2018年12月31日

2018年の10大出来事

 2018年もさまざまな出来事がありました。
 よくぞ無事に生き延びたことだと、今振り返ると感慨深いものがあります。
 海外は、インド、ミャンマー、ペルー、アメリカに行きました。
 海外で出版された翻訳本も、多数を収集することができました。
 着実に研究成果が得られた反面、それを公開すべく用意していた科研のホームページ[海外平安文学情報]は、さまざまな研究妨害と無理解により活動の停滞を余儀なくされ、悔しい思いもした1年でした。研究ができる環境にいたはずが、実はそうではなかったということも思い知らされました。これは、2019年の課題であり、それを克服するような環境に身を置きたいという思いを、この歳になってあらためて強く抱くこととなりました。
 ボランティア活動を通して、社会人講座の意義を、これまで以上に知ることができました。勉強をしたいと思っておられる方々が、思いの他に多かったのです。それも、一般教養程度のものではなくて、最先端の研究成果を知りたいという欲求から来るものであることがわかりました。カルチャーセンターのような一般的な教養ではなくて、さらに一歩踏み込んだ知的好奇心を掻き立てるような講座が必要です。そのような自分を知的環境で磨こうと思う方々は、今後の高齢化社会の中ではさらに多くなっていくことでしょう。それに、どこの誰が、どのようにして応えていくのか、これからの大きな課題だと思われます。私も、この問題には真正面か立ち向かっていこうと思い、これからの社会人講座に対処していこうと考えているところです。
 もう一点。目が不自由な方々との活動も、さらに進展させることができた一年でした。これからも、私の主要なテーマとして、積極的に取り組んでいくつもりです。

 さて、明日からの2019年は、どのような年になるのでしょうか。
 ワクワクしてのスタートとなります。
 このブログは、そうした日々の雑録として、新しい生活スタイルの一部として機能していくように活用していきます。
 これまでと変わらぬ愛読を、どうぞよろしくお願いします。
 
 

2018年の10大出来事


・2018年8月に予定していた第1回《 仮名文字検定 》を延期する

・インド・ハイデラバード英語外国語大学で国際集会の打ち合わせ

・ミャンマーで大量の日本文学と文化に関連する書籍と情報を収集

・34番目の言語となるビルマ語訳『源氏物語』を見つけ訳者と面談

・科研のホームページが公開できない理由を10回の連載にして公開

・キャリアアップ講座として[源氏物語のくずし字を読む]を開始

・南米ペルー・リマでペルー版『源氏物語』と鼠の唐揚げに出会う

・アメリカ・ハーバード大学で最古の古写本『源氏物語』の再調査

・明浄社会人講座(全10回)を10人の講師のリレー形式でスタート

・未公開の科研ホームページの構築が1年9ヶ月ぶりの年末に再始動

 
 
 
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | *身辺雑記

2018年12月30日

京洛逍遥(525)小雪と雨の比叡山にメダカと梅の蕾のこと

 今年の年末は、高野川を遡った高野橋の近くでお買い物をしています。
 賀茂川に架かる北大路大橋を東へ歩いて行くと、真っ正面に見えていた比叡山が、高野川に近づくにつれて急に左へと移動していきます。車を運転しておられる方は、山が右から左に大急ぎで動いたのではないかと錯覚するほどに、自分の目を疑うことで知られている不思議な場所です。
 その比叡山が、昨日はうっすらと雪をいただいていました。次の写真の左端の小山が、京都五山の送り火で知られる「妙法」の内の「法」の字を夜空浮かび上がらせる松ヶ崎の大黒天山です。写真にも、「法」の字の一部が顔をのぞかせています。

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 その比叡山が、今日は雨だったために雲に覆われていました。

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 共に、高野橋から写した写真です。何千年も前から、この山はこんな姿を京洛の人々に見せていたのです。

 この高野橋の東詰めにあるショッピングセンターで、昨日も今日もメダカの年越し準備をするために、お店の方と相談をしながら生活環境を整えています。今日は、新しい水草とタニシと水温計をいただいて来ました。これで、メダカたちはわが家で初めての新年を、快適に迎えることになります。

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 毎年、お正月に花を咲かせる紅梅と白梅は、今年も温かい部屋に入れたことで蕾も少し膨らんで来ました。

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 新しい歳を迎えるために、まだまだいろいろとやることがあります。
 明日は大晦日。いつものように、相変わらずバタバタとする日になりそうです。
 そうでないと、やすやすとは歳を越せないようになっているようです。
 
 
 
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2018年12月29日

京洛逍遥(524)京都駅で見かける「亰」という漢字への違和感

 京都駅の南北自由通路を通るたびに見る漢字が、最近やたらと気になっています。「京」という漢字が「亰」になっているからです。
 JR京都駅西口(2階の改札)を出たところにある、「The CUBE 京名菓・名菜処 亰(みやこ)」の看板です。ここには、32もの店舗が並んでいます。つい最近まで、ここは「スバコ(SUVACO)」と言っていました。今年の10月11日に「亰」がオープンしたのです。

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 「亰」はコンピュータで表示できる漢字です。携帯端末(スマホ)でも表示できます。しかし、この漢字を使う人は、いったい何人いるでしょうか。
 日本の玄関口とでもいえる京都駅のど真ん中に、この「亰」という漢字を賢しら顔で掲示することは、設置者の文字に対する認識において節操のなさを晒していることだと思います。それも、その前に記された「京名菓」では「京」なのです。
 もし、デザイン最優先で「亰」を用いているとすれば、それは見た目だけにとらわれた、文化の破壊行為です。早急に、「京」という通行の漢字に変えるべきです。
 日本語を真摯に学ぶ海外の方はもちろんのこと、日本人にとっても、何かと気になる現代の漢字文化の混乱を、いや増しに不可解なままにし、渾沌とした文字表現を支援することになっていきかねません。おそらく、このパネルを作成されたデザイナーも、発注者も、日本語の現状をよく知らないまま、「京」と「京」を並べる悪ふざけをなさったのでしょう。たしかに、明治時代の中頃までは、「亰」を使っていたようです。つまり、異体字といわれるものの一つです。それを今、復活させる意味は、どこにあるのでしょうか。

 以下、4つの情報を提示して、問題提起としておきます。

(1)『改訂新版 漢字源』には、次のように文字コードも画数も、違うものとして掲載されています。

【京】
 8画 亠部 [2年]
 区点:2194 ユニコード:4EAC JIS:357E シフトJIS:8B9E

【亰】異体字
 9画 亠部
 区点:4823 ユニコード:4EB0 JIS:5037 シフトJIS:98B5


(2)大修館書店の「漢字文化資料館」(http://kanjibunka.com/kanji-faq/old-faq/q0176/)の説明を引きます。

有名な例として、『東京朝日新聞』の例があります。同紙は、1888(明治21)年に創刊されて以来、1940(昭和15)年に名称が『朝日新聞』に変わるまでの間、その題字にはずっと「東亰」の字を用いていました。のみならず、復刻版を調べてみると、少なくとも初期の間は、本文でも「亰」を用いていますから、明治の中ごろの段階では、「京」ではなく「亰」の字を用いることが奇異ではなかったのでしょう。
その状況が変化してくるのは、おそらく、明治も終わり近くになって、国定教科書において「京」の字体が採用されたことによるのではないでしょうか。その後、現在の『常用漢字表』に至るまで、公にされた種々の漢字表の中に、「亰」の字を見いだすことはできなくなります。


 平成23年に、日本で生まれた外国人の子供の出生届には「京」に加えて「亰」も書けるようになったにもかかわらず、日本人の子供の出生届には、「京」は良くても「亰」は使えないそうです。そんなことを詳細にしているのが次の三省堂の情報です。

(3)三省堂の「ことばのコラム」(https://dictionary.sanseido-publ.co.jp/column/第143回-「亰」と「京」、筆者:安岡孝一)

 昭和17年6月17日、国語審議会は標準漢字表を、文部大臣に答申しました。標準漢字表は、各官庁および一般社会で使用する漢字の標準を示したもので、亠部に旧字の「京」が収録されていました。その一方、新字の「亰」は標準漢字表には含まれていませんでした。昭和17年12月4日、文部省は標準漢字表を発表しましたが、そこでも旧字の「京」だけが含まれていて、新字の「亰」は含まれていませんでした。

 昭和21年4月27日、国語審議会に提出された常用漢字表1295字には、亠部に旧字の「京」が含まれていて、新字の「亰」は含まれていませんでした。国語審議会が11月5日に答申した当用漢字表でも、旧字の「京」だけが含まれていました。翌週11月16日に当用漢字表は内閣告示され、旧字の「京」は当用漢字になりました。昭和23年1月1日に戸籍法が改正され、子供の名づけに使える漢字が、この時点での当用漢字表1850字に制限されました。当用漢字表には旧字の「京」が収録されていたので、「京」は子供の名づけに使ってよい漢字になりました。新字の「亰」は、子供の名づけに使えなくなってしまいました。

 昭和56年3月23日、国語審議会が答申した常用漢字表1945字には、旧字の「京」が収録されていましたが、新字の「亰」は含まれていませんでした。昭和56年10月1日に常用漢字表は内閣告示され、旧字の「京」は常用漢字になりました。その一方で新字の「亰」は、常用漢字にも人名用漢字にもなれなかったのです。

 平成16年3月26日に法制審議会のもとで発足した人名用漢字部会は、「常用平易」な漢字であればどんな漢字でも人名用漢字として追加する、という方針を打ち出しました。この方針にしたがって人名用漢字部会は、当時最新の漢字コード規格JIS X 0213(平成16年2月20日改正版)、文化庁が表外漢字字体表のためにおこなった漢字出現頻度数調査(平成12年3月)、全国の出生届窓口で平成2年以降に不受理とされた漢字、の3つをもとに審議をおこないました。新字の「亰」は、全国50法務局のうち1つの管区で出生届を拒否されていて、JIS X 0213の第2水準漢字で、出現頻度数調査の結果が0回でした。この結果、新字の「亰」は「常用平易」とはみなされず、人名用漢字に追加されませんでした。

 その一方で法務省は、平成23年12月26日、入国管理局正字13287字を告示しました。入国管理局正字は、日本に住む外国人が住民票や在留カード等の氏名に使える漢字で、JIS第1〜4水準漢字を全て含んでいました。この結果、日本で生まれた外国人の子供の出生届には、旧字の「京」に加えて、新字の「亰」も書けるようになりました。でも、日本人の子供の出生届には、旧字の「京」はOKですが、新字の「亰」はダメなのです。


 最後に、参考までに、東京都立中央図書館が公開している情報もあげます。ただし、長文なので、そのアドレスだけを引いておきます。

(4)東京都立中央図書館 レファレンス事例詳細(http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000169971

 なお、この「亰」は漢字検定の対象外の文字となっているそうです。
 
 
 
posted by genjiito at 21:13| Comment(1) | ◎京洛逍遥

2018年12月28日

『百人一首』の近江神宮で吹雪にあう

 強い冬型の気圧配置が影響して、今日は京都も小雪がちらつきました。
 そんな中を、琵琶湖畔近江大津宮(大津京)にある近江神宮に行ってきました。
 最寄り駅である京阪近江神宮前駅は、無人の小さな駅です。どこから出たらいいのか迷いました。黄色で「出場」と書いてある機械のパネルにICカードをタッチしてから、白いパイプの柵の隙間から出ます。このような改札口は初めてです。

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 狭い道路を北へ一直線に行き、突き当たりを左に折れ、すぐの角を右に曲がって進みます。

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 また突き当たると、左に折れて、すぐに右へ曲がると、信号に出ます。信号を渡ったら左手に曲がり、ガードレールの内側の歩行者用の道を直進すると、近江神宮の境内に入ります。

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 境内に入ると、有名なそば屋さんがあります。今日はお休みでした。

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 ここまでの経路と次の回廊を歩くと、階段をまったく使うことなく、駅から近江神宮の本殿まで行けます。

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 私はここまで、ゆっくりと道を選びながら、徒歩7分くらいで行けました。

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 境内に張り出してあるポスターには、「新春のかるた祭り」のことが書いてあります。

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 今日ここに足を運んだのは、新年のイベントである「目が見えない方との「新春! 東西でかるたを楽しむ会」のご案内」(2018年11月26日)で紹介した、近江神宮見学会の下見を兼ねています。13日には近江勧学館で「第68回 高松宮記念杯 近江神宮 全国競技かるた大会(CDE級)」の大会があり、さらには、「ジャンボ 巨大かるた大会」もあります。境内は大混雑することでしょう。引率方法を再検討します。
 このイベントにおいて、目の不自由な方々を近江神宮に同行する、お手伝いをしてくださる方を探しています。京都駅からスタートし、近江神宮を散策してから京都駅に帰ってくるコースです。今のところ、25人から30人の参加者があります。現在、晴眼者は5人ほどなので、あと数人は何とかしたいと思っています。謝金が出ないボランティアなので、なかなかお手伝いさんを探すのが難しいことは承知しています。手を上げてくださる方は、本ブログのコメント欄を通して連絡をお願いします。

 近江勧学館へも立ち寄りました。ここへも、階段を使わずに行けます。このころになると、小雪が舞い出しました。

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 途中で、天智天皇の歌碑を見かけました。もう、横殴りの雪となっています。

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 勧学館の前では、合宿中の生徒たちが突然の雪に飛び出して来て、大はしゃぎをしていました。天智天皇の「我が衣手は 露にぬれつつ」ではなくて、光孝天皇の「我が衣手に 雪はふりつつ」の光景となったのです。

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 勧学館の中は、『百人一首』の花盛りです。
 玄関横のホールは、カルタ取りの気持ちを刺激します。

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 かるた取りのメイン会場は、すでに有名になっています。

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 受け付けには、さまざまな『百人一首』に関連するグッズが並んでいます。私は、煎餅とサブレをいただきました。

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 帰りは、踏み切りを渡って、来た時とは反対側のホームに移動しました。
 写真で見ると、かわいい佇まいの駅です。新年は、このホームに人があふれ返ることでしょう。

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posted by genjiito at 21:34| Comment(1) | ■視覚障害

2018年12月27日

井上靖卒読(211)『星と祭 上』の一節にまったく記憶がないこと

 今、私が大好きな井上靖の『星と祭』を読んでいます。まずは2冊本の「上」を読み終えました。

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 これまで、折々に何回となく読んで来た小説です。もう、10回近く読んでいるはずです。それなのに、不思議なことに、毎回アレッと思う発見があります。
 主人公である架山洪太郎の先妻との娘が、琵琶湖でボートの転覆事故で亡くなった後の場面で、こんなことが語られています。

 その七年間の架山にとって、はっきりしていることは、湖というものが、架山にとって特殊なものになったことである。事件の起った琵琶湖はもちろんのことであるが、そればかりでなく、なべて湖と名のつく一切のものが、架山にとっては特殊なものになったのであった。湖という文字も、なんでもない単なる湖の風景写真も、無心に眺めることはできなかった。
 一番困るのは旅行の時であった。仕事の関係で、月に一回や二回は関西へ行かねばならなかったが、いつも関ケ原を過ぎる辺りから、心は落着かなかった。なんとも言えぬ辛い思いが心に立ち籠めて来た。列車が琵琶湖の湖畔を走っている間、架山は湖の置かれてある窓の方へ顔を向けなかった。そこにみはるの奥つ城があると考えれば、それで自分の心を落着かせることができそうに思われるのであったが、なかなかそういうわけにはいかなかった。(193〜194頁、角川文庫、上、平成19年10月、改版初版)


 その後は、仕事で北海道のみならず、イタリアからスイスに入る時のレマン湖、ロシアのイルクーツクでのバイカル湖、などでの辛い体験が綴られています。
 主人公が、琵琶湖を見たくなかったということが語られていたことは、よく覚えています。しかし、その具体例として北海道、イタリア、ロシアでの湖との出会いの話がこの『星と祭』にあったことは、まったく私の記憶にありません。自分の興味と関心だけで読んでいた、ということのようです。
 このくだりの後は、琵琶湖の湖底にいる娘みはると、死者との会話をする場面となります。そして、国文学研究者の殯(もがり、仮葬)に関する論文の紹介となります。このあたりは、何度も読み返したことを鮮明に覚えています。それなのに、その直前に語られている各地の湖での体験は、私の記憶のどこにも残っていないのです。
 本を読む、ということはどういう行為なのでしょうか。読んだ覚えがない場面があるというのは、どういうことなのでしょうか。一度読んだきりのものであれば、それは仕方のないことでしょう。しかし、この『星と祭』は、私にとっては18歳の時に出会った思い出深い本であり、人生の曲がり角に差し掛かると、いつも手にして元気をもらう小説です。
 何とも不思議なことです。
 本の読み方の一例として、この体験も恥ずかしながらそのままに記し残しておきます。
 
 
 
posted by genjiito at 20:38| Comment(0) | □井上卒読

2018年12月26日

アレッ!と思う時〈その6〉集中力散漫

(1)考え事をしながら歩いていて、横断歩道の真ん中あたりで信号が赤だったことに気づいた時。交通量が少ないところだったので、慌てて引き返さずに渡りきりました。これは、命に関わることなので、ついうっかり、などとは言っていられません。要注意です。

(2)小銭入れから硬貨を取り出そうとした時に、財布をポトリと落としました。財布の口が開いていた時だったので、硬貨が床に散らばっています。硬貨を拾うそんな自分の姿は、人に見られたくないものです。

(3)食器を洗っていて、ポトリと流し台のシンクに落としました。洗剤によって滑っただけのことです。しかし、物を摑む力加減が、微妙に狂い出していることを感じる時でもあります。加齢に伴うことなのでしょう。齢とともに自覚し出したこととして、しっかりと記録しておきます。

(4)私は、食事に時間をかけます。朝は1時間以上、夜は2時間以上はたっぷりと時間をかけていただきます。私には消化管がないので、1回の食事に時間がかかるのです。しかも、テレビっ子世代なので、テレビを見ながら、気分転換をしながら。そんな時フト気がつくと、食卓に箸から取りこぼしたお菜や、口から無意識にこぼした食べ物が、目の前に落ちていることがあります。老人になったのかな、と思う時です。

(5)電車で本を読んでいました。隣の方の挙動が不審だったので、別の席に移りました。そして、移った席でまた本を読もうとしたら、本がないのです。鞄の中やあたりをキョロキョロし、先ほどの席の窓側に本を置いたままだったことに気付きました。慌てて先程までいた席に取りに戻った時の、何とも気まずいこと。
 
 
 
posted by genjiito at 21:16| Comment(0) | *身辺雑記

2018年12月25日

吉行淳之介濫読(18)『焔の中』(追補-2019.01.14)

 吉行淳之介の『焔の中』(中公文庫、昭和53年7月3版)を読みました。

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 昭和19年8月、二十歳の吉行のもとに召集令状が届きます。そして、O市の連隊に入営しました。さまざまな体験をする中で、軍医から気管支ゼンソクを理由に兵営を出ます。こうした経緯が、軽妙に語られています。
 吉行淳之介は、話がうまい作家です。本作でも、話題の切り替えが絶妙で、絵物語を読むように、その展開がわかります。
 昭和19年秋に、旧制高校の友人と湖で過ごしたエピソードも秀逸です。時勢もあり、死を意識した会話の中にも、達観した余裕が感じられます。
 その後も、吉行がよく使う表現の、肌にまつわりつくじめじめ、べたべたした感触が続きます。
 昭和20年5月25日の東京空襲下の家での様子は、母や女中を含めての描写が生々しく具体的です。若者の感性に満ちた視点で描かれています。
 自宅が焼け落ちる時に持ち出すものに、ドビュッシィのピアノ曲のレコードがあります。吉行らしいと思いました。実は、私は学生時代に、この吉行が好きだったドビュッシィのレコードをよく聴いていました。よくわからないままに、吉行がいいと言うので聴いていたように思います。
 そして、焼夷弾で焼け野原となった中をさまよう場面は、精細に語ろうとする姿が言葉を紡ぐ中から伺えます。吉行特有の神経が尖った筆致が生む、戦争を語る作品となっています。冷静な中に、鋭い視線と複雑な思いが交錯する文章です。
 吉行の表現によく出てくる、黒と茶色と灰色の世界は、この焼け出された時の記憶が生み出すものではないのか、と思ったりしました。
 終戦の玉音放送を大学で聞いた後、8月17日に逃避先の田舎で、吉行は次の感懐を抱くのでした。
 いったい、どうやって何の手掛りもない世の中から、生きてゆくための糧を奪い取ればよいのだろう。家財が一物も余さず焼失するまで疎開しなかった僕には、ゆっくり勉強する余裕は残されていない。それこそ、大学なぞはビール瓶のカケラに過ぎないのだ。戦争の間は、死ぬことについてばかり考えさせられてきた僕は、今度は生きることを考えなくてはならぬ時間の中に投げ出されてしまったのだ。(160頁)

 1行1行の言葉に重みのある、吉行淳之介の代名詞である軽妙からは程遠い、異色作と言える自伝作品です。

 今回読んだ中公文庫の巻末には、「S54.3.29 本荘駅前で買う」「S54.3.30 田無行きバスの中で読了」とのメモがあります。春休みに秋田へ行き、恩師の家に年末の挨拶に行く道中で読み終わったものだったことがわかります。本書の至る所にペンでチェックがあります。こんな表現に反応していたのかと思いながら、40年前の自分を感じながら得難い読書体験となりました。【4】
 
[追補1]
 本書は以下の文章5編で構成されています。
 ・1956年3月『藺草の匂い』(文藝)
 ・1956年2月『湖への旅』(文藝)
 ・1955年4月『焔の中』(群像)
 ・?『廃虚と風』?
 ・1956年4月『華麗な夕暮』(群像)

[追補2]
 手持ちで別の『焔の中』(東方社、East Books、昭和39年12月)の表紙絵をあげておきます。

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posted by genjiito at 20:06| Comment(0) | □吉行濫読

2018年12月24日

芦屋の阿保親王塚古墳を散策

 ガイドブックによると、阿保親王塚は芦屋市では最古となる4世紀後半に造られた古墳で、周囲は356mの円墳だとあります。宮内庁が管理している陵墓です。今日はちょうど、職員の方が前庭の玉砂利を掃き清めておられました。

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 次の写真は、正面左角から反時計回りで一周したものです。

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 国道沿いに建つ説明板は、下の方がサビで剥がれ落ちていました。幸い、黒い文字の部分は切り抜かれたように残っていたので、何とか読めます。ぜひ、補修をしてほしいものです。

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 陵墓の中をのぞくと、木々が鬱蒼と茂っていてこんな様子です。
 まず、東北角から南を見ました。

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 次に、東北角から西を向いて見ました。

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 北西角から東を見ます。

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 西側の道路を南に見たところです。

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 おめでたい名前の「打出小槌町」へと下っていくと、「山打出」の交差点角に、「平城天皇皇子 阿保親王墓 是ヨリ北三丁」と刻んだ大きな道標が建っていました。「ココヨリ三丁」とあり、背面には「昭和三年十一月建之(立?)」と刻まれています。

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 さらに下ると、阪神電車の打出駅の近くにも、あと四丁で「阿保親王廟」に至るという道標が建っていました。

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 これ以外にも、「阿保親王」に関するものがこの辺りにあるのかはわかりません。この近くには息子の在原業平橋があるので、また姉の家に行った帰りに、この周辺を歩くつもりです。

 阪神電車で梅田に出ました。クリスマスイブに合わせて、阪急百貨店のプロムナードはイルミネーションに彩られていました。

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 四条河原町のバス停付近では、河原町通りが控えめなイルミネーションで飾られていました。

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posted by genjiito at 22:37| Comment(0) | ・ブラリと

2018年12月23日

翻訳本ミニ展示「比べてみよう!『源氏物語』における翻訳の差《英語編》」

 昨年より好評のうちに大阪観光大学図書館1階で開催している[翻訳本のミニ展示]も、前回からは翻訳された文章の巻頭部分が読めるように工夫をしました。中国からの留学生が多いこともあり、まずは【中国語訳】の展示でした。

「翻訳本ミニ展示「比べてみよう!『源氏物語』における翻訳の差《中国語編》」」(2018年10月10日)

 それに続く今回は、以下の説明文にあるように、もっとも読者が多い【英語訳】を取り上げました。

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 今回も、伊藤科研(A)で研究協力をしてくれている学部2回生の池野陽香さん、門宗一郎くん、田中良くんが、選書・演示・解説資料の作成などなど、展示のすべてを担当しました。これまでの経験が回を追うごとに蓄積され、さまざまな配慮が見られる展示となっています。会場に足を運んでいただき、ゆっくりとご覧ください。

■比べてみよう!『源氏物語』における翻訳の差《英語編》■


       開催期間:2018年12月13日〜2018年3月7日
       場所:大阪観光大学 1階階段前

 今回の特設コーナーでは、『源氏物語』における英語訳の翻訳の差を比較していただけるように、5冊の翻訳本を選びました。元は同じ『源氏物語』という作品であっても、翻訳者が異なり、参考にした底本(翻訳するときに使用した書籍)が異なると、翻訳文もこのように違ってきます。
 「桐壺」巻の冒頭部分を展示しましたので、読み比べて楽しんでください。

【『源氏物語』が翻訳されている34種類の言語】
アッサム語(インド)・アラビア語・イタリア語・ウルドゥー語(インド)・英語・エスペラント・ オランダ語・オディアー語(インド)・クロアチア語・スウェーデン語・スペイン語・スロヴェニア語・セルビア語・タミル語(インド)・チェコ語・中国語(簡体字)・中国語(繁体字)・テルグ語(インド)・ドイツ語・トルコ語・現代日本語・ハンガリー語・ハングル・パンジャービー語(インド)・ビルマ語・ヒンディー語(インド)・フィンランド語・フランス語・ベトナム語・ポルトガル語・マラヤーラム語(インド)・モンゴル語・リトアニア語・ロシア語



◯英訳(2000年)
末松謙澄 訳
表紙は、二代歌川国貞『紫式部げんじかるた 五十一 浮船』。


◯英訳(2016年)
アーサー・ウェーリー 訳
表紙は岡田嘉夫『源氏絵巻 蛍』(1970年)、裏表紙は月岡芳年『月百姿』のうち『垣間見の月 かほよ』をアレンジしたもの。


◯英訳(1990年)
エドワード・G・サイデンスティッカー 訳
表紙は海老名正夫『木版画 源氏五十四帖』「橋姫」巻。
底本には、『日本古典文学大系』(岩波書店)を用いる。


◯英訳(2006年)
ロイヤル・タイラー 訳
表紙は舞楽図『青海波』で、裏表紙にはライザ・ダルビーとザ・ウォールストリートジャーナルの書評が掲載されている。
底本には、『新編日本古典文学全集』(小学館)・『新潮古典集成』(新潮社)・『新日本古典文学大系』(岩波書店)の3つを用いる。


◯英訳(2001年)
H.マック・ホートン 訳
表紙は宮田雅之作「花宴」。

 
 
 
posted by genjiito at 20:02| Comment(0) | ◎国際交流

2018年12月22日

[町家 de 源氏](第15回)(書写者が途中で変わること)

 「be京都」でハーバード大学本『源氏物語 須磨』を読む勉強会は、今日で15回目となりました。

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 今日は、9丁表6行目「あ可【月】の」からです。
 少し読み始めてから、「【思】日」の「日」の文字の形が不自然であることに気付きました。そう言えば、「い徒と・那く」の「と」も、「を」にしか見えません。その内に、このあたりは書写者がそれまでと違うのではないか、という話の流れとなりました。
 書き続ける中で、途中で書写者が交代することは、これまでにも確認しています。
 それからは、この「須磨」の前後の丁の文字の書き様を見ていきました。すると、ここもそれまでとは違う、ここからはまた違う、というように、いろいろと書き手の文字の書風や雰囲気が異なることが気になり出しました。
 18丁と19丁は、特にその違いが顕著です。
 この現象は、もっと調べてみようということで、その確認に終始しました。
 今日のところでは、結論らしきものは出ないものの、何人かの人がこの「須磨」を写しているのではないか、という疑念は確信に近いものとなりました。
 こんな問題意識をもって、次回から読み進めていくことにしました。
 ということで、今日は4行ほど、9丁表の最終行までを見たことになります。

 新年の次回以降は、以下の日程で開催します。

 第16回 1月20日(日)10時〜12時まで
 第17回 2月23日(土)14時〜16時まで
 第18回 3月23日(土)14時〜16時まで

 旅の途中に立ち寄っていただいても結構です。
 興味のある方の参加をお待ちしています。
 その際は、本ブログのコメント欄を使って連絡をお願いします。
 
 
 
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2018年12月21日

明浄社会人講座(6)王静「茶文化学、中国と台湾のお茶体験」

 今日の講座は、王静先生の「茶文化学、中国と台湾のお茶体験」です。

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 我々には入手困難で非常に貴重な高級茶葉を使い、しかも王先生が大切な茶器を使って直々に淹れてくださるお茶をいただきながら、中国茶の歴史と文化のお話を聞きました。しかも、ご持参のお茶菓子もいただきながら。
 贅沢な時間の流れの中に身を置くことができました。ありがとうございました。

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 まずは、西湖龍井茶(梅茶坞)という、本日のテーマと密接な意義深いお茶から。
 お湯は100度で、少し時間を置いて淹れてくださいます。

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 お話は、プロジェクターで資料を映写しながら進みました。
 1980年代までは、中国ではそんなに自由にお茶を飲んではいなかった、ということなどを、学問的な視点でありながら、わかりやすく語られました。中国での文化としてのお茶のありようは、意外に新しかったようです。つい、日本の鎌倉時代からのお茶の感覚や、茶道の知識で臨んだので、思いがけない指摘が随所でなされました。政治・経済・文化が、縦横無尽に話題となるお話です。
 王先生のご両親の時代には、お茶のチケットがなかったらお茶は買えなかったそうです。なぜ、王先生の親たちがお茶は身体に良くないと思っていたかが、大きな疑問として投げかけられました。
 その疑問を解くために、中国のお茶の歴史の話となります。
 文化大革命の頃は、お茶を飲んではいけなかったとのことです。それが、革命の中で茶葉の生産がなされます。民族の団結ともつながったのです。お茶の生産力が高まると、ロシア向けとは違う、国内向けの消費の増大が考えられるようになります。飲茶の習慣がない中で、お茶は文化だとして広めようとしたのではないか、というのが王先生の考えです。
 そこで、1981年から茶文化が登場するのです。台湾の茶芸の影響で、中国茶も高級志向となったそうです。

 そんな話をうかがいながら、次々と高価なお茶や紅茶などをいただきました。
タップリと90分。お茶に魅せられた時間を、みんなで共有しました。
 今日は聞けなかった台湾茶芸の話は、また次の機会に聞きたいものです。
 終わってからも、しばしお茶に関する話題で歓談が続きました。
 
 
 
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2018年12月20日

キャリアアップ講座(その14)『源氏物語』のくずし字を読む(実感実証の勉強会)

 新年も間近なので、豪華な『百人一首』のカルタを見てもらいました。複製ながら、近衛家旧蔵のものです。貴族文化の一端がうかがえるカルタで、日本文化の華やかさを実感してもらおうというものです。

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 次に、貝合わせです。これは、学生が作ったものながら、精巧に出来た優品です。貝合わせというゲームをイメージするのに役立ちます。

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 複製であれ、模造品であれ、実物に近いものを触り、間近に見ることは、自分の知見を具体的に定着させます。特に、触ることは大事です。

 今日の仮名文字の特訓は、『国立歴史民俗博物館蔵『源氏物語』「鈴虫」』の12丁裏4行目から14丁表最終行末までを確認しました。
 行が揃わないままに書写されている丁があり、なぜ行が曲がっているのかを考えました。結論は、書写にあたって用いていた糸罫が歪んで置かれたままに書き出したからではないか、ということに落ち着きました。

 この講座は、新年に2回開催したら終了です。テキストはあと数丁を残すのみなので、無事に「鈴虫」を終えられそうです。
 次回も、いろいろな物を見てもらう予定を組んでいます。これまで誰にも見てもらっていない、チベットの方が手書きしたタンカの中でも、六道輪廻の図を数本持参するつもりです。また、インドで手に入れた物語絵の実物も数葉用意しています。実物を見てもらい、『源氏物語』の「鈴虫」巻の仏事場面の背景を実感してもらうつもりです。変体仮名を読みながら、実感実証の勉強会となっています。
 
 
 
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2018年12月19日

月の明るい夜に心機一転の報告

 今夜は、来年度に向けて新しい方向性が見定められる、一区切りとなる日になりました。こんな時には、いつも「芹生」へ行きます。

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 お店の前で夜空を見上げると、月がニコニコと迎えてくれているようでした。気持ちのいい月夜です。

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 1年9ヶ月という長きにわたり、心ならずも止まっていた科研のホームページ構築の件などが、やっと正式な手続きを経て動き始めたのです。それ以外に、来年度に向けて決意を新たにすることもありました。

 東京を引き上げてから新たに組み直した研究協力者と、やっとこれから本来の情報発信活動に取りかかれます。実働部隊となる学生たちには、1年半も待たせてしまいました。情報収集とその整理は進めてもらっていました。しかし、そうした情報をリアルタイムに発信するという肝心の研究活動が、まったくできない状況下に置かれていたのです。1日も早く、学生たちには体験させたかった研究活動です。
 それに引き続く来年度の活動の指針も、どうにかメドがたちました。

 今冬に入ってから、何度かホームページの進捗報告に絡めて、このことを記事にしました。いささかしつこいくらいに同じようなことを書いているので、毎日このブログを読んでくださっている方には食傷気味かもしれません。しかし、このブログはいろいろな方へのメッセージの役割も果たしているので、動向の記録という意味からも時系列の報告ともなっています。うんざりしているのでもういい、という方がいらっしゃるとしたらご寛恕のほどを。その背景をご理解いただけると幸いです。そして、しつこいくらいに、また以下で確認です。これは、どうしてもこの段階で行なっておく必要があるからです。

 先月下旬に、「科研のHP[海外へいあんぶんがく情報]が半歩前進」(2018年11月24日)という記事を書きました。
 その後の展開は、「科研[海外へいあんぶんがく情報]のHPが本格的に始動」(2018年11月29日)に書いた通りです。
 順調に進んでいるかに思われた問題も、「読書雑記(251)河添房江著『源氏物語越境論』から科研の現状を想う」(2018年12月10日)の後半で報告したように、科研のホームページの移築がストップを余儀なくされました。外圧と無理解により、なかなか思うように進まなかったのです。
 ひたすら忍耐を強いられていた状況にも、何とか光明が見いだせるようになったことは、「日比谷で橋本本「若紫」を読む(2018年度-その7、傍記が混入した異文」(2018年12月15日)の中半で報告した通りです。
 そして今日、科研の情報発信に関する契約が正式に成立したことが確認できました。晴れて正々堂々と、懸案だったホームページに取り組めることが確認できたのです。今後とも、どのような嫌がらせや研究活動への妨害があっても、毅然とした対応を貫きます。

 現在は、『平安文学翻訳本集成《2018》』と『海外平安文学研究ジャーナル《ミャンマー編 2018》』の2冊の報告書の編集作業を進めています。これは、インターネットに科研の成果が公開できない状況下での、手に取って確認できる形にしての、最低限の報告をするためのものです。
 今年度末の明年3月までに、インド、ミャンマー、ペルー、アメリカで調査して得られた収穫を中心にした研究成果は、これからできる新しいホームページを活用して公開します。
 新年早々から、心機一転鋭意研究に取り組みますので、今しばらく温かく見守っていただけると幸いです。
 
 
 
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2018年12月18日

オイオイ!!と思うこと(8)乗り物で移動する時に

(1)片道800円の回数券を買ったのに、あと3枚を残して有効期限が過ぎていることに気付いた時。11枚目の1枚分が得になるはずが、2枚分を無駄にしてしまいました。長距離の通勤では、気分転換にいろいろな経路で行っています。いつでも気ままに路線を選んでいるうちに、つい有効期限があったことを忘れていたのです。


(2)片道400円の切符が、20回分の金額で22回使えるカード式の回数券を買いました。ところが、4回分を残して期限が切れていることに気付きました。実質的には2回分を無駄にしてしまったのです。何枚も持ち歩く手間を省こうとしての失策です。回数券の有効期限は怖いですね。


(3)やっと診察を受けようと思って町医者に行ったところ、こんな時に限って休診だった時。嘘のようなことが、実際にはよくあるから不思議です。しかも、名医と聞いて少し遠いところへバスで行こうとしていた時に限って…… 午後だけが休診の曜日は、つい確認を怠りがちです。


(4)始発駅を出発したばかりの車内放送で、「次は◎◎です。◎◎の次は終点■■です。」という案内が流れました。車掌さんは、この電車が折り返して出発したことを失念されたようです。私はどこ行きの電車に乗ったのか不安になり、あたりを見回しました。結局、この車掌さんは訂正のアナウンスは最後までなさいませんでした。自分の放送が勘違いだったことに気付かれたのかどうなのか、よくわかりません。


(5)東京の地下鉄銀座線でのこと。赤坂見附駅で丸ノ内線に乗り換えて霞ヶ関駅に行こうとしました。赤坂見附駅のホームに降り立って見回しても、丸ノ内線のホームへの指示がよくわかりません。目の前を通り過ぎる電車を見ていて、何と丸ノ内線のホームはすぐ目の前だったことを知りました。海外で乗り換えに苦労することが多いこともあり、この心憎い思いやりはあまりにも日本的で、ありがたいやら紛らわしいやら。その反面、大手町駅やら飯田橋駅などでは、延々と歩かされます。錯綜した路線を張り巡らした東京特有のことなのでしょう。
 
 
 
posted by genjiito at 19:42| Comment(0) | *身辺雑記

2018年12月17日

メダカたちの新居を作りました

 下鴨神社の北東にある高野橋のたもとに、「カナート」という大型ショッピングセンターがあります。
 そこに、広いペットコーナーが新しくできました。きれいな施設であることはもちろんのこと、それぞれの動物に関する専門家がいらっしゃいます。東京の豊洲にあった「ビバホーム」の中のペットショップと同じような施設です。
 メダカに詳しい若い方がいらっしゃったので、相談をしながら観賞用のケースと浄水給水器に保温装置を付け、さらにはLEDの照明器具まで揃えてしまいました。

 子供たちが小さかった頃、幼稚園でもらってきた金魚が予想外に大きくなりました。そこで、生け簀のような水槽とさまざまな機器に飾り物などを設置して、鯉の大きさにまで育てたことがあります。

 このメダカが、そんなに大きくなるとは思えません。しかし、新年には孫が来ることもあり、一緒に楽しめる環境を作っておくことにしました。

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 危なくないように、前面の角は丸くなっています。ここがレンズの働きをしてくれるので、水槽の中を泳ぐメダカがさまざまな姿に形を変えて見えるのです。マジックミラーのような効果があります。大人が見ていても飽きません。孫も喜んで、何時間もこの不思議なメダカの動きを楽しく見続けることでしょう。

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 これまでのメダカについては、「京洛逍遥(515)京都っ子で第2世代となるメダカたちと穏やかな日々を」(2018年10月01日)に書きました。
 その次の世代が来たので、これで第3世代目となる京都っ子のメダカとの共同生活が始まったことになります。

 水は浄化され、上からは水が流れ落ちて酸素が供給され、水温はヒーターで23度に保たれています。快適な住環境になっていると思います。もちろん、これは浅知恵の人間が思いつく限りの心遣いであり、メダカにとって本当に住み心地がいいのかはわかりません。特に、LEDによる上からの照明は、24時間ライトアップされた明るい水中になっているので、メダカの気持ちを掻き乱さないかが心配です。「メダカ語」なるものがあれば、いつか「どんなお気持ちですか」と聞いてみたいと思っています。
 
 
 
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2018年12月16日

第15回[町家 de 源氏物語の写本を読む]開催のご案内

 今週12月22日(土)午後2時から4時まで、「be京都」(http://www.be-kyoto.jp/)で15回目となる[町家 de 源氏物語の写本を読む]を開催します。
 テキストは、『ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「須磨」』(伊藤編、新典社、2013年)です。

 本日16日(日)の京都新聞(朝刊)「まちかど」欄に、この勉強会を呼びかける記事が掲載されましたので、あらためて本ブログでも紹介します。

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 今回は、上記テキストの9丁表6行目「あ可【月】の」から読みます。

 前回の内容については、「[町家 de 源氏](第14回)(補入となぞりの確認)」(2018年11月25日)をご覧ください。

 700年前に書写された『源氏物語』を、変体仮名に注目して読み進めることに興味と関心をお持ちの方は、このブログのコメント欄より、参加希望の連絡をお願いします。折り返し、詳細な案内を差し上げます。
 参加費は、初回だけは体験ということで千円です。2回目以降は二千円(学生は千円)です。
 NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の正会員には割り引き特典があります。

 新年の第16回は、1月20日(日)10時〜12時です。

 自由に参加していただける会です。
 この記事のコメント欄を利用して連絡をいただけると、詳しい説明を差し上げています。
 
 
 
posted by genjiito at 18:58| Comment(0) | ◎NPO活動

2018年12月15日

日比谷で橋本本「若紫」を読む(2018年度-その7、傍記が混入した異文)

 曇り空の中を、新幹線で上京しました。いつも、富士山を見るのを楽しみにしています。しかし、今日は曇っていたため、頂上付近は見えませんでした。そんな写真はこれまでに掲載してこなかったので、これからは雲に覆われた富士山もアップすることにします。

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 日比谷図書文化館に近い新橋駅前には、機関車にサンタクロースが乗っていました。クリスマスシーズンが到来していることを実感します。

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 日比谷公園も師走に入ると、冷たい風が吹き抜けています。それでも、多くの人が集っておられます。園内の噴水広場では、「東京 クリスマスマーケット 2018 in 日比谷公園」が賑やかに開催されていたからです。ドイツさながらの雰囲気が再現されており、ビールや木工芸品、そしてスイーツのお店が36店舗も出ていました。手作り体験もでき、活気に満ちています。

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 日比谷図書文化館で『源氏物語』を読む会が始まる前に、地下のラウンジで研究協力者の淺川さんと今後の打ち合わせをしました。
 科研のことや視覚障害者のみなさまのお手伝い、そしてNPO法人〈源氏物語電子資料館〉の活動のことなど、整理しなければいけない話は山ほどあります。
 特に、科研のホームページについては、さまざまな研究妨害を掻い潜り、やっと再構築に着手するメドが立つところまで来ました。昨年4月に科研が採択されて以来、研究情報の公開という一時だけに1年9ヶ月もかかったことになります。科研研究への無理解や非協力的な姿勢と露骨な妨害に加えて、先週からはまたもや無知からくる信じられない研究妨害と契約への遅延行為などと闘っていました。この期に及んでまだそこまでやるか、という思いを胸に押し留めて耐えました。精も根も尽きそうになっていた今週半ばに、それも何とか光明が見いだせるようになったので、また前を見て歩み出そうとしています。研究の遂行よりも、こうしたこととの戦いに精力を割かざるを得ない現実との闘争に疲れ果てます。研究の意味が理解されない環境に身を置くとは、思いもしなかったことであり、なかなかつらいものがあります。もっとも、今はそんな弱音を吐いている場合ではありません。時間がないのです。
 2年目の年度末になり、遅れに遅れている膨大な研究成果の公開に向けて、これから3ヶ月が追い込みです。プロジェクト研究員、研究協力者の学生たちと共に、ここを乗り切ろうという思いを強くしています。変わらぬご支援のほどを、よろしくお願いします。

 今日の講座では、最初にいつものように『源氏物語』をめぐる関連情報を提示しました。
 メリッサ・マコーミック先生が刊行された『源氏物語画帖』を回覧し、この講座を受講なさっている方が翻字の協力をしてくださったことなどを伝えました。
 受講者の中には、今夏ご一緒にハーバード大学でこの『源氏物語画帖』を見た方もおられるので、身近な話題として説明できました。古典という時間的な隔たりのみならず、ボストンという地理的な遠さが一気に縮まる機会となったことは、得難いことだったと思います。
 その他、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉に『御物 各筆源氏』の複製本の寄贈を受けたこと、新年に京都ライトハウスで開催される『百人一首』のかるた会の案内、国宝の『源氏物語絵巻』が額面装から巻物装に戻されたこと、さらには、精力的に『源氏物語』を女房語りで読み続けておられる山下智子さんの案内チラシを配布して説明をしました。この山下さんの語りの会には、講座を受講なさっている何人かが参加しておられます。

 さて、今日は時間を有効に使い、35丁表の8行目「さ満も・可ゝ羅ぬ」から、37丁表の4行目「うちと遣ぬ」までの、約4頁分を確認しました。異例のスピードです。
 今日、一番時間をかけたのは、現在読んでいる橋本本のグループ(河内本を中心とするもの)と、現在一般に読まれている大島本のグループに、大幅に語句が入れ替わるという現象を見せる箇所があったことです。校訂本文で比べると、「くはしく」「おほかたの御ありさまなと」などの言葉が、両グループでその置かれている場所が大きく異なるのです(私が提案している文節番号では「052818」以降)。こうした本文異同の形成過程には、私案である「傍記本文が本行に混入する時に、当該語句の前に混入するか、あるいは後に混入するかによって生まれる本文異同」という考え方を導入しなければ説明できないところです。日比谷図書文化館での講座は、こうしたことを詳細に語る場所ではないので、現在読み進めている橋本本と、現在一般に読まれている大島本の文章の成り立ちがこんなに違うものですよ、ということの確認に留めました。

 また、「ひ(比)」(35丁裏3行目)

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と「え(江)」(36丁表9行目)

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がよく似た形で書かれています。
 このことは、書家の宮川さんが参加しておられるので、専門家の立場でその仮名文字の成り立ちについて板書して説明していただきました。

 講座が終了してからは、有志の方々と有楽町のビアハウスで、いつものように勉強会となりました。今日は、お世話役の土屋さんが、渋谷栄一氏の校訂本文と現代語訳を橋本本と対照できるような資料を作成して来てくださっていました。そこで、それをもとにして、これからどのようにして橋本本の現代語訳を作成していくかを相談しました。次回には、土屋私案としての現代語訳を追記した資料を提示してくださることになりました。
 この課外の集まりも、呑むことだけでなく、こうして着実に勉強の成果が確認できるように進んでいます。現在は10人ほどで取り組んでいます。この集まりだけに参加なさりたい方がいらっしゃいましたら、遠慮なくお知らせください。折り返し、ご案内を差し上げます。時間は、午後5時半から7時過ぎまでです。私が午後8時前の新幹線で京都に帰りますので、それまでの時間を有効に活用しての勉強会です。

 新幹線はガラガラでした。
 京都駅前に聳えるタワーは、今日はクリスマスモードです。

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2018年12月14日

明浄社会人講座(5)宮野「考古学、摩訶不思議な古代アンデスの建築」

 今日の社会人講座は、宮野元太郎先生の「考古学、摩訶不思議な古代アンデスの建築」です。
 宮野先生には、今夏ペルーの調査では大変お世話になり、現地でいろいろとお話は伺っていました。しかし、やはりご専門のことをあらためて聞くと、奥深い内容に引き込まれてしまいました。
 宮野先生は、アンデス考古学がご専門で、建築の視点から研究をなさっています。ドローンを活用しての遺跡調査では、立体的な再現図が視覚的にもわかりやすく、研究手法の最先端の成果を見せていただくことができました。
 その前に、この古代アンデス社会からインカ帝国までの歴史を、噛み砕いてのわかりやすい説明もありました。
 ナスカの調査権は日本が持っていること。お祭りの時に食べるネズミの唐揚げのこと。これは、宮野先生と一緒にペルーへ行った時にいただいたので、その写真も写しての説明でした。
 1532年に、スペインのピサロがやってきてペルーを征服する話も、おもしろく伺いました。
 1996年12月17日に、ペルーの首都リマで起きたテロリストによる在ペルー日本大使公邸占拠人質事件での裏話では、宮野先生のお友達のことが出てきたこともリアルな展開でした。サンダルや吊り橋、そしてマチュピチュに地上絵の謎など、その起源と今に至る話も興味が尽きません。
 古代アンデス文明もインカ帝国も、共に文字のない社会だったそうです。文字がないことが、文明や文化を発展させる上で、どのような事情や背景があったのか? まさに摩訶不思議なことだらけなのです。
 100枚以上の写真を映写しながらのお話でした。矢継ぎ早の語り口に、知らないことを知りたくなる心理を巧みについた、時間を忘れる講座でした。
 宮野先生、楽しい時間をありがとうございました。
 
 
 
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2018年12月13日

【聞き取り報告】今年から妊娠したら「妊婦加算」という罰金刑?がかかっていたこと

 今日、12月13日(木)のニュースで、見逃せないものが2件ありました。

(1)2019年度の税制改正で、シングルマザーなどの未婚の一人親に対して、住民税の軽減措置を導入することが検討されることになったようです。

(2)妊婦が病院で受診した場合、「妊婦加算」という自己負担が平成30年4月1日から請求されていました。それが、2020年度に向けて上乗せ徴収をせず、制度自体も廃止への検討が始まったそうです。

 この2件は、次の世代を担う子供たちに関係する問題です。これから、この社会から身を引いていく我が身のことを思い、さらにはこの世から姿を消していくことも切実な課題となってきた私には、この2件はいろいろと考えさせてくれるニュースです。

(1)は、今の私には喫緊の課題ではないので、しばらく措きます。

(2)は、我が家に直結する問題です。
 昨日、来年早々に第二子を出産する予定の家族が、「妊婦加算」と記された紙を見せてくれました。「妊婦加算」について私は、聞いたことがある程度の認識でした。 しかし、聞いてみると、とんでもないものであることがわかりました。マスコミなどの報道は、いろいろなところに配慮した書き振りです。しかし、実際に直面している家族の話を聞くと、他人事として評論家ぶっていてはいけないことを思い知らされました。
 妊婦の受診にあたっては、初診で750円、再診以降は毎回380円が加算されていたのです。しかも、手の込んだことに、この「妊婦加算」という文字列は、領収書には書かれていません。領収書の「初診・再診料」の欄にまとめて加算されています。それでは、「妊婦加算」という文字列や項目はどこに書かれているのかというと、もう1枚別の、明細書の中の「初診・再診料」の下の段に、紛れ込ませるようにこっそりと書かれていたのです。しかも、その明細書に印字されていた文字の大きさが、領収書よりも格段に小さい文字です。露骨にいやらしい手口です。まさに、妊娠したことに対する罰金刑です。
 これは、「妊婦税」だとも言われているようです。マスコミは、このことで不満を煽らないような書き方で、波風が最低限に収まるような記事に仕立てていました。しかし、これは、ありていに言えば、わかりやすく言えば、妊娠した人に対する罰金以外の何ものでもありません。省庁や医療関係者のコメントを引くマスコミの記事を通して見る限りでは、報道機関も含めて、自分とは関係ない広い視点からの聖人君子を気取った説明文にしか読めません。というよりも、今から遡ること8ヶ月前から実施されていたことであり、それに私が気付かなかっただけ、という問題ではすまないように思います。
 妊娠したというだけで、医療機関に支払うお金が10ヶ月で1万円以上も余分に払うことになるのです。妊娠しても、おちおち病院へなど行っていられません。その間に体調を崩しても、うかつに病院へも行けません。コンタクトレンズにも加算されるのです。
 妊婦の診察に「妊婦加算」が徴収されていることに関して、今日は大学で学生に聞いてみました。すると、ただの一人として、このことを知っている学生はいませんでした。これでは、「堕ろすしかない」という反応もいたしかたないと言えるでしょう。このままでいいのか、大いに疑問に思っていたところです。そこへ、上記のニュースにあるように、この「妊婦加算」の制度の廃止を検討するとのことです。
 私の家族は間に合わないにしても、若者たちが妊娠を避けるような制度は、早急にやめるべきです。これは、一人っ子政策よりも酷い、子供を産まないことを国が推奨することにつながるものとしか、私には思えません。それでいて、外国から労働者を受け入れる体勢を作ろうというのですから、こうした背景に何があるのか穿った見方をしてしまいます。
 思いもしなかった話を聞いた後に、上記のニュースに接したので、これも私が生きている時代にあった出来事として、ここに記し残しておきます。

 さらにいろいろなことを聞いています。以下に、その一端を紹介します。マスコミは、どうしたわけか、いつものように自制した記事を書いておられます。様子見なのでしょう。新聞記者も、平和が続く世の中の発想で仕事をしておられます。次の実際の事例のような調査は、なさっているのでしょうか。また、掌握しておられるのでしょうか。
(1)なぜ妊婦がやり玉に上がったのか。ストレスを溜めたくないのと、体がしんどいのとで、反抗しないから? せいぜい10ヶ月我慢すればいいことなので諦めるだろうと、妊婦がなめられて対象になったのでは?

(2)マスコミでは「保険診療では3割負担で100円ちょっと」と言われている。しかし、実際には妊娠に関わる診察は保険対象外(妊娠は病気じゃないから、らしい)だから、全額の750円とか380円を払うことが多い。産婦人科の診察でも取られる。だからマスコミとかで100円くらい払えよって言われるのは、何か違うと思う。

(3)10ヶ月の間に妊婦健診は、まじめに全部受けたら15回はある。これは最低限受けましょうって言われているもの。この他に、何か異常あれば病院へ行く(というか何も異常のない妊娠ってほとんどない)。最低でも20回は病院へ行くかな。

(3)病院を変えたらその度に初診になる。
 これ以外に歯医者(?)とか風邪とかで行っても取られる。

(4)でも、これはお金のことではない。要は、妊娠したら罰金みたいな、妊娠した奴はめんどくさいから病院に来るなよ、みたいなことが問題だと思う。

(5)おなかの子供が生まれて大きくなってから、このニュース見て、母親が妊婦罰金を払って自分が生まれたって知ったらどう思うだろう。そこも問題だと思う。

(6)ちなみに、「丁寧な診療」ってされた覚えはないですから。

 
 
 
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2018年12月12日

読書雑記(253)【復元】〈その5〉上映中の「ダ・ビンチ・コード」は編集変更版?

 消えたブログを、折々に復元しています。再構築できたもので、『ダ・ヴィンチ・コード』と『ユダの福音書』に関するシリーズ全5話については、これが最終話です。
 これまでに、これに関連する4本の記事は、以下の通りです。

「読書雑記(247)【復元】〈その1〉『ダ・ビンチ・コード」(2018年12月02日)

「読書雑記(248)【復元】〈その2〉「古代エジプト語(コプト語)の写本解読」(2018年12月03日)

「読書雑記(249)【復元】〈その3〉「空中分解する日本語訳」(2018年12月05日)

「読書雑記(250)【復元】〈その4〉『ユダの福音書を追え』のユダとは何者」(2018年12月09日)


(※以下の記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
2006年5月21日公開分
 
副題「撮影道具と物語展開がバラバラ」
 
 やはり突然でしたが、映画『ダ・ビンチ・コード』を、封切りの日に観に行きました。奈良の西大和にある小さな映画館です。観客はいっぱいでした。しかし、私にとっては大ハズレの映画でした。最近は、わざわざ映画館に脚を運んでも、ガッカリして帰ることが多いのです。そんなに観ないから、ということもあるのでしょうか。自分が時代遅れになったようで、選ぶセンスが狂ってきたのかもしれません。ことごとくハズレばかりを観ています。私の興味が、映画となったものとズレているとしか思えません。ただし、『たそがれ清兵衛』はいい映画だったと思います。鑑賞基準が違うせいだ、ということにしておきましょう。

 さて、『ダ・ビンチ・コード』というベストセラーの映画化も、期待を大きく裏切る出来の悪さでした。現今の映画は、楽しむためにはそれなりのルールがあり、その制約の中で観るようになっている、ということなのだとしたら、私には映画を観る資格はないと言えましょう。映画が私を楽しませてくれないし、うまく騙してくれないのです。
 それはともかく、以下は、とにかく思いつくままに。

 先月の、4月6日に「聖書の増補・改訂とは? ―知的な刺激に満ちた『ダ・ビンチ・コード』―」というタイトルで本ブログを書きました。そこで私は、「何かと話題になっている割には、この本はそんなに長く読みつがれることはないように思われます。おもしろい話です。しかし、その反面、飽きやすいともいえましょう。もう一度読もうとは思わない人が多いと思います。」と書きました。
 小説はいまいちでした。しかし、キリスト教に関する問題提起をしてくれたのは有益だったと思います。ちょうどいいタイミングで、つい先頃の4月7日に、『ユダの福音書』という1700年前のパピルス文書も解読されたというニュースが公表されたばかりです。これまでの常識を再検討することは、キリスト教の原点に目を向ける意味からも、意義深いことです。この小説はともかく、映画はそうした役割の一端を担うべきものでした。残念です。

 映画がわかりにくかったのは、どこに起因するのでしょうか。あらかじめ小説を読んでいたにもかかわらず、それでもストーリーを追うのに疲れました。また、映画は、字幕版と吹替版があり、私は内容をしっかりと理解したかったので、吹替版を観ました。字幕版は、会話が相当省略してあることが多いので、今回のように言葉による説明が大切な内容の時には、吹替版がいいと思います。そして、吹替版ですら内容がよくわからなかったのですから、字幕版の内容は、どの程度の翻訳だったのか、次に機会があれば、ぜひ字幕版を観たいと思います。

 映画館では、まずパンフレットを買いました。その巻頭見開きには、「ダ・ビンチは、その微笑みに、何を仕組んだのか。」とあります。

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 これは、モナリザの絵のことを言っているのでしょう。しかし、モナリザの絵は、この映画ではほんの一瞬しか出ませんし、話題の展開には大きな影響を持っていません。『最後の晩餐』についてのコメントならば、そのメッセージはパンフレットを手にした人に伝わります。なぜこんなことばが、巻頭にあるのでしょうか。

 主演のトム・ハンクスは、2004年にスピルバーグ監督の『ターミナル』に出ていました。その映画は、私にとっては作り話過ぎて、トム・ハンクスも大根役者を演じていたので失望しました。落ち目のアメリカを象徴する映画でした。今回の『ダ・ビンチ・コード』では、トム・ハンクスはがんばっていました。しかし、いかんせん台本が悪かったとしか言いようがありません。映像は良かったので、総合的な完成度の低さが惜しまれます。

 監督のロン・ハワードは、『ビューティフル・マインド』ですばらしい映画を作った人です。なぜこの『ダ・ビンチ・コード』がこんな不出来に終わっているのか不思議です。
 私の今の結論をメモとして記しておきます。撮影終了後のフイルムの編集段階で、内容が引き起こすキリスト教に関するさまざまな問題に配慮をしたために、当初の編集意図が変更されたのでは、と思われます。事実、この映画が上映されるや、世界各地で上映禁止が取りざたされています。バチカンの法王庁も、この映画は事実ではない作り話だとの声明を出しました。本来は、監督はもっと小説にあるがままに、ストレートにキリスト教に対する問題点を盛り込むつもりだったにもかかわらず、いろいろな状況により映像をつなぎ変えることとなり、結果的に撮影シーンの選択と物語展開がバラバラになったのではないか、と判断します。
 映画のパンフレットに、監督のインタビューが載っています。そこでハワードは、

この本ではキリストの人生について、衝撃的な説が展開されていますね。この説に、あなたは賛成ですか、反対ですか?

という質問に対して、次のように答えています。

このプロジェクトに携わった初期の段階で、僕はある決心をした。それは、僕自身がこれらの説についてどう思うかを、絶対表には出さないということだ。僕らの目的は、観客自身に考えてもらうこと。そして新鮮にミステリーやサスペンスの要素を楽しんでもらうこと。僕個人の意見を押し付けるのは、間違っている 。

 つまり、最初から監督のメッセージは封印されていたのです。これでは、いい映画になるはずがありません。
 ぜひ、監督が本当に作りたかった映画に再構築して、本来の物語展開にして観せてほしいものだと思います。話の切れ目がうまくつながっていないところも、丁寧に埋めたものにしてほしいものです。まさに、反応を恐れた妥協の産物に堕落したものとなっているのですから。

 映画パンフレットに、監督のハワードが語ったこととして、こんなことも記されていました。ここで彼とあるのは、小説の作者であるダン・ブラウンです。

彼が学んだり読んだりして得たものを我々が解釈していくうえで、彼は貴重な情報源となった。その情報の中には、彼が本を書いた後に発見したものもあって、それらも脚本に織り込まれている。だから、この映画は、ある意味で『ダ・ビンチ・コード』の最新版、注釈付きの『ダ・ビンチ・コード』なんだ

 それならなぜ、最近明らかになった『ユダの福音書』について、少しでもいいから触れなかったのでしょうか。関係者の間では、この文書のことは話題になっていました。もっとも、内容の不足を補強するには、時間が足りなかったのかもしれません。この映画がイマイチ盛り上がりに欠けるのは、こうした事情も関係しているのかもしれません。とにかく、監督がテーマから逃げていることは明らかです。
 さらには、小説も映画も、ルーブル美術館のガラスのピラミッドが活かされていません。聖杯に結びつけるために、無理やり持ち出したものとしか思えません。ルーブル美術館へ行ったことのある方には伝わるかと思います。
 これは、作り直してほしい映画です。編集し直してほしいものです。

 この映画は、莫大な興行収入が予測されています。ベストセラー小説とともに記録として残るでしょう。しかし、共に作品の寿命は短いものだと言えましょう。

********************** 以上、復元掲載 **********************
 
 
 
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2018年12月11日

読書雑記(252)小松左京『大阪万博奮闘記』

 『やぶれかぶれ青春記・大阪万博奮闘記』(小松左京、新潮文庫、平成30年10月)を読みました。

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 本書は、「第一部 やぶれかぶれ青春記」、「第二部 大阪万博奮闘記」の2部構成です。そして、「第二部 大阪万博奮闘記」は「ニッポン・七〇年代前夜」「万国博はもうはじまっている」「小松左京と走り抜けた日々」(加藤秀俊)の3本でまとめられています。以下では、この第二部に関して記します。

 大阪万博の言い出しっぺである小松左京氏が、梅棹忠夫氏や加藤秀俊氏に「万国博を考える会」の趣旨説明をするところ始まります(以下、敬称略)。
 昭和39年7月、小松は「万国博を考える会」を発足させました。その背景には、「京大人文研(京大霊長類学)」や「放送朝日」を通じての交流があったのです。

 まず、次の「国際」という言葉の意味の確認から。

名称も、当時新聞関係は「国際博」をつかっていたが、私たちは「万国博を考える会」にした。「万国博」という言葉は、何だか明治的で、語感として古めかしいのではないか、という意見も出たが、「国際」という単語こそ近代主義的−特に「戦後近代主義」的ニュアンスがつきまとっている、という梅棹氏の意見に、結局みんな賛成した。
「国際関係ちゅうと、特にインテリやエリートは、じきに欧米のことを思いうかべよるねン」と梅棹氏はいった。「中国との関係や、ネパールやザンビアとの関係を、国際問題と思いよれへん」
 とりわけ日本でおこなわれるとするならば、AA諸国の参加を重視しなければならないだろう、ということが、京都の発起人会の席上で、みんなの頭にすぐうかんだ。
(中略)
 いったい、関西で万国博を、という話がどこから出ているのかしらべると、どうやら通産省の輸出振興関係、それにジェトロもからんでいるらしい、ということがわかった。話の持ち上がったのも、ここ一年以内の話で、何しろまだオリンピックの方さえ開かれていないし、その成功か失敗かもわかからない状態なので、万国博が果して本当に開かれるかどうかもまだわからない。
 しめた、これなら今からトレースすれば、ある程度間にあうかも知れない、と私は思った。−その時は、まだ、自分たちが万国博を「つくる」側にまきこまれることになろうとは夢にも思わなかった。よくいえば純粋な好奇心、悪くいえばヤジ馬根性で、日本の社会の中で、この壮大なイヴェントがつくられ、利用されて行く過程を、傍でじっくりながめられると思ったのである。(255〜256頁)


 昭和15年の「皇紀」二千六百年記念に計画された、いわゆる「幻の東京万国博」のテーマは、「東西文化の融合」だったことについて、西田哲学の影響か? と小松は言います。会場は晴海あたりが想定されていたようです。こうした、大阪万博の背景にある政治がらみの話は、興味深いものがあります。
 この「考える会」の存在は、万国博の批判団体だとか、万国博協会と敵対関係にあるものだと思われていたそうです。そうした背景も、ユーモア交じりに語られています。

 小松は、「飴が歯にくっついたみたいな」万博協会とは直接折衝しなくてもいいように、深く関わらないようにして、距離を置くことに腐心しておられる姿がよく伝わってきます。お役所仕事には、徹底抗戦の様相です。岡本太郎とのくだりは鮮やかです。国家的な事業におけるお役所仕事の優柔不断さへの嫌悪は、身に染みておられたからでしょう。

 予算といえば、あの「エキスポの顔」といわれた高さ六十メートルの名物「太陽の塔」があやうく消えかかったことがある。テーマ展示の総予算は前にもいったように建設費こみのあら見積もりで三十億は必要だと、岡本氏のスタッフははじき出していた。(この金額で理事会で説明する時、岡本氏はテーマ展示には、「最低三十万円」必要だ、とやってしまった。石坂会長の「明治四十五年の万国博」とともに万国博の二大迷言とされている)
 大蔵省筋はこの規模を内々に承認していたが、監督官庁の通産側は、あまり正面に大きなものを建てられると、ホストカントリーの日本政府館が目立たなくなる、という理由で強硬に反対した。テーマ展示の総予算はせいぜい三、四億でいい、というのだ。モントリオールのテーマ予算百億と大変なひらきだ。そんな予算ではとてもテーマ展示はできないとプロデューサー側がいうと、もともとテーマなんてものは万国博にはいらないものだ、とまで極言した。(339頁)


 全編、熱気が伝わってくる文章でした。
 そして今に目を転じ、先月に開催が決定したばかりの2025年大阪万博について、現在はどのようにものごとが動いているのか、興味が湧いてきました。小松らのように、真摯な議論と検討がどこで、誰が、どのようにしてなさっているのでしょうか。いつの日にか、後日談としての「2025年 大阪万博奮闘記」を読みたいと思います。

 本書は、2025年の大阪万博が決定(2018年11月24日)を見越した刊行だけに、タイムリーな復刻版となっています。これからの2025年大阪万博の動きと比較する参考情報として、格好の資料だと思います。【4】
 
 
初出誌︰巻末に以下の情報が記されています。
「ニッポン・七〇年代前夜」
初出 『文藝春秋』(文藝春秋)一九七一年二月号
書籍 『巨大プロジェクト動く』(廣済堂出版、一九九四年七月)
   『小松左京全集完全版47』(城西国際大学出版会、二〇一七年六月)
   *『文藝春秋』記事を底本とした。

「万国博はもうはじまっている」
初出 「万国博覧会資料」一九六六年
書籍 『未来図の世界』(講談社、一九六六年九月)
   『小松左京全集完全版28』(城西国際大学出版会、二〇〇六年十月)
   *講談社『未来図の世界』を底本とした。「万国博覧会資料」の現物は確認できていないが、万博協会関係者によれば、六六年七月より、万博協会主催で国内企業の参加奨励のための説明会が行われ、小松は丹下健三と共にその講師を務めた。本稿は、理念を担当した小松が説明会の資料用に書いた文章であると推測される。同資料の現物をお持ちの方は、編集部までご一報ください。

 
 
 
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2018年12月10日

読書雑記(251)河添房江著『源氏物語越境論』から科研の現状を想う

 河添房江氏の『源氏物語越境論 唐物表象と物語享受の諸相』(岩波書店、2018年12月7日)が刊行されました。

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 本書に収録されている諸論稿の中でも、第三編の3本の論稿は、広く読まれるようになればいいと思い続けていたものです。
第三編 近現代における受容と創造
 第一章 国民文学としての『源氏物語』――文体の創造
 第二章 現代語訳と近代文学――与謝野晶子と谷崎潤一郎
 第三章 翻訳と現代語訳の異文化交流――世界文学へ

 それが、読みやすく整理されてまとまっているのを確認し、一人勝手に安堵しました。
 自分の興味と関心のありようから、与謝野晶子と谷崎潤一郎には思い入れがあります。それ以上に、『源氏物語』の受容に関する問題として、世界各国で翻訳されているものを対照とした研究が広がればいいと願い、折々に機会を得てはその話をしてきました。特に若い方々には、これから取り組む研究テーマの一つとして、問題意識を持っていただきたいと思っていたものです。メインでなくてもいいのです。主食でなくてもいいのです。幅広くものを見る上で、このテーマは大切だとの思いからでした。
 今回、本書の第三編の中でも、特に「第三章 翻訳と現代語訳の異文化交流――世界文学へ」は、現在私が取り組んでいる科学研究費補助金による研究(「海外における平安文学及び多言語翻訳に関する研究」)との関連から、周りにいらっしゃる方々に、ぜひとも読んでくださいと言える章となっています。
 この章は、本書の中では周縁に位置するものです。けっして、メインのテーマではありません。河添氏がおもちの多くのテーマを、側面から支える1つのものでしかありません。しかし、私には、まずはこの章だけで満足をしています。この章が置かれているだけで、河添氏に感謝したい気持ちです。
 さらには、この章の後注で次のような記述があり、これに勇気づけられました。

(1)伊藤鉄也氏の「海外源氏情報」のサイト(http://genjiito.org/)では、『源氏物語』翻訳史として、一八八二年の末松の英訳から、最新の二〇一六年の朴光華のハングル訳の夕顔巻まで、各国の翻訳情報を計二九〇件、挙げている。その他、このサイトでは、『源氏物語』や平安文学の翻訳や国際会議、国際共同研究に関する諸情報やオンライン・ジャーナル(「海外平安文学研究ジャーナル」vol.1.0〜6.0)が提供されており有益である。


 個人的に取り組んでいる地味な調査の報告にもかかわらず、このようにして紹介していただけたことを、ありがたく思います。私だけではなくて、私のまわりで情報収集や資料の整理のお手伝いをしてくださっている多くの方々に、お役に立っているのだということを実感できる、心強い支援となっているのです。
 これまで、自分が論文の書き手であった頃には、このような注記が持つ意義や側面に意識が向いていませんでした。新たな生活の中で、1つの注が意外な研究支援の役割を果たすことを、今さらながらあらためて知らされました。他人さまにとっては、本当に些細なことです。どうでもいいことでしょう。しかし、このようなものの見方ができるようになったことを、自分一人で嬉しく思っています。

 今、この注の中で紹介されている「海外源氏情報」(http://genjiito.org)は、さまざまな問題に巻き込まれ、新しく予定している[海外平安文学情報]に移行できずにもがいているところです。最近は、その状況を、次のブログの記事にしています。

「科研のHP[海外へいあんぶんがく情報]が半歩前進」(2018年11月24日)

「科研[海外へいあんぶんがく情報]のHPが本格的に始動」(2018年11月29日)

 しかし、先週からこのホームページの移築がストップを余儀なくされています。外圧と無理解により、なかなか思うように進みません。

 川添氏の論稿の中の1つの注記から、このサイト「海外源氏情報」(http://genjiito.org)がお役に立っていることを、あらためて実感しました。現在、私を取り巻く周辺で生起する雑音に負けることなく、研究協力者とともに着実に前を見て[海外平安文学情報]のサイトの移築に向かって突き進んでいきたいとの思いを強くしました。

 以上、あまりにも個人的な感懐となりました。この記事がブログである、ということでご寛恕のほどを願います。
 それはさておき、本書の全体像を知るためにも、岩波書店のホームページから目次を引き、拙文の欠を補っておきます。

序 二つの越境――異文化接触とメディア変奏

凡 例

第T部 東アジア世界のなかの平安物語

第一編 威信財としての唐物
 第一章 『竹取物語』と東アジア世界――難題求婚譚を中心に
 第二章 『うつほ物語』の異国意識と唐物――「高麗」「唐土」「波斯国」
 第三章 『枕草子』の唐物賛美―― 一条朝の文学と東アジア

第二編 『源氏物語』の和漢意識
 第一章 高麗人観相の場面――東アジア世界の主人公
 第二章 唐物派の女君と和漢意識――明石の君を起点として
 第三章 梅枝巻の天皇――嵯峨朝・仁明朝と対外関係
 第四章 和漢並立から和漢融和へ――文化的指導者としての光源氏

第三編 異国憧憬の変容
 第一章 平安物語における異国意識の再編――『源氏物語』から平安後期物語へ
 第二章 『栄花物語』の唐物と異国意識――相対化される「唐土」
 第三章 平家一族と唐物――中世へ

第U部 『源氏物語』のメディア変奏

第一編 源氏絵の図像学
 第一章 「源氏物語絵巻」と『源氏物語』――時間の重層化と多義的な解釈
 第二章 「橋姫」の段の多層的時間――抜書的手法と連想のメカニズム
 第三章 「源氏物語絵巻」の色彩表象――暖色・寒色・モノクローム
 第四章 源氏絵に描かれた衣装――図様主義から原文主義へ
 第五章 源氏絵に描かれた唐物――異国意識の推移

第二編 源氏能への転位
 第一章 『葵上』と『野宮』のドラマトゥルギー――葵巻・賢木巻からの反照
 第二章 『半蔀』のドラマトゥルギー――夕顔巻からの転調
 第三章 『住吉詣』のドラマトゥルギー――澪標巻のことばへ

第三編 近現代における受容と創造
 第一章 国民文学としての『源氏物語』――文体の創造
 第二章 現代語訳と近代文学――与謝野晶子と谷崎潤一郎
 第三章 翻訳と現代語訳の異文化交流――世界文学へ


初出一覧
あとがき
索 引

 
 
 
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2018年12月09日

読書雑記(250)【復元】〈その4〉『ユダの福音書を追え』のユダとは何者?

 これまでに、情報発信の母体としていたプロバイダのサーバーがクラッシュしたり廃業するなどによって、公開していたブログの記事が消滅したものが数多くあります。その内、探し出せた文章などを整理して、このように復元を続けています。
 今回は、『ダ・ヴィンチ・コード』と『ユダの福音書』に関するシリーズ全5話の内の、四つ目の記事の復元です。
 いずれも、『源氏物語』の生々流転を考えるときの参考になる事例だと思い、再建してここに残して置きます。

(※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)

********************** 以下、復元掲載 **********************
 
2006年5月19日公開分
 
副題「新発見の古文書が語るドラマチックな流転の物語」

 今月の2日に『ユダの福音書を追え』(日経ナショナルジオグラフィック社)が発売されると同時に本書を買い、数日で一気に読み終えました。古書をめぐる、古美術商とその流転の物語です。ここで言う古書とは、『ユダの福音書』という1700年前のパピルス文書です。そのドラマチックな変転の軌跡を、推理仕立てで語っています。
 転々とするこの本の最終的な行方は、すでにニュースで知っているとはいえ、その背景の複雑さと数奇な運命に驚嘆するばかりです。本と人との波乱万丈の巡り合いが、次から次へと意外な展開の中で語られるので、休む暇なく読み耽ってしまいました。

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 『源氏物語』にも、このようなドラマがあってもいいと思います。いや、近い将来、こんな展開が日本でもありそうに思えました。『ユダの福音書を追え』を読み終えた満足感のまま半月が過ぎた頃に、そうだブログに書くのだった、と思い出したしだいです。ちょうど、今日は映画『ダ・ヴィンチ・コード』の封切り日です。この映画をいつ見に行こうかと、何かと忙しい日々の中で、その日の設定を思案しています。どうも難しいのです。突然映画館へ行くことになるはずです。

 さて、本書の冒頭に「BCE」と「CE」という略号の説明があります。世界史の時代区分の用語である「紀元前」と「紀元後」のことなのですが、この新語を今回初めて知りました。私はこれまでは、「B.C.」(before Christ)と「A.D.」(anno Domini)という略称で覚えていました。学校でそう教わったのです。しかし、今は「B.C.」は「BCE」(before Common Era)、「A.D.」は「CE」(Common Era)と言うのだそうです。これは、あくまでも特定の文化圏の時代区分を、別の文化圏に押し付けないための配慮なのだそうです。イエス・キリストの誕生年を基準にした西暦に違和感を抱いていた私は、この説明なら西暦のありように理解を示すことができます。この西暦を日本人が使うかどうかは、今は別の問題としておきます。

 それにしても、イエス・キリストとは何者なのか、本書を読んでみて、ますますわからなくなりました。

 これから本書を読まれる方の興味を削がないためにも、ここでは私の気を引いた箇所だけを紹介します。

この写本は二十年近くもの間、買い手を求めてエジプトから持ち出され、ヨーロッパから米国へと転々としていた。(379頁)


 これまでに運命的な出会いによって発見紹介された『源氏物語』の古写本も、それぞれが数奇な運命を背負っていました。もっとも、海外で発見されたものはないので、ドラマ性は低いのですが。私は、インドと中国にあるはずの、伝阿仏尼筆本と従一位麗子本の出現を心待ちにしています。

・問題の写本を持っていた古美術商のハンナは「ナイル・ヒルトンのコーヒーショップで待ちあわせすることもあっただろう。」(75頁)とあります。このカイロの中心地にあるホテルは、私が昨秋泊っていた所で、このコーヒーショップに、私も毎日いました。この物語が、俄然身近に感じられました。

カイロに移されたこのパピルスの写本には、歴史上最も有名な裏切りに関する異説が述べられ、ほとんど誰もが信じてきた事実がくつがえされていた。イエスが弟子の一人の裏切りによって磔刑にかけられたことは、ずっとキリスト教の教義の要だった。(改行) ところが、新たに見つかった福音書には、ユダはただ師イエスに言われたことをしただけ、という驚くべき記述があったのだ。(77頁)


 いわゆる常識となっていたものへの懐疑は、いつの世にもその検証が必要なようです。

キリスト教の歴史が始まってからずっと、キリスト教徒は、イエスはユダヤ人のせいで殺されたと非難し、ユダはイエスを裏切ったユダヤ人の象徴であった。もし、本当にイエスとユダが、ユダの使命について示し合わせていたのなら、ユダヤ人とキリスト教徒の関係のとらえ方も変わってくる。(81頁)


キリスト教を、ユダヤ人以外の人々にも分かりやすく伝えたのは、パウロの大きな功績のひとつだった。(中略)パウロの不断の努力が実って、キリスト教は、ユダヤ教という母体から離れ、独自の宗教としての地位を確立していく。(245頁)


『ユダの福音書』は、新約聖書とほぼ同時代か、ほんの少し後で書かれたものだ。そしてこの文書は、ユダが正しい行動をとったと擁護している。(201頁)


 本当に、キリスト教とは何かが、改めて問われる時代に入ったと思います。もっとも、無宗教の典型的な日本人を自負する私は、この問題に切実さは感じないのですが。
 従来のキリスト教の教義を信奉していた方々は、こうした資料の出現に対して、どのように思っておられるのでしょうか。

巻物ではない冊子本の写本は、聖典や古い文書の原典を複写したものである。巻物よりもずっと多くの分量を記すことができ、取り扱いも容易なため、初期キリスト教の教徒は冊子本を用いた。(178頁)


 『源氏物語』にも、絵巻詞書と冊子本があります。最初の『源氏物語』は、巻物だったのか冊子本だったのか。私は、当初の物語は巻物形式だったと思います。それを整理した段階のものが、冊子本だと思っています。

キリスト教正典としての新約聖書は徐々に形成されていき、完成するまで何世紀もかかった。(248頁)


 そうです。わが『源氏物語』も、長い時間の中で成長し文字として固定したのだと、私は勝手に思っています。

初期キリスト教の世界は波乱に満ち、福音書にしても、現在新約聖書に収録されている四つだけでなく、三十以上も流布していて、それぞれが正典であると主張していた。(249頁)


 『源氏物語』も、平安時代の末期から鎌倉時代にかけて、たくさんの写本が伝えられていました。それが、徐々に整理され、五十四巻にまとめられ、統合して一つの証本なるものが定められて来ました。どの国にでも、同じような経緯があるようです。

エイレナイオスは(中略)、福音書は四種類だけであって、多数存在してはならないと宣言した。四と言う数は意味があって、(中略)福音書も四つでなければならなかった。福音書として認められるのは、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネのみであり、いずれも神の啓示を受けたものとされた。のちに、この四つが正典福音書となる。(259頁)


 日本でも、三とか六とか八は神聖数とされてきました。どこの国でも、特別の意味を持つ数字があるものです。

こうした著作が消えていったのは、古代から中世にかけて、筆記者が書写をやめたからである。プロフェッショナルの筆記者が模写を行うのは、そういう依頼があって、報酬が支払われる場合だけである。キリスト教の教典が神学理論にとって不要、あるいは危険と判断されたら、そうした書物の模写を依頼する者はいないし、筆記者自身が仕事を拒絶した可能性もある。現存しているキリスト教関係の手稿本のほとんどは、独立したプロフェッショナルの筆記者ではなく、修道院で製作されたものである。「異端」の書の書写を、修道院長が認めるはずがない。また本の材料や書写サービスは、とくに古代には費用がかかるものだったので、需要のない書物はすぐに消えていった。(271頁)


 『源氏物語』も、書写を専門とする人たちの一団がいて、お金をもらって書写していました。いわゆる賃書きです。奈良の天理近辺にもいたようです。『源氏物語』が普及するにともなって、異本や異文は書写されなくなります。私は、この書写されなくなっていった本文である〈別本群〉に興味を持っています。『源氏物語』の本文についても、まだまだ解明されていないことが多いのです。

『ユダの福音書』が写本専用の写字室で作成されたものであるのは明らか(359頁)


 『源氏物語』の別本と言われるものが、ほとんど今に伝わらないのは何故なのか、という疑問に関連することだと思われます。古典の伝流と、その裏側にいる書写者の存在について、注意しておきたいものです。

・放射性炭素年代測定によると、「ユダの文書が作成されたのは紀元二四〇年から三二〇年の間」(351頁)ということになっています。
 『源氏物語』の鎌倉期の古写本に対して、このような調査の手が延びることを期待しています。

『ユダの福音書』の中のイエスは大いに笑い、地上に生きる人々のありとあらゆる欠点や、さまざまな個性の中にたっぷりとユーモアを見出している(354頁)


 キリストは、四箇所で笑っているそうです。キリストは人間とどう違うかを考える上で、非常に大切なポイントだと思われます。

『ユダの福音書』には、その後の歴史においてユダヤ人に対する蔑視や大量虐殺、あるいはナチの強制収容所における大虐殺を引き起こすことになる。いわゆる血の中傷をもたらすような内容は記されていない。ユダは、イエスに愛された弟子として、崇拝する主の意向に従ったのだ。(374頁)


 世界史の再検討を促すような話です。

 なお、『ユダの福音書』に関する内容と問題点だけを知りたい方は、『ナショナルグラフィック日本版 ユダの福音書を追う』(2006年5月号、日経ナショナルジオグラフィック社)という雑誌を読まれることを薦めます。

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 私は、こちらの方から読みました。もっともこれは、書籍に先立つ4月28日に発売になった、という事情もありますが。こちらを読んで、興味が掻き立てられたら書籍の『ユダの福音書を追え』を読んで、本をめぐるドラマに参加したらいいと思います。

 冊子には、次のことばが記されています。

レマン湖にある建物では今も、専門家がばらばらになったパピルス文書の修復作業を続けている。―現代によみがえったユダが、まもなくその姿を現そうとしている。(58頁)


 こうした基礎的な資料の検討は、評価は低いのが実情です。しかし、ぜひみんなで継承したい仕事だと思います。目先の成果よりも、近い将来を見据えての評価と提言の方が、今は大切なことではないでしょうか。
 
 
 
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2018年12月08日

大学コンソーシアム大阪で『伊勢物語』を語る -2018-

 大阪駅前第2ビル4階にある「キャンパスポート大阪」で、特定非営利活動法人 大学コンソーシアム大阪が開催する講座で講義をしてきました。

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 昨年の開講日は、1月下旬ということもあって雪の日でした。今日は年末なので、昨日よりも少し寒いだけです。それでも、日本海側は昨日から雪模様となっているようです。

 今年は「ツーリズムと社会」というテーマでの開講です。私のタイトルは、「『伊勢物語』と大阪」にしました。
 今回の参加者30名の所属は、以下の通りでした。半数は4回生のようです。

大阪市立大学・大阪府立大学・追手門学院大学・大阪経済大学・大阪国際大学・関西外国語大学・近畿大学・相愛大学・阪南大学


 昨年の様子については、次のブログを参照願います。

「「キャンパスポート大阪」で「源氏物語と大阪」と題する講義をして」(2017年07月01日)

「大学コンソーシアム大阪で『伊勢物語』を語る」(2018年01月27日)

 この講座を受講されているみなさんは、文学を専攻している学生さんではありません。昨年の反応を見て、今年は取り扱う作品の内容をもっと丁寧に語ることにしました。
 『伊勢物語』に関しては、今年も第23段の河内高安の里の話である「筒井筒」の段を取り上げました。奈良と大阪を舞台とするので、看板である観光と関係づけしやすいためです。

 物語本文は、男と女の恋愛心理を丹念に読み解き、その気持ちの揺れ動きを詳しく追っていきました。日ごろは、こうした文学との接点が薄い学生が多いせいか、その反応は十分には読み取れませんでした。しかし、終了後に話に来た学生がいたので、興味の一旦はくすぐったのではないか、と思っています。

 今回も、『伊勢物語』の複製の影印本2種類を回覧しました。これは、古典文学作品を扱う時の、私の流儀です。活字で作品を読むことになるにしても、元々は写本であったことの確認は大事なことの一つにしているのです。そして、『伊勢物語』にも異文が伝わっていることも、忘れることなく話しました。

 今年の大学コンソーシアム大阪での講座は、今回の一回だけです。昨年は二回ありました。これは意義深い連続講座だと思います。しかし、大学としてはこの取り組みは今年までとして、来年度からは実施しないとのことです。縮小し、消滅していくイベントとなるようです。こうした催しは、大学の存在や、先生方の研究内容を知っていただくためにも、よい機会だと思います。それがなくなるのは、もったいないことです。何らかの形で、社会人講座も含めて、積極的に社会に問いかけていくことが大事です。あらためての企画に期待したいと思います。
 
 
 
posted by genjiito at 19:39| Comment(0) | ■講座学習

2018年12月07日

メリッサ・マコーミック編著『The Tale of Genji : A Visual Companion』

 ハーバード大学のメリッサ・マコーミック(Melissa McCormick)先生が、ハーバード大学美術館所蔵の『源氏物語画帖』を、プリンストン大学出版社から美麗な美術研究書として刊行なさいました。

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 日本美術と文化の研究成果が、このように豪華な一書としてまとまったのです。『源氏物語画帖』がフルカラーで自由に確認できるようになったことは、『源氏物語』の受容史のみならず、日本文化史においても画期的なことです。
 本書は、巻頭に解説を置き、絵と詞を左右に配して54図を見開きで掲載し、その絵の詳細な解説を続く見開きで展開する構成となっています。巻末には詳細な索引もあり、利用者への細やかな心遣いがなされています。
 見開きの各画帖には、場面解説(英文)・ローマ字・翻字が添えてあり、わかりやすい『源氏物語』の絵解きに接することができます。

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 この画帖の絵は土佐光信らが、詞は三条西実隆などが筆を揮っています。まとまった画帖としては、現存最古のものだと言えます。私は、精密な絵はもちろんのこと、特に詞の力強い文字に惹かれます。

 これまでに、この画帖には3回ほど、間近に接する機会を得ています。直近では、今年の8月にハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「須磨」「蜻蛉」の原本調査でボストンへ行った折に、メリッサ先生のご高配により直々のご説明を伺いながら画帖を拝見することができました。その時のことは、「ハーバードのフォグミュージアムで古写本『源氏物語』の調査」(2018年08月29日)に記録として残しています。

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 今回のご著書では、詞の翻字に関して少しお手伝いをしました。本書では、明治33年に平仮名が1文字に統制された時の方針によって、現在一般に流布する五十音の平仮名で翻字がなされています。しかし、もし可能であれば、字母が明確に識別できる「変体仮名翻字版」で翻字をすると、実際に書かれた文字と整合性をもった仮名文字として対照しやすくなります。現行の方式の翻字では、不正確な文字に置き換えられています。実際には「古」と書いてあるのに、それを仮名表記の統一ということで「こ」に置き換えて読むのですから、崩し字の初学者は混乱します。その翻字から、元の仮名文字に戻れないのですから、厳密に言うと嘘の翻字ということになります。ジレンマに陥るところです。
 たとえば、この「桐壺」の「変体仮名翻字版」による翻字は、次のようになります。

古濃【君】の【御】わらは春可た
い登可遍万うくお本せと【十】
【二】尓て【御元服】志多ま婦ゐ
多ちおほしいとな三てかきり
あ類【事】尓古とをそへ佐せ【給】


 実は、今回の翻字のお手伝いをした時に、併せて「変体仮名翻字版」のデータを同時に作成しておきました。何らかの形で、変体仮名交じりの正確な翻字がお役に立てばいいのに、と思っています。

 さらには、解説などを日本語にしてもらえると、英語がわからない私にも親しく読める本となり大助かりです。

 とにかく、『源氏物語画帖』を繙くすばらしい環境が提供されました。日本の古典文学や古典文化に親しめる、道案内の書となるにちがいありません。一人でも多くの方が手に取ってご覧になることを願っています。
 
 
 
posted by genjiito at 23:49| Comment(0) | ■変体仮名

2018年12月06日

キャリアアップ講座(その13)『源氏物語』のくずし字を読む(書写者の交代)

 昨日(12月5日)の京都新聞に、国宝の『源氏物語絵巻』が修復を終え、額面装に改装されていたものを、あらためて本来の巻物装に作り変えて展示されていることが報じられていました。83年ぶりに巻物に仕立て直したとのことです。

 この記事を受けて、今日の社会人講座では、まずは巻物がどのようなものであるのかを、架蔵の巻子を持参して見てもらいました。巻物の表装や大きさ、重さ、長さ、紙質などは、実際に触って見ないとわかりません。とにかく、我が身の五感を使って実感することが大事です。この講座では、その実践活動もしています。

 また、林望氏の『謹訳 源氏物語』を回覧し、その背表紙を外すと現れる造本のおもしろさも、実見してもらいました。書店でカバーを外すことはしないので、これには驚いておられました。
 いつものことながら、たくさんの質問をいただき、私がお答えできる範囲で説明しました。みなさん、知的好奇心が旺盛な方々なので、楽しい意見交換ができます。

 写本を読む本来の講座では、前回が1行半しか見られなかったこともあり、今日はとにかく進みました。10丁裏2行目の「志の者累ゝ」からです。

 順調に字母を確認しながら変体仮名を読み進めて行き、12丁裏に入ったところで書写が不正確なものが目立つ所で立ち止まりました。そして、その見開き左右頁(12丁裏、13丁表)に書き写されている文字の雰囲気が異なることを、時間をかけて確認しました。

 私の意見は、右丁にあたる12丁裏だけは書き手が違うのではないか、ということです。
 その推測の理由を以下に記しておきます。

 12丁表の最後に「とうさい【将】」と書いてから紙をめくって次の裏丁(12丁裏)に「なと」と書き出します。この改丁後に「なと」と書く時に別人とバトンタッチし、そのまま12丁裏を書き写したと思われます。前の丁末で黒々と「とうさい【将】」と書いてあるのに、次の丁の「なと」は墨が薄くなっています。ここにしばらくの時間差があったことは明らかです。書き手の交代の間に少し時間を要した、と思われます。
 次の写真をご覧ください。これは、12丁裏から13丁表に丁が変わる所の3行を抜き出し、画像処理をしたものです。白黒反転して、文字のエッジを明確にしてみました。

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 この写真の右側3行が、12丁裏の最終3行です。この丁末にあたる「堂ゝ【人】さ満尓」と書いた書写者は、次の紙の13丁表を書く時に元の書写者と入れ替わって「おほし可へ里て」と書き始めたのではないか、と考えてみたいのです。左右の文字の形や雰囲気の違いが、この写真だけからもわかります。
 私がよく言う、トイレに行ったのか、来客があったのか、何か用事があったために、一時的に弟子か家族に筆写を交代したのではないか、という想定です。
 この前後の書写状態で確認できるように、丁が変わる時の丁末の文字の濃淡や書写ミスと、次の丁のはじめの文字の墨色や書写ミスが多くなっていることなどが、その書写者の一時的な交代という可能性の高さを見せています。

 写本を読む時には、ただ単に文字を追いかけていくだけでは飽きます。書写されているその現場を思い浮かべながら文字を見ていくことで、書写者が置かれている環境や背景などがいろいろと想像できて楽しめます。そんな楽しさを、どうぞ味わってみてください。新しい写本の読み方につながると思います。
 
 
 
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ■講座学習

2018年12月05日

読書雑記(249)【復元】〈その3〉「空中分解する日本語訳」

 これまでにブログとして公開しながらも、何度も消え去った記事を復元したものです。
 今回は、2006年4月8日に公開した、「読書雑記(248)【復元】「古代エジプト語(コプト語)の写本解読」」(2018年12月03日)に続くものです。これは全5回で構成されており、その内の3つ目の記事になります。

(※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
2006年4月8日公開分
 
副題「原書はどんな文章なのでしょうか」
 
 久しぶりにハズレの本を読むことになりました。
 先日のブログで触れた『ダ・ビンチ・コード・デコーデッド』(集英社、2006.4.10)は、目次と小見出しに釣られて買った本でした。既述の通り、『ダ・ビンチ・コード』を読み終わったので、早速、本書を手にしました。読んでみてガッカリ。半ばまでは、まったくおもしろくありません。というより、日本語の文章がすんなりと入ってきません。知識の断片がこれでもかと飛び交うだけで、キリスト教に素人の私には、とてもついて行けません。話が次から次へと展開し、あっちへ跳びこっちへ跳びしているうちに、内容が空中分解していくのです。私には、そうとしか感じられず、本当に字面を流し読みするしかありませんでした。

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 半ばを過ぎたころに、こんな文字列に、フト目が留まりました。

キリスト教徒の休日は土曜日から日曜日に変更され、ユダヤ教とキリスト教との間の距離が広がった。しかも、かつてキリストの誕生日は一月六日に祝われていた。(127頁)


 しかし、この話題もおもしろくならないままに、すぐに終息します。楽しそうなネタが並んでいるようなのです。しかし、原作者が話ベタなのか、それとも日本語の翻訳がうまくいかなかったのか、本当に気の毒な本になっています。
 一見して豊富そうなネタを、読者のほうで繋ぎ合わせて楽しめる人にとっては、意義深い本なのでしょう。しかし、私には、とてもついて行けません。原作が酷いのか、日本語訳に問題があるのか、あるいは読者を選ぶ本なのか。私とは相性の合わない本であったことは確かです。自分の理解力の欠如は、今は目を瞑ります。
 後半に、教訓書からの次の引用がなされています。皮肉にも、これは私にとっての本書のことを言い当てているようなので、ついチェックをしてしまいました。

本を買うときには必ず、博学で慎重なキリスト者の忠告を仰ぐようにしよう。無益なものや、有害なものを買ってしまうかもしれないから。本をかかえていると思ってはいるが、ごみ袋を持ち歩いている人が実に多い(127頁)


 言いえて妙、とはこのことでしょうか。私は、しっかりと、ごみ袋を抱えてしまいました。

 あまり貶してばかりではいけないので、本書を読んで少し勉強になったことも記しておきましょう。第五章(123頁)と第七章(158頁)にある以下の文章は、今後の確認事項になるかもしれません。前述の「キリストの誕生日」のことも、この部分にあります。これらは、本当は、本書で詳しく、楽しく述べておいてほしいことなのですが。

コンスタンティヌスは歴史の書き換えを決行する機会をつかみ、新版・新約聖書の編纂を命じた。キリスト教の指導者たちが適切だと判断した範囲内で、自由な創作が認められたのだ。〈改行〉 これの意味するところは、現在我々の元にある新約聖書は、四世紀に、コンスタンティヌスにとって好ましい政治的意図をもって書かれたということである。それは、アメリカ大統領が、自分の政治的目標と合致するようにシェクスピアを修正するようなものだ。
(中略)我々の知っているキリスト教の創立者は一世紀のイエス・キリストではなく、四世紀のコンスタンティヌスとなる。(「新約聖書の書き換え」の項、129頁・131頁)
 
 
我々が信じ込むよう仕向けられたもう一つの誤解は、ユダによるイエスへの裏切りである。ユダが、自分にとって不利であるにもかかわらず、警戒されているキリストの使徒だと宣伝することは不自然であり、彼がこの役割に選ばれたのは、反ユダ的策略の一環である。イエスの告発を招いたとされているユダヤの人びとと、名前が似ているためだった。(「ユダの〈裏切り〉」の項、156頁)


 この指摘は、昨日のニュースで発表された、2世紀に異端の禁書として文献に出てくる〈ユダの福音書〉の解読のことなどは、まったく知られていない時点で書かれたものです。「反ユダ的策略の一環」というのは問題ですが、ユダの裏切りへの著者なりの疑問は、もっと信念を持って書き込めばよかたっのにと、惜しまれます。

福音書の中には、キリスト教の〈公認路線〉に合致しないために切り捨てられたものもある。元来の、互いに矛盾するマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書は、その時々の流儀と政治的傾向に沿って訳され、書き換えられてきた。五千ほど現存する新約聖書の写本の中に、四世紀以前のものはない。昔の柄と刃がその時々に取り換えられてはいても、提示されているのは原初のキリスト教の斧だと信じる者もいるようだが、それは明らかに間違っている。(「福音書の書き換え」の項、157頁)


 ここに、「四世紀以前のものはない」とあります。しかし、昨日のニュースによると、2世紀には確認されている〈ユダの福音書〉の解読に成功したのですから、これからの進展が楽しみです。

 結局、私はこの本を、読み飛ばすことになりました。これだけ氾濫する出版物の中から選択するのですから、こんなこともある、という例として記しておきます。

********************** 以上、復元掲載 **********************
 
 
 
 
posted by genjiito at 20:06| Comment(0) | ■読書雑記

2018年12月04日

京洛逍遥(523)京都造形芸術大学から北の紅葉 -2018-

 京都造形芸術大学の北東は、宮本武蔵で知られる一乗寺地域です。その白川通りの山側一帯を、紅葉を求めて散策しました。

 本願寺北山別院は、気楽に参拝できます。

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 その南側の金福寺も、すばらしいところです。

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 散り敷く黄葉を踏みしだきながら、急な坂道を裏山に上がると、波切不動尊に至ります。

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 裏手には、水行の滝がありました。カーテンやハンガーの向こうに、一筋の落水とお不動さんが見えます。

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 さらに山道を登ると、あまりの急勾配で息が切れました。

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 続く獣道のような狭い山道を下ると、八大神社の境内に出ます。すると、剣豪宮本武蔵が迎えてくれました。

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 八大神社の手前には、詩仙堂があります。多くの方がここを訪れておられたのでパス。

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 用事のあった京都造形芸術大学の構内からは、こんな景色が望めました。

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 大学を出る頃には、曇り空が突然の大雨となっていました。
 今年は少し遅いながらも、こんな紅葉狩りが楽しめました。
 
 
 
posted by genjiito at 19:18| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2018年12月03日

読書雑記(248)【復元】〈その2〉「古代エジプト語(コプト語)の写本解読」

 これまでにブログとして公開しながらも、何度も消え去った記事の復元です。
 今回は、2006年4月6日に公開した、「読書雑記(247)【復元】『ダ・ビンチ・コード』」(2018年12月02日)に続いて書いた記事です。

(※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
2006年4月7日公開分
 
副題「『ユダの福音書』の写本が解読されたニュース」
 
 Yahooニュースに、以下のような読売新聞、共同通信、時事通信の記事が掲載されていました。
 『ダ・ビンチ・コード』を読んでから、こんなニュースに目が留まるようになりました。
 まずは、時間的に早い読売新聞から。(引用者注:ネットのニュースの全文引用はどこまで許されているのか、今は不明なので、そのまま引きます。問題があるようでしたら、どなたかご教示をお願いします。)

■ユダ裏切ってない?1700年前の「福音書」写本解読
 米国の科学教育団体「ナショナルジオグラフィック協会」は6日、1700年前の幻の「ユダの福音書」の写本を解読したと発表した。
 イエス・キリストの弟子ユダがローマの官憲に師を引き渡したのは、イエスの言いつけに従ったからとの内容が記されていたという。
 解読したロドルフ・カッセル元ジュネーブ大学教授(文献学)は「真実ならば、ユダの行為は裏切りでないことになる」としており、内容や解釈について世界的に大きな論争を巻き起こしそうだ。
 13枚のパピルスに古代エジプト語(コプト語)で書かれたユダの福音書は、「過ぎ越しの祭りが始まる3日前、イスカリオテのユダとの1週間の対話でイエスが語った秘密の啓示」で始まる。イエスは、ほかの弟子とは違い唯一、教えを正しく理解していたとユダを褒め、「お前は、真の私を包むこの肉体を犠牲とし、すべての弟子たちを超える存在になる」と、自らを官憲へ引き渡すよう指示したという。
 同文書は3〜4世紀に書かれた写本で、1970年代にエジプトで発見され、現在はスイスの古美術財団で管理されている。同協会が資金援助し、カッセル元教授らが5年間かけて修復、内容を分析した。
 福音書はイエスの弟子たちによる師の言行録で、実際は伝承などをもとに後世作られたものと見られている。うち新約聖書に載っているのは、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4人分だけ。ユダの福音書は、2世紀に異端の禁書として文献に出てくるが、実物の内容が明らかになったのは初めて。
 詳細は、28日発売の「ナショナルジオグラフィック日本版」に掲載される。
(読売新聞) - 4月7日3時13分更新


 今日のお昼には、共同通信が、以下のニュースを流しました。

■裏切りはキリストの指示? 「ユダの福音書」写本解読
 【ワシントン6日共同】米地理学協会(本部ワシントン)は6日、「異端の書」としてほとんどが破棄されたとみられていた「ユダの福音書」の写本を解読したと発表した。キリストを敵に売った使徒として知られるユダが、実はキリストの指示を受けていたと記されており、今後論争を呼びそうだ。
 写本は古代エジプト語(コプト語)でパピルスに記され、放射性炭素による年代測定などで、3−4世紀(約1700年前)の本物と鑑定された。
 ギリシャ語の原本から訳されたとみられ、キリストは、自分を人間の肉体から解放する手助けを、教えの本当の意味を理解していたユダに頼んだとの内容になっている。(共同通信) - 4月7日11時44分更新


 この写本の内容が、これまでのキリスト関係の理解をどのように変えるのかは、素人の私には皆目見当もつきません。しかし、今までの解釈に何かが付加されることは確かでしょう。
 と、昼食をとりながらこの記事を書いている時に、このニュースサイトの内容が更新されました。上記のニュースは、本日11時台のものであり、12時台には、時事通信の以下のような詳細な記事となりました。

■「わたしを裏切りなさい」=キリストが弟子ユダに命令・古写本解読
  拡大写真の一部を切り抜き引用((Copyright (C) 2004 〔AFP=時事〕 All Rights Reserved.)12時09分更新)

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【ワシントン6日】約1700年前に書かれた初期キリスト教の外典「ユダの福音書」の写本が解読され、米ナショナル・ジオグラフィック協会で公開された。新約聖書には、イエス・キリストの弟子ユダがイエスを裏切り、刑吏に引き渡したと記載されているが、「ユダの福音書」では、イエスがユダに対し、自分を裏切るよう命じていたと書かれてあり、キリスト教理解に大転換を促す内容になっている。
 この古写本はギリシャ語で書かれた原本のテキストを紀元3―4世紀に古代コプト語に移し替えたうえでパピルスに記録されたもので、66ページに及んでいる。放射性炭素測定やインク分析などを使った徹底的な分析を経て、本物と認定された。
 写本には、イエスがユダに対し、「お前はあらゆることがらを越えていくだろう。なぜなら、お前はわたしを包んでいるこの男を犠牲にするからである」と述べたとあり、イエスの肉体からの離脱を手助けすることによって、ユダはイエスの内部にある聖なる「セルフ」の解放を手伝ったと解釈されるという。
 ナショナル・ジオグラフィックの担当研究者は「写本の解読はキリスト教研究史上、過去60年で最も重要な発見の一つであり、初期キリスト教の理解のあり方に多大の貢献をするものだ」と位置づけている。
 「ユダの福音書」の写本は1970年代にエジプトで見つかり、さまざまな骨董商の手を経て欧州から米国に渡った。ニューヨークの金庫に16年間にわたって保管された後、2000年にスイス・チューリヒの骨董商に買い取られた。
 歴史に「ユダの福音書」の名が登場するのは、紀元180年にリヨン司教の聖イレナエウスが残した文書が初めて。この文書では、福音書は偽書であると決め付けられている。
(時事通信) - 4月7日12時9分更新


 現在読み進めている『ダ・ビンチ・コード・デコーデッド』を今日中に読み終えるつもりです。この本にも、このニュースと関連することが書いてあるので、また改めて報告します。今は、取り急ぎ、ということで。

********************** 以上、復元掲載 **********************
 
 
 
posted by genjiito at 22:59| Comment(0) | ■読書雑記

2018年12月02日

読書雑記(247)【復元】〈その1〉『ダ・ビンチ・コード』

 これまでに何度も、ウエブに公開した記事が消えています。すべて、プロバイダの情報管理に起因するものでした。特に、2004年から2006年にかけて書いたブログの記事は壊滅状態です。
 そのような中で、自宅のハードディスクの中やウェブ上で幸運にも探し出し、拾い出せた文章や写真は見つけ次第に、忘れない内にと復元してきました。これまでに、105本の記事を復元して公開しています。記事のタイトルの中に【復元】と記しているので、検索すればそれらを特定することは容易です。

 今回の復元記事は、今から12年半以上も前に書いた5本を、公開した順番にアップします。
 いずれも、ベストセラーとなった小説『ダ・ビンチ・コード』に刺激され、当時いろいろと聖書や福音書に関する本を読んでいた頃のメモです。こうした問題は、10年も経った今はどのような評価がなされているのか、今まだ検証していません。的外れなコメントや、すでに批判の対象となっていることを取り上げているかもしれません。その点は、かつての記事をそのまま復元したものであり、その後の勉強が追いついていないということでお許しください。
 しかし、『源氏物語』の本文が写本としてどのような経緯で今に伝えられて来ているのか、という問題意識は明確にその根底にあります。
 このようなことを考えていた、というメモとして、ここに復元しておきます。
 
(※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
2006年4月6日公開分
 
元題「聖書の増補・改訂とは?」

副題「知的な刺激に満ちた『ダ・ビンチ・コード』」
 
 角川文庫の『ダ・ビンチ・コード』が、発売1ヶ月ほどで発行部数が百万部を突破したそうです。来月から映画が公開されるので、そのこととも関連して読む人が増えているのでしょう。
 私も、単行本の時から読もうと思いながら、それでも文庫化を待っていました。電車の中で読むことになるので、持ち歩きに便利な文庫本が重宝するからです。単行本が2冊セット、文庫本が3冊セットです。さらには、写真が100枚以上も収録されたビジュアル版もあります。しかし、これは重たい本です。
 海外の翻訳物を読む時、私はどうしても巻頭に添えてある「主な登場人物」のリストを参考にします。それが今回、なんとなく犯人が見えてきた原因となりました。上中下の3冊のうち、中巻でおおよそわかりました。犯人探しにはあまり興味がないので、どうでもいいことですが。

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 何かと話題になっている割には、この本はそんなに長く読みつがれることはないように思われます。おもしろい話です。しかし、その反面、飽きやすいともいえましょう。もう一度読もうとは思わない人が多いと思います。
 私は、この本を読んでから、すぐに『ダ・ビンチ・コード・デコーデッド』(集英社、2006.4.10)を買いました。「デコーデッド」とは「解読」の意味なので、これは謎解き本です。すでに、『ダ・ビンチ・コード』の嘘を暴く式の本が何冊か書店に並んでいます。しかし、これは、そうした興味本位一色ではないようなので買いました。でも、まだ読んでいません。このブログを書くまでは、自室のこれから読む本を並べた書棚に置き、頁を繰るのは我慢しています。この本は、ようやく明日から読むことになります。

 『ダ・ビンチ・コード』を読んで、私は、登場人物の一人である英国人の宗教史学者ティービングの、次のことばに興味を持ちました。

聖書は人の手によるものだということだ。神ではなくてね。雲の上から魔法のごとく落ちてきたわけではない。渾沌とした時代の史記として人間が作ったもので、数かぎりない翻訳や増補、改訂を経て、徐々に整えられた。聖書の決定版というものは、歴史上一度も存在していないのだよ(文庫・中・130頁)


 このくだりの「増補、改訂」に、私は反応しました。私は、現在伝わっている『源氏物語』が、紫式部一人が執筆した作品だとは思っていません。いろいろな人の手が入った、いわば「増補・改訂」されたものを、今読んでいると思っています。だから、こうした記述に出会うと、つい反応するのです。聖書もそうなのか? と。
 そして、次の箇所では、エジプトやインドへと思いが飛びました。

十二月二十五日はエジプトのオシリスや、ギリシャのアドニスとディオニュソスの誕生日でもある。また、インドのクリシュナが生まれたときには、イエスと同じく金貨と乳香と没薬を贈られている。キリスト教の毎週の聖日すら、異教から借用したものだ(132頁)


 私はキリスト教について疎いので、おもしろい指摘だと思いました。
 さらには、次もそうです。

“神の子“というイエスの地位は、ニケーア公会議で正式に提案され、投票で決まったものだ」(134頁)


 こうしたことは、学問的にはどうなっているのか、興味があります。ティービングの語ることは、まだ続きます。今度は、少し長い文章を引用します。非常に問題のある箇所だと思います。

コンスタンティヌスは資金を提供して新たな聖書を編集するよう命じ、イエスの人間らしい側面を描いた福音書を削除させ、神として記した福音書を潤色させた。以前の福音書は禁書とされ、集めて焼却された(中略)
 コンスタンティヌスが抹殺しようとした福音書のなかには、かろうじて残ったものがある。一九四〇年代から五〇年代にかけて、パレスチナの砂漠にあるクムラン付近の洞窟で、死海文書が発見された。そして、一九四五年にはナグ・ハマディでコプト語文書が見つかっている。これらは聖杯の真実の物語を記すとともに、イエスの伝道を実に人間くさく描いている。もちろんヴァチカンは、情報操作の伝統に則って、文書の公開を懸命に阻止しようとした。まあ、当然だろうな。これらの文書によって、史実とのあからさまな矛盾や欺瞞が露見し、今日の聖書が改竄編集のたまものであることが疑問の余地なく立証されるのだから。イエス・キリストという男こそ神であると言い広めて、その影響力を権力基盤の安定のために利用してきたことが発覚してしまう(136頁)


 聖書が編集された背景、とでもいうべきものが暗示されています。「今日の聖書が改竄編集のたまもの」だという記述は、その真偽を調べたくなります。その聖書の編集者に関して、ティービングはさらに次のように語りを展開させていきます。

かつての教会は、人間の預言者であるイエスが神だと世間を納得させなくてはならなかった。それゆえ、イエスの生涯の世俗的な面を記した福音書を、すべて聖書から除外した。しかし昔の編集者にとっては不都合なことに、とりわけ扱いにくいひとつの話題が数々の福音書に繰り返し現れていた。それがマグダラのマリアだ(153頁)


 最後にもう一箇所、興味あることばを引いておきます。

イエスは男女同権論者の草分けだ。教会の未来をマグダラのマリアの手に委ねるつもりだった(161頁)プラム


 ここで引いたこれらのことばは、すべて中巻にあります。この本は、この中巻までが一番盛り上がります。そして、下巻に入ると、徐々におもしろくなくなりました。読後感は、肩すかし、というのが正直なところです。後半がもったいないように思えます。でも、知的な刺激を与えてくれた点では、いい作品といえましょう。
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
 
 
 
posted by genjiito at 19:45| Comment(0) | ■読書雑記

2018年12月01日

古都散策(69)紅葉真っ盛りの大和でお茶のお稽古

 今日は、大和平群でお茶のお稽古をする日です。月に2回、休まずに通っています。
 東京で仕事をしていた頃は、なかなか来られませんでした。それでも年に数回ながら細々と続けて来たということもあり、辞めることもなく今につながっています。

 駅前を流れる龍田川は、今がまさに紅葉時です。

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 山道の木々も、彩りが鮮やかです。

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 今日は、入子点のお稽古をしていただきました。前回は、曲げ物の建水を使いながらも、丸卓を置いての普通のお点前でした。しかし、この入子点の方が、我が家でお茶を点てるのにふさわしいと思っています。老人向けとも言われているようですが。

 しばらくやっていなかったので、危なっかしい所はそれとして、自分ではほぼ流れがわかっているつもりです。特に、最後の場面で、右手に棗、左手に茶碗を持ち、一気に持ち上げて目の前の天板にかざる動作をする、この最後の瞬間が気に入っています。壮付けの形もきれいです。
 終わってから、使った道具がそのまま残されているのです。同じ空間を共有した方との、その後の語らいの場を盛り上げてくれるのです。

 次回は、濃茶でこのバージョンを自分のものにしたいと思っています。

 今日の京都タワーも、すっきりとした上品さを感じました。

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 駅前は、バスに乗れないほどの大混雑です。乗り込んでも、「扉が閉まりません、扉が閉まりません、扉が閉まりません」というアナウンスが、延々と車内に響きます。
 今日から師走となり、京洛はますます人が多くなりそうです。
 観光のマナーを守ってほしい、と願うのみです。
 
 
 
posted by genjiito at 21:03| Comment(0) | ・古都散策