかし、あらためてこの漢字列を見ることで考え始めた素人には、意味不明なのです。このことについて、今は保留としておきます。
 
 
 
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | *健康雑記

2019年01月04日

京洛逍遥(527)上賀茂神社の初詣で卯杖をいただく

 賀茂川散歩をしていると、多くの鴨たちが集っていました。

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 通りかかった親子連れが、かっぱえびせんやパンなどのスナック類を投げているところでした。スナックに油を使っていること以上に、鴨たちが餌をもらえることを学習することが心配です。自然の中で自活している鴨たちにとって、人間の自己中心的としか言えない行為は大きなお世話です。しかし、川を訪れた方々は、自分たちがおもしろければいいのですから、そんな鴨たちの気持ちなどは思いも及ばないことでしょう。子供にお菓子を投げさせている親の自覚を待つしかないのかもしれません。
 動物たちとの共生は難しいものがあります。私が餌を投げ与えて楽しんでいる方々に何かを言うものでもないので、見て見ぬふりをして通り過ぎるしかありません。
 海外からの方の中には、もっと酷いことをなさることがあります。観光客を迎え入れながらも、そうした人たちの心無い行為は、自制してもらうように広報活動で気長に訴えるしかないようです。これも、観光公害の一種でしょうか。

 対岸を、鳥たちが移動していました。この前にも後ろにも、多くの仲間が連なっているのですから、なかなか壮観です。

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 川原では、三味線の練習をなさっている方がいらっしゃいます。この川下には京都交響楽団の練習場があるので、この川辺では洋楽器や和楽器など、さまざまな楽器でお稽古をなさっている方がおられます。音楽だけを求めても、楽しい散策ができます。

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 上賀茂神社のすぐ近くに架かる御園橋の架け替え工事は、もう終盤です。橋向こうにあった旧橋は、すでに撤去されました。ただし、まだこの橋の銘板は嵌め込まれていません。どのような書体でどのように刻まれるのか、楽しみに待っているところです。
 橋の向こう中央上には、京都五山の送り火で人を集める船形の一部が見えています。

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 上賀茂神社の参道を進んで神馬舎の前で、白馬と視線が合いました。しばらく見つめられたので、シャッターを切りました。

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 二の鳥居から入って正面の細殿の前には、立砂があります。

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 本殿の横で、厄除けの卯杖のいただきました。神職の方が詳しい説明をしてくださいました。その説明文も付けます。

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 今年の楼門には、この卯杖はありませんでした。

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 卯杖がこの楼門の脚部に対で取り付けられていたことは、すでに過去の記事、「京洛逍遥(342)上賀茂神社に初詣」(2015年01月02日)と、「京洛逍遥(301)上賀茂神社の卯杖と神馬鬣守」(2014年01月03日)で紹介しています。

 わが家の梅は、半数が開花しました。右後ろにある緑色をした日陰鬘を束にしたものが、上賀茂神社でいただいた卯杖です。

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 賀茂の親子神にお参りしたので、今年もいい年になることでしょう。
 
 
 
posted by genjiito at 20:38| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2019年01月03日

新年の墓参で河内高安へ

 昨日と今日で、わが家の梅は一気に蕾をほころばせました。なんとか三が日に間に合いました。

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 メダカたちの住み処にも、おめでたい扇を飾り付けています。

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 年末には曇っていた比叡山も、元日にはきれいな山容が見られました。

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 賀茂川に架かる北大路橋から、北山と東山を望みました。

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 例年通り、3日は新年の墓参です。
 北大路駅から京都駅、大阪駅、鶴橋駅、河内山本駅、信貴山口駅と乗り継ぎ、駅前の霊園行きのバスでお墓まで2時間半。箱根駅伝をスマホで観ながらの小旅行です。
 信貴山口駅前にあった、この河内高安一帯の史跡図を写しました。ここは、古代からの古墳だらけの地域です。この高安に、小学校6年生から高校3年生までいました。横穴古墳でよく遊んだものです。大学を卒業後は、東京からこの高安の地に戻り、その後、右上の十三峠を東へと山越えした、大和平群の地に移りました。倭建命が「たたみごもへぐりの山の〜」と歌った平群でも古墳や陵墓が点在していて、勉強部屋からは二上山が望めるという古代の世界に包まれた日々でした。

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 信貴霊園から北摂方面を望み、カメラを南に振ると淡路島が視界に入ります。

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 お地蔵さんたちの後方は、六甲山と神戸地域になります。

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 帰りも、スマホで箱根駅伝を観ていました。私の母校は昨日の往路は3位、今日の復路は遅れたとはいえ総合7位と、来年のシード校権を獲得しました。あの、昨春まで職場があった立川の公園での涙ぐましい予選会には、今秋は走らなくてもいいのです。お疲れさまでした。

 今年も、この京都、大阪、奈良を大移動する生活を送ります。
 昨日の記事に書いたように、今年からは何もしない日を取り入れながら、自分を追い込まないように日々を送るつもりです。これまでと変わらないお付き合いを、どうぞよろしくお願いします。
 
 
 
posted by genjiito at 20:28| Comment(0) | ・ブラリと

2019年01月02日

何もしない日(1/正月)


 今日は何もしない何も考えない1日。
 これまで回遊魚と言われて来ました。
 マグロは泳ぎ続けないといけません。

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 しかし、寄る年波にはそういつまでも身体は持ちません。
 そこで、今年からは何もしない日を毎月1日は作ります。
 
 
 
posted by genjiito at 20:18| Comment(0) | *健康雑記

2019年01月01日

京洛逍遥(526)下鴨神社へ初詣の後は映画「ちはやふる」を観る

 新しい年、2019年になりました。
 今年はどんな年になるのでしょうか。
 妻と息子の合作によるお節料理も立派にできました。

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 梅は蕾がふっくらとしてきました。右が紅梅、左が白梅です。

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 今年も、まずは氏神様の下鴨神社へ初詣です。楼門の前へ行くまでの人混みで、例年よりも参詣者が多いことがわかります。

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 境内の舞殿には、今年の干支が飾られています。

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 本殿にお参りに行った後は、光琳の梅と輪橋を見ました。梅がいつ咲くのかを楽しみにしているからです。蕾はまだ固いままです。

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 破魔矢と共に、二葉葵のしるしが入った小物を集めています。去年は「鴨のくぼて」をいただきました。今年は若草色の「葵の宝珠」を選びました。これらは、毎年一つずつ揃えているものです。

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 帰りには「あまざけ」をいただきます。身体が温まり、今年の始まりを実感できます。

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 夕方からは、映画「ちはやふる」を3本続けて観ました。
 (1)17時15分から「ちはやふる -上の句-」(112分、2016年)
 (2)19時15分から「ちはやふる -下の句-」(103分、2016年)
 (3)21時から「ちはやふる -結び-」(128分、2018年)
 これは、2週間後の12日(土)と13日(日)に、「点字付百人一首」の会のみなさまが京都ライトハウスと近江神宮にいらっしゃるので、その時のための予習でもあります。
 このことについては、以下の2本の記事を参照願います。

「『百人一首』の近江神宮で吹雪にあう」(2018年12月28日)

「目が見えない方との「新春! 東西でかるたを楽しむ会」のご案内」(2018年11月26日)

 3本の映画を一気に観たことにより、近江神宮でのコースを考え直しました。劇中で、境内の石段を昇り降りする場面が何度も出てきます。私は、この石段を極力避けて、坂道だけで移動するルートを組みました。しかし、この映画「ちはやふる」は目が見えないみなさまも、ほとんどの方がご覧になっています。そうであるからこそ、近江神宮に行こうということになっているのです。となると、この階段はぜひともご自分の足で登ってもらうことに意義があることになります。
 また、かるた会の会場でも、2階へはエレベータではなくて階段を使うことにします。さらには、ぜひとも大広間に入って、畳の感触や、声の通り具合などを体感してもらうことにしましょう。
 新年早々、相変わらずバタバタしています。
 深呼吸をしてゆったりとした気持ちで過ごす一年にするはずでした。明日は、のんびりと駅伝観戦をします。
 
 
 
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ◎京洛逍遥