2018年03月31日

[町家 de 源氏物語の写本を読む](第7回)の報告(体験参加者と共に)

 写本を読む勉強会の会場としてNPO法人〈源氏物語電子資料館〉でお借りしている「be京都」(http://www.be-kyoto.jp/)の部屋には、春を感じさせる花が活けてあります。毎週変えているとのことです。季節感あふれる落ち着いた部屋で、気ままに勉強会をしています。

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 今日も『ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「須磨」』(伊藤編、新典社、2013年)を読み進めました。
 今日は、見学を兼ねて2人の方が体験参加です。そのためもあって、7人で賑やかに語り合いました。

 いつものように、写本が作られて来た歴史とその実態の確認からです。糸罫を例にして、書写の実態をお話しました。試作中の糸罫も、あとは糸を張るだけとなりました。次回には、糸罫の複製をみんなで確認できます。

 これまで、ナゾリが認められる箇所など、非常にマニアックな問題を一緒に考え来ました。しかし、どのようなことをしているのかを参観においでなので、テキストの本文を丁寧に確認しました。
 6丁裏(28頁)から始めるはずでした。しかし、私が勘違いをして7丁裏(30頁)から始めてしまいました。
 そこで、それに続く8丁表(31頁)へは行かず、戻って5丁裏(28頁)の4行目の「おほしたり」まで確認しました。
 初めての方には、少し早かったかもしれません。目が慣れると文字を追っていけますので、気長にお付き合いいただけると幸いです。

 次回も、少し変則的な開催です。
 4月21日(土)午前11時から午後1時までとなります。

 このようにして写本を読むことに興味と関心をお持ちの方は、本ブログのコメント欄を利用して連絡をいただけると、返信で詳細をお知らせします。
 
 
 
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2018年03月30日

入れ子点前のお茶会をしてから賀茂川の桜を観る

 海外からのお客様をお迎えして、この日のために練習してきた入れ子点前でお茶を点てて差し上げました。
 丸卓の地板に水差しを置き、天板には柄杓を挟んで棗と蓋置きを飾ります。
 柄杓の左側に置いた蓋置きは、先日ミャンマーで手に入れた小さな石臼の未完成品です。先生に見てもらったところ、今日のようなお客様の時には、お茶席での楽しい話題作りになっていいのでは、とのことだったので使ってみました。

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 お客様にもお茶を点ててもらいました。

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 お二人とも上手で、正座もきれいでした。
 フランスやベルギー、オランダ、ドイツの話で盛り上がりました。特にオランダのライデンにある日本博物館シーボルトハウスの話になると、iPhone で調べたりしておられました。
 オランダ語訳『源氏物語』の話は、時間がなかったのでまたの機会としましょう。
 参考までに、現在まで私が確認しているものを列記しておきます。


西暦/元号/言語/重訳の有無/翻訳者/題名/翻訳範囲/備考/出版社

(1)1918/大正7/オランダ語/〈重訳〉/Marinus Willem de Visser(末松謙澄訳)/『Die Genji Monogatari』//※翻訳開始/A. Langen

(2)1930/昭和5/オランダ語/〈重訳〉/Ellen FOREST(Arthur Waley訳)/『Het Verhaal van Prins Genji』/「桐壺〜葵」//Holkema & Warendorf

(3)1969/昭和44/オランダ語/〈重訳〉/Hans Cornelis ten Berge(Arthur Waley訳)/『Yugao』/「夕顔」/※底本:Arthur Waley『The tale of Genji』、5つの能楽作品の翻訳も掲載/

(4)2000/平成12/オランダ語/〈重訳〉/Hans Cornelis ten Berge(Edward G. Seidensticker訳)/『Avondgezichten』/「若紫・花宴・葵・賢木・花散里・須磨・明石」/底本:Edward G. Seidensticker『The Tale of Genji』/Meulenhoff

(5)2008/平成20/オランダ語//Jos Vos/『Eeuwige reizigers』/「賢木・若紫・乙女・御法」//Uitgeverij De Arbeiderspers

(6)2013/平成25/オランダ語//Jos Vos/『Het verhaal van Genji』/2冊本/電子本あり/


 その後は、賀茂川に出てお花見です。

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 今週末が満開でしょうか。
 これからは、この植物園に沿った半木の道が紅色や桃色や白色に緑色が混じり、色の競演となります。
 京都の今日は25度でした。早朝と夕方からが、いいお花見となります。
 
 
 
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2018年03月29日

お茶の特訓の後はビルマ語訳源氏について語り合う

 今日も快晴です。
 賀茂川畔から京都府立大学越しに比叡山を望みました。

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 賀茂街道では、これからみごとな桜のトンネルができます。

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 明日は海外のお客様をお迎えしてお点前をするので、今日は大和平群で特訓をしていただきました。
 入れ子点前のお稽古です。

 昨日に続いて暑いほどの陽気です。
 坂道を登るのに、うっすらと汗をかきます。
 桜の向こうに、子供たちが3人で3年ずつ9年間通った幼稚園が見えます。

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 暑かったミャンマーから帰って来て、寒いくらいだった日本がここ数日で一気に夏に向かっています。体調を崩さないように、気をつけなければいけません。

 お茶の先生のお宅の庭からは、絶景が広がります。
 萩の台を見やると、正面中央奥に見える薄レンガ色の建物は、母が意識を失ってからお世話になった近畿大学附属病院です。

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 平群谷も遠望できます。矢田丘陵の向こうが法隆寺のある斑鳩の里。ここは、借景がすばらしい場所なのです。

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 お稽古が終わると、大阪の関目へと急ぎました。ビルマ語訳『源氏物語』の翻訳をなさったケィンさんと旦那さまにお目にかかるためです。翻訳の背景をうかがうことになっているのです。
 駅前には食事をするところがなかったので、イタリアンのお店で1時間。いろいろなお話を聞きました。さらに場所を喫茶店に移し、さらに1時間半ほど語り合いました。

 予想通り、旦那さまが『源氏物語』を読みながら語り、それを聞いて奥様がビルマ語に翻訳をしていく、というスタイルでした。
 その旦那さまは日本の方だったので、早々に予想が大きく外れました。しかし、心優しい方で、奥様のことを想いながら『源氏物語』を語っておられることが伝わって来ました。

 ビルマ語に翻訳する過程では、お2人が侃侃諤諤のやりとりがしばしばだそうです。しかし、旦那さまは奥様がやる気を失わないように、さまざまな配慮で『源氏物語』を語っておられるようです。
 奥様が最終的にどのような訳をしておられるのかは、翻訳文を読まないようにしているのでわからない、とおっしゃいます。翻訳を続けてほしいという情熱と思いやりが、こちらにヒシヒシと伝わって来る話を、たっぷりとうかがうことができました。相手に寄り添いながら、根気強く翻訳を続けておられるのです。すばらしいお2人の姿に感激しました。

 旦那さまは私より2つ上。ラジオ講座で『源氏物語』にのめり込んだのだそうです。源氏大好きを自他共に認める方と、こうして出会えたのです。よくぞこんな短時間に巡り会うことになったことだと、その出会いの縁というものに感謝しています。

 ビルマ語訳『源氏物語』は、源氏語りをなさる旦那さまと、その語りを詩人の感覚でビルマ語に訳していかれる奥様の、まさに二人三脚で進んでいるのです。
 今は、第17巻の「絵合」や18巻の「松風」のことばかり考えているそうです。嵐山の大堰川や二条院があった所に奥さまを連れて行きたいとのことです。お2人で奈良の展覧会や、京都巡りもなさっています。翻訳文を書くためには、物語の現場を見て、音を聞き、肌で感じたいからだそうです。いい訳文を作ろうと、倦まず弛まず前を向いて歩んでおられます。

 ビルマ語訳は、まだ三分の一にも届いていません。これから長い道のりが待っています。全巻を翻訳したい、との思いが強いので、私も可能な限りお手伝いをしようと思います。そのためには、翻訳の対象となるテキストを明確にすることが先決です。
 私は、谷崎潤一郎の新々訳か、『新編日本古典文学全集』の秋山虔先生の現代語訳に的を絞って訳をなさることをお勧めしました。現在は、それ以外にも舟橋源氏、瀬戸内源氏、田辺源氏などなど、いろいろなものを参照し過ぎておられると思ったからです。

 旦那さまは、奥様が興味を持たれたところを中心にして源氏語りをしておられます。和歌などの韻を踏んだ訳には、相当の自信をお持ちのようでした。
 そうしたことを追体験するためにも、ケィンさんのビルマ語訳『源氏物語』を日本語に訳し戻し、それがどのような内容になっているのかを、まずは知ることが私にとって大事だと思っています。

 お2人が、丁々発止のやりとりから紡ぎ出していかれる『源氏物語』のビルマ語訳は、これからの進展がますます楽しみです。
お忙しい中、長時間のお付き合いをありがとうございました。
 
 
 
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2018年03月28日

京洛逍遥(485)府立植物園の桜模様

 一昨日の日曜日はポカポカと暖かい一日でした。
 我が家の玄関脇では、小さな花壇にチューリップが咲き出しています。

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 陽気に誘われて賀茂川沿いの府立植物園へ、桜の様子を見に行きました。
 半木の道の南端の枝垂れ桜は、もう少し待たされます。

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 府立植物園に入った正面に、チューリップの花壇があります。
 我が家よりも陽当たりがいいのに、まだこれからというところです。

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 その奥の花壇では、区画の外側だけが開花していました。何か陽当たりとか肥料の回り具合とかが関係しているのでしょうか。

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 ソメイヨシノや彼岸桜、そして木瓜やレンギョウや桃などが満開でした。

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 水車小屋の回りはレトロな雰囲気があるので人気があります。

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 植物園の北山門から京都コンサートホールへの新しい屋根付き通路では、手作り品を並べるお店が盛況でした。

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 京洛に、待ち遠しかった春がやってきています。
 
 
 
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2018年03月27日

第7回[町家 de 源氏物語の写本を読む]開催のご案内

 今週末の31日(土)午後4時15分から、「be京都」(http://www.be-kyoto.jp/)で7回目となる[町家 de 源氏物語の写本を読む]を開催します。
 本日27日(火)の京都新聞(朝刊)「まちかど」欄に、呼びかけの記事が掲載されましたので、あらためてこのブログでも紹介します。
 開始時間がいつもの午後2時からではなく、午後4時15分から6時までとなっていますので、参加を予定なさっている方はお気をつけください。

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 これは、『源氏物語』の写本に書かれている変体仮名を読む勉強会です。
 テキストである『ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「須磨」』(伊藤編、新典社、2013年)で読み進めます。
 これまでに、本文の確認は昨年末の12月16日に、6丁表の最終行「たまはぬ耳」まで見ました。
 その後は、書き写されている文字に関して問題がある箇所に絞って、順次丁を追って確認して来ています。今回は、21丁表9行目からです。特になぞっている箇所において、下に書かれている文字を推測して読み取るテクニックを伝授する予定です。

 興味と関心をお持ちの方は、このブログのコメント欄より、参加希望の連絡をお願いします。折り返し、詳細な案内をお送りします。
 
 
 
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2018年03月26日

ビルマ語訳『源氏物語』の翻訳者ケィンさんと大阪駅で面談

 先週23日(金)に、ミャンマーのホテル観光省のトゥンさんから、驚くべき情報がメールで届きました。
 その前の週の13日までいたミャンマーで見つかった、ビルマ語訳『源氏物語』の翻訳者の詳細がわかったというのです。

 翻訳者の名前は「カイキンインジン」さん。もう一人「キンモーニラー」という名前も併記されていました。
 そして何と、その「カイキンインジン」さんは現在日本におられ、住所は大阪だということです。
 いやはやなんとも、驚きの連続です。

 ミャンマーを離れる時には、8月に再度訪問して調査を継続し、翻訳者にも会いたいと思っていました。あるいは、もしそれまでに日本に来てくださるのであれば、旅費や宿泊費はこちらで持ちます、ということをトゥンさんには伝言として残していたのです。翻訳者はヤンゴン周辺にお住まいのはずだ、と思い込んでいたからです。それが何と日本の、しかも大阪にお住まいだというのです。こんな奇遇はそうそうあることではありません。

 トゥンさんは、翻訳者と連絡がつくように、電話番号も調べてくださいました。早速、教えていただいた大阪のご自宅に電話をしました。
 電話口には男性が出られました。そして、突然このような電話をした経緯を説明し、『源氏物語』をビルマ語に訳された方とお話をしたい旨を伝えました。すると、妻は今は外出中です、とのことでした。
 電話口に出られたのは、旦那様だったのです。流暢な日本語でした。
 その夜、再度の電話をしました。お目にかかり、直接お話をうかがいたいと思っている内容をお伝えしました。すると、私からの提案をすべて快諾してくださったのです。

 そんな急転直下の展開となっての今日は、午後3時に大阪駅の中央改札口で待ち合わせをしました。
 私の方は、ミャンマーに一緒に行った、大阪観光大学の一年生の松口姉妹を連れて行きました。自由にお話ができる雰囲気の中で、いろいろなことを教えてもらいたいという思いからです。松口さんたちも、自分が初めて足を留めたミャンマーの、しかもこれまでは存在が知られていなかった『源氏物語』のビルマ語訳が見つかった経緯を、同時進行で目の前で見たのですから、これはいい勉強になるはずです。

 改札口を出たとこで、それらしき女性を見かけました。しかし、確かめる意味からも、うかがっていた携帯電話を鳴らし、確認をしてからご挨拶をしました。
 すぐに、予約していた「ホテルグランビア大阪」のラウンジに移動しました。

 最初に、名刺交換をしました。そして、私の現在の興味と関心をお伝えする意味から、『日本古典文学翻訳事典1〈英語改訂編〉』(伊藤鉄也編、国文学研究資料館、2014、319頁)と『日本古典文学翻訳事典2〈平安外語編〉』(伊藤鉄也編、国文学研究資料館、2016、259頁)の2冊をお渡ししました。
 ホテルのラウンジでの2時間の間に、たくさんの話をしました。驚くべきことが、次々と語られました。
 その一部を列記します。


・お名前は「ケィン キン インジィン」さん
・「ケィン」さんと呼ぶことにする
・「キン モー ニラー」という名前は、詩人として活動していた時のもの
・1950年にミャンマーのトングーで生まれたとのことなので、私の一年お姉さん
・13歳の時に詩に興味を持つようになった
・モラミアン大学で少し勉強をする
・空港で働いていた時に職場結婚
・21歳の時に日本に来たので日本は46年になる
・旦那様は『源氏物語』に「クレージー」(熱狂的なファン?)
・20年間もの長きにわたり旦那様から『源氏物語』の話を聞き続けて来た
・『源氏物語』をことのほか愛しておられる旦那様から何回も聞く『源氏物語』が好きになった
・日本の和歌は韻を踏む詩としてビルマ語に訳している
・聞き知った『源氏物語』をケィンさんが詩人の立場でビルマ語にして本にまとめた
・ロイヤル・タイラーの英訳『源氏物語』を参照
・すでに6巻まで刊行
・現在は第7巻の翻訳が進行中
・大阪の天王寺や京都の伊勢丹などで、ミャンマー語を教えている


 ということで、第1巻から第5巻までを持ってきてくださり、さらにはその全5冊を頂戴することとなりました。
 次の写真は、上段左端が第1巻で、その右横が第2巻、右端が第3巻です。下段の左が第4巻です。ここまでは、すでに本ブログ「【速報】ビルマ語訳『源氏物語』4冊を入手」(2018年03月13日)で速報として報じた本です。その右横の葵祭の斎王代が表紙となっている本が、本日初めて拝見した第5巻です。

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 第6巻は自宅に二、三冊しかない、とのことでした。ミャンマーの書店で購入できるそうです。

 ケィンさんが『源氏物語』をビルマ語に翻訳なさった経緯が、少しずつわかってきました。
 今回ケィンさんからうかがった話を整理すると、ビルマ語訳というよりも、ビルマ語で『源氏物語』を語った旦那様の話をビルマ語で表現し直した本である、という言い方が正確だと思われます。
 そのため、これまでの翻訳本を参考にしたというよりも、ご主人が語られる『源氏物語』をロイヤル・タイラーの英訳『源氏物語』でお話を確認しながらビルマ語にしたもの、と言い換えた方が正確だと思われます。その他の翻訳などの研究成果は、確認していないそうです。

 また、ケィンさんは、その他にもいろいろとビルマ語で本を出しておられます。
 次の3冊の本もいただいたので、簡単に紹介します。

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 左端の本は、1991年頃にあった恋愛話を、ケィンさんがラブストーリーとして創作なさったものです。
 真ん中の本は、これもラブストーリーで、映画などを観ながら自由に創作されたものです。
 右端の本は、『タケインロンチォ』という書名で、内容はケィンさんが日本で暮らす中で日々の思いをつづったエッセイ集です。

 ケィンさんのお話は、まだまだ続きそうです。そこで、『源氏物語』をビルマ語訳する上でどうしても欠かせない存在となっている、旦那様との面談をお願いしました。すると、これも快諾してくださいました。
 夜ご自宅にお電話をし、旦那様とお話をするなかで、明後日の28日(水)の午後6時に、奥様共々お話の続きを聞くことになりました。
 ということで、この話はさらに発展的に続きます。
 
 
 
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2018年03月25日

日比谷で橋本本「若紫」を読む(2017年度-その10)

 午前中に京橋区民館であったNPO法人〈源氏物語電子資料館〉の打ち合わせ会を終えると、急いで日比谷公園に向かいました。公園内では、もう桜が満開です。「鶴の噴水」の周りが一番みごとでした。

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 「日比谷カレッジ 古文書塾 ‘てらこや’」の中で展開している5回でワンセットの『源氏物語』の講座も、今回でひとまず2回目のサイクルの最終回となります。5回の講義を一区切りとするものなので、月1回の講義もあっという間です。お陰さまで少しずつ受講者が増え続け、長年通い続けてくださる方も多くなりました。次は5月からスタートです。
 写本に書き写された文字を確認しているだけの講座にもかかわらず、多くの方々が受講してくださっていることに感謝しています。

 日比谷図書文化館の入口にあるイベントの案内板には、「古文書塾てらこや 国文学研究資料館「源氏物語 若紫」を読む」という掲示があります。これは、正確には「国文学研究資料館」ですね。

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 さて、今日はビルマ語訳『源氏物語』が見つかったことに始まり、ミャンマーにも糸罫や異体字があったことを報告することから始めました。これまでにまったく知られていなかった情報なので、興味を持って聴いてくださっていました。

 毎回提供している京都新聞に掲載されたニュースとしては、次の2つの話題を提示しました。

(1)洛北は洛中よりも気温が1.8度も寒いという記事(京都新聞、2018.3.17)
 (ちょうど我が家の辺りが例にあがっていたこともあり、京都を知る一助にと配布しました。ただし、これが古典を読む際に参考になるかというと、それはまた別問題です。現在の洛中の建物の高さと密集の度合い、そしてエアコンの室外機が吐き出す熱気を勘案すると、とても平安時代とは同じ環境だとは思えないからです。)

(2)京都府立盲学校所蔵で、明治11年設立の盲唖院以来の教材などが、このたび重要文化財に指定された記事(京都新聞、2018.3.14)
 (点字以前の「木刻凸凹字」のカタカナなどが写真で紹介されています。こうした手作り教材などの貴重な資料を、これまで多年にわたって詳細に調査研究をしてこられた岸博実先生のことが、この新聞記事には一字も見当たりません。この記事を書かれた記者の情報収集範囲が、盲聾学校の2人の校長のコメントに留まっていたことは、事実の外周部をなぞっただけという程度だったので残念でした。)

 さて、「若紫」の本文を確認する本題は、29丁裏7行目(76頁)から31丁表1行目までを、字母に注目しながら見ていきました。
 その過程で、私の翻字が間違っている箇所を指摘してくださいました。
 30丁表9行目で、テキスト『国文学研究資料館蔵 橋本本『源氏物語』「若紫」』(新典社、2016.10)の翻字が「うまれ」となっている箇所です。ここは「う万れ」となる、ということです。

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 確かに、ここの翻字は変体仮名を漢字にもどして表記すると、「万」となるべきところです。明らかなミスというよりも誤植というべきものなので、ここに訂正してお知らせします。

 また、31丁表5行目(79頁)の次の文字列「しろし免され」では、「さ(左)」と読むことになるはずの文字が、どう見てもそのようには見えない姿形で書写されていることも、皆さまと確認しました。

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 ここの翻字は、「しろし免△れ」とするか、「しろし免され/さ〈判読〉」かのどちらかとなります。この直後の「さ」の字形から見て、ここは仮名文字が簡略化され過ぎたための結果だと思われます。「△」という付加情報としての記号は、どうしても読むことができない不明な文字に当てるものです。ここでは、「さ」と読むことも何とか可能だということから、「〈判読〉」という付加情報を付けることで対処した、「しろし免され/さ〈判読〉」に修正したいと思います。
 なお、この部分に関して、諸本に本文の異同はありません。
 「変体仮名翻字版」でのデータベース化が遅れているので、明治33年に統制された現行の平仮名約50種類での表記による異文校合の結果で示します。

しろしめされさりける[橋=大尾中麦阿陽池御国肖日穂保高]・・・・052429
 しろしめされさりける/後さ〈改頁〉[伏]
 しろしめされける[天]


 さらに、用例の同じ行末近くに見られる「ける」の「る」が「【事】」の右横上に小さく添えられた形となっていることにも注意したいところです。
 さらには、次の行末の「【大殿】も万いり」の「万」の位置が、中心線から左に寄り、「も」と接近するように書かれていることも、ここでの書写状況をいろいろと教えてくれます。
 この書写者は、この辺りでは筆写する上での集中力が緩んでいる、と見ていいのではないでしょうか。そのために、字形が曖昧なままに、そして字配りがふらつきながら書写が続けられていったのではないでしょうか。あくまでも、勝手な想像を交えた見方です。

 昨日は、福島県立盲学校高等部国語科の渡邊寛子さんが、息子さんの介助を得て講座に顔を出してくださいました。全盲にもかかわらず、『源氏物語』の写本を触読できる仲間です。もう3年のお付き合いとなりました。いつも前向きなので、会うたびに私の方が元気をもらえます。
 渡邊さんは、その後の有楽町駅前での課外の勉強会にも参加してくださいました。日頃はできない話が、参加なさっていた十人ほどの受講生のみなさまと一緒に、楽しくできました。いい仲間に囲まれているな、ということをいつも実感しています。

 なお、日比谷公園から有楽町駅に行く手前の日比谷シャンテ前では、しばらく姿を眩ましていたゴジラが、あらためてその迫力のある姿を見せていました。おかえり、と声をかけたくなります。

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2018年03月24日

NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の活動を確認する会

 朝一番の新幹線で上京しました。富士山は雲の傘を被っていたので残念です。

 東京駅の八重洲口から徒歩十分の京橋区民館で、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の今年度の活動を総括し、来月開催される総会のための打ち合わせをしました。

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 本NPO法人は、組織は小さく、会員数も少なく、活動もまだまだ展開しきれていません。しかし、倦まず弛まず、着実に一歩ずつ踏み出しています。とにかく、継続した活動を心がけて取り組んでいるところです。

 2018年度については、次の事業を行なう予定であることを確認しました。

・5月に葵祭を文学散歩として実施
・6月の池田亀鑑賞授賞式を後援
・8月にハーバード大学の写本を調査
・来年2月のインドでの国際集会を後援
・来年2月のミャンマーでの国際集会を後援
・池田本の校訂本文のための小見出し作成
・池田本の校訂本文を順次作成して発行
・『十帖源氏』の各国語翻訳を推進する
・《仮名文字検定》の参考書作成を支援
・日比谷図書文化館の翻字講座を支援
・[町家 de 源氏物語の写本を読む]を実施
・古写本『源氏物語』を読む講座を展開
・視覚障害者が古典を読むことを支援
・古写本を変体仮名で翻字する活動を展開
・古写本の「変体仮名翻字版」を刊行
・ホームページを通して活動内容を広報


 この内、ハーバード大学とインド及びミャンマーでの活動には、本法人の副代表理事である畠山大二郎氏による平安朝の衣装を着つける「着装」のパフォーマンスと、関連する講演を予定しています。その実例は、池田亀鑑賞の授賞式における「第5回池田亀鑑賞授賞式と講演会」(2016年10月01日)の記事と写真を参照してください。
 きっと海外の方々にも、衣服を通して日本の文化の奥深さを実感していただけることでしょう。

 細かな活動はまだいろいろとあります。
 これまでの活動を受けて継続した成果に結びつくように、会員一同が一致協力して会を盛り上げていきたいと思います。

 皆様の変わらぬご支援を、どうかよろしくお願いします。
 
 
 
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2018年03月23日

【速報】本日(3月23日・金)映画『ビルマの竪琴』放映

 直前のお知らせですみません。
 本日3月23日(金、18:24〜20:54)、「BS朝日」で映画『ビルマの竪琴』(85年版、中井貴一主演)が放送されることを知りました。谷口先生、情報提供をありがとうございます。

 本ブログでは、「読書雑記(213)竹山道雄『ビルマの竪琴』」(2017年10月13日)で取り上げています。
 その時には引用しなかったことで、次のような作者の記述があります。

 物語が世にでた後になってからビルマに関する本をかなり読みましたが、それで見ると、具体的な点ではまちがっているところがいくつもあることが分りました。何も知らないで書いたのですから、まちがっている方が当然なくらいです。たとえば僧さんの生活などは何も分りませんでした。僧さんが跣足で歩いているように書きましたが、それはあやまりで、僧さんにかぎって、日本人が「ポンジー草履」とよぶものをはいているのだそうです。
 昨年ビルマから三人の新聞記者が来て、あの本の英訳本を読んで、宗教関係にまちがったところがあるが、ビルマ人は宗教についてはきわめて敏感だから、これをビルマに紹介するときにはこの点に気をつけるように、といわれました。あれをビルマ語に訳そうという計画があり、その許可を求めてこられましたから、よろこんで同意しましたが、はたして仕事はすすんでいますかどうですか。(新潮文庫、平成29年6月25日、百六刷改版、227頁、「ビルマの竪琴ができるまで」竹山道雄「昭和二十八年しるす」)


 後半のビルマ語への翻訳に関しては、今回のミャンマーでの調査により、3種類の翻訳本と漫画があることがわかりました。現在のミャンマーではコピー本が氾濫しているので、さらに調べるとまだ見つかることでしょう。

 また、出家中の僧侶が楽器を吹いたり弾いたりすることは戒律違反となるため、これは許されておらず本来できない行為だということを聞きました。ただし、水島が出家をするのは、物語の後半だったように思います。後で確認します。そうした指摘はそれとして、この作品が出来た背景について作者が語っていることも確認しておく必要がありそうです。作品は時代の産物です。作者の意図を無視して現在の物差しだけで測ったり、現代の物の見方だけで評価とすることに慎重でありたいと思うからです。

 最初には、場所はシナの奥地のある県城というつもりでした。それは、戦争中に新聞で、ある写真を見て、印象がふかかったからです。その写真は、城の中の楼閣で、焼けくずれた厚い壁にさまざまの落書がのこっているところでしたが、あたりには木も芽をふき草もしげって、いかにも棲愴たるありさまでした。ここに日本兵がたてこもって、敵に包囲されてくるしい数週間をすごしたが、ついに切りぬけたということでした。
 ここにこもっている日本兵が合唱をしていると、かこんでいる敵兵もそれにつられて合唱をはじめ、ついに戦いはなくてすんだ。−こういう筋を考えました。
 敗戦といういたましい事実が頭にこびりついていたし、気の毒な帰還兵の姿を毎日のように見ていた頃ですから、義務をつくして苦しい戦いをたたかった人々のためには、できるだけ花も実もある姿として描きたい、という気持がありました。
 しかし、この合唱による和解という筋立ては、場所がシナではどうもうまくゆきませんでした。日本人とシナ人とでは共通の歌がないのです(このことは、意味のふかいことと思われますが、いまは別にします)。共通の歌は、われわれが子供のころからうたっていて、自分の国の歌だと思っているが、じつは外国の歌であるものでなくてはなりません。「庭の千草」や「ほたるの光」や「はにゅうの宿」などでなくてはなりません。そうすると、相手はイギリス兵でなくてはならない。とすると、場所はビルマのほかにはない。−じつはこういう事情から、舞台がビルマになりました。
 ところで、私はビルマには行ったことがありません。いままでこの国には関心も知識もなく、敗戦の模様などは何も報ぜられなかったのですから、様子はすこしも分りません。ただ私は学生時代に夏休みに台湾に行ったことがあり、あちらこちらを歩いて、カッパン山やアリ山にも登り、蛮人部落も訪ね、熱帯色ゆたかな南の端まで行きました。この旅行は楽しい記憶です。あの台湾の強烈で豪華な風土を思いうかべて、あとは空想で第一話を書きました。
(中略)
 第二話以下が雑誌にのったのは二十二年九月号からでした。
 しかし、あのころは材料が手に入りませんでした。ビルマでは大規模の激戦があって、たくさんの損害があったにちがいないと推測はしていましたが、ここに三十万の戦死者がいたということを知ったのは、あれを書きあげた後でした。このようなことについては、連載が終って本にする際に、かなり手を入れました。戦中は敗戦については知らされないし、戦後も戦争にふれることは一切タブーだし、われわれはずいぶん後になるまで、戦争についての具体的な事実は知りませんでした。実地のことは、さっぱり分りませんでした。
(新潮文庫、平成29年6月25日、百六刷改版、220〜223頁、「ビルマの竪琴ができるまで」竹山道雄「昭和二十八年しるす」)


 また、文庫本に収録された平川祐弘氏の「『ビルマの竪琴』余聞」には、次のように記されています。

ルイ・アレン教授は第二次世界大戦中ビルマで日本軍と戦った英軍の語学将校であったが、『ビルマの竪琴』の冒頭に出てくる音楽の調べをきっかけにした日英両軍交歓のエピソードは実際にはなかった、あのエピソードは第一次世界大戦のクリスマスの際に起った英独両軍の交歓の話をもとにしたのであろう、と解釈した(『比較文学研究』三十六号)。あるいはそうかもしれない。しかし敵の陣営から流れてくる楽の音に将兵が耳を傾け、心動かされる情景は日本では昔から謡曲『敦盛』などにも美しく描かれている。『ビルマの竪琴』が戦没者の遺族の気持をも慰めたのは、作中にそのような日本人の伝統的な仏教的心性が肯定的に説かれているからではあるまいか。作品中に出てくる坊様たちの姿もビルマの小乗仏教の実体とはいろいろかけ離れているであろう。しかし『新潮』昭和五十九年八月の竹山道雄追悼号で加藤幸子氏が適切に指摘したように、そうした論が文明批評の先端部として、敗戦直後の近代主義謳歌の日本でいちはやく提出されていたところに、かえって深い意味があるように思われるのである。(新潮文庫、平成29年6月25日、百六刷改版、248〜249頁)


 いろいろな意見を見るにつけ、この『ビルマの竪琴』は児童文学としての視点から読んでいくことが、まずは大切ではないかと思います。そして、映画については、これも原作との関係性を意識して観る必要があるように思います。史実と虚構、文字による受容と映像による視聴と対峙する原作の位置づけなどは、私にとっては今後とも考えるテーマの一つでもあります。

 また、下のようなブログがあることも、谷口先生から教えていただきました。

「ミャンマーの人々は「ビルマの竪琴」をどう観たか」
https://hogetest.exblog.jp/4011267/

「ミャンマーの人々は「ビルマの竪琴」をどう観たか(後編)」
https://hogetest.exblog.jp/4011262/

 取り急ぎ、速報として記しておきます。
 
 
 
posted by genjiito at 15:52| Comment(0) | ◎国際交流

2018年03月22日

読書雑記(224)高田郁『あきない世傳 金と銀 五 転流篇』

 『あきない世傳 金と銀 五 転流篇』(高田郁、時代小説文庫〈ハルキ文庫〉、2018.2.18)を読みました。

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 桔梗屋を買い上げて店主孫六を助けた五鈴屋は、本店と高島店の2つの店舗としてスタートします。6代目の女房となった幸の機転と発案が、見事に好転していくのでした。筆の力もいよいよ確たるものとなり、物語は着実に前に進んでいきます。
 『みをつくし料理帳』のシリーズを堪能した者にとって、この新たなシリーズにはなかなか馴染めませんでした。話が江戸の料理から浪速の商売へと転じ、金儲けとは生来無縁な私にとって、なおさら話題が他人事でした。しかし、第5巻ともなると人間関係の妙に筆が及び、物語の背景が楽しめるようになりました。幸の才覚を楽しみにし、商売敵の真澄屋に出し抜かれないようにと応援するようになりました。これで、このシリーズも安心です。
 とにかく、智蔵と幸夫婦をはじめとして、人と人とのつながりを意識した、人間関係を紡ぐ物語となっています。
 第4章「結」が一番印象深い章でした。帯の結び目が前か横か後ろか。大坂の商家では当たり前のように結婚後は前に結んでいた帯に、妹の結の疑問から意識が変わります。文化の変わり目が投げかけられたのです。
 そして、幸の身体に変化が、結の将来を暗示する場面などなど。この章から、新しい物語の胎動を感じました。ただし、これはうまく躱されますが……
 第11章「十五夜」は、心に残る出来栄えでした。月光の下での智蔵と幸夫婦の会話は、高田郁が得意とする場面です。この語り口は相変わらずうまいな、と思います。
 智蔵と幸夫婦は、近々江戸に出るようです。『みをつくし料理帳』では、江戸で澪が大活躍しました。しかし私は、このシリーズではそうではなく、もっと大坂で展開する物語を期待していました。物語の幅と広がりと読者層などを秤にかけると、作家としては舞台を江戸にしなくては、ということなのでしょう。関西に踏みとどまって物語ってほしかったと願う者としては、しかたのないこととはいえ残念です。【5】
 
 
 
posted by genjiito at 23:15| Comment(0) | ■読書雑記

2018年03月21日

大和平群でのお稽古は入れ子点前の特訓

 暑かったインドとミャンマーから帰ってから、寒暖の差が激しい日本の気候に身体が戸惑っています。今日は昨日よりもグッと寒くなり、お茶のお稽古に行った平群の里はまだ冬です。

 駅前の花鉢は春色になっています。

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 掲示板に「第9回へぐり時代祭り」のポスターがありました。
「平成30年 4.29 祝」
「役行者︎」
「誰やねん?」
「実は古代のスーパー仙人」
「開催場所右向き三角1道の駅くまがしステーション周辺」

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 このお祭りの日はお茶の稽古で平群に来る予定なので、参加しようと思います。

 今日はあらかじめ、「入れ子点前(いれこだて)」のお稽古をお願いしていました。今月末に我が家においでになるお客さんに、お茶を差し上げようと思います。そこで、いつものようにお話が中心の茶会となるように、茶室の出入りが最小限のお点前をするつもりです。
 普通は、道具を持って部屋を出たり入ったりします。その慌ただしさがなく、部屋への出入りや立ったり座ったりは一度だけという、実に私向きの点前が、この「入れ子点前」なのです。
 事前にする準備は、点前座に丸卓をあらかじめ設えておき、その下段の地板に水差しを、天板に棗、柄杓、蓋置を飾っておくのです。

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 道具のほとんどが、すでに部屋に用意された状態です。そこで私は、曲げの建水に茶巾・茶筅・茶杓をセットした茶碗を入れて、それを部屋に持ち出すところから始まります。

 今日のお稽古では、手順の確認はもとより、きれいに見えるお作法をするようにとのアドバイスをたくさんいただきました。毎回指摘されるのは、背筋を伸ばすことです。さらに今日は、茶碗に棗からお茶を掬って入れる時、もっと茶碗の上からだと粉末が畳に零れる心配がない、ということを覚えました。横からではなくて、上から抹茶を入れるということは、指摘されるまで気付きませんでした。

 手順にばかり気が走っています。流れがわかって来るにしたがって、丁寧で確実なお点前を、しかもきれいにすることを、一手ずつ見直してくださっています。これは時間がかかります。この手直しには根気しかありません。それでいて、また新しいお点前が加わって行くのですから、気長に続けていくしかありません。

 ミャンマーで手に入れた小物を、お茶席で使えるかどうか見てもらいました。いずれも仏具に関連するものだったこともあり、香合や蓋置としても話題作りの小道具になっていいそうです。実際に、石の蓋置は今日のお稽古で使ってみました。これらは、今度のお茶会で使うことにします。

 奈良から京都に帰ったのが夕刻だったので、京都駅は観光客でラッシュアワーの状態です。今日もバス停の横では、私の好きな水芸が始まっていました。

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 これは、いつ見ても飽きることがありません。クラッシックの軽快な音楽と色水が、見事にシンクロしています。インドのホーリーの色水とは大違いです。比べるのがおかしいのですが。まだご覧になっていない方は、ぜひとも一度どうぞ。
 
 
 
posted by genjiito at 20:58| Comment(0) | *美味礼賛

2018年03月20日

人と人とのつながりと電子機器に助けられた旅でした

 2月26日から3月14日までのインド・ミャンマーの旅は、予想をはるかに超える収穫に恵まれたものとなりました。その背景にあるものに、以下の5点がキーポイントとなっていたように思います。
 今後のためにも、あらためて書き出しておきます。


(1)関空で借りたWi-Fiルーターを道中ずっと持ち歩いていたこと
 インドでもミャンマーでも、常にルーターを通してインターネットにつなぎっぱなしだったため、いろいろな方々と連絡を取りながら移動できました。日本から持って行った、いつも使っている携帯電話は不調だったために、音声による連絡や確認には役に立ちませんでした。インドでの連絡は、教え子のクマール君が手配してくれたインド国内用の電話を使いました。


(2)iPhone をフルに活用できたこと
 充電をするタイミングに気をつけながらも、行動予定の確認や変更を頻繁に書き換えて、現地の方々と連絡を取りあっていました。行き先や面談相手とは、常にiPhone のメールによって連絡を取りながら移動できました。少し込み入った打ち合わせには、持参したノートパソコンも活用しました。


(3)いつも使っているノートパソコンを持参したこと
 移動が多かった今回の旅では、至る所でパソコンにデータを入力していました。iPhone とパソコンのデータの全ては、iCloudを経由して常に同期していたので、シームレスにメモを使いまわしていたのです。そして、必要な時には京都の自宅で管理しているデータベースにもアクセスできたので、電子機器が大活躍でした。


(4)軽い3ウェイタイプの背負いバッグが重宝したこと
 今回の旅はハードな行程になることが予想できたので、大型のボストンタイプのキャリーバッグ以外に、軽量タイプの背負いのバッグを調達して行きました。チャックによって大きさが変えられる、3ウェイタイプのものです。この使い勝手の良さは、日々の行動を身軽にしてくれました。両手が空いて荷物がじゃまにならないバッグは、疲れを半減させます。


(5)お目にかかった方々との気持ちが通じたつながりに感謝
 今回も、多くの方々の芳情に支えられて旅を終えることができました。一番の驚きは、インドなどでお世話になった国際交流基金の佐藤さんが、ヤンゴンの事務所を開設するために現地にいらっしゃることがわかり、数日後には十数年ぶりに、しかも初めての地であるヤンゴンで再会を果たしたことです。そして、テーザー トゥンさんをはじめとするミャンマーのホテル観光省のみなさまの行き届いた配慮には、ただただ感謝の気持ちしかありません。


 今回の旅で出会ったみなさま、ありがとうございました。
 再会を楽しみにしています。
 
 
 
posted by genjiito at 20:19| Comment(0) | ◎国際交流

2018年03月19日

田中圭子さんが「薫物書の研究」第4号を公開中です

 薫物書研究会の田中圭子さん(広島女学院大学総合研究所)が、「薫物書の研究」第4号を電子版として公開しておられます。以下のサイトから自由にダウンロードできます。お香に興味と関心をお持ちの方はご一読いただき、ご意見などを田中さんにお伝えいただければと思い、研究仲間の一人としてここに紹介します。

【広島県大学共同リポジトリ(HARP)「薫物書の研究」第4号】
http://harp.lib.hiroshima-u.ac.jp/hju/metadata/12224


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 これは、田中さんによる「専修大学図書館菊亭文庫所蔵『万方』及び『香具撰様調様』影印と翻刻 附・『万方』及び『香具撰様調様』人名家名等解説及び索引」が一本の成果報告書として収載された研究誌です。公家の菊亭(今出川)家の薫物に関する文献、『万方』及び『香具撰様調様』の書誌解題に始まり、その考察の後、全文の影印及び翻刻と人名家名解説がなされています。冒頭に記されているように、「薫物を学び調合する人々の必携の書」として愛読を望んでの公開です。結語部分で、本書の編纂者及び筆者として江戸時代前期の今出川(菊亭)公規の可能性を提示しておられます。今後ともますます研究が進展することが期待できます。

 基本的な文献である原典の読解と考察に加え、後学のために詳細な資料整理をしての情報提供は、この分野の研究に益すること多大だと思います。
 専門外ながらもその研究手法と成果の公開に共感することが多く、頼もしく思っているところです。研究とはいいながらも読書感想文に終始しがちな傾向がある中で、田中さんの研究には注目しています。若手研究者のさらなる参入が望まれる分野かと思います。
 
 
 
posted by genjiito at 07:29| Comment(0) | ◎情報社会

2018年03月18日

〈第7回 池田亀鑑賞〉の候補作を募集中

 現在〈第7回 池田亀鑑賞〉の候補作を募集中です
 その応募の〆切り日である平成30年3月末日が近づきましたので、確認の意味でのお知らせです。

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 応募は、一般から、あるいは、学術機関、各種法人、出版社など推薦人から推薦を受けたものとなっています。
 自薦・他薦を問いません。
 応募作(平成29年4月1日〜平成30年3月末日刊行奥付および発表分)の中から、〈池田亀鑑賞選考委員会〉により選ばれます。
 応募にあたっては、刊行物および掲載誌を2部を、下記の〈池田亀鑑賞事務局〉に送付してください。
 また、【タイトル・氏名・住所・電話番号・メールアドレス・所属】を明記の上、【要旨(800字〜2000字程度)】も添えてください。

平成30年3月末日 必着

〒101-0051 東京都千代田区神田神保町1-44-11
  新典社内 池田亀鑑賞事務局
TEL:03-3233-8051  FAX:03-3233-8053


 これまでの受賞作は、以下の通りです。
 〈弛まぬ努力〉が結実した成果に対して贈られました。

平成24年度 第1回受賞作 杉田 昌彦氏『宣長の源氏学』(新典社)

平成25年度 第2回受賞作 岡嶌 偉久子氏『林逸抄』(おうふう)

平成26年度 第3回受賞作 須藤 圭氏『狭衣物語』(新典社)

平成27年度 第4回受賞作 滝川 幸司氏『菅原道真論』(塙書房)

平成28年度 第5回受賞作 畠山 大二郎氏『平安朝の文学と装束』(新典社)

平成29年度 第6回受賞作 本橋裕美氏『斎宮の文学史』(翰林書房)


 昨年第6回の授賞式の様子は、次の記事に詳しく報じています。
 日南町は小さな町です。しかし、文学や文化に理解の深い、すばらしい環境の中での授賞式が、毎年盛大に行なわれています。

「充実した第6回池田亀鑑賞授賞式」(2017年06月24日)

 この〈池田亀鑑賞〉の趣旨は次の通りです。

「池田亀鑑賞」は、文学の研究基盤を形成する上で、顕著な功績のあった研究に対して贈るものです。
その地道な努力を顕彰し、さらなる成果の進展を期待する意味を込めています。
「池田亀鑑賞」は、伝統ある日本文学の継承・発展と文化の向上に資することを目的として、池田亀鑑生誕の地である日南町と池田亀鑑文学碑を守る会が創設しました。


 選定にあたっては、「前年に発表された『源氏物語』を中心とする平安文学に関する研究論文や資料整理及び資料紹介に対し、学界に寄与したと評価されるもの1作品を選定します。」となっています。
 つまり、「研究論文や資料整理及び資料紹介」が対象であることが、この池田亀鑑賞の特色です。
 選考は、以下の6人の委員があたります。

伊井春樹(会長)
伊藤鉄也(委員長)
池田研二
妹尾好信
小川陽子
原 豊二


 選考委員の一人として、池田亀鑑賞のホームページに私は次のコメントを寄せています。

文学研究の基礎を支える資料を整理し、成形し、提供する営為には、多大な時間と労力と根気が必要である。
そして、こうした作業や仕事にこそ、弛まぬ努力と継続への理解と応援が必要である。
池田亀鑑賞は、日頃の地道な調査研究活動に光を当て、さらなる励みと新たな目標設定を支援するところに意義があると思っている。
達成したものばかりではなく、進行しつつあるものも含めて、研究環境の整備に貢献した仕事を顕彰したいと思っている。
「選考委員紹介」より

 コツコツと研究を続けて歩んで来られた成果が、今回も応募作として並ぶことを、大いに期待し、楽しみにしています。
 今年もすばらしい作品の応募があることでしょう。
 積極的な応募を検討してください。

「池田亀鑑賞のホームページ」もご覧ください。
 
 
 
posted by genjiito at 18:30| Comment(0) | □池田亀鑑

2018年03月17日

ビルマ語訳『源氏物語』を訳し戻す相談をして帰国の途に

 日本へ帰る日となりました。
 さて出発ということでチェックアウトをしてホテルの前に出ると、あろうことか、私が生まれた島根県の出雲の観光バスが停まっているではないですか。こんな出会いがあるとは。世界は狭いものです。これも縁ということで……パチリ。
 今回の旅の途中で、日本でお役ごめんとなった車を数多く見かけました。第2第3の人生を、車たちも歩んでいるのです。

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 ホテルで受け取った朝食のお弁当を持って、国内線でマンダレーから空路ヤンゴンへ移動です。その後は、ヤンゴン→バンコク→関空と乗り継ぎます。ただし、ヤンゴンからは夜の便なので、半日以上はヤンゴンで滞在です。

 ヤンゴンの空港では、昨夜マンダレーで夕食を共にしたトゥンさんが、先回りをして出迎えてくださいました。そして、早速手に入れてくださったビルマ語訳『源氏物語』4冊を受け取りました。感激です。
 その表紙は、空港からヤンゴンの市内に入る間に、タクシーの中から速報としてブログにアップした通りです。

「【速報】ビルマ語訳『源氏物語』4冊を入手」(2018年03月13日)

 今回の旅では、3月5日にインドのハイデラバードからミャンマーのヤンゴンに入りました。しかしその時には、最初からさまざまな情報が得られ、その調査と確認に時間を取られて見る余裕がなかった、シュエダゴンパゴタへ行きました。ネーピードーで見たウッパタサンティパゴダは、これをそっくり写したものです。とにかくスケールが大きいことに驚きます。

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 お昼ご飯には、大好物のお寿司と、珍しいのでナマズにしました。

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 3月6日に、ミャンマー語を中心とした翻訳ビジネスを展開する「ココライズ・ジャパン」に立ち寄りました。あの時に社員の方がお持ちの日本文学に関するビルマ語訳の翻訳本を拝見したことが、今回の調査と収集活動の流れを大きく変えたように思います。
 そこの社長である長田さんが日本からヤンゴンにお帰りになっていたので、お目にかかるために再度事務所へ行きました。そして、ビルマ語訳『源氏物語』を日本語に訳し戻すことに関して、プロの手でやってもらうことの相談をしました。いろいろな条件を突き合わせて、2人態勢で日本語訳を作ってもらうことで話は進みました。これについては、後日報告します。

 今回のミャンマーの旅では、ホテル観光省のテーザー トゥンさんをはじめとして、ティダー ウィンさん、タンダー チョー ジンさん、テッテッ ウェーさんにはひとかたならぬお世話になりました。お陰さまで、想像だにしなかった膨大な情報と書籍と人との出会いを、成果として持ち帰ることとなりました。ありがとうございました。
 空港では、トゥンさんとお別れです。しかし、この科研での資料調査と情報収集については、今夏また再訪してさらに充実したものとする予定です。その時まで、しばしのお別れということで、固い握手をして出国することになりました。
 
 
 
posted by genjiito at 20:44| Comment(0) | ◎国際交流

2018年03月16日

戦没者慰霊碑や旧王宮や2つの日本語学校を飛び回る

 マンダレーヒルの寺院に行きました。小さな鏡を貼り付けたモザイクがキラキラと迎えてくれます。

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 寺院の裏手の一画に、日本人戦没者の慰霊碑があります。特にお願いして、連れて行っていただきました。

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 「緬甸方面彼我戦没諸精霊」の碑は、2002年2月に、南太平洋友好協会によって建立されたものです。

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 向かって右側面には、次の言葉が記されています。

ミャンマーで戦没された日本
ミャンマー・英国全ての人々が
怨親平等に安らかに永遠の眠りに
つかれることを祈ります


 ここで使われている「怨親平等」という言葉は馴染みのないものです。調べてみると、以下のような説明がありました。

怨親平等(おんしんびょうどう)
仏教用語。怨敵と親しい者とを平等にみるという意味。仏教の根本精神は大慈悲であるから,にくい敵であるからといって憎むべきではないし,また親しい者であるからといって特に執着すべきではなく,平等にいつくしみ憐れむべきことをいう。日本では戦いの終ったあと,敵味方区別なく戦死者の供養塔を建立したという例があるが,これはこの精神の現れとみられる。
[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2009]


 下段の台座には、次の言葉が記されています。

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謝辞
この慰霊塔の再建のために御尽力頂いた、
関係部局長及びミャンマー連邦政府のスタッフ、
そしてミャンマー日本友好協会事務局長
ウ・ヤット氏と御協力頂いた全ての人々に
心から感謝の意を表します。
   2002年2月吉日
       南太平洋友好協会


 また、背面には次の文言が記されています。

2002年2月吉日建之
     南太平洋友好協会


 私の両親は、戦時中は満洲にいました。終戦と共にソ連が約束を破って満洲に攻め込んで来たため、父はシベリアへ抑留されて強制労働に、母は命からがら日本に引き上げて来ました。その話は、「読書雑記(198)船戸与一『残夢の骸 満州国演義9』」(2017年04月28日)で書きました。父の話を聞いていたので、モンゴルへ行った時には、戦没者の慰霊碑にお参りに行きました。これも、「亡父の代わりに日本人墓地跡へ」(2010年01月17日)に書いた通りです。

 その父が、なぜか「インパール」に関する本を大事に持っていました。友人知人が、インパールの惨禍の中で無残なことになったからではないかと思っています。父は、何も語ってくれませんでした。
 今回ミャンマーに来るにあたり、その慰霊碑があることを知っていたので、どうしてもその慰霊の地に立ちたかったのです。一人でも多くの方々のことを思い出すことも、大切な敬意の表し方だと思うからです。父は、思い出すなどとは次元の異なる惨状を体験したのでしょう。思い出すことすら拒否していたように思えます。私は、船戸与一の『満州国演義』(全9巻)を読み終わった時、ビルマでお亡くなりになった方々の墓地か慰霊碑がある地に行こうと決めていました。

 モンゴルがそうだったように、このビルマ戦線でも無念の命が放置されたと思われます。今の幸せすぎるほどに能天気で平和な日本に生きる一人として、ご冥福をお祈りするしかありません。
 このミャンマーには、まだ数多くの日本人をはじめとする戦没者の墓地があるそうです。これは、イギリスの方もビルマの方々も含めて、再訪の折には、一つでも多く訪ね歩くつもりです。

 その後、マンダレーの日本語学校「HITOセンター」(日本センター)を訪問しました。

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 大阪大学3回生で、半年間の休学をして教えに来ている藤原さんの授業に参加しました。そして、グループに分かれてさまざまな問題を日本語で楽しく語り合いました。

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 みんなで、ことわざカルタをしよう、ということになりました。これが遊び感覚を超えた、楽しく日本語の勉強ができるゲームとなっていきました。インドで『百人一首』をやった時もそうだったように、カルタはしだいに熱中していくものなので、日本語学校でも有効に活用できる教材だと思います。生徒が読むと、さらに盛り上がります。

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 なかなか行く時間が取れなかった旧王宮に、最後の日になって何とか組み込むことができました。

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 ここは、1990年代末に再建されたものとはいえ、后たちの殿舎が王の謁見の間を囲むように50もあることに注目しました。これはまさに『源氏物語』の空間と似ています。淑景舎(桐壺)にあたる建物を探し、それらしきものを認定することにしました。正面奥を、『源氏物語』で言うところの淑景舎としておきましょう。廊下でつながっていないのでイメージは違うものの、遊びとしてはこれでいいでしょう。

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 監視塔から見おろすと、建物全体の配置がわかります。

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 差し上げる形の戸も、日本の蔀戸によく似ています。

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 このミャンマーでは、『源氏物語』が日本と共有できる文化資源の一つになることを、この場所に来て確信しました。

 先程訪問した「HITOセンター」の藤原さんから、移動中に早速メールで本屋さんを紹介してくださいました。
 教えていただいた書店で、これまで国立図書館や国際交流基金にはなかった『ビルマの竪琴』の別バージョンなど、日本文学と文化に関する翻訳本を10冊ほど購入できました。この書店には、ランダムに本が並んでいるので、時間をかければもっとありそうです。あらためて来る必要があります。

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 とにかく、ミャンマーには、予想をはるかに上回る日本文学および文化に関する翻訳本があることがわかりました。夏頃をメドにして、再度来ようと思っています。

 今日の最後は「のりき日本語学校」の訪問です。

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 ここは、ハイレベルな生徒を抱えておられます。校長のHtut Kyaw先生に、詳しいお話を伺いました。この学校は、もう15年の教育歴があるそうです。
 100人以上の生徒の内、日本語能力検定試験で5段階ある中の一番難しいN1の勉強している生徒は10人。その内の3〜4人が合格するそうです。N2は20〜30人が取り組んでいて、半数が合格するとのことでした。
 上級クラスの中に混じって記念撮影をしました。時間があまりなかったので、質問にも丁寧にお応えできず申しわけありません。またいつか再会を、ということでお許しください。

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 お昼頃に行った「HITOセンター」にも、難度の高いクラスがありました。ミャンマーにおける日本語教育は、その学習者の数といいレベルといい、今後ともますます伸びていく熱気を感じました。
 
 
 
posted by genjiito at 23:31| Comment(0) | ◎国際交流

2018年03月15日

マンダレーを飛び回り留学生の自宅訪問

 以下、ミャンマーにおける3月11日(日)の資料調査と情報収集活動の記録です。

 マンダレーから車でインワへ移動です。そして、イラワジ川へ行きました。今はエーヤワディー川と言っています。ここから渡し船で対岸のインワ(アヴァ)に向かいます。500年近くも都があった所です。

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 インワでは馬車に乗って、寺院を巡りました。

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 かつての賑わいを感じさせる仏塔や城壁がありました。しかし、昔の面影はありません。

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 まわった3箇所の内の一つのバガヤー僧院は、ヤシ林の中に建つチーク材のお寺です。1834の建立です。ここでは、寺子屋が開かれていました。お坊さまが子供たちの勉強を見ておられたのです。見事なお寺がこうして残されており、そこを舞台として子供を育てる環境が今も生きているのです。

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 このインワを歩いている時に、履いていた靴底が悲鳴をあげて割れ、捲れ上がってきました。歩きやすいリーガルのスポーツタイプです。愛用していたので、なぜこんな時にと……。とにかく、インドからミャンマーへと、ひたすら歩いて調査収集活動をしていた証しでもあります。この後は、瞬間接着剤などでだましだまし履き通しました。

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 ザガインは仏道修行の中心地です。ウーミントンゼーバヤーに行った時に、ポケットに財布がないことに気づきました。どうやら落としたようです。クレジットカードや現金に加えて、ホテルのカードキーとカメラのバッテリーが入っていました。しかし、幸運にもタクシーの座席の下に落ちていたことがわかり、一安心です。外歩きの時でなくて幸いでした。仏様に感謝です。

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 ここの仏様は、右手の指が6本ありました。昨日、楽器屋さんで見かけた、やたら穴の数が多い笛は、この仏様たちが奏でるための特注品だったのでしょうか。

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 ザガインのカウンムードパヤーでの気温は31度。風が気持ち良いところです。お土産にと、磨り鉢と孫の手を買いました。小さめのすり鉢は、お茶の時に蓋置として使うつもりです。

 機織りの工房に行きました。

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 機織りというと、実は私には論文と調査報告書が一つだけあります。なつかしいものであり、紹介することもなかったので、参考までにその概要を引用して残しておきます。

「機業 −福生の民具を通して−」
『福生市文化財総合調査報告 第12集福生の民俗・生業諸業』福生市教育委員会
昭和55年3月
福生市教育委員会の委託を受けて行なった、民俗調査にもとづいてまとめたものである。民具としての機(ハタ)を取りあげ、その歴史的な位置づけと、当該地における実情を、モノを通して論じた。聞き書きをもとに構成したものであり、特にライフヒストリーの部分のまとめ方には、新たな視点を導入した。


 仏像と仏具を製作している工房にも行きました。仏教を具体的なイメージで理解するのに、こうした小道具や製作過程を見ておくことは有益です。

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 異文化交流の中で、こうした工房が役立つ機能を有するものであることを実感しました。ここで製作されている像や人形等を、いつかいただいて帰ろうと思っています。アルバイトで作業室に来る学生たちが、折々に異文化を意識しながら作業に当たれたら、イメージ豊かな仕事ができることでしょう。

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 今回工房で見たものは、翻訳した文章の挿絵などの参考図版に活用できるのでは、と思っています。お土産物が一転して参考資料となるのですから、視点を変えて物を見ることのおもしろさがあります。

 大阪観光大学の学生で、マンダレー出身のナインさんが、昨日から2週間ほど実家に帰省です。数日、一緒に案内してくれることになりました。そして、自宅に呼ばれ、お母さんの心の籠もった手料理をいただきました。街中で食べたものとは違い、辛くないものをというわがままな注文も盛り込んだ、心温まる家庭料理を美味しくいただきました。

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 2階の仏間や、台所のかまど、家の周りの植物を見せてもらったりと、日常生活を拝見できたことも得難いことでした。さらには、私の鼻とノドの調子がよくない話から、お父さんがご推薦の漢方薬のようなものをくださいました。確かに、症状は停まりました。改源や龍角散のような味と薫りの粉薬でした。お父さんのお心遣いに感謝しています。

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 勤務する大学に留学している学生の自宅でご両親とお話をするのも、学生の大学生活を含めて、今後につながる貴重なことだと思います。たまたまナインさんが、私の科研のアルバイトとして来ていること以上に、研究仲間の一員となり共通の話題や意識が深まることが、お互いの理解を高めることになったように思います。マンダレーでナインさんと会ったことは、今度ニ回生になる4月からにつながることとなります。ビルマ語に訳された文学作品や日本の文化を紹介する本を多く入手できたので、これらの書誌や解題を作成することからお願いしようと思っています。
 
 
 
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2018年03月14日

多くの人に助けられながらの旅です

 今日、3月14日の朝6時半に、バンコクからのタイ航空便で関西国際空港に帰ってきました。17日ぶりの日本です。
 帰る早々、今日は大学で3つも会議がありました。関空から2駅目に大学があるので、素通りで帰るわけにはいきません。疲れた身体にむち打って、睡魔と闘いながら会議に出席というありさまです。

 インドとミャンマーでは、実にいろいろなことがありました。
 出発する前までは、ミャンマーには日本文学や文化に関するビルマ語による翻訳がないようでした。手元には一冊もなかったのです。確かに、行って見ると日本語学校の先生をはじめとして、みなさん見かけないとおっしゃいます。しかし、実際にはあったのです。しかも、数十冊も。
 このことをはじめとして、今回の旅は特に収穫が多かったこともあり、このブログも遅々として進みません。
 今日、帰ってきたのに、ブログではまだ5日も前のことを書いているところです。
 こうなったら、根気強く思い出しながら書き続けるしかありません。

 以下、3月10日のマンダレーに着いた翌日のことから書きます。

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 ホテル観光省のティダーさんに、早朝の6時ごろに街の市場へ連れて行っていただきました。ここでは物売りが集って賑わっています。主役はマンダレーのおばさんたちです。

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 托鉢の僧も街にでかけて来ました。

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 マンダレーから東の山の奥に、メイミョウ(今のピンウーレン)があります。そこには、かつてガバン朝の頃に王たちが守ったディフェンス サービス アカデミーがありました。ミャンマーの人たちが立ち寄って写真を撮る場所になっています。このピンウーレン一帯は、イギリスの植民地時代に英国人がマンダレーのあまりの暑さを避け、ここを避暑地としたところです。
 「乗り気日本語学校」で勉強をしているアウディ君が、道案内を兼ねて手助けに来てくれました。東京の大学で勉強もしていたようで、日本語も上手い20歳の若者です。
 こうして、多くの仲間とのつながりに助けられて、山の中でも翻訳本の調査と情報収集の旅は続いています。

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 ペイチンミャァウン(洞窟寺院)は、山口県にある秋吉台の鍾乳洞を思い出させます。洞窟の中の仏像群を見物できる所です。仏像の多さと、洞窟内の暑さと湿気で圧倒されました。

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 今回の旅では、シャン民族の文化が視野に入っています。その楽器、「象脚鼓」も確認しました。

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 ナショナル ランドマーク ガーデンにも足を向け、植物園や動物園で、ミャンマー特有の動植物を見ました。

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 実は、翻訳に関わっていると、動植物をどのようにして異文化の世界に置き換えたらいいのか、非常に難しい問題と向き合うことがあります。ミャンマーを少しでも知るために、さまざまなところに立ち寄っています。文化には多種多様な要素があるので、見るもの聞くもの手当たり次第に受け入れる気持ちで対処するようにしています。何でも見てやれ、聞いてやろう、の気持ちがないと前に進めません。

 ホテルに帰ると、大阪観光大学一回生で私の科研のアルバイトをしているナインさんが、お母さんと一緒に訊ねて来てくれました。ナインさんは、このマンダレー出身です。今日、日本からマンダレーに帰省してきたのです。これから数日、一緒に行動を共にしてくれます。心強い助っ人が、また一人登場です。
 
 
 
posted by genjiito at 21:40| Comment(0) | ◎国際交流

2018年03月13日

【速報】ビルマ語訳『源氏物語』4冊を入手

今、マンダレーから空路にてヤンゴンに着きました。
ホテル観光省のトゥンさんが、昨夜マンダレーで夕食を共にしてから、一足先にヤンゴンに入られました。そして、先日、国立図書館で見つけたビルマ語訳『源氏物語』4冊を、手回し良く入手しておいてくださったのです。
今、タクシーで移動中なので、シートに並べて書影の裏表を掲載して、速報とします。

さて、どのようなビルマ語訳になっているのか、楽しみです。

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posted by genjiito at 14:00| Comment(0) | ◎源氏物語

ネーピードーからマンダレーへ行き日本にタイムスリップ

 首都ネーピードーからマンダレーまでは、小型バスで北上して4時間半の長旅です。道は、ひたすら真っ直ぐでした。

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 途中で、日本語学校の看板を見かけました。
 「日本語を学び日本企業に就職しましょう! 日本人講師がサポートします。」と書いてあります。

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 ホテルの周りを散策していると、若者たちに人気の映画館がありました。映画は人気があるようです。

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 「OMOTO」というお店は閉店です。これは百円ショップであったことが、後でわかりました。
 シャッターに描かれていた着物は、右側の女性は合わせ目が左前です。これも異文化の受容ということで……

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 街中には、木陰の至る所に水瓶が置かれていて、自由に飲めるようになっています。井戸もいくつか見かけました。

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 マハムニパゴダへ行きました。ここでも女人禁制となっています。男は前まで行けるのに、女性は後ろの方からしか拝めません。

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 アマラプラ(タウン・ミョー)は、パーリ語で「不死の町」というそうです。そのタウンタマン湖に架かるウー・ペイン橋へも行きました。これは、160年前に架けられた1.2キロの橋です。欄干がないので、用心して渡りました。

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 海外での生活が2週間ともなると、日本の食事がしたくなります。少し贅沢かとは思いながらも、日本料理屋の「Fuji」に行きました。ここでは、お米にササニシキを使っていました。

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 私は、一度にたくさん食べられないので、相変わらず小食の日々です。こまめにチーズを主体とした食事をするため、夜食などを抱え込んでの旅を続けています。食料品を仕入れに大型スーパー「オーシャン」に行くと、百円ショップがありました。キャンドゥの系列の商品が置かれているようです。ただし、一個200円ほどです。これも、日本の文化となりました。異文化世界に身を置く日々の中で、フッと生まれた国の世界にタイムスリップするのもいいものです。

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2018年03月12日

ミャンマーのネーピードーにあるブッダガヤへ

 ブッダが生まれたインドのブッダガヤを、ミニチュアながらもそっくり再現したネーピードーにあるブッダガヤの寺院群へ行きました。
 残念ながら、私はまだブッダガヤには行っていないので、ここで本家の様子を疑似的に体験してきました。

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 サールナート(鹿野苑)へは、2002年に行きました。この仏塔の形は、今でもよく覚えています。

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 ブッダの涅槃像も、イメージを作るのに助かります。迫力もありました。

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 ミニチュア版ながら、聖地巡礼をした気持ちになり、ブッダを再認識する場となりました。
 今後とも、インドと共に、ミャンマーの方々との交流も始まります。
 こうした現地踏査による見聞を、さまざまな場面で活かしていきたいと思います。
 
 
 
posted by genjiito at 16:40| Comment(0) | ◎国際交流

ネーピードーの国立図書館で確認したビルマ語訳の日本文学関連の書籍群

 今回の旅で中心となって研究調査と資料収集などでご協力いただいているホテル観光省のテーザー トゥンさんを通して、国立図書館に日本文学や文化に関する図書を拝見したい、という依頼をお願いしていました。それを図書館側が聞き届けてくださり、訪問した折には別室に用意していただいていた本を拝見しました。ご高配に感謝します。

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 書庫からあらかじめ取り出してくださっていた書籍を、撮影のために机に並べていた時でした。その中に『源氏物語』と表紙に記された本があったのです。手元にあった所蔵リストを見ても、その本は見当たりません。最近収蔵されたものと思われます。
 これまでに、ビルマ語訳『源氏物語』はないとされていたので、これには驚きました。しかも、最近の刊行物なのです。

 このビルマ語訳『源氏物語』については、見つけてすぐに、「【速報】『源氏物語』で34番目の言語となるビルマ語訳を確認」(2018年03月08日)で報告した通りです。とにかく、このビルマ語訳『源氏物語』については、日本に帰ってから詳細を確認します。

 ネットを見ると、電子版としても発行されているようです。
 刊行されたばかりの1巻から4巻までは、日本への帰りに立ち寄るヤンゴンで受け取って持ち帰れるように、トゥンさんが手配をしてくださいました。うまく入手できるといいのですが。

 国立図書館の職員のみなさまのご協力により、今回その所在が確認できた本は以下の通りです。その書影を掲載して、概要の報告の一部とします。図書館から提供された資料によると、65冊となっています。ただし、短時間の撮影だったため、重複する書籍や対象外のものが混在していることはご了承ください。

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 ミャンマー国立図書館のKay Thi Aye副館長及びミャンマー国ホテル観光省のテーザー トゥンさん、ティダー ウィンさん、タンダー チョー ジンさん、テッテッ ウェーさん、そしてそれぞれの機関のスタッフのみなさまのご理解とご協力とご尽力に感謝します。
 早速ご提供いただいた資料をもとに、情報を整理してデータベース化した後に、その成果をお手元にお届けします。
 日本文学と文化に関するビルマ語訳の書籍の調査は、まだ緒に就いたばかりです。
 今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
 
 
 
posted by genjiito at 00:05| Comment(0) | ◎国際交流

2018年03月11日

ビルマ語にも変体仮名があるのでは?

 この記事も、前回同様に専門外の思いつきであり、あくまでも私見です。
 もしかして、すでに研究成果があり、これが間違っていたり、ひょっとして何かの間違いでいい線をついていたりするかもしれません。

 いずれにしても、旅先での[とはずがたり]ということでご寛恕のほどを願います。
 最近よく、「もっと勉強してから書け」とか「よく調べろ」というご批判をいただきます。
 一方的な暴言は甘受するしかないものの、毎日の日記の公開というブログの性格上、突然のアホバカ呼ばわりは平にご容赦いただきたいと思います。
 私としても、毎日の流れの中で書いていますので、ある日の特定の箇所だけを切り取っての攻撃には対処のしようがないのです。
 これは、生き続け書き続けることに意義を見いだしている者にとっては、困った現象だと思っています。

 さて、インドから伝わって来た文字が変化して、今のミャンマーアルファベット(アケア)があるそうです。
 もちろん、今回来ているミャンマーではじめて知りました。

 先日訪問した国立図書館で、文字に関する展示パネルを拝見し、このビルマにも日本で再評価されている変体仮名とでもいうべき文字のスタイルが併存する時期があったのではないか、と思うようになりました。

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 例えば「が」(?)と読む文字について。
 次の写真に、色文字でメモを追記しました。

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 パガン朝時代の文字が、スタイルを変えて今に来ているそうです。
 右端の文字は、視力検査で使われる記号のような文字であり、「下」と答えている文字(?)記号(?)です。
 ただし、発音も意味も、それぞれに変わらないとのことです。
 王朝ごとに文字の形が変わってきた、ということで、それぞれの時代に文字は一新されているという説明だったかと思います。

 そこで、勝手な思いつきが浮かびました。
 文字が突然一新されることは考えにくいので、当然共存して使われた時期があったことでしょう。
 そうすると、次々と文字が変遷したと見るのではなく、異なるいくつかのスタイルの文字が一緒に使われていた、ということを想定するとどうでしょうか。
 変体仮名のような文字の存在があったのでは、ということにならないでしょうか。
 当然、国策であれば、異体字は自然淘汰されていくことでしょうが。

 日本では、明治33年以前には、千年近くもの長い間、「あ」という平仮名に「安」「阿」「愛」等が用いられていました。
 例えば、「伊勢」は今では漢字による表記として理解されています。
 しかし、「伊」も「勢」も、いずれの文字も明治33年以前には平仮名に属する仮名文字であり、その後に共に変体仮名として平仮名のグループから外されたのです。
 国策として、平仮名の枠から外され、文字統制によって変体仮名が生まれたのです。
 ただし、それ以降も、しばらくは現行の五十音と切り捨てられた変体仮名が共存していました。
 今でも、共存しています。
 例えば「お天も登」

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 ということで、手元に何も資料がないままに、勝手な思いつきを記しました。
 実際には、ミャンマーの古い文字はどうなのでしょうか。
 来週には日本に帰りますので、あらためて調べてみたいと思います。
 
 
 
posted by genjiito at 01:40| Comment(0) | ■変体仮名

経典を書写する前に使う横長の木枠と「糸罫」のこと

 ネーピードーの国立図書館では、Kay Thi Aye 副館長のご説明をうかがいながら展示物を拝見しました。中でも、パームリーフに書かれた100年前の経典とその附属物を見た時に、何やら胸騒ぎがしました。貝葉経というもので、仏教の中の聖典である三蔵経だそうです。

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 そのお経を一枚の葉に書く時に使われる道具の説明の時、木枠と糸と黄色の水の役割がよくわからなかったので、しつこく何度も質問してしまいました。糸を使って、書写する書式を揃える道具についてです。

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 特に、黄色の色水を、
(1)どの段階でパームリーフにかけるのか?
(2)糸のどこへかけるのか?

ということがよくわかりませんでした。色水で黄色いベルト状の線を引き、そのベルトの幅の上に文字を刻むことにも説明が及んだからです。

 私の頭の中には、宮内庁書陵部所蔵の書写道具である「糸罫」が説明を聞いている最中から点滅していたのです。
 通訳の方を入れてのやり取りの末、以下のことがわかりました。その場での私の理解に基づくことなので、間違っていたり、勘違いしていたらご教示をお願いします。

 一枚のパームリーフと、数本の糸を左右に張り渡した長方形の木枠を用意します。

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 木枠の内側に張った糸に、黄色の水を吹きかけます。糸に染み込んだ黄色が乾かないうちに、パームリーフの上に、その木枠を糸とリーフの位置に注意して被せます。

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 すると、黄色に染まった糸がリーフの表面に薄い黄色の直線を数本転写します。

 何本かの黄色い直線が転写されたリーフを、別の「WRITING TABLE」という道具の先端の柔らかな面に押し付けて、先ほど引いた線をガイドラインとして、筆記具で文字を刻んでいきます。

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 文字を書き終わると、線は植物性の色素なので、拭けば消えるということでした。

 この道具の左下に置かれていた白黒写真を、Photoshopを使って補正すると、その文字を刻印する作業の様子がよくわかります。

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 文字が刻まれたリーフは、こんな状態になります。

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 これらをまとめ、穴を開けて糸を通して綴じられます。あるいは、穴はあらかじめ開いているのかもしれません。

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 文字を一列に揃えて書く時に使う道具は、日本にもあります。
 私が古写本を読む時によく例に出す「糸罫」がそれです。日本の「糸罫」については、『源氏物語 千年のかがやき 立川移転記念 特別展示図録』(国文学研究資料館編、2008年10月、思文閣出版)に掲載した「【16】御所本『源氏物語』、檜製糸罫」(103頁、久保木秀夫 執筆)の説明と写真を参照願います。
 日本の「糸罫」が、ビルマ語では「ニンティ キャリア」と呼ばれるライニングの道具なのです。英語では、「Line Ruling Instrument」というそうです。

 日本とミャンマーとでの違いは、次の点に整理できます。

 ミャンマーの「ニンティ キャリア」では、イエローパウダーを使って糸に色の線を付け、リーフに黄色の線をスタンプします。これについてはさらに、専門外の私見ではあるものの、色水にこの道具の下部を浸して横長の糸に色を染み込ませたのではないか、と勝手に思っています。木枠が新しい再現品のようなので、この下部の状況はよくわかりませんでした。
 日本の「糸罫」は、紙の上にその書写道具を直に置き、糸と糸との間に筆で墨文字を書き写していくのです。
 この2国間の違いは、どうやら筆記用具が異なることにあるのではないでしょうか。

 多分に仮説ながらも、ミャンマーと日本の文化の違いについて、おもしろいことがわかった気になっています。何分にも初見での私見なので、見当違いでしたら、ご批正いただけると幸いです。
 私の素朴な疑問に、丁寧に対応してくださいましたKay Thi Aye 副館長及びスタッフの方々にお礼申し上げます。
 
 
 
posted by genjiito at 00:02| Comment(0) | ◎国際交流

2018年03月10日

「観光」と「物見遊山」は混同されがち

 朝5時過ぎに、ホテルで作ってもらった軽食を手に、ヤンゴンから新首都ネーピードーまでを、小さなプロペラ機で一っ飛びしました。

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 ネーピードーからは、これまでお世話になったテーザー トゥンさんと入れ替わりに、同じくホテル観光省のティダー ウィンさん、タンダー チョー ジンさん、テッテッ ウェーさんの女性3人にバトンタッチです。昨秋、大阪観光大学で私の研究室にお出でくださり、今回の調査旅行について話し合いをした方々なので、空港ですぐにわかりました。前回は迎える立場で、今回は迎えられる立場での再会です。

 新都市ネーピードーは、2006年10月にヤンゴンから遷都した計画都市です。これからの発展が大いに楽しみです。

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 宿はホテルゾーンにありました。昼間は暑いので出かけないようにとのことなので身体を休めることを専らとして、午後の活動は午後4時過ぎからとなります。

 ナショナル ランドマーク ガーデンでは、ミャンマーの観光名所がレプリカで巡り回れる場所です。観光をする暇がない者にとっては、ミャンマーに来た気分に浸れます。

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 ただし、一学芸員として見たところでは、まだ造作物が置いてあるだけという段階なので、もったいないと思いました。少なくとも建物の表示と簡単な説明を。さらには、もっとリアルな体験を仕掛けることで、ミャンマーの魅力を訴える場所にしてほしいと思いました。まだまだ時間がかかりそうです。

 黄金の仏塔があるウッパタ サンディ・パヤーにも行きました。ここは、ヤンゴン滞在中に大量の翻訳本と出会えたために見られなくなった、シュエダゴンパヤーの実物大のレプリカです。

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 入口の近くでは、国の平和と繁栄の象徴とされている白い像の飼育場面が見られました。

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 稔り多い調査の後だったこともあり、この日はミャンマーの文化的、歴史的な背景を生で体感することができました。こうした実感が、翻訳という言葉の移し替えによって生まれる文化の変容を考える時に、実証段階で生きてきます。その意味でも、「観光」という言葉の定義を、さらに学問的な視点で整理し、一般に広く知ってもらうようにすべきだと思います。「観光学」が新しい学問であるため、「観光」が「物見遊山」と混同されがちです。これは、今後の課題の一つでもあります。
 
 
 
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2018年03月09日

ビルマ語の翻訳本と異文化交流の現地調査と資料収集は続く

 ミャンマーにおける日本文学と文化に関する翻訳本と異文化交流の現地調査は続きます。

 私設ながら活発に活動しておられる「ICHIBAN」の経営者イン イン ウー先生に、日本語教育の実際についてお聞きしました。

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 イン先生はお母さんの影響で、戦争を通して日本人を知ることになりました。そして、日本人と日本語に心を動かされ、日本人学校に18年間教員として勤め、独立して今の日本語学校を経営しておられます。「ミャンマーの若者たちのために[いちばん]役に立ちたい」との気持ちから、学校の名前を「ICHIBAN」にしたのだそうです。今は200名の生徒を育成しておられます。
 生徒さんたちと、楽しくお話などをして交流も果たせました。

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 イン先生は、ヤンゴン日本語学校の辻茂氏の『娘のためのモータウパン「朝咲く花」』(私家版)を、2003年に翻訳して出版しておられます。近々再版とのことでした。

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 「ICHIBAN」で心温かく見送られてから、ヤンゴンの街中にある株式会社ココライズ・ジャパンを訪問しました。
 ここは、昨年末に紹介を受けて連絡をとっていた、ビルマ語訳を業務の中心とする会社です。長田潤社長は週末まで日本におられます。しかし、日本文学と文化に関する翻訳本をヤンゴン事務所に揃えたとの連絡をいただいたので、その本を拝見するために行きました。
 長田社長の共同経営者として現地を守りあずかっておられるソーフィリスタン氏と、翻訳本を実際に自宅から持参してくださった社員のナントーママエンダレーキンさんに、ミャンマーの翻訳事情を含めての興味深いお話を伺いました。この会社とは、今後ともビルマ語訳を扱う上でよきパートナーとなっていただけそうな気がします。

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 さらに、これらの本は書店で買えるはずだとのことだったので、置いている書店を教えていただき、その店に早速足を運びました。そして、次の21冊の本を手に入れることができました。古本も扱う書店だったので、ビルマ語が読めたらもっと見つかったかもしれません。

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 さらにさらに、私がインドへ通い続けることになった背景で、大きな影響を受けた国際交流基金の佐藤幸治さんと、ヤンゴンの基金の仮事務所で会いました。
 佐藤さんとは、私が2002年にインド・デリー大学 中国日本学科 客員教授として赴任した時、受け入れ窓口として私の面倒を見ていただいて以来の仲間です。エジプトのカイロへ行ったり、トルコのイスタンブールに行ったこと、加えて中島岳志氏との出会いを作っていただいたのも佐藤さんでした。
 その佐藤さんが、この1月からミャンマーに国際交流基金の事務所を立ち上げる仕事で来ておられることを、インドの国際交流基金ニューデリー事務所の野口さんから聞いたのが2月27日でした。すぐに佐藤さんと連絡をとり、こうして3月6日にヤンゴンで会ったのです。信じられないような、奇縁としか言いようがありません。

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 この基金の仮事務所のドアを開け、10年ぶりに佐藤さんの顔を見て、しばらく笑い合うしかありませんでした。これまでの楽しかった出来事が、瞬時に脳裏を席巻します。旧友に突然街中で出会った時のような複雑な気持ち、と言っても表現が足りないほどの感情を抱いて話が展開しました。

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 佐藤さんのミッションは、このミャンマーに国際交流基金の事務所を開設することです。すでに1ヶ月半足らずで着々と下地を築いておられます。
 ここには、岡山大学がすでに足場として活動しておられるようです。

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 また、ジャパン カルチャー ハウスがすでにあり、ここにも翻訳本が何と59冊もありました。
 貴重な本がまた見つかったのです。

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 そしてその中に、平安時代から鎌倉時代に活躍した女流歌人の和歌を集めた『女房三十六歌仙』のビルマ語訳があったのです。この詳細はまた後日報告します。

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 佐藤さんは今年中にヤンゴンに事務所を開き、所長としてこれまでの積年の英知を全開し、さまざまな企画を実現していかれることでしょう。私は、文学と文化という分野で、そのお仕事に連携して関われたらと思っています。また楽しい仕事をしましょうと、食事をしながらいつもの夢を語り合いました。近い内にまた会いそうな気がしています。
 
 
 
posted by genjiito at 00:20| Comment(0) | ◎国際交流

2018年03月08日

【速報】『源氏物語』で34番目の言語となるビルマ語訳を確認

 今日の午前中、ミャンマーの新首都ネーピードーにある国立図書館に行きました。
 そこで、日本の文学と文化に関する翻訳本を見せてもらっていたところ、その中に『源氏物語』があることがわかりました。

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 これまで、いろいろな方にビルマ語訳『源氏物語』の存在を問い合わせていました。
 しかし、「ある」という情報は、私のところには届いていませんでした。
 国立図書館の蔵書リストにもありません。
 それが実際には存在することが、手に取って確認できたのです。
 国立図書館にあったのは、2015年5月に刊行された第3巻(153頁)のみです。

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 情報によると、第4巻が2016年4月に刊行されているので、2017年には第5巻が刊行されたかと思われます。
 これらはすべて、今後の調査待ちです。
 ビルマ語訳の『源氏物語』は、書名が『昔の愛の物語』となっているために、検索に引っかからなかったようです。
 このビルマ語訳『源氏物語』の翻訳者は「カン キン イン ジェン」さん(40歳位)です。

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 しかも、第4巻まで刊行されていることが確認できたので、現在刊行中の本ということになります。
 このビルマ語訳『源氏物語』に辿り着くにあたっての詳細は、後であらためてまとめます。
 取り急ぎ、ビルマ語訳『源氏物語』があった、ということを報告しておきます。
 ミャンマー国立図書館のKay Thi Aye副館長及びミャンマー国ホテル観光省のテーザー トゥンさん、そしてそれぞれの機関のスタッフのみなさまのご理解とご協力とご尽力に感謝します。

 これで、『源氏物語』は以下の34種類の言語で翻訳されている、ということになります。

アッサム語(インド)・アラビア語・イタリア語・ウルドゥー語(インド)・英語・エスペラント・オランダ語・オディアー語(インド)・クロアチア語・スウェーデン語・スペイン語・スロベニア語・セルビア語・タミル語(インド)・チェコ語・中国語(簡体字)・中国語(繁体字)・テルグ語(インド)・ドイツ語・トルコ語・現代日本語・ビルマ語・ハンガリー語・韓国語・パンジャービー語(インド)・ヒンディー語(インド)・フィンランド語・フランス語・ベトナム語・ポルトガル語・マラヤーラム語(インド)・モンゴル語・リトアニア語・ロシア語

 
 
 
posted by genjiito at 15:11| Comment(0) | ◎国際交流

【速報】ミャンマーで起きた[5.3]の地震は大丈夫でした

 今、ミャンマーの首都ネピドーにいます。
 今朝3時42分頃、大きな地震がありました。
 震源地はここネピドー。
 マグニチュード[5.3]だそうです。
 しかし、新計画都市の宿泊エリアにおり、低層階のロッジ形式なので、倒壊などの被害はありませんでした。
 今日はこれから、国立図書館とブッダガヤへ行きます。
 気温は36度になるようです。
 余震に気をつけながらの調査活動です。

 
 
 
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2018年03月07日

大量の翻訳本を確認してから痛いノドを診察していただく

 ミャンマーのヤンゴンでの第一夜は、泥水のお湯で始まりました。バスタブがあったので、嬉しくて早速お湯を張りました。ところが、溜まった水は土色です。栓を抜き、もう一度やっても同じです。かつてモスクワで泊まったシェラトンホテルの水が、真っ赤だったことを思い出しました。あの時は、お湯を出しっぱなしにして外出しても、帰って来たらまだピンク色でした。
 シャワーに切り替えても色が付いているので、サッと浴びる程度にしました。

 昨日ミャンマーに着いてから、どうしたことかノドに痛みを感じていました。それが今朝からひどかったので、風邪薬を飲みました。体温計を取り出して測ると平熱です。部屋のエアコンが不調です。適当に26度にしたのがいけなかったのか、朝起きるとノドがガラガラになり、ヒリヒリと痛くなったのです。部屋の温度管理は難しいものです。ノドと鼻だけがトラブルに見舞われています。

 朝食の時、隣にいた宿泊客の日本人の方が話しかけてこられました。日本の方ですか? と。76歳の方で、趣味がないこともあり、定年後にのんびりと各国を回っているのだそうです。同じ年金生活者でも、私とは格が違います。羨ましい限りです。

 エレベーターで、海外からお越しで上品な年配の男性からも声をかけられました。食堂で窓際におられた方です。日本からですか? と。その方は東京にお住まいだそうで、きれいな日本語で別れの挨拶をなさいました。手には1冊の大学ノート(コクヨのノートブック)をお持ちだったので、研究者なのかもしれません。映画に出てくる数学の先生では? これは同業者の根拠のない直感です。

 作家で翻訳家のイエ・ルイン先生が、ご自宅で食事をしながら話をしましょうとのことなので、お言葉に甘えて伺いました。

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 日本の大使館に勤めておられたこともあり、流暢な日本語を駆使して多くの翻訳書を刊行しておられます。ご自宅にあった翻訳のご著書だけでも、60冊はゆうに超えます。それでも、まだここにあるのは4分の1だそうです。人にあげてなくなってしまっている、とのことでした。
 理科教育者から翻訳家に転身したのは、『坊ちゃん』が自分のことを書いていると思ってからだそうです。この翻訳で、1994年に国民文学賞を受賞なさっています。さらに、2009年には翻訳文学賞も受賞なさいました。現在70歳。これまでに80冊ほど翻訳したそうです。ワープロを使うこともあり、翻訳のスピードは速い方だとおっしゃっていました。
 ミャンマーのみなさんは、日本は自動車を作っている国だと思っていたのに、この『坊ちゃん』のビルマ語訳によって、日本には文学があることを知ったのだそうです。そして、日本人の経済力の背景には文学がある、とも。

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 日本文学と文化に関する書籍を、ここでこんなに大量に見られるとは思いませんでした。なにしろ、私の手元には、ビルマ語訳の本が1冊もないのですから。とにかく、日本文学と文化に関する翻訳書のリスト作りから始める必要があります。先生からは、ご自身の著作のリストをデータでいただけることになりました。それをきちんと整理するためにも、まずは本の表紙をすべて写真に撮ることにしました。
 以下に掲載する書影には、重複するものや対象外の本もあるかと思います。短時間に撮影させていただいた事情もあり、不備や書誌情報を含めてご教示いただけると幸いです。

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 また、竹山道雄の『ビルマの竪琴』について、イエ・ルイン先生の訳本は3冊確認できました。

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 右側が2002年版、真ん中が2007年の漫画版、左側が2011年版です。
 漫画版の中は、次のような絵です。

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 今、ヤンゴンは36度です。昨日ヤンゴンに入ってからノドがヒリヒリと痛くて困っていました。運良くイエ・ルイン先生の息子さんがお医者さんだったので、自宅入口横の診察室で私の血圧と胸と口の中を診てくださいました。「ノープロブレム」の一言を聞きホッとしました。さらには、トローチをくださったので、早速舐めました。ありがたいことです。人とのお付き合いには、いろいろとおもしろいことが付いて来るものです。もう、ノドの痛みは治まりました。後は鼻水です。これは、気力で治します。

 ホテル観光省のトゥンさんは、シュエダゴンパゴタへ行く案を提示してくださっていました。しかし、予想外に多くの翻訳書に関する情報が得られたので、今日はこのまま翻訳本の資料調査を続けることにしました。

 なお、ここに引いた書影及び出版図書は、発展途上国であるミャンマーがコピー大国である背景を持つことと関係します。しかし、今ここではその問題は別物とします。(以下つづく)
 
 
 
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2018年03月06日

初めてのミャンマーでハードスケジュールに挑む

 ハイデラバードからバンコクで乗り換えてヤンゴンに来ました。
 バンコクでは、乗り換えの待ち時間に持参の電子機器の充電に余念がありません。

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 バンコクの出発が1時間遅れました。ヤンゴンでも入国審査に長蛇の列となっていて、なかなか大変です。
 今回お世話になるミャンマー政府ホテル観光省のトゥンさんは、辛抱強く待っていてくださいました。
 昨年末に大阪観光大学でお別れをして以来です。しかし、メールでのやりとりが続いていたせいもあり、久しぶりという感じがしないほどに、親しみをもって握手にも力が籠もる再会となりました。

 チャーターしていた大型のタクシーで、まずはグレーター メコン イニシシアティブのミン・ツカ先生の事務所に伺いました。

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 ミン先生はビルマ語の翻訳者です。映画のアニメ版である『ガラスのうさぎ』と、『翻訳短編集』などを刊行なさっています。短編集の中には、「野バラ」(小川未明)、「美しい村」(堀辰雄)、「山と旅 山路のすみれ」(荻原井泉水)、「小僧の神様」(志賀直哉)のビルマ語訳が収録されています。

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 帰る時、ビルの4階のベランダから、長い間手を振って見送ってくださいました。

 ヤンゴン外国語大学日本語学科の佐藤直樹先生にもお目にかかり親しく意見交換をしました。

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 この大学に入るのには、あらかじめ許可をとる必要があります。普通は、許可が下りるまでに2ヶ月はかかるそうです。しかし、ニューデリーの国際交流基金の野口さんの話から、私がインドやエジプトへ行くきっかけを作ってくださった佐藤幸治さんが、今年の1月からミャンマー事務所を立ち上げるために、ヤンゴンで奔走なさっていることを知ったのです。そこで、佐藤幸治さんに連絡をとり、ヤンゴンで会う約束をし、合わせて私の調査目的を伝えました。すると、佐藤直樹先生を紹介されたのです。佐藤先生は、国際交流基金からヤンゴン外国語大学へ日本語専門家として1年3ヶ月前に派遣されていたのです。話は2日間でトントン拍子に進み、こうして短時間で面会が叶ったのです。
 ミャンマーでは、日本文学や文化については、学問として確立されていないそうです。翻訳書はあっても、なかなか書店では入手困難だそうです。これらは、軍事政権の影響で、20年前とその後に学問の落差があることや、インターネットの利用が進んでいないこと、コピー本の氾濫などを、具体的な話として長時間にわたり伺いました。非常にわかりやすい内容で、よくわからなかったことが霧が霽れていくように理解できました。
 この日本語学科には28人の教員がいて、英語学科は40人。1学年150名だとのことでした。
 食堂でこの大学の活気を感じました。

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 佐藤さんがミャンマーにいらっしゃることに加え、佐藤先生がヤンゴン外国語大学日本語学科にいらっしゃったことは、まさに奇跡としかいいようのない人の縁を感じます。人が人を呼ぶとは、このことを言うのでしょう。
 思いがけない展開と、みなさまのつながりに助けられ、幸運続きの旅の中に今います。

 お昼はミャンマー料理をいただき、その後はまた情報収集です。とにかく、息つく暇もないほどに調査を行っています。雑踏の中を車で突っ込んで入っていきました。

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 小さなビルの上に、KYOSHIN JTEC Langare Academyはありました。日本語教育を担当している専門学校です。この学校は京都にもあります。
 入口の横に、こんな看板がありました。ビルマ語の文字のかわいさが伝わってきます。

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 さて、この学校で、ゾー リン トウン先生とプー ゴン テー先生から、日本語教育の実情について詳しくお話を伺いました。

 日本語の授業も拝見しました。みなさん、熱心に日本語の勉強をなさっています。圧倒的に女性が多いようです。

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 夕食の時に出た箸袋には、ビルマ語で次のように書いてありました。
いらっしゃいませ/元気になってください/こんにちわ

 日本なら「御手茂登」とあるところです。この袋に注目したのは、そこに書かれている文字が裏表反転していることです。箸を袋から出す時、着物を裏返しに脱がすようにして引っぱると、反転していた文字が袋の中から正しい文字として読めるのです。これも文化なのでしょうか。考えすぎでしょうか。

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2018年03月05日

インドの最終日はハイデラバード散策

 これまで頼みの綱とすがっていた村上さんが、今朝方3時に単身デリーに向かいました。デリーで開催されるセミナーで、研究発表をすることになっているからです。村上さんがこの科研の研究協力者であるということに甘え、忙しいところをよくぞここまでと、言い尽くせない感謝の気持ちを持って再会を約しました。道々の案内や通訳やタクシーの運転手との交渉や指示などなど、日本語、英語、ウルドゥ語、ヒンディー語などなどを駆使しての八面六臂の大活躍を、今回も強いてしまいました。とにかくお世話になったどころではないお世話になりました。ありがとうございます。博士論文の完成に向けて、ますますの活躍を祈るばかりです。

 この窮地を、タリク君が昨日の交流会に参加していた一年生の学生2人を付けて、助けてくれました。外国語がまったくできない私を、日本語だけで案内することになるので、学生にとってもいい勉強の機会となります。にわか仕立ての屋外日本語実地演習です。街歩きを一緒にするので、これも文化交流ということになるのです。勝手な言いわけですみません。

 ということで、ハイデラバードで大量に買い込んだ辞書や書籍を日本に送ってもらうために、大学へ本を届けに行ったその足で、学生さん2人をタクシーにビックアップすることになりました。

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 「チョウマハラパレス」では、宮殿の中に掛かっていた日本式の簾が強く印象に残りました。

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 それよりも何よりも、気温が急上昇で暑くて大変です。33度はあるでしょうか。日差しを避けることに気を使いました。

 「チャールミーナール」は、周辺に雑多なお店を抱え込んでいます。オールドデリーのチャンドニーチョークを思い出させます。ただし、こちらのほうが整理されています。

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 「ゴールコンダ・フォート」は、中国の万里の長城のようなところです。映画やドラマの撮影に向いています。

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 タリク君の学生さんを大学内に送り届けてから、ミャンマーへ向けてハイデラバード空港に向かいました。私の好きな、インドの夕陽です。

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 私が乗る飛行機は、深夜1時半にハイデラバード空港から出発するので、まだ6時間待ちです。時間は飽きるほどあります。こんなに時間の中で遊べるとは、いまだかってなかったことです。
 
 
 
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2018年03月04日

ハイデラバードで国際研究集会のプログラム案がまとまる

 インドの国の公用語は、ヒンディー語と英語の2言語です。
 そして、今回来たハイデラバード英語外国語大学があるテランガナ州の公用語は、テルグ語とウルドゥー語の2言語です。
 多言語社会であることが、街中の看板やポスターなどを見るとすぐにわかります。
 今回ハイデラバードを案内してくれているタリク君は、英語、ヒンディー語、ウルドゥ語、ベンガル語を流暢に使いこなしています。もちろん日本語は、読み書き共に顔を見るまでは日本人と区別がつかないほどに堪能です。インドに限らず世界中でもトップレベルの、日本語運用能力の高い若手研究者です。ただし、諸言語がわかる中でも、テルグ語はまったく読み書きができないとのことです。ハイデラバード市内では、公用語のテルグ語が氾濫しています。しかし、それがまったく読めなくても、不自由することなく生活ができるところに驚きを感じます。

 ハイデラバード英語外国語大学に行って、まずは、来年2月に開催する「第9回 インド国際日本文学研究集会」の会場となるホールを確認しました。100人以上は入れる立派な会場です。

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 教室では、学生さんたちと交流会をしました。学部の1、2年生20人と、日本語を使ってさまざまな話題で語り合うことになりました。

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 後半はいくつかのグループに分かれ、日本の話や勉強方法や日本語の文字を書くことなど、手取り足取りの日本語習得の秘術伝授の交流会となりました。

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 アニメに興味を持っている学生が多いことが記憶に残りました。学生は、漢字を書いたTシャツや、日本語を書いたシャツを着ていて、日本のことが知りたいのだという篤い思いが伝わって来ました。

 大学を出てから、楽器屋に立ち寄りました。さまざまな楽器の中に、弦楽器で正倉院にある琵琶に似たものがありました。音楽の世界は、世界共通に重なる部分が多いように思います。

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 夜は、ルンビニ・パークで船に乗り、お釈迦様が立っておられる島に上がりました。
 お釈迦さまの右手は施無畏印を結び、私を畏れるなと言っておられるそうです。
 来年2月に開催する「第9回 インド国際日本文学研究集会」が盛会となりますように、お釈迦様の国でしっかりとお祈りして来ました。

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2018年03月03日

ホーリー祭のために外出を自粛

 今日は「ホーリー祭」という、春祭りの日です。ヒンドゥー教では、春の訪れを祝うこの日には、所構わず色粉を塗り合ったり色水を掛け合ったりします。そのため、不用意に街に出ようものなら、たちどころに水鉄砲で乱射される色水の洗礼を受けます。黄色は尿、赤は血、緑は田畑を象徴するものだそうです。

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 デリーに比べて、ハイデラバードでの色の掛け合いはおとなしいものだ、と言われています。それでも、注意を怠るわけにはいきません。かつて、ネルー大学のゲストハウスで生活をしていた時、学内を学生が水鉄砲を持って徘徊していました。風の宮殿があるジャイプールでも、色水合戦を目撃しました。とにかく、油断すると服が台無しになります。

 お昼までは、ホテルの部屋で資料整理や、日本とのメールによる科研の打ち合わせをしました。とにかく、街中では色水の掛け合いがなされているので、迂闊に外出ができないのです。

 午後、貸し切りのタクシーを確保して、安全な地域に出かけました。
 ハイデラバード外国語大学が国立であり、公的な機関などはすべてお休みなので、ショッピングセンターに行くしかありません。

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 あらかじめわかっていたとはいえ、今日はリスクを避けた行動を強いられます。明日もホーリーのお祭り日です。しかし、先生方や学生たちは大学にまで足を運んで、文化交流に参加してくださるとのこと。ありがたいことです。

 アーツ アンド クラフツ ヴィレッジでは、お土産として、孫の洋服とメガネ立てとを買いました。

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 大型のスーパーマーケットでは、「ターメリック」と糖尿病にいいという「amla」を多めに買いました。
 レジで精算をしていると、突然砂糖の袋を渡されました。さらに、なぜかもう一つ追加。糖尿病のための「ターメリック」を買ったはずが、よりによって大量の砂糖を抱き合わせでもらうことになったのです。聞いてみると、「ターメリック」一袋に砂糖が一袋ずつサービスで付いてくるのだとか。これでは、かえって糖尿病が悪化します。大変なことになりました。

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2018年03月02日

ハイデラバードへの機内で子どもの迷惑な嘘泣き

 早朝にインディラガンディ空港から国内線でハイデラバードに移動しました。
 空港の入り口には、ガンディの糸車のオブジェが置いてありました。インドらしいと思いながら、この糸車の意味するところを、海外からの旅行者にもっとわかりやすく知ってもらう工夫が必要だと思いました。効果的なプレゼンテーションを再考してほしいと思います。

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 空港内には、さまざまなものが並んでいます。明日からホーリーで使う色粉が飾ってありました。

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 搭乗口近くの壁に嵌め込まれたレリーフには、力強さを感じました。

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 機内では、子どもが2時間にわたって泣きわめいていたために、どっと疲れる旅になりました。その子はほとんど涙が流れていない、嘘泣きなのです。弟とゲーム機の取り合いをし、お母さんやお父さんの気を引くための駄々だと思われます。これだけ泣き騒ぐ子を、父親は座席で言い含めていただけでした。ますます声を荒げるだけで、聞くはずもありません。キャビンアテンダントの方も、着陸間際にあやしに来られました。それでも、もう火が点いているので、どうしようもありません。

 もしこれがJALやANAだったらどうだったのだろう、と思うと、このエア・インディアの対応は無策としか言いようがありません。搭乗者は、本当にいい迷惑です。これだけ迷惑をかける子どもと親を放置した航空会社の責任は大きいと思います。
 これまでの経験からも、エア・インディアは可能であれば乗りたくない航空会社の一つです。これよりも酷かったのはKLMでした。KLMについてはすでに書いたことなので、ここでは繰り返しません。

 初めてのハイデラバードは、空気がデリーとまったく異なり、明るくて気持ちのいい南国という感じの街です。
 ハイデラバード外国語大学のタリク君の案内で、市内に出かけました。

 新刊書店に行きました。英語以外の言語の本で、この地域の言語であるテルグ語の本は、ほんの一角にあるだけです。

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 テルグ語が5種類、ヒンディー語が14種類です。6割くらいがフィクション。とにかく、本は英語で読まれているのです。

 古本屋さんと新本屋さんで、テルグ語を中心とした辞書類を探し出しました。
 すでに『源氏物語』のテルグ語訳があるので、今後も利用する可能性が高いことから、複数種類の辞書などを購入しました。

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 これらの辞書は、『源氏物語』のインド語訳を調査研究する時に威力を発揮することでしょう。ネットで翻訳ができるといっても、やはり紙媒体の辞書の比ではありません。

 文房具店で、パイロットの消えるボールペン「フリクション」のインド版を見つけました。

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 先日、デリーのジュース屋のおじさんにお土産として渡しました。あれと同じなのか、書いてみようと思います。ただし、ここには0.7ミリしかありませんでした。

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 ハイデラバードの第一印象は、若者の活力です。若者たちの力が蓄積されている街だと思いました。
 
 
 
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2018年03月01日

ネルー大学でアニタ先生や学生と懇談

 ネルー大学に近いハウズカズの一画にある喫茶店「ブルートーカイ」で、菊池さんと待ち合わせです。

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 今後の国際集会に関して、ヒンディー語の翻訳者としての立場から、菊池さんには貴重なアドバイスをいただきました。また、最近のデリーの様子も教えてもらいました。もう四半世紀もインドで生活をしておられる方なので、日々変わって行くことが日常レベルとなっている視点で、興味深い話がうかがえました。
 「インド国際日本文学研究集会」が第9回目になるといっても、研究者や学生が集まるだけの集会ではないものを探し求めています。開催する地域周辺の一般の方々も、広く興味を持って参加していただけるような集会に転換していきたいのです。そのためにも、一人でも多くのインドの方が集まってもらうためには、どのようなテーマで、どのような形式で開催するのがよいか、という問題は、これからも長く続けていくためには、重要な点になるのです。

 お昼ご飯は、ハウズカズの手前に広がるディアパークの木立に囲まれて建つ「LORD of THE MEDOW」でいただきました。

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 このエリアに来ると、必ずと言っていいほどにいつも行く、感じのいいレストランです。ただし、店員にサービス精神が欠けているので、注文する時にはどれくらい時間がかかるか確認が必要です。

 食後は、このレストランの裏の公園に集う孔雀や鹿を見ました。そして、ハウズカズの奥にある遺跡と古道具屋さんを散策することにしました。

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 これまでに何冊もレアな本を見つけた3軒の古書店は、残念なことにもう1軒もありません。
 ここは芸術村なので、若い方々が来たらいいと思います。東京の原宿から竹下通りの雰囲気が感じられる、私のお勧めのスポットです。

 ハウズカズから近くのネルー大学に移動しました。

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 アニタ・カンナ先生の授業に呼ばれ、学生さんたちと交流をしました。私が行くことに合わせて、アニタ先生は『十帖源氏』を授業に取り上げておられたようです。宇治十帖読んでいるというところから、早速、宇治という地名について質問をされました。
 このような学生との場が設定されていることは、教室に入る時までまったく知りませんでした。しかし、これは海外ではよくあることなので、動ぜずに対応します。
 私からの学生さんたちへのお土産は、小倉山荘の『百人一首』のおかきです。20人ほどの学生さんに一人一袋をとってもらい、自分の包装紙に書いてある和歌一首を覚えて調べるように、私からの宿題を課しました。早速、荒手の指導です。これが通用するのが、世界に冠たるネルー大学の学生さんたちなのです。今夜はきっと、家で自分が取った『百人一首』の歌一首の意味や作者について、必死になって調べていることでしょう。

 その後は、学部長室でチャイとスナックをいただきながら、先生方と情報交換をしました。
 帰りに大学構内の広場で見たのは、教育改革を訴える先生方の抗議集会でした。この大学では、一昨年はロックアウトがあったように、日本では忘れ去られた学生運動が今も生きています。それだけ、先生も学生も、真剣に勉学に取り組んでいる証拠でもあるのです。
 かつては日本でも、こうしたエネルギーがありました。私も、高校時代にはデモやロックアウトを体験しました。しかし今や日本では、先生や学生が大学当局に教育理念を問うたり、抗議集会をするなどは、遠い昔の想い出語りになってしまっています。

 ネルー大学のジャナスルティ先生とは、今度の国際研究集会のことでかねてより相談していたので、場所を近くのモール(プロミナード)に移して、打ち合わせや今後の学会運営に関する話し合いをしました。集会でのテーマについて、さまざまな提案をもらいました。例えば、次のようなテーマが、この時に話し合ったことです。

■ハイデラバードでの学会のテーマ(仮)■

・芥川賞を取った「百年泥」を中心に
・芥川賞作家と作品
・インドと日本における古典に向かう若い世代
・インドと日本の生活様式
・メディアから見える日本とインド
・震災を通して見るインドと日本


 これは、ハイデラバードへ行ったら、ハイデラバード外国語大学のタリク君との打ち合わせに提示し、検討を加えることになります。

 夜は、宿泊しているお寺の上人様と、ディフェンスコロニーにある「赤坂」で食事をしました。
 お腹を少し休めるために、日本でいう「水だき」である「火鍋(ホーコーナベ)」をいただきました。これは、満州で日本兵が覚えた料理が、戦後このデリーに伝わって完成した料理だとのことでした。

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 食後はゆったりとした気持ちとなり、また明日からのハードなスケジュールに身を委ねることとなります。
 
 
 
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