2018年02月15日

読書雑記(223)『人文知のトポス』の読み方

 『人文知のトポス - グローバリズムを超えて あるいは「世界を毛羽立たせること」』(就実大学吉備地方文化研究所 編、和泉書院、2018年1月)を読みました。

180215_jinbunti.jpg

 中でも、次の2編は最初に通読しました。


「イスラームをどう認識するか」井上あえか
  はじめに
  一 インドにおける多用な人々の共存
  二 近代におけるコミュナリズムの生成
  三 「インドらしさ」の変容
  四 ガンディーの「反近代」
  五 イスラームをどう認識するか
  
 
「岡倉天心著『白狐』をめぐって」土井通弘
  はじめに
  一 『白狐』の世界
  二 歌劇『白狐』のトポス


 日頃は、こうした論考を読むことがないので、いい刺激と共に、もっと知りたいという思いを抱きました。もっとも、実のところ、私にはよく理解できなかった、というのが本音です。私の関心とは微妙にズレているようなのです。

 本書は公開シンポジウムが元になった編集物なので、各論考ともに一般の聴衆を意識した内容となっています。さらに詳しく知りたければ、注に引かれた著書や文献を見ればいいのでしょう。しかし、身近なところにある文献ではなさそうなので、これから関連書籍との出会いがあるのであれば、こうしたテーマを楽しむことにします。

 最近、紙に印刷された文章を書物で読んでも、それが紙媒体で必要なのかどうかと思うと、やや疑問を抱くようになってきました。かと言って、電子版の文章を読むことには、まだ慣れないせいもあってか抵抗があります。その前に、目が疲れてしまい、少し長いものは読み通せません。ニュース記事ならば、何とか読めます。
 一体どうしたいのだ、と言われると困ります。

 本は重さがあります。小さな木造の家に住む身には、本の重みで傾くことが不安の種となっています。現実に、日々傾いていっているのです。
 また、本は高さと厚みがあるために、空間を占有します。文庫本はともかく、ハードカバーの本は保管場所に悩みます。
 勢い、読み終わるとそのそばから、読み終わった本の始末に困ります。
 資料性の高いものならまだしも、読み物の類いの保管は悩ましい問題を抱えています。
 読もうと思って置いてある本をどうするか、という問題もあります。

 そこで、個人的に本を裁断してスキャナで電子化し、PDFの形でハードディスクに保存しているものもあります。それでも、実際にはそれを読むことはなく、たまたま検索に引っかかって、こんな本があったのだと気づかされるだけです。
 裁断した本を処分することには、罪の意識が薄いので気が楽ですが。

 今回の『人文知のトポス』については、電子版でさっと見た上で、じっくりと読みたくなった時に適宜自宅で印刷して読み、そのプリントは保存しておかないでシュレッダーにかける、というのがいいのではないか、と思います。実際にそうするかは、今は別として。

 出版社をはじめとして、執筆者や編集者にも申し訳なく思います。本自体が文化を継承するものであり、その中身には人類の英知が詰まっているからです。しかし、この手元に残された本の処遇という問題は、多くの方々が抱えておられる、喫緊の課題だといえるでしょう。「じゃまもの」では片づけられないものだからです。

 これまでに何度も書いたように、処分しずらいものの筆頭が、こうした書籍なのです。
 今日も、読み終わって、さてどうするかを思案しているところです。
 
 
 
posted by genjiito at 21:00| Comment(0) | ◎国際交流