2018年05月31日

読書雑記(227)【ブンゴウメール】「走れメロス」(全31回)を読み終えて

 先月5月1日から、【ブンゴウメール】がスタートしました。
 早速登録し、1ヶ月ほど体験しました。
 これは、次の主旨で提供されているサービスです。実におもしろい企画です

1日3分のメールで、ムリせず毎月本が読める

青空文庫の作品を小分けにして、毎朝メールで配信。気づいたら毎月1冊本が読めてしまう、忙しいあなたのための読書サポートサービスです。


■ブンゴウメール公式サイト:https://bungomail.notsobad.jp

 私は、興味がない本は見向きもしません。書店で、読んでみようかなと思っても、その時々の優先順位で本を選んで読んでいます。そんな中で、人任せにして、毎日配信されて来るという作品を読んでみました。これなら、いつか読んでみようと思っていた作品や、読もうとは思っていなかった作品に目を通す出会いともなります。

 そんなこんなで、毎朝送られてくる太宰治の「走れメロス (全31回)」を読み始めることになったのです。これは作品自体が短いせいもあってか、一回分の分量は300字ほどです。400字原稿用紙で一枚ほどの分量なので、確かに1分で読めます。
 無意識に文字を追っていただけなのに、意外と話の内容が頭の中に入っています。受け身の読書なのに、しっかりと読めていて驚いています。
 今回のテキストの出どころは、以下のものでした。

底本:「太宰治全集3」ちくま文庫、筑摩書房
   1988(昭和63)年10月25日初版発行
   1998(平成10)年6月15日第2刷
底本の親本:「筑摩全集類聚版太宰治全集」筑摩書房
   1975(昭和50)年6月〜1976(昭和51)年6月
入力:金川一之
校正:高橋美奈子
2000年12月4日公開
2011年1月17日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。


 これに関連して、こんな記事がありました。

(おまけ)なんで初回は走れメロスになったのか

登録いただいた方にはもう届いてるかと思いますが、初月となった5月は太宰治の「走れメロス」を配信しています。(登録したのに届かない!という方は迷惑メールボックスなどもご確認くださいませー)
初回配信タイトルを選ぶときに考えていた条件は、
• みんなが知っていて
• 短くて
• 親しみやすい作品
ということだけでした。そりゃメロスになっちゃうよねー。
しかしブンゴウメールとほぼ同時期に「実時間メロス」がバズっていたので、メロス何回読むねんみたいな人が出てしまったのは本当に申し訳ない…。
19時「メロスは激怒した」約3日間のメロスの旅がリアルタイムで進行する読書アプリ「実時間小説 走れメロス」 - ねとらぼ
まぁ過去の名作を扱う以上、今後も読んだことある作品が出てくるのはしょうがないなーと思ってまして。再読もおもしろいというか、むしろ楽しんでもらえたらいいのかなというスタンスです。
ただ実時間メロスと並行してメロスが届いてしまうというのは完全に誤算だったので、そこに関しては謝るしかないです。ていうかこんなことってある?(いやない)
http://blog.notsobad.jp/entry/2018/05/03/145404


 とにかく、毎朝この短文を読むのが楽しみになりました。何か得をした気持ちになっています。
 明日から、また新しい月となります。どんな作品が送られて来るのか知りません。知ろうともしていません。それも、楽しみなのです。
 
 
 
posted by genjiito at 21:16| Comment(0) | ■読書雑記

2018年05月30日

4つの会議のハシゴの後に研究会へかけつける

 大阪観光大学の2階にある国際交流サロンで、「第3回 観光と国際交流の研究会」が開催されました。

 学内では、教員として日々とにかく雑務に追われています。
 今日は、13時から15時までの間に、私が出席すべき会議が4つも組まれていました。そのうちの3つが同じ時間帯に設定されているものだったので、1つずつ巡回する形で出席する始末。
 結局、1つだけは出席できませんでした。
 そして、やっと会議から解放されたと思う間もなく、15時からは研究会が始まりました。開始ギリギリに駆け込むこととなりました。

 本日の研究会の案内文には、「午後のひととき、研究の輪の中へ、ご一緒に議論を交わしませんか?」とあります。しかし、その呼びかけとは裏腹に、重奏する時間と空間を泳ぎ回るという現実をかき分けながら、研究会になんとか参加とあいなりました。

日時:2018年5月30日水曜日
午後3時から午後5時まで
場所:4号館2階の国際交流サロン
発表者:湯浅 千映子氏
   (本学国際交流学部講師)
題目:ネットニュースの見出しの機能−
  NHK「NEWS WEB EASY」・「NHK「NEWS WEB」の比較−


 今日の研究発表は、ニュースに付けられた見出しから、わかりやすい日本語について考えるものです。日頃、ブログでタイトルをつけることで何かと苦労しているので、興味深く拝聴しました。
 内容は、一般向けと小・中学生向けの記事のタイトルを比較検討するものです。
 いろいろと刺激を受ける、有意義な発表でした。詳細は、後日活字になると思われるので、今はおきます。

 質疑応答で、私は次の6点について、確認と疑問を兼ねてお尋ねしました。

1、研究手法としては統計処理と思われることから、その場合は分母が300例では少なすぎないか。

2、このテーマは、日本語を通しての異文化交流と翻訳の問題になると思われること。

3、どのような人が見出しを作っているのか。新聞で関西と関東で見出しが異なるように、このニュースの事例でも、読者の想定によっては表現の違いが生まれていないのか。

4、漢語を使わないようにするとわかりやすくなる、という理解でいいのか。

5、ニュースの質によっては、見出しの分類が異なってこないか。例えば、政治・経済・文化・スポーツ・社会などに分けると、それぞれの見出しにはどのような違いがみられるのか。

6、NHKニュースを素材にするということは、話し言葉の研究になるはず。書き言葉の新聞の分析とは、傾向が異なってこないか。

 素朴な疑問をそのままお尋ねしました。特に、一般向けの見出しに見られる漢語を、小中学生向けにわかりやすくすると、その漢語が変質する傾向があるとのことには興味をもちました。これについては、現代における漢語とは何か、ということを考える上で意義深いものがあります。まだこれからの調査によるという項目はあったものの、今後の研究の進展が楽しみな、切り口が新鮮な発表でした。ますますの活躍を期待したいと思います。

 久しぶりに異分野の研究を伺い、心身共に活性化しました。こうした機会を得て、さまざまな分野の問題も考えて見たいと思います。
 
 
 
posted by genjiito at 23:42| Comment(0) | *身辺雑記

2018年05月29日

読書雑記(226)宮脇淳子『日本人が知らない 満洲国の真実』

 『日本人が知らない 満洲国の真実 封印された歴史と日本の貢献』(宮脇淳子、監修:岡田英弘、扶桑社新書257、2018年1月1日)を読みました。本書は、2013年4月にビジネス社より単行本で刊行された『真実の満洲史[1894−1956]』に加筆し改題の上で新書として発行したものです。

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 印刷されている文章と、それを語る作者の背景がよくわからないながら、筆者の思い込みが気になりました。「と思う。」とか「ということです。」が多すぎます。また、引かれている著書や著者と思われる人名も、どうしてその本が? その人が? と思うことがいくつかありました。
 論理的な展開ではなくて、感情的な表現に私は引っかかってしまいました。これは、人や物に対する、思いやりというものに欠ける文章になっているせいではないでしょうか。
 一例を引きます。

孫文もそうですが、いまだにウィルソンを誉める日本人の気が知れません。(206頁)


 歴史を見る目は真っ直ぐなのでしょう。しかし、読み進むうちに、そういうことだろうか、違う視点ではどうなるのか、別の資料はないのだろうか、などと、行文の背後が気になって仕方がありませんでした。

 逆接の接続助詞「が」で文章がダラダラとつながっていくので、読者としては非常に疲れる文章だったことも補足します。

 また、次のような文はどのように読んだらいいのか困りました。いくつかあげます。
 まずは、筆者自身の意見はどこからかが不明な文章から。

『歴史通』(2012年5月号、ワック出版)に、「日帝支配資料館『加虐日本人』の正体」という小名木善行さんの記事が掲載されました。中国に南京虐殺事件の資料館があるように、韓国にも日帝支配資料館があるのですが、ここに、日本が行なったという残虐行為の写真がたくさん残っています。しかし、それはじつは朝鮮人の仕業だったというのです。
 日本は朝鮮半島の統治にあたり、言葉や地理に詳しい現地の朝鮮人を補助員として大量に採用しましたが、この人たちが、同じ朝鮮人に残酷な仕打ちをしたり拷問をしたりしました。日韓併合後に残虐だった日本人は全員、日本軍の服を着た朝鮮人の憲兵や、日本の制服を着た警察官だった、という記事です。
 韓流歴史ドラマでもひんぱんに描かれていますが、李氏朝鮮時代には拷問はあたりまえでした。日本は日韓併合後、法律を作って拷問を禁止しました。ところが法律で禁止したにもかかわらず、これまで一部の特権階級にいじめられてきた朝鮮人は、日本の権力を借りて恨みをはらそうと、同胞であるはずの朝鮮人たちに、苛酷な暴行を始めたのです。支那事変でも、日本人になった朝鮮人が中国人に恨みを晴らしたことも多く、朝鮮の創氏改名も、満洲で中国人に対して威張りたい朝鮮人が日本名が欲しかったということがあります。じつのところ、朝鮮人たちが創氏改名したかったのです。日本人は決して強制していません。現に、東京帝国大学を朝鮮名のままで卒業した人や、朝鮮名のまま日本帝国陸軍の中将になった人。オリンピックの選手になった人など、能力があって自信のある朝鮮人は、朝鮮名のままで通しました。(36〜37頁)


 次に、私には「筋違い」だと思われるくだりです。

「一八九五年から一九四五年までの五十年間の台湾、一九一〇年から一九四五年までの朝鮮は日本史でしょう。満洲についても、一九〇五年に日露戦争に勝ってから一九四五年までを日本史として扱うべきで、それをまったくしていないことが問題です。
 日本人はそれが問題だということを理解しません。いまだに「満洲の歴史など知りたくない。中国も台湾も放っておけ」という態度で、何か問題が起こると、「もう日本人だけの日本にして、外国人は全部出ていって欲しい」となるのが、多くの日本人の考えです。従軍慰安婦が問題になると、「在日(朝鮮人)は出て行け」となるのです。これは、まったくの筋違いではないでしょうか。
 なぜなら、一度は日本になった地域出身の人間を、日本人として扱わないことに問題があるからです。世界史を見ればわかります。ヨーロッパであろうとどこであろうと、自分たちが征服したり、宗主になった土地に関しては、よくも悪くも責任があるのです。たとえ台湾や韓国の出身であっても、日本語を話し日本文化が好きな人たち、日本で教育を受けて、精神はほとんど日本人と変わらない人たちを、血筋だけで差別することは、日本人の悪いところだと私は思います。(39〜40頁)


もし日本が中国と同じように、かつて日本だったところをすべて日本として載せるとどうなるかというのが地図3です。これは大東亜共栄圏の範囲を示したものですが、日本もこれくらいのものを教科書に載せないでどうするのかと言いたいです。大日本帝国はこれほど広かったのです。(53頁)


 次の固有名詞の表記については、どのような議論があるのか知りたくなります。

「満洲」という文字は、漢人が「マンジュ」という種族名に音を当てたものですが、なぜサンズイがつくかというと、もともと彼らが自分たちは水に関係があると意識していたので、清という国号もそうですが、こういう漢字を選んだのです。したがって、サンズイを抜いた「州」にすると、たんなる「満族の土地」という意味になって、もとの固有名詞ではなくなります。だから、戦後、過去を否定するような気分で「満州」と書き換えてきたような風潮は、ここで止めましょう。日本だって、東京駅には「八重洲」という改札があり、「洲」という字を残しているではありませんか。(58頁)


 次も、明快な文章となっているだけに、筆者の真意を測りかねるものです。発言は自由なので、そのままを引用しておきます。

満洲国は大日本帝国が大東亜戦争で負けなければ、大成功だったのです。現地の四千万の漢人が、日本人が撤退した後、毛沢東や蒋介石を歓迎したかといえば、そんなことはなく、文化の高い日本人の方がよほどよかったのです。そういった意味でも満洲はうまくいきかけていたのです。そして、日本の敗戦から歴史が逆戻りしたのが今の北朝鮮です。(86頁)


 NHKのドラマ『蒼穹の昴』を取り上げたくだりも引きます。これは、私が好きな井上靖のことに言及しているから取り上げるだけです。

あのドラマは、井上靖の『蒼き狼』のチンギス・ハーンがぜんぜんモンゴル人らしくなかったのと同様に、登場人物に満洲人らしいところがありません。人物があまりにも日本人的で、すごく近代的な人間に描かれ過ぎていました。文明としての清朝や満洲は、あれでは理解できません。ドラマとして見れば、清朝宮廷の雰囲気と満洲人のコスチュームプレイが、とても面白かったですけれども。(94〜95頁)


 民主主義に対する、大胆とも思える言及もあります。

国際的にも世論の重要性が言われますが、多数決の民主主義はだいたいが間違った方向へ行くと私は思います。その理由は優秀な人は少数だからです。卑しい感情を煽るのが共産主義なので、立派な人をみんなで潰そうとしました。多数決というのは、悪い感情を暴走させるシステムだと、最近、私は思っています。マスコミの責任も大きいですが、同時に普通の人、大衆は、知らないことには口を出すべきではないとも思います。(237頁)


 日本人は国際法のルールを破っていませんが、戦後はなぜかそれが逆転して、日本が悪かったことにされています。アメリカと中国の利害が一致したので、南京大虐殺などと言いだしたのです。こういったことが、なぜ普通の日本人にはわからないのでしょうか。正直に言って、わからない日本人はもう駄目だと私は思います。(302頁)


 私の父はシベリアに抑留されていました。そのため、次のフレーズもチェックしました。この論法はわかります。しかし、本質がズレているようにも思えます。

私は「シベリア抑留」と言うのは間違いだと思います。その理由は、シベリアだけでなく、モンゴル人民共和国、北朝鮮、ウズベキスタン、キルギスタン、ヴォルガ河、コーカサスにも連れていかれたからです。「ソ連抑留」あるいは「共産圏抑留」と言うべきです。(317頁)


 本書は、次の文章で締めくくられます。これも、どこまで額面通りに読んでいいのか困ります。

 日本人が一所懸命したことに対して、中国や韓国がひたすら非難するのは、前政権を否定しなければ、自分たちの正当性が証明できないから、という向こうの理由であって、日本人がそれをそのまま認める必要はまったくありません。
 日本の敗戦後七十年以上たって、私たちが理想を抱いて開拓した土地が、その後どんなふうになっているかを、私たち日本人はずっと見続ける、ウォッチする義務があるのであって、それは負い目ではなく責任なのです。日本人は、現地をいい国にする責任があります。なぜなら、私たちは一度そこを日本にしたからです。責任を取るというのはそういうことだと思います。この本を読んで、そういったものの見方ができるようになってもらえれば嬉しいです。(350頁)


 こうした、著者の歴史の解釈について疑念を多く抱いたということで、歴史を多視点から見る必要性を学べました。途中で投げ出さずに読んで良かったのではないか、と、読み終わった今、思っています。【1】
 
 
 
posted by genjiito at 23:13| Comment(0) | ■読書雑記

2018年05月28日

清張全集復読(16)「石の骨」「柳生一族」

■「石の骨」
 学問に携わる者にありがちな、他人を見下した目線で僻みっぽい思考を露骨に見せた表現で語っていきます。学会の無能さや、学歴偏重の社会への痛烈な批判が底流にあります。清張が得意とするネタです。清張の奥底に溜まっている感情の表出だとみています。
 日本旧石器時代説をめぐる、学者の嫉妬と苦闘が語られていきます。苦学する市井の学者を描くことにかけては、清張の右に出るものはいないでしょう。【4】


初出誌:『別冊文藝春秋』48号10(昭和30年10月)
 
※『松本清張全集 35』(文藝春秋社、1972.7.20)の巻末に収載されている著者自身による「あとがき」によると、次のように記されています(526頁)。
「石の骨」は、日本にも旧石器時代があると以前から主張してやまなかった考古学者直良信夫氏がモデルである。直良氏は、いわゆる明石原人を発見した人だが、不幸にも発見した人骨は戦災で焼いてしまい、今日ではその石膏型が東大に残っているだけである。直良氏くらい、迫害と悪口と冷笑のなかに過してきた考古学者も珍しい。ここにも考古学界におけるアカデミズムと在野の問の相剋があるが、森本氏とは別な意味で私は直良氏に惹かれていた。直良氏は恵まれない学界の環境に置かれて悪戦苦闘されたが、今日の考古学はすでに日本にも無土器文化時代があったのを承認して、直良氏の業績を認めざるを得なくなっている。氏のために喜びにたえない。

 
 
■「柳生一族」
 一族の素描に終始しています。淡々と語るその筆致のそこここに、清張の史観が垣間見えます。ただし、それは書き記そうとしてのものではないので、読む側からはかき消されていきます。これは小説というよりも、ナレーションのような原稿です。【1】


初出誌:『小説新潮』(昭和55年10月)
 
※『松本清張全集 35』(文藝春秋社、1972.7.20)の巻末に収載されている著者自身による「あとがき」によると、「自分としては出来のいいものと思っていない(257頁)。」と言っています。
 
 
 
posted by genjiito at 22:21| Comment(0) | □清張復読

2018年05月27日

読書雑記(225)望月麻衣『京都寺町三条のホームズ5 〜シャーロキアンの宴と春の嵐〜』

 『京都寺町三条のホームズ・5 〜シャーロキアンの宴と春の嵐〜』(望月麻衣、双葉文庫、2016年8月7日)を読みました。

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■「桜色の恋文」
 城崎への温泉旅行の際、与謝野鉄幹の歌と晶子のことが、少しだけ語られます。点景にはもったいないネタのように思いました。
 葵の前向きな考え方が強調されています。型通りながら、いかにもありそうな高校生の姿なので、この無色透明な女の子を中心とした路線でいいと思います。ただし、『男同士の話』として持ち出される「淫行罪」とか「免罪符」のくだり(57頁)には、作者の背伸びを感じました。後段の画家の話は蛇足です。【2】

■「シャーロキアンの宴」
 シャーロックホームズに関する蘊蓄も、適度なところに留まっていて、好感を持ちました。踊る人形も、挿絵が気分転換になりました。『桜の枝殺人事件』も、ドイルのホームズシリーズ未公開原稿も、味付けが適度でした。マニアの集まりという雰囲気が語られています。【4】

■「紫の雲路」
 サッカーの「京都サンガF.C.」にまつわる話です。そこに、大木高校の古典の教員である早川先生とサッカーの一条選手との恋愛話が絡みます。そこで引かれる『百人一首』の「瀬をはやみ」の77番歌。ただし、216頁では「あはむとぞ思ふ」なのに、220頁では「あわむとぞ思ふ」となっています。また、それぞれにほぼ同じ現代語訳が付いています。「一度分かれても」と「今は、」で微妙に異なりますが。もう一つの50番歌との関連も、深く考えない方がいいようです。どうしたことか、ネタがバラバラでした。【1】

■「茜色の空に」
 セキュリティシステムの暗証番号と『百人一首』の第9番歌「花の色は」の小野小町の歌が交錯します。そこから灰桜色のカラーコードとなると、もう無理を感じます。作者には、二進数の発想はないようです。なかなか凝った趣向であるものの、現実離れがしています。さらには、第十番歌の蝉丸。また、西行などの和歌や、イギリスのビッグベンにまで飛ぶと、もうなんでもありで混乱するだけです。
 しかし、最後の展開は好印象です。次作を読むのが楽しみになります。【3】
 
 
 
posted by genjiito at 20:00| Comment(0) | ■読書雑記

2018年05月26日

[町家 de 源氏](第9回)(【画像変更】糸罫が動いた結果)

 勉強会場としてお借りしている「be京都」は、いつも気持ちがいい部屋となっています。

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 窓際には、認定証がありました。初めて見ます。

180526_syou.jpg

認定証

 名称 「be京都」
 所在地 京都市上京区

京都市民が残したいと思う
〞京都を彩る建物や庭園≠ニして
選定します

平成27年1月6日

京都市長 門川大作


 今日は参加者4人で、実に多くの問題を考えました。
 その内でももっとも時間をかけたのは、写本に書かれている文字が傾いたものについてです。
 ああでもない、こうでもないの末に、一応の決着を見ました。

180526_itokei.jpg

 まず、10行書きの枡形本で、5行目の行頭(赤矢印の箇所)が少し左に傾いていることに始まります。
 それに呼応するかのように、その行末は、もう1字書けそうなスペース(青○印)が空いています。
 これらの状況は、紙面に置かれた糸罫の右側が少し上に引き上げられたため、この行末が下限となっていたと考えられます。
 次に、6行目の行頭「里」が、右隣の「て」で始まる行との幅が開いていることについて。
 5行目で「てしも」と書き始め、墨継ぎのために筆を休め、「可ゝる」と書き出したところで糸罫の右側が上に引かれるように少しズレたと思われます。また、この「可」は、これまでの「可」とは違う筆の入り方をしています。私がよく比喩として使うように、トイレに行って帰ってきたことを想定してもいいでしょう。
 7行目の行頭「そは人」と書いていき、その行末の「八へり个」まで書く間に、書写者は糸罫がずれていることに気づいたようです。私は、「そは人の」の「の」が「人」の左下で不自然な位置にあるので、この文字あたりからではないかと見ています。
 8行目の行頭の「れ」が前行末尾の「个」と墨色が異なり、時間の経緯を示していることから、ここで糸罫を置き直してのではないかと推測したらどうでしょうか。
 糸罫を所定の位置にセットしてから、墨継ぎをして「といひいつる」と書いていくのです。ただし、まだ置き方が中途半端だったのか、その行末では「さること」に続く「も」を、十分に空間があるにもかかわらず、左行間に書いています。

 糸罫がずれたのは、まだ理由があります。
 4行目の中ほどで、「人もまこらへ」と書いた時、すぐに間違いに気づき、「こらへ」の上から「ことに」となぞっています。その横の傍記である「こと尓」は、本行の「ことに」がなぞったものであるために読みにくいことから、後の人が傍記の形で正しい読みを書き添えたものと思われます。

 ここには、さらに書写者のミスがあります。それは、「まことに」となぞったすぐ後に、「をし」と書いているところです。ここは、諸伝本ともに「を可し」となっているところです。「可」が小さかったために見過ごされ、結果的に脱字の状態で書いたことになったのです。
 とにかく、ここを書写していた人は、ここでなぞりと脱字を冒すほどに集中力を欠いていた時でもあり、つい糸罫を不用意に触って動かしたのだろう、と考えてみました。そのために、5行目から8行目の頭部が左に少し振られたように書かれているのです。

 以上はすべて、糸罫が動いて行が少しゆがんだ、ということを想定しての推測です。このように考えると、写本の紙面に書写された文字列のゆがみや、書写間違いや訂正を含む書写者の状況が説明できるのです。
 一案として提示しておきます。

 今日は、8丁表5行目行末の「秋」まで読みました。
 次回の[町家 de 源氏物語の写本を読む]の集まりは、6月18日(月)午後2時から「be京都」(http://www.be-kyoto.jp/)で行ないます。この日は、月曜日です。曜日にお気をつけください。
 
 
 
posted by genjiito at 21:15| Comment(0) | ◎NPO活動

2018年05月25日

キャリアアップ講座(その2)『源氏物語』のくずし字を読む

 5月の第2週から隔週で始まったキャリアアップ講座「古写本『源氏物語』のくずし字を読む」の第2回です。初回は図書館で行ないました。しかし、予想外に参加者が多かったので、狭いと感じるようになりました。そこで、勉強会の場所を、明浄3号館2階にある国際交流サロンに移しました。

 お一人欠席だったものの、17人で『国立歴史民俗博物館蔵『源氏物語』「鈴虫」』を読みつなげました。

 前回は、巻頭の3行分だけを、字母を丁寧に確認しながら、変体仮名を読みました。
 今回は、変体仮名の字母としてぜひとも覚えておくべき平仮名文字の確認からです。
 それは、以下のものです。
 これらは、鎌倉時代の写本によく出てくる仮名文字を中心とするものであり、室町時代や江戸時代にはまた別の文字がよく使われるようになります。時代によって、変体仮名の好みも流動していくのです。

あ(安) 阿 愛
い(以) 伊
う(宇) 有
え(衣) 盈 江
お(於)
か(加) 可 閑 賀
き(幾) 支 起
く(久) 九 具
け(計) 个 遣 希 気
こ(己) 古
さ(左) 散
し(之) 志 新 四
す(寸) 須 春 寿
せ(世) 勢
そ(曽) 所 處
た(太) 多 堂
ち(知) 地 遅
つ(川) 徒 都 津
て(天) 帝 亭 氐
と(止) 登 東
な(奈) 那
に(仁) 尓 耳 二 丹
ぬ(奴)
ね(祢) 年
の(乃) 能 農
は(波) 者 盤 八 半 葉
ひ(比) 飛 悲 日
ふ(不) 布 婦
へ(部) 遍
ほ(保) 本
ま(末) 万 満 萬
み(美) 見 三 身
む(武) 無 无 牟 六
め(女) 免
も(毛) 无 母 裳 茂
や(也) 夜 屋 野
ゆ(由) 遊
よ(与) 夜
ら(良) 羅
り(利) 里 梨 李
る(留) 類 累 流
れ(礼) 連
ろ(呂) 路 露
わ(和) 王
ゐ(為) 井
ゑ(恵) 衛
を(遠) 乎 越


 今回は、1丁裏まで終わりました。次回は、2丁表の「や可尓・ち井さく」から読みます。まだ始まったばかりなので、あまり突っ込んだ問題は取り上げていません。今は、目慣らしの段階です。

 またまた会場の変更のお知らせです。
 今回の国際交流サロンよりもっといい部屋が見つかりました。明浄1号館4階のセミナールーム1(エレベータを降りて左側)です。
 次回からは、この部屋に移ります。二転三転でご迷惑をおかけします。
 講座の中身はもとより、みなさまが快適に勉強していただくことも大事なことだと思っています。ご理解をお願いします。
 今後のスケジュールを掲載します。
 この講座は、途中からでも参加が可能です。興味と感心をお持ちの方々が、幅広く参加してくださることを願っています。


第1  5/10(木)
第2  5/24(木)
第3  6/ 7(木)
第4  6/21(木)
第5  7/ 5(木)
第6  7/19(木)
第7  8/ 2(木)
■夏季休暇
第8  9/27(木)
第9 10/11(木)
第10 10/25(木)
第11 11/ 8(木)
第12 11/22(木)
第13 12/ 6(木)
第14 12/20(木)
■冬季休暇
第15 1/17(木)
第16 1/31(木)


 これは、あくまでも予定です。
 変更がある場合は、直前の講座でお知らせします。
 緊急連絡のための連絡網を作りたいと思います。
 ご協力のほどを、よろしくお願いします。
 
 
 
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | ■講座学習

2018年05月24日

第9回[町家 de 源氏物語の写本を読む]の開催のご案内

 今週末の5月26日(土)午後2時から4時まで、「be京都」(http://www.be-kyoto.jp/)で9回目となる[町家 de 源氏物語の写本を読む]を開催します。テキストは、『ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「須磨」』(伊藤編、新典社、2013年)です。

 昨日23日(水)の京都新聞(朝刊)「まちかど」欄に、呼びかけの記事が掲載されましたので、あらためてこのブログでも紹介します。

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 これは、『源氏物語』の写本に書かれている変体仮名を、字母に注意を払いながら読む勉強会です。
 これまでに、本文の確認は7丁表(29頁)の2行目の「【侍】らん登」まで見ました。
 ただし、3月に私が勘違いをして、7丁裏(30頁)は読んでいました。そのため、今回は、7丁表(29頁)3行目の「よろつの・ことよ里・こゑて・」から、その7丁表の丁末「支こえ」までを見たら、7丁裏(30頁)を飛ばして、8丁表(31頁)行頭の「いて・多満ふ尓・あ里阿遣の」へと進む予定です。
 予習をしてお越しになる方は、このことにお気をつけください。

 700年前に書写された『源氏物語』を、変体仮名に注目して読み進めることに興味と関心をお持ちの方は、このブログのコメント欄より、参加希望の連絡をお願いします。折り返し、詳細な案内をお送りします。
 参加費は、初回だけは体験ということで千円です。2回目以降は二千円です。
 
 
 
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | ◎NPO活動

2018年05月23日

わが父の記(7)母が縫った着物を電車に忘れる

 父が亡くなったのは35年前の5月です。妻に言わせると、今でも父は、陰ながらずっと私を見守ってくれているのだとか。たしかに、生きていられることが意味不明のこの身体です。こんなに臓器が欠損しているボロボロの身体なのに、元気に好きなことができていることを、不思議に思うことがしばしばです。
 我が家の仏壇には、大好きだった甘いものを欠かしません。特に父は、キンツバが好物でした。そのお供えを、しょっちゅうお腹が空く私がつまみ食いするので、妻によく叱られています。自分が糖尿病であることを忘れていると。私の反論は、満腹になった両親からのおすそ分けだから、身体に悪いはずがない、と。心身共に栄養補給をしているのです。
 調査旅行に出かける時には、必ず仏壇に手を合わせてから出かけます。
 14年前に亡くなった母も、父と一緒に、私を日々温かく見守ってくれているようです。しかし、それでも父の加護を感じることが多いように思うのは、どうしてでしょうか。
 父は厳格だったので、正直言ってあまり馴染めませんでした。心を割って話をしたことはなかったと思います。しかし、私をとことん信じてくれていたことは、折々に感じていました。
 一度だけ、父に嘘をつきました。見抜ぬれたのかどうかはわかりません。しかし、最後まで信じ通してくれたので救われました。大事に到らずに済み、今でも申し訳ないという気持ちと共に、感謝をしています。
 その父は、68歳で亡くなりました。父の歳に近づきつつある今、超えてはいけないのでは、という複雑な気持ちもあります。なるようにしかならないと思うものの、意識することがあるのです。
 これまでに何度も書いたように、18歳の時に内蔵が破裂しました。手術後に医者が言った、45歳と63歳で迎えるはずの内蔵の耐用年数を、奇跡的にクリアして今があります。そのことがあるので、次の節目である来年の68歳も、何事もなかったかのように通過するだろうと、楽観的に思っています。両親が見ていてくれるから、という何の根拠もない確信からのものです。
 父は、見事なまでに人のために尽くし、徹底して人の面倒を見て、そして家族を守ってくれた一生だったと思います。
 そんな父にも、失態に慌てふためいたことがありました。
 母は、得意の裁縫で、貧しい家計を助けていました。本家が呉服屋だったので、なおさら幼い頃から躾けられていたのでしょう。毎日夜中まで、縫い物をしていました。休日になると、父は私を連れて、縫い上がった着物を持って、大阪市内の呉服屋さんに届けていました。
 そんなある日。近鉄電車で鶴橋駅で乗り換えて、環状線で大阪駅に向かう時です。父が血相を変えてあたふたとして、着物を近鉄の網棚に忘れたと言うのです。いつものゆったりとした父ではなくて、この人は一体誰だろうと思うほどの慌てようでした。小走りに改札へ向かう父に、とにかく付いていくのが大変でした。
 幸い、近鉄電車の終点である上本町駅に、母が縫った着物があることがわかりました。途端に力が抜けた父の姿は、ビニールの人形のように見えました。

posted by genjiito at 21:47| Comment(0) | *回想追憶

2018年05月22日

京洛逍遥(492)初夏を迎える下鴨神社と賀茂川

 新緑の季節となりました。
 下鴨神社の境内では、輪橋の紅梅に実が生っていました。
 いつも気をつけて見ていたはずなのに、梅の実は初めて見つけました。

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 本殿の前のお守りなどを売っている所に、両替機があったのには驚きました。
 いつから置かれたものなのでしょうか。
 いかに外国からの参拝客が多いか、ということがわかります。
 太古よりの糺ノ森にこんなマシンが、と思うよりも、いかにも京都らしいものに見えてきます。
 新しもの好きなのです。
 神様も世界中の方々の願い事を叶えるのに大変そうです。

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 賀茂川畔の土手に出ると、小鳥が多くなったことがわかります。

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 鷺も季節の変わり目を感じているのでしょうか。

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 半木の道も頻繁にお掃除の手が入っているので、きれいになりました。

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 鷺も鳩も、仲良く日向ぼっこです。

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 同じ場所でも、時と共にその姿を変えていきます。

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 散策を楽しみながら、季節の移り変わりを感じています。
 
 
 
posted by genjiito at 20:57| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2018年05月21日

おかきで楽しむ『百人一首』

 『百人一首』は知的な遊びとして、スポーツとして、さらにはマンガで、今も人気です。
 これまでにこのブログで取り上げた記事を抜き出してみました。

「大学の授業で『百人一首』を扱う」(2018年05月11日)

「『百人一首』の崇徳院の歌「瀬をはやみ〜」のこと」(2018年05月03日)

「視覚障害者が「点字付 百人一首」を楽しむ会を2つご案内」(2018年04月10日)

「京洛逍遥(472)百人一首をテーマとする京菓子展(その2-下鴨別邸)」(2017年10月30日)

「京洛逍遥(471)百人一首をテーマとする京菓子展(その1-有斐斎弘道館)」(2017年10月29日)

「(補訂版)神戸で百人一首の合宿の後はお楽しみの食事とスイーツツアー」(2017年07月23日)

「『百人一首』から選んだ『源氏物語』関係の歌10首の簡単な説明」(2017年07月21日)

「『百人一首』から『源氏物語』と関係のある10首を選ぶ」(2017年07月16日)

「点字付百人一首〜百星の会で見た八つ橋型の新開発カルタ」(2017年03月19日)

「「点字付百人一首」の全国大会ができないか」(2017年02月25日)

「点字百人一首の様子をラジオ日本「小鳩の愛〜eye〜」で放送すること」(2017年01月16日)

「【追記】高田馬場で「百星の会」の新年会と点字百人一首のカルタ会」(2017年01月14日)

「連続講座(その7)「くずし字で読む『百人一首』」」(2016年10月12日)

「「点字付百人一首〜百星の会」に初参加の感想など」(2016年07月17日)

「お香体験の後にカルタが飛ぶ「点字付百人一首 〜百星の会」」(2016年07月16日)

「「点字付き百人一首」とお香のワークショップのご案内」(2016年07月14日)

「体験型学習会で点字付百人一首のお手伝い」(2015年12月06日)

「書道家にお願いした触読用の『百人一首』」(2015年12月01日)

「五感を使って江戸時代の百人一首カルタにチャレンジ」(2015年11月23日)

「京都ライトハウスでの点字百人一首体験会に参加」(2015年11月07日)

「「点字付百人一首〜百星の会」の紹介と活動内容」(2015年09月01日)

「京洛逍遥(375)嵯峨野で「点字付百人一首」を楽しんだ後は時雨殿へ」(2015年08月31日)


 いずれも、私が興味の赴くままに書いた記事なので、視覚障害者が取り組む『点字百人一首』に関するものが多いようです。

 食べ物に関して、上記のリストの中では、次の2つがまとまっています。

「京洛逍遥(471)百人一首をテーマとする京菓子展(その1-有斐斎弘道館)」(2017年10月29日)

「京洛逍遥(472)百人一首をテーマとする京菓子展(その2-下鴨別邸)」(2017年10月30日)


 この和菓子に加えて、以下に「せんべい おかき専門店 長岡京 小倉山荘」のことを書いておきます。

 このお店は、関東・中部・関西・九州地区と広く店舗を持っているので、手に入れやすいお菓子です。
 その公式ホームページの中でも、「読み物」というセクションは楽しめます。
 中でも、「『小倉百人一首』あらかるた」には、300件ものコラムが並んでおり、『百人一首』に関するミニ情報の宝庫となっています。


1 百人一首は江戸時代にブレイク
2 朝は別れのとき
3 見たことのない歌枕
4 鬼になった阿倍仲麻呂
5 常にもがもな
6 花の色は
7 本歌取りのマナー
8 いやいやながら僧にされ
9 和歌の言語遊戯
10 良妻賢母物語
(以下省略)


 私がよく立ち寄る、京都四条河原町にある高島屋の地下の様子を紹介します。

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 一つずつ包まれた袋の中のおかきはともかく、その包装の表に書かれた『百人一首』の上の句と、その裏面の下の句と詠者名は、知的刺激を与えてくれます。
 人さまへのお土産ではなく、自分のために買ってしまいます。

 この遊び心を大いに楽しんでいます。
 
 
 
posted by genjiito at 20:39| Comment(0) | *美味礼賛

2018年05月20日

入手後に失望したキャノンのミニプロジェクタ「M-i1」

 4月中旬に注文したキャノンの「ミニプロジェクター M-i1」を、5月2日に入手しました。
 掌に乗る、235グラムのポケットサイズです。

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 ところが、iPhone でも iPad でも、いずれでも無線でつながらないので、まったく使えないのです。有線での接続はできない機器です。
 あの手この手で試行錯誤を繰り返す中で、ついに自力で使えるようにすることを断念。
 一週間後に、情報処理を専門とする先生に預けました。2時間くらいは操作しておられました。そして結論は、キャノンのホームページにたどり着き、アップルの新しい iOS には対応していないと書いてあることを見つけてくださったのです。そのようなことは、パッケージにも、製品に同梱の「かんたんガイド」にも書いてありません。インターネットで商品情報をチェックしないことには、真相がわからないことだったのです。これでは、民生品とはほど遠いものになっています。

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 古い「iOS 11.2.1」なら何とかなりそうです。しかし、現在使っている「iOS 11.3.1」では、まったく使えないとのことでした。

 翌週、入手して10日後に、キャノンに電話をして相談しました。
 ところが、とにかく酷い対応でした。おおよそ、以下の通りです。

(1)返品は納入業者次第でありわからない
(2)アップルユーザーに対してキャノンとしては責任がない
(3)ダウングレードしての製品交換もしない
(4)今後のサポートについては未定
(5)アップルの「AirPlay」に対応できなければ使える方途はなくなる
(6)新しいサポート情報は、購入者と言えども個人的には受け付けていない
(7)最新のサポートは、購入者各自がホームページで確認してもらうしかない


 何とも無責任な対応でした。
 これは、回収すべき商品でしょう。

 私は、1988年からキャノンのレーザーショットというレーザープリンタを使って、『源氏物語別本集成』の版下を作成していました。このプリンタで印字したもの2種類を貼り付けて、オフセット印刷にまわしていたのです。レーザーショットはB4版に対応していたもので、当時としては画期的な製品でした。

 また、1980年代に登場したマッキントッシュは日本語が使えませんでした。そこでキヤノンがアップルの日本総代理店となり、日本語表示を可能にしたのです。実は、キヤノン販売が漢字ROMをマッキントッシュの基板に付けるという荒技を行なったのです。マイクロソフトにまったく期待をしていなかった私は、これに飛びつきました。伊藤忠系列のセンチュリ リサーチ センタ(株)を通して、大阪にあったキヤノン販売と相談をして、当時在職していた大阪明浄女子短期大学に、マッキントッシュLCUを50台導入したのです。ピザボックスタイプと言われるものです。当時としては画期的なLANによる教育システムを構築しました。多くのマスコミにとりあげられ、大学の名前を高めたものです。
 いつか、引っ越しのどさくさでまだ梱包されたままの箱から当時の資料がでてきたら、あの頃を再現たいと思っています。

 そんなキャノンが、なんというていたらく。
 電話でのサポートでも、飾り物として置き物にするしかありませんね、と私が皮肉っぽく言うと、何も返答はありませんでした。高価な真四角な文鎮を手にしたようです。
 
 
 
posted by genjiito at 22:56| Comment(0) | ◎情報社会

2018年05月19日

『週刊 東洋経済 臨時増刊』大学ランキングの科研費欄に疑問あり

 今週発行された『週刊 東洋経済 臨時増刊』(東洋経済新報社、2018.5.14)に、「本当に強い大学 2018」が掲載されています。
 昨年のことは、「『週刊 東洋経済』の大学ランキングを見て夢が膨らむ」(2017年05月17日)に書きました。
 今年の集計結果が今週発表され、興味をもってその総合ランキングを見ました。

 これまでは、大学のランキングにはまったく興味がありませんでした。しかし、昨年からは教育現場に戻ったこともあり、勤務校の外部評価が気になりだしたのです。これは、愛着のある学校に再就職したからでしょう。

 その結果は。

 昨年は総合101位だった大阪観光大学が、今年は総合25位と急上昇です。しかも、文科系だけの大学の中ではトップです。

 アンケート調査や公開情報をもとにしてのランキングなので、数字のマジックがあることは否めません。小さな大学ほど、分母が小さいために、統計の狭間で微妙な計数処理が発生することでしょう。誤差の集積といっては身も蓋もありません。しかし、それを言っては何も計れません。一つの計算結果として、素直に結果としてのランキングを見たらいいと思います。

 まずは、その一覧表の中の「教育・研究力」までの部分を抜き出してみました。

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 この内、21位から30位までの一覧に注目です。東洋大学と立命館大学に挟まれて、大阪観光大学があります。昨年よりも大幅アップとなっており、安堵して数値を見ていたところ、アレッと思いました。「科学研究費補助金」の項目がおかしいのです。

 今回25位となった大阪観光大学の「科学研究費補助金」は「182万円」です。昨年は、上掲のブログにも示したように「260万円」でした。この減少は、科研の基盤研究(C)をお持ちだった先生が転出されたことに起因するものです。それにしても、自分のことを照らして見て、この数字を不可解だと思うようになりました。

 ここでいう「科学研究費補助金(科研費)」とは、『週刊 東洋経済 臨時増刊』では次のように説明がなされているものです。

大学の研究者や研究グループに国から交付されている補助金だ。科研費の高い大学は研究水準が高く、教育面でもプラスに働くと考えられる。(16頁)


 この「科学研究費補助金」の項目については、巻頭の「概要」では次のようにその出所が明示されています。

文部科学省2017年度採択(新規採択+継続分)の配分額。1万円未満切り捨て(16頁)
(赤字は引用者の処置)

 これを見て、私は ? と思いました。

 私が現在取り組んでいる科研は、昨年 2017年4月に新規採択された基盤研究(A)です。そして、その配分額は、2017年度「976万円」、2018年度「1,027万円」であり、これは2019年度と2020年度も「1,000万円」以上が交付予定となっています。今、この『週刊 東洋経済 臨時増刊』のランキングにおける算出基準に照らすと、今回の総合ランキングの「科学研究費補助金」の欄の大阪観光大学の数値は、少なくとも「1,000万円」以上になるはずです。桁が一つ上がります。そして、ランキングの順位もさらに上がるはずです。
 これは一体どうしたことでしょうか。

 私は2017年4月に大阪観光大学に着任し、その4月に基盤研究(A)「海外における平安文学及び多言語翻訳に関する研究」(課題番号︰17H00912)が新規採択されたのです。ということは、今回の表の中にある「182万円」は、何を指すのでしょうか。私が交付を受けている、2017年度分としての「976万円」は、これには入っていないことになります。

 科研費に関するホームページ(日本学術振興会、http://www.jsps.go.jp/j-grantsinaid/01_seido/01_shumoku/index.html)の中の「制度概要」を見ると、以下のように明記されています。

2.科研費の日本学術振興会への移管
 平成10年度までは、文部省(現文部科学省)においてすべての研究種目の公募・審査・交付業務が行われていましたが、平成11年度から日本学術振興会への移管を進めています。


 ということで、『週刊 東洋経済 臨時増刊』が言う「文部科学省2017年度採択」というのは、非常に限定されたものだということになります。
 研究種目が20種目ある内で、そのすべてが日本学術振興会が管轄するものです。文部科学省が日本学術振興会と役割分担をするものは、「新学術領域研究」「特別研究促進費」「国際活動支援班」3種目だけです。ほとんどが日本学術振興会によって公募・審査・交付業務が行なわれているのです。したがって、私が2017年4月に新規採択された科学研究補助金・基盤研究(A)は、日本学術振興会から採択・交付されたものであるからといって、この総合ランキングに算入されていないのはおかしいことであり、これは何かの間違いだと思われます。

 私が採択の通知を受けた課題は、2017年3月まで勤務していた「大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国文学研究資料館」から申請したものです。そのために、2017年4月に発表された採択通知は、国文学研究資料館に届いています。しかし、その後、速やかに基盤機関を移動した旨の届けを出し、すぐに「科学研究費助成事業データベース」(https://kaken.nii.ac.jp/ja/search/?qm=10232456)に登録されました。したがって、2017年度に新規採択された科研の私の所属機関が国文学研究資料館となっていたことはないはずです。

 膨大なデータを一企業が集計処理をしたものである、ということで、ミスはつきものでしょうし、また下処理段階でいろいろな処置をしておられることでしょう。
 何かの折にでも、この不思議な数字の背景がわかれば、と思いながらも、なぜこのような数字で処理をされたのか不審の念も払拭できません。どなたか、解説していただけると幸いです。
 
 
 
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | ◎情報社会

2018年05月18日

うっかりミスで和やかな一日となる

 いつもより早めに高校に行きました。
 昨日までに、生徒が書いた課題としての小論文の添削は終えています。一人ずつにコメントも書いたので、今日はそれを返して、さらにもっといいものに仕上げてもらう日です。
 また、今日配る予定の、最新医療の問題を取り上げた新聞記事の印刷も終えました。

 さて、と思ったところへ、教えているクラスの生徒が職員室に来て、提出物はいつまでですか、と聞きます。そして、話をしているうちに、今日から中間テストが始まり、私の授業はないことに気付きました。そういえば、職員室はガランとしています。
 スケジュールの確認をしないままに来てしまったのです。あまりの忙しさに、いつも通りの行動パターンで、無意識に移動して来ました。とにかく、連日、2時間、3時間の移動が当たり前のようになっています。そのため、移動中にやる仕事のことがいっぱいいっぱいだと、資料を持って自然と身体が電車に乗ってしまうのです。変な習癖がついてしまいました。

 私は中間試験がない科目なので、教務からも特に連絡がなかったようです。試験問題の作成依頼がきていたら、こんな間抜けなことにはならなかったはずです。月間の行事予定を確認していなかった、私のうっかりミスです。どうも、まだ高校の進行パターンが飲み込めていません。

 教えている生徒が何人か職員室に質問に来ていたので、私も対応をしました。かつて高校の教員をしていた時のことを思い出しました。試験期間になると、校内はそれまでとはまったく違う雰囲気になるのです。職員室もしかり。

 そんなおかげで、溜まっていた生徒の提出物のチェックや、作文の添削が捗りました。
 国語科の先生とも、留学生に日本語を教えることなどの話ができました。日頃は、職員室と教室の行き来で終始するだけの日々なので、有意義な時間を過ごすことができました。

 帰りがけに、作法室の前で、茶道部の生徒と出会いました。今日は、部活としてのお稽古ではなくて、みんなで勉強をしているそうです。真面目な子たちなので、集中して勉強ができる部屋を確保しているのでしょう。
 いつかお茶を点ててもらおうかな、というと、いいですよとの明るい返事。京都からお茶菓子を持って来るよ、というと、笑顔で喜んでいました。

 昨年の9月からこの明浄高校に来るようになったので、まだ1年に満たないながらも、こうした会話ができるようになったということは、この環境に慣れたということの証しです。

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 帰り道は、いつものように駅前の明浄通商店街にある古本屋に立ち寄りました。
 この本屋さんは、小さなお店が本を持ち寄って並べています。書店ごとに手にしてほしい本ばかりが並んでいるので、結構おもしろいものがあります。最近は、この形式が流行なのか、出町柳にある桝形商店街の中の古書店もこの方式です。本選びにお店のセンスが感じられるので、いいことだと思います。

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 京都に帰ってから、その出町柳の花屋さんの隣で、金魚屋さんからメダカをいただきました。

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 東京にいるときは、こんな様子でした。

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 この内、ピンクと黒は京都に連れてきました。しかし、都の水が合わなかったのか、昨夏まで持ちませんでした。
 あれから一年。今日からは、京都生まれのメダカ5匹が住人として加わりました。
 この夏を、とにかく元気に越せるように、大切に世話をして育てようと思います。
 
 
 
posted by genjiito at 19:22| Comment(0) | *身辺雑記

2018年05月17日

日比谷で橋本本「若紫」を読む(2018年度-その1、触読・「弖」・糸罫)

 いまだ書くことが多くて、大事な記録なのに積み残しているものがいろいろとあります。
 以下は、その内の一つです。

 先週12日(土)は、日比谷図書文化館の古文書塾「てらこや」で、鎌倉時代書写の橋本本『源氏物語』を読む講座がありました。これは、日比谷図書文化館と大阪観光大学のご理解と協力を得て、毎月1回開催しているものです。

 講座が始まる前に、地下のレストランでケージーエス株式会社の籠宮さんの取材を受けました。この会社は、「立体コピー作成機 PIAF」(ピアフ)を扱っている会社です。この機械については、「簡易型立体コピー作成機による触読実験を始める」(2015年08月12日)に詳しく書いていますのでご参照を。

 先月、目が見えない方々のために、触読用の立体コピーを作成していました。今回、尾崎さんが日比谷の講座に来ることになったので、そのテキストもこの機械で作成している最中でした。なんと、この機械が突然動かなくなったのです。カプセルペーパーという特殊な処理をした用紙が、ローラーが回転しないことで吸い込まれなくなったのです。

 販売元のケージーエスさんに連絡したところ、本体を送り返してもらえたら、修理をするとのことでした。ただし、会社は埼玉県にあり、ゴールデンウイークの直前だったこともあり、1ヶ月は時間がほしいとのこと。それでも諦めることなく、連休明けの5月12日までに資料を作りたい旨の理由を説明すると、それなら代替機を送るので、それでしばらくは対処してもらいたいとのことでした。ありがたい配慮に感謝です。

 その話の中で、どのような使い方をしているのかと問われ、写本の触読のための資料作成に使っている話をしました。すると、障害者のための機器を扱っていることもあり、私の使い方の詳細を事例報告にしたいので、取材は可能かという展開になりました。問題ないとお答えしました。
 5月12日に日比谷図書文化館へ行くことになっていることを伝えると、それでは日比谷で取材を、と急転直下の早業で話がまとまりました。

 日比谷図書文化館の地下での1時間ほどの取材では、『変体仮名触読字典』や『触読例文集』などを見てもらいました。この2冊については、「『変体仮名触読字典』と『触読例文集』が完成しました」(2017年03月31日)をご覧ください。

 この12日から、変体仮名の触読ができる立教大学大学院生の尾崎さんが私の講座を受講することになっていたので、彼女も一緒に取材を受けてもらいました。尾崎さんは、NHK教育テレビなどに出ていることもあり、堂々と対応していました。

 取材の最後に今後の展望を訊かれたので、「i-Pen」を使って音のサポートを受けながら、触読と文章理解を深めることにチャレンジしたいことをお話しました。
 この「i-Pen」に関する取り組みは、「総研大文化フォーラム-2016 で触読研究の成果を発表します」(2016年12月09日)と「民博で古写本『源氏物語』の触読研究会」(2016年12月10日)を参照願います。
 この日比谷図書文化館でのインタビューなどが公開されたら、またここでお知らせします。

 さて、講座では、この日から尾崎さんが参加することと、会場に取材の方が入っておられることをお伝えして始めました。時々、尾崎さんが変体仮名の翻字に付いてきているかを確認しました。本人は元気に大丈夫だと大きな声で答えてくれます。これまでの縁もあり、お世話を快諾してくださった土屋さんが隣に座ってくださっているので、安心して仮名文字を読み進めました。彼女も、事前に渡した立体コピー版のテキストを指で追いながら、立派に最後まで付いて来たようです。

 全盲の学生さんが一緒に『源氏物語』の文字を指で追っている姿は、周りの30数人の受講生の方々にも、非常にいい影響を与えたようです。見える、見えないにかかわらず、同じ古写本に書き写された変体仮名を読むことは、私が探し求めている障害を乗り越えて文化の共有を実現することでもあります。終わってからも、みなさんに囲まれていろいろと話している様子をみて、受け入れていただける確信は抱いていたとはいえ、和やかな中で談笑している姿を見て正直安心しました。

 やっとここまで来ました。しかし、これはあくまでも始まりです。どのようにして、仮名文字を読むスキルをアップして行くのかは、まだまだ私にとっての課題です。次は、「i-Pen」を導入した音声ガイドと共に触読をするテーマです。

 肝心の講座の内容です。
 15日の葵祭に、この講座を受講なさっている方が10名も京都にお越しになります。それに関する情報を通して、平安時代にタイムスリップしてもらいました。
 また、寝殿造りは左右対称ではなかったという、考古学的な成果をもとにした情報。
 さらには、即位行事にまつわる京都が抱えてきた問題(旧皇室典範11条、極秘会合)などを報じた京都新聞の一部を紹介しました。東京では得られない情報なので、みなさん興味深く聞いてくださっていました。

 この日は、31丁ウラ1行目から32丁オモテ7行目まで進みました。
 問題としたのは、「多て満つり【給】て」と書いてすぐに「【給】て」を小刀で削っている箇所です。
 「【給】て」を削るとすぐに、「【給】」をなかったことにして「て」と書き、少し時間が経ったために墨が掠れたこともあってか墨継ぎをしてから、「身つから」と書き出した経緯を、さも見てきたかのように説明しました。
 また、「飛(ひ)」と「江(え)」の見分けにくい字形や、いつも拘っている「て(天 or 弖)」のことも確認しました。

 次の例などは、文字ばかりを追っていると、いったい字母は何なのかということで翻字に悩まされるものです。
 特に青で囲った文字列は、なんとか読んでも、その意味がわからなくなることでしょう。
 私は、次のように読んでみました。「く」が長く伸びた「te」は「弖」と表記しています。自分の中での揺れが少し修まったこともあり、このように「弖」を認めることにしたのです。

 阿里弖
 いらへ【給】八ゝこそ
 ゆ可すうとく
 してとしつき
 堂弖


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 日比谷図書文化館での講座の後、有楽町でいつもの課外の勉強会です。毎回、10人以上の方が集まって、楽しく話に華が咲きます。

 今回は、書家の宮川保子さんがお出でだったので、ご自身が日頃お使いになっている2種類の紙製の糸罫を拝見しました。そして、その使い方なども教えていただきました。

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 過日紹介した、京都の仲間の石田さんが作ってくださった糸罫も持参していたので、比べながら話が際限もなく広がりました。「[町家 de 源氏物語の写本を読む](第8回)(糸罫の試作品完成)」(2018年04月21日)で、石田さんの試作品を紹介しています。
 この糸罫については、もっと調べてみます。とにかく、これで3つの糸罫が身近にあることになります。
 これについては、さらに情報を求めていますので、ご教示をよろしくお願いします。
 
 
 
posted by genjiito at 21:39| Comment(0) | ◎NPO活動

2018年05月16日

ミャンマーで調査収集したビルマ語訳の書籍に関する解説文(試案)

 現在、大阪観光大学図書館1階のロビーで、今年の3月にミャンマーで調査収集した翻訳本を展示しています。
 このことは、「ビルマ語に翻訳された日本文学作品の展示」(2018年05月09日)で報告したとおりです。ただし、そこに掲載した写真で、垂れ幕の文字が「世界中の言語に翻訳された『源氏物語』」となっているのは間違いでした。「ビルマ語に翻訳された日本文学」が正しいものです。
 本日、垂れ幕の再作成を事務の方にお願いしましたので、近日中に付け替えます。大変失礼しました。

 その展示書籍の解説文が、ようやく出来上がりました。明日より、印刷したものを展示ケースの上に置きます。
 興味のある方は、ご自由にお持ち帰りください。
 これは、ミャンマーからの留学生であるナインさん(科研運用補助員、2回生)と、科研の研究協力者である池野さん(2回生)の労作です。
 ミャンマーはもとより、ビルマ語が専門ではない者が、試行錯誤の中で形にした展示です。正しい情報を含めて、これに関連する情報をお持ちの方からの、ご教示をお待ちしています。


(試作版)

【ビルマ語に翻訳された日本文学作品】


 
■展示期間■
平成30年(2018年)5月2日(水)〜6月19日(木)

■展示場所■
大阪観光大学 1階階段前

■あいさつ■
 今回の特設コーナーでは、ビルマ語特集と題し、現地で集めた書籍を取り上げました。
 ミャンマーでどのような日本文学作品が翻訳されているか、という視点でご覧いただけると幸いです。
 なお、展示した作品のタイトルはすべて、ミャンマー出身の留学生エータンダー・ナイン(伊藤科研(A)科研運用補助員)が直訳したものです。

◯カイン キン イン ジン訳『昔の恋の物語 1』(ビルマ語・2013)
 『源氏物語』のビルマ語訳。表紙はロイヤル・タイラーのthe tale of Genjiの絵を使用。
 
◯カイン キン イン ジン訳『昔の恋の物語 3』(ビルマ語・2015)
 『源氏物語』ビルマ語訳。表紙は十二単を着た女性。衣紋道高倉流か。
 
◯イェ ミャ ルィン訳『坊っちゃん』(ビルマ語・2014年)
 夏目漱石『坊っちゃん』のビルマ語訳。表紙には橙と黒色を主に使用。
 
◯モー テッ ハン訳『ピン パウン 1973』(ビルマ語・2016年)
 村上春樹『1973年のピンボール』のビルマ語訳。表紙には、英語とビルマ語で村上春樹の名前とタイトル。村上春樹の顔写真なども使用。
 
◯ディ ノ ボ訳『サプッニッ恋心』(ビルマ語・2017年)
 村上春樹『スプートニクの恋人』のビルマ語訳。表紙の上部に英語で作者名とタイトル。下部にビルマ語でタイトルと作者名。
 
◯イェ ミャ ルィン訳『無色…彼のなつかしい曲』(ビルマ語・2014年)
 村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』のビルマ語訳。表紙は赤、緑、茶色、黄色、紺色のロウソク。
 
◯イェ ミャ ルィン訳『村上の村上』(ビルマ語・2018年)
 村上春樹の期間限定サイト「村上さんのところ」のビルマ語訳か。表紙には村上春樹の写真を使用。

◯ナン ダ トゥ訳『雪国』(ビルマ語・2015年)
 川端康成『雪国』のビルマ語訳。表紙は雪の中にたたずむ着物を着て和傘をもつ芸者か。
 
◯イェ ミャ ルィン訳『千匹の鶴』(ビルマ語・2015年)
 川端康成『千羽鶴』のビルマ語訳。表紙には折り紙で作られた鶴が4羽。
 
◯サン サン ウー訳『死後と川端の小説』(ビルマ語・2015年)
 表紙には川端康成の写真を使用。
 
◯モー ヘェン訳『大水でも強風でも戦う人間の力』(ビルマ語・2011年)
 表紙には、杉原千畝の写真とアニメ「火垂るの墓」と、戦闘機の写真を使用。
 
◯イェ ミャ ルィン訳『ミャンマーの戦場での日本人または死の直前』(ビルマ語・2010年)
 太平洋戦争でビルマの戦線を生き延びた、小田敦巳さんの著書『一兵士の戦争体験』のビルマ語訳。『一兵士の戦争体験』はHP上で無償公開。(http://www.bea.hi-ho.ne.jp/odak/
 
◯ミン トゥ カ訳『野ばらと感激する日本文学小説』(ビルマ語・2015年)
 小川未明の「野ばら」をはじめとする、日本文学作品のいくつかを取り上げて掲載。翻訳者は、ヤンゴン外国語大学出身。
 
◯ディ ノ ボ訳『呪い』(ビルマ語・2016年)
 吉本ばなな『N・P』のビルマ語訳。表紙はN・Pの文字と猫と女の子。
 
○ス ミャッコ訳『ビルマのピアス/耳飾り』(ビルマ語・2016)
 武者一雄『ビルマの耳飾りー悲劇のインパール戦線』のビルマ語訳か。表紙はビルマのパゴダ(仏塔)と木。

 
 
 
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2018年05月15日

京洛逍遥(491)NPO源氏物語散策(第3回)葵祭と琵琶演奏

 今日は暑すぎるくらいの好天気に恵まれた、葵祭で賑わう一日でした。
 NPO法人〈源氏物語電子資料館〉が主催するイベント、3回目となる「源氏物語散策」は「葵祭の行列参観と琵琶演奏会」です。
 参加者に事前に資料として配布した物は、「京ごよみ」「葵祭」「行列コースと時間」「京都御苑歴史散策マップ」「法乗院リーフレット」「琵琶演奏会のチラシ」「葵祭の行列」などです。
 今回の参加者は、東京の日比谷図書文化館の受講生のみなさま10名と京都側からNPOの理事など3名の、合計13名でした。

 昨秋の第2回の催行報告は、「京洛逍遥(473)源氏物語散策(第2回)大徳寺周辺とお茶会」(2017年11月12日)をご覧ください。

 午後12時半に、高野山真言宗 京都 法乗院のロビーに集合しました。

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 日差しが照りつける中を、みなさま遠路駆けつけてくださいました。
 護摩木に願い事を書いたりお茶やお菓子をいただいたりして、13時少し前に2階の本堂に移動します。20名ほどが琵琶奉納に参会していたので、半数はNPO関係者ということになります。貸し切り状態です。ご高配いただいた院主さまにお礼申し上げます。琵琶の演奏を聴きながら、お祭りの行列が通りかかるのを待つ趣向です。

 今回のチケットは、京都 法乗院のボランティアの方々の手作りだそうです。接待を含めて、お心遣いに感謝いたします。

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 本日の曲目は以下の通りでした。

1、 別れの盃  益子 喜秋
   (赤垣源蔵の話)
2、 茶臼山   白石 旭祐
   (大阪冬夏の陣の話)
3、 西郷隆盛  織田 旭誠
   (西郷どんの話)
4、 鴨川の露  岡田 旭洋
   (坂本龍馬の話)
5、 小栗栖   ゲスト 片山 旭星
   (明智光秀の話)


 みなさまの熱演に、1時間ほど聴き入りました。琵琶の音色と強弱の妙技を堪能しました。
 国宝の『源氏物語絵巻 宿木』には、琵琶を奏でる匂宮が描かれています。その他にも、いくつかの場面に琵琶が出てきます。この京都 法乗院での琵琶の演奏会でも、勇ましい語りに加えて、平安朝の薫りのする雅びやかな曲目も聞いてみたいものです。現在、そうした曲はあるのでしょうか。国立民族学博物館の広瀬浩二郎さんが研究対象にしている盲僧の琵琶法師などは、そうした曲は演目に入っていなかったのでしょうか。いろいろと疑問が湧いてきました。こうした素人の思いつきが、さらにこうした分野を知る切っ掛けになれば、と思うようになりました。

 午後2時過ぎに、下鴨神社を出た行列が、この法乗院の下の北大路通りにさしかかるのが、2階の本堂から見え出しました。パトカーに先導されて、京都騎馬隊が進んできます。

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 参加者のみなさまと、北大路通りを西に向かって賀茂川に架かる北大路橋と賀茂街道へと移動しました。
 私がトントンと呼んでいる飛び石は、一昨夜の大雨で冠水していて渡れません。そこで、北山大橋まで足を伸ばし、Uターンして賀茂街道を南下することにしました。
 ちょうど、先頭のパトカーが通るところで、京都騎馬隊と擦れ違いました。

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 この通りは、見物の人が少ないので、いつもこの街道の中ほどで見ることにしています。今日も、緑に覆われた桜並木の一角で見ることにしました。

 藤の花で飾られた牛車は御所車です。上皇・摂関・勅使の乗り物です。主役登場を知らせます。

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 このお祭りで一番重要な役なのにあまり注目されない、束帯姿の近衛使代の行進です。飾馬は銀面を着けています。

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 後でみなさんにお聞きしたところ、ほとんどの方が見過ごしたとおっしゃっていました。この行列では最高位の方なので、お気の毒です。立て札かプラカードを持って行進なさった方がいいと思います。

 みなさまお目当ての斎王代が来ると、あたりはざわめきます。ほとんどの方がカメラ越しに見ておられます。私はカメラの連写で撮っているので、しっかりと斎王代のお顔は拝見できました。ご自分の目でしっかりとご覧になった方は、意外と少ないようです。

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 斎王代の後に続く牛車は、今は近衛使代と同じ唐車です。しかし、本来は小型の絲毛車だそうです。

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 今年も、無事に葵祭の行列を見ることができました。
 ご一緒したみなさまも、日陰のいい位置で間近にご覧になっていたので、満足なさったことでしょう。
 賀茂街道から、数年前まで私が住んでいた家の前を通って北大路駅まで、のんびりと歩いて見送りました。
 東京からお越しのみなさまは、この後はそれぞれに、ご自分の予定で京都を散策なさるようです。
 いい天気に恵まれて、稔り多い源氏散策の1日となりました。

 近所の市場に立ち寄ったところ、このお祭りのための鯖寿司がズラリと並んでいました。

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 この市場の前の児童公園は、下鴨神社で執り行なわれる御蔭祭の際に待機場所となっています。地域一帯で、この葵祭を下支えしているのです。地元の方々のために、こうした祭礼用のお祝いの御寿司が、冷蔵ケースを埋め尽くしているのです。下鴨神社の氏子の一人になっていることを実感して、一ついただきました。
 
 
 
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2018年05月14日

高校で小論文の授業(その4)

 このところ、いろいろと書いておきたいネタが多いために、やっと先週金曜日(11日)に高校で行なった授業の記録を書き残す順番となりました。

 教科書として配布した『特化型 小論文 チャレンジシート 看護・福祉・医療編』(第10版、2016年12月20日、第一学習社)で、最初の項目となる見開き2ページを確認しました。この日のトピックは「患者主体の医療」と「遺伝子診断と遺伝子治療」の2つです。

 順調に進めていて、下段にあった「重要キーワード」の説明に移りました。「自己決定権」・「セカンドオピニオン」・「再生医療」の3項目が並んでいます。生徒を指名して、まずは「自己決定権」を読んでもらおうとしたところ、「どこですか?」とキョトンとしています。場所を言っても、怪訝な顔をしています。横に行って読むべき場所を指し示そうとしたところ、そこには「チーム医療」という項目が立てられていて、「自己決定権」という項目はないのです。
 次の「セカンドオピニオン」と「再生医療」は、同じものが書いてあります。
 おっとっと、です。

 私は、教務担当の先生から受け取ったテキストを手にして授業に臨んでいます。先々週の4月27日に生徒に配った冊子と、私が持っているものの内容が違うようです。慌てました。
 奥付けを見比べて、やっと事情がわかりました。
 私のテキストは「第10版、2016年12月」で、生徒のテキストは「第11版、2017年12月」です。
 この「重要キーワード」の一部が、改定により、「自己決定権」から「チーム医療」に差し替えられたようです。
 とにかく、この項目は飛ばして、残りの2つの確認をしました。

 後で、この2冊のテキストを比べて見たところ、どうやらこのページのこの箇所だけが入れ替えられていることがわかりました。この分野の専門ではないので、どのような問題があって差し替えとなったのかはわかりません。また、改定されたことは、どこを見ても書いてありません。奥付けに「改定◎版」とか「補訂」という文字がほしいところです。

 参考までに、取り除かれた「自己決定権」の文章を引いておきます。

自己決定権

 生き方や生活のあり方を自分で自由に決める権利。医療では、患者が自らの生命や治療方針に関して最終的な判断を行う権利をいう。病名、病状、治療の選択肢や予後などについて十分な情報を得たうえで、治療の拒否権も含めた決定権を持つ。なお、人工妊娠中絶・受胎調節などに関する女性の自己決定権を、特に「リプロダクティブ・ライツ」と呼ぶ。(2頁)


 この後、「リプロダクティブ・ライツ」について調べました。どうやら、「人工妊娠中絶・受胎調節」というところに問題があるように思えます。確かなことが言えないので、ここではこれくらいにしておきます。

 このテキストで学習した後は、先般より書いている小論文「将来の目標と理由」の3回目として、完成版の作成に移りました。ただし、新たな条件を課して、「チーム医療」「セカンドオピニオン」「再生医療」の3つの内からいずれか1つのことばを入れて書くように、としました。
 慣れないことでもあったせいか、いろいろと質問に対応しながらの時間となりました。
 質問が出るということは、それだけ積極性が生まれたことです。大歓迎です。
 
 
 
posted by genjiito at 19:02| Comment(0) | *身辺雑記

2018年05月13日

新しく古写本『源氏物語』のくずし字を読む講座がスタート

 毎日いろいろな案件や仕事をこなしていると、このブログに書き留めておきたい記事も溜まっていく一方です。
 先週の木曜日、5月10日から滞っているものを、手元のメモをもとにして整理します。

 「キャリアアップ講座と熊取ゆうゆう大学とで『源氏物語』を開講」(2018年04月04日)で予告した通り、初心者講座として「古写本『源氏物語』のくずし字を読む」というものがスタートしました。これは、これまで「熊取ゆうゆう大学」の社会人講座として実施していた「『源氏物語』の古写本を読む」と連携・合体したものです。新たに「キャリアアップ講座」という名称で、同じ時間帯に同じ部屋で開催します。

 10日(木)は、午後3時から5時まで、12人の社会人の方々と6人の学生と一緒に始まりました。
 テキストは、『国立歴史民俗博物館蔵『源氏物語』「鈴虫」』(伊藤鉄也・阿部江美子・淺川槙子 編著、新典社、2015年10月)です。

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 これは、国立歴史民俗博物館が所蔵する国の重要文化財『源氏物語 鈴虫』をカラー版の複製本として刊行したものです。
 この本を刊行した時のことは、「歴博本「鈴虫」をカラー版で「変体仮名翻字版」として刊行」(2015年10月01日)に書いた通りです。

 この「キャリアアップ講座」でも、「日比谷図書文化館」や「be京都」と同じように、平仮名の元となった漢字(字母)を確認しながら読み進めます。
 今回テキストにした「鈴虫」巻の写本は、米国ハーバード大学が所蔵する『源氏物語 須磨・蜻蛉』と兄弟本であり、鎌倉時代中期に書写された現存最古の写本の一つです。
 この写本の価値などを、まず確認しました。
 最初ということもあり、4行目まで進みました。字母を確認しながら、変体仮名を読みます。ゆっくりと目慣らしをし、平仮名と漢字の関係をイメージしながらのトレーニングです。
 最後に、さまざまな質問を受けました。自由に疑問に思ったことを訊いていただけるということは、こちらとしては願ってもないことです。次回も、疑問が生まれるように話を持って行くつもりです。
 
 
 
posted by genjiito at 20:36| Comment(0) | ◎NPO活動

2018年05月12日

第7回 池田亀鑑賞の受賞作を公表

 第7回 池田亀鑑賞の受賞作を、同賞のホームページを通して公表しました。
 トップページの「お知らせ」の最上段の記事をクリックしてください。

「池田亀鑑賞 公式ホームページ」

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 授賞式は、来月、6月30日(土)、午後1時半からです。
 会場とプログラム等は以下の通りとなっています。

◆授賞式会場
 日南町総合文化センター・多目的ホール
 〒689-5212 鳥取県日野郡日南町霞785
 TEL: 0859-77-1112
 http://culture.town.nichinan.tottori.jp/

◆参加費
 300円(資料代として)

◆授賞式内容
第1部 池田亀鑑賞授賞式および受賞者記念講演会
 松本大氏(奈良大学・講師)
 演題:「時代を超える『源氏物語』の魅力」
第2部 特別講演
 須藤圭氏(筑紫女学園大学・准教授)
 演題:「新指定 重要文化財「池田本」の価値―池田亀鑑のその後に向けて―」
第3部
 伊藤鉄也氏(大阪観光大学・教授)
 「重要文化財 池田本『源氏物語』を読み、池田亀鑑を追体験する」


 多数の方々のご参加をお待ちしています。

 現在、第8回 池田亀鑑賞の応募を受け付けています。
 締め切りは、2019年3月31日です。
 上記の池田亀鑑賞 公式ホームページの「募集・選定概要」をご覧になり、自薦他薦にかかわらず、ふるってご応募いただけることを楽しみにお待ちしています。
 
 
 
posted by genjiito at 23:52| Comment(0) | □池田亀鑑

2018年05月11日

大学の授業で『百人一首』を扱う

 大学では、授業の一つに「日本の文学」を担当しています。
 今年のシラバスには、次のように書きました。

【概要】
 日本の文学の中でも和歌は、美しい言葉で歌い上げられ、書き写され、詠み継がれて来ました。
 その背景には、日本の伝統的な文化や歴史が横たわっています。
 特に『百人一首』は、カルタ遊びとしても親しまれて、今に至っているものです。
 この授業では、『百人一首』を通して各時代に言葉で紡ぎ出された、人々の生活・文化・思想・感覚・知恵・知識・虚構・伝説・信仰、そして恋愛の諸相をかき分けながら、日本文学の歴史を和歌でたどることで、理解と知識を深めていきます。

【教科書】
『原色 小倉百人一首』(鈴木日出男・山口慎一・依田泰、文英堂、\550+税)


 新年度となり、これまでに2回あった授業では、小野小町の「花の色は〜」を「変体仮名版」で表記した資料を使ったり、『百人一首』をテーマとしたお菓子「カルタ百人一首」を配布して、自分が担当する歌を決めたりしました。

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「京都せんべい おかき専門店 小倉山」

 このお菓子は、今年の3月1日にインド・ネルー大学へ行った時にも、お土産の一つとして学生たちに配布しました。その日のブログ「ネルー大学でアニタ先生や学生と懇談」(2018年03月01日)には、以下のように書いています。このお菓子は、非常に重宝するものです。

 私からの学生さんたちへのお土産は、小倉山荘の『百人一首』のおかきです。20人ほどの学生さんに一人一袋をとってもらい、自分の包装紙に書いてある和歌一首を覚えて調べるように、私からの宿題を課しました。早速、荒手の指導です。これが通用するのが、世界に冠たるネルー大学の学生さんたちなのです。今夜はきっと、家で自分が取った『百人一首』の歌一首の意味や作者について、必死になって調べていることでしょう。


 昨日、5月10日の授業では、まず5月4日に行われた「東西でかるたを楽しむ会」の写真をスクリーンに映写しました。目の見えない人たちが『百人一首』を楽しんでいる姿を見てもらったのです。半数が留学生だったので、見たこともないカードゲームに複雑な視線を送っていました。

「大阪で開催された「東西でかるたを楽しむ会」に参加」(2018年05月04日)

 さらに、当日使っていた点字付きカルタの実物を見てもらい、回覧しました。これは、「点字・拡大文字付 百人一首〜百星の会」の関場さんから教材として使用することでいただいたものです。
 また、点字による説明資料と立体コピー版『百人一首』も回覧しました。

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 盛りだくさんの授業で、学生たちはいろいろな思いを抱いたことでしょう。これが、『百人一首』への興味づけになればと思っています。
 
 
 
posted by genjiito at 23:11| Comment(0) | ■視覚障害

2018年05月10日

科研のHPに関して脅されたその後(1)

 科研費による研究において、昨年度の膨大な成果があるにもかかわらず、業者に依頼した公開用のホームページがまったく放置されていることでは、思い出すたびに腑が煮えくりかえる思いをしています。
 研究資金を提供してくださっている日本学術振興会への研究成果報告書の提出も、今月末までとなりました。
 先月は、ホームページが出来ていない理由を、10回にわたって詳細にブログに記しました。日本学術振興会への説明文だと思って、事実を書き連ね、ありのままの状況を整理したのです。
 今、私個人ができることは、どう足掻いてもここまでです。

 昨夜5月9日、HPの改修を依頼した会社の担当者に、おおよそ以下の内容のメールを送り届けました。

・いまだに、科研の研究成果がホームページを通して公開できない状態にあるのは、とにかく異常である。

・私の研究活動に対して、貴社から意図的な妨害を受けている、と判断せざるをえない。

・昨年6月6日に渡した、私のホームページのサイト情報を正式に返納してほしい。新しくホームページを作成することに着手できないからである。

・今月5月末までに、日本学術振興会に対して、2017年度の研究実績報告書を提出する必要がある。これには、貴社により研究妨害行為がなされている旨の報告をせざるをえない。

・その際の傍証とすべく、詳細な経緯を以下のサイトに公開した。
「【全10回一覧】昨春採択の科研(A)のホームページが公開できない理由」(2018年04月27日)

・これは、科研のホームページが貴社の怠慢と妨害のために公開できない理由を10回に分割し、事実に基づいて丁寧に整理したものである。

・この10件の記事につき、公開で正々堂々と反論があることを期待している。

・本年3月22日に、私は電話による脅迫まがいのことを聞かされた。今後は、くれぐれもそのような荒っぽいことはせず、正しい日本語の運用に基づくやりとりをお願いする。

・1日も早く私が自由に研究成果を公開できるよう、「注文取消し」を握り潰さず、適切な対処を望む。

・大阪観光大学1号館8階にある科研の作業室では、プロジェクト研究員1名・科研運用補助員1名・アルバイト学生5名の計7名が、ホームページを通して研究成果や収集整理した情報を公開し、さらには海外の研究者とホームページを活用してコラボレーションが展開できるよう、昨夏よりスタンバイしていることをお忘れなく。


 これに対して今朝、以下の確認のメールが来ました。これは、私が送ったメールに、15人の同報者があることについての確認です。

・今後やり取りをする上で、Ccに含まれるメールアドレスについて確認したい。

・生徒様や学外の方が宛先に含まれているように見受けられる。

・今後のやり取りでは、契約の詳細や時系列など細かい内容が本文に記載されることになるが、弊社が書面上契約した相手方は大阪観光大学様となっている。

・上記内容を生徒様、学外の方に公開することを大学様のほうで許可されているのか?

・大学様にとって機密扱いの情報、不利益になるような情報が第三者の目に触れ、拡散されてしまう可能性、影響を懸念する。


 どうやら、科研費がどのようなものであるのか、まったく理解が及んでいないようです。
 この先方からの確認のメールを受けて、私からは以下の返信をしました。

・私の科研における研究基盤機関である大阪観光大学は、事務的なこと以外では私を守ってくれない。

・そのためもあり、私個人で貴社からの研究妨害に対処している。

・自分自身を守るためにも、今後ともすべてを研究代表者である私の判断で、科研のホームページが公開できないことを、個人的な日記であるブログ「鷺水庵より」(http://genjiito.sblo.jp/)を通して、広く報知していく。

・2013年度・2015年度・2017年度からの科研で連携研究者となっている別の4名は、今回の科研でも研究協力関係にあり、情報共有の観点からこのCcに追加した。

・Ccに伊藤科研の関係者を列記したのは、研究協力者と情報を確実に共有するためである。

・特に6名の学生は、昨年9月以降よりホームページの運用に関わるはずだった。そのため、今回のトラブルの経緯は、教育的見地からも知らせる必要があると判断する。これは私の責務である。


 なお、こうしたやりとりを行なったことは、この返信をした後、大学の学長と学部長にすみやかに報告しました。
 また、電話でも丁寧に説明しました。
 
 
 
posted by genjiito at 22:28| Comment(0) | ◎情報社会

2018年05月09日

ビルマ語に翻訳された日本文学作品の展示

 大学のコリドールは、涼やかな風が気持ちよく吹き抜けています。

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 今年3月に、科研の用務でミャンマーへ調査に行きました。そこで収集した日本文学と文化に関する翻訳本を、大阪観光大学の図書館1階で展示しています。これまでは、3階で展覧していたものを、先月からは1階に移動しての展示です。

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 大学には、ミャンマーからの留学生がいるので、少しでも言葉を仲立ちとしてお互いの国の文化を知り、そして考える際の刺激になればと思っています。

 入手したばかりの書籍ということもあり、まだ、きちんとした解題はできていません。とにかく、現物である書籍をいち早く見てもらいたい、という思いで用意したミニ展覧会です。「解説文 作成中」という表示をしています。どのような本が並んでいるのかは、もうしばらくお待ちください。

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 今回の展示も、科研の研究協力者となっている2回生の学生たち6人が、先週2日に突貫工事で仕上げてくれました。私は、今日初めて今回の展示を見て、若者たちもなかなかやってくれるもんだ、と感心しながら写真に収めました。解説文も任せているので、どのようなものがこの展示ケースの上に並べられるのか、大いに楽しみにしています。

 ミャンマーにおける日本文学と文化に関する情報は、私の手元には本当に少ししかありません。これから調査を進め、収集し、整理をすることになります。
 ビルマ語に関する情報もお寄せいただけると幸いです。
 
 
 
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2018年05月08日

京洛逍遥(490)洛陽三十三所(29)福勝寺

 洛陽三十三所33番札所の清和院から、一条通りを東に少し歩き、すぐの角の六軒町通を五番町に向かって南下します。この一帯は、水上勉の『五番町夕霧楼』の舞台でもあります。
 交差点の角左に「平安宮 宴松原」の跡が見えて来ます。ここは、『大鏡』『今昔物語集』などで知られる、内裏の西側にあった場所です。『大鏡』に伝えるところによると、藤原道隆が弟の道長と肝試しとして右衛門陣から豊楽院へ行く途中で、松原からの声を聞いて逃げ帰ったという逸話は、ご存知の方も多いかと思います。

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 この石碑に刻まれている文字を「変体仮名翻字版」で翻字しておきます。

あ八れ尓も 今は
 限りと思ひしを
まためくりあふ
 えんの松はら
    栄花物語より


 この碑と向かい合うようにして、福勝寺があります。

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 いただいた朱印は、次のようになっています。

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 以下、ホームページ「洛陽三十三所観音巡礼」第二十九番札所 福勝寺から、解説の一部と地図を引きます。

御詠歌
 みやびのか ふるかんのんの さくらでら
   みちびきたまえ きよきこころに

 当寺は真言宗の宗祖・弘法大師によって、河内国古市郡中村[現在の大阪府羽曳野市]に創建されましたが哀退したと伝えられています。その後、覚済僧正[別名山本僧正、第八十世東寺長者、第四十五世醍醐寺座主]によって正嘉年間(一二五七~五九)京都[油小路五条坊門]に再建されました。
 以後、三度の移転を経て現在の地[出水通り千本西入る]に移りました。
 当寺には、弘法大師が唐の国で師として仕えた三蔵国師青龍寺恵果和上より伝授され当寺創建とともに伝えられた如意宝珠と歓喜天の秘法を、大寒より七日間行いご祈祷された瓢箪を節分会〈二月三日〉に授与しています。この瓢箪は朝廷の厚い庇護を受け、明治時代以前には、朝廷と幕府の為だけにご祈祷していました。
 当寺は、前述の如く歴代天皇から厚い帰依を受けており、ことに後陽成天皇と後西天皇は勅願寺にされています。当寺の聖観音菩薩は後西天皇の勅願を受け、その願いが成就されたのち「観世音菩薩」の名号とともに紫宸殿の左近の桜の分木を下賜され、以来当寺のことを「桜寺」と呼び慣わす様になりました。


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 この地図に記入した赤丸印からわかるように、この東側一帯は大内裏の中ということもあり、平安宮に関する遺跡が盛りだくさんです。この地域については、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉が主催して散策した記録「京洛逍遥(378)京都で源氏を読む会の源氏散策(第1回目)」(2015年10月10日)がありますので、おついでの折にでもご覧ください。
 また、上掲地図の左下にある「平安宮 豊楽殿跡」については、「源氏のゆかり(22)説明板18-豊楽殿跡」(2008年07月23日)に書いています。
 
 
 
posted by genjiito at 22:52| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2018年05月07日

京洛逍遥(489)洛陽三十三所(33)清和院

 洛陽三十三所30番札所の椿寺(地蔵院)から一条通りを東に向かうと、天神川に架かる一条橋があります。
 橋の左側には「一條橋」、右側には「紙屋川」と彫られています。

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 この橋をさらに東へと進むと、京都こども文化会館の少し北に、清和院がありました。

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 狭い境内の奥に納経所があります。
 朱印帖に書いてていただいていた時、ふと見ると、下敷きに京都新聞を使っておられたのです。しかも、いしいしんじ氏が京都語訳『源氏物語』を連載なさっていた時のものです。何たる奇遇。この新聞の方に注意がいってしまいました。

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 写真を見ると「42」とあります。今、手元の切り抜きを調べたところ、これは今年1月29日(月)の「須磨」巻(その内の4回目)であることがわかりました。「須磨」はこの回で終わり、この次から「明石」になるのです。
 こんな出会いは楽しいものです。
 いただいた朱印は、次のようになっています。

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 以下、ホームページ「洛陽三十三所観音巡礼」第三十三番札所 清和院から、解説の一部と地図を引きます。

御詠歌
 たヽたのめ すくひまします がんぜをん
   ちかいのあみに もれぬかわさき

 清和院は、京都東山七条智積院を本山とする真言宗智山派の寺院であります。清和天皇が譲位後の後院が、仏心院を礎に清和院と改められました。現在京都御苑の東に清和院御門が残り、その歴史を留めています。清和天皇は、元慶四年(八八〇)に崩御されましたが、その子孫から後に武家の棟梁となる清和源氏が生まれました。清和院は江戸時代初めの御所大火で類焼し、その後現在の北野七本松一条の地に移されました。

 ご本尊は等身玉眼入、極彩色の見事な地蔵菩薩立像[鎌倉時代・重文]であります。当巡礼の観音菩薩、通称『河崎観音[平安時代・重文]』は、一条鴨川西岸にあった感応寺内の「河崎観音堂」に奉安されていました三眼の聖観音菩薩で、一五三一年観音堂が焼失した後、河崎観音は清和院に移され後世に伝えられる事となりました。河崎観音は当時より、都の人々の信仰を集めた霊験あらたかな観音様でありました。現在は九州国立博物館に所蔵されております。清和院では河崎観音のお姿を偲び、往時の信仰の復興を発願しております。


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posted by genjiito at 21:11| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2018年05月06日

第7回 池田亀鑑賞の選考委員会を終えて

 今日は、池田亀鑑賞の選考委員会がある日です。阪急電車で河原町駅から池田駅に向かいました。
 途中、十三駅で乗り換える時、通路の両側に宝塚市立手塚治虫記念館のパネル展示があり、つい時間をかけて見てしまいました。

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 さて、池田亀鑑賞の選考委員会は、今年も逸翁美術館の伊井春樹館長のご高配をいただき、隣接する池田文庫の会議室で開催されました。
 今回で7回目となります。この賞の立ち上げからお世話をしている者としては、感慨深いものがあります。毎度のことながら、この賞のスタート時を振り返り、気持ちを新たにして回を重ねているところです。

「小さな町を揺るがした池田亀鑑の1日」(2010年03月13日)

 4回目が開催できたらいいが、と大方の方々から思われていた、非常に地味な文学賞です。それが、鳥取県日野郡日南町と池田亀鑑文学碑を守る会、そして多くの賛同者の皆様のご支援をいただき、ここまで来ることができました。ありがたいことです。
 上の記事の中で、次のように書いています。

 こうした取り組みは、3回までは続きます。しかし、4回目が開催できるか、というのが問題です。
 ぜひとも、10回までは続けてほしいものです。規模は小さくてもいいのです。続けることが大事だと思います。


 そんな小さな文学賞が、なんと10回目となる節目も見えて来たのです。

 今回も、選考委員会の相談役である伊井春樹会長と、池田亀鑑文学碑を守る会の久代安敏事務局長の陪席を得て、無事に選考を終えることができました。選考委員会は、以下のメンバーで応募作を慎重に選定しています。

「池田亀鑑賞 選考委員紹介」

 選考委員のみなさまは、毎回確実に締め切りまでに評価書を送ってくださいます。そのとりまとめの作業は滞ることなく、毎回順調に進んでいます。今回も、ゴールデンウィークの真っ只中に審査をしていただくこととなり、恐縮しながらもご理解とご協力に感謝しています。
 今日の選考においても、3時間をかけてじっくりと授賞作を検討しました。
 授賞作品は、近日中に「池田亀鑑賞公式 ホームページ」を通して発表されます。楽しみにして、お待ちください。

 第7回池田亀鑑賞の授賞式は、2018年6月30日(土)に日南町で開催される「もっと知りたい 池田亀鑑と『源氏物語』」の講演会において行なわれます。授賞作については、この授賞式の場で伊井春樹先生のご挨拶と講評の後、私から授賞理由を報告します。今しばらくお待ちください。
 当日は、授賞式と受賞講演にひき続き、記念講演会と写本を読む体験学習会も計画しています。

 次の、第8回池田亀鑑賞の応募締め切りは、これまで通り来年2019年3月末日です。
 日南町での授賞式は、例年は6月の最終土曜日です。しかし、次回からは秋の開催を検討中なので、詳しくは追ってお知らせします。

 次回も、多くの力作が届くことを楽しみにしています。特に、若手研究者の方々がコツコツと研究に励んだ成果を応募という形でお寄せくださることを、心よりお待ちしています。

 なお、昨年の第6回池田亀鑑賞の授賞式の様子は、「充実した第6回池田亀鑑賞授賞式」(2017年06月24日)をご覧ください。
 
 
 
posted by genjiito at 20:49| Comment(0) | □池田亀鑑

2018年05月05日

京洛逍遥(488)洛陽三十三所(30)椿寺 地蔵院

 今日は端午の節句。こどもの日です。
 京都こども文化会館(エンゼルハウス)では、「エンゼルたのしい音楽会 ♪こどもの日のコンサート♪」があるので、子供たちが集まって来ていました。

 会館玄関前にある人形時計塔直下のテラスには、写真で見える道路側には「竹取物語」のかぐや姫の人形が、その裏側の会館側には「西遊記」の孫悟空や三蔵法師らの人形が、シンセサイザーの音楽に合わせて動くそうです。

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 午前9時から午後5時までの偶数時はかぐや姫の出番。ただし、今日はかぐや姫が出た直後だったので、見られなくて残念でした。

 その近く、西大路通り沿いの西大路一条にある「椿寺 地蔵院」に行きました。ここは、洛陽三十三所の第30番札所です。
 街中の小さなお寺です。境内はすっきりしていて、観光客は来ないこともあり、静かな所にあります。

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 以下、ホームページ「洛陽三十三所観音巡礼」第三十番札所 椿寺 地蔵院から、解説の一部と地図を引きます。

御詠歌
 かんのんへ まいるおてらを たずぬれば
   なにかわばたの じぞうどうとや

 当院は昆陽山地蔵院と云い、神亀三年(七二六)行基菩薩が聖武天皇の勅願に依って、摂津国昆陽池のほとりに一宇を創建したのが始まりである。その後平安朝になって、衣笠山の南に移され、七堂伽藍を完備した名刹であったが、明徳二年(一三九一)の内野の合戦によって、堂宇残らず灰燼に帰す。足利義満公は、深く当院の荒廃を惜しみ、金閣造営の余材を以て仮堂を建て地蔵菩薩を奉安した。次いで天正十七年(一五八九)、豊臣秀吉公の命によって一条紙屋川西の現在の地に移り、今に至っている。
 その秀吉公が、北野大茶会の縁により献木したと云われる「五色八重散り椿」があったところから、一般に「椿寺」と呼ばれている。(中略)
 本堂南側の観音堂内中央の御厨子には、慈覚大師の作と伝えられる一木作りの十一面観世音菩薩立像[御丈五尺三寸]が雨宝童子、春日龍神の両脇士と共に奉祀してある。


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2018年05月04日

大阪で開催された「東西でかるたを楽しむ会」に参加

 東京の「点字・拡大文字付き百人一首〜百星の会」と大阪の「大阪点字付きかるたを楽しむ会」の合同企画による「東西でかるたを楽しむ会」に参加してきました。

 会場は、JR桜島駅からシャトルバスで10分の所にある、「アミティ舞洲」(大阪市舞洲障がい者スポーツセンター)の3階にある、研修室2と3です。

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 午前中は初心者のためのイベント。
 お子様中心の、簡単な平安クイズや、ゆかりの品物としての衣装にゆっくりと触れる時間です。目が見えない方々にとっては、この手で触った感覚がイメージを豊かにし、世界が広がるのです。

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 午後は、初心者と中上級者のかるた会。
 まずは目が見える方の模範試合からです。畳ではなくてフロアだったので、やりにくそうでしたが。

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 今日のために用意された10枚のカルタは、渡邊寛子先生(福島県立盲学校高等部国語科教諭)が選んでくださった歌十首です。選定にあたっては、親子関係、女性、決まり字、歴史の勉強もできる、などなどが考慮されていました。

「教育現場用 十首 バリアフリーかるた」

秋の田の〜/春過ぎて〜/花の色は〜/めぐりあひて〜/よをこめて〜/瀬をはやみ〜/世の中よ〜/世の中は〜/来ぬ人を〜/人もをし〜


 カルタは、私が「八つ橋型」と呼ぶ、丸く反った形をしたものです。紙製とトランプ製があります。トランプ製は、お湯につけて曲げるのだそうです。関場さんをはじめとする、ボランティアのみなさんの苦労の産物です。

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 昨日の記事に取り上げた、私の思い出の歌も選ばれていました。

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 今日のカルタ会では、この会のまとめ役である関場さんから、新しいルールが披露されました。

(1)利き手で取ることを原則とし、手はカルタ台の手前で重ねた状態で読まれるのを待つ。
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(2)お手付きは、自分が取った札一枚を相手に渡す。

(3)札は手前に引いて取る。
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(4)目が見える人は、下の句を読み出したらアイマスクを着けて勝負に臨む。


 このルールでやったところ、いろいろとこれまでとは違う問題が出ました。

・空札が入ると途端にお手付きが増えた。

・これまでの癖で、つい両手で取る。
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・札を上から叩いて押さえ込む。
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 しかし、これらは回を重ねるごとに改善されていくものなので、大した問題ではありません。

 やがて2試合目、3試合目となると、鬼気迫る緊迫感がありました。

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 隣の部屋では、南澤さんの指導のもとに、初心者のための取り方教室も進行中です。
 人差指を抜くゲームは、なかなかむつかしそうでした。これは、耳と手の感覚を養えます。

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 勝負が終わった頃には、坊主めくりのお菓子が配られました。

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 関場さん、兵藤さん、野々村さん、南澤さん、そして多くのボランティアでお越しになっていたみなさま、ありがとうございました。
 楽しいひと時を、皆さんと一緒に過ごせました。
 関場さん、背中の和泉式部はオシャレでしたよ。

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posted by genjiito at 23:01| Comment(0) | ■視覚障害

2018年05月03日

『百人一首』の崇徳院の歌「瀬をはやみ〜」のこと

 高校一年生の夏だったと思います。担任の先生が出された宿題で、『百人一首』の感想文を書かされました。高校に入学したばかりで、当時はテニスに明け暮れる日々。古文など縁のない私にとって、大変なことになりました。
 どんな経緯からか、崇徳院の和歌について書いて出しました。おそらく、落語の「崇徳院」か何かから選んだのではないでしょうか。そして、何か参考書をもとにして、当時から得意だった作文力で書いたように思います。

【77番 崇徳院】
瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の
  われても末に 逢はむとぞおもふ

 この歌は、原典である『久安百首』と『詞花集』において本文に複雑な異同があるものです。今にして思えば、その後、古典文学作品の本文がさまざまに異なって伝えられてきていることに興味を持った、最初のものといえるのです。
 この崇徳院の生涯は、複雑な人間関係におかれていたことから、数奇なものになったといわれています。恋の歌とされるこの和歌は、いわゆる恋というものとは違う、人の情の激しさを包み込んだものだと思っています。
 高校一年生の時に、そんなことを書いたとは思えません。あたりさわりのないことを書いたことでしょう。もしできることならば、あの夏に提出した感想文を見たいものです。
 
 
 
posted by genjiito at 20:52| Comment(0) | ■古典文学

2018年05月02日

8種類の中国語訳『源氏物語』に学生と立ち向かう

 大型連休を利用して今は旅の途中、という方もいらっしゃることでしょう。
 そんな中、学校では授業時間を確保する意味からも、昨日も今日も授業がありました。学生たちの出席率は、予想外というと語弊があるものの、全体的にいいようです。

 中国からの留学生と一緒に、先週から中国語に翻訳された『源氏物語』を前にして話をしています。私の手元にある中国語訳『源氏物語』の本を書架から抜き出してみたところ、今日のところでは8種類あることがわかりました。
 その翻訳者の名前は、以下の通りです。

黄锋华・姚继中・鄭民欽・林文月・梁春・豊子ト・夏元清・康景成


 すべてを探し出したわけではないので、まだ10種類以上はあります。
 私が編集している『源氏物語』の翻訳史年表(http://genjiito.org/genji_infomation/genji_history/)によると、以下の翻訳者の本も架蔵しているはずです。

唐蓓・王烜・叶渭渠・彭飛 等・温祖蔭・钱澄・宋瑞芬・左秀靈・殷志俊・喬紅偉・李宏伟・銭稲孫


 これらは、いずれまた丁寧に探して、ということにしましょう。

 さて、その中国語訳を前にして、いろいろな話をしている時でした。それぞれの翻訳者がどう訳していて、どのような違いがあるのかを調べてみないかと話を振ったところ、やってみたいという学生がいました。

 まずは、日本の品物や、考え方や、風俗習慣、そして感覚と感受性などが書かれている特徴的な箇所を見つけ出し、それらを見比べます。そして、それがどのような表現で中国語に移し替えられているのかを考えることになります。これは、調査と研究の初心者コースに入ったといえます。

 それでは、ということで、まずは基本的な資料作りをしました。
 文学を勉強するために来た学生ではなく、観光や文化に興味があり、そうした分野の仕事をしたいと思っている学生たちを対象とした授業です。しかし、おもしろいと思ったことは、さらに日本を知りたいと思う動機付けになります。今回は、日本の古典文学作品を対象にするのです。文学を専門に勉強しようと思っている学生ではないので、ハードルは高いかもしれません。しかし、何事もやってみないとわかりません。

 今日は、資料整理と調査のための資料作りに終始しました。
 この資料を基にして、自分で気付くことを大切にした学習の場となるようにしていくつもりです。
 さて、このテーマがどう展開して行くのか、これからが楽しみです。
 
 
 
posted by genjiito at 23:22| Comment(0) | ◎国際交流

2018年05月01日

高校で小論文の授業(その3)

 先週金曜日の、高校での記録がうまくアップできていませんでした。
 あらためて掲載し直します。
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 授業を始める前に、生徒には、書いた小論文や配布物を時系列にファイリングして保管するための、A4の2穴ファイルを一冊ずつ配布しました。これは、担当する3年生の色となっている、ライトグリーンのものです。期せずして私の好きな色でした。

 続いて、先週書いた作文を添削したものを返却。先週から使い出した、A4のクリアファイルに、提出物を挟んだ状態で生徒一人一人とやりとりをしています。

 さらに、教科書として使う『特化型 小論文 チャレンジシート 看護・福祉・医療編』(第10版、2016年12月20日、第一学習社)も配布しました。これは、担当するクラスに最適な冊子です。これまで長い間、この小論文を担当しておられたH先生のアドバイスをいただき、私もこれを活用することにしました。
 この本には解答と解説の冊子が付いていたので、これも一緒に配りました。

 先週回収した小論文を添削していて、原稿用紙の使い方が徹底していなことに気付きました。そこで、論文で使う表現や語句を一覧できる資料とともに、原稿用紙についてのプリントも配り、基本的なポイントを押さえました。この配布資料については、「うちやまかずや・育達商業科技大學人文社会學院應用日語系(台湾)、http://web.ydu.edu.tw/~uchiyama/ron/rasii.html」を使わせていただきました。

 こうして、いろいろと配ったり注意をすることに手を取られ、一人一人に返却した小論文のコメントを個別に伝えるタイミングを逸してしまいました。鉄は熱いうちに、という鉄則を実行しないままに終わってしまったのです。次の授業は連休明け。アドバイスの時期が大きくズレることとなり、生徒には申し訳ないことをしました。2週間後に、何とかフォローしようと思っています。

 初夏の涼しい風が教室に吹き込む、爽やかな2時間でした。しかし、今年は6時間目と7時間目という、生徒にとっては一日の疲れがピークに達する時間です。勉強には、決して条件がよくありません。これから夏に向けて、生徒とともに、この疲れとの戦いを繰り広げることになります。眠気を誘わない、魅力的な教材と課題を工夫しなければなりません。また、新たな戦略を練って臨むことになります。相変わらず、悩みは尽きません。
 
 
 
posted by genjiito at 07:35| Comment(0) | *身辺雑記