2018年02月21日

読書雑記(223)石井遊佳『百年泥』

 『文藝春秋』(第96巻第3号、2018.2.10)に芥川賞受賞作二作品が掲載されたので、早速読みました。

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 来週早々にインドへ行きます。そこで、まずは『百年泥』から。

 冒頭で、生徒のアーナンダが「……はい……せんせ……はい……」と言う場面があります。敬愛の念を持つ相手に対するこのインドの方々の口振りを、みごとに活写していることが伝わって来ました。本作は、軽妙な語り口でありながら、物語の中身はしっかりしています。硬質な表現がちりばめられていて、言葉遣いも楽しめました。研究論文で使われる口調も感じられます。時々、助詞が省かれているところは、意図的なのか作者の癖なのか、よくわかりません。私は、助詞を省くと品格が落ちるので、付けてほしいと思います。そうした多彩な表現で語られるエピソードの数々に、つい引き込まれます。

 「いっさんに」という言葉が出て来たので、すぐに辞書を調べました。『日本国語大辞典』にありました。1600年頃から出典があり、正岡子規も使っていた言葉なのでした。てっきり、「一目散に」の間違いだろうと思ったのです。

 インドのチェンナイ(旧称・マドラス)で日本語を教えることになった、複雑な経歴を持つ女性が主人公です。洪水に始まり、しだいに、捉えどころのないインドの人々のありようが浮き彫りにされて行きます。さまざまな小話に彩られた、インドならではのおもしろい話が続きます。〈お見合い〉か〈恋愛〉かについては、もっと語ってほしい話題でした。

 物語は時間が行き来し、話題となる場所が転移して展開します。読者を飽きさせません。
知的な言葉で紡ぎ出される文章と、インドを背景にした上品なユーモアに満ちた、私好みの作品でした。関西人ならではの軽さが、作品全体をほんわかと包み込みます。関東の読者は、この作者特有の笑わせ方をどのように読まれるのか、その反応を大いに楽しみにしています。
 ただし、終わり方に釈然としないものを感じました。乱暴です。もっと丁寧で洒脱なエンディングがあるはずです。これまでの饒舌さが台無しでした。今後とも楽しみな方のようなので、次作も期待しましょう。

 なお、芥川賞の選評で、島田雅彦氏が「日本文学はインドを受容し損ねて来た」とおっしゃっています(329頁)。この指摘は気付かなかったことです。今後のために、当該部分を引きます。
『百年泥』のディテールはインド社会の多様性を反映し、ワンダーランドの様相を呈しており、地域研究の成果として出色のものである。日本文学はインドを受容し損ねて来たその歴史といってもいい。和製ヒッピーが自我を見つめ直す時代は遠い昔で、それに較べれば、本作はチェンナイの日本語教師の目を通じ、インド人の結婚観、家族関係、職業意識などをあぶり出し、そこにない読者の常識を揺さぶってくれる。海外体験のバリエーションが増えた現代、ルポルタージュのジャンルはかなり豊かになって来たが、小説との境界線を何処に引くべきかといったことを考えさせられた。(329頁)


さらに蛇足ながら、川上弘美氏の選評に、「関東の「バカ」は、関西の「アホ」と同じく、褒め言葉です。ねんのために。」とあることについて(331頁)。これは、大きな勘違いです。「バカ」は、相手を冷たく突き放し救いようのない愚かな人を指します。「アホ」は、親愛の情を持って相手を貶す言葉です。まったく異なる言葉です。念のために。【5】
 
 
 
posted by genjiito at 21:25| Comment(0) | ■読書雑記