2018年02月25日

2002年春にインドで書いた未公開日記(その2)

 明日からインドとミャンマーへ行きます。
 過日の「2002年春にインドで書いた未公開日記(その1)」(2018年02月19日)が「第6週 02/10〜02/16」の項目の2月11日に該当するものでした。2月12日のメモはまだ見つからないので、以下には、それに続く2月13日の記事を復元します。
 これは、私がデリー大学の客員教授として赴任していた時の話です。授業では、『源氏物語』と『百人一首』をやっていました。『百人一首』については、後に幻のカルタ大会として今に知られる「百人一首かるた大会」へと発展しました。そのことはまた後に。

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■2002.2.13■


 K3とN2君の3人で、デリー大学へ行く。
 二人は、図書室と大学内を散策していたようである。
 この間に、K3の日記のコピーをしてもらっていた。
 授業には4人が出席。『百人一首』のCD−ROMで、実際にカルタを取る映像を見てもらう。
 実践と練習風景の2種類を見せたが、緊迫感のある映像なので、非常に興味を示していた。
 『源氏物語』については、次回に回した。
 P2さんには、今日は3人で行くところがあると伝え、我々だけで校舎を出た。
 コピーを受け取りに行くと、先程の、依頼した学生でないと渡せないと言う。
 A1さんが、コピー依頼の手助けをしてくれたようである。
 N2君がヒンディー語で何かをいい、ノートを渡してもらえた。
 依頼人の顔を覚えているとは、なかなかしっかりした大学内のコピーコーナーである。
 いろいろとトラブルがあるのだろう。
 インドらしくない、自衛策としての記憶に頼る識別法といえよう。
 しかし、説明されて渡してくれるようでは、まだまだ十分ではない。

 帰りに寄り道をする。

 [ニュー・チベタン・コロニーへ行く]

 [デリーのスラムの学校を見せてもらう]

 パークロイヤルホテルの中のタイ航空の窓口で、K3のチケットの変更の確認を済ませる。
 すぐにMブロックマーケットへ行き、写真屋と「写真CD−ROM」のことで交渉する予定である。
 2時半ころにMブロックに到着し、タクシーの運転手さんに500ルピーを渡した。
 そして、今日はここで終わりであると言うと、運転手さんは今日は決まりよりも多く走ったので、追加料金として100ルピーをもらいたいと言いだした。
 突然のことで訳がわからなかったが、N2君もその意味がよくわからないというので、とにかく言われるがままに払う。
 釈然としないが、とにかく明日も朝8時に迎えに来てもらうことで別れた。

 
 
 
posted by genjiito at 21:00| Comment(0) | ◎国際交流