2018年10月31日

清張全集復読(24)「共犯者」「武将不信」「陰謀将軍」

■「共犯者」
 かつての共犯者が没落し、成功している自分を狙って接近しているという妄想に駆られます。その共犯者から脅迫されることを怖れる人間心理を巧みに突いて、意外な展開へと導きます。
 雇われた通信員役の男の動きに、不自然さと無理があります。もう一捻りほしいところです。【3】
 
初出誌:『週刊読売』(1956年11月18日)
 
※『松本清張全集 36』(文藝春秋社、1973.2.20)の巻末に収載されている著者自身による「あとがき」には次のようにあります。
 奈良の町に泊まった。ヤミ成金らしいのが向かい側の立派な旅館で遊んでいて三味線が賑やかに鳴っていた。虱のいそうな汚ない部屋からそれを眺めていた。同じ部屋に箸の外交員が泊まっていた。−経験といえばそれだけのことである。だが、このときほど黙阿弥の「鋳掛松」の心境に親近感を持ったことはなかった。いうまでもなくこの芝居は、鋳掛屋松五郎が両国橋の上から隅田川を下る屋形船のドンチャン騒ぎを見て、「あれも一生、これも一生。同じ一生なら太く短く」と心を変え、商売物のしらなみを川の中に投げこむという筋である。白浪物としては動機に説得力がある。(544頁)

 
 
 
■「武将不信」
 山形の最上義光は聡明だが小狡い次男を家康に差し出しました。家康は可愛がります。その次男が原因で、家督を継ぐはずの長男が殺されます。すべてが親と背後にいる家康の仕業です。
 父親が息子にかける思いの揺れ動きについて、丹念に描きます。家康に忠誠を尽くした義光。しかし、家康はその忠誠心をも踏み躙る冷徹さを見せます。清張の歴史と人間を見る鋭い目が伝わって来ます。【5】

初出誌︰『キング』(1956年12月)
 
 
 
■「陰謀将軍」
 ジッと耐える第15代将軍足利義昭と、それを支える細川藤孝を描きます。
 信長に絡め取られていく自分を、義昭は忸怩たる思いで見つめます。その心情が丹念に語られていくのです。人の心が読み解かれ、書き綴られているのです。
 自分に力がないことを思い知った義昭は、足利将軍の名を利用して、信長を袋叩きにすることを画策するのです。義昭の陰湿な工作はさらに進展します。
 しかし、自分を助けるはずの武田信玄が亡くなると、我が身に黒い気配を感じ出します。清澄独自の黒い雲です。
 義昭が、何か眼に見えぬ敵を感じたのは、このときからであった。信長などよりは、もっと怖ろしい、抵抗出来ぬ、絶望的な敵であった。どのように藻掻いても、所詮はうすら笑って、壁のように前面に立ち塞がる運命的な何かである。それは生涯のどの辺かに狡くひそんでいて、その気配で、いつも人間にふと前途の不安を予感させる黒い物であった。(319頁)

 義昭謀反を知った信長の反応は早いものでした。すでに、腹心だった藤孝は寝返っています。兵は持たなくとも陰謀がある義昭は、信長への反抗をし続けるのです。信長がしだいに苦しむのを楽しむようになります。義昭の妄執をみごとに描いています。【5】
 
 
初出誌:『別冊文藝春秋 55号』(1956年12月)
 
※メモ:「紫宸殿」に「ししいでん」とルビを振っています。故事に精通した清張らしい一面が確認できます。
 
 
 
posted by genjiito at 22:15| Comment(0) | □清張復読

2018年10月30日

読書雑記(244)森下典子『日日是好日』

 映画化されたと聞き、大急ぎで『日日是好日』(森下典子、新潮文庫、平成20年11月)を読みました。読んでから観たかったからです。

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 著者は二十歳の時、母に勧められてお茶を習い始めます。「茶人」の響きに惹かれて、「お茶、いいかも……」ののりで。
 本書は、週1回のお茶のお稽古を始めて26年目の平成14年に、それまでの体験や思うことを書き綴ったものです。

 お稽古に行った初日に、四角い帛紗の両端を引っ張って、「パン!」「パン!」と鳴らせます。「ちり打ち」というのだと。茶碗を洗い拭く時には、茶巾で底に「ゆ」と書くとか、お茶室に入る時にはいつも左足から入る、とあります。私がやっている裏千家とは違うことに気づきました。表千家のお作法のようです。

 お茶会の喧騒をハーゲンと見立てるなど、ユーモアたっぷりの語り口です。楽しく読み進められます。

 流れるように話が続く中で、「第九章 自然に身を任せ、時を過ごすこと」と、「第十一章 別れは必ずやってくること」が、破談と死別という内容から人の情に訴えかけ、生き生きと語られていると思います。

 本書は、小さな発見や心の気づきを、優しい文章で綴っています。さっと読めるので、映画鑑賞の直前にお勧めです。
 
初出誌:平成14年1月、飛鳥新社より刊行。
 
 
 
posted by genjiito at 18:18| Comment(0) | ■読書雑記

2018年10月29日

古都散策(66)大和長谷寺の地に玉鬘神社が創祀されます

 『源氏物語』に関連する神社が、奈良県桜井市初瀬にある長谷寺そばの連歌橋の近くに建立されます。
 奈良は『源氏物語』との関連が長谷寺だけということもあり、そのPRも活発ではありませんでした。これで、少しでも注目されるようになることを、共に願っています。
 いただいたチラシを掲載します。

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 詳細は、「玉鬘神社創祀の会のホームページ」を参照願います。

 なお、本ブログでは「西国三十三所(25)長谷寺」(2010年10月26日)で、玉鬘のことに触れています。この時には、與喜天満神社の金子清作宮司は、まだ玉鬘神社を創建することはお考えではなかったことがわかります。おもしろい、貴重な記事といえるでしょう。
 
 
 
posted by genjiito at 19:58| Comment(0) | ・古都散策

2018年10月28日

大和平群でのお茶のお稽古(入れ子点前)と観光公害について

 玄関を出てすぐに、思っていたよりも寒いと感じました。家に引き返して、セーターを一枚重ね着して出かけます。

 大和平群までの車中、旅行客のうるささには困り果てました。京都駅から大和西大寺駅までのことです。4人連れの女性が、大きなスーツケースを膝の前に置いて、中国語を大声で喋っておられます。それも、長いシートに向かい合いながら。

 私は本を読んでいました。

 前後2人のスマホから、大きな音量で音楽が車内に響き渡るようになったので、別の車輌の席へと移動を考えました。しかし、2時間の長旅の身には、座れるかどうかわからない席の移動には、リスクが多くてためらわれます。結局、そのまま喧騒の中に身を置きました。
 そうならばと、精神を統一して、雑音が気にならなくなる修行の時間にしたのです。そう開き直ると、何やら瞑想の世界に入れたように思えたのはおもしろいことでした。いや、実際には喋り疲れたのか、女性たちはやがて居眠りが始まり、ポップな音楽だけが車内に鳴り響いていたのです。

 元山上口駅前に降り立つと、「紀氏神社秋祭り」の幟がたなびいていました。

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 「紀氏神社」は、正式には「平群坐紀氏神社」と言います。『延喜式神名帳』にその名前が記されているので、古いお宮です。ここは、ヤマトタケルノミコトが「たたみこも へぐりのやまの」と歌った古代からの地なのです。楽の音が風に乗って流れてきます。かつて、といっても30年も前に子供たちを連れて行った、平群の秋祭りを思い出しました。

 龍田川の上流は、木々が少し色付いています。

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 今日のお稽古は「入れ子点前(いれこだて)」です。初夏以来の久しぶりのことなので、ほとんど覚えていませんでした。先生がおっしゃる通りに手を動かしながらも、アレッ、アレッの連続です。他のお弟子さんたちからは、自然と身体が動いていたとおっしゃってくださいました。いえいえ、頭の中は真っ白で、流れがまったくわからなくなった状態で、なんとか終わったという体たらくでした。
 先生から、もう一度やりますか? と助け舟を出していただいたので、お言葉に甘えて再度のチャレンジをしました。今度は前よりも幾分はましで、何とかそれなりに流れがつかめました。
 いやはや、お茶とは摩訶不思議なお稽古です。これだからこそ、次こそはと思い、そしてまたこの次はと思って、この大和平群の地に足が向くのです。おもしろいものです。

 帰りに通りかかった京都駅は、新宿かと思うほどの人の波でした。これは、人さえ来れば、集まればいいという、能天気な観光万歳の時代があり、その後の時流を読んで進歩しなかったからだと思います。いまだに引きずっている弊害が、最近とみに表面化しています。民泊しかり、街中のゴミ、交通機関の機能マヒ、観光地のいたずらなどなど。

「観光公害」については、すでに真剣に議論がなされています。その機運を高める中で、観光客の制限やマナーの周知をする努力を、京都市として強行すべき事態に立ち至っていると、私は思います。観光客目当ての場当たり的な営業も、将来のことを考えると再検討の時期でしょう。私は冗談半分に、京都検定の級数によって、観光コースを選んでもらうことも導入すべきだ、と言っています。
 いつまでも一見さんの機嫌取りをし続けるのではなく、さまざまな来訪者の意識とレベルに合ったプランを提供すべきです。

 これらは暴論かと思います。しかし、京都にお越しになる今の観光客は、あまりにも日本の文化を無視した行動をしておられます。所によっては、日本の文化を壊して帰られます。都に入る前に、観光のマナーを学んでから、お目当ての観光地に行ってもらったらどうでしょうか。このままでは、住民からの観光客に対する反乱が起きるのは必定だと思っています。住む人を無視した観光客の流入は、いずれ破綻します。市民に我慢を強いる、無策としか言えない観光行政は、早急に見直すべきです。
 
 
 
posted by genjiito at 20:00| Comment(0) | ・ブラリと

2018年10月27日

京洛逍遥(518)閑院宮邸跡での古典講座に参加して

 京都御苑の中にある閑院宮邸跡に行きました。今日は、このレクチャーホールで『源氏物語』と和菓子に関する講演があるからです。

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 最近、点字ブロックに関心をもっています。その点では、この施設のトイレの周辺はスマートだと思いました。

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 廊下に延々とブロックを敷き詰めたり、ゴツゴツと並べられてはいなかったのです。トイレの前に人一人が立てるだけのスペースに点字ブロック数枚が置かれ、そこに立つと正面にトイレの配置図が触って確認できるようになっています。空間を認識することが得意な方が多い視覚障害者は、これで充分、自分が今いる状況がわかる仕掛けになっていると思いました。こうしたことは、目の見えない方々と検討を進め、問題点の整理をしていけばいいと思います。とにかく、あらん限りの点字ブロックを並べて道をつくればいいだろう、という発想からは抜け出してほしいと思っています。この問題についての私見は「点字ブロックは本当に視覚障害者のための物でしょうか」(2018年10月22日)を参照いただければと思います。

 さて、講演会場で配布された資料の冒頭を引きます。今回の講演の内容が最初に整理されていて、聴く側としてこの心配りは助かります。

【第八回 近世京都学 公開講座】
 平成三十年十月二十七日 於 閑院宮
  平安の『源氏物語』と江戸の『源氏物語』
    −−源氏菓子を起点に−−
         同志社女子大学 吉海直人


◎講演の意図
1平安の源氏研究者はこれまで近世の資料には目を向けてこなかった(反省)
 →室町以前に豊富な資料が残っており、あえて新しい資料を用いる必要がない
 →源氏の享受史は源氏研究の主流に位置しないので不人気
2近世の源氏文化は源氏の本文や解釈から乖離した別なところにある
 →「源氏香之図」は室町以前に遡れない源氏と無縁のデザイン
 →「偽紫田舎源氏」はその極端な例 挿絵から浮世絵へ もう一つの「源氏絵」
3平安に菓子のルーツは探せても菓子そのものは探せない
 →平安文化への憧憬が源氏や伊勢・百人一首に向けられている 平安幻想
 →ほとんどの近世文化は平安まで遡れない 平安に芸道はない
4閑院宮邸は江戸の貴族の邸宅ではあっても寝殿造りからは遠い
 →江戸のフィルターがかかっていることに気付かない
 →近世における古典の大衆化が源氏を身近なものにしたと同時にパロディ化した


 講演は、聞き手を笑いに誘うような語り口で展開しました。
 「もう一つの『源氏物語』」を話の核にして、わかりやすい話です。
 特に、近世に『源氏物語』が絵画化される中で、「若紫」巻は「すずめ」で象徴されるようになっていったことについては、時間を割いて説明がありました。
 最後は、「『源氏物語』の商品価値は〈あこがれ〉にある」というまとめに落ち着きました。
 講演後は、いくつもの質問がありました。
 ・祇園祭の月鉾の天井には源氏絵が貼られている
 ・モデル論について
 ・『源氏物語』は音読すべきである
 会場には、耳も目も肥えた方々がお集まりになっていたように思われます。
 日本の文化を考える上で、また豊かな切り口を教えてもらいました。

 終了後、有斐斎弘道館で『源氏物語』をテーマにした京菓子を見学し、お茶をいただくツアーがありました。しかしこれには参加せずに、京都御苑の入口にある九条家の遺構として公開されているお茶室「拾翠亭」に行きました。


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 のんびりとした散策ができ、半日が充実した時間で充たされました。
 
 
 
posted by genjiito at 20:03| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2018年10月26日

明浄社会人講座(2)伊藤「写本学、崩し字で源氏物語を読む」

 明浄学院高校の授業が16時に終わり、18時から社会人講座が始まります。
 第2回は私が担当です。掲げた題目は「写本学、崩し字で源氏物語を読む」で、鎌倉時代に書写された『源氏物語』を読む勉強会です。

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 今日の参加者は4名でした。前回同様に、熱心に聞いてくださいました。終了後の感想も満足していただけたようなので、担当者としては安堵しています。

 『源氏物語』の古写本の複製本を見てもらい、実際の大きさなどを実感してもらいました。平安時代から鎌倉時代の枡形本は、見開きでA4版の大きさになります。人間の視界は、これが最適なのでしょう。
 また、いろいろな写本があることを、『源氏物語 千年のかがやき 立川移転記念 特別展示図録』(国文学研究資料館編、2008年10月、思文閣出版)を見ながら確認しました。

 古写本の基礎的なことを確認してから、写本に書かれた文字を読み取ることの難しさに移りました。書かれた文字を読み取る難しさではなくて、書かれた文字のどこをどのように読み、それがどのようなものであるのかを確定することの難しさです。

 参考資料として配布した、「転移する不審−本文研究における系統論の再検討−」(中川照将、『源氏物語の本文 第7巻』、おうふう、平成20年)に書かれていることを追いながら、「みるこ」という人物は一体誰なのかを考えていきました。『千年のかがやき』に収録した大島本「胡蝶」の次の画像を横においての確認です。

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 また、私が『千年のかがやき』に書いた次の文章も参照しながら、話を進めて行きました。

【14】大島本『源氏物語』
  古代学協会蔵
  室町時代後期写
  袋綴五三冊
  二七・五×二〇・九センチ

 室町時代に書き写された『源氏物語』の写本である。「浮舟」巻を欠き、「桐壺」巻と「夢浮橋」巻は後補の写本群。池田亀鑑により〈いわゆる青表紙本〉の最善本として『源氏物語大成』の底本とされた。現在流布するすべての活字校訂本の基準本文となっている。ただし、大島本には膨大な書き込みと補訂がなされている。それらの後補を取り込んで校訂された本文が提供されて来たため、大島本とは何か、〈いわゆる青表紙本〉とは何かという問題が、近年の本文研究の進展にともない浮上してきた。一例をあげる。「胡蝶」巻で、流布する活字校訂本文が「みるこ」とする箇所がある。しかし、「胡蝶」巻の一五丁表の五行目には、「てこそを」に朱のミセケチと傍記がある。現行の活字校訂本は、この朱の補正を採用して「みるこをぞ」とする。「みるこ」は玉鬘付きの童女の名前とされる。これは、同巻の二六丁表九行目の「みてこそかたよりに」の解釈にも影響する。現在我々が読んでいる活字校訂本は何なのか。『源氏物語』の本文を再検討する上でも、興味深い例である。(伊藤鉄也)


 次に、拙稿「源氏物語古写本における傍記異文の本行本文化について−天理図書館蔵麦生本「若紫」の場合−」(『古代中世文学研究』、和泉書院、平成13年)を読みながら、傍記されていた文字列がいつの頃からか本行に取り込まれていく過程を確認しました。
 この、傍記が本行に吸い込まれていく姿は、参加なさっていた方からおもしろかったと好評でした。しかも、傍記対象の文字列の前に潜り込むか後ろに潜り込むかに法則性があることにも、興味をもったとのことでした。

 今日も、時間をオーバーして終わりました。終了後にいろいろとお話ができたことも、この講座の特色でもあります。

 次回は、予定通り次の講座があります。スポットでの参加も可能です。「大阪天王寺地域で新しく社会人講座がスタートします」(2018年09月12日)の記事を参照の上、一週間前には連絡をお願いします。

第3回 11月9日(金):観光学部 教授 / 中村 忠司
         「観光行動学、『物語性』と観光」
 
 
 
posted by genjiito at 23:54| Comment(0) | ■講座学習

2018年10月25日

キャリアアップ講座(その10)『源氏物語』のくずし字を読む(1文字欠落箇所)

 まずは、谷崎潤一郎が訳した『源氏物語』の中でも、昭和14年に愛蔵版(非売品、限定千部)として配布された桐箱入りの本を見てもらいました。なかなか見る機会のないものなので、架蔵の本を持参したのです。これからは、折々にこうした珍しい本を見てもらおうと思います。

 今日の枕としてのお話は、昨日の満月がみごとだったことから始めました。現在読んでいる「鈴虫」が、ちょうど2000円札に印刷された「【十五夜】の〜」の場面であることを意識してのものです。この熊取、日根野地区からも、きれいに満月が見えたそうです。

 その満月の話題と、来週11月1日が「古典の日」であることに関連させて、本日の京都新聞に掲載された「文遊回廊 第13回 紫式部日記」(荒木浩・国際日本文化研究センター)の記事を、みんなで確認しました。道長の「望月の欠けたることのなしと思へば」という歌や、古歌「君が代」のことにまで言及しました。また、廬山寺についても話題にしました。

 さらには、オリンピックでメダルを取った女性が「生物学的には女性ではない」という記事を読みながら、女と男の違いについて討論しました。これは、男性ホルモンの「テストステロン」の値による研究をもとにしたニュースによるものです。平安時代には、男と女の違いをどの程度意識していたのか、という視点での意見交換です。男と女の違いがよくわからなくなった、という意見を聞き、これは今後とも引き続き話題の一つにしていきたいと思います。

 『源氏物語』の本文については、今日は、7丁裏7行目「あ可つきの」から8丁裏5行目「能多満衛は・三や」までを読みました。この部分では、特に問題とすべき変体仮名は出てきませんでした。
 気になったのは、今日の3頁分の中で、1文字を書き写し漏らした所が4箇所もあったことです。テキストの翻字では、「(ママ)」とした部分です。

(1)「遊くれ」(諸本は「ゆくれ」)
    →「ふ」欠落
(2)「こ遊」(諸本は「こゆ」)
    →「き」欠落
(3)「【大】ゆ」(諸本は「【大】ゆ」)
    →「し」欠落
(4)「葉な可尓」(諸本は「はなかに」)
    →「や」欠落
(5)「ませて」(諸本は「ませて」)
    →「か」欠落


 いずれも語中の1文字を欠くという、非常に単純なミスです。この書写者は、この丁を書写する時には、集中力を欠いていたということでしょうか。私がよく喩えに使う、「トイレにいきたかったのでしょうか?」「お客さんが来たのでしょうか?」「奥さんから食事だから冷めない内に早く来てください、と呼ばれていたのでしょうか?」という状況を思わせるところです。
 
 
 
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ■講座学習

2018年10月24日

京洛逍遥(517)天の穴のような月を観て

 今日24日は満月です。
 気象予報士の話では、実際には満月は明日25日なのだそうです。しかし、ちょうどまん丸になるのが明25日の深夜1時45分となるため、今夜の内に見える月が実際には満月と言えるとのことでした。
 確かに、雲一つない夜空に、丸い穴が天に開いたかのような光景でした。
 吉行淳之介の作品に『星と月は天の穴』というものがあり、私の愛読書である井上靖の『星と祭』の最終場面となった琵琶湖の湖上を照らす月光を思い出したりしました。

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 その満月を見ながら、久しぶりに伊井春樹先生と携帯電話でお話をしました。私のことはよくご存知なので、相談を持ちかけた事に、思いもつかなかったヒントとご教示を授けてくださいました。煌々と照らす月光を浴びながら、いつもながらの先生のお言葉から、一筋の光明を見出すことができました。また明日から新しい活動を展開します。

 近所の料理屋さん〈芹生〉で、今後を祝して御酒をいただきました。いつもの麦焼酎「田苑」のお湯割りと、最近気に入っている「のどぐろの一夜干し」と季節の天麩羅などをいただきました。
 このお店の天井には、『平家物語』の冒頭が掲げてあります。

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 お月見をしながら、道を隔てた自宅に向かいます。賀茂の川風が少し肌寒さを感じさせる、贅沢な観月の夜道となりました。
 
 
 
posted by genjiito at 23:47| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2018年10月23日

読書雑記(243)白川紺子『下鴨アンティーク 白鳥と紫式部』

 『下鴨アンティーク 白鳥と紫式部』(白川紺子、集英社オレンジ文庫、2017年12月)を読みました。

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■「雛の鈴」
 鹿乃たちは楽しく着物を身に纏い、友達3人とひな遊びに興じています。そこへ、鹿乃が正式に付き合いだした八島慧が差し入れの「引千切」持って参入。会話が軽快に、ポンポンと弾むように飛び交います。リズミカルで心地よい文章です。
 帯をめぐる話が、親子や兄妹や恋人との情をたっぷりと含ませて展開します。心の温もりを語るのは、作者が得意とするパターンです。【5】
 
 
■「散りて咲くもの」
 西行の『山家集』に収録されている桜の歌が、野々宮家に残された最後の着物と関わっていきます。その八首の和歌は、失踪した叔母英子が短冊に書き残したものでした。英子のことを調査するために吉野へ行き、桜と着物の関係を追い求めます。
 蔵で見つけた英子の手紙は、草書で書いてあったので鹿乃には読めなかったとあります。

 半紙ほどの大きさの紙に、草書で文字が綴られている。やわらかく、流れる水のような清々しい文字。清らかさと強さを持つ字−英子の字だ。草書なので、鹿乃には何と書いてあるのかわからない。英子の手紙を掛け軸にしたものは、それひとつだった。鹿乃は掛け軸をしまい直すと、箱に戻し、それを抱えて母屋に戻る。(131頁)


 漢字が崩されていただけではなくて、変体仮名が使われていたから読めなかったのでしょう。
 めでたく蔵の着物はすべて取り出し、それぞれの着物にまつわる問題を解決することができました。鹿乃も高校を卒業です。また新しい物語が始まります。【4】
 
 
■「白鳥と紫式部」
 白い藤の花が描かれた着物が、突然届きます。それをめぐって、良鷹の同級生の死後の話が遺産相続がらみで展開します。
 『源氏物語』のことが話題に関わらせて語られます。ただし、物語の展開に深くは関係しません。『源氏物語』というネームバリューに寄り掛かった手法のようです。

 慧が着物の背を振さした。そこにひとつ、紋が刺繍されている。藤の花だ。こちらはちゃんと紫の藤だった。
「藤の花に、ええと−−」
 花に、文字が組み合わされている。鹿乃でも読める程度の崩し字だ。
「《藤壺》?」
 慧がうなずいた。
「『源氏物語』にちなんだ伊達紋だな」
 伊達紋というのは、家紋とはべつの、装飾目的の飾り紋だ。伊達紋は飾り紋のなかでも装飾性が高く、絵や文字を使って、花鳥風月や故事、文芸を表したりする。
「江戸時代に、こういう伊達紋だとか、かんざしや袱紗なんかで『源氏物語』を題材にするのが流行ったんだよ。雛形本に−−当時のファッションデザイン集だな、それに残ってる。それだけ『源氏物語』が広く庶民のあいだに知られていたっていう証左なわけだが」
 江戸時代のみならず、いまにいたるまで『源氏物語』は着物まわりで好まれる題材である。
「ほな、この藤の柄も、藤壺からきてるんやな」
 藤壺−−というのは、光源氏にとって父帝のきさきにして、初恋の女性だ。(148〜149頁)

 −−あの着物は、ていさんのものなのだろうか。
 利光が家を追いだされるにまで至るほど、恋しく慕った相手。
「後妻だから、『藤壼』なんだろうか」
 慧のつぶやきに、鹿乃は「え?」とふり向く。
「利光さんは『光源氏』と呼ばれていた。そして藤壺は光源氏にとって、いわば、父親の後妻だろ」
 それになぞらえて誂えたのだろうか、と。
「ていさんが? それやったら、ていさんのほうも利光さんが好きやったんやろか」
 藤壺は光源氏と密通している。利光が勘当されたのも、そういう理由で?
「ていさんは、若いうちに亡くなった、て言うてはったな」
「そうだな。病気なのか事故なのか……もうちょっと詳しい話が聞けるといいんだが」(201〜202頁)

「たしか、〈紅葉賀〉のかんざしやったな」
「紅葉賀?」
「『源氏物語』だな」と、これは慧が答えた。「〈紅葉賀〉って巻があったろ」
「ああ……」鹿乃は記憶を掘り起こす。『源氏物語』はひと通り読んだが、巻の名前だけ言われても、すぐには思い浮かばない。
「紅葉賀−−紅葉の時季の祝宴に、光源氏が頭中将と〈青海波〉を舞うんだよ。夕暮れどきに紅葉のなかで舞を舞う、光源氏の美しさが際立ってる。紅葉と〈青海波〉に使われる鳥甲を合わせて、櫛やら伊達紋やらにされることが多い。かんざしにもしやすいモチーフだな」
「藤壺の着物に、〈紅葉賀〉のかんざし……やっばり、利光さんがどっちも誂えはったんやろか。ていさんのために」(233頁)


 着物とかんざしを光源氏と藤壺につなげるために、次のように語ってもいます。

 鹿乃は礼を述べて電話を切る。ていはおそらく、利光のことを想って、〈紅葉賀〉のかんざしを誂えた。〈紅葉賀〉−−紅葉を背景に、光源氏が舞を舞う。鳥甲は光源氏を表しているわけだ。
 光源氏、と利光があだ名されていたという話を思い出す。いわずもがな、かんざしは利光をイメージしたものだったのだ。嫁ぐ前にそれを誂え、利光を想うよすがにしたのではないだろうか。
 それを、ていの父親か、母親かわからないが、利光に譲り渡した。利光はー。
 だから、あの着物を誂えたのだろうか? ていが光源氏に利光をなぞらえてひそかにかんざしを持っていたように、利光も藤壺に、ていへの想いを託した。『藤衣』として、悼む気持ちとともに。(236頁)


 次の熟語「躊躇」は、和語にしたらどうでしょうか。わざわざ「ちゅうちょ」と振り仮名がついているので、この読みを意識しての表記です。白川紺子さんの文章を読んでいると、漢語表現のところを和語にしたら、もっと雰囲気が和らぐのにと思うことが多いのです。多分に好みの問題でしょうが。

ふくは涙とともに思い出が一気によみがえってきたのか、もはや躊躇もなく話しだした。(216頁)


 また、「断腸の思い」(217頁)ともあります。これも、中国の故事にまつわる熟語や漢語を強要された学校教育(?)を受けて来た、現代日本人の弊害だと思っています。「ためらい」や「はらわたが引きちぎられる」としたほうが、作品の中で和が醸し出す雰囲気に合うと思います。

 本作では、日頃はぐうたらしている良鷹が、人格が変わったようにキビキビと行動し、みごとな推理も見せます。作者が変わったかのようです。話を切り上げるためか、突然に不自然な設定になっています。
 また、『源氏物語』という作品が粗雑に扱われているのが気になりました。『源氏物語』がこの話の中では熟しきれなかったのでしょう。残念でした。【2】

■「あとがき」と「短い話」
 本巻でこのシリーズも終わりであることが告げられます。安定した筆致で語り進められた作品でした。
 この「あとがき」に続いて、短いお話がおまけとして付いています。うまくまとめきれなかったためか、大団円の挿話を読者に提供する形となっています。これはない方がよかったと思います。なお、番外編については、後日書きます。【3】
 
 
 
posted by genjiito at 20:29| Comment(0) | ■読書雑記

2018年10月22日

点字ブロックは本当に視覚障害者のための物でしょうか

 先週の「第7回 日本盲教育史研究会」では、多くの方々とお話ができました。その中の一つの話題として、点字ブロックについて盛り上がりました。点字ブロックはいらない、という意見が目の見えない方々からいくつも出たのです。
 私も、あの点字ブロックに理解はできても、内心では邪魔だと思っていることを素直に語りました。同感だと言う方からは、批判されることを覚悟でも、そのことをブログに書いて問題提起をしたらいい、とかえって励まされました。視覚障害者の中にも、いろいろな考え方があるので、その意味でも大事な検討課題の提供になるはずだ、ということでした。

 なお、この日本盲教育史研究会では、本年6月30日に「第6回ミニ研修会 in 岡山」が開催されました。その時のテーマとその案内文は、以下のものでした。

岡山市内でのフィールドワークを中心に
―― 点字ブロック発祥の地を訪ねる ――

 岡山でミニ研修会を開催する運びとなりました。第6回となる今回は、点字ブロック開発から半世紀を経た今、市内にある発祥の地記念碑を訪ねて開発者三宅精一氏の思いに触れます。講師はともに岡山盲学校で教鞭をとられ、現在は盲教育史の研究、点字ブロックの普及活動に携わっているお二人です。
 点字ブロックから岡山における視覚障害教育に視野を広げて、現地だからこそ聞ける講話をお願いしました。皆様のご参加をお待ちしています。


 そして、その研究会の内容は、次のような興味深いものでした。

 第1部 講話
  「50年を迎えた点字ブロックと、岡山における視覚障害教育」
     講師 河田 正興 氏(元県立岡山盲学校校長)
        竹内 昌彦 氏(岡山ライトハウス理事長)
第2部 フィールドワークとレクチャー
  原尾島交差点 点字ブロック発祥の地記念碑 周辺


 しかし、当日はちょうど鳥取県で「第7回 池田亀鑑賞」の授賞式があり、近くにいながらも、私はこの賞の選考委員長をしていた関係で、この岡山での研究会には欠席しました。
 その研究会でのプログラムは、まさに点字ブロックのことがテーマとなっていたのです。

 この時の内容については、『視覚障害 bR63』(視覚障害者支援総合センター、2018年8月号)に、「岡山から世界へ 点字ブロック発祥の地でミニ研修会」と題して報告が掲載されています。

 今日のこの記事は、このような背景のもとでの点字ブロックに関する問題提起なので、専門外という立場からは発言しにくいのは事実です。しかし、先週いただいた参加者からのアドバイスを頼りに、あえてこの場に問題点を提示し、批判に晒されようと思います。
 暴論だと一笑に付さずに、ご意見をお寄せいただけると幸いです。

 なお、最近の私のブログでは、「読書雑記(240)伊藤亜紗『目の見えない人は世界をどう見ているのか』」(2018年10月04日)の最初に、点字ブロックのことに少し触れています。

 また、点字ブロックについては、これまでにも何度も話題にしてきました。海外での街中での様子も折々に記しています。

 今夏、ボストンに行った時には、ハーバード大学周辺で見かけた点字ブロックについて、「ハーバードでの初日に日本と同じ月を見る」(2018年08月27日)で取り上げました。日本のように、これでもかと敷き詰めるのではなく、信号のある交差点のそばだけに、ほんの一部に部分的にありました。

 このことは、同じ8月に行ったペルーのリマでも同じでした。
 感想としては、日本のように障害のある方々に至れり尽くせりを心がけてはいないようです。どこまで目が見えない方のことを思って設置したのかが、疑問に思える数々も記録しています。

「2冊のスペイン語訳『枕草子』と出会う」(2018年08月09日)

「リマの旧市街セントロで視覚障害者の歌を聞く」(2018年08月11日)

 もちろん、リマにもメインストリートには点字ブロックが敷き詰められた道が1箇所だけありました。

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 さらに遡ると、こんなにも何度もこの点字ブロックのことを書いて来ていました。

「空を飛ぶ4輪のキャリーバッグ」(2017年04月25日)

「最適な4輪式キャリーバッグとの出会いと点字ブロックの今後」(2016年10月16日)

「駅のホームドア設置と「ホーム縁端警告ブロック」」(2016年08月20日)

「インド・デリーの点字ブロックなどには要注意」(2016年02月25日)

「デリーの盲学校で立体コピーに挑戦してもらう」(2016年02月18日)

 すでに何度も書いてきたように、私はこの点字ブロックは正直言って邪魔に思う時がよくあります。もちろん、目が見えない方々の道しるべの役割を果たすべく敷き詰められていることは充分に承知しています。しかし、キャリーバッグを引いている時には、そのブロックを避けながら前進するのが大変です。また、つまずきそうになるので、ブロックを避けながら歩きます。上記の記事にも、足の裏は予想外に敏感で、地面の凸凹を感じ取っているわけです。しかし、それだけに、点字ブロックが至るところに敷き詰められていると歩きにくいのも事実です。

 先週、研究会が終わってから点字ブロックについて話をしていた時、目の見えない方から次のような不要論とでもいうべき意見を伺いました。

(1)あらかじめ敷き詰められたブロックの上を歩けと、強制的に指示されることが嫌だ。
(2)道の状況に応じて、自分の判断を信じて自由に歩きたい。
(3)見えないので足を高く上げて歩けない。自ずと摺り足に近い状態で歩いていると、点字ブロックの凹凸でつまずいて転びそうになる。そのため、わざと点字ブロックを避けて歩いている。白杖を器用に操作して、折角の好意の産物を申し訳ないと思いながらも、避けながら歩いている。
(4)近所の交差点に信号機をお願いしたら、頼みもしないのに点字ブロックを長々と敷き詰められていたのには驚いた。補助金行政における役所の点数稼ぎに利用された思いがしたのは、思い過ごしか。
(5)キャリーバッグを引いていると、ガタガタと揺れて、キャスターの向きをコントロールできなくなることがよくある。凸凹の点字ブロックが障害物になっている。
(6)点字ブロックの周辺に放置されている自転車によくぶつかる。
(7)点字ブロックが敷かれた一列の狭い一本道は、前方から来る白杖の方と正面衝突せざるをえない事態をも引き起こすことがある。実際にぶつかることが何度もあった。
(8)点字ブロックの上に荷物が置かれていてぶつかった経験は、最近はあまりない。それでも、ブロックの上に物が置かれていて、ぶつかって転んだことはある。駅のホームの端が一番怖い。

 こうした話を聞いていて、私は良かれと思っての好意からとは言え、善意の押し付けの状況になっていることも事実ではないのか、との思いを強くしました。

 現在、毎週大阪市内に出かけます。地下鉄谷町線「文の里」駅の改札口に向かうところには、こんな状態で点字ブロックが敷き詰められています。

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 完璧をよしとする日本的な発想のもとで、美的なセンスも盛り込んでの設置のようです。ただし、微妙に曲がったラインは、どのような意味でなされたものなのか、今の私には理解が届きません。

 日本の現状は、とにかく網羅的に敷設することで徹底しています。日本では、補助金や仕事を発生させる意味からも、むやみやたらと点字ブロックを置いているのではないか、と思えるほどです。私は、点字ブロックは通行人に対しては迷惑なシロモノなのではないか、と思っています。これまでに、このブログで何度か書いてきた通りです。また、至る所に貼られている点字も、果たして街中に必要なのか、はなはだ疑問に思っています。点字が読めるのは、視覚障害者の一割である、という事実を知ってからは、その疑問が増幅しています。

 行政側は、いかにも障害者対策をしていますよ、というポーズを住民に効果的に示す意味で、積極的に障害者のためというお題目の下に、点字ブロックの敷設や点字の添付活動を導入しています。しかし、これには、効果的な税金の使われ方ではなくて、かえって無駄遣いの部分も大きいのではないか、と思っています。もっと有効な税金の使い方があるはずなのに、お役所は理解を示しているふりをするために、無意味な支出がなされているように思えてなりません。

 善良ぶっておられる方からは、上記の発言は許しがたいものだとお叱りを受けるでしょう。しかし、点字ブロックや点字シールに感謝しておられる方がいらっしゃることを知りつつも、そうではない方もいらっしゃることを考えるべき時期にある、ということが言いたいのです。

 あえて街中に障害物競争をさせるようなものを置いて、言葉を変えれば視覚障害者いじめをすることはないと思います。多分に挑発的な発言を、意識して書いています。

 目が見える私は、あの点字ブロックにつまずきそうになったことがあると共に、キャスター付きのバッグを引いている時に、一々あのブロックの凹凸でキャスターをガタガタさせないために、ヨイショと持ち上げるのが面倒に思っています。キャスターも早く壊れますし。

 最近は、駅はもとより、街中の至る所に点字ブロックが敷き詰められるようになりました。旅行者の多くが、あの凸凹に難渋させれているように思います。京都の街中では、日々実感しています。多くの方に我慢を強いるあの点字ブロックが、目が見えない方々との円滑なコミュニケーションを阻害するものになりつつあるのではないのか、と思います。多くの方々が疎ましく思っていてもなかなかそれを言いづらい現代日本の社会の中で、私はあえて取り去る勇気を持ってほしいと願い、この記事を書きました。
 
 
 
posted by genjiito at 23:45| Comment(0) | ■視覚障害

2018年10月21日

「イグ・ノーベル賞の世界展」に行って

 東京ドームシティで開催中の「イグ・ノーベル賞の世界展」(会場:Gallery AaMo ギャラリー アーモ)に行ってきました。

 丸ノ内線「後楽園」駅の改札口で、11時に尾崎さんと待ち合わせです。
 当初は、上野の美術館を考えていました。しかし、昨日の日本盲教育史研究会で尾崎さんと話をしているうちに、脳の活性化を促進し、物の見方や考え方に刺激を与えてくれそうな、この展覧会に変更しました。自分の希望はもとより、修士論文を執筆中の尾崎さんへの、心ばかりの励ましの同行です。
 東京ドーム周辺は、多くの家族連れや若者でごった返していました。

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 イグ・ノーベル賞は、期待を裏切らない、楽しさとおもしろさがふんだんに盛り込まれた研究が受賞しています。紹介されていたものが理科系に偏っていたのは、結論が明確でわかりやすいからでしょう。

 全盲の尾崎さんと一緒だったので、私が主だったもののパネルの説明文を読み上げて歩きました。エロチックすぎるものは勝手にパスしました。

 膨大な量の説明文と写真パネルで、今回の展示が構成されています。これだけ文字が溢れる展示には、どうしても音声ガイドが必要です。文字を追っていて、目がウロウロしました。後期高齢者には、目を酷使する展示です。

 また、紹介されている受賞作が、ほとんどが目で確認する実験と結果の説明に終始していました。尾崎さんには、追体験のしようがありません。また、見えない人にとっては理解の限界もあり、ユーモアも伝わらない事例がいくつかありました。
 ユニバーサルな観点からの配慮と思いやりがある紹介であったら、さらに展示の完成度が上がったことでしょう。これは、一学芸員の立場からの評価です。

 国立民族学博物館の広瀬浩二郎さんの用語で言うところの、触常者の存在には目を向けず、あくまでも見常者のためのイベントとなっています。尾崎さんのような観覧者は想定しておられなかったようです。見えない方のみならず、加齢と共に見えづらくなった私も含めて、これは困ったことです。目に頼り過ぎたパネルのオンパレードだったので、もったいない展示になっていました。

 いくつか、体験型の展示もあります。スパゲッティを折ると3つになる、という展示では、実際に折って試すことができました。また、2つに折る工夫も、実際に自分でやってみて実感できます。
 ただし、それは例外で、ほとんどが実物があっても透明ケースの中か、触れることはできません。自走式の目覚まし時計は、触っても何ら不都合はないはずです。「don't touch」というプレートは、本当に必要だったのでしょうか。

 水の上を歩くという体験も、スカートの人はダメだとされていたのも残念です。多数の女性がそうであったように、尾崎さんもスカートを履いていたのです。ジーパンの女性も、007の映画で上空からパラシュートで落下する体験さながらに、股間をベルトで引き上げるスタイルなのです。ボンドガールは、もっと華麗な姿で宙吊りになります。表現は良くないものの、これは卑猥です。企画の詰めの甘さを感じました。

 この「イグ・ノーベル賞」の展覧会を紹介する文章を、ホームページから引いておきます。

 皆さんは「イグ・ノーベル賞」をご存知ですか?

 「イグ・ノーベル賞」とは、1991年に創設された「人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究」に与えられる賞で、"表のノーベル賞"に対して"裏ノーベル賞"とも言われています。授賞式は毎年秋に開催され世界的な話題となっています。これまでに日本人研究者も多数受賞し、大きな話題となりました。

 本展覧会は、「イグ・ノーベル賞」を企画運営するサイエンス・ユーモア雑誌「風変わりな研究の年報」の編集者 マーク・エイブラハムズ氏の協力を得て制作される、世界初の「イグ・ノーベル賞」公式展覧会です。受賞研究の紹介や体験コーナーなど「イグ・ノーベル賞」の軌跡を追いながら、笑って、考えさせられるユニークな研究の数々をお楽しみいただけます。さらに、展示会に即したユーモア満載の物販販売の実施も予定しています。

 世界にはこんなトガった研究があったなんて!? ぜひあなたの目でお確かめ下さい。

 2018年のイグ・ノーベル賞授賞式は日本時間 9/14(金)朝7:00〜 アメリカのハーバード大学サンダースシアターで行われました。

 授賞式のオープニングでは、観衆全員が紙飛行機を作り、舞台に立った的(人)にめがけて投げるのが通例。受賞者の旅費・滞在費は自己負担で、スピーチでは「笑いをとること」が要求されます。本家ノーベル賞の受賞者たちも参加して表彰を手伝ったりしています。

 今年の受賞研究はどんな研究なのか!? そして12年連続の日本人受賞者が生まれるのか!? わくわくしますね!!

祝マーク12年連続日本人受賞!!/

 お待ちかね2018年のイグ・ノーベル賞が発表されました

 日本からは堀内朗先生(昭和伊南総合病院)が医学教育賞を受賞!

 受賞研究は「座った状態で大腸内視鏡検査を自分1人でやる」。堀内先生、本当におめでとうございます!


 この発表会場となったハーバード大学には、その2週間前までいました。授賞式に参加できず、残念でした。
 
 
 

posted by genjiito at 20:13| Comment(0) | ・ブラリと

2018年10月20日

日本大学であった第7回盲史研究会に出席

 早朝より新幹線で上京しました。秋晴れです。しかし、富士山は雲をかぶっていて不機嫌でした。

 地下鉄丸の内線「御茶ノ水」駅の改札口で、立教大学の尾崎さんと10時に待ち合わせです。尾崎さんは現在修士論文を執筆中なので、そのことや今後の進路について話をしながら、本日の会場である日本大学歯学部(4号館3階第3講堂)に向かいました。

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 会場の受付横の窓からは、ニコライ堂がすぐそばに見えます。

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 「日本盲教育史研究会」は今回で7回目。会員数が200名に届こうとしていることからわかるように、着実に発展しています。
 総会では、これまでの引田会長から伊藤新会長へとバトンタッチがあり、役員の改選もありました。あらためての新しいスタートです。

 今回の研究会は、以下のテーマが設定されています。

研究会テーマ

「視覚障害者の職業問題を考察する」



 視覚障害者にとって古くて新しい課題が職業問題です。鍼灸按摩などの現状も大きく変わってきています。記念講演は、第5回研究会での警女さんに続き、今回は男性盲人の職業の原点「琵琶法師」を取り上げます。近現代の職業問題も、原点まで遡った大きな歴史的パースペクティブの中で考えていきたいものです。


■講演と演奏 平家を語る琵琶法師
  鈴木孝庸(たかつね)氏(新潟大学名誉教授 前田流平家琵琶奏者)

 琵琶と語りが一緒になることはないそうです。「祇園精舎のかねのこゑ〜」を語ってくださってから、会場のみんなで『平家物語』の冒頭を一緒に声を出しての体験です。声は出せても節回しに付いて行くのが大変でした。
 現在、平曲を語るのは20人しかいらっしゃらないそうです。その内、盲人の伝承者は名古屋の今井勉検校お一人だけだとのこと。意外でした。
 引き続き、「祇王」を語ってくださいました。
 最後に「那須与市」で扇の的を射抜く場面を、参会のみんなが一緒に声を出し、語りの体験をしました。楽しいひと時となりました。

 昼食後は、琵琶の演奏と講演に関する質疑応答からです。
・なぜ平家が琵琶語りの芸能になったか等、3人からの質問がありました。
・後の質問討議では、2つの流派についての質問もありました。テキストの違いではなくて語りの違いだ、と師匠は言っておられたとのことです。

■問題提起
  大橋由昌(筑波大学附属盲学校同窓会長、日本盲教育史研究会副会長)
「近代盲教育における鍼按教育を中心に 明治期を中心に」

 昭和22年の「あはき法」(あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師等に関する法律)の問題は、医療全体の視点で見ていくべきだ、という観点からの発表でした。
・後の質問討議では、障害者の高齢化と生徒減少に関しての質問。
・障害者に社会性がなくなっている、との指摘も。
・障害を持つ就業者の年収128万円の根拠は何か。
・盲学校の治療室を変えていかなければならない。
・盲学校の先生は、学者派と職人派にわかれる。
・食える職人を育てる必要性があると。

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  指田忠司(高齢・障害・求職者雇用支援機構、障害者職業総合センター特別研究員)
「新職業開拓をめぐる我が国の取り組みと欧米諸国の相互交流」

 視覚障害者について明治以降の職業教育を振り返り、「新職業開拓」についての問題点を整理した発表でした。就業支援として適職を探すことよりも、やりたいことをサポートすべきであるとの持論を展開なさいました。
・後の質問討議で、失明軍人杖は昭和16年からあるのでは、とのこと。
・本会の事務局長をなさっている岸先生によると、日露戦争の頃から握りの部分に飾りのない杖はあったと。
・日本は海外から研究し尽くされ、経営面で遅れている。
・日韓台の鍼灸の実態と、鍼の禁止について。
・今は、日本だけの視覚障害者が鍼をできる。韓国は補助的なことに留まる。
・海外の状況。就業資格所有者はあまりいない。

 以下、大橋先生と指田先生にさまざまな質問と意見が寄せられました。とりまぜて列記しておきます。
・盲学校の生徒について。魅力のある理療科を作ることが課題だと指摘。
・自立活動と共に、いろんな経験をさせて社会性を大切にしたい。
・自立活動の中でのコミュニケーション能力の向上を。
・他者の視点で物事を見ることが重要。
・現場の先生から、主語が「私」だけにならないようにしているとの報告。
・盲学校出身であることを隠す生徒のことと自立のこと。
・支援学校の教員として、手助けと失敗経験をさせることも大事だと。
・無免許の同業者の存在。ブレーキの効かない過剰養成の問題につながる。
・生徒の現状は、努力ではなく最初から見える結果で満足し、先生方もそうなっている。
・保護者が社会のせいにしていないか。
・現役の盲学校の先生とコラボして語り合える場がほしい。

 とにかく、会場からは多くの質問や意見が出ました。上記のメモは、あくまでも私が聞き、理解できたと思われることだけを記したものです。勘違いをして聞いたこともあることでしょう。雑駁なメモであることは、ご寛恕のほどを願います。
 この質疑応答は、予定の時間をオーバーするほどでした。
 「日本盲教育史研究会」が果たす役割は重要です。今後とも、こうした篤い意見交換を通して、理想と現実を埋め合わせながら、視覚障害者をめぐる教育の問題は展開していくのです。この会は、その意味では貴重な旗振り役を担うことになると思われます。この会の活動には、ますます目がはなせません。

 懇親会は、すぐ近くの神保町でありました。約30名もが集まる盛会でした。私は、指田先生の横に陣取り、多くのことを教えていただきました。北海道での研修会の時以来です。福島県立盲学校の渡邊先生と引き合わせてくださったのは指田先生でした。この研究会を通して、多くの方々と情報交換ができています。
 指田先生と私の席の前に、全国特別支援学校校長会会長の桑山先生がお出でになりました。全国に盲学校は67校あるそうです。そして、尾崎さんが小さい頃、桑山先生は盲学校で指導をしたとのことです。大きくなって今は私がその役目を、ということで、意気投合して楽しい話に発展しました。不思議な出会いがあるものです。

 懇親会では、私にも少しだけ自己紹介をする時間をいただきました。私は、2020年の東京オリンピックで『百人一首』のイベントが計画されているので、盲史研の後援をお願いしました。そして、『百人一首』に挑戦しようという方も、一人は確保しました。この『点字 百人一首』についても、さらに盛り上がるようにお手伝いしたいと思っています。

 お開きになって帰る頃には、外は大雨になっていました。指田先生に腕をお貸しして、お茶の水駅まで傘をさして濡れながら急ぎました。お見送りした後、私は聖橋を渡ったところの東京医科歯科大学の後ろにあるホテルに入りました。そういえば、昨年3月までの9年間は、越中島にある東京医科歯科大学の官舎に住んでいました。そこは、伊井春樹先生が国文学研究資料館が開館した時からずっとお住まいだった所です。伊井先生がお住まいだったので、私も希望してそこに入居したという経緯のある官舎だったのです。人のつながりはおもしろく、そして楽しいものです。
 
 
 
posted by genjiito at 23:47| Comment(0) | ■視覚障害

2018年10月19日

20年ぶりの来訪者と研究室で旧懐談

 今から20年前のことです。当時勤務していた大阪明浄女子短期大学(現・大阪観光大学の前身)で、社会人講座として「源氏物語を読む会(まるげん)」を開催していました。
 その会が50回目を迎えたことを記念して、それまでの活動を『源氏物語を読む ゆかり −五十回の歩み−』(私家版、平成十年九月十一日発行)と題する1冊にまとめています。

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 その時の参加者の一人であるSさんは、昨年から始めた大阪観光大学で『源氏物語』の変体仮名を読む社会人講座に参加なさっています。80歳を超えた今でも、活動的な方です。
 そして、当時の参加者で大学の近くにお住まいのTさんは、今回も参加したいけれども体調を崩していてとのことで、しばらく静養に励んでからとのことでした。
 そのTさんが、一昨日、私が大学に出戻って来たことへの挨拶にと、私の研究室にお越しになったのです。やっとの再会を喜び合いました。今日も、「二十数年前にタイムスリップしたような気分になりました。埃をかぶっていた記憶が甦り、当時の楽しい気持ちに、今暫くなっています。」との連絡をいただきました。

 今、当時作成した『源氏物語を読む ゆかり−五十回の歩み−』を繰っています。巻頭の写真に、TさんとSさんの今も変わらない姿を確認できます。また、お寄せいただいたお2人のエッセイも再読しました。記録を残しておいてよかったと思っています。

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 あの会を始めた当時を回顧する話題を提供するため、巻末に記した拙文を引いておきます。今の自分の活動が20年前と変わらないことを知り、少し若返りの気分に浸っています。そして、記し残しておくことの大切さを、しみじみと感じています。


あとがきにかえて



            伊藤鉄也

 この「源氏物語を読む」会は、私の最初の心づもりでは、平成七年九月一日(金曜日)から始める予定でした。ところが、公私ともに多忙となり、学校の後期が始まる十月からということになりました。それが幸いだったのは、ちょうどその九月一日に、名古屋での資料調査の帰路、私が近鉄特急の車中で意識を失うということがありました。開講早々の休講という、なんとも惨めな事態は、どうにか回避できたのです。また、十月の第一週から開始するのがよかったのですが、これまた、ちょうどその日は国文学研究資料館のシンポジウムで司会をするという予定が入っており、もしそれが延期になったとしても、第二予定として、京都大学での電子図書館研究会の会合が組まれていました。そんなこんなの日程の中で、第二金曜日である十月十三日からスタートすることにこぎつけたのです。

 ちょうど、九月末日に、〈源氏物語電子資料館〉をインターネットのホームページとして開設したばかりでした。植村佳菜子さんの源氏絵をインターネットで最初に公開したのが、「源氏物語を読む」会でみなさんと初顔合わせをした翌日です。第一号の源氏絵は「若紫」でした(巻頭カラー画参照)。

 「源氏物語』を読むといっても、いろいろな形態があります。一応私としては、参加される方々に本文を少しずつ分担してもらい、レポーター形式で進めていこうと思っていました。大学などでの演習形式のイメージです。ところが、最初にそうした意向を提示したところ、みなさんが強硬に抵抗されたのです。いや、そんな視線を感じたのです。それならと思い直して、気ままに、気楽に読み進めるスタイルでいくことにしました。私は、とりあえずは談話会の進行役という役回りに徹することにしました。そして、今でも私が心がけているのは、自分がよく知っていることはできる限り話題にしないことです。当然、なりゆきから私が説明することが多くなるにしても、それは極力避けるように心がけているつもりです。しょせん答えなどのないことを考えていこう、というのですから、なまじ私が分別くさく解説するのは、かえって物語を楽しむ上では興味を削ぐことになりがちです。そうした方針で進めていくと、なんとなんと、みなさんがよくしゃべってくださること。男性が私だけということもあって、みなさんの結束力も固く、いつもいい勉強をさせていただいています。

 本来なら、この種の講座は「社会人講座」とか「公開講座」として、学校主催で開催される性格のものです。しかし、今は諸般の事情でそうなってはいません。これについては、現在、橘弘文先生の「道成寺縁起を読む」と、雲野加代子先生の「ジェンダーを考える」という自主講座が続いて来ていることを考え合わせると、いずれは学校主催のものとなるはずです。今しばらくは、地域社会への開かれた活動として貢献できれば、というささやかな願いで、個人研究の一環として続けていきたいと思っています。

 本書作成にあたっては、会に参加してくださっている皆さんに、ご無理をお願いしました。意をくみ取ってくださったお陰で、こんなにもすばらしい本ができました。梶山恵一郎さんも、快く巻頭言を引き受けてくださいました。ありがとうございます。原稿の回収や装丁・挿画などを担当してくれた植村佳菜子さんにも感謝します。なお、本書所収のカラー写真は、コンピユータグラフィックで画像処理をした後、拙宅のプリンタで印刷したものです。素人作業で不慣れなため、画像処理と色合わせがうまくいきませんでした。しかし、そこは手作りの味ということでご寛恕のほどをお願いいたします。
 最後になりましたが、大阪明浄女子短期大学事務局の小南嘉則・大川陽子・坂上千尋諸氏には、何かとお心遣いをいただいてきました。また、閉門ぎりぎりまで居残ることが多く、警備員の小椋克己氏にもご迷惑ばかりをおかけしています。改めてここに感謝の気持ちを記すとともに、こうした自主講座が円滑に継続できますよう、今後とも変わらぬご支援をお願いいたします。

 
 
 
posted by genjiito at 20:40| Comment(0) | *回想追憶

2018年10月18日

大阪湾に沈む夕陽の先に見える淡路島

 秋らしく空気が澄み切っています。
 大学の8階にある研究室から大阪湾を望みました。
 沈む夕陽がこんなに鮮やかな光景は、めったに見られません。
 左端が和歌山方面、正面が淡路島、右端が関西国際空港です。
 イオンモールの先にあるJR日根野駅から帰ります。
 京都までの帰りは、3時間半の小旅行です。

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posted by genjiito at 21:50| Comment(0) | *身辺雑記

2018年10月17日

清張全集復読(23)「九十九里浜」「いびき」「声」

■「九十九里浜」
 突然舞い込んだ手紙から、家系の複雑さが姿を見せます。40年目にして初めて異母姉の存在がわかったのです。逢いに行きます。しかし、話は私が思ったようには展開しないままに終わります。
 背景として、清張自身の祖父母のイメージを持って語っているように思いました。ただし、うまくまとまらなかったようです。【2】
 
 
初出誌:『新潮』(1956年9月)
 
 
 
■「いびき」
 自分ではどうしようもない鼾。それをテーマにした、何となくおかしい中にも、人間の根源を突く問題が語られています。いい味が出た作品に仕上がりました。【4】
 
初出誌:『オール讀物』(1956年10月)
 
※『松本清張全集 36』(文藝春秋社、1973.2.20)の巻末に収載されている著者自身による「あとがき」には次のようにあります。
この小説の発想は私自身の経験からの空想で、もし、兵隊で敗走したとき、敵は敵軍ではなく、私のいびきを恐れる戦友ではないかと考えたものだ。この体験を、市井の浮浪者に置き換えたもので、このとき参考資料として使った『日本行刑史稿』に拠って、あとで一連の「無宿人別帳」を書いた。これはのちに私自身の手で一幕ものにし『文學界』に発表した。前進座で上演され、別にテレビでは宇野重吉が演じた。(544頁)


※戯曲『いびき地獄』(『文學界』、1982年12月)は、この「いびき」を3幕物に仕立てたものです。『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のように記されています。
物語の構成、登場人物、舞台設定ともほとんど変わらない。ただし、科白回しに一段と工夫が凝らされ、劇作家としての清張の力量をうかがわせる。(17頁)

 
 
 
■「声」
 新聞社で電話交換手をしている朝子は、声で誰かがわかる耳を持っていました。社員300人もの声を聞き分けるというのです。そして、殺人事件の現場に間違い電話をかけ、犯人らしき男の声を聞いたのです。その朝子が殺されます。
 警察は、客観的、合理性のある筋道のどこに間違いがあるのかを考えます。読者も付き合わされます。あまり複雑なトリックではありません。しかし、きれいに収まるので納得します。ささやかな謎解きで読者を惹きつける、うまい展開です。【4】
 
 
初出誌:『小説公園』(1956年10・11月)
 
 
 
posted by genjiito at 21:22| Comment(0) | □清張復読

2018年10月16日

読書雑記(242)望月 麻衣『京都寺町三条のホームズ 10』

 『京都寺町三条のホームズ 10 見習い鑑定士の決意と旅立ち』(望月 麻衣、双葉文庫、2018年07月)を読みました。

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 このシリーズもこれで最終巻かと思わせる展開です。しかし、「あとがき」で作者が「京都ホームズは、まだ最終回ではありません。もう少し続きます。」(292頁)と言うように、もう少し続くようです。
 たしかに、一時は退屈な迷走がありました。しかし、掌編というつなぎの小話を入れながら、また息を吹き返しそうな気配が兆しています。もうしばらく、この物語にお付き合いしてみようかな、と思っています。
 
 
■「プロローグ」
 雪舟を意識して、鼠と斎王とみさごを配した掛け軸が、展覧会の後に盗まれます。その盗難事件と海外でのオークション、そして民法でいうところの「即時取得(善意取得)」の説明がわかりやすく語り出されます。

■「京の三弘法と蓮月の想い」
 ホームズは、四条通りに面した大丸京都店で修行をします。物語を離れた現実では、今年の8月下旬に、その大丸の隣にアップルストアがオープンしました。このことは、本作の発売日にはすでに知れ渡っていました。京都在住の望月氏は、アップルユーザーではないようです。
 作中でホームズは、四条通りを挟んだ大丸の真向かいのビルの2階にある「営業推進部」で仕事をしています。京大の大学院で「文献文化学」を勉強し、論文は『古都・京都の文化が世界に与えた影響』だといいます。
 ここでの話題は、観光ツアーのプランニングです。これは、後々展開するのでしょう。
 茶器と蓮月尼の話は、よくまとまっています。しっかりと次へとバトンタッチされていく章となりました。【4】

■「掌編 宮下香織の決意」
 以前にも書いたように、この小話は、単調になってきた物語に緩急をつけるために挿入された、別伝の話です。香織が語り手になっています。このように、視点を変えた話を挟む意図は何なのでしょうか。話の流れを切り替えるためか、マンネリ打破のためか、話に奥行きをもたせるためか。【2】
 
 
■「二人の旅立ちと不穏な再会」
 クルーズトレインの「七つの星」で、ホームズと葵は九州の旅に出ます。葵の誕生日を祝っての、いわば婚前旅行です。車中のことが丁寧に語られます。ファッション、食事と、明るい話題が続きます。
 そんな中、意外な人物が現れ、突然の謎解きが展開します。ただし、その内容といい推理といい、中途半端なものに留まっています。物語の内容のみならず、背景と登場人物の個性が鮮明になっていただけに、言葉足らずです。もったいないと思いました。【3】
 
 
■「瞳に映るもの」
 クルーズトレイン「七つの星」の中で起こった、嫌がらせの張り紙をめぐって、筆跡鑑定がなされます。具体的な例証が文字面からは伝わりにくいためもあって、スッキリしません。後半の求愛の場面は、さらりと語り終えようとしています。若い読者たちへの配慮でしょうか。もう少し語ってもよかったのではないでしょうか。【3】
 
 
■「掌編 宮下香織の憂鬱」
 挿話が中途半端です。いっそのこと、オムニバス形式にした方が良かったのでは、と思いました。
 香織は、「蔵」の店長に告白する前に振られます。話を持ちかけられての、そこでの店長の言い分に異議があります。あまりにも単純だからです。違う考えも、当然のことながらあります。【3】

■「エピローグ」
 爽やかなまとめです。これまでと、これからが見通せています。人の心が描けていると思いました。
 
 
■「掌編 秋人は見た〜一触即発の夜〜」
 短いながらも、軽妙で楽しい話です。この作者は、こうしたショートコントがうまいと思われます。物語性が求められる中編と、さらに構成力が必要不可欠な長編は、さらなる文章修行が求められると思いました。【4】
 
 
 
posted by genjiito at 19:57| Comment(0) | ■読書雑記

2018年10月15日

面接の時に心に留めておきたい「心構え」と「心掛け」

 先週金曜日の高校での授業では、7時間目に面接対策のビデオを見ながら、受け持ちの生徒にはいろいろなアドバイスを伝えました。
 その後すぐの午後6時からは、「明浄社会人講座」の第1回があったため、会場の設営や受講者を出迎える準備にバタバタしていました。そのせいもあって、この面接対応の授業のことを書き残しておくタイミングを逸していました。
 その授業の中では伝え切れなかったことを、以下に整理しておきます。

 大阪の高校で教員をしていた頃は、指導困難校と言われる学校に長く在職していたこともあり、就職指導と面接指導は特に力を入れて行なって来ました。次に揚げるものは、私家版の「面接の時に気をつけるポイント」です。
 面接室への出入りをスマートに見せるコツと、椅子に座る際のマナーなどについては、すでに生徒には伝えたのでここでは省略します。

◆面接での基本的な心構え◆

(1)自信をもって胸をはって面接に挑戦
(2)ここに何とか合格しようという意欲
(3)思いをとにかく訴えようとする熱意
(4)対話の心得として謙虚で丁寧な対応
(5)正直な答えに拘らず嘘も時には必要


■面接での応答に関する心掛け■

(6)質問者に向かって相手の目を見て答える
(7)質問された内容をよく理解してから話す
(8)質問が聞き取れなかった時は再確認する
(9)自分の体験を話題に入れて具体的に語る
(10)否定的かつ批判的な口調では対応しない

 
 
 
posted by genjiito at 19:59| Comment(0) | *身辺雑記

2018年10月14日

[町家 de 源氏](第13回)(変体仮名「う」と「こ」の字形)

 今日の[町家 de 源氏物語の写本を読む]は、午後4時から6時まで行ないました。

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 「be京都」で和室の襖やガラス戸を開けていると、肌寒い風が欄間を通して心地よく吹いています。座敷机の前に座っているだけで、秋の到来を実感する季節になったのです。来月は暖房をつけての読書会となりそうです。

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 今日は、ペルーで手に入れたカカオのお茶を飲みながら、ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「須磨」の変体仮名を読み進めました。

 今日のポイントを、次の表で確認しておきます。

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 ここで、歴博本「鈴虫」に見られる「う」(右から2番目の2文字目の例)は、諸本との異同や意味を考えると「こ」となるはずの文字です。そうであっても、ここでは「う」としか読めない例といえます。
 そこで、かつては一緒の揃い本だった「須磨」「蜻蛉」の例を照合しながら確認しましょう。
 「須磨」で見られる「う」(左端の1文字目の各例)と、「蜻蛉」の「う」(右端の1文字目)は、「鈴虫」と同じ字形です。
 参考までにあげた「須磨」の「きこゑ」(左から2番目の2文字目の例)は、見方によっては「う」と紛らわしい文字だと言えます。
 ということで、「鈴虫」の例は、「きうえ」と翻字していいことが、この「須磨」と「蜻蛉」の例から言えると思います。

 今日は、8丁裏に見られる「支・す・ま」が紛らわしい字形であることも確認しました。
 こうして、ハーバード大学蔵『源氏物語』の「須磨」と「蜻蛉」、そして歴博本「鈴虫」の写本に写し取られた文字の特徴が、少しずつ整理できていきます。とにかく、根気強くこうした読みを続けて行けば、何年かかるかわからないにしても、いつかはそれぞれの写本の位置づけが可能になるはずです。

 今日は、『ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「須磨」』の写本の、8丁裏の3行目「の多まへ八」から9丁表の3行目「給て」までを読んで、書かれている仮名文字を字母レベルで確認しました。
 脱線して雑談で終わらないように気をつけながら、文字にこだわるネタをとにかく意識しました。しかし、やはり平仮名、簡体字、繁体字、ハングルの話から逸れて行きました。さらには、漢語と和語の違いから「入管難民法」と「移民」にまで及び、今後の日本語のあり方にまで。
 それでも11行も読み進んでのですから、よく読んだ方だと言えるでしょう。

 次の第14回は11月24日(土)14時〜16時まで。
 また、第15回は12月22日(土)14時〜16時まで。
 新年、第16回は1月20日(日)10時〜12時までです。

 ご自由に参加していただける会です。この記事のコメント欄を利用して連絡をいただけると、詳しい説明を差し上げています。
 
 
 
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ◎NPO活動

2018年10月13日

明浄社会人講座(1)池田「言語学、英語をやさしく身にまとう」

 今秋から開催することになった社会人講座の第1回が、大阪観光大学の併設校である明浄学院高校で、昨日12日(金)午後6時より無事に開催できました。
 今回の講座は、全10回通しの受講者は3名です。今日は、そのうちのお2人がお越しで、もう1人は仕事の調整がつかずにお休みとの連絡をいただきました。
 今回は、高校の英語科の先生2名も参加です。

 最初ということもあり、受講者を校門に出迎え、2階の会場にご案内しました。今回の社会人講座のお手伝いをしてくださることになっている高校国語科の堀先生は、高校側から了承をいただいているということもあり、ご一緒に校門付近で受講者をお待ちしていました。当初予定していた第1会議室は広過ぎるので、10人以内に最適な第2会議室に変更しました。そのこともあって、玄関先まで出迎えに行ったのです。
 玄関には、事務の田村さんが掲示板を設置してくださっていました。お昼に更衣室で出会った時、この日の社会人講座のことを心配していてくださり、ご好意で作っていただいた案内板です。まさに文化祭ののりで、何もかもが見よう見真似の手作りイベントです。

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 急遽部屋を変更したこともあり、講義をしていただく池田和弘先生は、パソコンと音声の調整に大忙しです。本当に申しわけありません。

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 講座を開始するにあたり、代表世話人を務めている私から、簡単にご挨拶をしました。この講座の意義と、今後の展開への協力のお願いです。小さく産んで大きく育てる、ということです。

 第1回となる今日は、池田和弘先生の「言語学、英語をやさしく身にまとう」です。
 言語学の基礎知識の確認から始まりました。わかりやすい話でした。
 少し話が進んだ頃に、講師の問いかけに応える形で、受講者から質問が出ました。それに池田先生が丁寧にご自分の考えを答えられ、その後は、参加者の意見を聴きながら進めていかれました。

 この講座が始まって30分もしないうちに、私はこの部屋の熱気にただならぬものを感じ出しました。受講者が学ぼうとなさる意識の高さが、スクリーンを見つめるその視線と講師の話に聴き入る姿から、自ずと伝わってきたからです。知的好奇心が旺盛で、理解力があり、疑問点と共感を覚える点が即座に整理でき、それが質問という形で発せられ出したからです。また、池田先生の問いかけに対する答えが、自分の考えを控え目ながらも織り交ぜてなされていたことにも驚きました。

 この企画とプランニングは昨年12月に着手し、本年4月中旬にできあがりました。しかし、その後の動きが後手後手だったために、ポスターとチラシができ、正式な案内を公にしたのは先月、9月の中旬でした。このことは、すでに本ブログの「大阪天王寺地域で新しく社会人講座がスタートします」(2018年09月12日)と、「高校での入試前の授業と社会人講座の広報活動」(2018年09月14日)でお知らせした通りです。

 その広報での対応が遅きに失したこともあり、宣伝活動がほとんどできなかったという事態の中で、昨日の開講に漕ぎ着けたしだいです。
 それが、少数ながらも予想外といえば受講者に失礼ながら、驚くべきレベルの高さの講座となったのです。聞き手の意識が、講座の内容に如実に反映しだしたのです。また、受講者の疑問に的確な説明をなさる池田先生にも、日頃のお付き合いの中では気づかなかった、専門家としての奥深い経験と知識の蓄積を知る機会ともなりました。

 イギリスのケンブリッジ大学にいらっしゃったピーター・コーニツキ先生とは、16年間にわたって共同研究として「コーニツキ版欧州所在日本古書総合目録データベース」に取り組んできました。打ち合わせなどでの訪英も、十数回にも及びます。「「コーニツキー版欧州所在日本古書総合目録」がリニューアル(その1)」(2018年07月20日)に、その経緯などを整理しています。
 そのお付き合いの中で、ピーター先生の授業がマンツーマンの討議であることを知りました。理想的な教育と研究が展開する場だったのです。今日は、そのピーター先生の講座の雰囲気を思い出させる、人と人とが知識と知恵と敬意を背景にして交流する、熱気溢れるものだったのです。

 さらに余談を。
 「コーニツキ版欧州所在日本古書総合目録データベース」の公開は2001年でした。当初は、あくまでも私が館長命令で取り組むデータベースの構築であり、国文学研究資料館の業務として認められたものではありませんでした。時間と共にアクセス数が多くなり、その意義が館内で認められ出した2011年から、館で公認のデータベースとなり、予算も正式に付くようになりました。つまり、自主的な活動が認められるまでに、10年を要したことになります。この経緯については、本ブログの「「コーニツキー版欧州所在日本古書総合目録」がリニューアル(その3)」(2018年07月30日)にまとめています。

 今回の明浄学院高校を会場とする社会人講座も、今はまだ認知を受けていない自主的な講座です。講師を引き受けてくださった先生方も、校務としての講義ではないことを承知で協力してくださっています。上記にも引用した本ブログの「大阪天王寺地域で新しく社会人講座がスタートします」(2018年09月12日)の「開講の趣旨」で、次のように記しました。

 明浄学院高等学校は、創立100周年に向けて、2021年4月に文の里新校舎が完成する予定である。その新館に、大学のサテライトが入ることとなっている。そこで、それまでの3年間に現校舎の施設を活用して、以下の10講座をスタートさせることにした。


 つまり、今回スタートした自主的な社会人講座が認知を受けるまでには、少なくとも3年はかかると思っての開催なのです。

 もっとも、今日の講座は、もう社会人講座の域を超えて、学びたいという受講生の熱意と、その気持ちに応えようとする池田先生の、丁々発止のやり取りの場となっていたのです。それにつられて、私も飛び入りでいくつか素人なりの質問をしました。
 巷には、カルチャースクールやカルチャーセンターと言われる社会人講座が数多くあります。しかし、今日、この文の里にある明浄学院高校の2階で展開していたのは、大学院レベルの討議と言うか、お互いが啓発し合う意見交換の様相となっていたのです。

 この展開の中で私は、今後の講座運営に向けての、刺激的な示唆をいただきました。全国至る所で展開している初心者向けの講座とは一線を画した、これからの研究成果が待ち望まれるような討議をする講座があってもいいのではないか、と思うようになったのです。

 こうなると、次回の講師である私としては、この受講者の求めに応えられる内容にしなければなりません。プレッシャーがかかります。しかし、この社会人講座のもともとには、大学の講義では語りきれなくて、語ると止まらない講座を意識したものだったのです。その意味では、ハイレベルの情報を基にして、受講者と一緒に考える講座があってもいいのです。
 まだ1回目が終わったばかりです。今後のことは、もう少し考えさせてください。

 さて、池田先生の講座の内容について、私なりのメモを通して簡単な記録を残しておきます。

・「エマージェント・グラマー」という第三の文法については、まだ知られていない考え方だそうです。英語から脱落した私にとっては、新しい物の見方や考え方には、大いに興味があります。

・バーチャル空間におけるバイリンガルが例示されました。話を聞いていると、私にも英語が話せるようになるのかな、と思いました。錯覚でしょうか?

・同時通訳者は何語で考えているか? ということで、受講者とのやりとりが活発に行われました。概念的に存在しないものは訳せない。言語の意味がイメージできないと訳せない。ということが確認されました。

・言語の獲得装置と普遍文法のギャップについても、受講生を交えてやりとりがありました。

・文法は発信のためにあるのか、受信の中にあるのか。これについての質問と意見は、参加者からいろいろな考えが出てきました。
 どうやらこの講座では、受講者とコミュニケーションをとりながら進めていくといいようです。

・池田先生の英語指導は、日本語を重視して活用しているとのことです。概念が分かっているなら、日本語の中に英語を入れてやる、とも。

・人間の脳の働きにあった英語教育の方法についても、わかりやすい説明がありました。

・「マイクロラーニング」には可能性があるとも。

 本日の講座には、明浄学院高校の英語科の先生がお2人も参加しておられました。熱心に聞いておられたので、講座の最中や終了後に、いろいろな感想やアドバイスを伺うことができました。

 定刻を15分もオーバーして終わりました。
 心地よい知的な刺激を堪能できた1時間半でした。

 終了後、みなさんがお帰りになってから部屋の片付けをしました。しかし、私が机の並べ方と椅子の配置を前後逆にしていたとのことで、この講座のお手伝いをしてくださっている堀先生が、元あったように並べ直してくださったとのことでした。勝手のわからない中で、不手際をフォローしていただき感謝します。

 このような講座に興味と関心をお持ちの方は、残り9回ありますので、全10回通しで参加していただくことは可能です。大阪観光大学の事務に連絡をいただければ、ご要望に対応いたします。また、特定の講座をスポットで参加なさる方は、1週間前までに連絡をください。こうした刺激的な時間を、ご一緒に共有しましょう。

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posted by genjiito at 20:30| Comment(0) | ■講座学習

2018年10月12日

第13回[町家 de 源氏物語の写本を読む]開催のご案内

 今週末の10月14日(日)午後4時から6時まで、「be京都」(http://www.be-kyoto.jp/)で13回目となる[町家 de 源氏物語の写本を読む]を開催します。
 テキストは、『ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「須磨」』(伊藤編、新典社、2013年)です。

 本日12日(金)の京都新聞(朝刊)「まちかど」欄に、この勉強会を呼びかける記事が掲載されましたので、あらためて本ブログでも紹介します。

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 今回は、「8丁裏3行目」の「の多まへ八」から読みます。
 前回の内容については、「[町家 de 源氏](第12回)(変体仮名「可・尓・多」が圧倒的に多い)」(2018年09月22日)をご覧ください。

 700年前に書写された『源氏物語』を、変体仮名に注目して読み進めることに興味と関心をお持ちの方は、このブログのコメント欄より、参加希望の連絡をお願いします。折り返し、詳細な案内をお送りします。
 参加費は、初回だけは体験ということで千円です。2回目以降は二千円です。
 NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の会員は割り引き特典があります。

 なお次の第14回は、11月24日(土)14時から16時まで行ないます。
 会場は、いつもの「be京都」です。
 
 
 
posted by genjiito at 08:20| Comment(0) | ◎NPO活動

2018年10月11日

キャリアアップ講座(その9)『源氏物語』のくずし字を読む(悩ましい「る」と「日」)

 今日は、この社会人講座の直前にあった授業で中国からの留学生と話し合った、年齢の数え方やミドルネームのことから始めました。いつもは、この脱線から本線に戻れなくなるので、あまり寄り道をせずに写本を読み進めました。

 6丁裏の2行目「こと・ひろこり遣累」から7丁裏7行目「多てまつ累とて・なら寿」までを確認しました。

 次の例は「ける越」という語句です(6丁裏4行目)。しかし、一見「は越」と書いてあるように見えるので、真ん中の「る」を見過ごしてしまいそうです。

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 次はどうでしょうか。

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 最初の行の「けなる」(6丁裏7行目)の「る」は「り」のように見えます。
 次の行(左隣)の「返ける」(6丁裏8行目)の「る」の方は迷いません。この2つは、共に「る」です。
 一番左側の行は「八可りも」と読みます。「八」と「可」は、この「鈴虫」の書写者の書き癖に慣れないと、立ち止まってしまいます。そして、この前後の意味を考えて、正しく読むことができるようになる例です。

 次の「る」はどうでしょうか。

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 まず1行目です。ここは、「多可日ぬへし」(7丁表5行目)と書いてあります。
 「る」のように見える文字は、前後の意味や他の写本を参照すると「日(ひ)」と読むことになる文字です。「日」と「る」の読み分けは、なかなか判定が微妙な例です。迷ったら、言葉の意味を考えて決めます。
 この「ひ」と読む変体仮名の「日」については、「キャリアアップ講座(その6)『源氏物語』のくずし字を読む(字母まで正確に書写)」(2018年07月19日)でも取り上げています。参照していただけると、変体仮名を読むおもしろさと悩ましさを実感していただけるかと思います。
 次の行の「ある」の「る」は、今と同じ平仮名です。
 4行目は「給つる」と読むのではなくて、「給つゝ」と読みます。「る」のように見える文字は、ここでは踊り字の「ゝ」にした方が、他の写本との関係で自然なことばとなります。ただし、この「ゝ」は「る」という字形になっているので、テキストである『国立歴史民俗博物館蔵『源氏物語』「鈴虫」』(伊藤鉄也・阿部江美子・淺川槙子 編著、新典社、2015年10月)では、この「ゝ」の右横に「(ママ)」と注記を書き添えておきました。さらに検討を要する文字だと思っているからです。

 今日は、「る」という一文字でもいろいろな形で書かれていることを確認できました。
 無限に姿形を変える変体仮名です。それだけに、読んで意味を考える楽しさが増します。
 
 
 
posted by genjiito at 22:21| Comment(0) | ■講座学習

2018年10月10日

翻訳本ミニ展示「比べてみよう!『源氏物語』における翻訳の差《中国語編》」

 大阪観光大学の図書館1階で、昨年より好評のうちに開催している翻訳本のミニ展示も、今回からは翻訳された文章の巻頭部分が読めるようにして展示をすることにしました。
 中国からの留学生が多いこともあり、まず最初は、中国語訳からスタートします。中国語訳『源氏物語』は20種類以上もあるので、5回に分けての展示となるはずです。
 今回も、私の科研(A)で研究協力をしてくれている学部2年生の池野陽香さん、門宗一郎くん、田中良くんが、選書・演示・解説資料の作成などなど、展示のすべてを担当しました。これまでの経験が回を追うごとに蓄積され、さまざまな配慮が見られる展示となっています。ゆっくりご覧ください。そして、引き続き次回以降を、楽しみにお待ちください。

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翻訳本の展示
「比べてみよう!『源氏物語』における翻訳の差《中国語編》



  開催期間:2018年9月27日〜2018年10月31日

  場所:大阪観光大学 図書館 1階階段前

 今回の特設コーナーでは、『源氏物語』における翻訳の差を比較していただけるような選書をしました。
 元は同じ『源氏物語』という作品であっても、参考にした底本(翻訳するときに使用した書籍)は異なります。
 『源氏物語』の首巻「桐壺」の冒頭部分を展示しています。
 じっくりと読み比べて、楽しんでいただけると幸いです。

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◯中国語訳(1996年)
 殷志俊 訳
 表紙は伊藤小坡『伊賀のつぼね』(猿田彦神社内 伊藤小坡美術館蔵)。後醍醐天皇の妃である阿野廉子の御所に亡霊が出るとの噂が立ち、6月の夜に真偽を確かめるために、伊賀局が庭に出ている姿。

◯中国語訳(2001年)
 黄锋华 訳
「世界文学名著系列シリーズ」の1つ。表紙はボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』。

◯中国語訳(2002年)
 夏元清 訳
 表紙は衣冠束帯姿の男性と、おすべらかしを結った女性の絵。

◯中国語訳(2011年/第6版)
 豊子ト 訳
 与謝野晶子・谷崎潤一郎などが訳した『源氏物語』を中国語に翻訳したものか。
 表の表紙は『絵入源氏』「宿木」巻で宇治の中君が月を見ている場面、裏表紙は同書の「紅葉賀」で光源氏が青海波を舞う場面。

◯中国語訳(2012年)
 康景成 訳
 1巻の表紙は徳川美術館蔵『源氏物語絵巻』「柏木三」(復元図)で、光源氏が生まれたばかりの薫を抱いている場面。2巻は同絵巻の「蓬生」で光源氏が惟光と末摘花のいる常陸宮邸に行く場面。
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 参考までに、【『源氏物語』が翻訳されている34種類の言語】は以下の通りです。

アッサム語(インド)・アラビア語・イタリア語・ウルドゥー語(インド)・英語・エスペラント・ オランダ語・オディアー語(インド)・クロアチア語・スウェーデン語・スペイン語・スロヴェニア語・セルビア語・タミル語(インド)・チェコ語・中国語(簡体字)・中国語(繁体字)・テルグ語(インド)・ドイツ語・トルコ語・現代日本語・ハンガリー語・ハングル・パンジャービー語(インド)・ビルマ語・ヒンディー語(インド)・フィンランド語・フランス語・ベトナム語・ポルトガル語・マラヤーラム語(インド)・モンゴル語・リトアニア語・ロシア語



 以下の『源氏物語』に関する【中国語翻訳史年表】も合わせてご覧ください。図表をクリックすると、画像は精細になります。

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posted by genjiito at 22:38| Comment(0) | ◎国際交流

2018年10月09日

京洛逍遥(516)今朝の散策で見かけた鴨と鷺たち

 早朝の河原には、秋らしい爽やかな川風が吹き渡っています。散策をしていると、鴨や鷺たちが気持ちよさそうに遊んでいる姿を見かけます。
 しばらくは、のんびりとした光景を見ながら、散歩が楽しめる季節となりました。

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 如意ヶ岳の大文字の「大」は、来年の夏までは微かにその文字の一部を思い起こさせるだけです。知らないと、その山肌に「大」の文字が浮かぶとは、思いもしないことでしょう。

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 鷺たちも北山を目指して移動して行きます。

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2018年10月08日

読書雑記(241)白川紺子『下鴨アンティーク 暁の恋』

 『下鴨アンティーク 暁の恋』(白川紺子、集英社オレンジ文庫、2017年6月)を読みました。アンティーク・ミステリー・シリーズの第6弾です。

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 快調に筆は進んでいます。そして、この巻が一つの折り返し地点となっているようです。

■「椿心中」
 居候で大学准教授の矢島慧に、主人公である野々宮鹿乃は前作で想いを告白しました。その後の鹿乃の心の揺らめきから語り出します。
 「衣通姫」と名付けられた、椿が描かれた振袖にまつわる話です。義兄弟の心中が背景にあり、よくまとまっています。ただ、その落ちた椿が枝に戻るところは、中途半端な処理のように思えました。
 鹿乃への一歩が踏み出せない慧の様子が、たどたどしい表現で語られます。これが、なかなか的確に心の中を読み当てているように思いました。最後は今後の展開を考えてか、どうも煮え切らないままです。【3】
 
 
■「月を隠して懐に」
 着物の柄に関係のある、能の「班女」と下鴨神社の話が意外と展開しなかったので惜しいと思いました。
 鹿乃は慧が怖いと思っていることを考えます。しかし、慧は父との会話の中で、鹿乃とのことを思い直すのでした。
 こうしたくだりで、慧と父の心の交流を描く場面には違和感を覚えます。何か違うのです。その反面、慧の母親は少ない言葉数ながらもよく描けていると思います。【4】
 
 
■「暁の恋」
 軒端の梅という帯と、和泉式部と民俗学が連環して話が展開します。さらには、『和泉式部日記』にまで発展していきます。日本の古典文学の香りが行間から漂って来ます。その和泉式部を巻き込んだ話が、折しも慧から突き放された時だったことと重なり、知人の大学生である石橋春野からのデートを鹿乃は承諾したのです。しかし、回りくどい話の流れを経て、慧は鹿乃に結婚の申込みをする事態にまで、一気に進むのでした。場所は蹴上のインクライン。
 人を好きになった者同士の心の戸惑いや迷いが、爽やかに語られます。着物の話が霞むほどに、行きつ戻りつしながら相手のことを想い合う、純粋な恋愛感情がぶつかり合う、恋物語が出来上がりました。さらには、慧はあれだけ遠ざけて来た父との生活に踏み切ります。そんなに急がなくても、と思うほどに円満な大団円で幕を閉じます。【5】
 
 
■「羊は二度駆ける」
 緩急自在の展開です。
 鹿乃と慧の話が幸せの道を歩み出しました。それと合わせたかのように、鹿乃の兄である良鷹と、その幼馴染である真帆の関係が、友達の一線を越えることになります。
 祟りの話は味付けに過ぎず、新しいカップルを生み出した話に仕上がりました。【4】
 
 
 
posted by genjiito at 19:26| Comment(0) | ■読書雑記

2018年10月07日

「第5回 大阪点字付きかるたを楽しむ会」のご案内

 「大阪点字付きかるたを楽しむ会」の兵藤美奈子代表から、第5回となる点字かるたの会の連絡をいただきました。

 この会は、昨年11月にスタートして1年。順調に活動が展開しています。
 私は土曜日には何かとイベントが入る関係で、まだ1度も参加できていません。
 そして、今回も11月10日(土)は、東京の日比谷図書文化館で源氏の講座があり、残念ながら参加できません。
 以下、その案内をすることで、自称広報担当の責任を果たしたいと思います。


第5回 「大阪 点字付きかるたを楽しむ会」ご案内

金木犀の香りに秋の訪れを感じる頃となりました。
皆さんお元気でお過ごしでしょうか。

さて、「点字の百人一首を楽しめる場を大阪で作りたい!」という思いから、日本点字制定記念日の直後、昨年の11月4日に初めて集りを持ちました。
このたび、おかげさまで1周年を迎えることとなりました。
これまでのご縁を大切にしつつ、ますます多くの方々と、かるたの魅力・楽しみに触れられればと思っております。

毎回、坊主捲りや4人一首、
文字通り100枚使っての百人一首で盛り上がっています!
点字の付いたカルタ(百人一首)のお持ち込みも大歓迎です。
ご持参いただける方は、お申し込み時にお知らせください。
「点字は苦手」という方もお子さんも、一緒に楽しめる場にしたいと思います。
皆様のご参加をお待ちしております。

日時:2018年11月10日(土)14時30分〜17時
場所  日本ライトハウス情報文化センター 4階 会議室3
(大阪市西区江戸堀1-13-2 電話  06-6441-0015)
交通:大阪市営地下鉄四つ橋線「肥後橋駅」北改札から2番出口を出てすぐ左。
 もしくは地下鉄御堂筋線・京阪本線「淀屋橋駅」4番出口から西へ400m
 (肥後橋交差点の南西角)
費用:大人−500円 高校生以下−無料
定員:先着20名(定員になり次第締め切ります)
申込:事前に、下記へメールでお願いします。
 putti-castle205@key.ocn.ne.jp (楽しむ会代表・兵藤美奈子)
※いただいたメールにすぐにご返信できない場合もありますが、ご容赦ください。
※メールは前日までにお願いします。
お問い合わせ先:野々村好三(電話090−3841−9107)

<持参予定の点字付きの札について>
⑴「点字付き お坊さんめくり」(発売元:京都ライトハウス)
⑵ 4人一種セット(製作:「百星の会」=非売品)
⑶ 百人一首(製作:点訳ボランティアの方)
⑷ 競技用百人一首、白黒反転(発売元:京都ライトハウス)

<参考1>
坊主捲りには、上記「点字付き お坊さんめくり」を使用しています。
札を横長に置いた時の左上の角が丸くカットされ、上下に札の記号があります。
札は姫は「メメ」(姫のメ)、坊主は「こた」(お坊さんの頭?)、殿は1本線のほか、皇族を表す台座も点字で表されていて、手で触って区別しやすくなっています。

<参考2>
2016年公開映画『ちはやふる』[上の句][下の句]は、シネマデイジーでお楽しみいただけます。手に汗握る、競技かるたの世界をご堪能ください。

 
 
 
posted by genjiito at 22:32| Comment(0) | ■視覚障害

2018年10月06日

日比谷で橋本本「若紫」を読む(2018年度-体験講座)

 週末ごとに颱風が日本に襲いかかって来ます。招かれざる客の情報を気にしながら、早朝から上京しました。今回の颱風は日本海側を通過中ということもあり、新幹線はいつも通り普通に走っています。もっとも、乗客は長旅を自粛してか、車内は空いていました。

 そんな中で、隣に座っておられたご夫人が、名古屋を過ぎたあたりから、突然バッグから香水らしきものを取り出されたのです。ビンの口を嗅ぎながら、何かなさっています。その匂いの臭いこと。とても、香りという世界とは程遠い、まさに異臭が襲いかかって来ます。

 学生時代のこと。
 学芸員のための講座の中に、博学で知られる樋口清之先生の授業がありました。あのベストセラーになった『梅干と日本刀』をお書きになった先生です。
 その樋口先生が、多くの欧米の方々は体臭を消すために香水をつけるのであり、日本人は食事のこともあり無臭の人が多いので、香水の用途は限られている、とおっしゃっていました。そのかわりに汗臭さをごまかすために、着物にお香を焚き染める程度だとも。
 薫と匂宮はどうだったのかはともかく、隣の席で化学薬品をブレンドした時の悪臭プンプンの方は新横浜で降りられたので、やっと苦痛から解放されました。
 私が座っていたのは自由席なので、いつでも別の車両に移れます。しかし、今日は通路側のその方が大きなスーツケースを抱えておられたので、窓側にいた私は出ようにも出られなかったのです。カメムシのような匂いの攻撃には、打つ手がありません。

 有楽町駅からブラブラと日比谷公園に向かいます。途中で、いつもそばを通るのを楽しみにしているゴジラを見上げます。

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 日比谷公園の中では、鉄道マニアが大挙して集まっての一大イベント「鉄道フェスティバル」が繰り広げられていました。

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 今の私に馴染みである、京阪電車と阪急電車のブースだけは立ち寄りました。とにかく、ものすごい人の列です。

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 日比谷図書文化館の地下にあるラウンジで、昼食をいただきました。そして、この時間を利用して、科研の運用とホームページに関する打ち合わせを、待ち合わせをしていた仲間4人で、2時間ほど話し合いました。新しい展望が見えてきました。昨年来K社のお陰で完全に頓挫したままになっている科研のホームページについては、また後日、明るい展望のもとに詳しい報告をします。とにかく何もしてもらえないままに振り回され、一年半もの長きにわたり研究妨害を受け続けて来たのです。ほとほと疲れた、と言うのが本音です。この状況も、間もなく道が拓けます。今少しの時間をください。

 今日の古文書塾「てらこや」の講座は、5回ごとに切り替わるごとに設定された「体験講座」です。14名の方が、様子見の参加をなさいました。
 とはいえ、私の方はいつも通りのマイペースで、写本は2行ほどを読んだだけです。お話ししたことは、『源氏物語』の本文が大島本だけで読まれている現状や、鎌倉時代に書き写された写本の大切さを訴えました。
 また、変体仮名が昨年からユニコードの中に認証されたことや、現行の平仮名は明治33年以降に各音に1文字ずつを割り振られ、絞り込まれて広まったものであることも確認しました。
 もちろん、目が見えなくても写本が読める方が講座に参加しておられることも。立体コピーの実物を回覧しました。

 この講座が、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の背景を持つものであることも、NPO活動の説明とともにしました。

 いつものように、予定を大幅にオーバーして終わりました。終わってから、国文学研究資料館が品川の戸越にあった頃に、歴史の史料館にアルバイトで行っていたという方が声をかけてくださいました。いろいろな出会いがあるものです。
 事務の方の話によると、今日お越しの半分くらいの方が、来月からの講座に参加されるそうです。継続の方を含めると、これまでよりも多くの方々が参加なさるようです。ありがたいことです。

 すでに源氏の講座に参加なさっている方もお出ででした。あらかじめ伺っていたこともあり、池田本の「早蕨」と「宿木」の資料をお渡ししました。これを例として、NPO活動として取り組んでいる変体仮名を取り込んだ翻字作業の実態も、詳しく説明しました。

 この翻字作業については、多くの方にお願いしながら、まだ作業用のデータを渡しきれていません。
 大学も始まり、少しずつ落ち着いてきましたので、来週から作業用のデータをお届けしようと思います。
 これまでは、私が手元で管理しているエクセルのデータから抜き出した本文データを、一旦ワードの文書にして渡していました。しかし、それは私が変換作業に手間取り、お渡しするのが遅くなるばかりです。そこで最近は、エクセルのデータを切り出してお渡しし、それに直接補訂の手を入れる作業をしていただくことにしています。
 翻字のお手伝いをしてくださっている方には、こうした方針の変更についてのご理解をよろしくお願いします。

 また、今日は、築地市場の最終日でした。越中島に住んでいた昨春までは、築地に近かったこともあり、自転車でよく銀座へ散策に行く時に立ち寄りました。今日が最終日なら、帰りに築地に寄ろうか、と思いました。しかし、明日もいろいろと予定が入っていることもあり、残念ながら帰洛の途に着くことにしました。
 台風情報が行き渡っていたせいもあってか、新幹線はガラガラでした。
 
 
 
posted by genjiito at 22:06| Comment(0) | ◎NPO活動

2018年10月05日

高校で入試のための面接練習をする

 金曜日は高校へ教えに行っています。ただし、秋は学校行事が立て込んでいて、今日は3週間ぶりの授業となりました。

 まずは、文化庁が先月発表した、紛らわしい表現のアンケート結果などを確認して、文章表現や日常会話などで気をつけることを確認しました。
 例えば、「なし崩し」の意味を「なかったことにする」とした誤答率は65.6%、「げきを飛ばす」は67.4%が「元気のない者に刺激を与えて活気づける」という意味に誤解し、「チームや部署に指図を与え、指揮する」を「采配を振るう」と答えたのは56.9%などなど。
 もっとも、いくつか私も引っかかりましたが。

 言葉は時とともに変化していくものです。本来の意味とは異なって受け取られていく変化と推移は、言葉が生きたものである以上は当然のことです。そのため、過去にしがみつくことなく、時代の変化に柔軟に対処してもいいと思っています。緩やかな変化には、柔軟に順応すればいいという対応をとっています。

 今はやりのクイズ番組では、答えは一つしかないという偏狭な立場で番組を構成しています。物事にはすべて正解がある、というのも、ある意味では一つの見識でしょう。しかし、それは学校という狭い世界での論理なのであって、無理やり正解はあるものだと決めつけて正誤を要求するのはどうでしょうか。実社会では、多様な答えがあります。正解は追求するものの、流動し変化する言葉の世界では、いにしえへの回帰だけが最終目標ではないはずです。

 そうした観点から言えば、面接の指導も多様な対応が求められます。いろいろなアドバイスを参考にして、生徒たちは実際の試験に立ち向かうのです。
 今、私が受け持っているクラスは特進看護コースです。生徒が受験するのは、人を相手にする仕事に就く人材が学び集う看護学校の入試です。就職試験とは違う要素があります。
 今月から受験が始まっています。明日が試験日だという生徒が3人いました。
 いろいろと話をした後、3人ほどを指名して、教室で模擬面接をしました。

 20年以上前に府立高校の進路指導部に所属していた頃、毎年夏ごろから面接の練習に立ち会い、指導をしていました。応接室などにビデオカメラを設置して撮影するなど、生徒が緊張する場面を設定して面接訓練を行いました。その10数年間の経験が、昨日のことのように思い出されたので、我がことながら驚きました。また、総合研究大学院大学文化科学研究科日本文学研究専攻でも、長い間面接を担当しました。そんな経験が活きる場面が、こうしてあったのです。

 今、『看護師専用 お悩み外来』(宮子あずさ、医学書院、2008年7月)という本を読んでいます。

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 数多くの病気を、私は現在進行形で経験しています。さまざまな手術と入院歴を誇る私は、この本のお悩み相談の背景がよくわかります。
 来週から、この本にある例証を取り上げて、学習指導の中に取り込んでいくつもりです。

 高校3年生の授業は、あとは数える程となっています。学力をつけて卒業する後押しをするとともに、折々に、私が出来ることを、出来る範囲で、アドバイスとして生徒たちに伝えたいと思っています。
 
 
 
posted by genjiito at 20:54| Comment(0) | *身辺雑記

2018年10月04日

読書雑記(240)伊藤亜紗『目の見えない人は世界をどう見ているのか』

 『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(伊藤亜紗、光文社新書、2015年4月)を読みました。

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 先入観が揺さぶられる本です。意外なことが、スッキリと理解できます。そーなのかーっ、と納得します。
 帯に書いてある文章が、本書の内容を端的に示しています。

 自分と異なる体を持った存在のことを、
 実感として感じてみたい

本書のテーマは、視覚障害者がどんなふうに世界を認識しているのかを理解することにあります。(中略)障害者は身近にいる「自分と異なる体を持った存在」です。そんな彼らについて、数字ではなく言葉によって、想像力を働かせること。そして想像の中だけかもしれないけれど、視覚を使わない体に変身して生きてみること。それが本書の目的です。(本文より)


 以下、私がチェックした箇所を、今後のために引用し列記していきます。
 
◆最近私は、点字ブロックの必要性と、その反面で迷惑がられている点について、街中で写真を撮りながら考えています。次の言葉に接し、何かヒントがないかと思って読みました。しかし、本書では点字ブロックについての言及はここ以外にはありませんでした。
たとえば新しい点字ブロックの考え方やより創意に富んだ支援サービスを生み出したらいいな、と私としては望んでいます。(42頁)

 
 
 ただし、次のような説明を見ると、街中の点字ブロックの利点が生かされていると言えます。この足の感覚を、もっと活用することで、点字ブロックの問題点を解決したいものです。
 そんななか、自分が透明人間でないということをかろうじて証明してくれるのは、周りにいる人や物に触れる触覚、そして何より足の裏の感覚です。暗闇に入ると、足の裏からこれほど多くの情報が得られるのかと、その豊かさに驚きます。見えない世界では、サーチライトの役割を果たすのは、目ではなく、足なのです。自分が立っているそこが土なのか、絨毯の上なのか。傾いているのか、平らなのか。体重をかけていいのか、まずいのか。もし見えないまま和室の中を歩いているとすると、畳の目の向きから、壁の方向さえ推測できるかもしれません。(121頁)

 
 
◆居住空間に関する次の指摘から、目が見えない方は触読で文字の識別をする時などに、独特の感性を発揮して崩し字なども正確に読めるのでは、と思いました。
 こうした見えない人の空間把握の仕方がわかるのが、見えない人の住まいのインテリアです。人は、世界をとらえるよう世界を作ります。つまり、空間のとらえ方が幾何学的で抽象的であるということは、幾何学的で抽象的な仕方で空間を作るということです。もちろん個人差はありますが、全体的な傾向として、見えない人の住まいは幾何学的で抽象的な傾向があります。
 幾何学的で抽象的な住まいといっても、椅子が真っ白いキューブだったりカーペットが無地の円形だったりする、ということではありません。言ってみればエントロピーが低い、つまり乱雑さの度合いが低い、ということです。余計なものがなく、散らかっていない。きちんと整理されていて、片付いているのです。
 理由は簡単です。物がなくなると探すのが大変だからです。きれいに片付いているということは、言うまでもありませんが、使ったものは必ずもとの場所に戻されているということ。つまり、あらゆるものに「置き場所」があるということです。ハサミは引き出しの中、財布はテレビの横、醤油はトレイの奥から二番め云々。置き場所がきちんと指定されていれば、欲しいものがすぐに手に入ります。
 あるべきものが「定位置」にない場合は、それを探さなければならないわけですが、これは見えない人にとっては非常に労力がかかることです。部屋のすぺての場所を手で触ってくまなく探さなければならないからです。リモコンが見つからなくて友達に電話して来てもらう、なんてことになりかねません。(58〜60頁)

 
 
◆次のことから、塙保己一を思い起こしました。
メモという形で情報をアウトソーシシグできないため、情報を効率よく蓄積しておく方法を身につけなければならなかったのです。(61頁)

 
 
◆「文化的なフィルター」を通して見ていることの意味を、ここで具体的に知ることになりました。
私たちは、まっさらな目で対象を見るわけではありません。「過去に見たもの」を使って目の前の対象を見るのです。
 富士山についても同様です。風呂屋の絵に始まって、種々のカレンダーや絵本で、デフォルメされた「八の字」を目にしてきました。そして何より富士山も満月も縁起物です。その福々しい印象とあいまって、「まんまる」や「八の字」のイメージはますます強化されています。
 見えない人、とくに先天的に見えない人は、目の前にある物を視覚でとらえないだけでなく、私たちの文化を構成する視覚イメージをもとらえることがありません。見える人が物を見るときにおのずとそれを通してとらえてしまう、文化的なフィルターから自由なのです。(67頁)

 
 
◆点字の識字率については、私もよく例に出す数字です。1割の方しか点字が読めないという現実の中で、身の回りになんと点字のラベルが氾濫していることか。私は、点字よりも音声によるガイダンスに力を入れるべきだと思っています。そのためにも、白杖をアンテナにすれば、無線で音が自由に拾えるのです。
 まず「見えない人=点字」の方程式について。少し古いデータですが、二〇〇六年に厚生労働省が行った調査によれば、日本の視覚障害者の点字識字率は、一二・六パーセント。つまり、見えない人の中で点字が読める人はわずか一割程度しかいないのです。(89頁)
 
 
 さらに深刻なことに、こうした電子化の影響は、若い世代ほど強く受けています。見える世界でも若者の「活字離れ」が叫ばれて久しいですが、見えない世界でも同じように「点字離れ」が進んでいます。若い世代は電子化の波をダイレクトに受けていて、パソコンや携帯を駆使して見える人と同じように情報を収集します。スマートフォンを使いこなす視覚障害者も増えています。タッチパネルも、もちろん使いこなします。(90頁)

 
 
◆現在、変体仮名は立体コピーにした資料で読んでいただいています。しかし、次の文章を読んでから、音声と融合したテキストを作成する方策を考え出しています。
 このようなことを知らずに、「見えない人=点字=触覚」の方程式で状況を解こうとしてしまうと、「見えない人にとって、必要な情報は何でも触れるようにしてあげるのがいい」と杓子定規に考えがちです。たとえば、図形や絵の情報を伝えるために、それを立体コピーして見えない人に渡したとします。立体コピーとは線の部分が浮き出るように加工する印刷技法で、エンボスとも言われます。立体化された図形などを触って観察することを「触察」と言い、教育現場にも導入されるなど有用な場面もたくさんありますが、細かい図になってくると、見えない人であっても、理解するのは容易ではありません。線が混ざって模様のようになってしまう。
 けれどもこうしたケースでは、「分からない」とはなかなか言いだしにくいものです。「わざわざ立体コピーをしてくれたのに悪い」と感じてしまう人もいるでしょう。それではますますディスコミュニケーションが深まってしまいます。詳しくは第4章で紹介しますが、図形の「情報」そのものではなく、やわらかい、楽しそう、などその「意味」を伝える方法もあるはずです。(91〜92頁)

 
 
◆本書の最後では、語り尽くせなかったことに言及があります。「しょうがい」という言葉と、その表記についての問題に対して、著者の明確な考えが示されています。
 従来の考え方では、障害は個人に属していました。ところが、新しい考えでは、障害の原因は社会の側にあるとされた。見えないことが障害なのではなく、見えないから何かができなくなる、そのことが障害だと言うわけです。障害学の言葉でいえば、「個人モデル」から「社会モデル」の転換が起こったのです。
 「足が不自由である」ことが障害なのではなく、「足が不自由だからひとりで旅行にいけない」ことや「足が不自由なために望んだ職を得られず、経済的に余裕がない」ことが障害なのです。
 先に「しょうがいしゃ」の表記は、旧来どおりの「障害者」であるべきだ、と述べました。私がそう考える理由はもうお分かりでしょう。「障がい者」や「障碍者」と表記をずらすことは、問題の先送りにすぎません。そうした「配慮」の背後にあるのは、「個人モデル」でとらえられた障害であるように見えるからです。むしろ「障害」と表記してそのネガティブさを社会が自覚するほうが大切ではないか、というのが私の考えです。(211頁)

 
 
 
posted by genjiito at 21:44| Comment(0) | ■読書雑記

2018年10月03日

文化庁が京都に来る意味を考える充実したシンポジウム

 2020年に、遅くとも2021年には、文化庁が京都に全面的に移転して来ます。それを踏まえてのシンポジウムが今夜、京都文化博物館で開催されました。

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 今回私は、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の代表理事の立場で参加し、発言や意見を伺いました。今後は、可能であれば文化庁の存在と力を借りながら、『源氏物語』の写本文化を中心としたNPO活動に結びつけたいと思っています。

 今回のイベントは、新しい文化庁がどのような組織で、何をしようとしているのか、ということを広く京都の地で知ってもらおう、という企画です。

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 基調講演で松坂浩史氏(内閣参事官、文化庁地域文化創生本部事務局長)は、これまでは文化を分析的に見ていた、これからは全体的に捉えていくことになる、とおっしゃいました。そのことを含めて、私にはよくわからない抽象的な理念が語られていました。そのために京都に移転することとの関連性が、希薄だったように思います。いろいろあってやはり京都となった、という経緯はわかりました。しかし、それなら地方であればどこでもいいのでは、という感想も抱きました。

 今日の説明では、京都の方々にこの地に来るのだ、という説得力には欠ける説明だったように思います。東京では通用したことでしょう。しかし、京都で理解を得るには難しいものがあります。出身が東京とのことだったので、この関西の気風に馴染まれるのにもっと時間がかかりそうに思われました。その前に、お役人という立場を匂わせておられたので、それは関西では通用しないところが多々あるように思えます。それが、後半のディスカッションの中で、会場からの反応で実感としてよくわかりました。文化庁に対する異見が出ると、場内から拍手喝采という応援があったからです。

 新しく京都の地でやっていこう、という意欲は伝わってきます。次は、具体的に何をどうするのか、ということになります。その理解を得るためには、まだこのような集会が何度か必要だと思います。

京都文化博物館開館30周年記念
京都画廊連合会主催シンポジウム
「文化庁は京都に何を求め、京都は文化庁に何を求めるのか?」

と き / 平成30年10月3日(水)6:30PM〜8:30PM
ところ / 京都文化博物館・別館ホール(定員200名) 入場無料

文化庁の京都本格移転が近づいてきました。けれど「文化庁って何?」「京都で何をするの?」と多くの人は「?」ばかり、あまり関心が高まっているようにも思えません。文化庁の方も「京都ってどんなところ?」と思っていらっしゃるかもしれません。この際、地元京都の状況をふまえた京都からの意見発信、文化庁をはじめとする文化行政全般との意見・情報交換の場を、一般の府民・市民に開かれた形で設ける必要があるのではないか?それが、日頃多くの作家や美術・文化を愛する市民と接している私たち画廊連合会の責務ではないかと考え、企画したものです。皆様の御参加をお待ちしています。

−プログラム−

6:30〜7:00pm
講演︰「文化庁の京都移転で目指すもの〜新・文化庁とは〜」
松坂浩史氏

7:00〜8:30pm
シンポジウム︰「文化庁は京都に何を求め、京都は文化庁に何を求めるのか?」
松坂浩史氏、森木隆浩氏、潮江宏三氏、太田垣實氏、川村悦子氏、星野桂三氏
コーディネーター:山中英之氏


 シンポジウムでの質問をいくつか拾っておきます。
 
◎今、なぜ「生活文化」なのか?
 →食を含めて、世界の流れに文化庁は遅れていた。
◎京都に文化庁が来るメリットは?
 →京都の人は出不精なので、来てもらうとものが言いやすくなる。

 そして、私が今回のシンポジウムで活気が生まれたと評価したいのは、京都画廊連合会の星野さんの存在でした。星野さんは、いろいろな例をあげて、文化庁には期待はしていないということを明確におっしゃいました。文化庁の動きをじっと見守っていく、との発言もありました。これについては、会場からは大きな拍手が湧き起こりました。京の町衆のパワーを垣間見た思いです。
 とにかく、文化庁の松坂さんとの対立が鮮明で、今後の成り行きを見守るという展開となったのです。
 コーディネーターの山中氏は、京都の人は冷ややかに見ながらも見る目があるので文化庁の真価が問われますよ、とフォローというか文化行政の心構えを再確認しておられました。

 その後も、文化庁や文化に対する星野氏からの辛辣な意見には、会場からたびたび拍手が起きます。この盛り上がりには、基調講演をなさって俎板の鯉とでもいうべき状況に置かれた松坂さんも、苦笑いで躱しておられました。
 後半は、終始、京都の人の目と耳が厳しいことを、肌身で実感するシンポジウムでした。東京の発想が、そのまま関西では通用しない、させないという文化の違いが、今日は鮮明に浮き彫りにされました。
 主催者側の立場でパネラーとして登壇なさっていた星野さんは、多分に京都人特有のパフォーマンスで異見をおっしゃったと思われます。これは、京都人のいけずではなくて、長い歴史で培われた、異文化の流入に対する抵抗姿勢の一つではないのか、と思われます。
 しかし、京都は、新しい変革が大好きです。そうであるからこそ、常に文化の中心にいられたのです。今日は、東京からのお仕着せの姿勢への反撃を、それも楽しさや期待を持たせながらの余裕の対立を、まさに目の当たりにしたのです。貴重な文化交流会を通して、いい勉強の機会となりました。

 最後のテーマとして、文化財の活用に関して、保存の観点から複製の意味する話題はよかったと思います。日本は「仕舞う」文化だということも、今後に展開する貴重な提言でした。いずれも、文化庁との絡みで、今後とも話題性がある問題提起だと思いました。充実した、東西の文化の違いが体感できるシンポジウムでした。

 なお、10月に入った今週から、文化庁のシンボルマークが次のように新しくなっています。

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posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | ◎情報社会

2018年10月02日

読書雑記(239)船戸与一『神話の果て』

 『神話の果て』(船戸与一、講談社文庫 新装版、1995年11月)を読みました。

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 本書のことは、今夏8月にペルーのリマへ行った折、日秘文化会館の中にあるエレナコハツ図書館で、同僚で同行のアンデス考古学者の宮野元太郎氏よりご教示いただきました。その時には、図書館の書架にあった単行本を手にして、ご自分の調査地などのことを交えて話を伺いました。帰国後、すぐに入手できた文庫本で読みました。

 アンデスが専門の文化人類学者である志度正平は、酔いだくれとして登場します。スペイン語はもとより、ケチュア語とアイマラ語を巧みに操れる日本人です。正平は、殺し屋としての仕事となると、まさにプロとして別人になります。その落差が、巧みに語られていきます。
 ペルーの高地に、天然の純度の高いウラン鉱床が発見されたのです。これが、アメリカの権力機構を変えるというのです。ただし、その一帯はゲリラの支配下にあるのです。そのゲリラ組織を破壊することが問題として浮上します。
 月光の中で、ツトム・オオシタは脱獄します。そのツトムと正平が入れ替わるのです。話は、船戸らしく急展開です。
 言語による問題で、組織的な闘争が失敗する例は興味深いものがあります。

第四インター系の革命家ウーゴ・ブランコに指導されたその闘争は結局、失敗に終わる。その理由のひとつに闘争内部の言語の問題があった。組織のなかの統一言語としてケチュア語が採用されたのだ。山岳地帯ではケチュアとアイマラが混在している。当然それはアイマラの反撥を呼んだ。そのことがやがて闘争そのものを衰弱させていく一因となったと言われている。(158頁)


 コンピュータで書類を作成し、それを暗号化して FAX するなどの通信事情のくだりは、この背景となる時代を感じます。この作品が最初に『小説推理』に公表されたのは1984年です。それは、ちょうど私がNECのPC-9801F2を購入し、本格的に漢字平仮名混じりの日本語で『源氏物語』のデータベースを構築し始めた頃です。当時勤務していた大阪府立の高校に、富士通のFM77を25台導入し、パーソナル・コンピュータ(当初は「パーコン」と言っていた)を活用した国語教育に着手した時代でもあります。1986年に、私は初めての著書となる『新・文学資料整理術 パソコン奮戦記』(桜楓社、昭和61年11月)を刊行しました。

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 これは、文科系におけるコンピュータを活用した知的生活の啓蒙活動を始めた頃でもあります。

 オリバレスは机の左手に置かれているマイクロ・コンピュータのまえに腰をおろした。
 解読文のコピーに眼を落したまま指がすばやくキイを叩きはじめた。ディスプレイに次々とアルファベットが浮きあがる。すべてを写し終え、文書の再確認を終了したのは十二時半をほんのすこしまわったところだった。オリバレスは解読文の全文にクリストファー・ビッグフォードの死と志度正平の予想される行動を附記し、末尾に『至急、指示を乞う』とつけ加えて新たなキイを四度叩いた。
 このコンピュータには三日おきに異った乱数表がインプットされる。いま写し終えた解読文はその乱数表に従って判読不明の彪大な量のアルファベットの不規則な羅列に変わるのだ。そして、それはコンピュータに繋がる周辺機によってただちにプリントされる。
 プリントされた不規則なアルファベットの羅列はファックスによってワシントンのポトマック河畔にある小さな商事会社に送られる。この商事会社は中央情報局(CIA)のダミーだ。情報は瞬時にしてそこから五マイル北西にあるヴァージニア州ラングレーにある本部に届けられる。(163頁)


 インディオの集団が、明るく生き生きと語られています。ただし、ここで著者は、観光を否定的に捉えています。私自身の問題意識と関連するので、今後のためにメモとしてその箇所を切り取っておきます。

「南北に伸びようとする共和国も現状ではクスコ、プーノと言ったアンデス山岳地帯に存する観光都市に分断されている。観光というインディオの魂を蝕む最悪の都市に!」
「カル・リアクタが顕在化するというのは……」志度正平は声を落として訊いた。「そういう観光都市への攻撃をいよいよ開始するということですか?」(330頁)
 
 
「教会の人たちやナザレの住人たちになぜ人家を購入するのかと不審がられたら、観光資本が新たな観光資源を開発するために調査員を送ってくるのだと秘密めかして喋っていただきたい。要求はただそれだけです」(460頁)


 CIAの破壊工作員ジョージ・ウェップナーは、志度を密殺するためにアンデスの山中まで追いかけます。また、殺し屋ポル・ソンファンも、志度を追いかけています。2人に狙われる志度がどうなるのか。それに加えて、元ボリヴィア解放戦線の活動家でソヴィエト国家保安委員会(KGB)とも関係を結ぶシモン・アルゲダスという男が加わります。目が離せません。チャカラコ溪谷に眠る鉱石をめぐって、米ソを交えての情報戦が繰り広げられたのです。

 カル・リアクタというゲリラ組織の長であるラポーラとは、一人の固有の肉体を持つ人物ではなくて、概念としてのものであり、複数存在することもある、という設定であることが終盤で明かされます。何代目のラポーラという考えで見ればいいようです。ということは、破壊工作員の志度正平が一人のラポーラを抹殺するという使命は、まったく無意味だったということになります。
 最後の赤く濡れた月影が印象的な長編小説です。【5】
 
 
※初出誌:『小説推理』(1984年1〜7月号に連載)
 その後、大幅に加筆修正をして、昭和60年1月に双葉社より単行本として刊行。
 
 
 
posted by genjiito at 20:14| Comment(0) | ■読書雑記

2018年10月01日

京洛逍遥(515)京都っ子で第2世代となるメダカたちとノーベル賞

 メダカが好きな私は、折々に自宅に連れてきては面倒を見ています。

 東京の越中島(門前仲町)にあった東京医科歯科大学の官舎にいた頃には、江東区の豊洲にあるホームセンター「ビバホーム」の中にあるペットショップでいただいたメダカを、6年間で第3世代まで育てていました。

 第1世代は「江戸漫歩(44)深川も夏から秋へ」(2011年09月14日)に写真があります。

 第2世代は「新しく我が家の一員になったメダカたち」(2012年09月05日)に。

 そして、第3世代は、東京から京都へと連れてきました。ただし、「うっかりミスで和やかな一日となる」(2018年05月18日)という記事の最後に、東京から連れてきたメダカたちが京都の水に慣れることができなかったのか、1年ほどで亡くなってしまったことを報告し、新しく出町柳でいただいた京都っ子のメダカがやってきたことを書きました。

 その、新しく初夏から一緒に住むことになった京都っ子の第1世代となる出町のメダカは、今夏、かわいそうに2ヶ月ほどでみんな亡くなってしまったのです。露店で売られていたメダカだったので、異常気象に加えて元々の管理がよくなかったこともあってか、残念ながら短命でした。

 今年は猛暑だったので気候が落ち着くのを待ち、先週やっと新しい家族を迎え入れました。今回は、京都大学の農学部に近いところにある、金魚とメダカの専門店でいただきました。

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 この記事を書いている時に、2018年度ノーベル医学生理学賞を京都大学特別教授の本庶佑氏が受賞なさったというニュースが飛び込んできました。授賞理由は、「がんの免疫逃避機構の抑制による治療法の発見」だとか。私は、京大病院のがん病棟である積貞棟で胃ガンの手術をして、命拾いをしました。
 これも京大つながりの話題として縁がある、と無理やりこじつけて、京大育ちのメダカが我が家にやってきたことを、この機会に取り上げることにしました。
 さて、この京都での第2世代となるメダカたちを家族に加えたこともあり、これまでと変わらぬ穏やかな日々を過ごすことにします。
 
 
 
posted by genjiito at 21:06| Comment(0) | ◎京洛逍遥